自殺後見人 |
自殺後見人
P.N. 龍 斗
憲法第三章「国民の権利」第四十一条『生命活動自己決定権』(草案)
自殺人口が病死人口を大幅に上回ったため、自殺人口を削減するべく、新世紀に可決した新しい人権。
自殺をすることに制約や条件を付加し、自殺を法的に認める事によって、自殺人口を減らそうとした。
一、 自殺志願者は日時、方法、場所、氏名、動機を、形式を問わない形で政府に通達をすること。ただし、電話は認められない。
二、 政府は集まった通達で選考を行い、自殺するに値する者を選抜する。
三、 全国に存在する『自殺後見人』を政府は派遣し、自殺後見人はその自殺行為の全てを記録する。
四、 自殺後見人はあくまでその人の自殺の場面を見届ける立場にあり、自殺行為を幇助(ほうじょ)した場合は罰せられる。
五、 政府は自殺後見人が記録したものを確認し、協議の結果その行為が自殺と認められた場合、親権を持つ者か配偶者、血縁関係が最も近い者に『自殺証明書』と『慰霊金』を送付すること。また、自殺現場の処理をし、葬儀の代金も支払うこと。
六、 自殺が認められた後に遺言が発見された場合、内容は即座に行使される。但し、他の人命に関わる内容は行使できない。
七、 自殺として認められない場合(政府に通達せずに死亡した場合、自殺証明書に転記漏れがあった場合等)は、自殺現場の処理は死亡者に身元が確認され次第、その家族が行なう義務を負う。また遺言が発見された場合は、その効力を失う。
八、 これは人権として認められたものであり、全ての国民はこの権利を有する。
PRO.『ノートの空きスペース』
世の中は、腐った。
人も、国も、世界も、法律も、思想も、常識も、何もかもが、
・・・・・・・・・・・・腐った。
人間、堕ちるところまで堕ちて、もう堕ちようがない。
誰もが、取り繕った偽善な笑顔で。
いつでもどこでも、疑心暗鬼。
だから、少しずつ、知らないうちに、
・・・・・・・・・・・・心の底から涙することを、忘れた。
街の人、親しくしていた友人、親戚、果ては家族までが、
「死」に涙を出さなくなった。
その「死」の原因が、老衰であれ、病気であれ、殺人であれ、自殺であれ、
死んだことを振り返ってみても、じんとこなくなった。
『イノチはおもちゃ』『イノチは物』『イノチは数』
それがヒトの深層心理。
「うるさいなぁ。お前、死ねばいいのに」
そう言われてホントに死んでしまうのが、今の人間。
「なんだ。また死んだのか」
それが、沸き起こる第一の感情。
人間は腐った。
かく言う私も、相当腐っている。
自殺に失敗した挙句、今は自殺を見届けているのだから。
一 『ログ・1』
後見 京東都 M.N(23) 女
岡静県 I.H(52) 男
「これに署名とハンコを。ハンコが無ければ指でいいです」
右手にハンディカメラを持った私は、感情を込めずに言う。
感情を込めてしまうと、その人が自殺を諦めてしまう引き金になるからだ。
それは、その人の人生で最大の決心を踏みにじることになる。
京東都某所の森林地帯。
ワゴン車に乗った私の横で、Mさんは受け取った書類を一枚一枚丁寧に通読し、全てを読み終えてから名前を書き始めた。
車内にはペンが下敷きに当たる音だけがひびく。
ハンディカメラはその様子を鮮明に写している。
カメラは最後まで回しつづける。途中で撮りなおしてしまうと、提出するときに編集したと思われてしまうからだ。
そうなると、私は殺人幇助罪の疑いをかけられ、捕まってしまう。
それを防ぐために、ノーカットで撮るのだ。
時代はモノを便利にしていく。SDカムだからSDの容量を越えない限りは長く撮れるし、カメラ本体のHDDにも撮れる。バッテリーも切れることは無い。
時折、かかり落ちる髪の毛を優しくかき上げる。クセの無いセミロングの黒髪は耳にかかりながらも、はらはらと滑ってまたかかる。
「・・・・・・・・・・・・ハンコ、忘れてしまったんですけど…」
私は彼女の言葉が終る前にポケットからスタンプマットを出した。
「拇印を」
私は努めて無感動で言った。
Mさんはゆっくりと右手の人差し指をマットにつけ、書類にぐりっと力を入れた。
「・・・あ、親指の方が良かったですか?」
指を離すと、はっとした表情をして私に聞いてきたので、わたしは大丈夫ですと返した。
彼女は首だけを縦に動かし、ため息のような小さい声ではいと返事をして、今度は親指で判をついた。
書類は8枚。
政府、警察、所在する都道府県、市区町村宛てに義務的に書いてもらうものが4枚、残りは任意で個人や団体宛てに書く。
彼女の場合は両親、仕事場の上司、社長、友人の4通だった。
「はい。書き終わりました」
Mさんは小さい声でそう言うと、私のほうに視線をよこした。
「そこに書類を並べてください」
座席の空いた部分に書類を並べさせてから、私はカメラで一枚ずつ記録する。
「・・・・・・では、」
そう言って私は空いている左手でドアを開き、彼女を先導した。
その間も彼女を撮影しつづけている。
そして其処に到着した。
車からは5メートル程しか離れていない。
硬いしっかりした松の樹の太い枝に、油を染み込ませたロープが一本ぶら下がっている。先端は握りこぶしの大きさの円形。下には脚立。
「・・・ひっ」
それを見た彼女は、息とも声ともわからない音をだして空気を吸い込み、大きく吐き出した。吐息はふるえていた。
私は無言、無感情でカメラを回しつづける。
あとは、彼女次第。
私はただ撮影するのみ。
「・・・ひくっ・・・・・・はぁぁぁぁっっ・・・・・・・・・」
彼女は泣き始めた。
死の恐れなのか、誰かを想っているからなのか、本当のことはわからない。
その涙は、誰のために・・・・・・・・・?
――――――理由は十人十色だ。
・・・別段、知りたくも無い。 それは、カタチとして誰かに語りかけるから。
十分後、彼女は一際大きなため息をつくと、ゆっくりと脚立に向かい上り始めた。
その間もしゃくり上げている。頬がてらてらと光っていた。
しなやかな指がロープを掴み、先端の円にロープを通して輪を大きくする。
「ふぅぅっ・・・・・・・・・・・・ぁぁあああっ!」
ロープを掴んだまま、彼女は大声で泣き叫ぶ。だが近くに住居は無く、人もいない。
ただ泣き声が響くのみだ。
「ぅぅううああぁあぁぁああああっ!」
泣きじゃくる声が、私に強くひびく。だが、私はただ無感動に撮影をすすめる。
そして十三時二十三分十八秒。
「あぁぁあああっ…・・・・・・・・・おかぁあさあぁぁあん!!」
一層大きくそう叫ぶと、彼女は素早く首にロープをかけ、脚立をがしんと蹴った。
がしゃんと音をたてて脚立が倒れる。
重力の法則に従い、彼女は落下。だがロープによって空中で留まる。
ロープを掴んだまま落ちたので、彼女の指は首とロープの間に挟まった。その何本かはおかしく曲がっている。
苦しみから逃れる本能のままロープを掴んではいたが、ロープから染み出る油によって指は滑り、はがれた。
がくんっ、と。
そんな擬音が残りそうに、彼女は終った。
顔の表情ははじめこそ苦痛に歪んでいたものの、次第に筋肉は緩み、無になった。
数分後、全身の筋肉が弛緩した彼女の体からは、糞尿が流れ出した。
ポタリ、ポタリ、ぽたり。
それは生命活動が完全に停止した合図。
私はバックパックから三脚を取り出し、カメラを固定した。そしてカメラからやや離れて、携帯電話を取り出して『業者』と『政府』に通達した。
それから三十余分。『政府』から派遣された『業者』によって彼女は処理された。現場は何も無かったかのように、綺麗になった。
ただ、枝に染み込んだ油だけは綺麗に落ちずに残り、ここで起こった事実を物語っている。
当然、私は業者が来るまでの間も撮影を続け、処理の様子も記録した。
――――――ただ、無感情に
それは、無感動に――――――?
『業者』が到着したとき、彼女はただぶら下がるだけの生人形(いきにんぎょう)となっていた。
右目は抜けて、神経の束によってふらふらと振り子のよう。
鼻と口からは溶け出した脳漿(のうしょう)が、真っ黒な血となって流れ出る。
極めて粘り気の強いソレは、長く長く伸びて彼女から離れようとしない。
肌の色はどす黒くなり、もはやロウ人形のようだ。
脚立の傍には茶色のローファー。
彼女の下には、悪臭を放つ汚物。
常人が決して見ることの出来ない、最悪の情景が広がっていた。
『業者』は処理を終えて帰った。彼女は彼女のためだけに作られたハコに入って、帰っていった。
私はワゴンの運転席に座り、書類の束とカメラから取り出したSDを茶封筒に入れた。
ハンドルを握って、エンジンをかける。
・・・その時、Mさんの最後の情景が、頭の中で広がった。
私はそれを確かめて、
その羨ましさについ、
くすっと笑みがこぼれた。
一 『ログ・2』
十六時三十二分。
私は岡静県のとあるアパートの前にいた。
3階の、階段からかぞえて4番目のドア。その左側にある呼び鈴を押す。
私の足元には、中身の少ないボストンバッグが置いてある。
ごうん、と低い音をたてて、重い鉄の扉が開く。
「あ、どうも。どうぞ中に」
そう言ってIさんは私を部屋に招いた。
Iさんに導かれるまま私は居間の長机の前に座り、傍らに置いたボストンバッグを開ける。
「どうぞ」
湯呑みが置かれた。中には緑茶が入っている。
「どうも」
私は事務的に答えた。お茶に手をつけるつもりはない。
湯呑みから離れたところに書類の束をおく。
右手にはカメラを持ち、既に撮影を開始している。
「これに署名――――――――――――――――――――――――――――。」
何度も言った、お決まり文句。当然、無感情で。
Iさんは一枚をじっくりと読み、さらさらと一気に明記していく。
彼の手は湿っていて、持ったところが汗でぬれている。
ボールペンの先端にあるシャチハタで印を付き、五枚の書類を書き上げた。
義務の書類を除いた一枚は、母親に宛てられている。
「そこに並べてください」
長机の空いたところに書類を並べて、私は書類をズームアップして撮影する。
「では」そう言って立ち上がると彼は、
「えっ?もうですか?ちょっと待ってください」
早口でそう言って湯呑みを片付ける。台所で無意味に音をたてて湯呑みを洗い、食器乾燥機に入れた。
「自分の最後くらい、自由にやらせてください」
彼は大きい口を広げてそう言うと、ベランダに出て煙草をふかし始めた。
ハンディカメラの時間表示は、四十五分を回っている。
無駄なことまで、記録していく。
一時間後、彼は赤いマルボロ一箱を吸いきって室内に入った。
そして、ふぅーっと大きくため息ついた。
ぶつぶつと聞き取れない程小さい声で何かを呟いた後、彼は廊下の奥へと歩いていった。
私は映像を残すために後をついていく。
すると彼はこっちを向いて、
「なんだあんた。便所にまでついてくるのか。まったく。何しようと俺の勝手じゃないか。あんたは変態か」
と、皮肉っぽく言ってバタンとトイレのドアを閉めた。
私はその間、ただトイレのドアをうつしていた。撮影を止めることは出来ないからだ。
十分後、彼はトイレから出てきた。強烈な芳香剤の臭いが不快を誘う。
カメラを構えていた私を睨むように見て、洗面所へと行った。当然、私もついて行く。
彼は鏡ごしに私を見て、あからさまにイヤそうな顔をしてはぁーっとため息をついた。
そして毛の少ない頭をブラシで梳(と)かし、ネクタイの位置を直した。
「・・・・・・おし。準備できた」
そう言って私を見る。
「はい」私はただ返事をするのみ。
Iさんは風呂場を開け、浴槽のフタを外す。中には水が張ってあった。
出窓には布で包まれた出刃包丁があった。
彼はスーツの腹のあたりで手の汗をふき取り、包丁を手にする。
「はあっ」
小さくため息をついて、布を取る。
きら。
と光を反射したソレは、これからIさんの手首を斬るためだけに使われる。
「ふぅー」ため息が風呂場に響く。
Iさんは洗い場に膝立ちで座って、左手をちゃぷんと水につける。スーツの袖に水がついたが、彼は気付かない。
右手に持った包丁も、水の中につける。蛍光灯の光が反射し、切れ味の良さを伝えてくる。
ちゃぷちゃぷ。
ぴちゃ、ぴちゃん。
時間は刻々と過ぎ、窓の外は暗い。
彼はまだ水をいじっている。
私はなにも言わず、ただカメラを回す。
バッテリーの残量表示のメーターが三分の一を消費した。SDの容量も半分に到達。
さすがに右手だけだと辛く、左手と交互に撮影している。
そして、十九時四十八分三十八秒。
ぴちゃ、ぴちゃ、・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・カコン。
それはいきなりだった。
「だめだ。できない」
Iさんはそう言って、水の中に包丁を落とした。
同時に立ち上がり、ぬれたスーツを脱いでワイシャツ姿になる。
「手間かけてすみませんが、俺、・・・・・・・・・自殺できません」
「はい」
「なんか・・・・・・・・・したいんだけど、出来ないんだよ。あんた、この気持ち、わかるよな?」
「・・・・・・・・・」
私はあえて返事をしなかった。
そして、カメラのスイッチを切った。
「電源をお借りします」
そう言って私はコンセントにコードを繋ぎ、机の上にシュレッダーを置いた。
「今ならまだ間に合いますが、本当によろしいですか?」
マニュアルに書いてあった文句を私は口にする。無感情に。
「・・・・・・あぁ、はい。まだ死ぬことなんて、できない。・・・・・・・・・・・・死にたくない」
そう言うIさんの手は震えていて、じっとりと汗をかいている。しきりにズボンで汗を拭っている。
「わかりました」
シュレッダーのスイッチを入れる。
金属のこすれ合う、うるさい音が響く。
「では」
わたしは書類の一枚をシュレッダーに投入――――。宛名は母親だった。
極めて事務的に、次々に投入する。
三〇秒もしないうちに書類は全て細長く切られた。
次にハンディカムを開いてSDを取り出し、それも投入する。
ぱきっと音をたてて、チップは粉砕した。
カメラも操作して、バックアップを消去する。
「これで終りました」
私がそう言った後、彼はまたふぅーっと鼻でため息をついた。
「あなたは憲法第三章「国民の権利」第四十一条に認められた死亡権を行使の途中で放棄しました。よって、あなたの死亡権は自動的に剥奪されます」
彼はため息をついた後、何かに気付いた表情をしてこちらを見た。
「あなたは今後一切、自殺することは許されません」
意味を理解したのか、彼は私を睨んで怒鳴りつけた。
「はぁ?今後一切自殺はできない?おかしいじゃねぇか、そりゃ。自殺の権利は国民全てにあるんじゃないのか。それを剥奪する?人様の人権を勝手に取るなんて、あんたらバカじゃないのか?」
唾を飛ばして私を罵倒する。私は何も言わないでいた。
「自分の人生くらい自分で決めたっていいじゃないか。いつ、どこで、どうやって死のうと、その人の勝手だろ。自分一人で死ぬんだから、他人に迷惑をかけることもないなら、別にいいじゃねえかよ」
「・・・・・・・・・」
「それを今度は政府に通達しないといけないなんて、政府も勝手すぎるんだよ。人のプライバシーに首を突っ込むんじゃねーっての」
そう言って彼は冷蔵庫のビールをプシッと開けて、くいっとあおった。ぷはぁーっとうざったい声が響く。
私はカメラとシュレッダーをバッグにしまい、玄関へと向かった。
「アンタも物好きだよな。こんな仕事じゃなくて、もっとイイ仕事をすればいいじゃないか。そうすりゃラクになるのに」
へへっと笑ってネクタイを外す。笑った顔が気色悪い。
「じゃぁ、さっき死ねばよかったですね」
私はそう言って、ドアを閉めた。
二、『拙い会話』
「読み終わったか?」
先輩はそう言って僕の隣に座った。
「はぁ。何なんです、コレ?」
「記録(ログ)」
煙草を咥えながら、先輩はそう言う。
『吸うか?』と箱を叩いて煙草を出し勧める仕草をしたが、僕は遠慮した。
ジッポーで火を点け、さも美味しそうに煙をふかす様は僕にはわからない。
「はー、うめぇ」
「そうですか」
ジッポーを鞄にしまい、プカプカと煙草を吸う先輩。
僕は手持ち無沙汰になったので、もう一度ログに目を通した。
数分後。
先輩は窓の外に火の点いた吸殻をポイと捨てた。
「下にいる人に当たりますよ」
「大丈夫、大丈夫」
にかっと笑って、先輩はズボンを穿いた。さすがにトランクスだけだと涼しいので、僕も服を着た。
「なぁ、お前はコレ読んで何を思った?」
「え、いや、人それぞれだなって思いました。あと、MさんとIさんの自殺の動機が入っていないのが気になりましたね」
「そうか」
スーツを着た先輩は今度はチェアに座って煙草をふかしている。
僕は先輩とテーブル越しのチェアに座って、缶コーヒーを飲んでいた。
「・・・・・・女の方は企業からの集中的なイジメ、男は不倫トラブルだそうだ」
先輩は唐突にそう言って、ふーっと大きく煙を吐いた。
「なんでそんなこと知ってるんですか」
「お前は下っ端だからな」
即答され、むっとした僕はコーヒーを一気に飲み干した。
「怒るな怒るな」へへっと先輩は笑う。
「どーせ僕は下っ端ですよ」
「冗談に決まってるだろ」
煙草を灰皿にぐりぐりと押し付けて火を消す。
「・・・でも、Mさんは企業から集中的に虐められていたんですよね。誰か一人くらい反対したり、助けようとした人はいなかったんですかね?」
「いるわけないだろ。企業がぶっ潰れたら自分がメシ食えなくなるんだから」
「・・・企業が潰れる?」
「そうだ。その企業はな、北あたりに兵器に転用できる商品を輸出していたんだ。でもって、政府はその情報をがっちり掴んでいてな。こうなったらシッポをつかまれたも同然。企業が生き残るには政府の言いなりになるしかないよな。反対したら根っこから消されちまうし。政府も政府で汚ねぇことするよな。息殺しってヤツか?」
「・・・・・・ふーん。じゃあ、何で企業は彼女を標的に?」
「社長がくじでも引いたんじゃないか?経営規模六〇〇〇人以上だ。社長自身、己がかわいいだろうし、社員全員の顔と名前は覚えきれないだろう。企業は自分を食いつなぐために生け贄をささげた。それが、彼女だ。
それから、あからさまなイジメが始まった。机は窓際に置かれ、給料は激減。書類にコーヒーやお茶がぶち撒かれ、更衣室のロッカーの中は無残な姿に。辞表を出してもつき返される一方だ。
彼氏もいて同棲していたらしいが、その彼の尻尾も掴まれていてな。政府は別れる事を許さなかったんだ。彼は政府の命令で彼女を泣く泣く折檻(せっかん)し、彼女は身も心も傷だらけになった。
彼女を監視していた政府は、ここぞとばかりに彼女に手紙を送った。内閣府の名でな」
「どんな内容で?」
「憲法と法律が改正になって、『死ぬ権利』が出来たってな。普通、憲法改正をするには議会を通過した後、国民投票で半数以上を超えなければならない。改正が決定した場合は王が国民の名前で発布し、その内容は新聞の官報に載る。個人や世帯宛てに通達することはあり得ない。だが、溺れる者は藁をも掴むってな。彼女は合法的に自殺が出来ることに魅力を感じたんだろう、すぐ政府に連絡をしたんだ。そして、その後の内容がログになるわけだ。
「・・・・・・そうだったんですか。でも、ログは自殺後見人の視点で書かれてたし、MさんとIさんの自殺の動機もはっきりしない気も―――」
先輩は三本目の煙草に火を点けて、
「じゃあお前、俺が今、何を、どんな風に思っているのか、詳しく説明できるか?」
と、僕の発言を掻き消した。
「・・・・・・そんなの、できないです。僕は先輩じゃありませんし」
「それがわかれば、動機がはっきりしない理由もわかるだろう」
「・・・・・・」
人の心の中は、その人だけが知っている。自分がその人の立場に立って、その人が考えそうな事を推測することはできても、それは推測でしかない。決してその人の本心ではない。ホームズや任三郎は、犯人と被害者の立場に的確に立って、文句のつけようの無い完璧な推理で事件を解決する。だがそれも、架空の存在でしか有り得ない。犯人と被害者の本心を知っているのは、筆者だけだ。
もし仮に、人の心を完全に見透かすことができるヒトがいたとする。そんなヒトは超能力者としか言い様が無い。でも、この世に超能力は存在しない。
結局、他人の心の中は不明のまま、決して知ることはできないのだ。
「でも、『死ぬ権利』ってのは・・・」
「聴いたことなくて当たり前だ。議会のジジイ共が極秘で進めている計画だからな。自殺人口を減らすために作るんだとさ。自殺するのに手間をかけることで、めんどくさくなってやめるだろうっていうガキの考えだ。バカだよなぁ。そんなことすりゃもっと自殺が増えるってのに」
「でも、お世話になった親に負担をかけさせないで葬式が開けたりするんだから、いいんじゃないですか?保険金目当てで自殺する人もいますしね。綺麗なカタチで生きることから逃げられるし。至れり尽せりだから、自殺する人は増えるんでしょうね」
「・・・・・・まだまだ、だな」
「え?」
「お前の考えは惜しいが、正解には遠いな。自殺する人の気持ちが分かってねェ。
自殺ってのはなぁ、その人の人生にとって最大で最高のショータイムなんだよ。世の中、苦労して生きていくのが嫌だから、死んでラクになるんだ。痛いのはイヤだから、確実にソッコーで死ねるやつが人気がある。飛び降り自殺とか、首吊りとかな。
車ン中で練炭焚くなんざ最高だろうな!ドア閉めきって、ガムテープで隙間塞いで、練炭に火ィつけて、睡眠薬をがっぽり飲めばいいだけだ。そして気がつきゃ死んでる。今時ガキでも出来るぞ。
そして転生を信じて、笑って死んでいく。次の人生が来るサイクルを、自ら早めるんだ。
・・・自殺には二種類あってな、『楽しい自殺』と『悲しい自殺』に分けられる。
今さっき話したヤツは『楽しい自殺』だな。じゃあ今度は『悲しい自殺』の話をしよう。
イジメとか、トラブルとか、ケンカとか。なんでも、他人との衝突によって派生するのが『悲しい自殺』だ。自分は相手に太刀打ち出来る力がない。それでも相手をギャフンと言わせたい。皆にイジメの恐怖をこの身をもって伝えたい。・・・・・・なんか、悲しみが伝わってくるだろ?
相手に自分の最悪な姿を見せることで、相手は自分を意識する。ある種の呪いだな。
ただ逃げるんだったら、引きこもればいい。周りに自分のことを知っていてほしいから、何があったのかを知らせたいから、誰かの心の中で生きていたいから、自殺をするんだ。
決して他人のためでなく、己のために。
――――できるだけ目立つ方法でな」
「・・・・・・・・・」
僕は先輩に返せる言葉が見つからなかった。僕が自殺に関してこんなに深く考えたことがないからだろう。このまま沈黙が続くのも嫌だったから、思いつきでこんなことしか言えなかった。
「・・・じゃあ、Iさんのトラブルの引き金は?」
「それは比較的簡単だったらしい。
Iさんは地元の有力企業の幹部でな。さっきと同じく何らかの形で政府に尻尾を掴まれていたんだ。やっぱくじか何かで決めたんだろうな。
その後、Iさんは社長命令で長期の出張って名義で単身赴任させられる。当然、Iさんは真実を知らないままでな」
「ふぅん」
「ある晩、彼が仮住まいの賃貸マンションに向かっていると、通りかかった公園で悲鳴がきこえた。駆けつけてみると、三人の暴漢が若い女をレイプしようとしていたんだ。生来、正義感が強く、空手の錬士だったIさんは見事その暴漢を撃退。女を助けたんだ」
「もしかして、その女が・・・」
「そう。不倫トラブルの主犯だ。といっても、彼女は政府に雇われた風俗嬢でな。金額に目が眩んだ彼女は鵜呑みした。どっちかって言うと、政府が主犯になるな」
「政府もやりたい放題だな」
「そりゃあ一億三千万人もいるうちのたった一人を切り捨てるなんざ、実際痛くねぇしな」
先輩は灰を落として言った。
「あとは流れで分かるだろ」
「・・・その女がIさんに意図的に近づいて、主張中は現地妻のように彼と生活をした。若い女は当然のように性行為を求め、彼もそれをした。数日たって女が妊娠したとわかったら、正義感の強い彼は極度に取り乱すはず・・・」
「正解だ。彼は妻子持ちでな、生活に不自由なに一つ無かった。そんな時に別の女と不倫関係になり、おまけに子供まで出来たなんて話がバレたら一大事だろうな」
「で、そこに政府の手紙ですか」
「そうだ」
「・・・あっ。でも彼は自殺しきれなかったじゃないですか。そうなると、やっぱり彼はそんなに取り乱してなかったんじゃ・・・」
「ぶっぶー、はずれ。実はな、Iさんはそのあと予想もつかないことをしたんだ」
「?」
「彼はな、企業を脱走したんだ。辞表を出しても辞めさせてくれないから、どこかに身を隠したんだ」
「なんだ、普通じゃないですか」
「話を最後まで聞けよ。でな、半月くらい過ぎた辺りに、Iさんから不倫の女に電話があったんだ。『住んでいたマンションに来てくれ』ってな。だが、政府にとって彼女は用済みだから監視の対象は無かったらしくて、政府自身はこのことを知らなかったらしい」
「で、Iさんと彼女は?逃げたんですか?」
「それならまだいい」
「??」
「Iさんはな、彼女をマンションに呼び出して・・・・・・・・・」
「呼び出して・・・・・・・・・?」
「呼び出して・・・・・・、殺害したんだ。彼の手首を斬るはずだった包丁で、女の頭、首、胸、腹をメッタ刺しにしたんだ。鑑識のオッサンが『精神異常者の殺害に似ている』って言ったらしい」
なんで鑑識のおじさんの感想を知っているのかを疑問に思ったが、先輩に聞いてもロクな返事は返ってこないだろうと予想できる。僕はあえて質問しなかった。
「ちなみに、死体は樹海の中に捨ててあったそうだ。警察沙汰になってから政府は気がついたらしい」
「・・・ひどいっすね。死への執着が、殺意に変わるなんて・・・」
「その後Iさんは国外に逃亡。飛行機の乗客名簿に載ってなかったから、たぶん外国籍の貨物船にでも乗ったんだろう。今はブラジルのコーヒー農園で働いているんじゃないかな」
あからさまにクサイ情報とか地名が出てきたけど、やっぱり質問するのはやめておいた。
「・・・・・・人間、なにをするか分かりませんね」
僕はそう言って、空になったコーヒーの缶を窓の外に捨てた。
「おいおい、下の人に当たるだろ」
「大丈夫ですよ。タバコよりは」
テーブルの上に置いてあるタバコを手に取り、ジッポーで火をつける。
「タバコ、吸わないんじゃないのか?俺のタバコとジッポ―だし」
「いいじゃないですか」
むせて咳き込むのを我慢して、無理にふかす。
「無理すんなよ。ソレ、強いヤツだぞ」
「平気です・・・・・・・・・・・・・・・・・・ゴホっ」
「それみろ。だめだ、やめとけ」
「・・・・・・はい」
タバコの火は押しつけられて消えた。
「あの女も気になりますね」
「あの女?」
「自殺後見人ですよ。クールを貫いていたじゃないですか。ホトケさん見ても平然としてたし」
「あぁ」
先輩はなにか納得したように頷いた。
「彼女はな、生き残りなんだ。いや、無理矢理生かされているのかな」
「?」
「何年か前、自殺が急増した時期があったろ。中学生や高校生の」
「ありましたね」
「その時に、自殺に失敗した私立中学校の三年生の女の子がいてな。政府は報道関係や親、学校には死亡したと伝えておきながら、政府は女の子を生かし続けたんだ。救急車で運ばれたが、処置が間に合わず死亡ってウソの情報を流してまでな。
女の子は飛び降り自殺を図ったが、運悪く足から落ちてな。四肢はダメになったが、脳と脊髄は無傷だった。」
「でも、彼女は歩いてましたよ。撮影に腕の疲れを感じてたし」
「現代医療の最先端を行くこの国で、移植手術なんざ簡単だろ。筋肉繊維や神経細胞まで完璧に繋げるんだからな。ついでに顔も整形しちまえば、立派な他人に変身だ」
そう言って、おもむろに胸ポケットから写真の束を出す。
「カワイイっすね。いや、カワイイよりも美人寄りかな・・・彼女っすか?」
「こんな時に彼女の写真見せてどーすんだよ。それが自殺後見人だ」
「え!マジっすか?」素っ頓狂な声がでた。
「・・・・・・これ、どこをどうやって整形すればこんな美人になるんですか?」
「知らねぇよ。俺は医者じゃない」
「コドモって言うよか、完全にオトナですね」
写真には、白いワイシャツの上に黒いスーツを着た、OL風の女が写っていた。ショートボブの髪は健康的に見えるが、表情は完全な無(ム)。首の黒いチョーカーも気になった。
二枚目は、彼女の全体写真だった。上半身は一枚目と同じだが、スラリと伸びた長い足には黒いパンツ。一見すると完全にOLだが、漆黒に身を包んだ彼女は喪服を着ているようだ。
そして三枚目。それを見た僕は、絶句した。
彼女の一糸纏わぬ姿が写っていたのだ。二枚目と同じような全体写真でも、そこだけ違う。
しかし、エロは微塵も無い。逆に、痛々しい。
肋骨の下辺りからヘソにかけて、大きな縫い傷があった。手と足の付け根にも、あまりにも大袈裟な縫い傷が。そこから神経手術をしたと思われる。
やっぱり表情は、無だ。
その後の写真は、Mさんと思われるもの、Iさんと思われるものなど、十二枚。それらは自殺後見人が撮影したものから吸いだしたらしい。
Mさんは端整な顔立ちをした、カワイイ娘。ただ表情は暗く、悲しい。服装は仕事用だろうか。OLスーツにタイトなスカートだった。
Iさんは、チョイ悪シブ目のオジサン。ビシッと決めたスーツが似合っている。眼光は鋭く、幹部としてのオーラが漂っている。
「・・・・・・どっから持ってきたんですか」
「お前は下っ端だからなぁ」
「またそれですか!」
「・・・じゃあ、生かされているってのは?」
「精神安定のナノマシンを体中に入れたんだろう。心臓も永遠に動けるし、病原体も死滅させられる。自殺しようにも、ナノマシンでコントロールすれば強制的にストップがかかる。彼女は死を奪われたんだ」
「・・・・・・なんで彼女が、」
「『運命付けられた少女』って感じが議会にとって響きが良かったからだろう。なんか、映画や小説にありそうな設定だろ?バカな政治家共にとっての萌えの象徴だ。
そして、機械の体を持った少女は政府の汚れ役になった。逆らおうにも、ナノマシンで操作しちまえばいいしな」
「・・・そんな単純な理由で・・・」
「まぁ、人間機械って感じだ」
「・・・・・・機械人間じゃなくて?」
「人間機械だ」
「そこ、こだわるんスね・・・・・・」
先輩はタバコの火を灰皿でもみ消した。
「さて、俺たちも」
「死にますか」
そして二人で、窓の下を見る。
下には裸の女の転落死の現場がある。道路や壁に真っ黒な血がじんわりと滲(にじ)んでいる。
「あちゃ。タバコが髪を焼いちゃってるわ」
「ほら先輩、言わんこっちゃない」
皮肉を言った僕に先輩はヘッドロックをかます。
「いたた!いたいですよ!」
「うるせーなー、我が弟よ」
ヘッドロックから逃れた僕はすかさずツッコむ。
「僕は先輩と兄弟になった覚えはありませんよ!」
「バーカ。3Pした男同士はな、もう兄弟の関係なんだよ」
「わけわかんないですよ!」
そう。僕たちは罪を犯した。
仕事をサボってぶらぶらしていた先輩と僕は、先輩の『ムラムラする』の一言で行動を起こした。
先輩は用意周到で、ポケットの中にビニール袋に入ったハンカチを持っていた。そのハンカチは、クロロホルムで浸してあった。
僕は繁華街を歩いていたカワイイ系の女子高生に声をかけ、先輩は彼女の後ろからハンカチを押し付けた。
そしてこのホテルに連れ込み、目を覚ました彼女に陵辱の限りを尽くした。
見た目よりプライドの強かった彼女は隙をついて僕達から逃れ、窓から飛び降りた。ホテルは雑居ビルの中にある細い造りで、僕達は5階にいた。
当然、彼女は死んだ。
脳漿を撒き散らし、首はおかしな方向に曲がり、破裂した腹から出た内臓のトロっとした部分が辺りに飛び散っている。
まるで、落としたトマトだ。
「兄さん、死んだら僕達、なんになるんでしょうね」
「さあな、わからん。でも、次も一緒になれるといいな、弟よ」
そんなことを言って、僕達は屋上からダイブした。
罪を償うために、暗いところでクサイ飯を喰らって無駄な時間を生きるより、別の人生をいち早く楽しみたい。
それは、リセットボタンを押すような、簡単すぎる選択。
今日は全国で1328人が自殺した。
理由は様々。イジメ、隣人トラブル、不倫、恋愛トラブル、罰ゲーム、疲れ、現実逃避。
世の中は腐った。
もう、自殺で涙する人はいない。
―了―
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東側に位置する「ある国」で、新しい人権が成立した。 通称、『自殺法』。 自殺が人権となった時、あなたならどうする…? |
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