Alternative 1-8
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「上手く勇者一行を説得したか。お前の十枚舌には恐れ入るよ」

 村をぐるりと囲む柵の向こう側、俺は煙草を吸いながらキュリーのそんな賞賛を聞いていた。

 日中の屋外だというのにキュリーは相変わらず一糸纏わぬ姿で、俺の前に平然と立っている。白日に晒された白い素肌は何とも健康的に艶めかしく、本来あり得ないはずの情景は、こう何かと駆り立てられるものがあってまずい。

 そんな自分を落ち着かせるためにこうやって煙草を吸って、ぐっと耐えているわけだが。

 キュリーにはもう少し、こう、こちら側のことも気にかけてほしいところだ。

「ああ、我ながら上手くやった方だと思うぜ? 今のところ誰にも疑われちゃいねぇよ」

「ふふふ、お前ならやりかねないものな。忍者ごっこ」

 くすくすと笑いながらキュリーはしゃがみ込み、風に揺れる黄色い花を細い指先でつついて弄ぶ。こらこら、腕でさりげなく胸を寄せ上げるんじゃない。

 青空の下、白日に晒される谷間とか、なかなか拝めないからいろいろヤバイだろ。

 なんでこいつはここまで平然と裸体を晒せるんだか。

 俺はどうにも落ち着かず、短くなった煙草を携帯灰皿で揉み消して、新しい煙草にまたすぐ火を点ける。

 話を続けて、気を紛らわそう。

「あとはプラナのプログラミングが完了さえすれば勝ったも同然だ」

「確信するのは早計じゃないかえ? 全てが巧くいくと確定しているわけではない」

 キュリーは立ち上がり、ゆったりとした動作で長い髪を掻き上げる。疵一つない綺麗な額だ。生え際も、額の中心が山を逆さまにしたような形をしている。

 どこを見ても美人だな。しかも俺好みの。

 今だって髪を掻き上げた腕の腋が丸見えだし、横乳も非常に目を引かれる。これはまずい状況である。

「こっちはあの伝説の勇者がいる。その上、世界最高峰の魔術専門校であるヘカテー魔術学院を首席で卒業した奇才プラナ、ヒュドラ直属の少数精鋭護衛部隊――事実上の第一部隊である《プライアンティメタルズ》のメンバーであるセシウ。《始原の箱庭(アペイロン)》の最精鋭と呼んでも過言ではないメンバーだ。突破口が見えた今、負ける要素の方が少ないんじゃないか?」

「お前は勘定に入っていないのか。ふふふ、本当に変わらないな、いつまで経っても」

 唇を窄めるようにしてキュリーは笑う。

 当然だ。俺を勘定にいれたところで数値に大した変動はない。むしろマイナスに振られるかもしれない。

 そんなものを計算に入れたところで何の得にもなりやしない。俺のことは俺が一番よく知っている。自分の非力さだって思い知っている。

 考えるだけムダだ。俺はあいつらが最大限力を発揮できる舞台を整えることができればそれでいいのだ。

 俺は柵に背中を預け、煙草の煙を吸い込み、空に向かって吐き出す。紫煙の辛さが舌に染みる。有害物質が肺に重くのしかかる。

 澄み切った空だ。流れ行く雲の形、それさえにも見惚れてしまいそうである。

 やっぱり大自然の空は違うな。朝も昼も夕も夜も、それぞれの表情が全て魅力的だ。

 朝は空が瑠璃色に染まり、稜線が朝陽に燃える。

 昼は真っ青な空が広がり、白い雲がゆったりと流れて心が落ち着く。

 夕暮れには空が紅く燃え盛る。夕焼けの空といえば哀愁が漂うのが常なわけなのだが、どういうわけかこの村の夕日はなんだか穏やかで安心する。

 夜には満天の星空が広がり、月の灯りも手伝って闇に対する恐怖なんてものはない。

 本当にいい村だ。だからこそ、守りたいと俺まで思っているのだろう。

「ふふふ、どうした? 何を考えているのだ?」

 ふと隣を見ると、キュリーが柵の上に腰を下ろして、少し高い位置から俺を見下ろしていた。目の高さには大きなお胸様。おおう、これは眼福……。

 つぅか、柵の上に直に座って痛くねぇのかな? 結構老朽化してささくれだってるんだけど。なんか刺さりそう……。

「いんや、特に何も」

「そうか? ならいいのだがな」

 言って、キュリーも空を見上げる。長い髪が風を受けてふわりと膨らんだ。

「綺麗な空だな」

「あー、だなぁ」

 俺もまた空を見上げる。

 キュリーも同じことを思っているのかもしれない。

「そういや宿屋の娘が、困ってたぞ?」

「あー、そうだな。悪いことをしている」

「お金がないなら後で払ってくれればいいとか言ってたぞ」

 先程、本当にあったことを伝えると、キュリーはくすりと笑う。

「騙しやすそうな人間だな」

「本当にな」

 この村の連中は全員、本当に騙しやすそうだ。人を疑うことを知らないっていうか、なんていうか。悪意とか作意とか、そういったものとは無縁に生きてきたんだろうな。

 羨ましい限りだ。

「あの娘(コ)は本当にいい娘(コ)だ。愛らしいな」

「屈託がねぇよなぁ」

「お前とは真逆だな」

「うっせ」

 実際そうだけどよ……。否定できない自分が憎い。

「ま、それくらいの方がいいぞ、私の好みとしては、な」

「そりゃどうも」

 本心なのか慰めなのかよく分からないので反応に困って、そんなつまらない答え方をしてしまう。

 喜ぶにも喜び辛ぇし。なんせ、一応敵だからな、こいつ。

 ついつい忘れそうになるけど。

 絶対にこの認識を忘れてはいけない。俺は何度もそう言い聞かせている。キュリーが例えどういう人物だったとしても、今こうして協力してくれているとしても、敵対勢力であることに変わりはない。全ての情報を俺に開示しようとしていない以上、こいつはこちら側に寝返ったわけではない。事が済めば敵対関係に戻るのだろう。

 ならば、いずれ戦うことは避けられない。必ず、俺達はどこかの段階で凶器を交わらせることになる。

 こいつに仲間意識を持ってしまうようなことがあってはならない。その認識は躊躇いになる。迷いになる。惑いになる。

 一分一秒――それよりも僅かな一瞬の挙動が趨勢を決定づけてしまう戦場において、そんな感情を差し挟むわけにはいかない。

 だから、俺は絶対にこいつを仲間と思ってはいけない。また気をやってもいけない。

 ただ今だけの協力関係。ドライな関係であるべきなのだ。

 なんだが……どうして俺はこうして並んで空なんて眺めているんだろうか……。

「ガンマ、お前達は今まで《魔族(アクチノイド)》と交戦した経験があるか?」

「どうした、突然?」

 何の前振りもなくそんなことを言われて、俺は思わずキュリーの方へと目をやる。いつの間にかキュリーは空を仰ぐのを止め、俺を見つめていた。その瞳は真剣そのもので、今までのような軽佻浮薄とした印象はどこにもいない。

 唇を引き結び、何かとても思い詰めているようにさえ見えた。

「いや、まあ、一応あるけどよ……」

 旅を初めて間もない頃だった。あの時は確か、次の町を目指し森を進んでいた時だ。日も暮れて、疲弊しきっていた俺達は火を焚いて休息を取っていた。その時に奇襲を受けたんだったな。

 名前は確かアメリスだったか。予見能力の持ち主で相当に手こずった。あの時は辛うじてやりすごせたけどな。

「倒したことは?」

「ない、な」

 悲しいことに、な。俺達は未だに《魔族(アクチノイド)》の首級を挙げることができていない。

 勇者一行という肩書きを持っておきながら情けないことのようにも思えるが、実際のところ人類はまだ一度も《魔族(アクチノイド)》を屠れていない。

 五百年周期で終末を迎えるこの世界で、俺達は未だに《魔族(アクチノイド)》に対して明確な反撃をできないでいる。

 何度も何度も終末を繰り返し、それでもどうにかこうにか戦い続けているというのに、だ。

 それだけこいつらが強大なる存在だというわけなのだ。

 撃退しただけでも十分な戦果であるといっていい。

「なのだろう? 我々――《魔族(アクチノイド)》を他の敵と一緒だと思わない方がいい。例え勇者であろうと、《始原の箱庭(アペイロン)》の最精鋭であろうと、相対者が我々だというのならば、お前は細心の注意を払って敵対すべきなのだ。それで容易に倒せるならそれでいい。杞憂であったならな。だが、戦う前から油断をするな。それはお前の死を招く」

 こいつは今、どちらの側に立って俺に語りかけているんだろうか?

《魔族(アクチノイド)》を我々と称すということは、つまりこいつはそちら側にいるつもりだ。だというのに、それは俺達への忠告に他ならず、まるで《魔族(アクチノイド)》を倒させようとしているようにさえ思える。

 しかも今回は嘘か真か分からない情報を流しているわけではないし、罠を張って誘導させているようなものでもない。小細工のないアドバイスだ。

 ……待て、落ち着け。こいつを仲間だと思ってはいけない。味方じゃないんだぞ。

 ただ、今は敵ではない。それだけの話だ。

 だというのに、そう思おうとしているというのに、胸の奥底から妙な感情が湧き出てくる。

「お願いだ。油断をしないでくれ。命は――一つしかない。お前は、お前しかいないんだ」

 その言葉はどこまでも切実な願い事であり、哀切を痛切に感じ入ってしまう。この感覚はきっと幻想じゃない。こいつは悲痛なまでに何かを案じていた。

 何をだ? 俺の身を? まさか。敵同士だぞ?

 柵の上に置かれた手はいつの間にか握り締められていて、微かに震えてさえいた。

 クソ……ダメだ。俺の中で何かが揺らいでいる。少しでもバランスを崩せば、そのままどちかへと倒れ込んでしまいそうな危うさ。

 妙に居心地が悪い。

 自分の内側も、またキュリーの内側も、何もかもが分からない。その痛々しいまでに真剣な表情も、握り締められた小さな拳も、全てが俺を惑わせる。

 何が何だかさっぱり訳が分からない。

「キュリー……お前は、なんだ?」

 掠れた声で、俺は何とか言葉を絞り出す。最早、言葉を飾る余裕もなかった。

 悔しいが認めざるを得ない。俺は、困惑し混乱していた。

 ここまで何一つ推測ができない事態は久々だ。

 俺の問いにキュリーは目を逸らすように伏せ、自身の握り締められた拳へと向ける。下唇に皓歯を食い込ませ、痛みを堪えるように顔が歪む。

 それは今まで想像することもできなかったキュリーの弱さだったのかもしれない。

 永遠にも思える時間。実際は一分程しか経っていないのかもしれない。

 今はもうよく分からない。

 彷徨っていたキュリーの瞳は、最後に自身の拳へと戻る。俺に目を向けることもなく、キュリーは恐る恐るといった様子で唇を開いた。

「私は……私だ。ただの――」

 そこでキュリーの目が俺へと向けられる。溢れ出す濡れた感情を覆い隠すようにぎこちない笑みを浮かべ、キュリーはそっと言葉を続け――

「おーい! ガンマー!」

 最も聞き慣れた声が横合いから飛んできた。予想外の闖入者に俺は驚きに目を瞠り、声の聞こえた方を振り返る。

 そこには手を千切れんばかりに振りながら俺達の方へと駆け寄ってくるセシウの姿がある。ポニーテールを揺らしながら能天気に笑ってやがる。

 やべっ……ここでキュリーを見られたらまずいぞ。《魔族(アクチノイド)》であることは隠し通せるかもしれないが、なんせキュリーはマッパである。誤解を招かないわけがない。しかも野外で? 二人っきり? 変なレッテルを貼られそうである。

「おい、キュリー……」

 キュリーを何とか隠そうと俺は隣へと目を向け――

「は?」

 柵の上には誰も座っていなかった。もうそこには誰もおらず、初めから誰もいなかったような静けさだけが残っている。

 名残もなく、残滓もなく、ただそこには何もなかった。

 さすが《魔族(アクチノイド)》というべきなのか?

 呆然とキュリーがいたはずの場所を見ていることしかできない俺の後頭部に突然衝撃が走る。視界に無数の星が瞬く。

「おい返事しろよ! このボケナス!」

「いっでぇなクソ! 何しやがる!」

 どうやら殴られたようだ。

 勢いよく振り返ると、セシウは腰に手を当てて胸を張っていた。私怒ってますよ、と言いたげだ。

「だってガンマ、こっちが大声で呼んでるのに返事しないんだもんさ」

 どう考えても順序が逆だ。それで感情表現してダメだった場合に殴ればいいものを……。

 拳が何よりも先に出るからな、こいつ。

 あー、いでぇ……。かなりいでー。久々に回避行動を取れずに殴られたわ……。

「で? 何してたの?」

「あ? ああ、ちょっと息抜きにな」

「また煙草? ほどほどにしなよ? ただでさえ体力ないんだから」

 ほっとけ。

 俺が身体をどれだけ痛めつけようと、そんなの俺の勝手である。むしろいつも殺人的なトレーニングメニューをこなし、筋肉を苛め抜いてるお前達の方が俺は理解できない。

 辛いだけだろ、どう考えたって。

「んでお前はどうしたよ? 俺に会いたくでもなったわけ?」

「ば、ばかちがっ!」

 赤面して拳を振り上げるセシウに、俺は素早く飛び下がって距離を置く。

 バカ。違う。

 おそらくそう言いたかったのだろう。何気にセシウは舌っ足らずなのである。そのせいなのかよく分からない言葉を付け加えて曖昧になりがちな語尾を誤魔化していたりする。

「なんじゃらほい」だとか「だわさ」だとか、そういうよく分からないものでテンポを取ってるようだ。

 語尾も性別も曖昧な獣なのであるとさ。

 全く幼稚だな。キュリーくらい明解でなければ。

 行き場のない拳を大人しく下ろして、セシウは呆れたようにため息を吐き出し、ぽりぽりよ頬をかいた。

「プラナ、調べ終わったってさ。んで、あ、あんちぷらぐらはみんぐ? あれ? あんちぷろはみんぐ?」

 どうしよう、俺の幼馴染みが謎の呪文を唱え始めた。しかも納得がいかないらしく小首を傾げて考え込んでいる。

 成功した日には、ゲル状のよく分からないモンスターとか召喚されそうである。

「 ん? んん? 違うんだな……いや、確かあんぷろらみん?」

「それ最早、薬の成分だろ、なんか」

 ラミンとか最後につくとそんな感じになる気がする。

 アンプロラミンってなんか普通にありそうだよな、うん。いや、ねぇよ。

「じゃあ、それか!」

「違うぞ、全然違う」

 にぱぁと眩しいくらい嬉しそうに笑って手を叩くセシウに俺はため息を吐き出す。

「えー? だって薬の成分なんでしょ?」

 ぶーぶーと唇を尖らせるセシウ……。こいつ本当にアホ……。

「じゃあ、聞くけどよ。プラナは薬を作ってたのか?」

「……薬は……作ってなかったかな」

 なんで少し考えた。

「だろ?」

「じゃあ、あんろらぷらみんって何さ!?」

「さっきと微妙に違うぞ」

「あれ? えー? んー?」

「アンプロラミン」

「そう! それだ! あんぷらみろん!」

「もういい、今は喋るな」

「はえ?」

 埒が明かん……。

 本当に頭が弱いな、ゴリムス。

 意味が分からずうんうん唸りながら考え込んでいるゴリムスは放っておこう。

「とりあえずアンチプログラムが完成したんだな」

「ん? あー? 確かそれだわさ!」

 キリッという効果音でもつきそうなほどに得意気な顔でセシウは大きく頷く。

 あー、メンドくせ……。

 しかし思ったより早かったか?

 いや、違うな。俺の体感時間が短かっただけか。気付かぬうちに随分と話し込んでしまったらしい。

「ふぅむ……今何時だ?」

「二時四十七分だぞっと」

 時計も見ずに、すらすらとセシウは答えてくれる。この辺は結構優秀なんだけどなぁ……。

 天はそうそう二物を与えないものである。むしろ長所があればあるほど短所を与えて、プラマイゼロにしているものなのである。

 きっとセシウだってバカな代わりに何か長所が……ほとんど筋肉にいってんだろうな……。

 もう手遅れだわ、こいつ。

「早いに越したことはねぇか。宿に戻るぞ」

「オーキードーキー」

 手をびしっと挙げて元気よく返事をしたセシウと共に、俺は宿に向かって歩き出す。

 眼球の裏側には今もキュリーの痛みを堪えるような歪んだ微笑がこびりついていて、どうにも収まりが悪かった。

 あいつは、一体何を言おうとしてたんだろうか……。

 考えてもムダだということは分かっていたけど、考えずにはいられなかった。

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「アンプロラミンができたんだって?」

「は?」

「あ?」

「え?」

 宿の部屋に戻るなり、俺はそんなドジをやらかしてしまった。

 プラナ、クローム、セシウの順番で次々と頭に疑問符を並べていく。

 くそ、さっきさんざん言われたせいでつい口から出てしまった……。キュリーのことでいろいろ考え事をしていたせいもあるんだろうが、クソ、なんていう失態だ……。

 意図的に痴態をさらすのは構わんが、意図的ではないものなんて屈辱以外の何物でもない。

「ガンマ? 疲れていますか? 無理はなさらないでくださいね?」

 どこか哀れむように、ベッドに座り魔導陣の図面を広げていたプラナが俺へと優しい声をかけてくれる。

 や、やめろ……。俺にそんな憐憫の視線を向けるな……。

「貴様、ついに脳みそにも錆びが回ってきたか? ちょっと開頭して見てやってもいいぞ?」

 さらにクロームの冷ややかな視線。

 自分のミスなのでなんとも言い返しようがなくて悔しい。

 だって事情が分からなかったら、明らかに俺の天然ボケですもの。事情を知っているセシウのフォローも期待したけれど、俺の後ろで口を手で覆って笑いを堪えている。

 もともとは誰の発言だと思っているんだ、こいつ。

「で、アンチプログラムの具合はどうなんだ?」

「お前の頭の具合はよろしくないな。薬局でアンプロラミンを処方してもらえ」

 ふんと壁に背を預けたクロームが鼻を鳴らす。クソ、こいつはここぞとばかりに……。

「何に効くんだよ?」

「バカに処方する薬に安楽死以外の効用があると思っているのか」

 冷笑交じりに俺を見下すクローム。

 完全に向こうが優勢だな。こっちの落ち度だし……。

「え? あんぶろろみんって本当に売ってるの?」

「さっきから新しい成分が大量生産されてんな」

 首を傾げるセシウに俺は項垂れる。

 おそらく全て、まともな効果がないんだろう。セレンディピティは俺に備わっていないのである。有用性を見出すことは不可能だ。

「で? どうなのよ?」

「順調ですよ。魔導陣の分析も全て完了しています。プログラムの構築も済んでいます。デバッグも今さっき終了しましたよ」

 ベッドの真ん中にちょこんと座ったプラナはにっこりと微笑む。心なしか、いつもより血色がよさげだ。

 プラナは魔導陣のプログラミングが大好きだからな。当人曰く、実践で魔術を使うことよりも新しい魔導陣を制作することの方が得意分野らしい。そうは言っても、学院での成績は全科目オールSらしいけどな。

 つまり大前提全部完璧で、その上でプログラミングが大得意というわけだ。ここまでくると次元が違いすぎる。こう一般の尺度で測っても何も分からない感じ。常に振り切ってしまっていて、上限以上の数値で差が出てるような。

 いいプログラムが構築できて、さぞご満悦なんだろう。

 ベッドの上に広げてるのは、おそらく村に施されている魔導陣の図面だろう。どうやら最終チェックを行っているらしい。

「出来はどうだ?」

「いい出来ですよ。我ながら自信作です」

 ぐっとプラナは親指を突き立てて見せる。謙虚なプラナが自画自賛するということはよっぽどのクオリティなんだろうな。

「急造ですので、魔導陣全ての破壊できるほどのものは用意できませんでしたが、それでも意識結界やトラップは全て解除できます」

 まあ、突貫だからな。さすがにそれ一つで全てを解決はできないか。

 もし魔導陣そのものを無力化するものを構築するのであれば、今村に仕掛けられている魔導陣よりも遙かに膨大なプログラムが必要だろう。それでは時間がかかりすぎる。

 プラナが完璧を求めず妥協してくれる人格で助かった。これで完璧主義者だったら、タイムリミットをオーバーしていたことだろう。

「補足知識として、皆様にはあの魔導陣の概要をお教えしておきましょう。集まって頂けますか?」

 プラナに言われ、俺達三人はベッドの周りに集合する。俺達三人の神妙な顔を見回し、プラナは枕側に背を向け俺達全員に見えるように図面を置く。四人で犢皮紙(ヴェラム)を囲む形だ。

「まず、この魔導陣は周囲の小さな魔導陣によって中央の巨大な魔導陣を支えています」

 言いながら、プラナは細い指でぐるりと中央の魔導陣を囲む小さな魔導陣をなぞるように円をかく。多少のズレはあるが、可能な限り大魔導陣を中点にした同心円上に小魔導陣が設置されている。

 僅かなズレは物陰に隠すようにしているためだろう。見つからないようにというわけではなく、ただ単に仕掛ける際に一目を避ける必要があったからだろう。

「密結合のプログラミングであり、効果は確かに絶大ですが、その分僅かな欠損で致命的な問題を引き起こす脆弱性もあります」

 全てが連動している以上、一部での問題が全体に波及しています。

 なるほど、緻密故の弱点というわけか。

「大雑把な解析では分かりませんでしたが、どうやら小さな魔導陣の主な役目は大魔導陣への補助のようですね。これらの魔導陣は高度な演算機としての機能を有しており、それぞれに割り当てられた魔術式の演算を行い、魔術の展開を早めています。ただし全体の魔導式の演算機能は大魔導陣も有しており、小さな魔導陣が破壊されたところで発動が遅延するだけで機能停止には至りません」

「遅延はどの程度だ?」

 クロームの抑揚のない問いにプラナは少しばかり考え込む。

「割り当てられた魔術式にもよりますが、平均値は一つにつき二分。一部の複雑な魔術式を割り当てられているものに関しては五分ほどの遅延が発生します」

 高度な演算機能を用いて二分もかかっていることが恐ろしい。魔術に用いられる演算機は一般のものでさえかなり高度なものだ。一般人の言う難解な数式なんてものは数秒もかからず演算を終えてしまう。それでも二分。よほど複雑で膨大な数式を演算させているのだろう。

「補助魔導陣の総数は?」

 続いて俺もプラナに問いかける。

 俺もクロームも魔術に関しては疎い。分からないところはプラナに訊ねるしかないのだ。

 分からないままでいるのが一番危険だしな。分からないことは素直に分からないという程度の勇気は団体行動において必要不可欠だ。

 認識の誤差はやがて大きな歪みを生み出し、致命的な失敗に繋がる。

「総数は二五基。一基はすでに私達が破壊したため、残りは二四基となりますね。うち八基が五分程度の遅延を発生させます」

「全て破壊することができればおよそ七四分の遅延が発生するわけか……」

「ガンマ、計算早ッ」

 傍らでセシウが驚きの声を漏らすが今は気にしてられない。お前がバカなだけである。

 起動用の魔術式の詠唱にかかる時間はおよそ三十分。合計一〇四分――一時間四分の遅延、というわけか。ふむ……かなりの猶予ができるな。

 それだけでも十分有り難い。

 時間だ。それはこの世で一等大事なもんであり、また最もどうしようもない概念である。

 俺達は生まれた時から手持ちの時間が決められているというのに、その数量は一切開示されることがない。ただいつ終わるか分からない試合を続けさせられるばかり。どうにかこうにか引き延ばそうと策を弄しても、持ち時間がなくなれば存外呆気なく試合終了。

 誰が勝者で敗者なのかも分からない持久走だ。

 ならば、手持ちの時間が分かっているものくらいは、正確にこなさなければならない。

「もちろん、以前説明した通り、補助魔導陣自体も圧縮はされていますが、本来は半径八キロメートルにも及ぶ、単体で儀式級魔術の展開さえ可能な代物です。当然、魔界と直結する穴を穿つことは可能です。一つ穿たれただけでも相当の被害が予測されるでしょう。まあ、本来の目的はそこではないのですけどね」

 ふむ、補助とは言ってもかなりの大きさである。はっきり言って一個あっただけでも十分すぎるほど脅威だ。

 状況は俺達が思っている以上に最悪である。

「そんだけの効果を持っていて、本来の目的がそこじゃないってどういうことだ?」

「今からそれをご説明致します。まず、この連動した魔導陣の動力源についてお話しましょう」

「動力源? 魔術師自身からのエーテル供給ではないのか?」

 クロームが僅かに目を瞠る。俺も少しばかり驚きだ。魔術に関して知識が浅いのもあるが、当然のように魔術師がエーテルを送り込んでいるものだと思い込んでいた。

 普段、魔導陣を駆動させるのに使われるエネルギーはエーテルと呼ばれる魔術物質だ。万物を構成する火、水、風、土の四大元素――その大本となるもの。

 エーテルは世界の根源。それぞれ全く異なる性質を持つ物質も全て、最後まで分解してしまえば残るのはエーテルだけ。

 これは魂を構成する物質とされており、死した者の魂は全てエーテルへと分解される。人間の目では視認できないほどに極小の物質であるエーテルは大空(アーエール)へと昇り、その遙か上、人類が未だ到達できていない領域、天空(アイテール)まで至る。

 天空(アイテール)には、生命の円環(キュベレーキクロス)と呼ばれるエーテルの環流帯が存在し、魂だったエーテルは環流帯へと還り、やがて新たな物質を構成することになる。

 この世界――リゾーマタにおける輪廻転生の概念はここから来ているわけだ。

 世界を構成する全ての物質は生命の円環(キュベレーキクロス)から生まれた家族であり、また魂を分け合う兄弟でもある。

 さて、このエーテル、生命の円環(キュベレーキクロス)を循環しているわけだが、大気中にも存在している。環流帯から降ってきているのだ。

 魔術においては大気中のエーテルを体内に取り入れ、それを魔術の種類に合った元素へと変換――魔導陣へと供給することで駆動させる。

 まあ、大抵のものは魔導陣を駆動させる前に発動する魔術に必要なエーテルを全て充填するものなのだが、結界などの継続的な魔術に関しては魔術師自身が常に一定量送り続けるというのが一番ポピュラーである。

 というかそれ以外の手法を俺は知らない。

「あまり、有名な技術ではないんですけどね。実はこの魔導陣、魔術師との接続が完全に断ち切られてるんです」

「というと?」

「要は魔術師から干渉ができない状況。エーテルの供給も、誤作動の修正もできません。また魔導陣自体、状態を魔術師に伝えることができませんし、魔術式の維持やフェイズシフトも全て自律的に行われます」

 ……つまり、どういうことだ?

 クロームも眉間に皺を寄せ、低く唸っている。その頃、セシウは考えることをやめていた。ぼけーっと図面を眺めているだけだ。

 バカは楽でいいな、おい。

「それはどういう反応を取るべきなんだ?」

 無知な俺達に天才魔術師は嫌な顔一つせず、説明を続行してくれる。自分にとって当たり前のことを説明するって、すごく面倒そうなのにな。

「一般的には愚の骨頂ですね。なんせ自分では一切の管理ができないんですから。もし譜面に問題があった場合も、接続されているのならいくらでも修正が可能です。多少骨は折れますけどね。また外敵への対策も、一歩間違えれば全く違うところで作動してしまいます。条件付けが甘ければ、それだけで問題を招きます。だというのに、この魔導陣は魔導陣を維持するのに必要な全てを今まで平然と行い、また今後魔導式を実行するにも全て魔導陣自体が行います。並大抵のプログラミング能力では、絶対にどこかで誤作動が発生するはずなのに……」

 ふむ、プラナが驚くということはやはりよほどのプログラミング能力なんだな。さすがは《魔族(アクチノイド)》といったところか。

 全く、ぞっとするね。

「で、そんなことをするメリットはどこに?」

 クロームが疑問を口にする。

 確かに、そんあ余計なプログラムをわざわざ組み込む必要性なんてあるんだろうか? 確かに技術はすごいのだろうが、そんなもの魔術師が魔導陣に接続するだけで解決してしまう。

 面倒を増やして、技術を誇示するだけにしたっておかしな話だ。

 クロームの問いかけにうーむとプラナも言葉を詰まらせ、少しだけ考え込む。

「私も、実際はどうなのか分かりませんが、おそらくは逆探知を防ぐためではないでしょうか?」

「逆探知?」

「はい。ある程度腕のある魔術師なら、魔導陣の接続を辿れば、術者を割り出せます。逆に言ってしまえば、接続がなければ術者を割り出すことはほぼ不可能なんです」

 なるほど。《魔族(アクチノイド)》であるなら、その必要があるかもしれねぇな。世界を敵に回して生き残ってるだけあって、用心深いことこの上ない。逆探知ができれば、いちいち魔導陣を破壊して回る必要もなかったのにな。

「なるほどな。それで接続が切れてるから、魔導陣自体に動力源をこさえる必要があるわけか」

「そういうことになりますね。この動力源がまた厄介なんですよ」

 言って、プラナの細い指が村の中心を指差す。そこには巨大な魔導陣が描かれている。

 俺達がこうやって頭を悩ませている全ての元凶たる大魔導陣だ。

「この魔導陣の位置に何があるか分かりますか?」

「何ってそこは広場だろ。酒場を出てすぐの……」

 俺達が昨日いた場所じゃねぇか。あの時プラナは食い過ぎな上にむさいおっさんに囲まれて体調不良を起こしてたな確か。

「あそこにはおっきな木があったじゃん。ほら、なんか懸垂とかやるのにはちょうどよさそうな」

 ……そういえばあったな。あそこの木陰で俺達は休んでたんだっけ。

 バカながら見るところは見てるセシウの的確な答えに、プラナはどういうわけか気難しい顔で頷く。

 ほしがっていた答えと違っていたことに落胆しているのかと思ったが、そうではないらしい。

「その通りです。お恥ずかしながら私は魔導陣の真上に座っていながら、その存在を悟ることさえできませんでした。情けない限りです」

 そうか。俺達はプラナが指差す場所で木陰に入って休んでいた。つまり、あの時俺達の真下には魔導陣があったということ。

「いや、そりゃしゃあねぇよ、お前、あん時はとてもそんなことできる状況じゃなかっただろ」

 どう見ても死にかけだったし。そこを責めることはできない。こいつが貧弱なことは十分分かっている。それでも余りある才能がこいつにはあるんだから、文句は言えない。

 だがクロームは違うらしく、ふんと小さく鼻を鳴らす。

「まだまだ危機感が足りんな、プラナ。それで民は救えんぞ」

「はい……仰る通りです」

 クロームの冷たい言葉に、プラナは俯きがちになりながらもしっかりと答える。唇を噛み締め、左手はローブの裾を握り締めていた。

 クロームは普段、プラナに対しては優しく接している。それは本当に僅かな差異ではあるけれど、クロームがあまり見せない一面であることに変わりなく、それだけでもプラナは特別な存在なんだろうな、と想像できる。

 だからといってクロームはプラナを甘やかしているわけではない。むしろ距離感が近い分、失敗をやらかした時の言葉は俺に対するものより辛辣な場合さえある。

「油断をするな。自分の過ち一つで民の命が失われることを自覚しろ」

「はい……申し訳御座いません」

 プラナは口答え一つすることなく、クロームの言葉にただ謝罪する。それでもクロームの顔を直視することはできず、ずっと自分の膝を見下ろしていた。

 助け船――出してやるか。

「で? その場所に大魔導陣があるのは分かった。それがどうしたってんだ?」

「ガンマ。話を逸らすな」

 クロームがため息交じりに俺を見下しているのは分かるが今は気にしない。

「時間がねぇだろうが。プラナへの説教はそれが終わってからでも遅くない。違うか?」

「…………」

 クロームが僅かに唸る。

 顔は直視しない。俺は意識して視線を図面に固定していた。さすがに怒ってるクロームの顔を何度も直視するのはご免被りたいのである。

「勝手にしろ」

 ほんの少しの間の後、クロームがやむを得ないといった語調で折れる。かなり見放されているようにも思えたけど、それも今は気にしないでおこう。

「じゃあ、プラナ。続きを頼む」

「よ、よろしいんですか?」

 おずおずと顔を上げたプラナは俺に顔を向けながらもちらちらとクロームの顔色を窺っていた。やはり気になるんだろうな。

 俺は微かに肩を竦め、プラナに苦笑を投げかける。プラナを挟んだベッドの向こう側に立つセシウへ軽く目配せをする。

 突然のことにセシウは目を丸くし、自分の顔を指差して首を傾げる。俺は小さく頷くが、セシウは納得いかない様子。そりゃ嫌だろうな。俺だって嫌だもん。だからセシウに押しつけてるわけだし。

 セシウは両手を大仰に広げ、渋々クロームの方へと向き直る。

「ねえ、クローム。そんな態度してたらプラナが可哀想でしょ? もう少し朗らかにできない?」

 セシウの注意にもクロームはむすっとしたままだ。よくこの状態のクロームに真っ向から口出しできるものだな。

 俺には到底無理だ。

 やっぱり、実力行使されてもやり過ごせるだけの力があると違ってくるのかね?

「微笑でも貼り付けておけばいいのか? お面でも持ってこい」

「それシュールだから……」

「何も文句は言わん。話を続けろ」

「だーかーらー、クロームがそんな態度してたらプラナも話しづらいに決まってるでしょ?」

 腰に手を当て、セシウはやれやれと首を振る。こういう人対人の関係において気が回るんだよな、セシウ。見えないものに関しては敏感というかなんというか。

 セシウに正鵠を射た意見を言われ、クロームはいたたまれないように俺達三人の顔を見回す。

 …………。

 クロームはため息を吐き出し、組んでいた腕を解いた。

「……分かった。話を聞こう。ちゃんと、な」

「分かればよろしくて、なのだ」

 胸を張って満足気に頷いたセシウは、プラナの方へと向き直る。視線を移しながら一瞬俺にウィンクしたように見えたのは気のせいかな。気のせいだといいな。

 怖いじゃん、セシウのウィンクなんて。

「プラナ、続きを頼む」

「あ……は、はい……ありがとうございます」

 突然話題が自分のところに戻ってきて少し戸惑いながらもプラナは再び図面へと向かい合う。

「え、えーとですね……どこまで話しましたっけ?」

「木の下に魔導陣があるっていうところまで」

「あ、ああ! そうでしたね!」

 ……よっぽど気が気じゃなかったらしいな。

 プラナが忘れるなんていうのは珍しい。

「そ、それでですね、実はあそこの木が重要な要素だったんです」

「木が?」

 魔導陣じゃなくて? いや、魔導陣の上にある木だから重要なのか?

 いや、どうして重要なのかはさっぱりだけどよ。

「あらゆる物質は常に元素を循環させています。人間は呼吸をすることで古い元素を吐き出し、生命の円環(キュベレイキクロス)へと還し、新たな元素を吸い込んでいます。息づく者は皆同じ。それは物体とて同様です」

 元素の持つエネルギーは生物にとって欠かすことのできない糧だ。火や石、水だって対応した元素を取り入れてエネルギーを得ることでその形状と性質を維持している。

 火の元素がないところで炎は燃えないし、水の元素がないところで水は生まれないし、風の元素がないところで風は吹かないのである。

「植物が根から取り込んだ水の元素と浴びせられる太陽光を得て、風の元素とエーテルを精製していることは皆さんもご存知のことでしょう。どうやらあの魔導陣は、木が精製したエーテルをそのまま吸収しているようなのです」

 ……つまりは、あの木自体が動力源ということなのか?

「あの魔導陣には周囲にある水の元素を集める魔導式が組み込まれています。その水の元素を与え続けていれば、木はいつまでもエーテルを精製してくれます。自然にあるコンバーターを用いてのジェネレーター、技術と自然の融合――よくもまあ考えつくものですよ」

 なるほどな。水さえありゃ木はいつまでも栄養を養い続ける。そこから必要最低限のエネルギーだけを吸収していれば魔導陣はいつまでも稼働し続けるし、木が枯れることもない。

 上手いこと共存させているわけか。

 プラナが驚くのもよく分かる。

「確かに魔導陣を維持するにはそれで問題ないだろう。だが、その程度の魔力で魔界への穴を穿てるものなのか?」

 クロームと同意見である。確かにあれだけでかい木に、適度な範囲で水の元素を与えていれば相当のエーテルを補給できるとは思う。ただ、それは維持することに関してのみだ。

 魔導陣を駆動させ、魔界と直結させるにはどうにも不十分に思えてならない。

「それは仰る通りですね。魔導陣の内部にジェネレーターを組み込む技術がありながら、未だに一般普及していない原因は、その供給量の低さにあります。これのために未だ伸び悩んでいる技術であるのですが、この魔導陣はその対策として自然のコンバーターを利用しています。それでも物が物のために未だ不足していますがね」

 やはり足りない、か。そりゃそうだ。一般の召喚魔術でさえ術者の身体には結構な負担がかかる。召喚獣をその場所に留めるためにずっと供給し続けなければならないし。獰猛な場合には、動きを制限する拘束魔術まで仕込まなければならないため、エーテルの消費は激しくなる一方だ。

 それを四匹、やってのけてなお平然としているキュリーはやっぱすげぇんだよな。

 そんな代物をそれだけで補えるわけもない。

「この最終的に魔導陣を発動するためのエーテルを得るために存在するのが周囲にある補助魔導陣なんです」

「エーテルを手に入れる……て、一体どこから……?」

 魔導陣自体に動力源を組み込むことではエーテルが足りないから周囲の魔導陣からエーテルを得る。それだけ聞けば分かりやすい話だ。

 ただ周囲の補助魔導陣だって術者との接続が途切れている。そうである以上、動力源を組み込むことでは賄いきれないはずだ。

 そもそも、魔導陣に動力源を組み込むことであの魔導陣群が維持されるのに必要なエーテルを供給できているのはあの大樹があるからこそであって、他にあの木に匹敵するほどのコンバーターは存在していない。

 どう考えてもロジックが成立していないじゃねぇか。

「お忘れですか? あの補助魔導陣も魔界への穴を穿つ代物であることを」

 そこで俺は気付く。

 考えてみりゃそうだ。そもそも補助魔導陣に魔界へ直結させるための魔導式を組み込むこと自体おかしな話だ。そんなもん、大魔導陣に集約させればいいだけのこと。補助魔導陣は演算だけしてればいい。

 じゃあ、何故、あの魔導陣にはそんな機能が備わっている?

 ……どういう頭してやがんだ、この魔導陣をプログラミングした《魔族(アクチノイド)》は……。

「まさか、魔界から汲み上げるっていうのか?」

 できれば認めたくない予想に対し、プラナは残酷なまでにすんなりと頷きを返してくる。

「その通りです。あの補助魔導陣は穿った穴の先、魔界の大気中に含まれる高濃度のエーテルを汲み上げ、それを大魔導陣へと供給するのが本来の目的なんです。一つ一つの魔導陣が開ける穴は本当に極小であり、補助魔導陣が意識結界を展開するのに使っている、大魔導陣から供給されたエーテルその全てを穿つことに向ければ、何も難しいことではありません」

 ……おいおい。

 魔界の高純度エーテルなんて使えば、あの大魔導陣を駆動させるのに必要なエーテルなんて簡単に入手できちまうじゃねぇか。釣りがくるくらいだ。

「また意識結界を展開しているのもこの補助魔導陣ですが、本来は大魔導陣だけを隠すために使っているようです。その副産物として補助魔導陣にも意識結界の効果が表れていますが、これはあくまで副産物――大魔導陣に展開されているものと比べれば随分と弱いものです。道理で私が大魔導陣に気付けなかったわけですよ」

 ふむ、副産物であそこまでの隠蔽能力。本命である大魔導陣に気付けないのも無理はない。

 まあ、相手はこの副産物を想定した上で魔導陣を組んだんだろうがな。

「纏めますと、大魔導陣が集めた水によって大樹はエーテルを作り出し、供給された魔力は周囲の補助魔導陣へと配給されます。ここで使われているエーテルは意識結界とトラップの維持に宛がわれ、魔導陣本来の機能にはほとんど用いられません。また植物がコンバートを行わない夜間には、備蓄されたエーテルが使用されるためこれも問題はありません。エーテルは十二時間程度であれば、存在定義がされていない状態でもエネルギーが衰えることはありませんからね」

 そこも折り込み済みか。本当に穴がねぇんだな、あの魔導陣。もしキュリーからの協力がなく、設計図を得られなかった場合のことを考えると、ぞっとするね。

 あいつの真意がどうであれ、無事全てが解決したらキュリーに改めて礼を言うべきだろう。敵対する勢力であり、またあいつの思惑は別にあるんだろうが、それでもあいつの協力なしでは今の状況に至れていない。

 感謝してもしきれないほどだ。

「魔導陣駆動時には、意識結界やトラップに向けられているエーテルのほとんどが魔界への接続に当てられます。この段階において魔導陣は初めて手薄になるわけですが、それでも大魔導陣を隠すことはできるようにエーテルの分配を調節されています。魔界から汲み上げられた高濃度エーテルは大魔導陣に運ばれ、大魔導陣自体の魔導式が展開――補助魔導陣の演算の力も借り、本命の大穴を世界に穿ちます」

 ふむ……なるほど、な。

 何とも複雑な魔導陣だ。目に見えない複雑な物であるため、その辺の要塞よりも攻略は難しい。

「補助魔導陣を破壊しただけでは大魔導陣の完全なる機能停止には至りません。意識結界が展開されてる以上不可能ではありますが、大魔導陣だけを破壊した場合も同じ。補助魔導陣は魔術の効果を一点に集中させることで、素早く小さな穴を開けるようにしていますがその収束を解き放ってしまえば、多少時間がかかるものの大穴を開けることが可能です。大きさは大魔導陣が開けるサイズを想定すると小さめになりますが、その分数が多くなりますね」

 どちらにしろ甚大な被害は免れないわけか。

 俺もクローム、二人揃って唸りを上げてしまう。セシウだけはしゃがみ込み、床に膝をついてベッドに顎を載せ、のんびりとプラナを見上げていた。

「お三方、魔導陣の構造はご理解頂けたでしょうか?」

「ああ、問題ない」

「おおよそ把握はできたぜ」

「なんとなく分かった」

 一人だけバカが混じっているが気にしない。

 プラナもあまりセシウに理解させるつもりはなかったらしく、特に何かを言うことはない。これくらいになるとみんな心得るな。

「では、これより本題である魔導陣の破壊方法をお伝えします。少々キツい時間制限ではありますが、私達四人で協働すればきっと完全に魔導陣の機能を停止させることができるはずです」

 プラナの語調はいつもより力強い。弱々しい、今にも描き消えてしまいそうな声ではない。

 トリエラに一矢報いたい気持ちもあるんだろうが、それよりもまず村人達を助けたいんだろう。

 血を湛えたような紅い瞳も、今は熱量さえ伴っているようにさえ思えた。

 クロームは微かに鼻を鳴らし、腕を組み直して瞑目する。

「違うな、プラナ」

「え?」

 突然の否定にプラナはびくりと肩を震わせる、先程のこともあって身構えてしまっているようだ。

 結構引き摺るからな、プラナ。

 対してクロームは存外穏やかな表情で片目だけを開けてみせる。

「できるはず、ではない。やり遂げるんだ、必ずな」

「あ……」

 呆けたように口をぽかんと開けたプラナはやがて大輪の花が咲き誇ったような笑顔を浮かべ、力強く頷いた。

「はい! 必ずや!」

 クロームも先程のことを考え直してくれたんだろうか。表情に冷たさはもうない。プラナもプラナで頬まで赤らめていやがる。おうおう、熱いねぇ。

 二人の様子を見上げるのも嫌になってふと視線をずらすと、セシウと目が合ってしまった。セシウは微かに表情を和らげ、やれやれと首を振ってみせる。

 お互い、アベックと一緒にいると苦労すんな。

 部屋割り、クロームとプラナでセットにした方がよさげなんだけど、そうなると俺はセシウとセットになるんだよな。それもそれで嫌だ……。

「うっし、そんじゃまあ」

 セシウはすっくと立ち上がり、ぱんぱんと手を叩く。自然と俺達の視線がセシウに集まる。

「仲直りもちゃんとできたことだし、作戦の内容説明してっちょ。そんでさっさと終わらせようさ! その後は四人で宴会しようぜぇい! ビールにシャンペンにバッカスにウオッカにバーボンで、ワインにテキーラにドンペリでヒャッホーしちゃって、もう次の日の不快感とか、あの日感じた二日酔いの頭痛の痛みというトラウマとか、そういうほろくもなく普通ににっがーい想い出とか忘れて飲み耽ろうぜぇ! そして、朝起きたら隣には見知らぬ背中……あれ? 誰!? これ? 誰? とか思ったらプラナでしたなんつぅことが今までに十回くらいあったけど、まあ、そんなこと気にせず飲んで飲んで飲まれまくりましょうぜ、おいぃ! 酒に飲んでも飲まれるな言いますが、人間社会の荒波に揉まれていろいろ苦いもん飲み下すしかないんで、たまには飲まれるのもいいし吐き出すのもいいんじゃないでしょうか、なんつって。まあ、いいから飲みに行きたいからさっさと行こうぜぃ!」」

 ぶんぶんと振り上げた拳を回しながら、饒舌な早口で何事か畳みかけるように言いつのるセシウ。単純馬鹿が……。

 滑舌いいんだか、悪いんだかよく分からねぇな、こいつ。

「すごいテンションだな。一体どうしたのだ? セシウ」

 若干気圧され気味ながらクロームがたどたどしく問いかけるとセシウはぽりぽりと頭の後ろをかきながら、てへへと笑う。

 おいなんだ、そのおっとりした笑いは。らしくもねぇ。

「いやぁさ、難しい話はちんぷんかんぷんでワケワカメなので、とりあえずぱーぁっと飲みたいなぁなどと考えておりまして」

「プラナが真面目に話していたのに、何考えてんだよおめぇ」

「だってプラナの話は難しくて何言ってるか分からないし、私の場合考えてもムダだし」

「分かってんじゃねぇか、ゴリムスにしては」

「ゴリムスじゃねぇっつぅのぉ!」

 ホント、こいつは分かりやすいくらいバカだからなぁ。どうにも場の空気にそぐわないこともよく言うし。

 まあ、でもこいつがこういう能天気なこと言ってくれっから俺達もプレッシャーに落ち潰されずにいられるのかもしれない。

 ずっと真面目な話ばっかりしてたら、気分も沈むしな。

 お陰で空気が少し緩んだ。これなら落ち着いた気持ちで今後の話に集中できるだろう。

 何にせよ、まだ始まってすらいないのである。ここで緊張してどうにかなるものでもない。

 適度な脱力感も人間大事なもんだろう。

 俺は眼鏡を押し上げ、込み上げてくる笑いを堪えるように少しだけ顔を下げていた。

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