魔王陛下に捧げる三つの話
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 昔々。

 

 それをどう呼べばいいかわからぬが、

 この世に魔王が十三あり、

 人の王は三百あまり。

 したがって闇の領地が十三あり、

 人の国も三百あまりある。

 

 かつて勇者はいった。

 勇者の剣は、魔王のごとき強大なものに立ち向かう、

 人のための杖である、と。

 

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1 館の話

 

 プラガ、とよばれている深い谷の連なりがある。

 硬い岩石の大地を切り裂くいく筋もの深い深い亀裂は、長い冬のあいだ氷に閉ざされる。入りこめるのは一年のうちわずかなあいだだけ。つまり、そこは天然の要塞だった。

 そのプラガのあいだに明かりが灯っていた。

 切り立った崖の中ほどに、まるで冗談のように優美な屋敷があった。

 それは貴族式の屋敷で、門に絡みついた薔薇にさえ、どことはなしに気品がある。高貴な位の人が何かの理由で隠れすんでいるのかもしれない、と思いこんでもしかたがない。実際、そこには三人の貴婦人が暮らしていた。

 そしてこの日、屋敷には客人があった。

 旅人は召使いに漆黒のマントを預け、暖炉のある部屋で晩さんを前にしている。華美なドレスをまとった三人の貴婦人に求められるまま、旅のあいだに見聞きした話を語っていた。旅人は男。あまり若くもないし、無精髭と長ったらしい黒髪が野暮ったいが、目元はそれなりに涼しげな藍色の瞳をしていた。

「ご婦人方のように高貴なお方ならば、すでにご存知の話かもしれませんが」

 と前置いて、旅人はあたらしい話を語りはじめた。

 それは、ここよりずいぶんと離れた辺境の土地の話である。

 そこには、魔王の支配する砦がひとつあった。

 砦は人の国と接するちょうど境にあり、人間たちから何かと目の敵にされていた。あんまり諍いがたえないので、あるとき魔王陛下は将軍を使わした。将軍といっても、そういう難しいところには、魔族も人の習いとおんなじで、苦労性で出世に縁のない者が当てられる。そんなわけで、この気のいい将軍は、なるべく人間との関係も良好にするようつとめたが、かえって魔族側の不況を買い、たちまち人間と魔族のあいだで板挟みになった。普段からそんな様子であったので、人間たちが大群となって砦に押し寄せたときも、将軍を守ろう、盾となろうとした魔族はひとりきりであった。

 そのひとりきりの魔族というのが、姿形は、刀を武器にする動く鎧、ダークナイトと呼ばれる一族の出の者だった。

 彼が将軍の覚えもめでたいのには、理由がある。

 そのダークナイトは、春先に将軍がおこなった剣術大会で優勝した。表彰式のとき、ダークナイトはけっして兜をとろうとしなかった。それには理由があった。将軍がむりやり兜を外させると……驚くべきことに、兜の下からモモンガの頭が現れたのである。

 うそではない。黒く大きくつぶらな瞳と、小さな耳、可憐な髭。

 まごうことなきモモンガである。くわしく話をきくとこのモモンガ、剣の道を極め、故郷に錦を飾るため、あえてダークナイトの鎧をかぶっていたというではないか。将軍はいたく感じ入り、以降このモモンガを立派なダークナイトとしてあつかい、そばに置いたのである。

 旅人は、しかし後に起きた暴動のことを考えれば、手引したのはそのモモンガであることはまちがいないだろう、と話を結んだ。

 三人の婦人のうちひとりが不思議そうに首をかしげた。

「モモンガが鎧をかぶるだなんて滑稽ですこと。でも、ユカ様? どうしてそのダークナイトが手引をしただなんてことがわかるんですの?」

「簡単な話です」と旅人、ユカが言った。「残念ながら、そのモモンガはモモンガではありません。おそらく人間側の間者が臭いを消すために魔族の鎧をかぶり、万いち兜を外すことになったときのために、獣の皮を二重にしてかぶっていたのでしょう。それだけ大きなモモンガがいるはずありません」

「なるほど、さすがですわね。わたくしたち、もっとお話を聞きたいわ。しばらくのあいだは、こちらに滞在してゆかれるんでしょう?」

 六つならんだ期待に満ちた目を見渡し、ユカは首を横にふった。

「残念ながら、明日の朝はやくにここを立たなければ」

「あら、それじゃほんとうに……魔王アダマスの城にゆかれるの? あんな恐ろしいところに」

「急ぎの用件なのです。俺はなんとしてもあいつを止めなけりゃならなくてね」

 突然、三人のうちの長女が、けたたましい笑い声を上げた。

「うふふふふふ。とぼけるんじゃないよ!」

 婦人は気味の悪い笑い声をあげながら、結いあげた髪をむんずと掴んだ。

「あんた、ハナからわかっていてあんな話をしたんだろう。私たち三姉妹が――あら?」

 貴婦人は立ちあがりかけたままの奇妙きわまりない姿勢で、その場に凍りついている。

 ユカの腰からは、剣が消えている。

 それはいつの間にか、テーブルの下で三人の婦人の影を縫い止めていた。

 暖炉の火は、その細身の剣の剣の影を、壁に浮かび上がらせる。

 影はとてつもなく巨大な魔人の影絵となって、三人を捕まえていた。

「お前たち三人が人間の皮をかぶった魔物で、ここに来た人間を捕まえて、食べていたって? そんなことくらい、さすがに予想してたさ。あまり頭がいいやり口とは思わないがね。こんな僻地に女が三人だけで、おかしいと思わないほうがどうかしてるよ。まあ、明日の朝までせいぜいじっとしていてくれ」

 ユカは表情を変えずにいうと、女たちが用意した豪勢な食事をゆっくりと平らげ、貴族風の天蓋つきベッドで眠り、朝早くに屋敷を出て行った。

 

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2 勇者の抜けない剣の話

 

 

 なぜ……。

 

?

 なぜなのだろう。

 

 かたい鱗で幾重にも覆われた触手に叩きつけた短剣は、まっすぐに入った罅にそって砕けちった。

 もう、矢も尽きはてた。青年は壁際まで下がる。頭の中身が熱くたぎって、息を吸うたびに肺が悲鳴をあげ、吐けば血の霧をふいた。強力な呪文を唱えすぎたために、肉体に限界がきているのだ。

 そのとき彼の心に去来した想いは、絶望でも、虚無でもなかった。

(なぜ……?)

 まるで子どものように、ただただ純粋な問いかけであった。

 残された武器は、剣は、腰のうしろのひと振りだけ。

 その剣は、十年ほど前に敬愛する女神クロデア派の司祭から、まだ十五の少年だったウィタ――いま、まさに死のふちに追いやられている青年――に与えられた剣であった。ただの剣ではない。魔王を倒そうとする選ばれた勇者に、女神が与える勇者の剣だ。

 青年は女神に選ばれし勇者であった。

 だが、ウィタは、この女神クロデアが授けたという剣を抜いたことがなかった。それは十数年の長いあいだ、鞘のなかで眠ったままなのである。クロデアは魔王を倒すものに祝福と加護を与えるというが、旅の仲間たちが絶命するその瞬間でさえ、剣は微動だにしなかった。

 勇者の手の中にあって、いったいなぜこの剣は抜けないのか。

 どんな悲劇や苦境に立たされたら……あるいは魔王の前でなら抜けるやもしれない。

 かすかな望みを賭けて、ウィタは悪名高き魔王アダマスの前に立った。

 プラガとよばれる峻厳な岩場が連なる最果ての地にアダマスの城はある。

 魔王の巨躯は、今まで目にしたどんな魔物よりも異様な姿を誇っていた。

 体の中心から五本の太い幹のような腕と、無数の細い鞭に似た硬い触手が放射状に伸びている。触手は黒く輝く黒い鉱物の鱗で覆われて刃が通らない。おまけに触手の先は牙の並ぶ口がついていた。十本の指が生える大木のような腕は柔らかいが、なんど切り落としても再生し、魔法から本体を守る。

 本体は触手や腕が守る中央にある、輝く植物である。優美に膨らむ葉に覆われた、淑女のごとく控え目な美しさをはなつ花のつぼみ。つぼみは金剛石のかがやきをはなっている。

 ウィタは最後の望みをこめて柄に手をかけた。

 硬い感触は、ただ静かにウィタの掌を押し返し、拒否した。

 打てる手は無くなった。あとはアダマスのぶきみな触手たちに食い荒らされるしか道はない。

 ウィタは自分がひどく静かな気持ちでいることに気がついた。

 彼の心にはもはや憎しみを、怒りを燃やす火種すらない。彼の両目はまっすぐに敵を睨みつけ、食らいついてでも最後に一矢報いたい、その気持ちだけで立っていた。

 そのとき。

「もうやめるんだ、ウィタ」

 彼の名まえを呼ぶ声が聴こえた。

 ふとかたわらを見やると、魔王城の大広間に、あるはずのない人影があった。

 無精髭の男である。漆黒のマントに、細身の剣。鋭い瞳は深い藍色をたたえ、ウィタを見つめていた。

 彼は故郷の村のことを思いだしていた。そしてようやく、ひとつの名まえにたどり着いた。

(ユカ……何故、ここに?)

 ユカはさみしそうにいった。

「ウィタ、おまえはここに来るべきじゃなかったんだ。俺のいったことを忘れたのか?」

 心の荒野に、笑い声がこだまする。

 子どもたちの声。ウィタがまだ、子どもだった頃の声だ。

 音楽が鳴っている。

 それは故郷のお祭りの劇のなつかしい音楽だった。

 

 

 太鼓に、鐘に、ときどき調子っ外れな音をだす笛の音が重なる。

 音楽にあわせて、きれいな青い衣と、さまざまな鳥の羽を縫いつけた黒い衣が翻った。

 剣をもった青い衣の子は勇者の役。

 黒い衣を着て木の杖をもち、仮面をつけた子のほうが魔王の役だ。

 ふたりの子どもたちは、お祭りでみせる勇者劇を演じていた。

 元宿屋のホールは、色あせてはいるものの、きれいな緑色と黒のタイルが残っている。天気が晴れた日には人気の稽古場になった。僕も彼らくらいの年のころは、そこで劇の練習をすると、まるで自分が一流の役者になったような、そんな気分になったものだ。

 劇はいよいよ勇者の剣が魔王の勇者役が魔王の心臓をつらぬく場面となった。

「うわあっ」

 最後の最後で、勇者役の子どもが思いっきりマントの裾を踏みつけ、足をもつれさせて転倒する。

「どうしたんだよ、タルパ。本番は明日だぞ」

 勇者役をしていたタルパは、ぜいぜいとつらそうな息をしながら、むっくりと起き上がった。

「ウィタ、やっぱり俺は勇者ってガラじゃないよ。今からでも別の役にかえてくれよ」

「だめだ」と僕はいった。「いつも通りの劇をしたんじゃつまらない。でかい図体のタルパが勇者をするからおもしろいんだろう?」

 村いちばんの食いしんぼうのタルパは、お腹の大きさも村いちばんだ。

 タルパは「なるほどなあ」といって自分の腹をなでていたが、ようやく何を言われたのかに気がついたらしく、顔を真っ赤にして拳を振りあげた。「よくも言ったな! ウィタ!」

 いつも通りのやりとりに、僕は笑った。魔王役の子も音楽を演奏していた年少の子たちも、みんないきおいよく笑いだした。それどころかタルパも笑っていた。

 タルパがはしゃいで追いかけてきた。僕は斜めに倒壊した宿屋の瓦礫の上を逃げ、くずれた壁が重なりあった高い山に登っていった。少しバランスを間違えただけで、まっさかさまに落ちてしまいそうな瓦礫の山をどんどんと上へと登って行く。そこからは、村じゅうが、この「街」全体が見わたせた。

 

 僕たちの村は瓦礫のなかにある。

 

 ある建物は土台の根元からくずおれ、塔は半分にへし折られて、先端が地面につき刺さっている。街は道具屋や、武器屋や、市場……すべてが昔、攻めてきた魔王の軍隊によって廃墟となったのだ。のみならず、大人たちは殺されて、生きのこった者たちもこの地を去っていった。

 以来、とり残された子どもと行き場のない老人たちは、廃墟のなかから使えるものを拾いだし、旅人から種をわけてもらって作物を育て、森で動物をとって暮らしてきた。それが僕たちの村だった。

「ウィタ―!」

 まるで鳥の鳴き声のようによく通る声が響く。

 街の真ん中の、水の枯れた噴水広場に、ミセリアが立っていた。ミセリアは僕よりもふたつ年上で、黒い長い髪がすてきな女の子だ。こちらに手をふっている。あたたかい太陽の日ざしの下で彼女の笑顔や、白い肌が金色にかがやいて見えた。

「少し早いけれどお昼にしましょう、みんなを集めてちょうだい」

 僕が声をかけるまでもなく、食いしん坊のタルパが「飯だ! やった!」と騒ぎはじめたので、子どもたちは我さきにと練習場を出ていった。

 ミセリアは、走り去る子どもたちの姿を見ながらにこにこと微笑んでいる。

 風が彼女のつややかな髪をさらさらとなびかせた。

 その様子は言葉では言い表せないくらい、きれいだった。

 

 司祭様は、街が魔王に破壊された後に、おさないミセリアを連れてやってきた。当時、村には老人ばかりで、子どもたちはおさなく、魔王が街を破壊したことさえ覚えていない者がほとんどだった。司祭様は残された子どもたちをあわれんで、村に残る決意をしてくださった。

 大人のいない村では、子どもたちに様々なことを教えてくれるのは、司祭様しかいない。年に一度のお祭りの前日は、魔王の話をみんなで聞くのが決まりになっていた。

 なかでもアダマスの魔王の話の恐ろしさは、他のよりも群を抜いていた。

 司祭様が仰るには、アダマスはこの世に生まれた魔王のなかで最も邪悪な存在なのだ。峻厳な岩場の上に城を持ち、毒を振り撒いて作物を枯らし、闇の眷族たちを使わして人をさらう。もし自分を倒しにきた勇者が現れたなら、絶世の美女に化けて口づけをかわして、唇から血を一滴のこらず吸い上げて殺してしまうといわれている。

 この街を廃墟にかえてしまったのも、アダマスのしわざなのだという。

「世界の悲しみや苦しみのすべては魔王がもたらしているのです。村の外の世界の人々も、みんな魔王に苦しめられています」

 と、食事の前にかならず司祭さまはそういった。

「もし魔王がいなくなれば、この世は平和に、人の心は安らかになるでしょう。ですから、日々の実りに感謝し、いつの日か魔王をうち倒す勇者が誕生するよう女神クロデア様にお祈りしなくてはいけません」

 僕たちは司祭様のするように、女神さまのために両手を組み、おいしそうに湯気をたてるスープやパンの前に頭をたれる。司祭様は深いしわの刻まれた頬や額を、とても苦しそうにゆがめている。まるで世界の苦しみをひとりで背負いこんでいるようだった。

 だが……僕はいつも不思議だった。本当に、世界の苦しみは魔王のせいなのだろうか。

 僕は、いま、とてもしあわせだ。たとえ貧しくとも、森に入って木の実や茸をとり、薬草をつみ、動物を弓で射て、夜は廃墟の中で眠る。そうした暮らしに不満はない。何よりタルパやミセリア……家族がいる。僕はミセリアのはつらつとした笑顔を見るだけで、とてもしあわせな気持ちになれる。なのに、ほんとうは魔王の力によって苦しめられているというのだろうか。

「なあ、ウィタ」とタルパがいった。

 他の子どもたちは、長机のそれぞれの席で食事に夢中になっている。

「司祭さまは、どうしてあれっぽっちしか食事をお召しあがりにならないんだろうな」

 司祭様はミセリアに助けられながら、年少の子の半分の大きさしかないパンと、あまり具の入っていないスープだけを口に運んでいる。

「だって、俺たちの中でいちばん体が大きいんだぜ。俺だったら、腹ペコで動けなくなっちゃうよ」

「馬鹿。司祭さまは、きっと子どもたちの取り分を気にかけていらっしゃるんだよ。とくに、お前がたくさん食べるもんだからな」

 意地悪なそばかす顔のパクスがいったが、しかし村に食べものは十分にあった。

 昼食のあと僕は司祭さまに呼びだされた。

 司祭様は、村の集会所でミセリアと暮らしている。

 人払いをし、女神クロデアの祭壇の前で、司祭さまはつらそうに息をついた。

「ウィタは、今年で十五歳だったな。いちばん年上のお前にはどうしても伝えておかなければいけないだろう。みての通り、私は病をわずらっている。もう長くはない」

 うすうす気づいてはいたけれど、病を告白された瞬間、僕ははっと息をのんだ。

「司祭さま、そんな心細いことを言わないでください」

 司祭さまは穏やかな青い瞳で僕を見つめ、ゆっくり首を横にふった。どんな生きものも死からは逃れられないのだといつか司祭さまはおっしゃった。

 その虚しい言葉どおりの、何もかも悟りきったような表情だった。

 

 その夜、村に旅人が現れた。

 僕は眠れずに、廃墟のなかをうろうろと歩きまわっていた。

 美しいヒバリを描いたステンドグラスが、ほぼ無傷で残っている、お気に入りの場所までやってきた。もとは何だったのかよくわからないが、つくりが堅ろうで扉もがっしりとしている建物だ。

 そこに黒いマントを着た旅人らしい影がいた。黒い髪の、無精髭の男だった。その目つきには、少なくとも、司祭様が子どもたちを前にするときような優しさはみられなかった。

「旅の方ですか?」

「ああ。このあたりに、村や街はないのか? それとも、お前さんだけか? 食料や水が尽きかけているんだ」

「ここには、あまり人はいない。行っても歓迎されないよ。食料は分けてあげられるから、荷物をまとめて元来た道を帰ったほうがいい」

 旅人は、そばにある長椅子に腰をおろすと、旅荷物のなかからびんを取り出して口をつけた。そしてユカと名乗った。

「昼間、勇者劇をやっていただろう。とてもおもしろい劇だったよ。だが、剣の持ち方がちがうな」

 彼はそういって、近くにあった木の棒っきれを投げてよこした。

「構えてみろ」

 どうしていいかわからずに、僕はそれを体の前に構えた。

「違うな。頭の上で構えるんだ」

 ユカが僕の棒を打つ。簡単にはねあがり、切っ先は天井を向いた。

「もう少し脇をしめろ……そう、それが騎士の構えだ」

 僕はユカの剣を触らせてもらった。

 漆黒の鞘に金色の縁取りのある立派な剣だ。

「きみは、勇者になりたいか?」

 月の光の下で、藍色の瞳が複雑な色を帯びた。僕は少し考えて答える。

「剣を持って斬り合いをするなんて、怖くてしかたがないよ。僕は、ここで仲間たちとずっと暮らしていたい」

 そういうと、ユカはおだやかな表情でうなずいた。

「それでいいんだ。その気持ちを、絶対に忘れるんじゃない」

 その言葉はウィタの心をちくりと突き刺した。

「ウィタ、仲間たちを大切にするってことは、魔王に立ち向かうことよりもずっと大切なことなんだ」

 

 

 

 魔王城は静まり返っていた。

 アダマスの動きはぴたりと止まっていた。みると、ユカの剣がアダマスの影に突き立てられている。シャンデリアに照らし出された剣の影はぶきみに膨れ上がり、魔人の姿となってアダマスを絡め取っていた。

 ユカは記憶の中そのままの姿をしてそこに立っていた。

「その剣は何だ? それに、どうして十年前と同じ姿をしているんだ」

「そんなことはどうでもいい。ウィタ、あれほど言ったのに何故、村を離れたのだ?」

 ユカの言葉には責めるような響きがあった。

 ウィタはユカと出会ったあと、司祭様から勇者の剣を授かり、魔王討伐のために旅立つようにいわれたのだ。ウィタは迷った。だが最後には村を離れて勇者となることを決意した。

「ちがうんだ、ユカ……。はじめ村を出たときは、ただ外の世界のことを知って、村をもっと発展させる方法を探すつもりだった。それだけだったんだ」

 そうして知った外の世界は、子どもが頭のなかで想像していたものとははるかに異なる姿をしていた。

「それならば、お前たちが信頼していた司祭の嘘にも気がついただろう」

 ユカの言うとおりだった。村にいた司祭は、子どもたちにたくさんの嘘をついていた。たとえば、この世界は彼の言うほどには魔王という存在に苦しめられてはいなかった。

「この大陸には空位が続くひとつを含め、魔族の領土が十三ある。おまけに人の国の数は三百を超え、どの国にも魔王に対抗するような国力は残されていない。魔王たちも、もちろん旧体制を敷いたままの魔王もいるが、他の魔王とのあらそいを有利に運ぶために人と手を組むことを覚えた者もいる」

 ユカが静かにはなった言葉にウィタは頷き、自嘲気味に笑ってみせた。

「とくに魔王アダマスは人に対して寛容で、いまや彼の領土には多くの人間と魔族が共存している。僕の住んでいた街が滅ぼされたのは、彼の恩恵を受けているにもかかわらず魔王アダマスに反抗したからだった」

「そこまで理解していて、どうして勇者となった?」

「それは……」

 口ごもるウィタに、ユカは容赦なく続けた。

「ミセリアのためだな」

 驚き、だが素直に認めた。

 司祭さまに呼びだされたあの日、ウィタはミセリアが何者なのかを聞かされたのだ。

 ミセリアは、彼女もまた、魔王アダマスに父親を殺された孤児だったのだ。

 その事実を知ったとき……いや、外の世界を知れば知るほど、魔王への怒りは深く強くなった。外の世界の人々は魔王に受け入れられ、強大な庇護のもとで豊かな暮らしを送っていた。魔王に虐げられた村の大人たちや、ミセリアの父親のことなどまるでなかったかのように。

 もし復讐をとげるとすれば、その意志を残しているはもはやウィタしかいなかったのだ。

「だが司祭はもうひとつお前に黙っていたことがある。その剣の出所だ。なぜお前が勇者に選ばれたと思う?」

 ユカは厳しい目つきでウィタを見据える。

「いいか、よく聞け。司祭が若かりし頃の話だ。女神クロデア派の大教会に属する聖騎士が、魔王アダマス討伐の命をうけて旅立った。クロデア派は魔王の存在を認めていないからだ。その騎士がミセリアの父親だった。彼はアダマスに挑み、やぶれた。そのときの旅の仲間でひとり生き残った司祭は、村に潜んで復讐の機会をねらっていた」

「じゃあ……」

「そうだ。同じくアダマスに何もかもをうばわれた子どもたちに勇者劇を演じさせ、つねに憎しみを募らせるようしむけていたのは、いずれ彼らを魔王討伐の足がかりとするためだ。だが病魔におかされた彼は、愚かにも勇者をでっち上げてしまった。それがお前だ。女神から選ばれ、剣を授けられたのはミセリアの父親だ。お前は偽物の勇者だ。だから、その剣を抜くことができなかったんだ」

 すべてを聞き終えたウィタは、全身から力が抜けていくのを感じた。

 では、これまでの旅は何だったのだろう。

「そんな……だけど、ミセリアは」

 他の全てがいつわりでも、ミセリアの父親が勇者であり、魔王に殺されたのは真実のはずだ。

 ユカは懐からとりだしたものをウィタに投げた。受け取ったそれは、ちゃちな細工の首飾りである。それは子どものころミセリアに贈ったものだった。

「あの心やさしい娘が、司祭のたくらみを聞いてどうしたと思う? 老人の妄執のせいでお前を死なせないために、どうしたと思う」

 ユカの藍色の瞳は、氷よりも冷たく凍えていた。

「あの娘は、自分さえいなくなれば、お前が帰ってくるものと信じていた。だから、彼女はもう、この世のどこにもいない」

 首飾りには黒く変色した血液がこびりついていた。

 ウィタの心にはさまざまな想いが交錯している。その果てにあるのは、タルパが主役をした劇をみながら、明るく笑い声を上げていた黒い髪の美しい少女、ミセリアだ。彼女の横顔は十年たったいまでもはっきりと記憶に刻まれて、褪せることはない。

 やがて思い出も遠くに去っていった。

 ウィタは考え、ひとつだけ決断を下した。

 立ちあがって抜けない剣を鞘ごと外した。

「お前は勇者ではない、村に戻れ、ウィタ」

「いいや。これは僕が勇者かどうかなんてくだらないこととは、ひとつも関係のないことなんだ」

 ウィタは防具をすべて捨て、剣だけを構えアダマスの本体めがけ走った。

 その瞬間を待っていたかのように、ユカの剣の影に絡め取られていたアダマスは影の束縛をふり切った。

 床からユカの細身の剣が抜けてはじけ飛ぶ。

 アダマスは触手を青年に殺到させる。ウィタは無駄と知りながら、剣を振るった。

 すると触手はまっ二つに切り落とされた。みるとウィタの剣からは鞘が消え、美しい白刃がかがやいている。

 なにが起きたというのだろう。

 身軽なウィタは触手や腕の攻撃をかいくぐり、地面を蹴り、跳躍する。

「ウィタ! やめるんだ!」

 金剛石のつぼみが震え、花ひらいた。

 その花弁の中央に、すきとおり、虹色に輝く人間がウィタを見つめていた。

 それは長いまつ毛まで金剛石でできたうつくしい女だった。

 女はたおやかな腕をするりとのばす。胸に刃が突き立てられても、悲鳴すら上げない。美しく硬質な掌はウィタの頬をそっと包み、アダマスは死をもたらす唇を近づけていった。

 

 

 恐ろしい悪夢をみた。

 村を出て、辛い旅をして、魔王アダマスに挑む夢……。

 最後はアダマスの魔手にとらわれ、全身の血を抜かれて死んでしまうのだ。

 僕は、僕の肩を掴み揺らす手によって、現実に引き戻された。

「ウィタ、起きて。司祭さまが呼んでいるわよ」

「……いま、何時? 劇の準備をしなくちゃ」

「そんなの、とっくに済んでいるわよ。いったい、どんな夢を見ていたの?」

 焚火の火に照らされたミセリアは、いたずらっぽい微笑みを浮かべてくすくす笑いをする。

 ほんとうにおそろしい夢だった。魔王退治だなんて、いつもの僕なら、まっさきに逃げだしているところだ。森のなかで熊の足あとを見つけたときみたいに。

 なのになぜ、あんな化物に、立ち向かっていったのか。

「ウィタ、どうしたの? 今日はおかしいわ」

「おかしくなんてないよ」

「そうね。いつものウィタだわ、いつまでも、いつものウィタでいてね……」

 僕はミセリアの笑顔を見つめ返す。

 なぜ……。

 問いの答えはわかりきっていた。

 いま、彼女の笑顔が僕の瞳のなかで輝いている。

 たったそれだけの些細なことが、僕に勇気をくれる。

 たとえこの地を遠く離れても、どんな絶望のふちに立っていたとしても、彼女の笑顔が、仲間たちとの思い出が、僕を勇敢にさせるだろう。彼らのためならば、僕は何だってできる。どんなに辛くてもいい。どんなに笑われてもいい。強くなれる。すべて、まるで夢のように。

 美しい、夢のなかのことのように。

 

 空には満天の星空がかがやいていた。

?

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3 夢をみせる魔王の話

 

 盲目の旅人が杖をつき、切り立った深い谷を這うように進んでいく。盲目となったのも、こうして当てのない旅を続けるのも、故国でおかしたささやかな罪のためだったが、長い時間が彼女を老いさせ、その記憶すら風化させていった。

 彼女は疲れ切っていた。望むのはただ深い眠りつくための、屋根のある場所だけだった。プラガの底は昼間でも暗く、鞭のような鋭い風が体を打ちつけた。

 やがて旅人は大きな城へと続く大階段をみつけた。彼女は、もしやこれが噂にきく化物屋敷かと疑った。なんでも、広大なプラガのどこかには、人間の皮をかぶって旅人を待ちうけ、巣に迷い込んできた者を食べてしまう魔物が棲んでいるのだという。しかし命がいつ果てるともしれない者にとっては、魔物も、死も、さほど恐ろしいとは思えなかった。

 彼女は階段をのぼった。擦り切れた靴底の下に感じる感触は、大理石よりも軽く、まるで乾いた骨の上を歩いているようだ。

 やがて天を突くほどの巨大な城門が現れた。その堅ろうさ、重たさは、たちまち女を落胆させたが、彼女が皺だらけの指先で触れると、ふしぎなことに扉は音もなく内側に開いていった。

 空気は少し冷たく、埃のにおいが鼻先をくすぐった。魔物も人も、動くものの気配はしない。旅人は壁際の彫刻のわきにもぐりこみ、ポケットからパンのかけらを取り出して口に含んだ。空腹が落ち着くと、床の上にうずくまる。

 どこからか奇妙な音楽が聴こえてきた。城の奥に、広い部屋がある。そこから、ふたりぶんの話し声がする。女は、それが人のものではないとすぐに気がついた。

 盲目になったかわりに、彼女は魔物の気配がわかるのだ。

 

「あたらしい音の組合せを思いついたぞ! お前はどう思う?」

 まるで子どものように無邪気な声だった。落ち着いた大人の声が、こう続ける。

「ヒキガエルの合唱に似てる」

「そうかい? やはり、魔族にとって音楽を習得するのは困難なのかな。近頃心の底からそう思うよ」

「いや、あんたの耳がとんちきなだけじゃないかな、アダマス」

 

 やはり、どちらも人ではなかった。このあたりでアダマスといえば、魔王アダマスのほかにない。いつのまにか魔王の居城に迷いこんでしまったようだ。

 旅人が気がついたとおり、城の奥にはとてつもなく広く、天井の高い大広間に、巨大な鍵盤楽器が設えられていた。

 周囲には紙切れが散らばっている。その紙のひとつひとつに、たっぷりと音楽が書きこまれているのだ。

 鍵盤楽器に指を走らせているのは、少年だった。その容姿はきわめて美しく、長いまつ毛に彩られた瞳はまるで金剛石のように輝いていた。また少年はまばゆいばかりの金髪をしており、貴族のように豪奢な身なりをしている。彼が人ではないことを示すのは、頭の両脇から生えた硝子の角だけである。

「しかし、反魔王派の筆頭である女神クロデア派の僧侶があの廃墟にひそんでいたとは。よく知らせてくれた」

 そういってアダマスはビロードばりのソファに腰かけた男をみた。

「村の周囲にはり巡らされた魔物よけの結界が、女神クロデア派の使うものだった。もしやと思ったのさ」

 音楽を愛するがゆえ、人と魔族の共存を進める魔王アダマスの領土では女神クロデア派はむしろ異端である。

「だが、ほんとうにその村から、勇者がでる可能性があるだろうか。――なにしろ彼らは最年長のものでも、まだ、この城にすら足を踏み入れていない、たった十五歳の少年だという話じゃないか」

「司祭はお前をひどく憎んでいる。勇者の剣を隠しているのがいい証拠だな」

「やはり生きて帰すべきではなかった。僧侶のごときはとるにたらないが、剣と勇者がそろうならば厄介だ」

 もう片方の男はさらに言い募る。

「勇者のことは、なんとか思いとどまらせてみよう。そのかわり村や、あの子の仲間たちには手出ししないでいてほしい」

 その申し出に、アダマスは興味を抱いたようだった。

「ふむ、お前のいうとおりにしてみてもいい。いったい、どうするつもりだ?」

「剣を使う」

「その剣が影をあやつり、暗闇をあやつることは聞き及んでいる。だが、それでどうする?」

「それだけでなく、俺の剣は、人の夢をも操り、望むままの幻を人にみせることができる。勇者となることがどういうことか幻にしてみせてやろう」

「なるほど……」

 

 望むままの幻、と聞き、旅人は床の上で喜びを感じた。話の内容はよくわからなかったが、なんとすばらしい力だろう。いまや旅人がみるのは乾ききった悪夢だけだった。朝起きれば、恐怖のために体じゅうが強張っている。思いのままの夢を見ながら眠りにつけたなら、どれだけ幸せなことだろう。どんな夢をみよう。ご馳走の夢がいいだろうか。それとも、さ迷い歩いた時間をさかのぼり、娘時代の夢をみようか。宝石やドレスを身にまとっていたころの。

 いや……やはり、その夢はみないほうがよいだろう。枯れたと思っていた涙が、目尻からこぼれるのを感じた。失ってしまった時間を惜しんでいるのではない。そこに己の孤独を見たからだ。

 ふと、話声が途切れていることに気がつく。

 彼女の体をそっと抱き上げる力強い手があり、唇に水のしずくが触れた。泥水ではない、純粋な水を飲んだのは久しぶりだった。

「しっかりなさい、いま、人を呼ぼう」

 男の声がする。アダマスではない。女が手を伸ばすと、骨ばった大きな手が、彼女の皮と骨ばかりとなった彼女の掌を包んだ。女はかすれた声で訊ねる。

「ここは……かの有名なアダマス様の城でしょうか」

「安心しなさい。アダマスは人をとって食らうような下賤の魔物ではない」

「あなた様も高貴な、おそらくは名のある魔族の方だとお見受けします。わたしにはわかるのです。あなたが人ではないということが。そうでしょう?」

 男はしばらく言いよどんでいた。老い、盲いた女にさほどの時間は残されていないとわかると、かたわらにいたアダマスがかわりに答えた。

「訳あって名まえは明かすことができないが、この者も私と同じ、高位の魔族だ。何も心配することはない。何か望みがあるか?」

「では、失礼ながら。不思議な力が宿る剣の話を耳にしました。どうか私に幸福な夢をみせてはくださいませんでしょうか。私は……自分が罪人であることは十分理解しておりますが、せめて」

「あなたが罪人などと、誰がいうのです」

「いいえ、私はかつて、取り返しのつかないほどに、ひとりの人間を傷つけました」

 女は啜り泣くような声で懺悔を続けた。

「私の故郷は、とても小さな国でした。とても小さな……そして魔王と戦っていました。理由はわかりません。こんなに醜い姿では信じてもらえないでしょうし、たとえ信じてもらえずともよいのです。ええ、私は嘘をつく女です。すべては作り話なのです。かつて、私はその国の王女でした。そしてあるとき、ひとりの勇者が私との結婚を約束に、魔王城へと旅立ったのです。彼を愛していました。とても帰る望みなどない旅路です。さいわい、奇跡が起き、神様は彼を故郷へと返してくださいました。でも、父は勇者を怖がりました。魔王を殺したのですから、勇者は魔王よりも強いはずです。だからそれがなんだというのでしょう? おろかな父は彼を怖がり、城の門を閉じ、私を隠しました。彼は失意のまま故郷を失い、帰る場所は、自らが滅ぼした魔王の領土しかありませんでした。私がそうさせたようなものです。かわいそうなあの人は、王への憎しみをかかえたまま、殺した魔王のかわりに魔王となるしかなかったの」

 心なしか、女の体を抱く男の腕が緊張に強張った。

「して、その後あなたは?」

「国が滅び……こうして罪をつぐなっています」

「その勇者の名は、なんと?」

 アダマスが訊ねるが、返事がない。彼女の瞼は閉じたまま、落ちくぼみ、深い影を湛えていた。土埃に汚れた顔は蒼白となり、死神の手がその頬をやさしく撫でている。

 男は黒い鞘におさめられた剣を抜き、望みのままにした。

「ありがとうございます、魔王陛下……」

 それが最後の言葉だった。

 夢のなかで彼女は小国の王女であった。

 彼女はただ祈りながら恋人の帰りを待っている。

 恋人は帰ってくる。国じゅうが歓喜の声で満たされる。

 門を開け放ち、誰もが彼を迎え入れる。

 女はまっ先に恋人の姿をみつけ、感極まり、告げようと思っていた愛の言葉も、ねぎらいの言葉も、涙に流されて忘れてしまう。彼女はただ、恋人の名まえを呼ぶ。

 

「ユカ!」

 

 

 アダマスの居城で、ユカはしばらく女の亡骸を抱えていた。

 その亡骸が欠けていた物語の最後のひと欠片のように彼の両手のなかに残っていた。たとえそれが嘘であっても、それは勇者の物語のたしかな結末のひとつだ。

 廃墟の村に住む少年がまだ知らない勇者劇の終わりが、魔王の心臓に剣を突き立て、おりた幕の裏側にある。笑顔の裏側に隠れている。鋭く指先を切り裂くほどやさしい夢のなかに、思いもかけない人の抱擁に物語の果てが抱かれている。

 少年は夢をみるだろう。美しい夢を。

 

 昔々……。

 

 あるところで。

 

 

説明
影を操るふしぎな剣を手に荒地を行く旅人、ユカ。彼は、死の口づけにより数々の勇者を葬ってきた魔王アダマスの居城に向かっているというが……その目的とは?
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コメント
>ぽんたろさん 読んでいただきありがとうございます。つたない作品ですが、ステキといってもらえてうれしいです^^(aku*)
ステキです*=ω=*(ぽんたろ)
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魔王 勇者 ファンタジー 短編 

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