天人の歌 |
青い空、快い日差し、そして遥か眼下に広がる白い雲海。
ここは天界。何者にも犯されず、悠久のときが流れる天人たちの住処である。
遠くから楽しそうな笑い声が聞こえる。それを尻目に天子は背中にもたれている桃の木からもいだ桃をかじった。
「暇ねぇ……」
伸ばした足を適当にぷらぷらさせる。
笑い声はいつしか歌に変わり、ゆったりとしたメロディが耳朶を打つように響いた。
「ら、ららら、るるる……」
聞こえてくる歌にあわせて自分も適当に歌をつなげる。
それが地子として人でいた頃を思い出させた。当時の友人たちと共によく歌った思い出を呼び戻し、天子は瞳を閉じる。
つむぐメロディは穏やかな風とともに遥か彼方の思い出を運んでくる。しかし、メロディはその友人たちの顔を黒く塗りつぶしてしまっていた。
黒い顔をなんとか塗り直そうとしてみるも、よけいに黒が広がるばかりで苛立ちがこみ上げてくる。
腹立ち紛れに手の中の桃をかぶり、とかじると硬いものが歯に当たった。歯茎に響く痛みに自然と「ちっ」と舌打ちを鳴らす。
ふと、上空からぴりぴりとしびれるような感覚が走った。天子にはとうに慣れた感覚である。
保護者の出現の気配に反抗するようにぷっ、と桃の種を飛ばす。それを見咎めるように、上空の人物は天子の眼前へと舞い降りた。
「総領娘様。お行儀がわるいですよ」
「なによ衣玖。誰が見てるわけじゃないんだからいいでしょ」
「私が見てます。それと、お暇ならお勉強の予定を用意しておりますが」
「冗談じゃないわ。この後別の予定があるから却下」
「しかし先ほど暇とおっしゃって……」
「あーあー、きこえなーい」
両耳をふさいでいやいやと首を振る天子に、衣玖は片手で顔を覆ってどうしたものかと考え込んだ。
いつものことと割り切ってしまうのは簡単だが、それではお目付け役としての自らの立場を危うくしてしまう。
別にこれが本職ではないので構わないといえば構わないのだが、ろくに与えられた仕事もできないと思われてしまえば龍宮の使いとしての存在意義すら失いかねない。それは衣玖にとっても不本意なことであった。
「ではお聞きしますが、どのようなご予定があるのでしょうか」
「これから博霊の神社に行ってくる。だから暇じゃないの」
「いつも通り、手ひどく追い返されるのがオチではないのですか」
「それがいいんじゃない」
まじめな顔でそう言い切った天子に、衣玖は自然と溜息がこぼれ出る。
いつからこんな性格になってしまったのだろうか。
そんな思いがこみ上げてくるのを感じ、ふと昔の天子の姿を思い浮かべてみた。
転んで膝を擦りむいても笑顔を浮かべて気丈さを見せていたころ。不良天人と蔑まれ、陰口を叩かれてもそ知らぬ顔で天界を歩き回っていたころ。父親からお叱りを受けても反省はせず同じ事を繰り返してまたお叱りを受けていたころ。
「なんか昔から手遅れだったような……。たくましいのはいいことですけどねぇ」
「何か言った?衣玖」
「いえ、なにも」
「そう。じゃ、行って来るわ。お留守番お願いね」
「あ、総領娘様!」
言うが早いか天子はさっさと要石をどこからとも無く呼び寄せ、下界へと降りていってしまった。
一人残された衣玖はぽつん、と立ちつくすのみであった。
遠くから他の天人たちの歌が聞こえる。
青い空に快い日差し、そして悠久に流れる穏やかな時間。
天人は何のためにいるのだろう。不意に天界を流れる風が衣玖を包み込み、そんな考えを抱かせた。
少なくとも人や妖精、妖怪の類も自然の発露としてそこに存在意義があるから存在している。意味も無くいる存在などありえないのだ。
その点、天人は明らかに異質だ。
上位の天人はどうしているのかは衣玖の知る範疇ではないが、少なくとも衣玖の目にする一般的な天人は語り合い、歌い合い、楽しげに飲食を繰り返すのみで、そこに自然の意思だとか、存在意義というものは全然感じられない。
地上から徳を重ねて天界に住むことを許されたなら、その地上ではさぞかし尊い人物だったのだろう。だが、今の無意味、無目的に時を過ごす彼らからは地上での尊さは衣玖にまったく想像できなかった。
「天人らしく、とはああいうのを言うのでしょうか」
もし自分が、今日から龍宮の使いとしての仕事をしなくていい、日々の生活を気にせず遊んで暮らしてても構わない、と言われたらどうなるだろうか。
想像を繰り返す内に、衣玖の耳に入る歌が急に冷たく感じるようになった。
まるで死人の呼び声のような、目的を失ったもののあげる怨嗟の声にような。
自らを覆うフリルを抱きしめ、体をふわり、と浮かせる。
雲海を見下ろし、雷雲を呼び寄せた。じきに静電気が体を帯び、パチパチと音をたてて体中を放電の火花が散る。
「私は龍宮の使いとともに総領娘様の目付けでもあります。それが私の存在意義、目的。あんな歌で自らを失うとは不覚でした」
雲海にどん、と大きな雷鳴が広がる。まるで天界すべてに響けとばかりの大きな音に衣玖の耳に付いた歌は消え去っていた。
「これを私の返歌とします。それでは、総領娘様を追いかけましょうか」
自らに言い聞かせるように一人呟き、衣玖は雲間を抜けて地上へと降りていった。
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PIXIVの東方企画用に執筆した二次小説です。 てんこかわいいよてんこ。 |
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