子供の頃よく遊んでくれた、近所に住む美人のお姉さん。あの人は今どこで何をしてるんだろうな――
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「なによ、また来たの?」

 

 空に雲一つ無い晴れやかな日のこと。

 どたばたと、忙しなくやってきたわたしにちらりと目をやり、赤いあいつは言った。

 気怠げというか、面倒臭そうというか、あんまりわたしの訪問を歓迎している顔ではない。

 縁側に座布団と湯飲みを用意して、まったりとした時間を満喫していたところを邪魔されて機嫌が悪いのだろう。

 いつ来ても縁側でお茶啜ってるような気がする。

 

「何回だって来るわよ。あんたがわたしの本を返すまでね!」

 

 左手を腰にあて、胸を反らせて右手でびしりと赤いのを指さした。

 あの眼鏡男のやつめ、何度も本を取り返しに訪れるわたしの対応が面倒になり、こいつにまた本を渡してしまったのだ。

 

「で、なに。今日も弾幕ごっこで勝負しなさいって?」

「話が早いじゃない。私が勝ったら勿論本を返してもらへびゅっ!?」

 

 額に突然の痛み。少しの浮遊感。赤いのがどこからか取り出した拳大の何かを、わたしに投げつけてきたんだと気付くのに少しかかった。

 吹っ飛ばされて仰向けに転がり、首がくてんと右に倒れる。

 高く弾んで落ちてきた、陰陽を模した玉。目の前にころんと転がるこいつが、わたしのおでこを大変な目に遭わせたのだと理解した。いたひ。

 

「はい、私の勝ちね。それじゃ、私はお茶淹れ直してくるから」

 

 こちらにすたすたと歩いてくる。あ、と思った時にはもうあいつの手がわたしをひょいと抱き上げていてぇとあのそのこれってもしかして俗に言うお姫さま抱っこというやつではないのかねどうなのわたし!?

 

「あんたはその冷めちゃったお茶でも飲んでなさい。その間に、新しいお茶とお茶請け何か持ってくるわ」

 

 わたしを縁側にそっと座らせると、あいつはこちらの返答を待たずに室内へと姿を消した。

 

 ひとに抱っこされるなんて、初めての経験で。恥ずかしかったし、まだどきどきが止まらないけど意外と――悪い気分じゃない。

 

 あいつがさっきまで飲んでいた湯飲みを、おそるおそる両手で包み込むように持ち上げてみる。

 言うほど冷めていない。そっと口に運んで、こくりとひとくち。

 飲んでから気付いたけど間接きすというものではないかこれ。

 

「あわわわ……」

 

 頭に血が上っていくのを感じる。熱い。顔から火を噴きそうなくらいだ。

 もう神社に訪れるのも何回目かわからない。あいつの顔なんて何回も見てるし、何回もぶっ飛ばされた。でも、抱っこしてくれたのは、今日がはじめて。

 目を閉じて、わたしを抱き上げた細い腕の感触を想起する。たった数秒のことだったけど、何故か鮮明に思い出せた。

 あんな棒きれみたいな腕で、妖怪退治なんてやってるんだよなぁ。

 

「にゅふ」

 

 考えてたらへんな声でた。自然と浮かぶ赤いのの横顔。とりあえずにやけすぎだろうわたし。むにむにと顔を揉みほぐす。

 それにしてもあいつ遅いんじゃ、

「お待たせ−」

「にょぎゃわぁ!?」

「? 何慌ててんのよ。お茶零すわよ」

 

 おせんべと湯飲み、急須の乗ったお盆を置いて、あいつも座った。

 見ればきちんと正座だ。たしか席を立つ前もそうだったけど。わたし縁側に足ぷらぷらさせてるのまずいかな。

 

「えと、わたしも正座したほうがいいかな」

「私の正座はただの習慣よ。好きにしなさい」

「うん」

「やっぱ妖怪はよくわかんないわね。そんなこと気にするタイプには見えなかったけど」

「うん……」

 

 ずずっ、とお茶を飲む。ほう、と息を吐く。

 正体不明の気まずさが、どうにも重くて仕方ない。

 そーっとそーっと、気付かれないように横目であいつの姿を見やる。

 

 ――特にこちらを気にしている様子はない。いつも通りの自然体、いつも通りのすまし顔で、のんびりお茶を飲んでいた。

 

 なーにやってんだわたしは。おせんべ食べよっと。

 そう思って視線を正面に戻し、お盆は見ずにひょいと手を伸ばした瞬間、

 

「あっ」

「ん」

 

 丁度同じタイミングでおせんべを取ろうと伸ばされたあいつの手に、わたしの手が触れてしまった。

 

「ごっ、ごごごごめん!」

「だから何をそんなに慌ててるのよ。手に触ったくらいで弾幕撃ち込んだりはしないわ。それともしてほしいの?」

「や、あの、そのっ、違くて、」

「そう、なら良いわ。面倒くさいもの」

「うぎゅぅ……」

 

 折角収まったかと思った胸の鼓動がまた早鐘を打ち始める。

 なんだこれなんだこれ、恥ずかしすぎるぞ。

 穴があったら入りたいとはこのことだ。

  

「! 誰か来るわね」

 

 あいつの声で中断される思考。

 誰でもいいからへるぷ、みー。というわたしの声にならない心の叫びがどっかの神様に届いたんだかどうだかしらないけど、救いの手は差し伸べられた。

 

「れぇぇぇぇぇ――」

 

「いぃぃぃぃぃ――」

 

 ナニカが凄まじい勢いで飛来する。それを視覚に認めた時にはもうあいつの姿は縁側で浮遊していて。その両手に握られたあの陰陽を模してある玉。振りかぶって投げられた二つの玉は手を離れた瞬間に巨大化し、高速で突っ込んできた黒っぽい来訪者にぶち当たった。

 

「――む゛ッッッ!!」

 

 圧倒的な運動エネルギーを受け止めて、爆散する玉。撒き散らされる霊力。遙か上空に吹き飛ばされる黒いの。弾丸から鳥になれたのは一瞬で、次の瞬間には重力に縛られて地面に叩き付けられていた。

 

「はっは、随分な歓迎だなぁ霊夢。だけど今の私は機嫌が良いからな、寛大に許してやることにする。感謝しな」

「あらそうありがと。相変わらずあんたの箒にはブレーキがついてないのね、魔理沙」

「何言ってんだ、箒はブレーキつけるもんじゃないぜ。そんなことも知らないのか?」

 

 叩き付けられた時に随分痛そうな音がしていたと思ったけど、なんでもないように起き上がって会話してるよあの黒いの。確か、眼鏡男のところでよく見たな。

 

 ふと気付いたのは名前。名前を呼ぶ習慣というか名前を呼び合うような相手が長い間居なかったせいか、わたしは名前を覚えるのがとても苦手だ。

 でも、今黒いのが言った赤い方の名前はするりと頭に入ってきた。前聞いた時は覚えられなかったのに。

 

 レイム。れいむ。霊夢。霊夢かぁ。

 舌で転がすように、閉じた口の中で何度も名前を復唱して。その響きのくすぐったさに、なんだか転げ回りたいような気分になる。ねぇ、

 

「れい、」

「そうそう、用件なんだがな。ついに着想二秒、研究ひと月の超大作スペルが完成したんだ。今からそいつをお見舞いしてやるから覚悟しな」

「それで最近見なかったのね、静かで良かったのに。めんどくさいから嫌よ」

「嫌でも撃つさ。勿論喜んでも撃つ」

「やって御覧なさい。あんたがバラまくこんぺいとうなんか全部グレイズしてあげるわ」

「流星と言ってくれ。私の弾幕は、甘くないぜ?」

 

 

『SET SPELL CARD!』

 

 

 黒いのが取り出した小さな紙切れ。彼女の魔力が込められているのであろうスペルカードが宣言と共に光を放ち、空に複雑な魔方陣を描き出した。

 撃ち出される幾条もの光線と、ばらまかれる星の弾幕。視界を埋め尽くす程の密度で展開されるそれを前にして、霊夢は全く動じることなくその中へと突っ込んでいく。

 唸る魔弾に響く爆音。霊夢がほんの少しでも飛翔を誤れば、すぐにでもあの小さな体は地へと墜ちるだろう。

 

 しかし、墜ちない。霊夢のやつはまるで紅白の蝶々だ。ひらりひらりと空を舞い踊るように飛び、弾幕をギリギリで躱し、空高く待ち受ける黒いやつの所まで肉薄する。

 

「れい……霊、夢」

 

 ぽつりと漏らすように呼んだ名前は、あいつに届かない。

 凄かった。ただただ凄かった。いつもあっという間に決着するわたしとの勝負とは、次元が違う。

 ポカリと一発叩かれたくらいの威力しかない弾を、わたしが喰らって終わり。そんな今までが、どれだけ手を抜かれていたか。よくわかった。

 

 じっと目を凝らして、飛び回る霊夢の表情を確かめる。

 ――ああ、なんて楽しそう。それはわたしと居る時には見せない顔で。

 

「ずずっ」

 

 湯飲みに残っていたぶんを飲み干し、おせんべを一枚掴む。

 弾幕に見惚れた感動はいつの間にか冷え切って、今はただ、一秒でも早くこの場所から離れたかった。

 こんなに苦かったっけ。お茶。

 

「じゃあ、帰る。から」

 

 華々しく撃ち鳴らされては散っていく、弾幕の弾ける音。

 挨拶はきっと、煌めくその音にかき消されて聞こえなかっただろう。

 わたしは二人に気付かれないよう、そっと神社を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それからまたしばらくして。

 どんなに気落ちしてたって、よく寝てよく食べればある程度回復する。わたしはそれまで頻繁に訪れていた神社へと赴くことはなく、自宅でひたすら読書にふけったり、眼鏡男の店を冷やかしたりしていたんだけど、何をしていても気を抜けばすぐに霊夢の顔が浮かぶのだ。全然集中できない。

 駄目だ駄目だ、まだそんなに経ってない。だって気まずいじゃないかおっかないじゃないか。この前挨拶もせずに帰った駄目な子だってもし思われてたら。怒られたり、酷い言葉を投げかけられたりしたら。想像しただけでなんだか目が潤んできた。うぅ。泣いてないもん。

 

 だけど実際問題、霊夢のことばかり思い浮かぶせいで何をするにも気が散って仕方ないこの状況はなんとかしなくちゃならない。けしてわたしが霊夢に会いたくてしょうがないわけじゃない。ないったらない。

 そうだ、仕方なく会いに行くんだ。だってほら、本取り返さなきゃいけないし。うん。がんばれわたし!

 そうやって自分を何度も鼓舞し励ましながら、わたしはへろへろと神社の方向へ飛んで行った。

 

 

 

 

 ――そしてやってきた博麗神社。

 春の足音を感じるうららかな陽気。縁側に座る霊夢とお盆。敷いてある二枚のうち一枚を彼女が使い、もう一枚に座る姿は無い。

 なんだかデジャヴを感じる。

 

「あの。き、来たよ!」

 

 わたしはおそるおそる霊夢に近付き、声を掛けた。

 目線だけが向けられる。

 

「今日は、その、誰も居ないんだね」

「大抵、毎日誰かしらがやってくるわ。変な人間か、変な妖怪か、それ以外の変なのか。今まであんたタイミング良く誰も居ない時にしか来なかったから、狙ってやってんのかと思ってたけど」

「そ、そうなんだ……わたしは、その。てきとう、で」

 

 うひゃー、霊夢が近い。近くに居るよ!

 なんだかそれだけでどきどきしてきた。

 

「で、今日は何しに来たの。弾幕ごっこ? お茶をたかりに? どっちにせよあまり有り難くはないわね」

「うっ」

 

 途端、言葉に詰まる。勢いだけでやってきて、何も考えてなかったんだから当然だ。

 今まで通りに弾幕ごっこを挑んだとしよう。過去においては全戦全敗。そんな相手に挑むのに、こちらが成長している要素はまるで無いんだから、今また改めてやったところで万に一つも勝ちはない。

 それに弾幕ごっこは、黒いのと霊夢の戦いを思い出しちゃうから、やめ。

 

 かといってお茶をたかりに来たわけじゃないし、いやでも霊夢とのんびり出来るならそれもいいなってちょっと思ったけど迷惑だって今はっきり言われたわけだし、そうするとこの前お茶を振る舞われたのはなんでって話で、えぇと、えっと、

 

「ご、ごめんね、やっぱ帰るっ」

 

 くるりと振り返り空に飛び上がった。訳がわからない。頭がぐるぐるしっちゃかめっちゃかでパンクしそうだし、なんか涙も出た。なんで泣くんだよぅ、意味わかんないぞわたし。

 

「あっ、こら、ちょっと待ちなさいって――『亜空穴』」

 

 後ろから呼ばれる声がしたと思ったら、目の前に霊夢が居た。なんだこれ瞬間移動か。

 ぽすんと抱きとめられ、何も言うことが出来ず固まっていたわたしに、霊夢はニコリと笑って拳を振り上げた。

 

「『夢想封印 -拳骨-』」

 

 青白い炎のような霊力を纏った霊夢の右手が振り下ろされた、という認識が追いついたときにはもう地面に叩き付けられていたっていうか痛い。ひたすらに痛い。大体なんだよ、ただのゲンコがスペカであるもんか……いたいよぉ。

 

「んぎゅっ、いったいなぁ、何すんのさ!」

「人の顔見てすぐに泣きながら逃げ出すなんて失礼極まりないわね」

 

 今ぶっ叩いたのは泣かすつもりじゃなかったのだろうか。なんていじめっこだ。ついさっき感じた切なさによる涙を一気に押し流すほど、頭痛で涙が溢れて止まらないんだけど。

 涙目で恨めしげに見つめるわたしの心情を汲み取ったのかどうだか、ふわりと降りてきた霊夢が私の頭に一枚の御札を押しつけた。

 

「あれー、痛くない?」

「霊力のダメージを肩代わりする御札よ。この私特製だからよく効くでしょう」

 

 自分で喰らわせておいてどや顔もないもんだ。なんてマッチポンプ。

 意図が読めずに困惑するわたしに霊夢は言った。

 

「私はね。用も無しに入り浸るようなのも、勝手に飲み食いしたりどんちゃん騒ぎして片付け丸投げするようなのも、面倒ごとを持ち込むようなのも、お茶の時間を邪魔されるのも嫌いだけど、来ること自体を拒んだことはないわ」

「……えっ、と?」

「これを言うのも何度目かしらねぇ。そういや、あんたには初めてだったか」

 

 すっ、と霊夢の手がある方向を指す。

 ああそうか。あっちはたしか、

 

「素敵なお賽銭箱はあちらよ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 参拝客が来なければお賽銭も入らない。成程自明の理だ。

 人里の貸本屋で使うつもりだったなけなしのお小遣いから、さらにケチって断腸の思いで入れた一枚の硬貨。賽銭箱に投げ入れたそれが、からんと乾いた音をたてた瞬間、初めて見せてくれた笑顔があまりにも衝撃的で。

 歓待モードとなった霊夢に勧められるままお茶を頂いて、その日はそのまま帰った。

 

 それからは、お小遣いを一生懸命遣り繰りして、僅かな余剰分が生まれた時に神社へ遊びに行った。そうそう続かないから、お賽銭分の持ち合わせが無くても時々行った。

 素直な笑顔を見せてくれるのはお賽銭を入れた時だけだったけど、無い時に訪ねてもなんだかんだ優しかったように思う。

 

 

 何度かまた、自分以外の訪問客と一緒になることもあった。誰も彼も、霊夢が嫌いだと言った条件のどこかしらに当てはまっていて、尚かつ誰一人としてお賽銭を入れようとしているのを見かけたことが無かったりと、およそ参拝客とは呼べないようなやつらだったんだけど、そんな時霊夢のことをずっと観察していると、案外満更でもなさそうなのだ。悪態をつき、迷惑だと言う態度の裏で、時折見せる楽しそうな表情に気付いた時は、結構ショックだった。

 わたし、あれからずっと良い子にしてるのに。お賽銭だって、わたしだけが入れてるのに。 

 

 そんなもやもやが胸の奥で燻っている毎日に我慢の限界を感じたわたしはその日、霊夢を夜に訪ねてみようかと思い立ったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 下弦の月が照らす夜。柔らかく光るお月さまを見て、ピーナツみたいだとぼんやり思った。それとも色的にチーズかな。

 

 降り立った博麗神社。閉められた障子に蝋燭の灯りと、人影がひとりぶん映っている。あまり遅いと人間は寝てしまうらしいので、月が昇りきらないうちにと早めに来ていて良かった。

 

 音をたてないように注意しながら、さてどうしようかと思案する。明確な目的があって来たわけじゃない。何かしらの、関係を変化させる切っ掛けが欲しかったのだ。でもその為にどうすればいいかよくわからなかったし、仕方ないから今まで来たことがなかった時間帯に来てみたのだ。要は向こう任せ。

 ……うん、悩んでも仕方ない。とりあえず行こう!

 

「ごめんくださーい」

「表は蕎麦屋よ!」

 

 スパァンと勢い余って壊してしまいそうな勢いで障子が開き、意味不明な返事がとんでくる。うらめしや〜、ってわたしおばけじゃないし。

 これでもし出てきたのが霊夢じゃなかったら即逃げ帰っていたところだけど、出てきたのはちゃんと霊夢だった。

 

「あらアンタ、良い所に来たわね。こっちいらっしゃい」

「こ、こんばん」

「ほらほら遠慮しなくていいから」

 

 挨拶もし終わらないうちに、首根っこをひょいと掴まれ室内へと連れ込まれる。なにこれまたデジャヴなの、二度あることは三度あるのってやめて、靴くらい自分で脱ぐから、むしりとった靴外に放り投げないで!

 

 霊夢が胡座をかいて座り込む。組んだ足の中央にぽんと据えられるわたし。妙に収まりが良いのがまた複雑。あとこの部屋なんだか変な匂いが充満してる。

 

「よく来たわねーこんな日が沈んでから。あんた昼にしか来ないし夜寝る妖怪なのかと思ってた。あれ、似たようなこと前も訊いたかしら」

「きょ、今日のためにお昼寝したから大丈夫」

「そっかそっか、わざわざこんな無愛想な人間のとこ訪ねてくるなんてあんたも物好きねー。それとも何か用件あんの? いやどうでもいいんだけどさ」

 

 霊夢の左手がゆるくわたしの躰を抱きしめ、右手が頭を優しく撫でてくる。かいぐりかいぐり。なでなでなでなで。わたしはあまりの驚きに瞬きも出来ず完全に固まっていた。

 いやいやいや、愛想が無いのはよく知ってるし抱き上げてくれたあの時みたくまたしてほしいなって思ったこともそりゃほんの少し、ほんのちょっぴり位はあるけどでもなにこれいやほんとなにこれ、どうしたらこんな急にべたべたひっついてくるようになるの。妄想がいきなり現実になるとかおかしいでしょう。えっ、えっえっ。……えへ。って違う!

 

「んふー、ほっぺぷにぷに。どこもかしこもほっそいわねーもっとご飯食べなさい? あ、人間はとって食べちゃ駄目よ。しばきに行くから」

「わたし人間食べないし……あんただって相当細、てちょっと、やめ、頬ずりやめっ、んぎゅ」

「照れなくてもいいわよ、私は恥ずかしくないわ。ほーらなでなで」

「こ、子供扱いしないでよ!」

 

 いくらなんでも態度が急に変わりすぎである。一体何が原因、と少し考える余裕が出てきたところで、霊夢にばかり気を取られていたせいで気付けなかったものを見つけた。

 乱雑に転がる大量の酒瓶だ。ひぇえ、どれだけ呑んでるんだろう。

 

「ああこれ? この間ちょっと酒屋の主人が妖怪に襲われてたのを助けてさー、えらく感謝されて大量に差し入れ貰っちゃったのよねぇ。そのうち誰かしらが宴会企画するだろうから、その時までとっとこうかとも思ったんだけどたまには一人酒もいいかと思って飲み始めたらね、これがまた結構美味しいのよー! それでちょっと止まらなくなっちゃったんだけど、そうなるとほら、今度は寂しくなってきてさー。一人でテンション上げててもつまんないでしょ?」

「……そっか、酔っぱらってるから、こんなに、」

「もぅ、何深刻そうな顔してんの。子供は難しいこと考えず呑気にしてればいいのよ、私みたいにね!」

「だから子供扱いしないでよ! わたし、霊夢よりかは年上だもん!」

「あっはっは、こんなちんちくりんが言っても説得力ないですよー。めんこいなーうりうり」

「こ、このっ、言わせておけば−!」

「羽の付け根をさわさわり。キリッ」

「ひにゃあ!?」

「なに今のなに今の。ひにゃあって。ひにゃあってー! あははは、夜雀のやつもここ弱かったけどあんたもそうなんだ−。羽のある妖怪ってみんなそうなのかしらねー、かーわい! 今度レミリアにもやってみようかしら」

「ばかっ、霊夢の馬鹿−! そこ触っちゃだめー!!」

「人の嫌がることを進んでやるわ」

「それ意味違−!」

 

 後に回想してつくづく思う。げに恐ろしきは酒飲みのテンション。

 きゃいきゃい一緒になって騒ぐうち、いつの間にか霊夢に酒瓶を口に突っ込まれていて、そこからの記憶はぷっつりと途絶えている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 明けて翌朝。何か夢でも見ていたのか「ほわぁ!?」と謎のかけ声と共に布団を蹴飛ばして目覚めたわたしは、自らの体に起きた異変に気付いた。

 

 素っ裸なのだ。何も身につけておらず、かろうじてドロワのみが残っている。道理でスースーするわけだ。次第に春めいてきているとはいえ、朝はまだ寒い。

 そして視線を隣に移せば、同じように服を脱いでサラシとドロワ姿の霊夢が横になっていた。

 まさか、まさかまさか、大人の階段!?

 

「ほわぁ!?」

「なによもぅ、寒いじゃないの」

 

 一発でしゃっきり目が冴えた。対して寝惚け眼の霊夢がもぞもぞと起き上がる。

 

「れ、霊夢にはじめてを奪われたー!」

「奪ってない奪ってない、二日酔いに響くからあんま大声」

「だ、だって! この下着わたしのじゃないし……霊夢も、脱いでるし」

「だから大声やめって。あんたが昨夜盛大に吐いたからでしょ、覚えてない? 着てるもんみんなぐちゃぐちゃになったから全部脱がして、下着までぐっちょりだったからとりあえず私のドロワーズ穿かせて布団に寝かせて、介抱してた時に私の方も汚れたから纏めて洗って干したんだけど、また着るまでに寒い思いするのやだったからそのまま一緒に布団入ったの。理解した?」

「あ、う……うん」

「あんたの下着妙な生地よね。あんなの初めて見たわ」

「眼鏡男に前もらったの。すくーるみずぎ、だって」

「へー。あれほんとに下着として使うもんなのかしらね。使い勝手良さそうには思えないけど」

「用途・女児の水泳練習用下着、とかなんとか」

「なんで泳がない時着てるのよ」

 

 別に私の下着はどうでもいいんだ。

 つまりその、脱がされたときハダカが、見られたわけで。

 

「それより寒いからさっさと戻ってきなさい」

「え?」

 

 にゅっと突き出された霊夢の腕がわたしをひっつかむと、再び布団の中へと引きずり込んだ。そして何故か抱きしめられる。

 

「ひ、ひっつかないでよ」

「あんたが外の冷気入れたお陰で布団の中が寒いのよ。責任取って暖房になりなさい」

「ひゃんっ」

「変な声出さないの」

 

 ぎゅっと抱きしめられる。ほのかなぬくもりが伝わる。

 背中にふにゅんと、なんだか、やわこい感触が、その。

 

「顔赤いわね。風邪?」

「妖怪は風邪ひかないもん……」

「死なないし病気もしないし、学校も試験もないのね」

「それはおばけだよぅ」

「知ってるわ。つまり蓬莱人の連中はおばけ扱いでいいのね」

「えっ誰」

 

 ……きもちい。

 

「……霊夢。わたしの、ハダカ、」

「ああ。そりゃ脱がしたんだから見てるに決まってるじゃない」

「なんでそんな平然としてるのよぅ」

「いーじゃないの減るもんじゃなし。なんなら私のも見る?」

「そういうことじゃないわ!」

「じゃあどういうことよ」

「……うーん」

「あら、私の裸じゃ不満かしら。あの本返せとでも?」

「よ、余計なお世話よ。ちゃんとあんたに勝ってから取り返すんだから」

「そ。じゃ返してあげなーい。残念だったわね、折角のチャンスを棒に振って」

 

 だって返して貰っちゃったら、もう遊びに来る口実が無くなっちゃうじゃないか!

 そう口走りそうになって、ちゃんと思いとどまったわたしを褒めてあげたい。

 

「さて。そこそこ暖まったし、冗談はこの辺りにして起きるかな。朝ご飯食べてくなら手伝いなさいよ」

「う、うん……」

 

 起き上がり、てきぱきと巫女服を着ていつもの紅白色になる霊夢。

 名残惜しくなんかない、と自分に言い聞かせる。

 

「何ぼーっとしてんの。さっさと布団畳んじゃって」

「はぁい」

「……あ、誰か来る」

「へ?」

 

 

「霊夢ー居ないのー? 勝手にあがるよー」

「小鬼、邪魔だよ。私が先に霊夢と遊ぶんだ」

「おいこらレミリア、萃香も。人んちに断りもなく入るのは泥棒って教わらなかったのか?」

「なんだよぅ、そもそもここ魔理沙んちじゃないだろうに」

「泥棒に言われたくはないわね」

「借りてるだけだぜ」

「霊夢の住まいは私の住まいと同じ。問題ありませんわ」

「紫なんかお前、真っ当な入り口から入ってくること自体ほとんど無いじゃないか」

「そうそう、紫さんの登場はいつも心臓に悪いですからやめて頂きたいところですねぇ。私清く正しい射命丸のように、毎度きちんとアポをとってからの取材を」

「してるのか?」

「情報は鮮度が命ですから。やむをえず突撃取材することも少しは」

「少しな訳あるか」

「どんぐりの背比べってこういうのを言うのね」

「女三人寄れば姦しいかも」

「五人いるわよ」

「早苗が居たら、戦隊ものが組めますね! とか言い出すところだ」

「とりあえず紫は首だけ出してるの怖いからやめろよ」

 

 そこからは全て一瞬の出来事。来客に気付くや否や、霊夢が稲妻のような素早さでわたしをひっつかんで布団に放り投げ、そのままくるくるっと芯にわたしを入れたまま巻き、勢いを殺さないまま押し入れを開けてシュート! 

 当然わたしも開けてよぅとじたばた暴れたが、なんらかの術、おそらく封印的な何かが押し入れに施されていた為全く開かず、外に声も届いていなかった、っぽい。

 

 冷静になってから気付いたけど、あの時のわたしはすっぽんぽんだったわけで。対外的に見て、あんまりよろしくない状況だったのかな。うん。勿論霊夢もわたしも疚しいことは何もなかったけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目を白黒させたわたしは、何が何だかわからないまま布団巻きで押し入れに押し込められて、日も沈む頃、変なスキマから出てきた金髪の妖怪に助けられるまでそのままだった。

 

 閉じ込められた布団の中。そこはまるで蒸風呂のようで、ああこのまま死んじゃうのかなってちょっぴり思い始めていたんだけど、助けられてから霊夢を全く怒る気になれない自分に気付き、そうかわたしあいつを好きになっちゃったんだとその時ようやく自覚したのだった。

 

 

 

 

 

 

   ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 

文「霊夢さんが謎の幼女と逢い引きしているという噂は本当だったんですね……しかも裸に剥いて監禁まで。天狗ポリスに連絡しなくては」

レ「酷いわ霊夢、私という者がありながらそんなじゃりん娘と」

萃「なー紫ぃ−、ロリコンってなんだ?」

紫「年上じゃ、年上じゃ駄目だっていうの!?」

魔「ロリコンえんがちょだぜ」

 この後霊夢さんは駆けつけた天狗ポリスを全て返り討ちにした後、朱鷺子を含めた訪問者を全員叩き出し、翌日には何事もなかったようにまた縁側でお茶を飲んでいたそうです。

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東方 名無しの本読み妖怪 霊夢 

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