そして庭師は主人のために振るべき剣を、友人のために振った 前編
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   『そして庭師は主人のために振るべき剣を、友人のために振った』

 

 

 

   ※オリキャラが登場します。苦手な方はご注意を。

 

 

 

 この日私魂魄妖夢は博麗神社に来ていた。特にこれいった用事があったわけでもなく、何となく寄っただけ。

 今日は一日暇を頂けたので顕界へ降りてみたというところである。

 そのとき私は博麗霊夢にお茶をご馳走してもらったのだが、お茶請けのおまんじゅうが意外にも美味しかった。

 どこで買ったものかと聞いてみると、最近里に出来た新しい和菓子屋からもらっただそうだ。

 その後最近あった異変の話や弾幕話で霊夢と盛り上がりつつ、私は帰るとき里へ寄っておまんじゅうを買って帰ろうと考えた。

 神社を出て里へ向かう途中、空を飛んでいると原っぱで遊ぶ子供達を見かけた。

 男子と女子が数人走り回っている。子供達の上を通り過ぎるときだけ速度を落して、遊んでいるところを眺めた。

 そのうち私に気付いたであろう子供達が私に手を振ってきた。私は手を振り返し、里に向かった。

 

 和菓子屋はすぐに見つかった。小さな店だが看板が新しいのでわかった。看板には「松嶋屋」と書いてある。

 のれんを潜ると三十台ぐらいの男性の挨拶が響いた。おそらく店主だろう。

 正面にはおまんじゅうが入っているであろう箱が四つ、五つほど積まれていた。

 入って左手には椅子が二つある。右側には誰が描いたのかはわからない、水墨画が飾られていた。

 建物自体は昔からあったものなのか、柱は黒く汚れていた。

 お品書きには「おまんじゅう」とだけ。どうやらそれしか作っていない様である。

 店主はよく日に焼けていた。和菓子屋以外に外でする仕事でもしているのだろうか?

 お品書きの横に「毎週水曜日のみ営業」と書かれた紙があることに気付いた。

「いらっしゃい。お嬢ちゃん、ここに来るのは始めてかな?」

「あ、はい」

「よかったら一つ試しに食べてみてくれよ。もうすぐお店閉めるから、残っていても仕方がないからさ」

 店主は自虐気味に笑いつつ、逞しい腕でおまんじゅうを一つ渡してくれた。

 美味しい。霊夢にもらったおまんじゅうの味だ。さっきも食べたが、またお茶が欲しくなるぐらい。

「これを四つほど包んでくださいな」

「はいよ!」

 店主の後ろから二十台後半ぐらいの、小太りな女性が出てきておまんじゅうを六つ包んでくれた。

 女性は店主の奥さんなのだろうか?

「あの」

「良いから、良いから」

 要求されたお代金は四つ分だけ。二個もおまけしてくれるなんて。

 ちなみに私の持っているお金は幽々子様から頂いたお小遣いである。

「お嬢ちゃんのそれっておもちゃ? まさか本物じゃないよねー」

 女性に刀のことを訊かれたらしい。私はうん、ともいいえ、とも言わないでおいた。

「それにしてもお嬢ちゃん、一人でお買い物?」

「ええ、まあ」

「偉いねえ。うちにもあんたぐらいの子が居るんだけど親のこと全っ然聞かないし、親の手伝いなんて殆どしてくれないよ」

「そ、そうなんですか」

「まあ、お嬢ちゃんにうちの子の話聞かせても仕方ないね。ありがとう、また来てね!」

「あ、はい」

 四つが六つになったおまんじゅうを風呂敷に包んで背負い、外に出ようとしたところで誰かとぶつかった。

 向こうの方が勢い付いている。私は向こうに押し倒される形となった。

「あだっ!」

「わっ!」

 土煙をめいっぱい被ったような、埃だらけの少女が私に覆いかぶさっていた。

 髪は短く切りそろえられているおかっぱ頭。背格好は私と良く似ていた。

「こらオミエ! お客さんになんてことしてるんだい!」

 少女は奥さんらしき女性に怒られていた。奥さんに少女を引き剥がしてもらい、何とか起き上がる。店主の方は苦笑い。

 風呂敷の中身はというと見事に潰れていて、おまんじゅうを包んでいる紙から餡子が少し漏れていた。

「お前、お嬢ちゃんが買ってくれたうちの饅頭が潰れてるじゃないの!」

「そんなこと言われても知らないもん! もうすぐお店閉まる時間だと思って、慌てて帰ってきただけなのに!」

「いいから、お嬢ちゃんに謝りなさい!」

 少女は奥さん、というか母親らしき女性にゲンコツをもらっていた。少女の目から火花でも散っていそうなゲンコツ。

 オミエという少女は潤ませた目で何も言わずに頭を下げると、店の奥へと消えて行った。

 主人の計らいで新しいおまんじゅうを渡してくれた。店を出るときにこれ以上何も飛び出してこないのを確認してから店を出る。

 何気なく思って振り返ると、店の奥から手を振ってくる少女が見えた。手を振り返し、夕焼けに染まった人里を後にした。

 

 白玉楼。

 夕食前には帰ることが出来た。冬が過ぎたとはいえ、まだ春でもないので暗くなると冷える。

 帰ってすぐ幽々子様のところへ行き、おまんじゅうの話をするとその場で一つ召し上がられた。

 そこそこご満足頂けた様で、どこからともなく現れた幽々子様のご親友、八雲紫様とおまんじゅうを食べ始めた。

 お茶を入れてきなさいと言われ、戻ってきたときにはおまんじゅうは無くなっているのであった。

 今日はたくさん食べたから満足しているが、明日にでも食べようと思っていたのに。あんまりである。

 だがこのおまんじゅうは紫様もお気に召したご様子。

 幽々子様から来週ぐらいにまた暇を出すから、そのときまた買ってきてねと頼まれたのであった。

 

 仕方のないお人だと思いながらも、暇をもらう約束をしてもらえた。

 遊びに出かけられる。そう思うと嬉しくなった私は、おまんじゅうを食べられたことなどどうでもよくなっていた。

 どうせおまんじゅうはあの店に行けばいくらでも食べられる。

 幽々子様と一緒に召し上がりたかったのだが、食べられないより食べることが出来た方が嬉しい。

 今度買いに行くときは少し多めに買って、いくつか食べてから家に帰ることにしようとか考えた。

 

   ※ ※ ※

 

 あれから一週間後。

 私は白玉楼で昼食を頂いた後、幽々子様にお小遣いを頂戴して里の本屋に向かった。

 本屋では私が少しずつ読んでいるシリーズ物の、時代劇小説を探した。

 著者は人里にお住いの、自費出版で小数部だけ本を書いている人。私はこのシリーズの最新刊を中身も見ずに買った。

 いつも気に入って読んでいるから、おもしろいに決まっている。

 このシリーズは短編集になっているのが殆どなのだが、どれも架空の必殺剣、秘剣、隠し剣が出てきたりしていつもそれを楽しみにしている。

 恋愛小説も嫌いではないが、私はやっぱり刀を使う身だし刀を扱う侍、武士の話が好きである。

 ここだけの話だが、本の中に出てくる剣を実際に使ってみようと練習したこともある。

 結果は誰にも言いたくない。私はまだまだ未熟だということだけ。

 

 例の和菓子屋へ行く前に飴細工屋でも見に行こうかなと思って里を歩いていると見知った顔のメイド、十六夜咲夜と目が合った。

「あら」

「こんにちは」

「里に降りてきて、買い物か何か?」

「いや、今日は暇をもらったからブラブラしてるだけ」

「ああ、そうなの。まあ私も似たようなところよ、今日はね。さっきまでそこの服屋を見ていたの」

「ふうん。折角だし、ちょっとお茶でもする?」

「あらいいわね。どうせならお茶を賭けてアレする?」

「ああ、弾の飛び交うアレ?」

 咲夜に誘われてお茶を賭けた弾幕ごっこ。人里から離れて、人気のない森の方へ。

 咲夜がナイフを手に取り、私が刀の鯉口を切る。

 お互いが構え、相手の目を見て準備が出来たのを確認したら決闘の始まり。

 結果を言えば私が負けた。もうちょっとで咲夜を倒せると力んだところで隙を突かれてしまった。

 今日は本を買ったせいで、お小遣いは残り少ないというのに。

 里の茶屋でお茶だけでなく、お団子三つもつけてと頼まれた。賭けは賭けだ、付けてやるしかない。私はお茶だけにした。

 辛うじておまんじゅうを買うお金は残っている。そういえば今日はいつもより多い目にお小遣いを頂いていた様な気がした。

「奢ってもらったお団子はとっても美味しいですわ」

「それは良かったわね……。はぁ、あとちょっとだと思ったのに」

「油断していたわね。こっちから見ていると、隙だらけだったわよ」

 あっという間に咲夜は二本の団子を食べてしまった。

 かと思えば、私の口の中に一本つっこまれた。

「ご馳走様」

「もごもごもご……。もう行くの?」

「何となくお嬢様に呼ばれた気がしてね。もっとゆっくりして行こうと思っていたけど、またね」

「そう、それは仕方ないわね。今度は勝ってやるんだから」

「決闘ならいつでも受けてたちますわ」

 お団子を平らげたら、私も茶屋を出ることにした。悔しい。今度は誰でもいいから、勝ってやろうと思う。

 飴細工屋で可愛い動物の飴を見てから、例の和菓子屋へ。その途中寺子屋の先生を見かけたので挨拶した。

 和菓子屋。二十台ぐらいの男女二人組が包みを持って店から出て行った。

 おそらくお客さんだろう。何だかんだで流行っているみたいである。

 入ろうと思ったところで前に見た、やんちゃな店の子供が店から出て行ったのが見えた。

 怒鳴り声のようなものが聞こえる。おそらくあそこの店の母親だろう。

 子供、オミエはこっちに気付いて手を振っていた。

「また来てくれたんだね!」

「まあね」

「今お母さんが機嫌悪そうにしてるけど、お客さんが来たら機嫌良くなると思うんだ」

「ああ、はいはい」

 私が入ったあとに少女が入ろうと考えているのだろう。何はともあれ、松嶋屋の中へ。

「やあ、いっしゃい!」

 店主の元気な挨拶。少女は私の後ろにピッタリくっついている。

 奥さんも普通に挨拶したのだが、私の後ろにいる少女にはすでに気付いている様子だった。

 後ろの子が持ち上げられ、店の奥へ連れられていた。

「商売の邪魔だけはしないでって言ってるでしょ!」

「いやあの、私は別に迷惑とかじゃなかったので」

「ほらお母さん! この人はあたしのこと悪く言ってない!」

「まあまあ、放してあげてください」

「……お嬢ちゃんにそう言われるとはねえ」

 少女は降ろされるなり、私のことをジロジロ見だした。

 私は気にせずおまんじゅうを四つ頼み、六つ頂いた。

 本当は六つ頼んで八つ頂き、うち二つを自分の分にするつもりでいた。

 でも咲夜にお茶を奢ることになったので、四つ分のお金しか残っていないのである。

「ねぇ、あなたの刀って本物なのー?」

「ええ、本物よ」

 今日はストレートに答えてあげた。少女は「すごいなー!」と目を輝かせて騒いでいる。

 店主と奥さんは驚いたが、ここ幻想郷では妖怪退治をしている者の中に刀を使う者も居るだろしそこまで騒ぐこともしないはずだ。

 少女は私の片割れにも気になっているようで、私が代金を払って帰ろうと店を出てもついて来ていた。

「あたしオミエっていうの。あなたは?」

「私? 私は魂魄妖夢よ。妖夢でいいわ」

「ヨウムちゃん時間ある? ちょっと遊んでいこうよ!」

 遊ぶ、か。私の遊びといえば弾幕遊びが主流。ビー玉やおはじきで遊んだことがないわけではいが。

 だが誰かと遊ぶとなれば、何かしら人間離れしている者とばかり。

 私には普通の人の知り合いなんて居なかったな、と思ったりして私はこの子についていくことにした。

 オミエはよく遊ぶ原っぱがあるからそこに行こうよと誘ってきた。

 うん、と頷くとオミエは走っていった。慌ててついて行くのだが、思った以上に速い。

 これでも私は日頃から剣術の修行をしている身で、勿論体だって鍛えている。

 それなのに追いつけないとは。離されることもないが、詰め寄ることもできない。

 民家を抜けて橋を渡り、野を走って着いたのは見たことのある原っぱ。

「あたし、いつもこの辺で遊んでるんだ!」

 今は私とオミエ以外居ない様子。

 原っぱの奥は森になっていて、妖怪の山の麓に繋がっているらしい。一応森には入れないよう、柵が立てられているみたいだが。

 良く見れば柵に霊夢が術に使う御札が幾つも張られていた。

 一応結界のようなものを張っているらしい。それなら妖怪が出る、なんてことはないだろう。

「ヨウムちゃん、この前この上飛んでたよね?」

「ええ、そうよ。あれは確か、あなたのご両親がやってるお店へ行く途中ね」

「空飛べるなんてすごいなー!」

「別に、何とも思ってないけどね。巫女とか魔法使いも空飛んでるわけだし」

「でもヨウムちゃんはどちらかと言えば、お侍さんだよね? どうして空飛べるの?」

「んー、それはまあ……修行の賜物?」

「シュギョウ? あたしも修行したら飛べるの?」

「それはどうかしらね。私含めて巫女も魔法使いも不思議な力を持っているからこそ飛べるのよ」

「ああ、不思議な力かぁ。あたしそんなもの無いなー」

「普通は持ってないものよ。諦めなさい」

「ぶー」

「まあまあ、オミエには足があるでしょ。さっき追いかけるの大変だったんだから」

「えへへー、すごいでしょ! 男の子にも負けたことがないんだから!」

「私だって普段から鍛えているのにね。それでも追いつけなかった」

「本当に!? というか、ヨウムちゃんもあたしについて来られるってことは、結構速いね!」

「修行してるからね……」

 色々話している最中に少女は何度も駆け回った。走る、ということが好きなのだろう。

 私も付き合ってやるとオミエは嬉しそうな顔をした。

 喉が渇けば近くにある共用の井戸の水で喉を癒す。

 オミエの話によると、家では基本的に農業をしているらしい。

 生活に余裕が出てきたので、一家の主人がやりたがっていた和菓子屋を開いたそうな。

 あくまでも副業としてだから、一週間に一度しか店を開かないということだと。

 この里でお世辞抜きに美味しいと評判らしいから、店の主人も嬉しいだろう。

 今度誰かの家に遊びへ行く機会があれば、ここのおまんじゅうを持って行ってやるのも良いかなと思った。

 オミエは朝起きると家の掃除、畑仕事を少しだけ手伝って昼食を食べると寺子屋へ行くそうだ。

 寺子屋の授業が終われば家に帰っておやつを食べてから家を飛び出し、友達らと遊ぶ。

 寺子屋と言えばまあ、上白沢慧音のやっているところだろう。

 そして陽が沈む頃になれば家に帰り、お風呂に入って夕食を取れば布団に飛び込む。そんな毎日らしい。

「ヨウムちゃんは普段どうしてるの?」

 オミエにそう訊かれたときにはもう夕方。人里の通りに紅い陽射しが差し込んでいる。

 彼女はまだ私とお喋りしたい様だが、ここは結界で守られているとはいえ妖怪の山付近。

 暗くなれば普通の人間にとって危険な場所になるはず。そろそろ彼女に帰る様促すべきだろう。

「ごめんね、私もう帰らないと」

「えー! 私のこと話したんだから、ヨウムちゃんのことも聞かせてよー!」

「また今度にね」

「また今度っていつ!?」

「来週には来られると思うわ」

「来週ね! 私お店で待ってるから!」

「ええ」

 おまんじゅうを包んだ風呂敷を背負い直し、体を浮かせた。オミエがわっ、と小さく驚かせる。

「すごい! 本当に飛んでる!」

「それじゃあ」

「またね!」

 上を向いて一気に冥界を目指した。

 私はどちらかというと自分の技術や腕前をひけらかすのは好みではないのだが、あのオミエに褒められて悪い気はしなかった。

 さらに言うと、私は今まで他人に褒められた覚えが少ない。

 どんな些細なことであろうと褒めてくれたことに関してすごく嬉しく思った。

 私の周りに居る方々、幽々子様や紫様などの面々を考えれば私など泥まみれの石ころみたいなものだ。

 それに比べてあの方々は綺麗に磨かれた宝石みたいなもの。加えて私は未熟故、修行中の身。お師匠様の足元にも及ばない。

 

 白玉楼。

 死後の世界であれど、夕陽は届く。だが今は暗闇に支配されていた。

 出来るだけ飛ばして帰ってきたつもりなのだが、遅くなってしまったらしい。

 使いの霊によると幽々子様はすでに夕餉を頂いていて、今は自室で本を読んでいらっしゃるとのこと。

 私はおまんじゅうを持ったまま服についているであろう埃を払い、幽々子様のお部屋の前で挨拶をした。

「幽々子様、妖夢です。ただいま戻りました」

 お断りしてから部屋の襖を開ける。幽々子様の表情は穏やかであった。

「遅かったわね。どうしてたの?」

「いやまあ、その」

「誰かと遊んでいたの?」

「例の和菓子屋の娘さんと」

「ああ、そう。で、おまんじゅうは買って来たの?」

「こちらに。四つくださいと言って六つ頂きました」

「いつも二つおまけしてくれるなんて、太っ腹ねえ。そんなことしてお店潰れないのかしら」

「あくまでも副業でしていると聞きましたよ」

「それならまあ、大丈夫なのかしら。こっちは美味しいお饅頭を食べられればそれで良いのだけれど」

「では私は湯浴みと夕餉を済ましてきますので」

「私はもうちょっと本を読んでから布団に入るわ。いつも通り戸締りよろしくね」

「はい、失礼します」

 幽々子様の部屋を出て、自分の部屋へ。良かった、幽々子様に怒られるようなことは無かった。

 部屋に刀を置き、着替えと手拭いを持って風呂場へ。

 そして汗を流し終えれば使いの霊に言って私の分の夕餉をもらった。

 普段は当然幽々子様と食べるのだが、私が遅くなった場合はこうして別々で食べるしかない。

 部屋の障子を開けて見える月は満月だった。まんまるお月様。

 明日は朝早くからお仕事。今日休んだ分しっかり動かないと。

 体を流してお腹を膨らませたら口の中を洗い、深夜の見回り。

 これは毎日していること。滅多なことでは怪しい者など見ないが、稀に紫様が居たりする。

 別に不利益となるようなことをされるわけでもない。ただ驚かされたりするだけ。

 幸いなことに今日は何も無かった。戸締りもきちんとされている。

 幽々子様の部屋にはまだ明かりがついていた。

「幽々子様、妖夢です」

「ああ、もう見回り終わったの? 私はもうちょっと遅くなるから」

「それでは、おやすみなさいませ」

 幽々子様は読書で忙しいご様子。とはいえ私も今読んでいる本があったりする。例の時代劇小説だ。

 少しだけ。二、三十ページだけにしておけば明日には響かない。

 いっそ明日にしようかなとも思う。それぐらいくたくたに疲れているのだ。

 咲夜と弾幕ごっこして、あの少女と追いかけっこもしたし。

 やっぱり今日はすぐ布団に入ることにしよう。寝る前に刀の手入れをし、布団に潜り込んだ。

 目を瞑れば意識はあっという間に沈んだ。

 

   ※ ※ ※

 

 また一週間が経つ。

 目が覚めたら寝る前にしていた、白玉楼の見回り。それから主の幽々子様を起こしにいく。

 今朝も変わったことはなかった。起こしに行ったときにはもう幽々子様はお目覚めであった。

 朝の間に最低限の庭仕事だけ片付け、ちょっと稽古をすればもうお昼の時間。

 お腹が膨らめば幽々子様からお小遣いを頂き、里の和菓子屋を目指す。

 ベストの内ポケットに風呂敷が入っているのを確認してから白玉楼を飛びだった。

 顕界と冥界とを隔てる結界を飛び越えて賑やかな人里へ。

 獲ってきたであろう川魚を売っている魚屋と酒蔵を通り過ぎ、お目当ての松嶋屋へ。

 今日は真っ直ぐここに来た。あの少女とお喋りするために。

 お店に着いてみると短い列が出来ていた。ここまで流行るようになるとは。

 でもお店自体が狭いから、列が出来るのは仕方のないことなのかもしれない。

 とりあえず列に並んでみたが、私の番はすぐに来た。皆買うものが決まっているからか。

 お店の中にはオミエの姿があり、両親と一緒に元気よく挨拶していた。

「あ! ヨウムちゃん!」

「ええ。こんにちは」

「こんにちは。また来てくれたんだね」

 オミエは私を見るなり私の手を握って外に連れ出そうとしていた。

 先におまんじゅうを買ってからねと言って六つ注文し、八つ頂く。おまけも恒例だった。

「早く行こうよー!」

「はい、はい」

 オミエが例の原っぱに行こうとしているのがわかる。お店の主人と奥さんは笑ってそのやり取りをみていた。

「行ってらっしゃいね」

「はい」

 二人に別れを告げ、遊びに行こうとするオミエに目配せ。

 おまんじゅうをしっかりと持ってから、走り出した彼女について行った。

 だが前と道が違う。民家を抜けたところまでは一緒なのだが、橋は渡らずに川の上流の方へ走っている。

 上流へ行くということは山を登っていくということ。つまり彼女が行こうとしているのは妖怪の山方向だった。

 途中札の貼られた柵にぶつかるのだが、オミエはそれを飛び越えてしまった。

「この先は山に入ることになるわよ」

「いいから、いいから」

 ついて行った先では草が生い茂っていた。周りに生えている木や草が高く、背の低い私では遠くが見えない状態。

 とにかく彼女が行く後をついて行く。よく見れば獣道みたいに草が倒れている部分があった。

 彼女はそこを歩いている模様。そうとわかればはぐれることはないだろう。

 そして着いたのは半壊した小屋のある、また別の原っぱだった。

 小屋はおそらく昔の猟師でも使っていたのだろう。オミエはその中に入って廃材に腰掛けていた。

「すごいでしょ、ヨウムちゃん。ここは誰にも知られていない、秘密の場所なの」

「こんなところ危ないわ、今すぐにでも山を降りて里へ行くべきよ」

「大丈夫だって。ここで遊んでて妖怪が出たことなんて一度も無かったもん」

 周りをよく観察してみれば妖精一匹居ない。人間以外が近づかない謂われでもあるのだろうか。

 どちらにせよ長居は絶対に危険だと思う。妖精すら沸かないなんて、逆に何かある。

「ここなら誰も近づかないだろうから、二人っきりで内緒な話出来るよ」

「え?」

「この前私の話したでしょ? だから今日はヨウムちゃんのこと一杯聞かせてもらうんだから」

 たったそれだけのためにこんな危なそうなところまで引っ張ってきたとは。

 そもそも私の話なんて、そんな大したものでもないというのに。

「ヨウムちゃんってお侍さんなんでしょ? きっとすごい名家なんだよね?」

「……」

 家柄で思い出した。幽々子様のことだ。

 あの方は昔有名だったとか紫様から聞いたことがあるような、ないような。

 私の話をする上で幽々子様のことはとても重要だが、彼女には秘密にしておいた方が良いのかもしれない。

 幽々子様は今や霊を操り、その気になれば念じるだけで人の命を奪えるほどのお方。

 そんな方のことまで話すのは止めておいた方が良いだろう。

 オミエの心遣いに少しだけ感謝した。

 幽々子様の話はしないことには代わりないが、周りに人が居ないのならそれに越したことはない。

「そ、そうよ」

「やっぱり! その浮いてる奴も何かあるんだよね?」

「え、ええ。これは……お守りみたいなものよ」

「え? そうなの?」

「そう! お守りよお守り! だから大したことは出来ないの」

「ぶー! もっとスゴイこと出来るんだと思ってたのにー!」

 半霊のことも隠しておいた方が良いだろう。幽霊だと気付かれたときは正直に答えるしかないだろうが。

「それにしても、お守りにしてはなんだか幽霊みたいな形だね」

 もうバレてしまった。私が隠し事なんてするものじゃなかったか。

「あなたの両親に黙ってくれる?」

「あたしとヨウムちゃんの仲でしょ! 誰にも言わないから!」

「私はね、人間じゃないの」

「え?」

「半人半霊って言ってね、この幽霊みたいなのは私の幽霊なのよ」

「え? え?」

「感覚はあんまり無いけどね、私の意思で動かすことも出来るの」

 そう言って半霊をぐるぐる回してやると、オミエはぽかーんと口を開けて動かなくなった。

「それとね、私の家はここ人里にはないの。もっと正確に言うとこの世じゃないの」

「……」

「いつも私は空をずっと登った先へ行っているのよ。私が帰るとき、どこへ行っているかいつも見ていたとは思うけど」

 オミエは私の言っていることがわかっているのか、わからないのか。

 だがオミエだって幻想郷の住民だ。どこぞのメイド長やら魔法使いみたいに特殊な職業に就いていなくとも、不可思議なことに対する理解は少しばかりあるはずである。

「まさかヨウムちゃんは、化物だなんて言わないよね!?」

「ある意味では化物かもしれないわね。厳密には人間ではないし」

「で、でも……あたしそれでもヨウムちゃんとなら一緒に居られる!」

「無理しなくてもいいのよ」

「無理なんかしてない!」

 彼女は私の目を真っ直ぐ見てそう言ってくれた。オミエが理解してくれる子で良かった、と本気で感謝した。

 背中の得物を抜き、白く輝く刀の刀身を見せてみる。彼女は一瞬驚いたようだが、恐る恐るこちらに近寄ってきた。

「すごい、綺麗」

「触らないようにね。切れ味はあるんだから」

「これで何を斬ってるの?」

「……悪い妖怪とか、木とか葉っぱをね」

「え? 葉っぱ?」

「こう見えても本業は庭仕事なのよ。だから剪定するのにこう、刀でズバっとね」

「すごい! 何かそれ格好良いなー!」

「そ、そうかな」

「うん!」

 商売道具を見せびらかすのはこれぐらいにした。

 試しに何か斬ってみて欲しいとしきりにお願いされたが、みだりに見せることは出来ないと断った。

 そりゃあ剪定に使ったりするから、本物の武士からすれば私は邪道かもしれない。

 それでも剣術の腕をそう簡単に見せることは出来ない。お師匠様にそう教えられたからだ。

 刀を抜けるのは何かしらの理由があるときのみである。

「つまりヨウムちゃんは幽霊のくっついた、庭師さんでお侍さん?」

「そうね」

「何だかややこしいなあ……」

「まあ、単に庭師だって思ってくれればそれで良いの」

「ふーん。ところで庭師ってことはさ、誰かお偉いさんの屋敷で仕事してるの?」

「そうそう、白玉楼っていう」

「え?」

「あ」

「どうしたの?」

「いや」

 しまった! 屋敷のことまで話すつもりなんてなかったのに!

 オミエは目を輝かせて私の目の奥を覗き込んでいる。

 つくづく私は嘘をついたり、人に隠し事をするのが下手だなと自分に腹が立ってきた。だが言ってしまったことはもう仕方ない。

 どうせこの世の住民ではないと言ってしまったんだし、白玉楼のことも言ってしまっていいだろう。

「こほん。私の家はこの世にはないって言ったけど、つまりわかるわよね? あの世にあるの」

「あの世? え? それって先生が言ってた死後の世界ってこと!?」

「ええ、そうよ」

「嘘……本当にあるんだ、そういうの」

 彼女は驚きながらも、私の足元を見ていた。死んでいるのは半分だけだと説明したのだが。

「半分は生きているから。まあ、特別行き来出来るのよ」

 特別、と今話のノリで言ったが別に誰だって入ろうと思えば入れる。現に巫女や魔法使いが遊びに来たりするし。

 かといってそういうとこまで話すのは面倒だし、この際そういうことにしておけばいい。

 隠し事をすることの大変さを今、実感していた。

「死後の世界のお屋敷かぁ。何か素敵かも」

「そう?」

「そのお屋敷って、どんな偉い人が居るの? すごく格好良い人がいるとか? あ、それともヨウムちゃんより強いお侍さんが居るとか!?」

 次から次へと遠慮なしに訊いてくれるものだ。でもオミエになら全て話しても大丈夫そうに感じてしまうのが、不思議でならなかった。

 とはいえさすがに幽々子様の名前だけは何があっても喋らないことにしよう。

「お侍さんじゃないわね。どちらかといえば……歌人かしらね」

「歌?」

「歌と言っても俳句とか、そういうのね。すごく綺麗で、頭の良い人よ」

「その人は何ていうの?」

「……悪いけど、私の主人のことはこれ以上言えないの」

「どうして? 何か悪いことをした人だったりするの?」

「そうじゃないけど、あの方のことだけは言えない。オミエのことを信じていないわけじゃないけど、ごめん」

「い、良いよ! 色々話してくれて、こっちこそありがとう」

 オミエはそう言って満面の笑顔で私の手を握った。ここまでの私の話でも十分満足してもらえたらしい。

 そういえば他人に自分の話をアレコレ聞いてもらったのは久しい気がした。

 オミエには明かさなかったが、私は見た目どおりの年齢ではない。半死人故、寿命が長いからだ。

 だがそこまで話すべきではないと思った。もっと年上だが、そう言って畏まられたりするのも面倒である。

 相手にそう疑われたらそうだと言っても良いが、たぶんそこまで考えないだろう。

 とはいえ、仮に気付かれたところで特に問題はないと思う。

 私は普通の人間とは違う生まれで、変わった人生を歩んできたと理解はしているつもりである。

 そんな私の話をおもしろがって聞いてくれたのだ、私を嫌ったりはしてくれないだろう。

 辺りがぼんやりと暗くなってきた。そろそろ山に潜む妖怪達が活動し始める時間。

 そろそろオミエを里へ返さないと危険だろう。

「オミエ、早めに帰った方がいいわ」

「えー、もっとヨウムちゃんとお喋りしたいのになー」

「妖怪が私達に気がつくかもしれない。今の内に里に戻るのよ」

「……どうしても?」

「どうしてもよ」

「いざとなったらヨウムちゃんが妖怪なんて退治してくれるでしょ?」

「そりゃあ出来るけど、オミエを守りきる自信なんてないわ」

「……」

「仕方ないわね」

 私はオミエにくっつき、抱きしめた。落ちないよう、私の体にしっかりつかまってと私の腰に手を回させる。

「飛ぶわよ。速度は出さないけど、落ちない様にね」

「え? え!?」

 どうしても動こうとしないのなら、無理やり連れて行くしかない。

 飛び上がった後、微かに妖怪の気配が動いた気がした。

 やはり何者かが私達に気付き、観察していたらしい。

「すごーい! 空を飛ぶってこういう風になるのかー!」

「暴れないようにね。落ちたら洒落にならないんだから。それと二度とここには近づかないこと。いいわね?」

「えー」

「二人っきりで話ししたいって言うのなら……あなたの家の畑とかどうなのよ。お店やってる時間なら両親はまず来ないでしょうし」

「確かに来ないけど」

「じゃあそうしましょう。絶対危ないところで遊んじゃ駄目よ」

「むー。お母さんみたいなこと言うんだね」

「当たり前のことを言っているだけよ」

 夕焼けに包まれた里を目指してゆっくり空を飛んでいく。

 私に注意されて黙ってしまったオミエだが、飛んでいることに喜んでいてすぐに機嫌を良くした。

 とりあえずいつもの原っぱの上空まで移動した。時間が遅いせいか、そこで遊んでいる子供は居ない。

 そこへゆっくり着地し、オミエを降ろした。もう一回飛びたいとせがまれたが今日はもう帰るのよ、と制した。

「私も帰らないといけないから」

「上様に叱られるから?」

「上様とはまた違うんけど……まあ似たようなものかな」

 おまんじゅうがあることを確認してから地面を蹴る。

「オミエ、空飛んだことは私とあなただけの秘密よ」

「え? うん、わかった」

 オミエに手を振り、天高くを目指した。

 オミエも遊ぶ相手が居なくなれば帰るしかないだろう。

 遅くなると幽々子様に何か言われそうな気がするから、私も早く帰りたかったのだ。

 

 白玉楼の門を潜った頃には先週と同じく、暗くなってからだった。

 春が近づいているとはいえ、やはり夜の空を飛ぶのは寒い。

 まだまだ半袖のブラウスに切り替えられそうも無いな。

 二の腕を擦りながら軋む廊下を歩いて幽々子様の部屋へ。

「幽々子様、妖夢です。ただいま戻りました」

 返事は無かった。もう一度声をかけるがやはり反応はない。

 失礼して襖を開けさせて頂くと、火は付いているのに幽々子様のお姿がなかった。

「妖夢、帰ってたの?」

「あ、はい」

 背後から声がした。どうやら幽々子様はご入浴なさっていたそうだ。

 お食事はこれからとのこと。先週よりは早く帰ることが出来たらしい。

 私がお風呂から出た頃には幽々子様は夕餉をご馳走様していたようで、自室で本を読まれていた。

 和菓子屋へ行くとオミエと遊んで帰ることが多いので、どうしても暇を頂いた日は幽々子様と話す機会がない。

 まあ明日のお昼休みにでもオミエと何をした、とかいう話をおまんじゅうでも頂きながらすれば良いか。

 私の夕餉が済めば寝る前まで買った本を読み、刀の手入れをしてから就寝。

 私が次里へ降りられるのはまた来週になると思うのだが、オミエが一人であの山に入ったりしないだろうか。

 おそらく両親から山は危険だと教えられているだろうし、寺子屋でもきつく注意はされていると思う。

 そのうち私みたいになりたい、等と言い出さないかと心配になってきた。

 とはいえあの世に来たい、なんてさすがに言いだすはずはないだろう。オミエもそこまでバカではないはず。

 どうせこの仕事は私にしか勤まらない、と自負はしている。

 自分は未熟者だとわかってはいるが、幽々子様をお守りできるのは私だけだという想いはある。

 そのために生まれたときからお師匠様の下で剣を握っていたのだから。

 お師匠様のことを考えると、幼い頃稽古をつけてもらったことを思い出してきた。

 毎日叱られてばかりだったか。今でも幽々子様にたしなめられたりするが。

 でも私はそれで良いと思っている。一人前は永遠に目指し続けるもの。

 なってしまったら、私はそこで努力を止めてしまいそうで怖いのだ。

 来週はオミエと何をして遊ぼうか。まさか空を飛ぶ術を教えてくれ、なんて言われたりしないだろうな。

 

   ※ ※ ※

 

「ヨウムちゃんって、弾幕ごっこっていうの? 出来たりするの?」

「ええ、出来るわよ。一昨日していたし」

「へー! 出来るんだー! 私にも教えてよ!」

「でもあれはね、普通の人には出来ないのよ」

「え? 巫女さんとか魔法使いとか……ああ、そっか」

「飛べないと困るわよ。それに危険だし、弾幕ごっこは諦めなさい」

「一度で良いからやってみたいと思ってたのになあ」

 先週と同じく、昼食を済ませたら真っ直ぐ和菓子屋へ行った。

 そしておまんじゅうを買っておまけしてもらい、オミエについて行った。

 今日は山の方へ行かず、畑の方へ連れて行かれた。私が言ったことを守ってくれらしい。

 畑の周りには数件の家が見えた。どれかがオミエの家なのだろうか。

「じゃあ空飛ぶところから教えてよ!」

「無理ね」

「えー! 即答はいくらなんでも……」

「無理、無理。何の素質もないのに」

「でも、どこかのメイドさんは普通の人間なのに空飛んでるって先生に教えてもらったよ?」

「……あれはメイドっていう種族だから出来るのよ」

「え?」

「だから彼女は人間じゃないの」

「ふーん、じゃあやっぱり普通の人間は飛べないのかあ」

 咲夜には申し訳ないが、そういうことにしておいた。正直私も彼女がどうして空を飛べるのかわからないからだ。

 今日はずっとこんな調子である。私が弾幕ごっこをしていると知って興味を持ったせいだろう。

 確かに弾幕ごっこは楽しいし運動になるが、当然危ない面もある。事故だって起きないわけではない。

 妖怪に襲われたときに使えるかも、という理由もあるらしいがそれでも私は断った。

 妖怪退治なんて専門の者に任せれば良い。里にそういう者は居るだろうし、それを生業にしている者は少なくないと聞く。

 まさか、彼女は空を飛べるようになって私の所へ行きたい等と考えているのではないだろうな。

 いや、想像するのは止めておこう。

 弾幕ごっこが出来ないのなら、と彼女が普段している遊びにつきおうと提案してみた。

 すると彼女は嬉しそうな顔をして私を川原へ連れてきて、川で遊ぼうと誘ってきた。

「ほらヨウムちゃん、こっちこっち」

「ええ」

 そこそこ大きな川に到着。昼間は暖かいので、川で遊ぶのは良いかもしれない。川の水は冷たかった。

 他に遊んでいる者は居ない。下流の方に離れた所で傘を被った男性が糸を垂らしていた。

 刀とおまんじゅうの入った風呂敷を下ろして川の中へ。

 オミエは川の虫を捕まえるのが上手かった。跳ねる虫を取っては川に投げ捨てている。

 まだまだ寒い時期だからか、虫は少ししか居ないようだがオミエは数少ない虫を次々と捕まえている。

 川の石をひっくり返せば色々な虫が潜んでいるのがわかるのだが、虫は危険を感じ取って他の石の影に逃げようとする。

 オミエはその瞬間に虫を掴んでいるのだ。私も真似してみようとしてみたが、上手くはいかなかった。

 弾幕ごっこや普段の剣の鍛錬があるから何とかなると思っていたのに、中々どうして上手くはいかない。

 そもそも要領が違うのかもしれない。必死になって虫を掴もうとしても、水の中の石に指をぶつけるだけ。

 余りにも掴めないのでイライラしていると、川底のぬかるみで足を滑らせた。

 倒れそうになる私をオミエが掴んでくれたが、それでも止まらずに私は川へ勢いよく浸かる羽目になってしまった。

 オミエまで一緒に倒れたものだから、二人ともびしょ濡れ。

 釣りをしていた男性から「大丈夫か?」と声をかけられた。「大丈夫!」と返し、とにかく川から上がるしかなかった。

 おまけに気付いたときには、陽が沈みかかっているではないか。

 オミエが家に来てお風呂に入っていけ、と言ってくれているがもう帰らないといけない。

「そのままだと風邪引いちゃうよ! うちへ来たら良いのに!」

「そう言ってくれるのは本当にありがたいんだけど、もう帰らないと」

「ぶー」

「まあそう言わずに。また来週店へ行くから」

 白楼剣を腰に差し、楼観剣と風呂敷を背負って飛び上がる。私の下には水が滴り落ちていた。

「風邪引かないようにねー!」

「ええ、じゃあねオミエ!」

 冬の気配は消えつつある。先週より寒くないのだが、水に濡れた状態で風を受けるのでとても寒く感じる。

 

 白玉楼に着いたときには体を擦ってやらないと寒いぐらいだった。

 幽々子様に戻りました、と挨拶しに行こうにも濡れたままでは失礼だと思う。

 かといって主人より先にお風呂に入るなんて出来ない。

 玄関で困っていると、幽々子様から声をかけてくださった。私が帰ってきたのを察知してくださったらしい。

「あ、幽々子様。ただいま戻りました」

「今日は良いお天気だったわね」

「いえその、雨が降っていたとかではなくてですね……川に転んでしまいまして」

「あら、いいわね。川に寝転がって月を眺めるのなんか」

「お風呂にはもう入られましたか?」

「ええ、入ったわよ。服濡れたままで良いから、早く入ってしまいなさい」

「そ、そうさせて頂きます……ぶるぶるぶる」

 湯船に浸かっても体は温まらない。体の震えが止まらない。たぶん、風邪を引いたのだろう。

 お風呂から上がると体がだるく、ご飯を食う元気が出なかった。

 それでもおまんじゅうを食べる元気は出た。今日はこれで食欲を誤魔化そうか。

 使いの霊に私の食事を下げてもらい、買い置きの風邪薬を頼んだ。薬を届けてくれたのは霊ではなく、幽々子様だった。

「顔色が悪いわ」

「そんな、幽々子様のお手を煩わせるなど」

「いいから、いいから」

 臭くて苦い粉の薬を水で流し込む。余りの苦さに吐き気を催した。

「夜更かししちゃ駄目よ。明日は一日寝てていいからね」

「すみません。暇を頂いた挙句、寝込んでしまって……」

「良いから、良いから。ところで川に入ったって、どういうこと?」

「ああ、それはその、前にお話ししたオミエという子と遊んでいたときに」

「川で遊んでいたの?」

「はい。オミエは川の虫を取るのが上手でした」

「あなたは?」

「一匹も取れませんでした」

「あなたらしくて良いわね」

 幽々子様は笑っておられた。こっちは必死にやっても出来なかったというのに。

 私が寝る用の布団を、幽々子様が敷き始める。幽々子様のお手を煩わせるわけには、と言うと病人なんだからと輸された。

 幽々子様のご好意に甘えて布団に寝転がると、幽々子様が私の頭に手を置かれた。

 そういえば私が病気で休んでいるとよく幽々子様が私の頭を撫でてくださったっけ。

 優しい手。暖かい手。元気のくれる手。今この瞬間は幽々子様が母親に思えた。

「今日、魔理沙が来ていたのよ」

「遊びにですか?」

「そ。喋ったり、弾幕遊びしたり、お茶飲んだり色々したら満足したのか帰ったけど」

「そういえば最近魔理沙と弾幕ごっこしてなかったな……」

「魔理沙との弾幕遊びはそこそこ良かったわよ。ぎりぎりで勝つとすごく悔しそうにして、ぎりぎりで負けるとすごく嬉しそうにするの」

「……」

「とりあえず、妖夢は早く風邪を治しなさい」

 私の部屋から出て行った幽々子様が部屋の襖を閉めた。

 寝る前の刀の手入れをしていなかったな、と思い出して布団から這い出る。

 今度オミエと会ったときには何をして遊んでやろうか。

 また彼女を抱っこして、空を飛んでみようか。きっと喜んでくれる。

 刀の手入れは終わった。今日はもう寝よう。

 この前買った本は昨日読み終わったし、夜更かしする理由はない。

 

   ※ ※ ※

 

 私の風邪は三日続いた。正確に言うと二日なのだが、丸一日余裕を持って休みなさいと幽々子様のお心遣いがあったお陰である。

 だが三日目には布団から出て部屋で刀の柄を握ったり、手入れをしたりしていた。

 体を動かしたくてウズウズしていたのである。

 そうする度幽々子様が私の部屋にやって来られて「安静になさい」と注意されるのであった。

 

 そして次の水曜日がやってきた。風邪は完治している。

 いつものように昼食をかきこむと急ぎ気味で白玉楼を飛び出した。

 二本の刀と死んでる私と、風呂敷を確認して顕界へ降り立つ。

 今日は薄暗かった。太陽が雲で隠れているせいだ。雨が降らなければありがたないのだが。

 松嶋屋へ着いたときには、店にお客さんは居なかった。

 女性の声の挨拶しか聞こえないのは、主人が居ないせいか。今は奥さんだけでやっているらしい。

 訊いたところによると、今日は畑仕事が忙しいので店は片手間でやっているそうだ。

 奥さんがお茶でも飲んでいかないかと誘ってくれたが、オミエが私の手を引っ張るので遠慮した。

 今日は里からちょっと離れて、紅魔館近くの草原へ。

「ヨウムちゃんってお偉いさんに仕えてるんだっけ?」

「ええ、そうよ。それがどうかした?」

「じゃ、今日一日あたしもお偉いさん!」

「え?」

「今日一日あたしが屋敷のお嬢様とかだと思って、遊んでみない?」

「それって、どういう……」

「さあヨウム、あたしのことはオミエお嬢様と呼ぶのよ!」

 なるほど、ようはおままごとがしたいということか。

「ああ、なるほどね。まあ良いわよ、オミエお嬢様」

「あー、なんか良い。ヨウムちゃんもう一回お願い!」

「お嬢様のとこ?」

「うん!」

「オミエお嬢様」

「あー! なんかすごく良い! それにヨウムちゃんが言うとすごくそれっぽく聞こえる」

 それっぽい、か。事実幽々子様、西行寺お嬢様の従者みたいなものな私だから、自然とそういう空気を醸し出しているのかもしれない。

「ほらヨウム、あたしは空が飛びたくなったわ!」

「え?」

「前みたいに抱っこして飛びなさい!」

「うーん、まあ良いけど」

「違う違う」

「ああ。かしこまりました、オミエお嬢様」

「そうそう、そんな感じでね」

 駄々をこねるオミエのために彼女を空へ案内することに。抱きしめ、私の体に手を回してもらって地面を蹴った。

 ゆっくり、かつ低高度で待機。万が一のことを考えて高いところまで飛ばないようにする。

 現にオミエがはしゃいで暴れようとするので、落さないよう抱きしめていないと危ない。

「やっぱりすごいなー! ねえヨウムちゃん、あのお屋敷もっと近くで見たい!」

「駄目よ。門番とか警備の者が飛んできて厄介だから」

「ぶー!」

「オミエお嬢様、お嬢様ともあろうお方がみっともないですよ」

「……」

 あの紅魔館の門番、美鈴になら絶対に勝てるという自信があるが、咲夜が飛んでくるとなると勝率は五分五分といったところになる。

 それにオミエを抱えたまま行くなんて危険だ。仮にも美鈴は妖怪だから、何が起こるかわからない。

「ここで我慢しておきなさい。この状態で誰かに教われたりしたら、オミエを守りきる自信がないの」

「お嬢様!」

「……オミエお嬢様、紅魔館には妖怪や悪魔が潜んでいるので危険です。他所へ行きましょう」

「そこまで言うなら、仕方ないなあ」

 オミエの声には緊張感がなかった。妖怪だと聞けば大人でも驚き、怖がる者が居るぐらいだというのに。

 確かに美鈴は門番だからか、外へ出歩いて人間を襲うようなことを滅多にしないがそれでも子供のオミエには十二分に脅威である。

 このまま里の方へ連れて行こうと思ったとき、高速で移動している者が近づいてきている気配を感じ取った。

 降りてオミエをどこかに隠すべきか? それともこのまま人里へ逃げるか?

 轟音と共に近づいてきたのは鴉天狗にして新聞記者の射命丸文だった。

「あやや!」

 私とオミエが一緒にいるのを見た文はここぞとばかりにシャッターを降ろしている。

「どうしたんでしょう、冥界の庭師さんが誘拐ですか」

「誘拐とは人聞きが悪い。一緒に遊んでるだけよ」

「すごーい! ヨウムちゃん天狗と知り合いなのー?」

「まあ、一応ね」

「どうせなら本当に誘拐して頂けませんか? そうじゃないとおもしろい記事にならないんで」

「悪いけど、今取り込み中なの」

 オミエにそんなこと出来るはずがない。この子は私の友達だ。大切な友達なんだから。

 一旦地面に降りてオミエを放した。また後で飛んであげるから、と約束してから刀に手を伸ばす。

「あなたを嫌ってるわけじゃないけど、今は友達と遊んでる最中だから空気を読んで帰って欲しいの」

「まあまあ、そう言わずにどうですか」

 文は私の話を一向に聞いてくれなかった。となれば、実力行使で追い払うしかない。

 本当のところを言えばオミエの前で格好つけてみたいな、と思った。

 文がカメラのシャッターを降ろそうと指に力を入れたのが見える。

 地面を蹴り、彼女の視界外へ逃げてから居合い抜きで文に打ち込んだ。

 結果、刀は空を斬って終わった。文は遠くの空へ消えて行く。

 返しの太刀筋を向けた頃には完全に見えなくなっていた。

 呼吸を整えてから刀を納め、下に降りるとオミエは目を輝かせていた。

「すごーい! ヨウムちゃん本当に刀振れるんだね!」

「……」

 オミエは私の剣さばきを見て興奮しているようだが、文に避けられたので褒められても嬉しくなかった。

 むしろ恥ずかしいので、別の話題に切り替えたいと思うぐらいである。

 だがオミエの興奮はそう簡単に冷めず、その後抱きしめて里の松嶋屋まで空を飛んでやったのにその話で持ちきりだった。

 お嬢様ごっこのことなど忘れてもう一回刀を抜いて欲しいとか、試しに何か斬ってくれだの。

 和菓子屋へ着いた頃には時間も遅くなっていたのでオミエとは別れた。

 また来週どこか連れて行ってねとお願いされ、私は快く引き受ける。

 まさか家の中で両親に今日の話をしてはいないだろうな。

 出来れば空振りに終わったところだけ伏せて欲しいものだ。未熟であることは十分理解しているから。

 

 今日もクタクタに疲れて帰ってきた。幽々子様は紫様の所へ遊びに行かれているとのこと。

 一人で浴場へ行き、お風呂を焚いて天井を眺めてみる。

 ふと、彼女の所へ遊びに行くのを楽しみにしている自分に気がついた。

 霊夢や魔理沙、咲夜みたいな異変や弾幕ごっこで知り合った友達はいるが、何の接点も無さそうな子と居ることがおかしく思えた。

 博麗神社へお邪魔したとき教えてもらったおまんじゅうがきっかけだったか。

 霊夢にはある意味感謝すべきなのだろうか。ありがとう、と言いに行ったところで向こうは反応に困るだけだろうな。

 この付き合いはどれぐらい続くのだろうか。

 そのうち幽々子様がおまんじゅうの味に飽きられたりして、買いにいかなくて良いなんて仰ったりしないだろうか。

 例えば、暇をもらえなくなりだして里に行く時間のないまま時間が過ぎていく。

 オミエはその間にもどんどん大きくなっていって、久しぶりに会ったときにはもう向こうは大人になっていたりして。

 成長の遅い私は今の幼児のまま。久しぶりに会ってみたら向こうは結婚していて、子供も居て。

 オミエが昔みたいに走り回ろうとするんだけど体力が落ちていて、私に追いつけないぐらい足が遅くなっていたり。

 私がオミエを抱きしめようとすると、逆に抱きしめられる側になって。

 いざ飛んでみたらオミエの旦那さんが心配そうに見ているので、すぐに降ろしてしまうことになって。

 じゃあまたね、と別れを言った後振り向けば旦那さん、子供と手を繋いで「夕食何にしようか」みたいな話をしていて。

 もっと時間が過ぎていけばオミエはおばあさんになる。その頃には私の体はちょっとぐらい大きくなっているだろうか。

 向こうは六十歳を越えていて顔には皺が入る様になっている。

 そして私が里に行こうと思いながら日々を忙しそうに過ごしていたら、オミエは死んでしまったりする。

 私はオミエのことを忘れてしまい、人間以外の知り合いとばかり絡むようになったり。

 松嶋屋の看板、店すら無くなったりするのだろうか。もしそうなって、私はオミエのことを覚えていられるのだろうか。

 

 

   後編 へ続く

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友達を守れなかったことに何を想うのか。
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