はじめ、鴉になる。
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ひとまず、誰かを呼ぶべきだ。

目の前に倒れる黒ずくめの男を見下ろし、そう、冷静に判断すると斎藤一は口を開いた。

カァー……カァー……

誰も来ない。

弱った、と真っ黒い口――否、嘴を閉じて首をかくかくと捻った斎藤はもう一度、と嘴を開く。今度はもう少し煩くしてみよう。そうすれば異変に気付いた者が駆けつけるやもしれぬ。そう考えた斎藤は今度は鳴きながらバサバサと翼を動かしてみた。加減が分からず飛んでしまった結果、頭から障子に突っ込んでしまったが障子から首だけをにょっきり出している斎藤を偶然目撃した藤堂が驚いたような顔をしてから走り寄ってきた。斎藤が突っ込んでいるのにも構わず藤堂が勢いよく障子を開けようとしたその直前で頭を抜き、障子から離れる。直後にスパァンと斎藤が首を突っ込んでいたところを横から殴るようにもう一枚嵌められていた障子が横に動いた。危ないところだった、と安堵する斎藤を他所に部屋に駆け込んだ藤堂があっ、と声を上げた。

「一君?!」

藤堂が部屋の中で倒れている男に駆け寄るのを見た斎藤はよし、と安心したように頷くとひょこひょこと入口に向かって足を進める。縁側が途切れているところまで来ると決心するように一つ頷き、大きく翼を開く。よろよろと頼りない軌道を描き、障害物にぶつかりそうになりながらも斎藤はなんとか羽ばたき、屯所の屋根に着地した。体ごと振り返ると藤堂が山崎を呼んでいるところだった。

これで一安心だな、と心中で呟いた斎藤はその冷静さが現実逃避からくるものだとは気付いていなかった。

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その日、斎藤はいつも通りに目を覚まし、朝食を摂り、隊務に励み、昼食を摂ったところだった。これから夕食まで特に予定はない。どれ、刀でも見に行くかと支度し、部屋を出ようと障子を開けたところで額に衝撃を受けた。

気がつけば斎藤は見知らぬ場所にいた。大きな干し草を規則正しく敷き詰めたような床に天まで届くのではないかと思うような高い天井、がっしりとした柱を持つが壁はない小屋のような物。硝子が何枚も嵌められているらしい壁からは外からの光が眩しいほどに差し込んでいる。ふと、斎藤は自分の身の丈と同じような高さの黒い物が置かれているのに気付いた。見れば黒くて大きな布に包まれているらしいそれは歪な形をしているようだった。辺りの気配を窺い、近くに怪しい気配がないことを確かめた斎藤はその大きな黒い物の周りをそろりそろりと歩いてみた。半周ほどしたところでこれもまた大きな白い布が黒い物に被さっているのが分かった。そこからまた少し進んだところで再び白い布に出会い、その少し先で違和感を覚えた斎藤は黒い物と少し距離を取り、目を見開く。

俺の顔……?

そう、無意識に呟いたのだがその声は斎藤の予想に反し、カァ、と甲高く聞き慣れない音をしていた。ハッとして自分の姿を見てみるとまず目に入ったのは黒い腹。手を動かそうとするとばさりと鳥が羽ばたくような音が聞こえ、首を後ろに向けてみると黒い翼が開いていた。

そういえば意識がなくなる前に黒い物がぶつかってはこなかっただろうか。丁度目の前の――この大きな塊が斎藤一の体だとすると今の自分くらいの大きさの黒い物。

これは、夢だ。夢に違いない。

そう確信した斎藤は夢を終わらせるべく、壁に近づくと力一杯頭をぶつけた。意識が遠くなる感覚にこれで目が覚めるはずだ、と目を瞑った斎藤だったが次に意識を取り戻したときもはやり状況は変わっていなかった。

夢ではないと考えた斎藤は次に自分の荷物から石田散薬を引きずり出した。このような幻覚もこの石田散薬の前には消え失せるであろう。きらりと光った瞳からは石田散薬に対する信頼が読み取れる。熱燗が飲めないという事実の前に屈しかけた斎藤であったが熱燗無しでも何らかの効果は得られるに違いないと石田散薬のみを四苦八苦しながら口に含んだ。

それからまた目を覚ました斎藤は現実を直視し、項垂れた。やはり熱燗がなければならぬのか。正しい手順を踏まずに望んだ効果を得られるはずがないではないか、そう自分を責めた斎藤は石田散薬を口に含むと勝手場を目指した。短い足では異様に長い道のりであったがなんとか勝手場に辿り着いた斎藤は都合のいいことに永倉辺りが丁度温めていたのだろう熱燗を発見した。少し頂く、許せ新八、などと思いながら口に含む。薄れていく意識に斎藤は成功を確信した。

 

意識を取り戻した直後から必死でもがいた結果、土の中から這い出すことに成功した斎藤は現実を直視せざるを得なくなった。体を振るい土を払うと現在位置を把握する。屯所の裏だと察した斎藤はそこから最短距離で部屋に戻る方法を考えた。自分の体は恐らく何ともないだろうが瘤などができている可能性もある。放置しない方が良いだろうと今更のように考えた斎藤は駆け足で屯所を走り抜けた。

そして藤堂に自分の状態を伝えることに成功し、今に至る。

 

 

さて、まずどうするべきか。異常事態が起こった場合、常ならば迷わず副長に報告し指示を仰ぐのだが如何せん、今の自分は鴉である。副長とて流石に鴉と会話するのは無理だろう。だが副長に俺が斎藤一であることを理解してもらうことはできるはずだ。

本人としては当然の、周囲から見れば重すぎる、信仰と言ってしまえそうな忠義に対して突っ込む者はいない。名案だとばかりに頷いた斎藤は副長室へ急行した。結果は火を見るよりも明らかである。

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翌朝、斎藤の部屋の真上には一羽の鴉が心なしふらふらしながら立っていた。屋根の下からは斎藤の容態がどうのという声が聞こえてくる。苦渋に満ちた声で土方が指示を出している。今すぐにでも部屋の中に飛び込み無事を伝えたいがきっと誰にも通じないだろう、ともはや自分が斎藤一であると伝えることを諦めきった斎藤が俯く。その雰囲気がどう伝わったのか、鴉たちが斎藤を囲む。近寄るな、と言おうとしたが漏れるのは鴉の鳴き声ばかり。このようなときに俺は一体なにをしているのだ、と自分に対する怒りや不甲斐なさに支配されてしまいそうだった。

通りがかった永倉が、悪戯をしに忍び込んだとしか思えない沖田が、心配そうに井上が、怒り狂った顔で土方が、……と、次々に部屋を訪れる面々が何かしら落胆したような、心配するような顔で出て行く。人通りが無くなった時を見計らって部屋に入れば斎藤一の体が横たわっていた。規則正しく上下する胸を見れば命に別状はないのだろうと思うが表情からは何も読み取れない。怪我をしているわけでも、病を抱えているわけでもないというのに思うように動けないというこのもどかしさ。早く目覚めろ斎藤一、と自分の顔を軽く突いていると地響きと共に何かが近づいてくる気配がした。敵意は感じないので敵ではないだろうと思っているとすっと障子が開いた。見上げれば平助が驚いたような顔で立っていた。どうしたのだ、と声をかけようとしてその目に負の感情が籠もっているのに気付く。

「一君に近づくんじゃねえ!」

一体どういう意味だ、と思いかけてはたと気付く。今の自分は斎藤一ではなく鴉なのだ。動かない俺に痺れを切らしたらしい平助は俺に当たりそうで当たらないところを狙って鞘ごと抜いた刀を振るう。私闘は御法度、という言葉に何の意味もないことは分かっている。俺は慌てて部屋から飛び出すと逃げるように空へと飛び上がった。

鴉は屍肉を突く鳥。山の使いともされるが縁起の良くない鳥でもある。そんな鳥が意識不明になっている者の傍にいれば追い払おうとするのは当然のこと、そう頭では納得できてもやはり仲間に刀で追い払われるというのはいい気分ではない。襖が勢いよく閉められた音を聞きながら俺は屋根へと着地した。

 

夜になり、辺りが寝静まると俺は自分の部屋へとやってきた。空腹で倒れそうだったが石田散薬を飲めば何とかなるに違いない。他の鴉がしているように残飯を漁るなどということはできそうもなく、勝手場も見てみたがそのまま食べられそうな物が見つからなかった。そもそも鴉が残飯以外にどういったものを食すのかが分からない以上、迂闊に口に入れ、この体が使えなくなることは避けたかった。もしもこのままずっと鴉として生きることになるのならばこの体も気をつけて扱わなければならないからだ。たとえ鴉になったとしても俺は新選組の隊士、この身でもできることはあるはずだ。人間の体の方は仲間に任せ、早速昼間に街に出た俺は過激派浪士が良からぬことを話しているところに出くわし、巡察に出ていた平助から髪を結っていた紐を奪うと平助をそちらに誘導した。風に乗れば何処にでも行けるこの体、人間の警戒を誘わない姿、あとは素早く意図を伝える口さえあれば完璧だと思えるほど、この体は密偵に向いていた。

行李の中から石田散薬を取り出すが中身は一回分より僅かに足りない。これではきっと望んだ効果が得られないに違いないと落胆しながら屋根へと上がる。飛ぶのに慣れたのは喜ぶべきなのか嘆くべきなのか。そう思いながら静かに息を吸う。静かだ。鴉になって分かったことだが、鳥というのは存外目が良い生き物らしい。今日は早めに隊務を切り上げられたらしい副長の部屋からも灯りが消えて早二刻ほど。屯所の中は昼間の喧噪が嘘のように静かだ。目を閉じていると急激な眠気に襲われる。鴉も眠くなるのだな、と当たり前のことを思いながら眠気に身を任せようとしているとがさりと小さな音が聞こえた。重い瞼を開け、辺りを見回すと塀の傍に怪しげな影があった。月明かりを避けるように身を隠している様はどう見ても怪しい。人影は足音もなく屯所に侵入した。行く先は局長や副長の部屋がある辺り、と判断した俺は即座に飛び上がり、人影へ向けて突進した。気付いたのだろう、人影が心の臓を狙うように短刀を振るう。急旋回し、距離を取る。少し斬られた感覚があるがこの程度ならば問題ないだろう。体勢を立て直しながら、自分の力のみでなんとかするのは困難と判断した俺は嘴を大きく開いた。

静かな屯所に決して美しいとは言えない鳴き声が響く。

動いた――副長の気配が変わるのを感知した俺はなおも鳴き声を上げながら飛ぶ。訝しそうな目を襖の間から覗かせた副長を襲うように白刃が煌めく。刺客は完全に気配を絶っている。間に合わない、そう判断するより早く体が動いた。

 

聞き慣れない声で断末魔が上がる。騒ぎを聞きつけてきたらしい平助や新八の声も聞こえた。熱い体に光が当てられ、さらに熱くなるようだった。

「鴉……か?」

訝しそうな副長の声が聞こえる。ご無事なのだ、と安心していると平助が顔を覗き込むように俺を見た。

「お前、もしかして昼間のやつ……じゃないよな、まさか。」

そんなわけないない、と馬鹿なことを言ってしまったという風に平助が否定を重ねていると新八がどういうことだ、と聞いているのが聞こえた。平助が記憶の中を探るように話し出す。巡察の途中で鴉に髪紐を盗まれたこと、鴉を追っていると不逞浪士が良からぬ相談をしているところに出くわしたところ、そこからさらに思い出したように屯所で鴉を二回見かけたと続けた。

「鴉に助けられてるみてえな話だな。」

腑に落ちなさそうな声で新八が言う。

「少なくとも俺が何ともなかったのはこいつあってのことだ。助かったぜ、どこのどいつかは知らねえ鴉。」

浮遊感がすると思うとどうやら副長が俺を抱え上げてくださっているようだった。汚れてしまいます、と言おうとしたが漏れたのは弱々しい鴉の鳴き声だけだった。

「てめえのことは俺が責任持って供養してやるから安心して逝け。」

どこか優しい声が響くのが一枚壁を隔てた向こうから聞こえるような感覚がした。

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明るい、見慣れた、しかしどこか懐かしいような景色。ここは一体、と体を起こしてから気付く。俺は今、仰向けに寝ていたのではないか、と。慌てて見下ろすとそこには人間の体があった。五本の指が付いた二つの手、布団を捲れば出てくるのは寝間着に包まれた二本の足。

「戻ったのか。」

いや、夢の中の出来事だったのかもしれない。そう思いながら着替えて部屋を出る。とたとたと軽い足音が前方から聞こえる。曲がり角を曲がってきた平助があ、と口を開いた。喜色満面といった様子で一君、と俺の名を呼びながら近づいてきた平助を見、どうやらあれは夢ではなかったらしいと確信する。俺が意識不明になっている間にこんなことがあった、あんなことがあった、と語って聞かせた平助は最後にこれは一君に教えなきゃって思ってたことがあるんだ、となにか企むような顔で言った。

 

 

 

 

その夜、俺はかれこれ二日ほど餌をやっていない猫の元を訪れた。

「お前は信じるか?俺は鴉になっていたのだ。」

盛り土され、副長の字で鴉の墓と書かれている小さな板が刺さった墓。お前が俺に激突しなければ副長をお守りすることは敵わなかったかも知れぬ、そう思いながら手を合わせた俺をおかしそうに見る副長は同じ目で墓を見つめていた。

「あの鴉には悪いことをした。」

きっと俺にぶつかりさえしなければあそこで死ぬことはなかったろうに。

 

餌を与え終わり、束の間の相手ということで構っていると猫が突然身を乗り出した。ごっ、と鈍い音と共に視界が暗転した。

説明
タイトルそのまま。ツイッター仲間のサユちゃんが「カラスは石投げてくる」といったのでこうなりました(実話) ツッコミは自前で用意してください。 ※入れ替わり系 not夢オチ
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薄桜鬼 斎藤一 

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