プレゼント |
君のためなら、この命だって惜しくない。
君が、大好きで、大好きで、たまらないんだ。
目を開けると、真っ青な空が広がっていた。体を起こすと、ビルの屋上にいた。
「どこだ? ここ」
いつの間にこんなところに来たのだろう?
フェンスの向こうには、忙しない日常の音が溢れていた。車の騒音、踏切の音、人々のざわめき。
立ち上がり、フェンスを掴もうとすると、するりと向こう側に抜けてしまった。
「え?」
あまりのことに驚き、僕は固まった。
「どういうこと?」
考えたって分からない。
どうしてここにいるんだろう? 何をしているんだろう?
ただ一つ気付いたことは、僕がもうこの世の人間ではないということだった。
なぜこうなったのか、全く分からない。自分の名前すら覚えていない。
死んでるはずなのに、どうしてまだ地上を彷徨っているんだろう?
行くべき場所があるはずなのに、何故かここから離れられない。
もしかしてまだ何かをやり残しているんだろうか?
もしそうだとしたら、何をやり残しているんだろう?
ここから離れられない理由も、そのことと関係あるんだろうか?
離れられないこの町に、きっと何か手がかりがあるはずだ。それを探しに行ってみよう。
「もしかして空飛べるんじゃね?」
よく幽霊は重力を無視して、空を飛んでいるイメージがある。試しに軽く地面を蹴って、ジャンプしてみる。
すると、重力に引き戻されることなく、体はふわりと宙に浮いた。
意外と簡単に空を飛べるようになり、僕は何だか複雑な気分になる。
確かに空を飛ぶのは、子供の時から憧れてたけど、でも僕はもう死んでる。自慢にもならない。
「ハァ……」
思わず溜息が漏れた。
見上げた空は、気持ちがいいほどの快晴で、始まったばかりの夏を告げるように、蝉がけたたましく鳴いている。
上空から見る景色は、不思議な感覚を生み出した。生きていた時を覚えているわけじゃないけど、少なくとも上空から町を見下ろすことなんてしたことなかったはずだ。
少し移動して、町全体を概観する。あまり大きくない町のようだ。生前、恐らくこの町に住んでいたんだろうが、全く覚えていない。
ゆっくりと道路に降り立ってみる。
当然誰も僕に気づかない。誰にも見えない存在なのだと実感し、胸が締め付けられる。
込み上げてくる苦しさを押し込めて、知っている顔を捜してみるが、全然分からない。
そもそも自分のことすら覚えていないのに、知ってる顔なんて分かるんだろうか?
初めにいたビルはマンションだった。ここに住んでいたのかどうかは分からない。
だけど行く宛てなんてない僕は、再びこのマンションの屋上に戻って来た。
夜がやって来る。少しずつ少なくなる人波に、僕はこの世界の静寂を見た。
昼間、あんなにも人が溢れていたのに、今はただ静けさだけが支配している。
点滅する赤信号。オレンジ色に周囲をぼんやりと映し出す街灯。その街灯に群がる無数の虫たち。ただ一件だけ明かりが漏れているコンビニ。
昼間とは真逆の世界に、どこか違う場所に迷い込んでしまったのかと錯覚した。
膝を抱えてうずくまる。
記憶を失った今、どうすればいいのか、何をすればいいのか、分からない。
どうして死んだのか。なぜここにいるのか。
答えが分かるはずもない問いが、頭の中をぐるぐると駆け巡る。
ふと見上げた空に、ぽっかりと浮かぶ白い月。
あの月は、僕の事を知っているのだろうか? どうして死んだのか、知っているだろうか?
「……んなわけないか」
自嘲した声が空しく響いた。
何日くらい経ったのだろうか? 知ってる顔なんて分かるはずもなく、ただ毎日が過ぎていた。
何をしてるんだろう? 何をやり残したんだろう?
そんな疑問だけが、頭を過ぎる。思い出そうと思っても全く思い出せない。
こんなにもたくさんの人の群れの中にいるのに、誰も僕に気づいてくれない。
また夜の帳が下りる。忙しない地上を見ながら、溜息が漏れる。
死んだ僕にとっては時間は永遠にあるのだ。嬉しいような、悲しいような……複雑な気分になる。
今日は一段と大きな白い月が、僕を見つめていた。
「よう」
秋に入ったある日のこと。いつものように地面に降り立ち、人々の顔を眺めていると、初めて声をかけられた。驚きつつ声のした方に顔を向けると、僕と同じくらいの男の子が立っていた。
「僕が見えるの?」
「あぁ。俺も幽霊だからな」
彼はそう言って苦笑いを浮かべた。
「そっか」
自分と同じような人を見つけ、何だか不思議な気分になる。
「何やってんだ? こんなところで」
「分からない」
そう言うと、彼は首を傾げた。
「分からない?」
聞き返され、頷く。
「分からないんだ。自分が誰なのか、何で死んだのか、何で未だに地上《ここ》にいるのか」
「なるほどねぇ」
ふと疑問に思った。彼はどうなのだろう? 死ぬと記憶は消えてしまうのだろうか?
「君は自分のこと、分かるの?」
そう聞くと、彼は自嘲したように笑った。
「あぁ。俺は未だにこの世界に未練を持ってるからな」
「そうなんだ」
不思議だ。どうして僕は記憶を失っているのだろう? 彼の“未練”が大きすぎるから、彼は覚えているのだろうか?
「何だよ。元気ねぇな」
俯く僕に、彼が近づいてくる。
「どうしたらいいのか分からないんだ。僕が何でここに居るのか、その理由を探してるんだけど、全然見つからなくて……」
そう言うと、彼は少し考えながら言った。
「分かった。俺も探すの手伝ってやるよ。お前がここに居る理由」
「ホント?」
その言葉は、僕にとって救いだった。思わず聞き返すと、彼は笑って頷いた。
「ああ。どうせ暇だし。もしかしたら俺も一緒に成仏できるかもしれないし」
「ありがと」
ずっと一人だった僕は、何だかとっても心強い味方を得て、嬉しくなった。
「俺はタケ。よろしく」
彼がそう言って右手を差し出す。だけど僕は躊躇った。だって、自分の名前が分からない。
「僕……名前も分からなくて……」
「そっか。気にするな。そのうち思い出すよ」
「うん……。よろしくね」
僕も右手を差し出し、握手をした。
それから僕はタケと一緒に町を見て回った。
今まで一人だった分、二人で居ることがとても楽しくて、今まで寂しかった分、タケと居ることが、とても幸せだった。
自分でも単純だと思う。
それはある夜のことだった。
上空から地上を見ていると、一人の女の子が泣きそうな顔をしながら歩いているのが見えた。
「あの子……」
僕の呟きに、タケはすぐに反応する。
「知ってる子?」
そう聞かれ、僕は首を振った。
「分からない。だけど……何か気になる」
「じゃあ、付いてってみるか?」
タケの提案に、僕は頷いた。二人で彼女の後を追った。
彼女が入って行ったのは、何と僕が最初に目覚めたマンションだった。
これは何かの暗示なのだろうか? 不思議に思いながらも、彼女の後をついていく。
彼女は自分の家に戻ると、すぐに自分の部屋へ戻っていった。
僕はその家のリビングを見て驚いた。家中、泥棒に入られたかのように散らかっていたのだ。
だけど泥棒じゃないようだ。
「何でこんなに散らかってるんだろ?」
僕が呟くと、タケは「さぁ」と首を傾げた。
しかしその謎はすぐに解けた。数日間、彼女の様子を見ていて分かったのだが、どうやら彼女の両親が大喧嘩した後だったらしい。
彼女はそのとばっちりを受けないように、外に逃げていた。終わった頃に戻って来る。
同じ光景を何度か目にして、僕の胸は苦しくなった。
「まぁ最近じゃ珍しくない光景だけどな」
今までいろんな世界を目にしているらしいタケがそう言った。
「うん……」
悲しいけどこれが現実。だけど僕は彼女のことがとても気になる。
「どうした?」
「何か……よく分かんないけど、彼女のことが気になるんだ」
「……やっぱり生きてる時に知り合いだったとか?」
タケに訊かれ、僕は首を傾げた。それは覚えていない。
「分かんないけど」
「じゃあ、もうしばらく彼女のこと見守ってみよう。もしかしたら、何か記憶の手がかりになるかもしれないし」
タケの言うとおり、僕たちは彼女を見守ることにした。
彼女の名前は、多田万里子。高校一年生。一人っ子のようだ。
両親は何かにつけて喧嘩をしていて、万里子は喧嘩が始まると逃げるように家から飛び出す。そして近所のコンビニで時間を潰し、時間を見計らって家に戻る。そんな毎日を繰り返していた。
いつしか僕は、そんな彼女の状況をどうにかしてあげたいと思うようになっていた。
「どうにかならないのかな?」
思わず呟いた言葉に、タケは少し考えながら口を開く。
「どうにかしたい?」
「え?」
タケの質問の意図が分からず、思わず僕はタケを見つめた。
「俺さ、不思議な力ってのがあって、少しだけ魔法みたいなのが使えるんだよね」
「え?」
一瞬頭が真っ白になる。タケの言葉を理解するのに、少し時間がかかる。
「ま……ほう?」
聞き返すと、タケは「ああ」と頷いた。
「じゃあ……どうにかできるの?」
「まぁな……」
タケはあまり乗り気じゃないようだ。だけどどうにかできるのなら、何とかして欲しい。
「じゃあ……」
そう言いかけると、タケは僕の言葉を遮った。
「でも」
「でも?」
タケは口にするのを躊躇っていた。言いづらそうに、口を開く。
「その願いを叶える時には、願いを叶えたいヤツの体の一部がいるんだ」
「体の一部?」
よく分からないと首を傾げると、タケは溜息をついて、説明を加えた。
「要するに、お前があの子を助けたいのなら、お前の体の一部が必要だってことだよ」
「そう、なんだ……」
分かったような分からないような?
「でも……もう死んでるのに、それでもいいの?」
その問いに、タケはこくんと頷いた。
「そうやって願いを叶えることは可能だけど……一つだけ問題がある」
「え?」
「願い事は三回までだ。その三回目には、お前は消えてしまう。それでもいいのか?」
タケは真剣な顔でそう言った。
消える。つまり全く存在しなくなってしまう。
黙り込んだ僕を見て、タケはポンと優しく肩を叩いた。
「まぁ……ゆっくり考えたらいいよ。本当にどうしたいのか」
「いいよ」
「え?」
僕の即答に、タケは驚く。
「僕はもう死んでるんだもん。それで今こうして生きてる彼女が少しでも笑顔になれるなら、僕はそれでいい」
そう言うと、タケも心を決めたようだった。
「……分かった。じゃあ、君の両手を出して。一瞬だけ痛むかも」
死んでからも痛みがあるなんて不思議な話だと思いながら、僕は言われたとおりに両手を差し出した。タケは僕の手を掴み、もう一度確認するように言った。
「本当にいいんだな?」
「うん」
力強く頷く。きっとやらない方が後悔する。
「願い事は?」
「彼女の両親を復縁させる」
僕の言葉を受けて、タケが呪文を唱えた。辺り一面、光で真っ白になる。一瞬チクッとした。
光が消え、ゆっくり目を開けると僕の両腕は消えていた。タケの顔を見ると、彼女の方を見るようにと指をさす。
「あ……」
万里子は笑っていた。今まで見たことない笑顔で、とても楽しそうに笑っている。よく見ると彼女の両親も笑っていた。
それを見た瞬間、ホッとした。
「よかった。ありがと、タケ」
「ううん。君が叶えたんだよ。彼女の……心からの願いを」
その言葉に何だか嬉しくなる。
万里子に気づかれなくてもいい。僕は彼女の笑顔が見たいんだ。
相変わらず僕は、彼女を見守っていた。あれから人が変わったように明るくなった万里子を見るのが、嬉しかった。
「彼女のこと、好きなのか?」
「え?」
タケに突然そう聞かれ、返答に困った。
「うーん……どうなんだろうな……」
「何だそれ」
僕の反応にタケは笑った。
「よく分かんないけど、万里子の笑った顔を見ると、すごく幸せな気分になれるんだ」
「ふーん。もしかしたら生きてる時、彼女のこと好きだったのかもな」
タケの言葉に何故か複雑になる。
「そう、かもね」
両腕を失ったけど、それで彼女が笑顔でいられるのなら、何の後悔もない。彼女との関係がどうだったのかなんて、全く分からないけど、それだけは確かだ。
数日後。笑顔に戻ったはずの万里子が、また溜息をついていた。
今度は仲のよい友達と喧嘩して、謝るタイミングが掴めないみたいだ。
でもこれは万里子がどうにかしなきゃいけない問題だから、僕がしゃしゃり出るのもどうかと思う。
……けど気になって仕方ない。端から見ると、チャンスはたくさんあるように思うのに、どうしても話かけられないようだ。
「タケ……」
「どうにかするつもりなのか?」
名前を呼んだだけなのに、タケには気づかれていたようだ。僕が頷くと、タケは困った顔をしていた。
「でも……そしたらお前が……」
「僕が消えちゃう?」
そう言うと、タケは頷いた。
「あと二回でな」
回数を強調される。だけど、そんなことで僕の気持ちは変わらない。
「それでもいいよ」
「なっ……」
タケは「どうして?」という顔をしている。
「僕はそれでもいい。彼女が幸せで居てくれるだけで……」
「どうして……!」
タケの質問に、僕は微笑んで返した。
「そんなに……彼女が大事?」
その質問にはもちろん頷く。
「うん。大事」
「分かんないよ。何で自分を犠牲にしてまで……」
タケは取り乱したようにそう訊いた。
「僕さ、生きていた時の事は全然覚えてないけど、多分、心の奥底で覚えてるんだと思うんだ。他の誰でもない、彼女のために何かをしてあげたいんだ」
そう言うと、タケは少し考えてから、顔を上げた。
「……分かったよ。そこまで言うなら……。今度は下半身がなくなるぞ? それでいいんだな?」
「うん」
確認され、頷く。タケはもう一度確認した。
「これを叶えたら、あと一回だけ。その……あと一回を叶えたら、お前は消えてしまう。それでいいんだな?」
「うん」
頷くと、タケは少し寂しそうな顔を浮かべた。
「足、出して」
タケの言葉に、僕は足をタケの前に突き出した。タケは手の時と同じように、しっかりと僕の足を掴んだ。
「願い事は?」
「彼女と友達が仲直りすること」
タケはまた呪文を唱えた。真っ白な光に包まれ、やっぱり一瞬痛みがあった。
目を開けると、僕の下半身は消えていた。しかし彼女を見ると、友達と仲直りできたようで、また笑顔になっていた。ホッと胸を撫で下ろす。本当に良かった。
だけどタケを見ると、何だか複雑な顔をしていた。
「タケ。そんな顔しないでよ」
「だって……」
タケは泣き出しそうだった。
「僕が望んだことなんだよ?」
「そ……だけど……。こんな力、なけりゃよかった」
タケは自分の両腕を抱き、爪を立てた。
「そんなことないよ! タケに素敵な力があるから、彼女を笑顔にできるんじゃないか」
そう言うと、タケは僕の顔をすがるように見つめる。
「どうして……どうして笑っていられるんだ? 消えてしまうかもしれないのに……」
そう問われ、僕は考えた。
「何でだろうね? 彼女が笑顔でいることが、幸せでいてくれることが、僕の今の望みなんだ。だから、そのためなら僕は何でもする」
「そんなに……彼女のことを……?」
そう問われ、僕は曖昧に笑った。
「タケが前に言ったように、僕は生きてる時に彼女のこと好きだったのかもね。だから彼女のために何かしたいって思うのかもしれない」
「そっか……」
手も足も失った。
その代わり、彼女の笑顔が見られた。それだけで僕は幸せだ。
だけどタケはあれからあまり口を聞いてくれない。僕の行動が理解できないと言った様子だ。
ある時、僕はずっと気になっていたことを尋ねた。
「タケはさ、自分のこと覚えてるんだよね?」
タケは僕を一瞥してから頷いた。
「未練があるって言ってたけど、それって何? ……あ、言いたくないならいいけど……」
そう聞くと、タケはしばらく沈黙して口を開いた。
「俺が生まれたのは、遥か遠い昔のことだ。まだ戦乱の時代で、こんなに物が氾濫してた訳でもなかった。今の子供たちが歴史の教科書の最初の方で習うような時代だ」
タケの言葉に驚いて僕は何て声をかけたらいいのか分からなかった。
でも、背格好からして僕と同じくらいの歳で亡くなったんじゃないかと思う。
「俺には特別な力があった。神の子だと言う者もいれば、悪魔の使いだと言う者もいた。自分でもどうしてこんな力があるのか、分からなかった。生きていた時は、体の一部じゃなくて、願いを叶えたい奴の一番大切にしている物を犠牲にしていたんだ。もちろん、叶わない願いもあった。それなのに、死んだ人を蘇らせて欲しいとか、無理難題を言うやつもいた。それでも些細な願いは叶えられたんだ。万里子の願いを叶えたように……」
タケは少し寂しそうな目で遠くを見つめた。
「俺は……人の役に立ちたかっただけなんだ。困ってる人を笑顔にしてあげたかっただけ。……それなのに、俺の力の噂を聞きつけた隣の村を支配していたやつが、俺を誘拐した。『世界を自分のものにしたい』『永遠の命を得たい』って無理難題を言ったんだ。もちろん、俺に叶えられる訳がない。そう言うと、突然怒りだして俺を……」
タケは言葉を濁した。
きっとタケはその支配者に殺されたのだろう。そんな無残な死に方だったなんて思わなかった。
どう言葉をかけるか迷っている間に、タケが口を開く。
「俺が……殺されるだけならまだ良かった。奴は俺が住んでいた村を襲って、全員を……。関係のない……村人全員を殺したんだ」
僕は完全に言葉を失っていた。
教科書にも載っていない、残虐な出来事。それをタケは今までずっと……何百年も、何千年も抱えていたのだ。
そう考えて、胸が張り裂けそうになる。
タケは震える声で続けた。
「俺は既に死んでたから、止めることさえできなかった。悔しくて、悲しくて、怒りを抑えることができなかった。それから俺は奴に化けて出てやった。毎晩毎晩。……奴はノイローゼになってあっさり死んだよ」
タケは力が抜けたように、フッと笑った。
「奴が死ねば、俺は成仏できると思ってた。でも悲しいかな、今までずっとこの地上を彷徨ってる」
今度は自嘲したように笑った。
「人間観察はなかなか面白かったよ。……けどずっと一人で寂しかった。そんな時、お前に出会った」
タケは僕を見た。信じられないほど、とても優しく微笑んでくれた。
「嬉しかったよ。同じような仲間がいるんだって……。だから、失いたくないんだよ。お前を。消えて欲しくないんだ……」
「タケ……」
訴えるようなタケの言葉に、僕はどう返答したらいいのか、分からなかった。
「タケ……どんな未練があるの?」
そう聞くと、タケは少し悩んだ。
「そうだな……。未練があるとしたら、何で普通の子供に生まれなかったんだろうってことだろうな」
タケは複雑に笑う。
「普通の子供として生まれていれば……こんな力さえなけりゃ、俺は殺されなかったし、皆だって殺されなかった」
「それが……心残り?」
タケは目線を落としたまま頷いた。
「ねぇ、タケ。タケの気持ちは分かるけど、だけどこのままじゃいつまで経ってもタケは抜け出せないよ?」
「分かってるよ!」
僕の言葉にかぶさるように、タケが怒鳴る。そして溜息と共に言葉を吐き出した。
「そんなこと……分かってる」
長い年月を一人で過ごし、タケは痛いほど分かってるはずだと思う。
踏み出そうとしないのは、やっぱりどこか怖いんだろうか?
これ以上、僕は何も言えなかった。タケに偉そうになんて言えないよ。
僕は相変わらず万里子の生活を覗いていた。こう言うと、ストーカーみたいだけど……。
両親が仲良くなり、友達とも上手くいってるみたいで、万里子は毎日笑っていた。僕にとってそれが一番嬉しかった。
腕も下半身もない僕だけど、彼女の笑顔を見られるだけで幸せなんだ。やっぱり生きてた時、彼女のこと好きだったのかな?
相変わらず記憶は戻らない。
最初はとっても不安だったけど、今ではそんなに不安じゃない。だって、万里子の笑顔を見られるし、傍にはタケもいる。二人がいてくれるだけで、僕は幸せなんだ。単純なのかな?
そんなある日、僕は万里子の異変に気づいた。どうやら彼女には、好きな人が居るらしい。それに気づいた時、胸がチクッと痛んだ。
だけど僕はもう死んでる。
生きている彼女が死んでいる僕を見てくれることなんてあるわけない。願いを叶えたことだって、彼女は知らない。
見返りなんていらない。けどどこかやり切れない思いがある。
僕はどうしたらいいんだろう? どうしたいんだろう?
「どうした?」
落ち込んでいると、タケが心配そうに顔を覗き込んでくる。
「人間って……やっぱり欲深いもんなんだなぁって……」
「何だよ、急に」
タケは首を傾げた。
「僕は……万里子の笑顔を見るだけでよかったんだ。だけど、今ではどうして死んだんだろうとか、生きてたらどんなによかっただろうとか……今更どうにもならないことを考えてる……」
「大切なことって、失くしてから気づいたりするんだよな……」
タケの言葉に、僕は思わずタケの顔を見た。
「俺が生きてた時、願い事を叶えるのは、その人の一番大切にしている物を犠牲にするって言ったろ? それで願い事を叶えたとしても、犠牲にしたものを返してくれって言う人もいたんだ。……失くしてからどんなに大切だったかに気づくんだよ。大切なものを犠牲にしてまで叶えたい願いって……それも結局自分のためなんだ」
タケの言いたいことは何となく分かる気がする。
「でもさ、お前が自分を犠牲してまで彼女の願いを叶えたいって言うのは、正直ちょっと感動した」
「え?」
思わぬ言葉に、僕は驚いた。
「自分のことより、相手を想うってこういうことを言うんだなって。この時代の人間に限らず、人間って自己中なんだよ。今まで見てきて、そう思った。だけど中にはお前みたいなやつもいて……。俺が生きていた時代にもお前みたいなやつがいたんだ。自分には何もないけど、一番大切な自分の命を犠牲にするから、病気で苦しんでる奥さんを助けてくれってやつが。もちろん、命なんて無理だから、彼が着ていた服を犠牲にしたんだけど……」
タケは当時を思い出したのか、優しい笑顔になっていた。
「『自分はどうなってもいいから、彼女を助けてくれ』なんてなかなか言えないよ。それだけその人のことを大切に思えるって言うのが、素敵だと思った。同時に羨ましかった。俺は今までそんな人がいなかったから……」
俯くタケにどう言えばいいか分からない。
しばらくして、タケは顔を上げて僕を見た。
「こうやってお前に出会えたのも、何かの縁かもな」
「だといいな」
僕は万里子を愛してた。
記憶はないけど、僕の細胞がそう言ってる。痛いほど感じていた。振り向いてはもらえない、寂しさもあった。
それでも僕は彼女のために、何かをしたかった。それだけは、譲れない。
季節はいつの間にか移り変わり、冬になっていた。
タケに初めて会った時は、秋だったのに……時間は早く過ぎ去っていく。
町中にイルミネーションが灯り、クリスマスが待ちきれないと言った様子だ。
もちろん、万里子も例外ではない。クリスマスを前に、好きな人に告白しようとしていた。
複雑な思いに駆られる。だけど僕は応援することしかできない。
「がんばれ。大丈夫だよ」
聞こえるはずのないエールをずっと送り続けた。だって僕にできることなんて、これくらいしかない。
そんな僕にタケは何も言わなかった。呆れているのか、馬鹿だと思われてるのか分からないけど、それでもよかった。
ただ万里子には幸せになって欲しかった。
僕の応援が効いたのか、ある日万里子は思い切って告白をした。もちろん答えはOKだった。僕は自分のことのように嬉しかった。
もちろん、一緒に見守っていたタケも喜んでくれた。
「よかったな。上手くいって」
「うん」
そしてクリスマスの日。僕はある決心をした。
その日は午前中から、万里子は彼とデートをしていた。
夜、彼の傍にいる彼女の笑顔を見ながら、僕はタケに声をかけた。
「タケ、最後の願いを……叶えてくれるかな?」
「え?」
タケは驚いたように僕を見た。
「最後って……」
確認するように呟く。
「これをもし叶えたら、僕は消えてしまうんだろ?」
「そ……だけど……。何で……」
別に万里子が困っている訳でもないのにとでも言いたいようだ。
だけど、僕は決心したんだ。
「もう、万里子は大丈夫だよ。大切な人が傍にいるしね」
「でも……」
タケはすがるように僕を見つめる。僕も見つめ返した。
「お願い」
「嫌だっ! 俺は叶えたくない!」
タケは断固拒否した。
また一人になるのが辛いのかもしれない。それは、僕も十分分かってる。
「タケ、このままじゃ僕は前へ進めないんだよ」
そう言うと、タケの目から涙が溢れた。
「だって……やだよ。もっと……もっと一緒にいたい」
僕の目にも涙が溢れてきた。
「そうだね。僕もそうだよ」
「だったら!」
止めようとするタケの言葉を、僕は振り払った。
「ダメなんだ。これ以上、ここにいたら、永遠に抜け出せなくなる」
そう言うと、タケは黙り込んだ。
「いつまでもここにいちゃいけないんだよ。僕も、タケも。だから……例え消えることになったとしても、旅立たなきゃいけないんだ」
タケは溢れ出る涙を堪えながら、口を開いた。
「俺も……旅立てるかな?」
「うん。きっと大丈夫だよ」
タケは零れた涙を拭い、僕を見つめる。
「もし……生まれ変わるなら同じ時代に生まれたい」
「うん」
僕だって同じ気持ちだ。
「そしたらさ、友達に……なってくれる?」
「もちろん」
僕がそう返事すると、タケは涙を飲み込むように空を仰いだ。
月明かりに照らされたタケの涙は、今まで見た何よりも綺麗だった。
「タケ、僕は君に感謝してるんだ。生まれた時代は違うけど、こうやって出会えたことって奇跡のような確率だよね。それって……すごいことじゃない? だから、タケが彷徨ってたすごく長い年月は決して無駄なんかじゃなかったんだ。……きっと、僕と出会うためだったんじゃないかな?」
そう言うと、タケは頷いた。
「絶対そうだよ。俺もお前に感謝してる。出会えてよかった」
タケはそう言って、僕を抱きしめてくれた。僕の腕がないのが残念だ。
「タケ、最後の願い事……。万里子への最後のプレゼント……」
僕も涙を飲み込んで、空を仰いだ。抱きしめられたまま、願い事を口にする。
「万里子が、ずっと……ずっとあの彼と幸せに暮らせますように」
そう言うとタケは震えた声で、呪文を唱えた。白い光に包まれる。
その瞬間、今までの記憶が戻ってきた。まるでビデオを巻き戻すかのように思い出した。
僕はあのマンションに住んでいて、万里子の幼馴染だった。そして子供の頃からずっと万里子が好きだった。
彼女に思いを伝えようと決めていたその日、僕は事故で死んだ。
だけどそれは、学校帰りの万里子に突っ込んできた暴走車から彼女を守るために、僕が横から彼女を突き飛ばし、代わりに暴走車に轢かれたためだった。
死んだ理由もやっぱり彼女のためだったのだと気づき、何だか妙にホッとした。
「ありがとう、タケ」
彼はそう言って消えていった。結局名前も分からなかった。だけど、出会えてよかった。
見上げた空には、優しく見守る大きく白い月。
今まで迫りくるような月の夜が怖かった。けど、彼のおかげでそれすらも綺麗だと感じられるようになった。
「もう、大丈夫だよな」
今なら旅立てそうな気がする。
タケは自分の両腕を抱いた。
「世界中の皆がほんの少しでも幸せになれますように」
呪文を唱えると、真っ白な光に包まれた。
「雪?」
万里子は上から降ってくる白い雪に驚いた。
「ホントだ。今日は降らないって天気予報で言ってたのに……」
最近できた彼が隣で呟く。
万里子は空を見上げた。雪は降ってるのに、星が瞬いている。不思議に思いながらも、何だか心が暖かくなった気がした。
万里子は空に向かって呟いた。
「ありがとう。勇介」
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気がついたら、記憶を失って自分は死んでいた。なぜ未だに地上にいるのか、手がかりをを探していたある日、不思議な力を持った少年と出会う。そんな時、ある少女が気になり、二人で彼女を見守ることにしたが……。 ――友人原案。 | ||
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