桂(けい)の花咲くはかなき夢に 後編・前 |
「あれ、桂花ちゃんじゃないですか〜」
「げっ……」
あれから時間も経っているし、今なら“あの三人”に見つかると言うこともないだろうと、鬱屈した想いを抱えたまま自室を目指して歩いている途中、角を折れた瞬間ばったりと――これほどまでに適した表現もない――出会った二つの人影。
片割れから発された、間延びした特徴的な声音に、つい頬が引きつった。
「出会い頭に『げっ』とは……、桂花ちゃんも失礼ですね」
表情のわからない、独特な雰囲気の言及に、今度は呆れによって頬が引きつる。
棒付きの飴を口に加えたまま、器用に話すものだと感心するけれど、今はそんなことより言わなくてはならないことがある。
「……時間と場所を顧みず、会話中だろうと関係なく寝るあなたに言われることじゃないわ」
「ぐう」
「予想通りね!」
「……おおっ」
狙ったとしか思えない、そう疑いを持てるほどに清々しい反応だ。
ここまで来ると、逆に怒りが湧かない。
「これはこれは。痛いところを突かれて、つい現実逃避をしてしまったのですよ〜」
その上、彼女自身が自分の非を認めるのだから反応に困る。
飄々として、掴み所がない。まさしく、彼女の真名のように。
相変わらず謎ばかりの彼女だが、彼女のこういうところは変わらない。
いつまで経っても、彼女は“彼女”のままだ。
「それにしても桂花ちゃん。こんなところにいたのですか」
「なによ、私がここにいたらいけないの?」
「いえいえ、そうゆうことではなく〜」
いつも通りの彼女に、いつも通りの対応、いつも通りの会話。
そんな何気ない日常が、ひどく懐かしい。
それだけ私は、この日常から離れていたということだろうか。
「さっき慌てた様子の凪ちゃんと会いまして」
「げっ……」
「桂花ちゃんを見かけていないかと聞かれたのですよ〜」
会話自体の内容は、私にとってひどく鬱々とした情報だけれども、それでも鬱屈した気分が身体から抜けていくように感じるのは『なぜ』だろう。
「……それはどこでの話かしら」
「そうですねぇ。あれはたしか、桂花ちゃんの部屋の近くだったでしょうか」
「帰れなくなったじゃない……」
余計なことに思考を回さなくて済む。やはりそれが一番の理由だからだろうか。
掴み所のない彼女だけど、それでも会話をしていて不快にならない。
それこそ『風』のようにするりと抜けていく、居心地の良い雰囲気を彼女は纏っている。
「桂花ちゃんは凪ちゃんから逃げているのですか」
「いろいろあったのよ……」
「ふむ。まさか凪ちゃんに迫られているとか……」
「私にその趣味はないわよ」
「……………………」
「何よ、その目」
「いえいえ。それこそまさか桂花ちゃんの口から出たとは思えない言葉が聞こえたもので〜」
「どういう意味よ」
「そのままの意味ですよ〜。華琳さまにぞっこんな桂花ちゃんが、その趣味がないとは到底思えませんからね〜」
「華琳さまは別」
「ということは、華琳さま以外なら男でも……」
「馬鹿言わないで」
だからこそ、だろうか。
そんな居心地の良い雰囲気の中にある、一つの違和が、とても気持ち悪い。
他の全てが良いモノであるからこそを、たった一つの汚点が、嫌でも目に付き、嫌でも印象に残る。
見たくない、感じたくない、そう思うからこそ、感じ取ってしまう。
「む〜……」
「不満そうな声を出しても無駄よ。変わらないから」
押しつけられる、不快な視線を。
向けられる、明確な敵意を。
「――――」
反射的に、意図的に視界の外へ追い出していた“それ”が、空気を震わせたことを感じ取る。
本来なら私にできるはずがないというのに、今回ばかりはどうしても“それ”に意識を向けてしまう。結果、意識していなくとも――こんなことを考えている時点で意識してしまっているのは確実だが――その動向を逐一理解してしまう。
“それ”が――“彼女”が、口を開き、何を言おうとしているのかさえ。
「――――」
「残念でしたね〜、稟ちゃん。やっぱり桂花ちゃんは華琳さまにべったりでしたよ」
「――なっ」
「え……?」
我ながら、随分と呆けた顔をしていたと思う。
予想したからこそ身構えていた私の予想を大きく外れた方向からの言葉によって、身構える意味を失った。来ると思って身構えていただけに、横から伸ばされた槍による防御によって空かされ、思わず――心の中で――たたらを踏む。
それはどうやら槍を向けられた“彼女”にしても同じようで、口を大きく開かせたまま固まっている。
「……ふふっ」
何かを隠すように口元を押さえ、気怠げに細められる瞳をほんの数瞬輝かせる少女を眼前に捕らえた。
一つ((瞬|またた))くと消えていたが故に、もしかしたら見間違いだったのかもしれない。
耳が捕らえた笑い声でさえ、聞き間違いだったのかもしれない。
「と、突然何を言い出すのですか、風は!」
それでも予想外の奇襲に見舞われた“彼女”――稟が頬を引きつらせていたことが、それを否定していた。彼女にとっては、おそらく私以上に予想していなかったことで、口を開き、のどを震わせ声を発しようとした矢先に伸ばされた横槍は、理詰めを好む彼女からしたら衝撃はすさまじいモノだろう。
事実、稟は突き入れられた槍を躱すことができず真正面から受け止め、驚愕に目を見開きながら槍の((袂|たもと))、風へと食って掛かっている。
「いえいえ〜、稟ちゃんが欲しがっていた情報を真っ先に渡そうと思いまして」
「渡そうも何も隣で聞いていたのですから必要ないでしょう! それに私はそのような情報は求めていない!!」
「おや、桂花ちゃんが華琳さまの誘いを断ったことを凪ちゃんに聞いて、ついさっきまで憤慨していたではないですか」
「当たり前です! 華琳さまの誘いを断るなど言語道断――」
「『私なんて呼ばれても何もできないのに……』」
「――――!」
声音も変えず、隠された口から放たれた言葉を耳にした瞬間、稟が朱く染まった。
比喩的な表現ではなく、そのままの意味で、紅く、朱く。
だからといってそのままやられる彼女でもない。応戦しようと赤い顔のまま口を開き。
「稟ちゃんの嫉妬、可愛いですね〜」
「――! ――――!」
声を発するよりも早く突き込まれた呟きに、首から耳まで朱く染まる。
開いた口から何も洩れず、それでも必死に声を出そうと開閉されるそこから聞こえるのは荒い呼吸音だけ。
首まで真っ赤に染めたまま、パクパクと口を動かしているその様は、ひどく滑稽で。
ここに至り、私はようやく気付かされた。
私の置かれた状況の、たった一つの、とても小さな変化に。
しかし私にとっては、とても大きな変化で、目を見張るほどに驚くべき事実。
本来なら変わることのない現実が、たった一言で変わってしまった。
変わることなく、変わるはずのない現実。
私に向けられる敵意そのもの。
私は、“華琳さま”のためにと様々なモノを捨ててここまでやってきた。
“天の知識”を利用して、私の持てる実力以上の献策をして。
多くのモノを捨てた代わりに、“華琳さま”の信頼を勝ち取り、あの方の一番になった。
語るまでもなく、私はそれを後悔などしているつもりはないし、むしろ喜び勇んでいることだ。
だからこそ私自身が、『なぜ』、あのような選択をしたのかがわからない。
それでも、たった一度断ったからと言って、私に向けられる敵意が収まることなど有りはしない。
どころか敬愛する主の誘いを断ったとして、敵意を強められることの方があり得る。
事実、目の前の二人の少女の片割れが、それを証明していた。
だと言うのに、今、私が感じる気配――私に『武』の才能はないので比喩的な表現だが――の中に、敵意のような悪意の込められたモノは存在しない。
ほんの少し前まで向けられていたはずの敵意が、居心地の良い雰囲気の中で霧散し、溶けた。
たった一つの、大きな変化。
変わることのない現実が、変わるはずのない敵意が。
波一つない((水面|みなも))に一粒の水滴を落とすように、姿を変えた。
誰かが((落とした|はっした))、ほんの小さな((一粒|ひとこと))によって。
そしてその『誰か』は――
「っ――」
『私』を見て、笑みを深めた。
口元を隠したままの彼女が、本当に『深めた』のかはわからない。
そう錯覚させられるほどに、彼女の瞳が、光を帯びたような気がしたのだ。
そしてまた、私は気付かされる。
私は“彼女”に、護られたのだと。
思考がおよび、たどり着いて理解した瞬間。
「…………ぷっ」
つい、笑ってしまった。
「おや」
「……」
どうやら聞かれてしまったらしい。
元々隠すつもりはなかったとはいえ、改めて見られると何となく居心地が悪い。
気恥ずかしさに頬が熱くなっていくのを思考の外で感じ取った。
とは言っても、私だけがそんな状況にいるわけではないようで、私と同じく、私以上に朱く染まったまま、それを必死に隠そうとしている少女が視界に捕らえた。
恐る恐るではあるが、向こうも私の顔を伺っているのがわかるから、笑い声を聞かれてしまったのは間違いない。
「な、なによ」
故に声音がつい不機嫌になってしまうのも、不可抗力と言えるだろう、
「い、いえ……」
開きかけた口を躊躇うようにわななかせ、結局何も発することができなかった稟。
おそらく私の、『何も言うな』という意思を込めた視線を向けられたからだろう。
いささか理不尽なことは理解しているが、それでも触れられるのは何となく恥ずかしい。
しかし、そんなことなどお構いなしに口を開くのがすぐ近くに一人。
「桂花ちゃんが笑うとこ、久々に見たような気がしますね〜」
「そ、そうかしら……?」
ふてぶてしいとも言える態度に呆れたからか、彼女の指摘に反論することができなかったからか。
頬を引きつらせた私の口から紡がれた問いは、あまりにも弱々しい。
空気に溶け込みそうなほどのそれを拾い上げたのも、相変わらずの“彼女”だった。
「最近の桂花ちゃんは自室にこもってばかりですし、顔を合わせても会議中ですからね。笑うことなんてなかったですよ〜」
「くっ……」
口の端をつり上げた笑顔――錯覚……だろう、おそらく――に押され、洩れ出た呻き。
ほんの少し前まで隣に向けられていたはずのそれが、気付けば対象が私へと変わっている。
「元々桂花ちゃんが笑うことが少なかったというのもありますが〜」
悪かったわね、とっさに出かけたそれを……負け惜しみを飲み込んで。
「桂花ちゃんが笑うのは、常に華琳さまのことですしね〜」
続けられた風の言葉に、息を飲んだ。
「え……?」
何てことのない平坦な声音。
意味合いにしてもおそらくそれ以上のモノはなく、彼女も日常会話くらいの意味だったのだろう。
しかし私にとっては、その“意味”を理解せずとも、思わず聞き返すことになるくらいには、大きな力を持っていた。
「ふむ? どうかしましたか〜?」
わずかに細められた目――こちらは錯覚ではない、はず――から感じ取れるのは、間違いなく観察。
対象は――私。
「い、いや。別に……」
どうもしない。特に、何も、別に。どうもしない、はずだ。
『桂花ちゃんが笑うのは、常に華琳さまのことですしね〜』
当たり前だ。私の全ては華琳さまのモノなのだから、何もおかしいことはないだろう。
なら『なぜ』、私は聞き返したのだろう。
いくら混乱していた……させられていたとはいえ、『そうね』と答えるのはあまりにもたやすい。
聞き返す必要なんてあるはずがないのに、『なぜ』。
「っ……」
鈍い痛みが胸を襲うと同時、恐ろしい速さで思考が巡る。
軍師であろうとする“私”が、湧き出た疑問の答えを求め、散りばめられた要素を拾い上げ、まとめ上げる。
駆け巡る思考を止めることも叶わないほどに早く、速く。
そしてたどり着いた――たどり着いてしまった答えは、私が求めてはいないモノ。
“華琳さま”の前で、笑えなくなったから。
――ぞくっ。
背筋が((沫|あわ))だった。
異様としか表現できない寒気に反射的に自身を掻き抱きそうになる腕を、口の端を血が滲むほどに強く噛むことで押さえつける。
態度に出すことだけは避けたものの、突然の私の変化を目の前の少女二人に気取られた可能性は高い。
口の中に広がる鉄の味を無視し、気丈に振る舞う私だが、それでも追求されれば隠し通せる自信はない。
知らぬ存ぜぬを貫き通すなど、目の前の少女たちを相手に、“華琳さま”の認めた『魏』の軍師二人を相手に、できることだとは到底思えない。
私自身も“華琳さま”に認められた内の一人ではあるが、それでもこの二人を敵に回して無事でいられるはずがない。
“真実”を悟られることはなくとも、欠片だけでも拾い上げて行かれることは覚悟しなくてはならない。
“華琳さま”を戦術面で支える稟は、乱され、作り出されてしまった隙を突き、押し開くこともたやすいだろう。
作り出された隙を埋めることは、動揺を悟られてしまった後ではすでに遅い。
開かれ大きくなってしまっては取り返しの付かないことになるのは明白だ。
一番は動揺を悟られないことだが……、この状況でそれを望むことはあまりにも楽観がすぎるだろう。
そしてもう一つ、わずかの希望に賭ける選択肢を選べない理由が、彼女の隣、風の存在だ。
常に眠たげに目を細め、感情の読めない彼女だが、それでも必要な時には的確な策を講じることのできる切れ者。
押し開かれた隙を突き進み、突き崩すことを、彼女なら表情一つ変えずにやってみせるに違いない。
腹立たしいことだが、私は身をもってそれを知ってしまっている。
かつて私は、この二人を相手に模擬戦と称した知略戦を行い、敗北した。
今となれば、あのときの私は随分と子供だったと思い知らされる。
“華琳さま”が私の身体を心配して付けて下さった二人に、随分と面倒なことをしたものだと。
風と稟、一人一人を相手にしたのなら、私だって負けるつもりはないけれど、だから二人を同時に相手とって勝てる、とは到底言えることではない。
いくら“華琳さま”の信用を勝ち取るためとはいえ、あのときの私が二人の力量を見抜けないとは思えない。
信用を二人に奪われてしまう、そんな焦りがあったのはわかるが……いや、だからこそか。
焦っていたからこそ、私は無謀とも言える勝負を二人に挑み、無残に敗北することになったのだ。
今、この瞬間。
あのとき勝負を挑み、敗北を喫することになった相手が目の前にいる。
今回は直接的には“華琳さま”は関係してはいないものの、それでも後々影響を受けることは確実だ。
なら、どうするか。
決まっている。二人のどちらかが発する一言目を、完璧に応答する。
そしてその一言目は、おそらく、稟から発せられることになるはずだ。
稟が先発を務めて敵を切り崩し、風が後発で敵を打ち倒す。
足りないところを互いに補い合いながら、敵の急所を突いて回る。
長い間ともに過ごしてきた二人なら、この程度のことは朝飯前だろう。
二人ほどではないにしろ、ともに戦乱を駆け抜けてきたのだから、彼女たちが取り得る行動はある程度理解できる。
無論、風から発される可能性もなくはない。
が、そちらの方が割合的には小さいし、それにこの状況で二つの対処を頭の中で構築するには無理がある。
だったら、可能性の小さい方を切ってでも、一方を相手取るために心構えを決めておいた方が良いはずだ。
だからこそ、私は気付かれないよう大きく息を吸う。
乱されたままの心で二人に立ち向かうなど、愚の骨頂だ。
気持ちをできる限り落ち着かせ、冷静に、気丈に対処しなくてはならない。
相手の問いに、返答は速くても遅くても駄目。あくまで自然に、自然にだ。
限界まで吸い込み、止めると、大きな鼓動を打ち続けている心臓の様子を感じ取る。
これが落ち着くまでの時間は間違いなく待ってはくれないだろう。
それでも思考だけはすっきりとさせておかなければ。
止めた呼吸を再開し、肺に溜めた空気を吐き出している最中、いつもよりほんのわずかに細められた風の瞳を視界に映す。
彼女にはついさっき、心の内を見透かされたばかりだ。
――来る。
戦いは一瞬。一言で決まる。
どれほどの考えをまとめようと、一瞬で決まる勝敗の中では意味を成さない。
相手の言葉を受けきり、どれだけ押さえつけることができるのか、勝敗はそこで決まる。
たった一言で全てを押さえ込むことは無理にも等しい所業だが、それでも私はやらなくてはならない。
そう確信した私は吐き出した空気を再び肺に取り込んで、いつでも返せるように準備を整え――
「――華琳さま、そんなっ、そこは……駄目、駄目ですっ。あ、ああっ……ぶ――――――――――っ!」
「どうしてこうなった……」
赤い、紅い、血溜まりの中に沈む稟を視界に収めながら、呆然とそれを見つめ呟いていた。
襲い来るであろう言論の応酬を想定し、身構えていたら、応酬が開始されるよりも前に当事者の一人が血溜まりの中に沈んでいた。
何を言っているのかわからないと思うけれど、私も何が起きたのか……と言うか起きているのかわからない。
五胡の妖術だとか天の知識だとか、そんな下らないことでは断じて“ある”けれど、目の前の現実を受け入れるにはあまりにも情報が不足していた。
「いろいろ溜まっているのはわかりますが、この場面でそれは……風もさすがにどん引きですよ、稟ちゃん……」
普段から抑揚のない風の声に、呆れがあるように感じるのはおそらく私の聞き間違いではない。
「ほら、稟ちゃん。とんとんしますから、首出して〜」
「ふ、ふが……」
もはや潔いとも言えるほどの射出音とともに、美しい曲線を描いて作り出された真っ赤な溜まりは、どう見ても致死量を上回っているように見えるのだけれど、彼女にそんな常識は通用しないらしい。
血溜まりの中で満足そうに笑みを浮かべる稟を、慣れた手つきで介抱している風の姿にほんの少し哀愁を感じて、私もさすがに同情しないわけにはいかなかった。
「……はっ、こ、これはまさか、破瓜の……」
「違うわよ」
介抱され、ようやく我に返った彼女が発した言葉を、私は全力で否定していた。
言葉に穴が多すぎて、他にどこから処理すれば良いのかわからない。
「そ、そんなっ、そんなはずは……華琳さまの指が、確かに私の初めてを……」
「落ち着いて現実をよく見なさい。今、ここに、華琳さまはいないわ」
狼狽し、またも乖離を始めようとしている稟を押し留め、どうにか現実に繋ぎ止めようと力を尽くす。
正直、何を言っているのか私自身が一番理解できていない。
「ば、馬鹿な……」
「世界の不条理を嘆いたところで、現実は変わらないのですよ〜」
「ぐ、ぐぅ……」
たまに感じるのだが、風は稟に対して淡泊なところがないだろうか。
もしかしていつも面倒なこと――鼻血を出した稟の介抱――に付き合わされる彼女なりの報復なのだろうか。
だとしたらとても納得できてしまうのだが、無表情な彼女からそれを読み取ることはできそうにない。
「ところで、あなたはこのようなところで何をしているのですか」
「そこから始めるのね」
「ごほん……私か風に、何かご用で?」
体裁を整え、私の追撃にもめげずに続けようとする稟。
今更何をと思わずにはいられないのだが、これ以上面倒に付き合わせられるのはごめんなので、これ以上の追撃は止めて誘いに乗ることにする。
「別に何も……、さっきあなたたちにばったり会って……ってあなたも当事者なんだからわかってるでしょう」
「そ、それは……そうですが……」
口ごもる彼女にため息を吐きつつ、我ながら何をしているのだろうと自身の状況を再考する。
本当なら、今は言論の応酬をしているはずだった。
勝敗がどちらに転ぼうと、その結果だけは変わらないはずで。
だというのに、勝負自体が放棄されるという不測の事態により、うやむやのまま終止符を打たれ、現在に至る。
それこそ本当に、『どうしてこうなった……』としか表現できない状況だ。
その上、稟は私の動揺に気付いていなかったらしい。
私にとってそれは幸い以外の何者でもないのだが、軍師としてそれはどうなのかと、心の底から問いかけてみたくなる。
「……何か言いたそうですね」
「気のせいよ」
顔に出してはいなかったはずだが、そういうところは勘が良いと褒めるべきなのか。
どちらにしても、貶す意味合いにしかなりそうにないが。
「このようなところで時間潰しなど、ずいぶんとあなたは暇なのですね」
これこそ今更だろう。
今更嫌みを言われたところで悪あがきにしか聞こえないし、それに嫌みが嫌みとして機能を発揮できていない。
嫌みは、相手を確実に貶めることができるという確信の上で発するべきで、自身を貶める要素を持っていないという確信がないのならやめておいたほうが良い。
それこそ、たった一言述べるだけでやり込められる状況を、自身で理解していながら、それでも嫌みを発したところで得るものなど何もない。
私はそれを、自身の経験で知っている。
「…………」
しかし私は心の中でため息を吐きつつ、ぼんやりと稟を眺め続けていた。
すぐに終わらせても良いのだが、それをしてしまうのは何となく気が引けた。
いくら言論に穴が多くとも、彼女が発している嫌みの数々は、私自身が向けられるべきもの。
つまるところ、彼女の発するそれは私への羨望……嫉妬から来るわけで、嫉妬を受ける原因を知り、自ら作り出している私が、意気揚々と反論してみせることはあまりにも馬鹿馬鹿しい。
よって私は、彼女の嫌みを甘んじて受け入れる必要がある。
「華琳さま一筋で知られるあなたがこのようなところで――」
「そう言う稟ちゃんも頭の中は華琳さまで一杯ですけどね〜」
「――――――!」
ボン! そんな音が聞こえてきそうな勢いで、ようやく引き始めていた赤みを取り戻した稟。
何となくこうなることを予想していた私は、『自業自得だ』としか感じない。
ここまで来ると狙っているのではないかと勘ぐりたくなるほどだ。
「稟ちゃん、くだらないこと言ってると稟ちゃんの鼻血が固まって掃除が大変になるですよ」
「くだらな……」
「ほら稟ちゃん、片付けるなら速くしないと。今回は私も見ていてあげますから」
「……見ているだけで手伝ってはくれないのね、風」
流れるような彼女たちの掛け合いを眺めながら、再度思う。
風は稟と長い付き合いがあったはずなのだが、どうしてこれほどまでに淡泊なのだろう。
それにこれも前々から思っていたことだけれども、風って案外毒舌――
「桂花ちゃん。それは桂花ちゃんが言えることではないのです」
「…………」
だからなぜ読まれているのだろう。顔に出ていたはずはないのだが。出ていたとしたらそれは『軍師』として致命的なのだが……。
「おや、カマをかけてみただけなのですが、もしかして当たりましたか〜?」
「…………」
油断ならない。改めて思い直させられた瞬間だった。
「じゃあ私、そろそろ行くわ」
「はい〜。では桂花ちゃん、また会う日まで〜」
改めて風に対して警戒の色を濃くすることに決め、彼女たちを通り過ぎる。
微妙に外れた別れの挨拶を背中で受けながら、振り返ることなく歩みを進めていく。
「…………」
「……妄想もほどほどにしなさいよ、稟」
「――――!?」
聞こえることを期待せず、聞き逃しても仕方がないくらいの声量での呟きを、どうやら彼女は聞き取ったらしい。
さすが『軍師』と、ここではほめておくことにしよう。
「あ……」
しかし角を折れ、しばらく歩いたところで私は足を止めた。
ふと、先の二人との会話を思い出したのだ。
「そういえば、帰れないんだったわ……」
自然と自室へと向いていた自身にため息を吐き、どうしたものかと考える。
今自室に戻ったとしたら、おそらく“三人”と、果たしたくない再会を果たすことになるだろう。
あのような別れ方をした故に、私はまだ、彼女たちと顔を合わせたくない。
一番は進路を後ろに向けることだけれど、それは“あの場所”に戻ることと同義だ。
正直、それは選択肢としてあり得ない。
もし戻れば、おそらくまた、私は稟に嫌みを聞かされることになる。
それは私が受けるべきモノであることはわかっているけれど、それでも積極的に受け取りに行こうとは思えない。
なら、どうするか。
「城壁にでも、行ってみようかしら……」
頭でそこまでの順路を瞬時に作り出した私は、今度こそ行き先を決めて歩き出した。
二人と別れてから誰ともすれ違うことのない廊下。
誰とも顔を合わさずにいると、自然と思考の闇へ沈んでいく。
真っ暗な闇の中で思い浮かぶのは、ついさっき顔を合わせたばかりの二人のこと。
風と稟、彼女たちと交わした言葉の数々。
危ないこともあったけれど、結果的に私は何事もなくこの場所を歩いていた。
固い石でできた床と踏み出した靴がぶつかり合い、響かせられるかつかつという高い音を耳で捕らえながら、私の思考は深くなって行く。
「私は“三度”、風に護られたのか……」
口から洩れ出した呟きは、形をなす前に空気の中で霧散する。
そしてそれは、続けられたもっと小さな呟きにしても同じ。
『こ、これはまさか――――』
「“私の初めて”、ね……」
誰かに届くこともなく、一人の足音に掻き消され、埋もれる。
聞き取ることができたのは、私だけ……。
「はぁぁあああああっ!」
「…………」
風と稟の二人と別れてから、自室に戻るに戻れず一人で廊下を歩き続けていることしばし、城壁へと出てどうしようかと考え始めた矢先の、地を震わせるような叫び声に足が止まった。
その声には聞き覚えがある――程度のことではない。
つい、と視線を声の方へと向けてみれば、予想に違わず、希望を裏切り、燦々と輝く太陽の光が降り注ぐ中庭に、見覚えのある女性を発見した。
腰まである漆黒の髪を振り乱し、左目を覆う蝶型の眼帯を気もせず巨大な剣を振り続ける。彼女をそのまま表現したと言っても良い真っ赤な服に、所々シミができているように見えるのは、おそらく踏み込んだ瞬間に跳ねた水滴によるモノだろう。
悪条件の揃うあの場所で、よくあれほど大きな剣を振り回せるモノだと少し感心する。
対する彼女は私の感心に気付いた様子はなく、空気をたたき切るような鈍い音を鳴らし続けていた。
その動きは、『武』の才能がない私でも、『魏武の大剣』などと呼ばれるくらいはあるのだろうと、何となく想像できる。
「そんなところで何をしている」
何ともなしにぼんやりと眺めていると、横からかけられた声が鼓膜を震わせた。
疑問よりも警戒が多く含まれるそれにため息を吐きたいのを押さえつつ、横に向けていた顔を前へと戻す。
するとそこには、同じく予想に違わず、同じく希望を裏切って、相変わらず表情の読み取りづらい顔を向けてくる女性の姿。
右目を覆う青髪に、残された左目の眼光は鋭く、私を観察するように見下ろしている。
「見ての通り何もしてないわよ」
含ませるつもりのなかった暗い感情が、声音の中に混ざり込む。
意図しなかったとは言え、相手の神経を逆なでするのには十分だ。
もちろん、私が不機嫌なのは、ちょうど目線の高さに来る無駄な脂肪に対して『なぜ』か頭に来たから、というわけではない。断じてない。
主に日々の積み重ねによるものだ。嘘ではない……はずだ。
「それともなに、私がここにいたら駄目なの?」
「毎日部屋にこもって仕事をし続けているはずのおまえがこんなところで油を売っているとは珍しい、そう思って聞いたのだが」
「あなたは馬鹿なの? 毎日毎日自室にこもって仕事だけだったら、気が滅入ってしょうがないでしょう。部屋を出て外の空気を吸いたくなるときもある、そんなこともわからないの?」
よくこれほどまでにするすると嘘がつけるものだと、自分自身で感心する。
私がここにいるのは、『逃げる』ためで。
私が部屋に帰らないのは、帰ればおそらく見つかるからだ。
「それは失礼した。ここ最近、外で顔を見かけないものだから必要ないのかと思っていた」
煩わしい、それが私の今の感情だ。
彼女に対して好意的な感情はまるでなく、不快にしか思わない。
どっかの馬鹿のように『武』だけでなく、『智』を用いることのできる部分は評価しても良いのだが、所詮、その程度だ。
そこには『軍師』としての感想しかなく、個人的に思うことはない。
おそらく、彼女も私に対して、同じ感想を抱いていることだろう。
「で、あなたこそこんなところで何をしているのよ」
わかりやすく不快だと告げるよう声音に滲ませながら、見上げる、ではなく、睨め付けるために眉尻を上げる。
ぎろりっ、自分自身でもそんな擬音が聞こえそうなこと自覚した上で、一切の混じりっけを加えることのない敵意を向けて。
かと言って、目の前の彼女もやられ続けているわけではない。
彼女も同じように、自分自身の意思を視線に込めて、投げつけてくる。
語る必要もないほどに、そこに含まれるのは全て、私と同じく、敵意そのもの。
「私も同じく気分転換だ。清々しさを求めてわざわざ外まで出てきたと言うのに、ずいぶんと不快にさせられたが」
「奇遇ね、私もだわ。感想まで見事に同じ」
「さらに気分が悪くなった」
いつからこんな風になったのか、という明確な基準は存在しない。
それこそ気付けばがふさわしく、いつのまにかなっていたが正確だ。
それでも、原因だけはわかっている。
考えるまでもなく、確認する必要もなく、答えは出ている。
原因がわかっているからこそ解決することはできず。
答えが出ているからこそ私たちの関係は解決することもなく、より険悪な方向に向かって突き進んでいる。
そしてこの先、この関係が変わることは、おそらくない。
「……反吐が出るわ」
ぽつりと洩れた私の呟きは、幸い、聞き取られることはなかったらしい。
「……それで、あれは相変わらずなわけ」
「……見ての通りだ」
互いに視線をそらすと、自然と同じ方向を向いていた。
そしてまた、同じ意味合いのため息を吐く。
本来であれば不快なのだけれど、これに関しては理由を知っているだけに同情しか浮かばない。
隣にいる彼女の顔には、諦め、後悔、様々な想いが滲んでいることだろう。
「姉者は、“あの敗戦”からずっとあのままだ」
視線の先、自身が汚れることすら厭わず闇雲に大剣を振り回し続けるその姿からは、『焦燥』、それだけが伝わってくる。
さっき言っていたとおり、『彼女』がこうなってしまったのは“あの敗戦”――赤壁での敗戦かららしい。
前にも説明したが、この世界での『魏』は、赤壁で『呉』と『蜀』の同盟を相手に敗北を喫している。
これは投降してきた『黄蓋』の、裏切りの方法を予想できなかったからで。
もしくは、寸前になって風向きが変わる地元民しか知らない情報を手に入れることができなかったのが問題で。
つまり、“天の知識”が存在しなかったことが敗因だ。
が、『彼女』はそれを良しとしなかった。
赤壁での敗北を、自分自身に力がないからだと決め付け、朝から晩まで鍛錬に明け暮れている。
しかしこれでも、最初に比べれば落ち着いた方、らしい。
なんでも、敗北して『魏』に帰還してすぐ、『彼女』は城を抜け出そうとした。
『彼女』の挙動のおかしさを感じていた他の将たちにより未遂に終わったが、それでももしその場で放っておけば、たった一人で『呉』と『蜀』のどちらかに攻め込んだ可能性すらあった。
皆の説得によりどうにか落ち着きを取り戻させたのだが、それでも敗戦への後悔を拭うことができず、心身を顧みない鍛錬を続けることになり、現在に至る。
聞きかじったモノをまとめた結果こうなったと言うだけで、真実がそのままこれに当てはまるのかは、居合わせていない私にはわからない。
ただ、肩で呼吸をくり返してなお剣を振り続ける『彼女』を見れば、それがおそらく正しいモノなのだと、確証はなくとも確信できる。
まがりなりにも、私は『彼女』とともに戦場に立ってきた。わかり合えないところもあったけれど、私なりに『彼女』のことを理解しているつもりだ。
それゆえに――
「……桂花か」
「…………ちっ」
――目が合った瞬間、『彼女』の取り得る行動を、予想できてしまった。
「こんなところで何をしている」
「……見ての通りだけど」
振り回していた大剣を軽々と肩に掛け、呼吸を整えながら『彼女』が踏み出す一歩一歩に、強い威圧を感じる。
“華琳さま”には遠く及ばないものの、それでも長年あの方に仕えてきた『将』。その威圧感はすさまじいモノで。
しかし、私もここで折れるようなことはない。
私だって“華琳さま”に仕えてきた、『軍師』の一人なのだから。
「外の空気を吸いに来たのだけれど、何か文句ある?」
「…………」
敵意を込め、互いを蔑視し、睨み合い。
憎み合い、恨み合い、蔑み合う。
互いが互いを認めることなく、嫌い合う。
喩えるなら、私と『彼女』は水と油。
決して混ざることなく、決して認めることなく、常に『個』として存在し、互いを主張し続ける。
関係が良方向に進むことはなく、進むとしても、それは悪方向だ。
原因も、理由も、全て、隣で静観している『彼女』の義姉と同じくわかりきっていて。
だからこそ改善されることなく、改悪が続いている。
光と闇、相反する場所に身を置いて、互いを牽制し合う。
「……一つ、聞きたいことがあるのだが」
太陽の光に自身を晒したまま足を止めた『彼女』の顔に、表情はない。
私と『彼女』の間は、互いが手を伸ばしても届かない距離で、間合いと呼ばれる、肩にかけた大剣を振り下ろせば全力で私を叩き斬れる距離だ。
距離を取る、などと無様なことはしない。距離を取ったところで、『彼女』にとって――『魏武の大剣』にさして意味は持ち得ない。
歩み寄る、などと馬鹿なことも思わない。“今の”私と“今の”『彼女』の距離は、縮まることなどあり得ないのだから。
「華琳さまの誘いを断ったというのは本当か?」
「…………は?」
情けない声は私ではなく隣から。
理解できないことに目を見開き、彼女の義姉に答えを求めるが答えは返ってこず、やがて姉の視線の向ける先、私へと向けられる。
それを視界の端に映しながら、微動だにせず私を見下ろし続ける『彼女』から目をそらさない。
「…………」
何も話すことなく、睨み合ったまま時間が過ぎる。
嘘、ごまかし、もしくは冗談。ふざけたことは許さないと、視線だけで告げている彼女の眼を、睨んだまま。
中庭と言う常に誰かが行き来する場所にしては珍しく、人の気配を私たち以外に感じない。
聞き取れる音もごくわずか。
葉が互いをすり合わせる木々のさざめきと、葉や廊下の屋根から落ちた水滴が、地に打ち付けられる音。
そして私たち三人の、規則的な、もしくは対照的に、平静を保とうとして上ずる呼吸音。
前者は二つ、後者は一つ。誰がどれかなど、考えることすら煩わしい。
『華琳さまの誘いを断った』
『彼女』がこれをどこで知ったのかに興味はない。
たとえその答えがどうであろうと、私には関係ない。
必要なのは、『彼女』がそれを知っていて、それについて問うてきている、それだけだ。
それ以外の情報など、所詮些末なモノだ。
“華琳さま”至上の『彼女』のことだ。風の噂でも耳にしたんだろう。
だから、私はゆっくりと口を開く。
『彼女』と、『彼女』の義妹が求める答えを、真実を、告げるために。
「ええ、断ったわよ」
「なっ――」
驚愕、愕然。声音に乗った表情を耳で捕らえた。
隣へと視線を移せばいつもは表情を読み取りづらい彼女の顔が、声音通りに歪んでいることは確実だ。しかし、そんなことに興味はない。それを視界に収める意味もない。
私が今、すべきことは、眼前で見下ろす『彼女』を睨むこと。
「それがなに?」
「き、貴様――」
短く、端的な問いに、言葉以上の意味はない。
それでも、その言葉を聞いた者に、特に“華琳さま”を至上とする人間が聞けば、ありもしない意味を邪推させることはあまりにもたやすい。
それをわかった上でそうしたのだから、隣から向けられる、『武』に才能のない私でも感じられるほどの殺意に、文句は言えない。
「黙っていろ、秋蘭」
「――っ。姉、者……?」
しかし、肌がひりつく感覚を覚えるまでに膨れあがったその殺意が、どこからか取り出した弓から矢となって放たれることはない。
それは思わぬところからかけられた制止の言葉で霧散し、かき消えた。
私にとっても、彼女にとっても、それは『思わぬ』ことで。
故に、『制止の言葉』で、という補足には少し語弊がある。
『彼女』にとって“華琳さま”は至上の存在だ。
私にしてもそれは変わらないが、それでも“華琳さま”を侮辱されれば考えるより先に斬りかかる、それが『彼女』だったはずだ。
そんな『彼女』が“華琳さま”を侮辱したとも取れる発言に反応を見せず、さらに激昂した自分の義妹を止めることすらして見せたのだ。
『彼女』に『制止の言葉』をかけられたから。
補足として的確なのはこれで、説明として正確なのがこれだ。
だからこそ、私も表情に浮かばせこそしないものの、『意外感』を覚えていた。
『意外感』などと呼ぶには、いささか重い何かが心に引っかかっていたが。
ちくりと胸が痛んだ、気がした。
「……そうか」
目を閉じ、感情のない短い返事。
表情はなく、目を瞑った『彼女』から何かが伝わってくることはない。
怒りを堪えている、ということもなく、ただ、静かに、私の言葉を事実として受け止めている。
私の言葉を理解して、自らそうすることを選んだ。
『彼女』が、“華琳さま”を至上とする『彼女』が、それに気付かないはずはない。
黙り込んだ『彼女』に、静かな時が流れていく。
聞き取れる呼吸音も、木々のさざめきも、嫌に落ち着いている。
私も、隣の彼女も、示し合わせたわけでもないのに声を発することがない。
否、できないと言うべきか。
黙り込む『彼女』を、何も発さない彼女の口を、見つめたまま。
知らず、手のひらにじっとりと汗が滲んでいた。
短い時間が、『なぜ』か永遠のように感じられる。
空の様相は何も変わっていないのだから、きっと『彼女』が黙っていた時間は数秒のことだったのだろう。
それでも、やがて『彼女』が口を開いたとき、私には時間の感覚がなくなっていた。
まぶたを開け、口を開いて、音を発するまでの時間でさえ、私には止まっているような感覚を覚えた。
「おまえ、変わったな」
「…………は?」
呆然と、愕然と。二度目の情けない声が洩れたのは私の口。
思考が止まり、目を見開く。
無意識で((行|おこな))ってしまった、致命的とも言える表情の変化。
固めたはずの意思にできた小さな綻びに、真正面から向けられるまっすぐな視線が入り込み。
心に殴られたような衝撃と同時、背筋が凍った。
見透かされた、そんな気がした。
『何が』かはわからない。
それでも『何か』を見透かされた、それだけは確信できる。
背が震え、冷たい汗が伝う。
凍り付いたまま、無様にそれを見上げて。
「……」
ぎしりと歯を喰い縛る。
無理矢理に背筋の震えを止め、剥離しかけた意識を繋ぎ止める。
すぐに表情を作り替え、無表情を取り繕ってはみたものの、それでも隠せたかと言えば否と答えるより他はない。
たとえ無事に隠せていたとしても、『彼女』に突きつけられた瞬間に作り上げてしまった表情を見られてしまったことは間違いない。
救いだったのは、それを見たのは『彼女』だけであり、それに対して表情を一切変えなかったこと。
だからこそ、私は気丈に振る舞える。
否、振る舞わなくてはならない。
強気に、無表情に、自分の意思を貫き通す。
隠し通すことはできなくとも、貫き通さなくてはならない。
一度できてしまった綻びを繋ぎ、ふさぐ。
「……アンタ、何を言っているの?」
そのために私は、『あの日』、決めたのだから。
私は昔から、“華琳さま”を一目見たときから。
あの方のために全力を尽くそうと、そう思い、想って、決意したのだから。
「私が変わった? 冗談じゃないわ」
本当に、冗談じゃないわよ。
「私の全ては、華琳さまのモノ」
――私の全ては、“華琳さま”のために。
「……そうか」
再度目を閉じ、抑揚のない呟きを発した『彼女』。
興味を失ったとばかりに振り返り、二度と私と目を合わせることはなく。
肩で大剣を支えたまま、確かな足取りで歩みを進めていく。
光に包まれ、光の中へと一歩一歩踏み出していく『彼女』の背中。
光を遮る屋根の下で、それを睨み続ける私。
「秋蘭、付き合え」
続いて発された言葉も、私に向けてのモノではない。
呆然と流されたままだった、私の隣。
「は? い、いや、私は……」
「いいから付き合え」
有無を言わさぬ口調に、彼女は返す言葉を失った。
『彼女』は光の向こう、中庭の中央で足を止め、静かに待ち続けている。
自分の口にした言葉が、思ったことが、間違っているなど微塵も思っていない、そんな背中。
「……わかった、今行く!」
聞き取ったときにはもうすでに、その背中は光の中へと埋もれていた。
『気分転換だ』
そう言っていた彼女が、義姉の意見に従って。
あり得ないことだ。
否、あり得な『かった』ことだ。
今までの、『いつか』の彼女なら、“彼女たち”なら。
“義姉”が“義妹”を、有無を言わさず従わせるなど、なかったはずだ。
“彼女たち”なら、たとえ義姉の言葉であったとしても、それが理に適っていなかったなら、義妹が説得して、納得させた上で、自身のやるべきことに取りかかっていたはずだ。
だというのに、これはどういうことだろう。
私に背を向け、義姉に駆け寄る義妹の背中に、説得しようなどという意思は全く感じられない。
少なくともそれは――
「――っ」
鮮烈で、痛烈な、強烈な痛みが、胸を襲う。
瞬間、思考が止まり、痛みによって埋め尽くされる。
気がした、程度では済まされない、隠し通せない痛み。
事実、私は苦悶の表情を顔に浮かばせてしまった。
痛み事態は一瞬で収まるが、それでもたとえ背中だろうと無様なところは見せられないと平静を装うものの、それができた保証はない。
幸いにして、二つの背中がこちらを振り返った形跡はない。
「…………」
これ以上、ここに長居する気にはなれそうにない。
居たところで、意味もない。
それに私には、“彼女たち”二人の背中を眺めている“暇”などないのだから。
「…………」
鼻を鳴らし、二つの背中から目をそらす。
もう二度と、立ち止まらないと心に決め、足を踏み出し。
「『桂花』」
いつもと変わらない、平坦な声。しかしたしかに鼓膜を震わせた私の名、聞き慣れてしまった声に、決意はすぐに突き崩された。
その相手が誰なのか、振り返らずとも理解できる。
「……なによ、『春蘭』」
どうして私は、歩みを止めてしまったのか。
その答えは、私自身が導き出すことはできそうにない。
そして、誰かからもたらされることもない。
いくら思考を進め、深くすることになろうとも、その答えは出てこない。
胸を襲う痛みも、一体何なのかを理解することはできない。
「…………」
何もない、空白の時が流れていく。
木々のさざめきも、雫の落ちる音も、何もかもが押し退けられ、消えてしまった。
振り返らずとも感じられる、その存在によって。私と同じく、背中を向けたまま。
振り返らずとも、理解できる。その声には含まれていなくとも、表情に表していなくとも。
私を嘲り、軽蔑していることを。
「……いや、何でもない。鍛錬の邪魔だ、行け」
突き放すように、打ち棄てるように、色のない声音にそれを感じて。
「…………ちっ」
止まっていた、止まってしまっていた足を踏み出し、歩み始める。
『彼女』に、“彼女たち”に、背を向けて。
私は決めた。『あの日』、もう二度と、立ち止まらないと。
だというのに、まだ甘い。
決めきれていない。決意が固まっていない。
これじゃ駄目だ。そんなことはわかっている。
わからない。どうしてこんなことになったのだろう。
『今なら“華琳さま”の、一番になれる』
それこそが私の、一番の望みであるはずなのに。
私は歩み続ける。
じくじくと胸を苛む痛みを、意識の外に追い出して。
「………………はぁ」
目に痛いほど光り輝く太陽の下。風吹きすさぶ城壁の上。城を守る石造りの盾の一角で、私はこみ上げる想いを吐き出した。
ばさばさと音をたてて服が揺れ、さらわれる髪が頬を叩く。
自身を責めるようなそれに、再度吐き出したくなるけれど何とか意思の力で押さえ込もうと試みる。
が、頭痛とともに浮かんだ記憶が、弱々しい意思の力を跳ね返した。
「仰々しいため息やけど、どないしたん?」
耳を震わせた声は頭上から。
まぶしさに目を細め、手をかざして見上げれば。
「何でもないわ……。ただ、世界の理不尽さを呪っていただけだから」
「これまた偉くでかい話や……」
物見やぐらの屋根の上、風に煽らればさりとはためく肩掛けの上着。
『神速』の名を冠する『魏』の名だたる『将』の一人、“張遼”。真名を霞。
紫の髪を後ろでまとめた彼女を、個人的に、胸を小さく見せるさらしを巻いているところを評価したい。……巻いてアレというのは『なぜ』か腹が立つが。
「何か殺気を感じるんやけど……」
「気のせいよ」
「清々しいとぼけっぷりや……」
眉尻を下げ、呆れを滲ませ嘆息する霞のわけのわからない呟きは無視した。
「……で、どないしたん?」
が、すぐさま眉を顰め直して問いかけてくる。その顔にふざけている様子はなく、私に対してもそれを許さない、そんな印象を受ける。
どうやら簡単にごまかされてはくれないらしい。
「……まあ、世界の理不尽さを呪うっていうのはさすがに大げさだけど」
「そんなことはわぁっとる」
軽口も相手にされず、小さくため息を吐く。
「……そうね」
仕方なく、話すことにした。
ここに来るまでの経緯と、ここに来た理由を。
正直、面倒で、時間の無駄ではあるのだが。
「えー、と……」
言わなくてはならない、そんな気がした。
「まぁそういうわけよ」
「あー、なるほどなぁ……」
そら世界を呪いたくもなるわ、苦笑に呆れを混ぜ込んでみせる彼女を見、私はもう一度嘆息する。
話している間――天の知識やら胸の痛みやら、説明を求められても答えられないことは省いたモノではあるが――押さえていたモノが堰を切ったように押し寄せてきたからだ。
溜め込もうと努力してみたところで、大きな力に抗うこと叶わず、無様に敗北を宣言する。
私自身、何をしているのだろうかと思わなくもない。
「稟に秋蘭、それに春蘭は、桂花とずっといがみ合うとるもんなぁ」
再度洩らされる苦笑とともに、鼓膜が捕らえたのは、聞こえるはずのない空気を斬り裂く音と、二人の気合いの込められた叫び声。
ここから城内を見下ろせば、彼女たちの姿を見ることができるかもしれない。
「何が楽しいんかわからんくらい顔を合わす((度|たんび))に……」
「楽しいわけがないでしょう……」
「それもそか」
三度目の苦笑を洩らした彼女に違和感を覚え、かざした手のひらの向こうに目をこらし、バサバサと音を立て続けている紫の羽織を凝視する。
しかし違和感が確信に変わるよりも速く、霞は私から視線をそらしてしまった。
声をかけるべきかと口を開くが、何を言えば良いのかわからず口ごもっている内に、先に口を開いた霞から向けられた問いかけに向けるべき矛先を失った。
「で、一つ聞きたいんやけど」
いつになく真面目な声音に、はっ、と我に返ったが、視線を合わさぬままの彼女の表情を伺うことはできそうにない。
それならその問いが乗せられる声音から何か情報を得られないかと耳を澄ませて。
「桂花は、なんのためにそこまで必死になっとるん?」
聞き取った言葉によって、思考を放棄した。
『ナンノタメニソコマデヒッシニナットルン?』
「…………は?」
気付けば、聞き返していた。
意味を理解するよりも速く、私は彼女に問うていた。
「あー、いや。ちょい思うただけやから、気にせんでもええねんけど」
問うたことを後悔したのか、自身の頭をがしがしと掻き乱している。
しかしその行動を視界に収めながら、私は彼女を見てはいなかった。
「桂花て、ここ最近毎日のように部屋にこもうとるやろ?」
「……それが何よ」
かろうじて口から出すことのできた声も、心なしか震えている。
その意味を内心で理解しながら、押さえつけることに全力を注ぐ。
「別にそれが悪いとは言わへんよ? えっと、ほら……」
「…………」
「えー、と。なんやったっけ、この間の……」
「…………」
「そうや、『学校』! この間のあれ、すごい思うた。今はまだ、私塾みたいな一部の人にしか学ぶ場所を作れんけど、あれをうまくすれば、多くの人たちが学べるようになるんやろ?」
「……そうね」
彼女の言い訳じみた――十中八九、言い訳だろう――発言を聞き流しながら、ぼやけていた視界が焦点を合わせ始め、鮮明になって行く。
私に背を向けたまま、慌ただしく言い訳を続ける彼女の背に、私は強い視線を叩き付けた。
「ああゆう案は部屋にこもっとったからこそ出てきたモンなんやろうし、それを否定する気はあらへんて」
「っ…………」
思わず押さえてしまうほどの胸の痛みを、ねじ伏せるために歯を食いしばる。
おかげですぐに引くが、“春蘭”と“秋蘭”と別れてから続く胸の痛みに、残り香が加わる。
言い訳を続ける彼女はそれに気付いた様子はないが、これにいつまでも付き合わされている場合ではない。
私は痛みを覚える胸から、意識を外した。
「だから別に、こもることが悪いとは思ってへん。ただ、……」
「……ただ、何よ」
「あー……」
もう一度、ついさっきのモノよりも強く頭を掻き、呻きにも似た声に同じ感情が乗る。
が、諦めたように嘆息した彼女は、そらしていた目線を私へと向けた。
その眼に、余計な光は存在しない。
透き通るほどに綺麗な((碧|みどり))色の瞳を見つめ、強い眼光からは明確な意思を感じ取れる。
「桂花、華琳のこと見ぃひんようになったなぁて」
「そんなわけ――っ」
吐き出しかけた想いを無理矢理押し留めたがために、不自然な形で言葉が詰まる。
視線は切らず、遥か上へと向けたまま、強く、強く睨みつけて。
「とは言っても、これは喩えや。意思を正確に伝えるんは相手の目ぇ見て話さなあかんから、見てないってのは少しちゃうねん」
「…………」
歯が砕けるのではないかとありもしないことを思えるほどに喰い縛り、のどから出かかる想いを閉じ込める。
今、口を開けば余計なことを口走ってしまいそうで。
「ウチらみたいな直接命の奪い合いしとるモンは、時に斬り捨て、時に斬り結びながら、相手を((観|み))る。
命かけた遣り取りん中で、動きを観、行動を読む。
ウチら自身が生き残るためには、そうゆう眼を鍛えていかなあかんのや。
そやって鍛えた眼で相手を観、同じく鍛えた『武』でもって相手を斬る。
やから、ウチみたいな『武』を志しとるモンなら((皆|みぃんな))感じとることやと思う」
そんな私に彼女は気付いているはずで――気付いていたからこそ、彼女は口を開くことを躊躇ったのだろうが――、それでも話すことを止めないのは彼女の意思の強さ故。
瞳に込められる光の強さが、それを物語っている。
「桂花。ウチらの『武』て、なんのためにあるぅ思う?」
突然の話題の変化。突然の問いかけ。
それでも私は口を開くことなく、碧の瞳を睨み続ける。
彼女も答えることはないと確信していたのだろう。
答えを待つことなく、すぐに口を開く。
「決まっとる。相手を……敵を、殺すためや」
向けられる瞳に、揺らぎはない。
事実として受け止め、真実として語られるその言葉に、嘘はない。
「相手を観て、動きを見て。
目の前ん立ちはだかろうとする全ての敵を、殺すためや。
国を護るとか、民を護るとか、ものごっつ大きい大義名分掲げたところで、その事実だけは変わらへん」
揺らがぬ意思。それは私も変わらない。変わらないはずだ。
だから私は、向けられる瞳から眼をそらさない。
胸に秘める決意でもって、視線の先の碧色を押し潰す。
「相手を観る。動きを見る。
そんなことゆうたけど、ウチらが決して視ぃひんモンがある。
何やわかるか」
二度目の問いかけに、またも私は口を開かない。
彼女の言うべき答えがわかっているからこそ、私が言うべきではないとわかっているからこそ、口を開くことを選択しない。
開いたところで、発された言葉が彼女の望むモノとは大きく違うモノになるだろうから。
「それはな――」
霞はなんの表情も浮かべることなく、先と同じく、先と違う方法で答えを示す。
腕を持ち上げ、胸の前へと掲げた。
握られた拳が、軽く、彼女の胸の中心を叩いて。
「――命や」
同時にもたらされた問いかけの答えは衝撃的、ということはない。
そうだろうと思っていたし、そうあるべきだと感じていた。
そして何より、その在り方は、“軍師”としての私と、“数多の敵を殺すための策を講じる者”としての私と、同じだったから。
「斬り合い、斬り結び、数えきれへんほど武器を交えて。
相手ん生き様に感動しても、『武』に惚れ込んでも、命だけは視ぃひん」
しきりにくり返される『みる』という言葉。
音声だけで伝えられる私が、その言葉の意味を本当に理解できているはずがない。
彼女も、それを承知で話している。
「ウチらは戦場で、命の奪い合いをくり返しとる。
数えきれへんほどの敵を屠り、斬り捨て。
一歩間違えばウチ自身が死んでまう場所に身ぃ投げ込んで、他人の命を奪い続ける」
しかし、強い意思の込められた眼は、私の理解を超え、訴えかけてくる。
だからこそ、彼女の言葉を理解することはできなくとも、彼女の言いたいことは((理解|わか))っていた。
「それにウチらは『将』。『兵』の先頭に立って敵を殺し、鼓舞し続けながら戦場を駆け続けなあかん」
視線と視線。意思と意思。
ぶつかり合うのは不可視の存在。
「味方だけでも精一杯や。ちゅうのに、敵の命まで視るよぅなったら、それこそ死んでまう。
もちろん自分の身体がやない。心が、や」
見えずとも、そこに有り、変わることなき強き心。
「命を奪う者として、『将』として命を奪う命令を下す者として、ウチらには責任がある。
やから、死ぬわけにはいかへん。死ぬことは、逃げることや。
自分が殺し、殺させた命の、ウチらが背負うべき責任から。
視ることを放棄してでも、背負う責任と向き合わなあかんねん」
『みる』ことを――『視る』ことを放棄してでも、背負う責任と向き合い続ける。
「やから、桂花見てて、視てて思うんよ。
桂花は戦場にいるときのウチらみたいな眼ぇしとる。
華琳に向ける目はたしかに華琳を見とるけど、視てはいないんやって」
『みとる』けど、『みて』はいない――『見とる』けど、『視て』はいない。
「少しちゃうところがあるとすれば、『命』んところや。
桂花は華琳と『命』奪い合っとるわけないねんから、当たり前やけど」
投げられる言葉の数々を、向けられる意思によって理解する。
故に、決して曲がることのない彼女の意思からは、彼女が言わんとすることが伝わってくる。
「なんちゅうか、最近の桂花は――」
そうして伝えられた彼女が言おうとしていることは、私の中で組み上げられていた、思考の果てにたどり着かされた、『彼女の言おうとしていること』と完全に一致していた。
だからこそ、私は――
「華琳を視ず、華琳の“向こうにいる誰か”を……」
「ふざけないでっ!」
――もう、我慢の限界だった。
「私が華琳さまを『視て』いない? 冗談じゃないわっ!」
想いは、烈火のごとく吹き出ていた。
「私は、華琳さまに全てを捧げた」
無理矢理押さえ込み続けたことで、徐々に蓄積していった想いの数々は、堰を切ったように吐き出される。
「智も、身体も、喩え命であったとしても。華琳さまが死ねと言えば、こんな命、すぐに投げ捨ててやるわ」
視界の端に強い光を放ち続ける太陽を映しながら、空高くから見下ろしてくる二つの瞳を睨みつける。
「アンタどう思っていようが知ったことじゃないわ。
何をどう思おうとそれはアンタの自由。
でも、私の、この“決意”を侮辱することだけは許さない。
誰がどう言おうと、あのときの“決意”は揺らぐことのない事実。
華琳さまに仕え続けて行こうと決めたあの日は、紛れもない真実」
無意識のうちに細めそうになる瞳を、意思の力で無理矢理にこじ開ける。
「いいわ、改めて教えてあげる。私が、なんのために必死になっているか」
折れぬ意思を、曲がらぬ決意を。
「語るまでもなく、華琳さまのためっ!」
もう、押さえることはできない。
「“私の全ては、華琳さまのために”」
もう、押さえるつもりもない。
「それこそが私の、一番の誇り」
勢いに任せ、吐き出し続けるだけ。
「それこそが私の、一番の望み」
想いを、意思を、決意を、全て。
「…………」
微動だにせず、互いに互いを睨みつけたまま。
城壁の上を滑るように吹く風が、髪をさらい、頬を叩かせる。
物見やぐらの屋根の上では、紫の羽織がバサバサと大きな音を立てている。
揺るがず、許さず、譲らず。
「………………はぁ」
しかし、そんなことを考えている矢先に、霞が道を譲った。
やから言いたくなかったんや……、そんな言葉とともに。
次いで彼女は立ち上がり。
「ふっ」
空を舞う。ばさりと一際大きく広がった羽織は羽のように。
たんっ、と軽い音を鳴らし、平然とした顔で地に降り立った彼女は。
「ウチが悪かった。スマン」
先ほどまでの様子を一切見せることなく、頭を下げた。
どうして彼女は、あれほどまでにたやすく譲ることができるのだろう。
どうして彼女は、簡単に自身が悪かったと認めることができるのだろう。
湧いて出たいくつかの疑問は、吐き出させていた想いの糧を、ゆっくりと蒸発させていく。
そうして空気の中に溶け込んでいった糧を回収することはできず、糧を失った想いは、次第に形を保てなくなって行く。
「…………ちっ」
鳴らされた舌打ちは、吐き出した想いを繋ぎ止めようとした私の抵抗した証だが、同時に敗北を示す証でもあった。
――桂の花咲くはかなき夢に、後編・前【終】
説明 | ||
こちらは『真・恋姫†無双』の二次小説となります。 こんにちは、サラダです。 後編なのに前編とはこれいかに。 祭りから大幅に遅れましたごめんなさい。 その上後編が終わってませんごめんなさい。 しかし書かなくてはならないことがたくさんあるのですごめんなさい。 なかなか終わらないガチシリアス作品『桂の花咲くはかなき夢に 後編・前』どうぞご覧下さい。 誤字脱字報告、感想等残していただけると嬉しいです。 |
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惣三様:一刀さんはどの√にいても皆に影響を与えています。彼がいなかったら一体どの様になるのか、私の想像、妄想ではありますが、楽しんで頂ければ幸いです。(R.sarada) 一刀は緩衝材というか潤滑油というか、一刀がいなかったら歴史でよくある讒言やら派閥争いやらがものすごくたくさんあったんでしょうね……。(惣三) yosi様:桂花が嫌われる原因を何だかんだで我らが一刀君が解消していたのでは、と思っています。彼がいないことで、彼女には多くの苦悩が付きまといます。桂花が歩む先に、果たして救いはあるのでしょうか。(R.sarada) ゲームだから萌えキャラとしてやっていけるけど、現実にいたら同性に一番嫌われるタイプだよね桂花。よく知らない人間から見たら、上司に媚びて同僚・部下を蔑むようなキャラに見えるし。苦悩の桂花に救いの手は差し伸べられるのか・・・(yosi) 瓜月様:『過去』があるからこそ、『現在』との『違い』によって心を乱される。未だ光の見えない暗闇の中を歩き続ける彼女が、この先に見るモノは……。(R.sarada) 村主7様:あのとき『誰々に会わなければ』、逆に『誰々と会っていれば』、そんな風にifを考えることもあるのではないかと思います。ここは『一刀』がいなければと言うifの世界。国の未来を変える彼の影響力は、すさまじいモノだと思っています。(R.sarada) 「一刀」という緩衝材がいないとここまで人間関係が・・・ 十分ありえそうで何ともw 嫉妬渦巻くドロドロ感が、ああ恐ろしや(村主7) きの様:あくまで個人的な見解でありますが、この作品はそう言う考えの下に執筆を進めています。“繋がり”は何よりも大事なモノだと思っていますよ。(R.sarada) 人間関係の悪い職場だな・・・ 一刀がいないとこんな感じなのかね?(きの) シグシグ様:“彼”のいない世界故に……。独りで暗闇の中を歩み続ける彼女は、その先に何を見るのか。(R.sarada) 狭乃 狼様:想いと決意、桂花の心を苛むは……。この物語が迎える終わりは、はたして。(R.sarada) 自身では気付かないようにしなが桂花の心が悲鳴を上げているようで切ないですね。原作では、騒がしくも皆と楽しいやり取りをしていたのにギスギスしていて周りには敵意を向けたり向けられたり・・・次はどんな展開になるのかドキドキしながら待ってます。次回が楽しみです。(シグシグ) なんだかとってもじれったいと言うか、読んでて歯がゆいと言うか。・・・最終的に一刀が戻ってくるにしても、その後の桂花がどういう風になるか、もう、続きが待ち遠しいですwww(狭乃 狼) |
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