幽々子御膳。幽香定食。 |
「ごめんください」
お客かと思い本から少しだけ顔を上げた。
「珍しいね、妖夢じゃなくて君が直接来るとは」
「あら失礼ね、まるで私が普段から動かないみたいじゃない」
まさにその通りなんだけどね。
お客は白玉楼の主、西行寺幽々子だった。
そもそも一昨日に妖夢が来たばかりだ。
珍しく買い物に来たのだがサイフを忘れてしまったらしく、
、雑多な仕事でもやらせようかと思ったが丁度その時きらしてしまっていた。
結局、その後に来た柄の悪い妖怪を追い払ってくれたが、この事は言おうか言うまいか。
「何、ただ珍しいお客だと思っただけさ、他意は無い。
それで、何がご入用かな」
「別に、ただちょっと近くに来たから見に来ただけよ。
相変わらず変な物ばかり扱ってるみたいだけど」
訂正、お客では無くただの来店者だった。
「そんな嫌そうな顔しないでよー。
何か買うつもりで来たって訳じゃないだけよ、何か面白いものがあるっていうなら考えるけども」
なるほど僕の腕次第という事か。
白玉楼の主人を唸らせるほどの物か・・・これは取っておきを用意する必要があるかもしれない。
「よし分かった。少し倉庫に行くからそこいらの道具を見ていてくれ」
さてどんな物を持ってきてやろうか。
白玉楼は白く儚い様な場所だと聞く。
それなら陶磁の壺、もしくは掛け軸。
いや、ここは意外性を突いて刀なんて・・・・
「こうやって煽ると倉庫からいい物を出してくるって紫から聞いたけど本当ね」
「何か言ったかい?」
「いえ、何も?」
怪訝そうな顔つきをするが、店主は店の奥へと入っていった。
いつ戻ってくるのかも分からないので、言われた通りに適当に道具を見ようと思った。
棚にはサビてたり変形していたり、到底売り物になるとは思えないような物を陳列している。
毎度思うがここの店主は精巧な道具を作るのが得意な筈なのに、何故このようにして初見の客を騙すような事するのか、不思議に思う。
5分くらいした頃か、扉につけられた来店の合図のベルが鳴った。
「店主いる?日傘の柄が飽きてきたから貼り直して欲しいんだけど」
「あら」
「ん」
「すまない、蔵の鍵を・・・・おや」
今日は運がいいのかはたまた不幸な厄日なのか、珍しく二人もお客がやってきた。
緑の髪色に赤のチェックのスカートを揺らし、何かの花の匂いを漂わせている。
これはラベンダーの香りだろうか、カビっぽい店の中がそれだけで華やかになった気がする。
幽香か、時期的に考えて傘の柄が飽きてきたとでも言いに来たのだろうか。
「君の方から来るだなんて珍しいね、幽香」
「そっちこそ先客がいるなんて珍しいわね、出直しましょうか」
「気にしなくていいわよ、今日は冷やかしだから。
そんなすぐに無愛想に椅子に座ること無いじゃない。お客さんが来てるんだから笑顔よ笑顔」
「本日分の取り置きは全て売り切れました。
それで幽香、今日はどうかしたのかな?」
「日傘の柄に飽きちゃってね、新しい柄に張り替えてもらえないかしら」
「簡単に言うけれど、君の日傘は骨組みから傘部分まで全て君に合わせたフルオーダーメイドだよ、急に言われたって」
「グダグダ言ってないで用意してきなさいよ。
どうせ初めに作った時に2,3枚別なの用意してるんでしょ」
「口上くらい言わせてもらっていいじゃないか」
「一度喋り始めると長い上に中々戻らないから嫌よ」
何か小言を吐きながら霖之助は奥の居間に向かっていった。
おそらく用意していた小言だろうか、聞こえてこなくなり、場が静まった頃に幽々子が話しかけ始めた。
「さて、自己紹介といきましょうか。私は西行寺幽々子と言うの、亡霊よ、よろしくね」
「風見幽香、太陽の畑の主よ」
「ああ、噂は兼ね兼ね、どうやらうちの庭師がお世話になったようで」
「ああ、あの庭師の主人だったのね」
「こちらの店主さんとは長い付き合いのようで」
「まあ、手作りの傘を作ってもらう程度には仲がいいかしらね」
幽香が自慢気に日傘を広げ、手の平で軸を回す。
緑の生地に白いレース。
上品に仕上がったその品は、見た目だけ幽香を知るものならまさに似合っているといえる品だ。
「いい品ね」
「まあ、昔なじみの特権かしら」
珍しく機嫌のいい幽香、その評定はどこか誇らしげだ。
回転する日傘が空気を切る音を立てて、近づいてしまったハエが一瞬で真っ二つになった。
「昔馴染みねぇ・・・。ところでこの扇子、綺麗でしょ?」
黒の背景に淡い桜色の蝶が薄く書かれている。
まさに西行寺幽々子のイメージに合う代物だ。
それを広げると自慢気に軽く振るう。
「これね、彼がくれたのよ」
「・・・・・・・・」
「まあ貰い物には慣れたものだけど、やはりそういう人から貰ったものだと・・・嬉しいわよね?」
扇子で口を隠すと、目を細めて言う。
その姿はどこかなめかましい。
「・・・そういう人っていうのは、そういう事だと解釈していいのかしら」
「さあ?どういう事なのかしらね」
「すまない待たせたね。どうも今日は鍵をよく無くす・・・日・・・・で・・・」
この短時間に何があったのだろうか。
空気は一触即発。
幽々子の背後には黒い蝶が舞い、幽香の近くの窓からは何かの植物のツルが伸びてきている。
並の人妖なら今すぐ逃げ出すし、半妖の僕ももれなく今すぐ逃げ出したい。
しかし唯一の出口は彼女たちの間を通らなければいけないし。
出口は一昨日、置く場所が無い無縁塚から拾ってきた「アナログテレビ」で塞がれてしまっている。
万事休すだ。
「いい度胸ね、決闘よ」
「えっ」
「いいわ、弾幕勝負だなんて野暮な事をしないで、女性らしく料理勝負としましょう」
「待ってくれ一体何が」
「「賞品は黙ってて」」
「・・・・・・・・・・」
かくして、賞品に一切の権利が認められない、譲れない女の戦いが始まってしまった。
料理自体はスムーズに進んだ。
お互いの妨害でもし始めるのではないかと冷々していたが、
存外、二人ともお互い触れないよう気にしないように己の調理を進める。
何故ならヘタに手をだして、勝った後に難癖をつけられたら、たまったものではないからだ。
やがてすると、互いに料理が済んだとのことで居間に戻ってくることができたのだった。
「それじゃあまず幽々子の料理からいただこうか」
「久しぶりに作ったけれどちゃんと出来上がったわね」
うむ、上品な味だ。
悪く言ってしまえば全体的に薄すぎる味だと思うが、風の噂で幽々子は生前、平安の貴族の娘だと読んだ。
その時代の貴族は全体的に薄味を好む傾向があり、濃い味付けは汚れになるとされて忌み嫌われていた。
だが、どの食材もその伸ばすべき味わいを重点的に残し、まさに5味で全ての食材を感じることができる。
味噌も態々家から持ってきたのだろうか。
自分の家とちがう白味噌の良い香りと味わいが鼻をついていく。
好みで言えば赤味噌の方が好きではあるが、彼女の料理ならば赤よりも白味噌のがよく合うのかもしれない
難点は一つ。
「このキノコのお吸い物、何でおちょこに入ってるんだい」
すごく量が少ない。
お猪口の中には申し訳程度に小さく崩れた破片であろう具が入っていた。
おかしいな、初めは普通の大きさの鍋で作ってるのが見えたのだが、
今では一口いただいただけで無くなってしまいそうな、事実一口で無くなってしまった。
少なすぎるもんだから薄味というか味の付いた温湯を飲んだ印象だ。
「おかしいのよねー、何度か味見してたら底にそれしか残らなくて」
「あれって味見だったの・・・?アナタどんぶりによそって飲んでたじゃない」
「うちだったらいつもはもう少し残るのよ?」
ああ、そういえば妖夢がこの前、業務用寸胴鍋を買っていったか。
これで楽になれるというもんだから宴会用かと思っていたが、まさか日常用だったとはな。
亡霊というのは体の熱量消費が激しいのだろうか。
次来たら少しは優しくしてあげよう。
そんな事を考えながら食べていたら、3分もかからずに食べきってしまった。
まあ、どれもこれもお猪口サイズで、一口で食べきってしまうのだから当然だが。
しかし、全体的に味は悪くなかった。
量が量なので味わう暇は無かったが、それを踏まえても素材の味を感じることができるのだから、普通に食べても十分によくできた料理の筈だ。
量さえあれば。
「さ、次は私の番ね。」
そう言って自身に満ち溢れた幽香は、温め直してくると再び台所に戻って行く。
幽香の料理とはどんなものなのか。
正直言ってしまえば、印象的にあまり料理をするというイメージが無い。
元々妖怪というのは肉体よりも精神の方が比重が大きいため、食事を必要としない場合が多い。
半妖である僕も、必要としないという程でもないが無理に毎日摂る必要も無い。
幽香ほどの大妖怪ともなれば、特に必要が無い筈だ。
もしかしすれば花の妖怪らしく光合成するのかもしれない。
そう仮定すると、一体どんな料理が出てくるのかさらに分からなくなってくる。
しばらくしたらいい香りがしてきた。
この香りは一体なんだろうか。
味噌の香り?
嫌それにしては爽やかだ。
では醤油の香りだろうか
それにしても香りが軽すぎる。
ああ、何の匂いか分かってきた。
あまりにも予想外、むしろ信じたくなくて思考が回らなかったみたいだ。
これは花の香りだ。
「あらこの香りは・・・キンモクセイに・・・バラに・・・・混ざってさすがに分からないわね」
店中に花の香りに包まれていく。
何で料理を温めている筈なのに花の香りがしてくるんだ。
普段ならあまり味わうことのできない花の強い香りを楽しめたのかもしれないが、
今はただただ恐怖と後悔、それと僅かな諦めだけを感じていく。
時間に比例して背中に嫌な汗が伝う。
いや待てよ。
先ほど妖怪は肉体よりも精神に比重がかかってると考えた。
それならば幽香も物理敵な食事ではなく、精神を満たす何か、花にまつわる何かを食事代わりにしているのかもしれない、例えばアロマなど。
そうすればこの店を満たしていく花香りも説明がついていく。
ある程度余裕が出てきた
フラワーマスターが作ったアロマだ、余程効能がいいに違いない。
花の香りがする料理を出すのではないかと諦めていた自分が恥ずかしく思える。
もう何も恐くない。
「さあできあがったわ、食べてちょうだい。
いつもよりよくできたと思うわ、この煮魚」
のぞみが絶たれた。
「すまない幽香、食べる前に聞きたいんだが
この店の中を満たしてる花の香りは何かな」
「何って・・・まずキンモクセイでしょ、ラベンダー、バラ、えーとそれから」
「すまないもういいよ。それで、何で煮魚から花の香りがしてくるのか聞いてもいいかな」
「え?こうしないといい香り出ないじゃない、しょうゆだとかの匂いばかりで」
どうやら、ここ数年人間は妖怪との溝が少しだけ埋まったと思っていたが、想像を絶する以上に溝は深いようだ。
人類が彼女の料理を理解できる日がはたして来るのか。
出てきたのは煮魚ばかりではなかった。
後から白いご飯、豆腐と油揚げ、それにネギが入った味噌汁。それにほうれん草のおひたし。
全ての共通点としてまるで花の香りがしてくる事だ。
味噌汁というのは結構香りが強いものだと思っていたが、フラワーマスターの前ではネギと共にキンモクセイの香りを放つ茶色い汁へと変貌していた。
ご飯を炊く時点で何か細工をしたのだろうか、白いご飯から立つ湯気は強い柑橘類の匂いを鼻につかせる。
ほうれん草も食べてみよう。うん、シャキシャキとした食感にバラの香りが口の中を包む。
煮魚はラベンダーの匂いがしてきた。
つまりはマズイ。
「ちょっと、一々食べるたびに動きをとめないでくれない?まるで私の料理がダメみたいじゃない」
ダメなんだよ。
何故ここまで綺麗に仕上がってるのに味覚だけ致命的に反りが合わないのか残念を通り越して悲しくなってきた。
さて、ここまでで二人の料理を食べきった――でなければどうなったか分かったものではない――のだが、どう好意的、甘く見たって結果はドローがいい所だ。
しかし、今それを言ってはたして僕は生き残ることができるのだろうか。
「随分と悩んでるわね」
「それほどお互いレベルが近かったてコトかしらね」
いや、ここで沈黙を続けるのは得策ではない。
最悪このままでは二人の会話で評価のレベルが一掃高くなる危険がある。
ならば言ってしまえばいいじゃないか。
後になればなるほど危険ならば今このタイミング最高だという事になる?
思考の放棄?リスクの分散化の間違いだ。
ここを乗り越えればまたいつもの静かな店が戻ってくる、きっと。
「・・・どちらも微妙だね、悪い意味で・・・」
「病院食がここまでおいしい物だと思わなかったよ」
「あらそう?薄味で不評なのよね。ハイ、全治8ヶ月といったところかしらね」
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