そして庭師は主人のために振るべき剣を、友人のために振った 後編 |
そして庭師は主人のために振るべき剣を、友人のために振った前編 の続きです。
これで完結します。
人里である事件が起きたらしい。里で通りかかった慧音に教えてもらった。
子供の遊び場としてよく使われている、原っぱにある札を貼った柵が何者かによって破壊された。
里中に緊張感が漂っているのがわかった。里のそこら中を武装した妖怪退治屋が警戒している。
原っぱというと、最初にオミエと遊びに行った場所のことだ。確かにあそこは何かしらの結界を施していた。
その結界を破れるような人間以外が暴れたとしか考えられることは無い、と慧音は言った。
それから原っぱ自体を柵で囲って中へ入れないようにしたとか。子供が遊ばないように、ということだろう。
ただ子供にとって遊び場が亡くなるのは辛いらしく、柵を越えて原っぱで遊ぼうとする子供が後を絶たないとか。
その中にはオミエも含まれているらしかった。あいつと友達だというのならそっちからも注意してくれないか、と慧音に頼まれるほど。
言われなくともそのつもりだ。オミエは妖怪の怖さを知らない。彼女は妖怪を舐めている。
柵には近日中に再び結界が施されることにはなっているらしい。より強力な奴を。
いっそのこと私が出向いて近くに妖怪が居ないか見てきても良いかもしれない。
でも私は冥界の住民だし、私が最終的に守るべき者は幽々子様一人である。
こう言うと薄情者に聞こえるかもしれないが、オミエや慧音、知人が無事ならそれで良い。
どうせそのうち専門職の霊夢が片付けてくれる。私が手を下す必要はたぶん無い。
里を大事にしている慧音も、さすがに私を頼ったりはしなかった。
「私も見回りしても?」
「いや、そこまでしてくれなくても良い」
試しに私の方から警備をした方が良いのか、と仄めかしてみたら丁寧に断られた。
「まあ、そう言ってくれるのは嬉しい。茶でも飲んでいくか?」
「いえ、オミエの所に行ってくるわ」
「そうか。これ以上の騒ぎにはならないと思うんだが、気をつけろよ」
松嶋屋は閉まっていた。玄関に「閉店中」の札が貼られている。
店の中にも人は居ないのだろうか。試しに声をかけていると、店の横から私を呼ぶ声がした。
「ヨウムちゃん!」
「オミエ!」
彼女に誘われて店の影へ。里では今外を出歩いてはいけない、ぐらいになっているらしかった。
それなのになぜオミエがここに居るのか、というのは家を飛び出したからだと自信たっぷりに教えてくれた。
「駄目じゃない! オミエ、ついて行ってあげるから家に帰るのよ」
「やだ! 今日はヨウムちゃんが遊びに来る日なんだもん! ヨウムちゃんと一緒に遊ぶの!」
「先生に外に出たら駄目って言われたんじゃないの?」
「やだやだ! ヨウムちゃんと一緒に空飛びまわりたい!」
「駄目って言ってるでしょう! いつ妖怪が出てくるかわからないのに、外を出歩くなんて危険すぎる!」
「……ヨウムちゃんまでお母さんや先生みたいなこと言うんだ」
「あなたのことが心配だから言ってるの! じゃあこうしましょう。今日はオミエの家に遊びに行くっていうのは?」
「外が良い!」
「な、何で……お願いだからわかってよ、オミエ!」
「絶対に嫌! ヨウムちゃんとお外ではしゃぎ回って遊ぶの!」
あくまでも駄々をこねるつもりらしい。このままでは埒があかない。
力ずくで運ぶこともやろうと思えば出来るが、困ったことに私はオミエの家の場所を知らないのである。
慧音はどうだろう。もしかしたら知っているかもしれない。
捕まえて空を飛べばオミエも逃げられないはず。飛んで慧音の寺子屋まで行ってみるのだ。
そう思って両手を伸ばすとオミエは何をされるか察したのか、走って逃げて行った。
「ほらほら、こっちだよー!」
「オミエ! 待ちなさい、オミエ!」
いつも以上に本気で足を動かした。それなのに中々追いつけない。
白玉楼の広大な庭を駆け回って鍛えたこの足に追いつける者など、殆ど居ないはず。
それなのに目の前の少女に近づけないでいる。
オミエは民家の並ぶ、裏通りを駆け抜けて表通りへ入る。大声で「その子を止めて!」とすれ違う人らへ必死にお願いするしかなかった。
何人か捕まえようとしてくれた人が居たが、オミエはその人達の手を掻い潜ってとうとう里を抜けてしまった。
里を抜けた先は危険だ。妖怪退治屋達の目が届きにくくなって、いざというとき来てくれないかもしれない。
さらに最悪なことに、オミエは前に一度行ったことのある半壊した小屋のあるところへ入って行った。
オミエは小屋のところで止まって息を整えていた。叫んだりしながら走っていたので私は呼吸を落ち着かせるのに精一杯。
「妖怪なんか、怖くない」
「……何を突然。何の力もないあなたでは妖怪に立ち向かうことさえ出来ないのに。あなたは家で家族と一緒に居るべきなのよ。あのご両親が守ってくれるから」
「ヨウムちゃんが守ってくれるもん!」
「え?」
「妖怪が出てきたって、ヨウムちゃんがオミエお嬢様って私を守ってくれると思っているもん!」
「だけど、私はいつも傍に居てあげられるわけじゃない」
「ううん、絶対助けてくれる! あたし信じてる!」
彼女の真剣な眼差しに私は圧倒されていた。そこまでして私を信用してくれるのはとても嬉しい。
でも私が冥界に帰っている間、私はオミエのところに駆けつけて来れるわけじゃない。
最も優先すべきは幽々子様。大体私が白玉楼に居て、オミエが妖怪に襲われたりしてもところでわかるはずがない。
幽々子様とオミエのどちらを助けるか、と訊かれたら躊躇なく幽々子様を助けて欲しいと言う。
当然オミエも大切だが、一番ではない。だがオミエは私が一番だと言ってくれている。
自分に腹が立った。彼女に応えたい私とそうでない私が争っている。そんな自分に腹が立った。
「私、帰るわ」
「え?」
「なんだか気分が悪いの」
「ま、まだ明るいし。ヨウムちゃんが居なくなったらあたし怖いよ」
「だったら早く家に帰りましょうよ。送ってあげるから、さあ」
「……いい」
「え?」
「送ってくれなくてもいい。ヨウムちゃんが遊んでくれないのなら、あたし一人で遊ぶ!」
オミエが山の奥へ足を向けた。追いかけても相変わらず追いつけず、むしろ距離は離れていく一方。
確かにオミエの年齢を考えれば遊びたいのはわかる。でも時と場合というものがある。
少しぐらい怖がらせたほうが良い薬になるのではないか。そう思ったとき、私の足は動かなくなっていた。
暫く追いかけずにいたら戻ってきたりするんじゃないだろうか。
オミエの両親はオミエを心配して探し回っている頃だと思う。
もしかしたら慧音か里の警備の者がこの場所を見に来るかもしれない。
だから私が今このまま帰ってしまっても大丈夫なはずだ。オミエは里に帰る道だって知っているわけだろうし。
私はもうこのまま帰る気だった。大体彼女は駄々をこねるばっかりで人の話を聞こうとしてくれない。
妖怪が里へ侵入してくるかもしれないから危ないと言っているのに、外へ出歩いて遊ぼうなんて間違っている。
挙句、力ずくで家に送りつけようとすれば逃げ回る始末。
オミエのことなんてもう知らない。オミエとの付き合いはこれからどうなるのか、なんて考えていた自分がバカらしく思えた。
彼女が引き返してくる気配は全く感じない。しかし、もう彼女には付き合いきれない。
もう山の方は見なくなった。空を見て、白玉楼へ向かっているから。
白玉楼に戻ってみると、気分はもっと悪くなっていた。
友達としてやってはいけないことをした気がするのだ。
今すぐにでもあの小屋のある所へ戻り、オミエを探しに行きたくて仕方がなかった。
考えれば考えるほど自分に腹が立つ。あのとき死ぬ気で追いかければ良かった。
嫌な想像ばかりが浮かんでくる。誰にも見つけてもらえず、妖怪に襲われたりしていないだろうか。
取り返しのつかないことをした。彼女の安否を確かめに行きたい。
「やり残したことでもあるの?」
帰ってきたと幽々子様にご挨拶しに行くとそう仰られた。なんでもお見通し、ということか。
「私は良いのよ。行ってあげなさい」
「すみません、幽々子様……すぐに帰りますから!」
幽々子様に言われて気付いたおまんじゅうを置いていき、すぐに白玉楼を発った。
人里へ向かう途中、白玉楼へ遊びに行っている最中だという咲夜とその主人に会った。
急いでいるので会釈だけしていくつもりなのだが、吸血鬼の方に絡まれることとなった。
どうしようもないぐらい急いでいるとまくしたてると、向こうはわかってくれたらしく白玉楼へ行ってくれた。
とりあえずは人里に到着。外部の者の気配を感じ取ったのか、慧音が飛んで出てきた。
オミエと妖怪の山付近へ行った後、喧嘩して山へ入って行ったオミエを追わずに帰ったと説明すると、慧音はみるみるうちに顔を青くしていった。
「ば、馬鹿者! オミエの両親から娘が居ないと聞いて、ずっと探しているところなんだぞ! どうしてもっと早く言わなかったんだ!」
「それについては本当に悪いと思ってる。けど、今は急がないと!」
慧音はオミエの両親に事情を伝えに行った後、私の後を追ってくると言った。
半壊した小屋のある所は知っているらしく、そこから山へ入って行く道があることも知っているらしい。
おそらくオミエが入って行った道のことだろう。知っているのなら話は早い。
私は一刻も早くオミエを見つけに行こう。手遅れにならないことを祈って。
小屋のある場所に到着。空を見上げれば満月だった。
満月。つまり妖怪が最も活発に動いている夜。最悪の状況だ。
月の明かりが届かない、暗闇の道へ踏み入れた。妖かしの気配で満たされており、怖いぐらいだった。
でも相手はお化けじゃない。妖怪だ。手が震えているが、オミエはもっと恐怖を感じているに違いない。
私は刀を抜いて山の道を急いだ。オミエが足を滑らせて谷間に落ちたりしていないか、周りをよく見ながら。
どこへ行っても誰かに見られているような気がして、落ち着けなかった。
喉は渇き、足が動かなくなってきた。刀を握っている利き手も疲れてきている。それでも探すのを中断するわけにはいかない。
慧音の言った通り、あのあと慧音に言いに行けば良かった。いや、それ以前に私が追いかけてやれば良かった。
確かにオミエは私の言うことを聞いてくれなかったが、あそこで放ったらかしにすべきではなかった。
ただでさえ里が厳戒態勢だというのに、そんな状態で山へ入って行くオミエは死にに行くようなもの。
険しい山道を登っているだけでも苦しいのに、自責の念にかられてはもう殆ど動けなくなってしまった。
オミエの名前を呼んでも返事はない。遠くから獣の声は聞こえるが、少女の声など聞こえるはずもない。
「ヨウムちゃん……」
誰かが私を呼んでいる。慧音か? いや、彼女は私をちゃん付けでは呼ばない。
「ヨウムちゃん!」
亡霊か、はたまたお化けか。それとも私を知っている妖怪か? 油断はできない。
「ヨウムちゃんってば!」
左からはっきりと私を呼ぶオミエらしき声が聞こえたので振り向くと、物陰からオミエの顔がこちらを覗いていた。
「オミエ! 無事だったのね!」
彼女の近くには誰かが居た。どうやら厄神様らしい。そしてそこは厄神様の祠だった。
刀を一旦納め、厄神様に会釈してからその祠にお邪魔する。
オミエはとても嬉しそうな顔をしていた。怖かったか、と聞くと神様が居たからそうでもなかったそうだ。
厄神様に聞くと、山に入ってきたオミエを里へ送り返そうとしたらしい。
だがオミエは私の言うことを聞かずに飛び出したことで悩んでいて、戻るに戻れなかったとか。
それで今まで厄神様に匿ってもらっていた、ということだそうだ。
「あなたがお友達のヨウムって人ね」
「はい、そうです」
「ヨウムちゃん、ごめんね! あたし怖かったんだ! お腹空いたし、眠たいし……」
「こちらこそ、ごめん」
そのうち慧音がこっちに来るだろう。こっちから来た道を戻れば合流できるだろうし。
運良く神様が居る所にぶつかって、良かったと思う。そうでなければ今頃妖怪の胃の中、なんてのもありえたからだ。
とにかくこのまま連れて帰ろう。里に入るまでは安心も出来ない。
厄神様に頭を下げ、オミエと手を繋いで出口を目指すことにした。
空を飛んで行ったほうが安全だとは思うのだが、慧音と行き違いになるのを避けるためである。
と、出口が見えかかったところで山の上の方から何者かが唸っていることに気付いた。
咄嗟にオミエを抱え、出口を目指す。せめて広い所に出ておきたい。
その何者かが急接近してきたのを感じ、横に飛んでおく。だが間に合わなかったのか、私は吹き飛ばされていた。
強い衝撃。オミエの悲鳴。刀が軋む音。
オミエの名を叫びながら状況を把握しようとするのだが、突如背中に来た衝撃による痛みでどうにかなりそうだった。
死んでいる方の自分に起こされて気がつく。オミエは何者かに体を弄られていた。
今いる場所は例の小屋がある原っぱだった。
山の道とは違って月の明かりが届いている場所だから、その何者かの姿がわかった。
それは大きな獣だった。いや、ただの獣じゃない。妖怪だ。
人間の背丈より遥かに大きい狼が私に背を向けている。その狼の物陰から誰かの手が伸びていた。
「ヨウムちゃん……」
オミエの声だった。大きな狼の唸り声も聞こえた。その唸り声はさっき耳にしたものとよく似ていることに気付く。
そうか、目の前の狼が山を降りていく私とオミエを襲ったのか。
白楼剣を抜き取り、狼のお尻に狙いをつける。思い切り地面を蹴って勢いをつけ、刀身全部を埋め込んでいく勢いで刀を突き刺した。
狼は悶える。上半身を起こして苦しんでいる。血を流しているであろうオミエが見えた。
すぐさま駆け寄り、抱いて狼との距離を取った。オミエの手が力なくぶらんと垂れ下がっている。
噛み付かれたらしく、腹から血が出ていた。すぐ医者に見てもらわなければ危険だろう。
未だに苦しんでいる狼を余所に半壊した小屋へ入り、オミエを廃材に寝転がせた。
「オミエ! しっかりして、オミエ!」
「ヨウムちゃん……痛いよう……」
泣き叫ぶような元気もない様子。なんてことだ、気がつくのが遅れていたら完全に食われていたところだった。
だが腑甲斐ない状況であることには変わりない。
スカートの裏地を千切って傷口に当てたが、気休めにもならないだろう。
慧音は何をしているんだろう、と思ったが里の方が煩かった。
騒ぐようなことでも起きているのだろうか。もしかしたら里の方にも妖怪が出ているのかもしれない。
だが今はそれどころではない。この場は私が何とかするしかない。オミエの傍に半霊を置き、小屋の外へ出よう。
「ヨウムちゃん……」
「じっとしてて。あいつ、やっつけてくるから」
「痛いよ。お嬢様のあたしが苦しいんだから、傍に居てよ」
「……しばしお待ちください、オミエお嬢様。憎き妖怪を退治してまいりますから」
小屋を飛び出し、大声を出して狼の気を引いた。狙い通り、私を向いてくれた。
親指で刀の唾を押し出し、鯉口を切って楼観剣の切っ先を奴に向ける。こんなにも大きく、体重のありそうな妖怪退治なんて初めてである。
だがやり遂げなければいけない。でなければオミエを助けることが出来ない。
これは生死をかけた戦い。スペルカードバトル等と言う、スポーツではない。
向こうはそんなものを使えるだけの頭も無いだろう。こちらも相応の、遊びではなく妖怪を斬り伏せる剣を使うだけだ。
刀を正眼に構える。狼の顔面は傷跡だらけ。けっこうな年は食っているだろう。
狼が飛んだ。口を一杯に開け、獰猛な牙を見せながら噛み付いてきた。
慌てて左に転んだが、狼の前足に服が引っかかる。ベストの肩のところが破れていた。
すぐさまこちらを振り返った狼が再度食いついてくる。体勢が悪く、咄嗟に避けられそうも無い。
かくなるうえは剣を合わせて敵を弾いてやるしかなかった。真っ直ぐ飛び掛ってきた狼の顔面に刀を振り下ろした。
だが間合いの計り方が甘かったらしく、浅く斬っただけに終わる。そのまま狼の体当たりを真正面から受けることになった。
草むらに沈められる。落ちたときの痛みはそれほどでもないが、体当たりのダメージが大きすぎた。
この幼い体にとってはそれだけでも脅威であった。大きく体力を消耗させられ、体中に激痛が走っている。
涙だって出てきた。狼は私が弱っているのを察したのか、ここぞとばかりに喰い付いてくる。
右へ左へ転がって牙から逃れているが、いつか掴まってしまうのはわかっていた。
狼が一瞬動きを止めて唸りだす。この隙に一旦刀を捨てて狼の下を潜り抜け、奴の尻に刺さったままの白楼剣を抜き取った。
刀は思ったよりも刺さっていなかったらしく、簡単に抜くことが出来た。
刀を振って血糊をある程度落す。狼はこちらを睨みつけ、吼えながらもう一度かみついて来た。
狙い通りだ。すれ違い様に奴の横を切りつけ、すぐに反対側へ走って地面に置いていた楼観剣を拾う。
これで二本の刀が揃った。そろそろお前にトドメを刺してやる。
死んでいる方の私が戻ってきた。オミエの傍に居るようしていたはずなのだが。
疑問はすぐに解決した。オミエが瀕死に陥っているらしい。今すぐに医者の所へ連れて行かないと。
そのためにも次で決める。次で殺す。これで終わりにする。
お前を斬る剣は西行寺お嬢様を守るための剣ではない。友人を救うために振るう剣だ。
右手に持った楼観剣を振り上げて上段に構える。左手に持った白楼剣は中段に。
中段の剣で守りを固め、上段の剣で近づいてきた敵に振り下ろしをお見舞いする必殺の剣だ。
振り下ろし。剣術における最も基本的な攻撃である。生まれた頃から何度もやってきた動き。
今度こそ外さない。絶対に成功させる。それに狼の動きにはもう目が慣れていた。
期待通り真っ直ぐに飛び込んできた。頭の悪い妖怪で良かったと本当に思う。
最早何の苦労も必要なかった。ただ敵の動きに合わせて剣を振り下ろし、顔を真っ二つにしてやるだけ。
狼は小さな悲鳴を上げ、草むらに転がっていった。
右にずれながら狼から距離を取り、狼が絶命するのを確認してから懐紙で刀に付着した血をふき取り、納刀。
難は去ったと安心したところで、その場に崩れてしまった。どっと汗が噴出してくる。足が笑っていて、上手く立つことが出来ない。
思った以上に強い敵ではなかったが、命がけの戦いだと思えばこれだけ緊張していたのは仕方ないだろう。
そうだ、オミエはどうした。上手く動かない足を引きずって小屋に入ると、オミエがこっちを向いてくれた。
「ヨウムちゃん」
「妖怪は倒したわ! 早く里に帰って、医者に診てもらうのよ!」
「ヨウムちゃん、寒いよ」
「オミエ! しっかりして!」
「お母さんとお父さんのところに帰りたいよ」
彼女の体が冷たい。刀を鞘ごと抜いておき、オミエを背中に乗せて里まで飛んで運ぶしかない。
オミエを寝かせていた廃材に血がべっとりと染みていた。結構な量の血液を失っているだろう。
いざ地面を蹴って里を目指そうと思ったときにようやく慧音がやってきた。
もう少し早くに来てくれれば、オミエを前もって医者へ連れていけたかもしれないのに。
「大丈夫か!? 里に何匹も妖怪がやって来たから、そっちを追い払うのに背一杯でこっちに来るのが遅れてしまったんだ!」
「じゃ、じゃあ私の刀を持って。急いで医者に診せないと、オミエが死んでしまう!」
「わかった! 私が先を飛んで案内してやろう!」
刀を預け、オミエを落したりしないようしっかりと両手で支えて夜の幻想郷を飛んだ。
何が起こるかわからない夜だから刀は肌身離さず持っていたかったが、彼女を背負うためだから仕方がない。
慧音に先導してもらい、里へ。その途中何度も何度もオミエに話しかけ、意識が途切れたりしないよう注意を払う。
今ばかりは空を飛んでいると言ってもはしゃぐ元気が無さそうだった。
「オミエ? 私の声が聞こえてる?」
「……」
「もうすぐ着くから、もうちょっとがんばって!」
「ヨウムちゃんが、あたしを助けてくれたんだね」
「まだよ。あなたの怪我が治って元気になって始めて、あなたは私に助けられたことになるの」
「でも、ヨウムちゃんが厄神様のところまで迎えに来てくれて、あたし嬉しかった」
「……オミエお嬢様、もうすぐで医者のところに着きます。それまでどうか、ご辛抱を」
「ヨウムちゃん、ありがとう。あたし疲れてきちゃった」
「オミエ!」
「痛いよう」
「まだ気を緩めてはだめよ!」
「……」
「オミエ! オミエっ!」
私の叫びに振り返った慧音の表情からは絶望の色が伺えた。
夜の空だから顔なんて見えるはずもないのに、自分でもそうあって欲しくないと思っていることなのに、もう間に合わないという諦めが感じ取れたのだ。
人里。そこら中に妖怪避けの柵が張っているのだが、壊されている部分もあった。
通りの真ん中辺りに病院があると慧音は言い、そこへ連れて行ってもらった。
その病院の中には十数人の老若男女が寝転がったり、医者の手当てを受けている者達が居た。
慧音が緊急だ、と叫ぶと奥の方に誘われる。奥の方は布で仕切られた、処置室になっていた。
オミエに声をかけたが、反応は無い。それでも私はオミエを布団に寝かせて、診てもらうつもりだ。
慧音と医者に手伝ってもらいながら慎重にオミエを布団に寝かせる。もう意識は無い様子だった。
「……お腹を狼に噛みつかれました」
「出来る限りのことは尽くす。上白沢さんは外で待っていてください」
慧音が額に汗を浮かべている、眼鏡をかけた三十台ぐらいの男性に促されて建物から出て行く。
私に怪我はないのかと訊いてきた。だが私は大した怪我もないので何も言わず、慧音の後ろについて行った。
振り返ると数人の女性が慌しそうに動き始めた。男性の指示で動いているのだろう。
助かって欲しい。でも助からないかもしれない。頭の中はぐちゃぐちゃだった。
慧音が暗い顔で何か言って、差し出された刀を受け取るとどこかへ飛んで行った。オミエの両親でも呼びに行ったのだろうか。
病院の外には中で治療を受けている人の家族らしき者達や、念のための警備と思わしき武器を持った男が数人居た。
その警備の中には博麗神社で巫女をやっている霊夢の姿もあった。
私に気付いた霊夢が何か言ってきたが、私は聞こえない振りをした。今は誰かと話す気分にはなれないからだ。
私はただその場に座りこむしか出来なかった。周りの音なんて全く聞こえて来なかった。
誰かに肩を叩かれた。さっきの医者だった。彼の表情は暗かった。
助からなかったんだ。私は目の前が真っ暗になり、医者の反応に対してうんともすんとも言えないでいた。
不思議と涙は出てこなかった。おそらく実感がないからだろう。
さっきまで喋っていたオミエが死んだと言われても、理解したくない。
また何者かに肩を叩かれた。慧音だった。お別れがどうのと聞こえた。その場から動きたくなかった。もう何もしたくないぐらい。
無理やり引っ張られて、病院の奥へ連れて行かれた。オミエの顔に紙が被せられていた。
松嶋屋の奥さんがオミエの傍で咽び泣いている。店主、オミエの父親はその場で立ち尽くしていた。
私が気がつかないうちにオミエの両親が来ていたのか。
「オミエは、行方不明だったんですが……こいつが見つけてくれたんだ。そうだよな?」
慧音の目からは溢れんばかりの涙が零れている。店主は私を見て何があったんだ、と叫んだ。
説明しようと思うのだが、動かなくなったオミエを見たら何も喋ることが出来なくなった。
「何とか言ったらどうなんだ! オミエは、オミエは!」
「落ち着いてください! こいつだって、妖夢だって……!」
私はその場から逃げ出した。走って、外に出て飛び上がった。
そのまま自分の家を目指し、満月の空を飛んで行った。
白玉楼の門の前で泣き叫んだ。とても今の状態では中へ入れそうにないから。
落ち着くまでは屋敷の中に戻りたくなかったのだ。
私がもう少し早くに行っていればあの狼の妖怪に気付かれなかったかもしれない。
オミエと言い争いをしたとき、すぐに迎えに行ってやれば良かったかもしれない。
狼に襲われたときも、もっと上手くやれたかもしれない。
オミエを救えたかもしれない。でも現実では救えなかった。助けられなかった。
ベストを脱いでみたら、背中のところに赤黒い染みが出来ていた。
オミエの血だろうな。私は血染めのベストをオミエだと思って抱きしめた。
何度も後悔し、悲しみに暮れる。気持ち悪い何かが込みあがってきて吐き気に襲われた。
自分の刀を手に取って見つめた。何が半人半霊の庭師だ。
確かにオミエを殺した妖怪は斬れた。だけどオミエは助からなかった。ただ単に復讐をしただけに終わった。
私はそんなことをするために剣を振っているわけじゃない。そうだ、私は大切な人を守るために剣を振っているんだ。
ちょっと待って欲しい。もしかしてあのとき無理して戦わなくても良かったのではないか。
逃げに逃げて、オミエを小屋に寝かせることなく里に連れて行くことが出来ていたら助かったのかもしれないのではないか。
いや、あの場は迎え撃たなければ背中からやられていた可能性だってある。
それに里にも別の妖怪が出ていたっていうし、万が一その妖怪に目を付けられたら危険なのは変わらない。
何が正しかったのか。結局何をすればオミエは助かったのか。わからなかった。
斬ればわかる。お師匠様はそう仰っていた。
だが斬ったのにわからない。オミエを傷つけた狼を斬ったというのに、何もわかってこない。
手に持っている刀を投げ捨ててやろうと思った。でも出来なかった。
不器用な私にはこれしか取り得がない。かといってその取り得が全く役に立たずだった。
私はこれからどうすれば良いというのだ? 私の頭で考えたところで何も思い浮かばない。
いや、思い浮かぶはずがない。私にそんな難しいことは出来ないだろうし、今までだって考え事をして成し遂げたことはなかっただろうから。
いつもあの方に導かれて動いてきたのだから。あの方に引っ張って頂いていたのだから。
「こんな所に居たの」
誰かに呼ばれた気がした。いや、呼んでくださった。幽々子様が私に声をかけてくださった。
「こっちに来なさい」
「……」
「ほら」
幽々子様が手を差し伸べてくださっている。だが私ごときがその手を取らせて頂いても良いのだろうか?
「そこに居ても仕方ないでしょ」
いや、取るしかない。取らせて頂こう。
どうせ私には自分の行き先を決めることさえ出来ない。
私はこの方に導いていただかないと、どこにも行けないのだ。
「お風呂に入った方が良さそうね」
まだ泣き止まない。顔を上げることは出来そうにない。
「今夜は私と一緒に寝る?」
まさか、私ごときが幽々子様と同じ布団に入るなど。恐れ多くて出来るわけがない。
「あなたが思いつめたところでどうにもならないって、自分でもわかっているでしょ」
「……」
「でも今夜は思いつめなさい。布団の中でいくらでも悔やみなさい。時間が経てば落ち着いてくるでしょうから」
私は口を硬く結んだ。口を開ければ大声でわんわん泣くだろうとわかっているから。
これから幽々子様のお布団にお邪魔するとなれば、大声なんて上げられない。
「良いのよ。心の奥底から響かせてしまいなさい」
「……」
幽々子様は何も訊かれなかった。訊かれたところで上手く喋られるとは思っていないが。
布団の中で目を瞑り、オミエの顔を思い出していた。
彼女と初めて会ったときのこと。彼女の母親に叱られたこと。遊んでも良いと言ったときの嬉しそうな顔。
自分の正体を明かしたときの驚いた表情。ブン屋を追い払おうと刀を振ったあとの、輝かせた目。
狼にやられて苦しそうだった呼吸。最後に聞いた彼女の言葉。
気がついたときには幽々子様に抱かれていた。
噛み殺していた嗚咽はとうとう抑えられなくなり、布団の中でぶちまけた。
※ ※ ※
幽々子様は次の日からいつも通り庭仕事をするようにと仰い、それに従った。
だが昨日の出来事があったわけで、仕事に身が入るはずもなかった。
その度に叱られた。叱られても幽々子様の言葉は殆ど頭に残らなかった。
夜、自分の部屋に一人で居ると何度も泣きそうになった。一晩経ってもオミエの死を受け入れられないでいるからだ。
三日、四日経つと泣くことが少なくなった。
今彼女の魂は彼岸に行ってしまったのだろう。三途の川を渡るのはいつなのか。
そういうことを考えるうちにああ、死んだのかとようやく理解してきた。
五日後には今日のお昼ご飯は何になるんだろう、今度また神社に遊びにいきたいなと考えるようになっていた。
オミエが亡くなってから一週間後。
昼過ぎになって落ちている葉を集めていこうかと思ったとき幽々子様が私に近づいてきた。
「妖夢、今日はあの子の初七日になるんじゃないかしら」
「……そうでしたね」
「行ってあげなさい」
「でも、親戚でもない私が法事に参加するというのも」
「お線香ぐらい立ててあげなさい。今から行けば夕方ごろに着いて、法事も終わってる頃じゃないかしら」
「行ってきても良いのですか?」
「妖夢、今回は特別に行かせてくださいぐらい言っても良いのよ?」
「良いんですか!?」
「ええ。それが終わったらついでに白沢の所にも顔出しておきなさい」
「わ、わかりました! 今すぐ支度します!」
大急ぎで部屋に戻り、刀と風呂敷を持った。お小遣いももらわないと、と思ったところでおまんじゅうを買いにいくわけではないと気付く。
「妖夢」
幽々子様が障子の向こうから声をおかけになった。慌てて障子を開けると、幽々子様からのし袋を渡された。
「これを渡してあげなさい」
「わざわざご用意してくださるなんて」
「早く行っておやり」
「この時間から行くとなると、帰るのが遅くなるかもしれません」
「良いから、良いから」
幽々子様にお礼を言ってから白玉楼を飛び出した。
里。空は赤い。
私は脇目も振らず松嶋屋を目指す。途中慧音に声をかけられたのだが、後でそっちにお邪魔すると言って別れた。
松嶋屋に到着。店は閉まっていた。おかしい。水曜日は必ず営業しているはずなのに。
それともオミエが亡くなったからということで、心苦しいあまり店をやれないのか。
いや、そもそも今日は初七日ではないか。店はやっていなくて当然だ。
「おい!」
女性に声をかけられた。振り向くと、先ほどの慧音だった。
「オミエの両親の、松嶋さんの家に案内してやろうと言っていたのに」
「あ、そうだったの……」
「ほら、こっちだ」
慧音に誘われるがまま、農道を歩いていった。里の通りから少し離れた所。
外で遊んでいる子供は居ないようだ。さすがにあれだけの事があれば遊びたい盛りの子供でも危ないと理解したか。
「葬式には来られなかったのか」
「……ええ」
「あのときの、病院でオミエの父親がお前に酷い態度を取ったが、今はお前に感謝したくて仕方ないそうだ」
「ああ」
「私からもお礼を言いたい気持ちがある。ご苦労だった」
「でも私は……」
「そういうのは止めておけ。お前は冥界に居て、死んだ奴をごまんと見てきたはずだ。あのときこうすれば良かった、なんて考えても仕方ないというのはお前の方がわかっているはずだ」
「慧音は、強いのね」
「強くなんてない。ただ割り切っているだけだ」
「……」
「どうしようもなかったんだ。お前が倒した妖怪の死体を見たとき思ったよ、よくこんな奴を倒せたなって」
「あそこは……」
「ん?」
「あそこにはもう二度と人が入れないようにと、頑丈な柵と結界を施すべきよ」
「一昨日柵は出来たよ。霊夢に結界だって張ってもらった。今後もあそこに子供が入ったりしないよう、見回るつもりだ」
「そう……」
「とはいえ、幻想郷に住んでいる以上妖怪との付き合いは仕方のないことだがな」
「まあね」
「そろそろ見えてきたぞ」
そういえば私は一度オミエに畑にまでなら誘われて言ったことがあったっけ。オミエの家というのは見たことがあるものだった。
家の玄関を開けた慧音が「ごめんください」と声をかけた。
人はすぐにやってきた。出てきたのはオミエの母親だった。私を見て会釈するので返した。
「松嶋屋の前に居たのを見つけて、ここまで連れてきました」
「これはこれは、上白沢さんどうも」
「では、私はこれで」
「え? 慧音はもう帰るの?」
「ああ。お前とも話せたしな」
慧音は玄関の戸を閉めて、あっという間に帰って行った。残された私は奥さんに誘われて客間へ。
「お久しぶりです。この度は……その……」
「良い、良いんだよ」
上手く挨拶を言えないでいると、奥さんがそう言ってくださった。
淹れてもらったお茶を頂戴したいところだが、私は先にのし袋を渡した。
「え、そんな、お譲ちゃん」
「……」
遠慮して受け取ろうとしない奥さんだが、私の目をじっと見た奥さんはのし袋を受け取ってくださった。
奥さんが店主、主人を呼びに行く。私はお茶を飲んで待っていたのだが、主人はすぐにやって来た。
「お嬢ちゃん……」
「お久しぶりです。この度は……」
「お嬢ちゃん、そういうのは良いって言ったでしょ」
また遠慮してくだった。主人の表情は穏やかだったが、気のせいか顔がやつれているようにも見える。
「上白沢さんからそれらしい話しか聞いていないんだが、お嬢ちゃんがオミエを見つけてくれたんだね?」
「はい。でも……」
「良い。見つけてくれたから、良いんだ。それにオミエに怪我させたっていう妖怪はその刀で斬ってくれたって聞いたしね」
主人の横にいる奥さんは泣き始めていた。私ももらい泣きしそうになる。
「オミエは、最後に何か言ったのかい?」
「私にありがとうと。あと痛いって……父と母のところに帰りたいとも」
奥さんはとうとう泣き叫び初めた。奥さんはここに居てもどうしようもないと思われたのか、別の部屋へ行ってしまわれた。
主人も口を閉じ、手で目を覆って泣いていた。
悔しいだろうに。狼に襲われたときオミエの傍に居たのなら彼女を守ってあげられたかもしれない、と思っているのだろう。
落ち着いたオミエの父からオミエの遺灰は先祖代々の墓に収められていると教えてくれたので、お墓の場所を訊いて拝みに行くことにする。
「お嬢ちゃん、本当にありがとう」
泣き止んだ主人が感謝の言葉を振り絞った。私はうんとも、すんとも言えなかった。
別れ際、主人におまんじゅうを渡された。
「こういうのは祝い事で渡すものだとはわかっている。でも受け取って欲しい」
「ありがたく頂戴いたします」
「もし良かったらでいい、これからも暇があればうちに寄って欲しい」
「ええ、是非とも」
私を送りに来た主人と奥さんに会釈をしてオミエの家を出る。もう空は黒くなり始めていた。
墓は里の西のはずれにあるそうだ。里の通りには赤い提灯を出している店が並んでいる。
今はお酒なんて呑める気分ではない。いや、逆に呑まないとやっていられないか。
だが今はお金を持っていない。真っ先に墓へ向かった。
目が暗がりに慣れてきたところで墓守に無理にを言って提灯を貸してもらった。
オミエの遺灰が収められたという墓はすぐに見つかった。他の墓と比べて一際豪華に花を供えられていたからだ。
墓に刻まれた苗字も確認した。きちんと「松嶋家云々」となっている。
提灯を注意深く置いてから楼観剣の鞘に括り付けてある花を千切り、花束の中に押し込んだ。
両手を合わせ、頭を下げる。念仏でも唱えてあげるべきか、と思ったところで念仏なんて知らないということに気付いた。
目を開けて墓を見つめる。もうオミエの死は受け入れたつもりだったが、涙は再び溢れてきた。
泣きやんだ頃には提灯の蝋燭が残り僅かだった。火を消して墓守の家の前に置いて白玉楼を目指した。
慧音はこの幻想郷の人里を愛しているのだろう。その人里が妖怪に襲われて、今回の騒動で人が何人も死んだのかもしれない。
少なくともオミエが死んでいる。慧音だって悲しいだろうに。それなのに今日の慧音はいつもの調子にしか見えなかった。
それは慧音がオミエや他の死んだかもしれない人々はどうにもならなかった、と無理やり納得しているのだろう。
彼女は私に死んだ者達の魂をたくさん見てきたから私の方がわかっているだろう、と言ってきたが彼女は間違っている。
冥界と顕界との結界が薄くなる前まで私は生きてきた者達を殆ど見たことが無かった。
だから私はオミエが死んでしまった次の日も何も出来ずでとても心苦しかった。
だが慧音は違うのかもしれない。彼女は私よりも生きてきた者達を見てきたはずである。
そんな者達が死に直面、あるいは死んでいく様も見てきたはずだ。
くよくよしていても仕方がない、とわかっているのは彼女の方だ。
私の方が死んでいった者達を見てきていないから、今でも辛いのだ。
白玉楼に到着。幽々子様の部屋には小声で挨拶して、すぐ部屋に戻った。
部屋の窓から幽かな月明かりが差し込んでいる。今日は何っていう月だったか。
満月の次の週の月に名前がついていたと思ったのだが、思い出せない。幽々子様ならご存知だろう。
満月の次の夜の月なら名前を知っているというのに。
部屋の箪笥の奥から紙に包まれた、私のベストとスカートを丁寧に取り出した。
これはオミエが亡くなった夜に来ていた私の服一式。
私はこれを大切にしていくつもりである。私に出来た、普通の人の友達。その記念。記念と言ってもありがたいものではないが。
おそらくないだろうが、これを持っていれば絶対に彼女のことは忘れない。
彼女を守りきれなかった悔しさを糧にして私はこれからも修行を続けるつもりだ。
もしあのときオミエお嬢様ではなく、西行寺お嬢様を守って戦っていて、それで幽々子様に危険が及んでいたら私はどうしていただろうか。
オミエと幽々子様を天秤にかけるみたいで酷いとはわかっているが、もしそうなれば私は切腹なんてものでは済まないことになる。
これからも、いやこの先もっと必死になって幽々子様を守りきれる庭師として精進し続ける。
あれから二週間後。私は人里で紅魔館のメイド長とまた会った。
この日は向こうから弾幕勝負に誘われた。結果は私の辛勝だった。
弾幕遊びとはいえ日々の鍛錬の結果を出してやろうと集中して立ち向かってみると勝てたのだ。
咲夜には松嶋屋のおまんじゅうを奢ってもらった。
咲夜はおまんじゅうを食べながら「雰囲気変わった?」等と妙なことを訊いてきた。
私は「特に何もしていないと思うんだけど」と返した。
咲夜は食いついてきた。「何か、顔が大人びた気がする」とおまんじゅうを飲み込んでから言ってきた。
私はうんとも、すんとも言わずに自分のおまんじゅうを平らげた。
霊夢にも会った。私が神社に遊びにいく形で。
結局あの夜の出来事を慧音から詳しい話は聞いていなかったが、霊夢がお茶を飲みながらで教えてくれた。
あの騒動で人が三人死に、十一人の怪我人が出たそうだ。
そう話すときの霊夢は暗い表情をしていたが、慧音みたいに割り切った感じであった。
口には出さなかったが、霊夢だって辛かっただろうに。
何せ霊夢は人間達を守るために巫女を生業としているのだから。
あの夜、病院から出てきた私を見た霊夢は私が死人みたいに見えたらしかった。
半分は死んでるけどね、と言うと霊夢は少しだけ笑った。
どれだけ時間が経とうがオミエのことを忘れた日は無い。
私は彼女の無念、オミエの母親のやるせなさ、父親の悔しさを背負って生きて行くつもりである。
過ちを繰り返すことはないよう、絶対に幽々子様をお守りすると再決心していかなる困難にも立ち向かってやる。
私の剣は友人を守れなかった。この事実を強く受け止め、せめて主人だけでも守ることの出来る剣を完成させるのだ。
もし私が生きている間にオミエの魂が白玉楼に運ばれてくることがあれば、こちらが私の主人よと西行寺お嬢様を紹介してあげようと思う。
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あとがき
この作品は過去の「従者な庭師はその出会いに何を思うか」のあらすじだけそのままに、書き直した作品になっています。
前のが恥ずかしくなってきたけど、どうしてもこの話で書きたかったので書き直しました。
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友達を守れなかったことに何を想うのか。 ※ こちらは後編です | ||
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