マガイモノ  3話
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 少女が立っていた。

 見覚えがある――片手で数えられる程度の対峙なので、見慣れたとは言わない。

 少女、と言ってもそれは世間一般での呼称であり、年は『彼』とそう大差ない。十七、八といったところか。天窓のない玄関は薄暗かったが、腰まである長い黒髪はつやつやと照り輝いて見える。学校の制服だろうか、白を基調としたブラウスにダークグリーンのプリーツスカートは、似合う似合わない以前にしっくりと着慣れた感がある。

 彼女の顔面に張り付いているのは、小動物が発する警戒。自分の無力さは知っていても、諦める事は知らない純粋な生存本能。

「あの……」

 おずおずと、少女。

 何を怯えているのか。囚人を恐れる看守などいるはずないというのに。

「お、おはようございます」

 媚びた笑みでも浮かべていれば腹の一つも立ったろう。むやみに謙る人間は好きではない。が、相変わらずの怯えた表情で頭を下げる様には、喜怒哀楽のどれも湧いてこなかった。強いて言えば呆れか。

「あぁ、えっと……」

 対応に困る――この場合、挨拶を返せばいいのだろうか。それはそれで間違っていない気もするが、あまり建設的な効果をもたらすとも思えなかった。

「……今、夜?」

 口に出してから、挨拶の方が己の間抜けを晒さぬ分だけまだマシだっただと舌打ちした。

「あ、はい……もう、深夜の2時になります」

 それっきり無言。均衡した場にお見合い状態で立ち尽くす。

 あからさまに視線を逸らしあう様は、場所と思考によっては恥らう恋人同士に見えたかもしれない。彼女にしてみればメデューサとでもお見合いしている気分なのだろうが。

 模範囚としては、ここは無害を示さんと早々に立ち去るべきだ。そう思い、階段を上ろうとすると。

「あ、あの…………」

 意外にも背中から声がかかった。

 振り返ると少女はさっとこちらから目をそらして、

「ご飯、お気に召しませんでしたたか……?」

 未知の痛みに胸が疼く。

 無視しても良かった。黙秘権くらいはあってもいいはずだ。

 そうしなかったのは――あるいは、罪悪感でも覚えたか。

 無言で居間へと引き返すと、後ろから靴を脱いだ少女がついてくる。台所の惨状に気づき、わずかに表情を曇らせる。

 無言で料理を一つ一つ捨てていく。その様に、無意識に言葉がこぼれ出た。

「……食えないんだ……」

「え?」視線を遣る彼女。

「食いたいって気がしないんだ、ずっと……」

 言い訳だ。

 それも彼女ではなく、自分を納得させるための。

「……まだ、完治しきってないのかもしれませんね」

「…………?」

 謎の言い回しに半ば目を閉じる。

「大丈夫なんですか?」

 胸中で虚しい笑みを浮かべる――なるほど、不手際で囚人が死ねば罪に問われるのは看守だ。

「……別に」

 ――駄目なら、それはそれで構わない。

 頭をかすめた本音は圧殺した。

 

 窓を開けると、不躾な夜気が部屋に押し入ってきた。

 寒さは感じない。遠くに映る街路樹は闇に紛れて暗く沈んでいたが、青々とした葉を風邪に揺らしている様は視認出来る。

 ――季節は初夏か、あるいは晩夏といったところか。

 何故かカレンダーが置かれていないこの家にいる限り、どちらが正解なのかを確かめることはできなかたが。

 静かだった。自分の心音さえ聞こえてきそうな。

 こうしていると、世界中に自分一人しか存在していないような錯覚に襲われる。

 永遠に停滞した世界の中に、一人取り残されている自分。

 今の状況とどれほど差異があるだろうか。

「…………ん?」

 ふと我に返り、耳をそばだてる。

 音だ。それも無為な羅列ではなく、調律のもとに統制された形なき芸術品――音楽。

 かすかに聞こえてくる程度のため、どこから届いてくるのかさえ判然としない。

 どうやら音源はピアノらしい。と言ってもオーケストラなどで見かける豪奢なものではなく、子供が使う玩具のような無遠慮に高く単調な響きだ。

 自然と耳を傾けていた。

 考える以外の何かを想起させてくれるものは、素直にありがたかった。

 娯楽もない部屋に一人こもっていれば、嫌でも脳が思索に走る。それが苦痛を生み、状況を打破せんと脳が動く。悪循環の繰り返し。

『……どうしますか?』

 ――そんなものわかるはずあるか。

 暗闇の中で明かりも持たされていないのに、『どっちに進みたいんですか?』と聞かれているようなものではないか。

 自分はどうしたいのか。

 あるいは、どうしなければならないのか。

 逡巡に答えはなく、故に悪循環が生まれる。

「…………あ」

 十分ほどして、音楽は聞こえてこなくなった。

 再び空間をたゆたう静寂。だがそれは以前のものとは質が違う。

「……音楽、か」

 つぶやき、自嘲めいた笑みを浮かべる。

 懐かしく――しかしこうして当たり前のように身近に存在するもの。

『彼』にとって、それはどこまで当てはめられるのか。

 どこまで当てはめてもいいのか。

 

 悪循環は、夜が更けても止まらない。

 

説明
ある日突然、50年後の未来に放り出されたら。 そんなことを妄想しながら書いた小説です。
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