先輩の苦難と後輩の鈍感 |
夏休みのある日、僕は旧校舎の一階にある部室に来ていた。
部室は僕が両手を広げてもまだ余裕がある程度に広く、長机が一つとパイプ椅子が数脚置かれている。部員が二名の部活には広すぎるくらいだ。
適当に選んだパイプ椅子に座り、長机に肘をつく。
なぜ夏休みという期間に僕が部室に居るのか。そんな疑問が浮かんできたが、すぐさま思い直すことにした。理由なんて分かりきっていたからだ。
溜息を吐き、肩を落とす。そもそも、この部に入ったことが間違いだったのでなかろうか。いや、この高校に入ったことが……。
鬱々とした思考が頭を駆け巡り始めたところで、部室の扉が開いた。そして、現れたのは制服を着た女性であった。
「なんだ、もう来てたのか」
意外そうに女性は言って、僕の隣にあるパイプ椅子に座った。
この人こそ、ボランティア部の部長、四之宮沙希さんである。
半分ほど閉じられた眠たげな眼。クセの強い長い髪。だらしなく着崩された制服。そこから見える豊満な胸。顔立ちはきれいで整っている。
「それで? 今日はどうしたのだ?」
「沙希さんが僕を呼んだんでしょう」
「ん、そうだっけ?」
首を傾げて、笑みをつくる。相変わらず掴み所が分からない人だ。
僕が今日部室に来た理由。それは沙希さんに電話で呼ばれたからだ。
今日は部活の日だから。沙希さんはそれだけを言って通話をやめた。仕方なく出かける用意をして、僕は暑いなか部室へと足を運んだのである。
「それで、今日はなにをするんですか?」
「特に決めてないけど」
「帰りますね」
僕はさっさと出入り口に向かう。帰って課題でもしよう。
「まあ待ちなよ後輩。ちょっとした冗談じゃないか」
僕の肩を掴み、沙希さんは言った。見た目に似合わず握力が強い。
「今日はさ、君に付き合ってほしいことがあるのだよ」
「……またですか」
こんなことは前にもあった。その時はたしかしゃちほこが欲しいとか言って、僕は町中の店で探すことになったことを覚えている。
そうえば今日は花火大会らしい。きっとそれ関係だ。そうに違いない。
だが沙希さんは、僕の予測とは少し毛色の違う頼みを口にした。
「今日の夜にさ、流れ星が見れるらしいのだ。だから、ちょっと付き合ってくれ」
なぜだが僕は、その頼みを断らなかった。
夕方。相変わらず僕は部室に居た。
変わったことと言えば、長机の上に沙希さんが買ってきた飲み物とお菓子、それと床に敷かれた寝袋が二つあるくらいだ。
額から汗が流れた。制服のボタンをはずし、胸元から風を送る。
窓から夕暮れの日差しが入り込み、朝以上に部室の気温は上がっている。
「暇だな」
一言呟き、大きくあくびをする。沙希さんはトイレに行って、部室には僕一人だけになっていた。
沙希さんが言うには、今日は部室に泊り込みらしい。理由はなぜだか話してくれなかった。
沙希さんは時々よく分からないことをする。今回のように二人で泊り込んだりすることも、たびたびあった。まあ断る理由もないし、別にいいとは思うのだが。
あれこれ思考をしていると、部室の扉が開き沙希さんが帰ってきた。いつも通り、僕の隣にあるパイプ椅子に座る。
一連の動作を見て、ふと気になり訊いてみた。
「そうえば、何で僕の隣に毎回座るんですか?」
「……特に理由なんてないさ」
表情も変えずに沙希さんは言う。頬が少し赤いのは、暑いからだろう。
「そうですか」
「ああ、そうさ。理由なんてない。ない」
沙希さんは反復するようにそう言って、立ち上がる。何事だろうか。
「さて、屋上へ行くぞ。後輩」
「流れ星を見るには、まだ早いと思いますよ」
「違う。先生が見回りに来る時間だ」
「……あ、はい。そういうことですか」
僕は床にある寝袋二つを、長机の下に隠す。沙希さんは、菓子と飲み物を袋に詰めた。学校に無断で宿泊するのは、これで三度目だ。さすがに慣れてしまった。
部室を出て、屋上へ向かう。廊下も部室と変わらず暑い。
階段を上がりきり、屋上の扉の鍵を開ける。ちなみに、屋上の鍵は沙希さんが持っていた。他にも、学校の鍵は多数持っているらしい。
扉を開き、屋上に入る。風が吹き抜けて涼しい。夜は冷え込みそうだが。
「それじゃ、私は寝るから。夜になったら起こしてくれ」
「風邪ひきますよ」
「君が看病してくれるだろ?」
沙希さんは適当な所に寝転がり、本当に寝始めてしまった。……僕も寝てしまおうか。
寝転がっている沙希さんに近づき、顔を覗き込んでみる。いつもは半分だけ閉じている目が、全部閉じていた。この人には貞操という概念がないのだろうか……。
「僕じゃなかったら、きっと襲われてるよな」
一言、思ったことを口にした。一瞬、沙希さんの体が動いたような気がしたが、たぶん気のせいだな。
沙希さんから少し離れ、僕もコンクリートの床に寝転んだ。背中にかなりの熱気を感じる。――沙希さんはどうしてこの状態で寝れるんだ。
すぐさま飛び起きて、背中をさする。
結局、僕は夜になるまで暇な時間を過ごした。
夜。屋上ですばらしい光景が目に映った。
夜空に散りばめられた星が、どんどんと流れる。流星群なんて、生まれてから初めて見るものだ。
「きれいだな。後輩」
「ええ。そうですね」
「……ここは女性を褒める言葉を言うべきだ」
不満そうな顔で沙希さんは言う。無茶振りをしないでほしい。
「あ、えっと、沙希さんの方がきれいですよ」
「うん。それで良い」
沙希さんは笑みをこぼしながら、僕に言った。そして、夜空を見上げる。
僕も釣られて空を見る。夜空には、流れ星が延々と降り注いでいる。
「後輩よ。私が君と出会った時を、覚えているか?」
夜空を見ながらなので、沙希さんの表情は分からない。
「……その話。僕と沙希さんがどこかに泊まるたびにしてません?」
「そうだっけ……?」
「そうですよ」
このやりとりも何度もしている。冗談みたいなものだろうけど。
「その……、なんだ。後輩は、私のことをどう思ってる?」
途切れ途切れに沙希さんは訊いてくる。僕は夜空を見るのをやめない。
「先輩。もしくは部長ですかね」
「いや、そういうことではなくてだな……。あー、もういいや」
「どうしたんですか?」
「なんでもないさ」
今日の沙希さんは様子がおかしい。なにやら煮え切らない感じだ。
首がかなり疲れてきた。思えば、長い間上を向いていた。
僕は沙希さんの方に向き直り、提案する。
「沙希さん、そろそろ部室に戻りません?」
「まあ待て。流れ星といえば願い事だろう」
「……そうですか」
沙希さんは目を閉じ、なにか呟いている。たぶん、願い事を三回言っているんだと思う。
僕もそれにならい、願い事を呟く。
少し経ってから、沙希さんに訊いてみた。
「願い事、なににしたんです?」
「ま、まあ別にいいではないか。それより、後輩はどうなのだ?」
慌てたように、僕に訊き返す。なにやら顔が赤いが、暑いのだろうか。
「僕ですか。僕は」
そこで、少し区切る。言うのが少しためらわれたからだ。
「――こんな日常が、続きますように。ですよ」
恥ずかしい。とてつもなく。きっと、今の僕は赤面していることだろう。 暑いからとかではなく、羞恥心で。
「そう、か。君は、このままがいいのか……」
沙希さんはうつむき、そう呟いた。さらに言葉を続ける。
「私は、その……、このままではなく。君と!」
その言葉を遮るように、夜空に爆音とともに大きな花火が上がった。
そうえば今日は花火大会だっけ。
花火の光で、流れ星が見えなくなる。これでは、しばらく星を見ることはできないだろう。
「どうします、沙希さん?」
「……ああ。もう、どうでもいい」
「どうしたんですか……?」
見れば沙希さんは、えらく疲れているようだった。急になげやりになっている。花火が嫌いなのかもしれない。
その後、僕と沙希さんは部室に戻った。沙希さんのやさぐれた姿が、とても印象的だった。
深夜。部室。僕と沙希さんは寝袋にくるまっていた。
月明かりが窓から入ってきて、部室は薄暗い。だが、寝付けないほどではなかった。
隣にある寝袋から寝息が聞こえてくる。沙希さんはもう寝ているようだ。
「昼間に寝てたのにな」
呟く。最近独り言が多い。きっと歳のせいだ。まだ高一だけど。
少し、思うことがあった。沙希さんはなぜ、出会った時の話をしようとするのだろうか。
……まあ、やっぱり冗談だよな。適当に答えをだして、思考を止めた。
気になりついでに思い出す。沙希さんと出会ったときのことを。
高校に入学したての頃。僕はある噂を聞いた。
『旧校舎の一階にあるどこかの部屋に、夜になると女性の幽霊がでるらしい』
そんなありきたりな噂を、僕は興味本位で確かめに行った。
夜。旧校舎に忍び込み、一階の部屋を手当たりしだいに調べた。そしてある部屋、つまりはボランティア部の部室でその幽霊を見つけた。
月明かりに照らされてたたずむ彼女は、とても幻想的で、きれいだった。
「誰だ君は?」
幽霊にそう尋ねられた。ここから、僕の記憶はあいまいになる。
何か会話をした覚えはあるのだが、そこから先は見ほれていたせいもあってか、細かい部分は覚えていない。
この次の日から僕は、ボランティア部に入ることになる。そこから先は思い出さなくてもいいだろう。
……僕は沙希さんに何と言ったのだろう。明日訊いてみよう。
そう思い、僕は目を閉じた。
翌朝。目が覚めると沙希さんの顔があった。
「……何をしてんですか?」
沙希さんは四つん這いになり、僕に覆いかぶさるような体勢だ。
「えっとその、よば、よば……」
「よば?」
「――っ、女に言わせるなぁ!」
寝起きの頭に怒鳴り声はきつかった。沙希さんはなんと言おうとしたのだろうか。
少し経ってから、僕は出会った時のこと訊くことにした。
「沙希さん。初めて出会ったときのことですけど」
「……なんだ?」
「僕って、どんなこと言いましたっけ?」
「な! 覚えてないのか!」
椅子から立ち上がり、沙希さんは怒鳴る。今日は怒鳴られる日なのか。
沙希さんは「すまない」と言って、椅子に座りなおす。
「えっとだな、君はあの時。私に対して、きれいだとか、すてきだとか。まあともかく、私を褒めたのだ」
「ああ、そうなんですか」
あの時の沙希さんは、幻想の存在みたいだったからな。それに、幽霊だと思っていたし。
「まあ、後輩に反応を期待しただけ無駄か……」
沙希さんは、肩を落として溜息をついた。ついでに、気になっていたことを訊いてみる。
「そうえば、僕のことどうして『後輩』って呼ぶんです?」
「それを訊くのか……」
「いや、さっきからどうしたんですか?」
「今日の君は質問多いな」
なぜだか赤面している沙希さんは、呆れがちに言った。
「答えたくないなら、別にいいですよ」
「……いや、言う。今回こそ君に」
まるで覚悟を決めるかのように、そう呟く。
「恥ずかしいからだ」
「……なにがですか?」
「き、君の名前を呼ぶのがだ」
なぜ僕の名前を呼ぶのが恥ずかしいのだろうか。別に僕の名前は普通はずだけど。
「どうしてです?」
「だからな、私は君のことが――」
沙希さんの言葉を遮るように、部室の扉が開いた。
「おっーい。いるか?」
入ってきたのは、僕の友達の一人だった。
ふと、沙希さんを見る。うつむいて、なぜだか震えていた。そして
「なんで私に、邪魔ばかり入るのだぁ!」
そう叫んで、部室の扉から出て行った。友人もきょとんとしている。
「俺、なんか悪かったか?」
友人が僕に尋ねる。僕はそれに答えた。
「たぶん。間が悪かったんだよ」
友人は相変わらず、呆けている。僕は苦笑しつつ思った。
この日々は、まだまだ続きそうだ。
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