『夢のマウンド』第一章 第七話
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「ん?」

五月のある日。

近所の河原にある草野球場で、日課としている自主練をしていた勇斗は、自身に近づいてくる気配に気付くと、続けていた素振りをやめてそちらを見やる。

と、そこには同年代と思しきジャージ姿の少年がいた。

「何? なんかオレに用かい?」

「フッ、いや、ランニングをしていたら、キミが素振りをやっているのが見えてね。まぁ、ボクには通用しないだろうが、なかなかいいスウィングをしているようだ。せっかくだし、何かアドバイスでもしてあげようと、わざわざこうして足を運んであげたわけさ」

イキナリ現われ、さらには完全無欠に上から目線でのふてぶてしい物言い。

これには、さすがにカチンと来た勇斗。

身近に尾崎と言う存在がいたため、「上には上がいる」事は十分に承知していたが、それでも初対面の人間にそこまで言われる筋合いは到底無い。

「……結構だ。見ず知らずの人間にイキナリ出てこられて、『ハイ、ソーデスカ』なんて、言えると思うか? そもそも、誰だ、お前」

「フッ、このボクが折角アドバイスをしてやろうと言うのに……って言うか、ボクが何者かって、本気で言ってるのか? キミは野球をやっているのだろう? それなのに……」

「あ〜、もしかしてアンタ、芸能人かなんか? だったら悪いな。オレはこないだまで海外にいて、そういうのはまったく分からないんだ」

「芸能人ではないが……まぁ、そういう事情なら仕方が無い。ボクの名前は猪狩守。あかつき大付属高校の野球部で、ピッチャーをやっている。まぁ、これも数ヵ月のうちには、全国で知らない者はいなくなるだろうけどね。よかったら今の内にサインでもしてあげようか」

「猪狩、ね。ふぅん、ま、サインの方は結構だ。たかが同じ高校生から、なんでそんなもん、ありがたがってもらわなきゃなんねーんだ」

「まったく、キミもよくよく人の好意を無にする男だね。まぁ、いいさ。どうやらキミも野球部らしいが、甲子園を狙っているのなら諦めた方がいい。何故ならこの地域には、この猪狩守を擁するあかつき大付属高校があるのだからね。せいぜい頑張って、このボクの引き立て役ぐらいにはなってくれよ」

「んだと……さっきから聞いてりゃゴチャゴチャと。そんなに自信があるなら、その実力のほど、見せてもらおうじゃねぇか」

「フン、それでボクに、どんなメリットがあると言うんだい? 勝つと分かってる勝負ほど、無意味なものは無いと思うんだがね」

「なんだよ。偉そうな能書き垂れたワリには、随分なヘタレ振りだな。ま、いいさ、逃げたいならそうしても。確か……あかつき大付属の猪狩だったな。オーケー、じゃ、もう行ってもいいよ。口だけが達者なヘタレの猪狩君」

「フッ……フフフフフ、ず、随分と失敬な物言いをしてくれるものだね、キミも。ボクが逃げる? 誰から。まさか、キミ如きからか? ならば良かろう。予選を前に自信喪失させては悪いかと遠慮してあげていたが、キミがその気なら仕方あるまい。このボクの実力を思い知り、自らの発言を後悔するがいい!!」

「その言葉、そっくりそのまま返してやるぜ。そっちこそ、逃げるのなら今のうちだぜ!!」

「誰が! さて、勝負の方法だが、ピッチングとバッティングと、キミの得意な方を選ぶがいい。それくらいのハンデはやらないとね」

「そりゃアリガトよ。って、さっきお前、ピッチャーだって言ってたよな。だったら、それでいいぜ。お前がオレを三振に取ったらお前の勝ち」

「逆にボクが打たれたらキミの勝ち、か。先に言っておくが、ボクはバッティングも得意なんだ。だから、後になって負け惜しみだけは、言ってくれるなよ」

「ああ、当然だ。お前こそ、本気で来いよ。打たれてから『手加減していた』なんて言い訳、通じないからな」

そう言って一瞥し合った後、それぞれマウンドとバッターボックスとに分かれる。

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軽く素振りをし、右バッターボックスに入ると、マウンドで足場を慣らす猪狩が見えた。

その何気ない姿から、先ほどまでの自信が虚勢ではない事が十分に感じられた。

(随分と慣れたご様子で。それに雰囲気も……ナルホド、アメリカのリトルの連中に、勝るとも劣らねぇ。こりゃ、言うだけの事はあるな)

対する猪狩もまた、ボックスで構える勇斗を見て、熱くなっていた気持ちがすぅっと冷えてゆくのを感じた。

「では、行くぞ」

そう言って、ゆったりとしたワインドアップモーションから放たれた一球目。

外角低め、ギリギリのストライク。

(速い、な。140キロは優に出ているか)

同年代で、自身と同じ140キロ越えのファストボールを投げた猪狩に対し、素直に感嘆の思いを抱く勇斗。気を引き締めて、二球目を待つ。

それを見て、思わず眉を顰める猪狩。

(ボクの速球を見て、それでも打ち気を見せるか……それが虚勢かどうか、コレで確かめる!)

再び振り被った猪狩。

一球目とは対照的に、内角胸元へ抉りこむような速球を放つ。

(対角線への配球。セオリー通り!)

だが、それを読んでいた勇斗は、仰け反りつつもバットに当て、ファウルに。

「へぇ、やるもんだね。ファウルになったとは言え、ボクのストレートに当ててくるなんて」

余裕綽々の猪狩だったが、それは内心の動揺を隠すパフォーマンスに過ぎなかった。

事実この二球目は、勇斗を仰け反らせ、手を出させずに二つ目のストライクを取るつもりだった。それが、スウィングをするだけならまだしも、崩れたフォームで、まぐれではなくしっかりとボールを狙ってきた。

結果的にファウルだったが、マウンドにおいて、常に相手を牛耳って来た猪狩にとっては、今までに無い屈辱だった。

対する勇斗も、下手をすれば顔面を直撃していたであろうコースに、自信を持って投げ込んできた猪狩に戦慄のようなものを覚えていた。

(野郎……何て気の強いヤツだ。だが、あそこに目一杯投げ込んで来られるって事は、コントロールにもかなりの自信を持ってやがるな。さて、これで追い込まれちまったが、どうするか……)

続いて三球目を、内角低めに投げ込んできた猪狩。それを、左足を引いて、一塁側にカットで逃れる勇斗。

四球目は外角低め。これは外れてボール。

「今の、外れてるよな?」と軽く言ってきた勇斗に、無言で肯く猪狩。

(審判がいないとは言え、自信を持って見送った。この、ボクの球を。フッ、フフフ、面白い! 倒すべきライバルは、レギュラーを争う一ノ瀬先輩と、甲子園くらいにしかいないかと思っていたが……)

その感情は、歓喜。

中学三年間で、一年から四番でエースの座を一度たりとも明け渡さなかった猪狩だったが、ライバルとの息詰まる対戦とは終ぞ無縁に終わった。

故に、心が躍る。

同年代で、これから甲子園を争う事になるであろう対戦校に、自分と同格としても良い存在がいる事に。

彼もまた、エリートである以上に、常に強者との戦いを望むチャレンジャーなのだろう。

(キミの力は認めよう。だが、それで負けてもいいと言うワケにはならない。勝たせてもらう!)

大きく息を吸い、吐く。

その一連の動作に、バッターボックスに入る勇斗もまた、更なる集中力と闘志を高める。

(来る、か。速球に慣れた今だったら、普通に考えれば外に逃げる変化球。だが、オレもコイツも、そんなんで納得できるタイプじゃない。勝負だ!)

そして5球目は、先ほど仰け反らされた、内角胸元へのストレート。

「クッ!」

迫り来るボールに対し、軸足である右足をボックスの内側ギリギリまで引く。その際に、重心もそちらへと移す。十分に体重移動が出来たところで、左足を引き、踏み込む。この時点で、胸元へと迫るボールは、勇斗のヒッティングゾーンへの範囲に納められる。ボールを引き付け、引き絞られた腰と手首のバネを利用し、最短距離でバットを出す。

と、その瞬間、猪狩の投げたボールが、グンと一段とノビを見せる。

何とかバットには当てたものの、力なく二塁ベースとセンターポジションの中間辺りに落ちる。

「くぅ〜、まさか、あそこから伸びてくるなんて……」

そう言ってバットを放って、痺れた手をブンブンと振る勇斗。

対する猪狩もまた、自信を持って投げたボールを前に飛ばされた事に、少なからずショックを受けていた。何よりその前の、勇斗のボックス内での一連の動作を振り返ると、驚愕を覚えずにはいられなかった。

(ボックスを十分に使っての、何て自然な体重移動。下手をすれば長打を打たれていても、おかしくはなかった……このボクのストレートを)

だが、そんな内心の葛藤をすぐに納め、勇斗に歩み寄ってくる。

それを見た勇斗もまた、手を振るのを止めて相対する。

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「なかなかやるものだね。正直、驚いたよ。まさかボクのボールに当てるだけではなく、前に飛ばすなんて」

「ま、驚いたのはこっちも同じだ。特に最後の球なんか、手元で伸びて来やがった。あれで見事に詰まらされたな」

「では、この勝負の結果だが……真に遺憾ながら、三振が取れなかった以上、素直に負けを認めよう」

「ちょ、ちょっと待ってくれ。だったらこっちも、あんなポテンヒットで勝った事にされても困る。あんなの、いい二遊間やセンターがいたら十分にアウトで打ち取られていた。オレの負けでいい」

「しかし、それではボクが納得しない」

「しろ、納得。そうすればオレは納得する」

「何っ!? なんて横暴なんだ、キミは。いいから、このボクが負けを認めてやると言ってるんだぞ。有難く受け取れ!!」

「何でそう上から目線なんだ、お前は!! そっちこそ、このオレがいいっつってんだから、引け!!」

「この猪狩守が、そんなお零れを貰って喜ぶと思うのか。バカにしないでくれ!!」

「ああ、もう、分かったよ。じゃあ、お互いに納得していないって事で、引き分けでいいか。そんで、ホントの勝負は都大会でって事で、どうだ?」

「ム……まぁ、いいだろう。キミがそこまで言うなら、そういう事にしてやろう。まぁ、せいぜいボクたちと当たる前に敗退しないよう、練習に励みたまえ」

「フン、口の減らない野郎だ」

「と、そういえば、キミは一体、何処の誰なのかね? ボクばかり名乗らせて、失礼ではないか」

「お前な……人の練習に勝手にしゃしゃり出てくるのは、失礼じゃねぇのかよ。ま、いいけどな。オレの名前は杉村勇斗。都立パワ高野球部の一年だ」

「ふぅん。パワ高……ね。成程、キミ程度の実力なら、まぁ、いい所なんじゃないか。だが、それを聞いて少し心配になってしまったよ。今年の夏、ボクらが決着をつける事ができるのか、とね」

「言ってろ、この野郎。その鼻っ柱、オレたちがへし折ってやるから、ピカピカに磨いておくんだな」

互いに憎まれ口を叩き、一瞥してそれぞれの帰路についた、杉村勇斗と猪狩守。

これが終生のライバルと呼ばれる事となる二人の、ファースト・コンタクトであった。

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対峙する勇斗と猪狩に、物陰から厳しい視線を送る、妖しい黒影。

手にしたメモにはギッシリと、全国の有力な高校球児の名前が記されている。

彼の名は影山。

彼によって見出された選手の多くが、ドラフトの上位を占め、そして活躍している事から「神の眼」の名で知られる敏腕スカウトマンだ。

そして彼のリストにまた一人、名前が記される事となった。

「信じられん……あの“天才”猪狩守の速球を打ち返すとは……。杉村勇斗か。これは、大器かもしれん」

そう言ってペンを走らす彼の声は興奮に震え、眼は爛々とした輝きを放っていた。

説明
今年の優勝校は、圧倒的な実力差を見せつけた日大三高でした。
私の母校と同じ「日大附属」という事で、非常に喜ばしい限りです。
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