【放浪息子】青い鳥のゆくえ
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元々彼とは分かりあえなかったと思う。だから理解する気も、そもそも話し合うと言う選択肢すらなかったわけで、何故彼が偶然同じクラス―それも最悪なことに前の席―になっただけで普通に話しかけてきたのか、二鳥にはまったく理解が出来なかった。実際彼を見ていると何を考えているのか分からないことばかりで、表情から読み取ることさえ難しい。思えば小学校の頃から彼はあまり表情を変えるような人種では無かった。それは自分も同じだと思ったけれど、仲の良い友人たちの前では表情に出しているつもりだし何より彼は周囲に仲間も多い。けれどそれは自分の思う友人関係とは違う気がした。

授業中に前を向いたままの彼の背中を見つめる。退屈な授業だとたまに振り返ってきたりもするのに、今日はそれがない。

(ああ、そういえば)

彼の傷付いた顔を見たのは初めてだったかもしれない。何かとちょっかいを出してきていた休み時間も、今日は彼の顔を見なかった。彼を傷付けるつもりなどなかったと言ったところで、今は何の効果もないのだろうと思う。

(どこかで、同じように傷付けばいいと思っていた、)

日記を読まれた時のように。あれは事故だったと言うかのように、罪悪感のない顔をして傷付けられたらいいのにとどこかで思っていたのかもしれない。けれども二鳥の心の中に残ったのは彼の何も言えずに俯いた顔と少しの罪悪感だけだった。

黒板を走るチョークの音が響く。彼は授業の内容を聞いているのか、それとも他の事を考えているのか。

(もし、彼が何か言ってきたら教えるように言われたけど)

昨日偶然にも一緒にいてくれた親友に―この場合は親友でなければならない。いまだにどこかで片思いの、などと付け加えては話がややこしいことになるからだ―今朝教室に入る直前まで言われたことを思い出す。二鳥も今朝彼がやってきた時は何か言われるだろうと身構えていたのに、意外にも結局一度も目を合わせることも無かった。余計に彼が何を考えているのか分からなくなる。

(いっそ、言ってくれればいいのに)

そうすれば何かしらの反応もできるのに、と二鳥は机に頬杖をついた。授業の内容は頭に全く入ってこない。あとで誰かにノートを借りなければならないだろう。

「ここを…そうだな、土居、二鳥」

席順で当てられて、二鳥は思わず黒板を見上げた。問題がどれを示しているのかさえ分からずにそのまま困惑する。しかしその視界に急に彼の右手が入ってきた。

「すいませーん、聞いてなかったので分かりませーん」

いつもの抑揚のない口調だった。その堂々とした態度に教室が一気に笑いに包まれる。教師だけが眉間に皺を寄せたけれど、彼は大して気にもせず大げさにふざけた様子で「考え事しててぇ」などと付け加えたものだから教室はさらに賑やかになった。これでは隣の教室から苦情が来てしまうかもしれない。教師はもう良いと言い放って二人を指名していた問題の解説を始めたけれど、きっと彼は聞いていないのだろうと思った。

「なあ、放課後残ってろよ」

彼は振り向かずに素早くそう言った。多分相手は自分なのだろう。一瞬、友人たちに使えるべきなのか考えた。伝えた方が安全なのかもしれない。けれど二鳥の中の罪悪感はいつまでも気持ち悪く残ったままになる気がして、教科書に半分隠れるように小さく頷いた。

放課後を迎えた頃には夕暮れが迫っていた。昼間と違って二人しかいない教室には二つの影が長く伸びる。彼が言いたいことをいくつか予想していた。そのどれも答えるつもりでいたし、おそらく昨日言われたこととあまり変わらないだろうと思っていた。

「なあ、お前男とキスしたことある、」

けれども思っていた事と違って、二鳥は返答が遅れた。

「…ない、よ」

目を合わせることが出来なかった。そもそも彼が二鳥を見ようとしなかった。向かい合って立っているはずなのに二人の視線はそれぞれが違う方向を向いていて、固定されてしまっている。彼の影が二鳥の爪先に届いた。それで彼の考えていることが分かればいいのに。彼はそれ以上何も言わなかった。二鳥は口の中が渇いた感覚を覚える。彼が思い出したように「ふうん、」と言った時には随分と時間が経っていた気がした。

 

***

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教室で再び授業を受けられるようになるには長い時間を要してしまった。それは結局自分のせいだったから、その頃には彼を責める気も無くなっていたし、何よりも教室に戻ってくるように言ったのは彼だった。気付いてみれば自分の中で彼は一定の影響力を持っているようにもなっていたのかもしれない。少なくとも自分が欲しい時に欲しい言葉をくれたのは彼だったと認めたくはなかった。結局のところ彼がいい奴なのかどうか判断はつかない。きっと彼はそんなことすら考えているわけではないだろう。

(単に、自分が思ったことを言っているだけだ)

それがどう影響するのか分かっていない。ある意味自分よりも子供なのかもしれないのに、その彼に考えを読まれている気がして二鳥は慌てて打ち消した。だから小学校の頃も今も、彼は何が悪いのかを理解していない。

学園祭が終わった後の学校はまだ少し浮き足立った空気を残していて、来週から始まる試験の事を忘れたがっているようだった。肌寒くなった教室には劇で使った道具たちがまだ放置されていたけれど、それもしばらく経つといつの間にか教室から姿を消していた。

寄り道したいからと友人たちと別れていつもと違う方角に進む。親友の一人が一緒に行こうかと提案してくれたけれど二鳥はそれを断った。特に深い意味もなく一人で歩きたいのもあったのかもしれない。買い物を済ませた後もしばらく駅前を歩くつもりだった。

「え、」

不意に立ち止まったせいで後ろを歩いていたサラリーマンが避けそこなったのか僅かに肩をぶつけて通り過ぎて行った。けれども二鳥は見覚えのある姿を見かけた気がして半信半疑で人混みを掻き分けて進む。交差点で止まっている集団の一番前に出て、その先を見ると同じ制服を着た後姿があった。人の波に見失いそうになったところで信号が青に変わって二鳥は駆け足で追いかける。特徴ある明るい茶色の癖っ毛が歩くたびに僅かに揺れていた。携帯でも操作しているのか、やや俯いたまま器用に人の合間を抜いて路地へと入った。すぐに追い掛けたら見つかってしまうだろうかと思ったけれど二鳥が路地に入るよりも早く彼が立ち止まった。その先にいた人物と待ち合わせていたのか何かを話したかと思えばそのまま建物へと入っていく。しばらく待って、二人が出てこないのを見て二鳥は建物の前に立った。質素な建物の入り口に、看板とメニューを兼ねたパネルがはめ込まれていた。駅前ではよく見る建物だった。二鳥が呆然と立っていると、そこから出てきたカップルが驚いた顔をして慌てて立ち去って行った。

(ここに、入ったよね、)

彼と一緒に入ったのは二鳥の父親と同じくらいに見えた男性だった。知り合いなのか知る由もない。もしかしたら親戚か何かなのかもしれないと色々考えたけれど、二鳥はたまらず走りだした。人ごみでぶつかるたびに怪訝な顔をされたけれど構わなかった。ただ、少しでもあの場所から離れたいと思った。どこをどう走ったのか、気付けば知らない場所にいて、二鳥はゆっくりと歩きながら駅前に戻った。その頃には随分と時間が経っていて、歩きながら母親に遅くなるとメールを送る。見覚えのある通りに出て、二鳥は安堵の息を吐いた。左胸に手を当てなくても、まだ鼓動は早かった。きっと帰るまでには落ち着くだろう。電車が到着したのか、会社帰りの大人たちで埋められた通りをゆっくりと歩いた。

「何やってんの、お前」

急に呼び止められて二鳥は顔を上げる。彼の手には携帯が握られていて、二鳥がいるのを訝しむ様子もなく言った。思わず背筋が伸びる。あの建物から出てきたばかりなのだろうか、と頭の中を横切った。ようやく落ち着き掛けていた思考回路が再び熱くなる。

「え、と…買い物、して…そしたら、土居…くんが、その…見かけて」

余計なことを言ってしまったと思った時には遅かった。彼には今ではなく夕方に見かけたことがすぐ伝わってしまったのだろう。その細い釣り目がみるみる間に大きくなった。それは彼が傷付いた時に見せた顔に似ていた。

「どこから、見てたんだよ」

違う、と言いたいのに声にならなかった。何が違うのかもうまく説明できない。彼の目はまだ大きかったけれど声はいつもと同じだった。

「その、なにしてるんだろうと…思って」

彼の顔をまともに見れなかった。周囲から見たら普通に話しているようにしか見えないのだろう。けれど、二鳥にはいやな空気がそこに流れていた。

「じゃあ、何してたか分かってるんだ」

咄嗟に顔を上げたけれど答えられなかった。彼と目が合って、彼の口の端が笑うように引き攣った。二鳥の反応を肯定と取ったのだろうか。次の言葉を探すかのように周囲を見回した。

「…なあ、このあと時間ある、」

二鳥は近くに設置されていた時計を見た。遅くなるという連絡はしてあると言うと、彼は何も言わずに歩き出した。二鳥はそれを追いかけて、住宅街に入った辺りでそれが彼の家の方角だと悟った。彼が自分の家に来たことはあるが、自分が向かうことになるとは思わなかった。既に夕飯の時間を過ぎた頃に彼は自分の家の玄関を開けた。誰もいないのか、暗い玄関に彼が電気のスイッチを押して明かりが灯る。

「今日、誰もいねぇから」

乱雑に靴を脱いで、すぐに彼は自分の部屋に向かった。二鳥は戸惑うように家の中を見回しながら後に続く。彼は特に何も言おうとしなかった。別に二鳥は特に誰かに言うつもりも無ければ、彼を責めるつもりもない。まるで小学生の頃のままのように小物が散らばる部屋の片隅に彼は決められているかのように荷物を置いた。教科書類は学校に置いたままなのか、軽い音しかしない。その隣に同じように鞄を下ろすと、彼は自分のベッドの上に胡坐を掻いた。

「最初は小遣い稼ぎだったんだ、簡単に金くれるし」

深い考えはなかった。学校帰りに寄り道した時に声を掛けられて、応えてしまった。いつの間にか携帯で掲示板を見るようになった。同級生と遊ぶよりも楽だったと彼は淡々と言った。

「けどさ、お前が女の格好してきた話をしたんだ」

二鳥の背筋が思わず伸びる。彼はまるで思い出を語るかのように退屈そうに言った。そう古くはないことなのにと両手に力が籠る。

「そしたら、なんて言われたと思う…『やってることはお前の方が女の子みたいなのに』だってさ、笑っちゃうだろ」

その瞬間に彼がものすごい喪失感に駆られただろうと思った。彼はその時どんな顔をしたのだろうか。立ち竦んだままだった二鳥は彼に促されて床に座った。ベッドの上から降りた彼がその肩を強く押したせいで床に背中をぶつけた。天井の明りが眩しかったのは一瞬で、すぐに彼の顔がそれを遮った。何を、と言いたくてもそれよりも早く彼の手が二鳥のスラックスに触れてベルトを取った。学校指定のベルトは彼と同じだったせいか簡単に外されてしまう。

「わっ…な、なんで」

布越しに触れられて、二鳥の体が思わず震えた。馬乗りになった彼の体を押しのけようと両手で抵抗するが、顔が熱くなるのが分かった。見なくても彼の手の動きが分かる。けれども彼はやめる様子もなく、二鳥は両手で自分の顔を隠した。不意に彼の前で女装した時の事を思い出す。あの時髪に触れた手は、今度は布越しではなく直接二鳥自身に触れた。額から流れた汗が床に落ちる。彼は器用に二鳥を追い詰めてきて、思わず声を上げた。

「なんだ、やっぱり男じゃん」

彼は二鳥自身から離した手についている液体を見下ろすとつまらなそうに言った。何を期待していたのかと聞きたくなったが、それは叶わなかった。苦しくて肩で息をしたのがようやくおさまった頃に彼は二鳥の上から降りでベッドの上に戻る。随分情けない格好になっているのに気付いて慌てて起き上がる。ちょうど彼がその手を舌先で舐めるのが見えた。

「マズ…っ、ありえねえ」

舌先からこぼれた分が彼の口の端から顎までゆっくりと筋を作った。まるでスローモーションのようにそれを目で追う。もう一方の手でそれを拭おうとしたところで、二鳥はその手を掴んだ。

「…っ、おま」

彼の焦った声も止める理由にはならなかった。二鳥はその筋にゆっくり舌を這わせた。彼が絶句したように息を止めて、体が震える。彼自身に触れれば既に先ほどの自分のように固くなっていた。濡れたままの指先を咥えると苦い味が口の中に強烈に広がる。まるで力が抜けたかのようにそれまでまっすぐのびていた指が二鳥の口の中で曲げられて舌に触れる。

「そういうの…反則だろ…」

声が震えていて、二鳥は指から口を離すと自分がされたように彼の肩を押した。彼は驚いた顔をして簡単に倒れた。濡れたままだった手がシーツの上に落ちる。布の上から彼に触れれば、彼は固く眼を閉じた。彼は自分がどうなるか分かっているのに、自分がどうすればいいのか分からずにいるのが妙に可笑しかった。ぎこちない手で彼の服を脱がすと、彼はポスターを貼った壁を見ているようでその焦点は合っていなかった。直接触れるとすぐに彼は片手で口を覆った。その指の隙間から僅かに声が漏れる。二鳥は彼の手をそこから引き剥がした。彼の上ずった声が部屋の中に響いて、目尻に溜まっていた水滴がシーツに染みを作った。

 

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痛い、と言われて二鳥は慌てて彼の周囲を見回した。どこが、とは聞けるはずもなかった。昨夜も布団に包まって同じことを言われた気がする。教室で彼の声を聞いている者はいなかったらしく、二鳥はそっと胸を撫で下ろす。

「あんなことしたのに、お前の嫌いは訂正されないんだろ」

前の席で退屈そうに彼が言う。すでに教室は試験の話題でもちきりだったせいで二人に話しかけてくる者もいない。二鳥は教科書を読むふりをしながら、彼の様子を盗み見た。

「…土居、くんは」

「もう無理矢理『くん』つけ足すのやめろよ」

二鳥はしばらく黙った。時計を見るともうすぐ休み時間が終わりそうだった。幸い友人たちはそれぞれで忙しいらしくこちらに来る様子はない。今朝もいつも通り迎えに来た友人たちと一緒に登校したせいで、おそらく二鳥と彼の間の微妙な変化も―果たしてこれを微妙と言うべきなのかどうかはわからないが少なくとも何らかの変化があったことは事実だ―誰にも気付かれることはなかった。

「…土居ちゃん、」

「ふざけてんのかてめぇ」

彼は机に頭を乗せたまま二鳥を睨もうとするが、大した威力はない。二鳥は教科書に隠れて小さく笑った。

 

了  

 

説明
放浪息子:二鳥×土居 ■SCCで配布したものです
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放浪息子 土居 二鳥 

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