柔よく剛を制す |
炎天下に揺らめく彼の刀は、陽炎を思わせた。
薄く光る銀影は確実に急所を狙いにきて、意識が相手に向かっていた刀身から背後にまで伸びる柄に移る。
ほぼ垂直に立てて迎え撃つと、金属同士がはじける甲高い音が耳に響き渡る。
そのまま連撃がくるようなことはなく、彼が跳び引くことで伸びる距離。直線距離でほぼ1丈。それは偃月刀が届かないギリギリの長さ。
また逃げられた。そう歯噛みする。
彼との稽古はいつもこうだ。いくら攻め立てても攻め立てても、ふとした一撃で流れを止められる。
決定打が与えられない。指をすり抜ける魚のように。
完全に見切られているわけではないのだ。偃月刀は衣服を裂き、髪を断ち、皮膚を斬っている。
だからこそ、焦れる。あと少しという所で逃れられる分、流水を相手にするよりも厄介だ。
「くっ……」
短く息を詰まらせるのは気疲れのせいだった。
撫でるような剣捌きは速いわけではなく、ましてや力強くもない。
それでも正確に、嫌な間でやってくる剣戟に気勢が削がれる。
肉体的限界の前に、精神的に萎えてしまうのだ。
ここで一番やってはいけないのは、集中を途切らせること。
そうして出来たわずかな解れを彼は見逃さない。
今までそうして何度辛酸を舐めてきたことか。
彼は柔和な顔をして、蛇のような狡猾さを腹に飼っている。
それでも今日こそは。今度こそは!
わずかに距離を詰める。私の射程内で彼の間合いの外。保つべき距離感。
裂巾の雄たけびを上げて修練場の石畳を割らん勢いで、偃月刀を振り下ろした。
「ウチの家は剣術道場で、師範……えっと、師匠? はウチのじいちゃんだったんだよね」
東屋で休憩をしている最中に始まった昔話に、愛紗はわずかに眉を上げた。
一刀のやってきた天の世界は今のように戦乱の時代ではなかったそうだが、それならば彼のその能力の起源はどこにあるのか。
今まではぐらかされてばかりだった。
今日になって口を割ろうと思ったのはどういう心境の変化なのか。
それを問いただすより先に、愛紗の好奇心は話題へ一直線だった。
沈黙を確認して一刀は続ける。
「何度か話したと思うけど、あの世界はここほど荒れてはいなかったから、人を斬るとかはまず御法度。で、剣術とはいっても竹で作った刀を真剣に見立てて戦うっていう、遊戯兼精神鍛錬みたいなものだったわけ」
「それが、『剣道』というものですか?」
「そ。剣の道と書いて剣道」
そういって一刀は円卓に文字を書いた。
「で、結構小さい頃からやっぱりそういう育てられ方をしたんだよね。母方の祖父で、男の孫がうれしかったんだろうけど」
「やはり幼少の頃から鍛錬を?」
そう尋ねた愛紗に一刀の答えが鈍くなる。分類に困ったような唸りを上げていた。
「あんまり愛紗が想像しているようなことはしなかったんだよね。小さな頃に筋力鍛錬すると、成長が阻害されるから。
タッパがないと何かと不便になるでしょ? たぶんそういうことも考えてのことなんだろうけど」
「ではしなかった、と?」
「いや、そういうわけでもないんだよね。これが」
さっきまで文字をなぞっていた指先が、湯飲みに触れる。
「たとえば、一日中道場の外周を歩かされたり、一日中じいちゃんと空を眺めてたり」
「それは……鍛錬ですか?」
「う〜ん」
やっぱり端から見たらちょっとちがうよね。
そういって弄ってた湯飲みにようやく口をつける。
「ただ良くいわれたのが、『意識することを忘れるな』ってことかな」
「意識……」
大事な要点とばかりに反芻する愛紗。
だが言葉の意味を咀嚼し切れなかったのか、徐々に砂を噛んだような表情になっていく。
気難しく眉を曲げるのは良く見かけるが、なんだか今の表情は物珍しく可愛らしい。
「道場を歩くとき。足が床を踏みしめる感触、わずかに腕を振る感覚、響く床音、道場に篭った汗の臭い。
梅雨明けの空を見ながら背中に感じる草の湿り気、頬に触れる空気の動き、空の色、雲の形からイメージ……想像する別のもの」
思い出すように瞼を閉じながら滔々と語る。
ふと東屋の屋根の向こうに広がる青を眺める横顔に、愛紗は話の流れからだろうか郷愁の念を感じてしまった。
なんとなく、手が届かないところにいってしまいそうで。
なにか欲しがった目をしていただろうか。
視線にいた一刀は、柔らかく破顔した。
「そうして足の指先から髪……は言い過ぎにしても、全身であらゆることを感じ取るようにするんだ。
くまなく。つぶさに。精緻に。
鼓動の煩さや、耳の奥で流れる脈の音まで聞こえて初めて、すべてが『無意識』に落ちる」
そうして初めて、全身を使いこなせるようなる。
「……難しい、ですね」
「まぁ、長い年月をかけて習慣化させるようなものだからね。そもそもが愛紗や他のみんなもそうだけど、力の入れ所というか、着眼点が違うし」
「と、いいますと?」
「さっきもいったように、まだ体が未発達な頃はあまり無理な筋力の増強ができない。それでも十分な能力をつけるとなると、別の方向へ無かなければいけない。
つまりリラックスだよ」
「りら……?」
「弛緩、っていえばいいのかな?」
戦うために弛緩する?
いまいち矛盾しているような一刀の理論に、今度は露骨に当惑の表情を表した。
「まぁ、習うより慣れろってことで愛紗、ちょっと立ってみて」
向かい合っていた一刀は立ち上がった愛紗のそばに寄ると、腕の力を抜くように指示をする。
半信半疑のまま、従う愛紗の腕を垂直に持ち上げると、手を離した。当然、重力に従いストンと落ちる。
何がなんだかわからないまま、愛紗は一刀を見上げる。
「やっぱり力が入っているね」
「……え?」
「人は他人から持ち上げられたり動かそうとされると、無意識の内に補助しようとしちゃうんだよ。
相手がどちらに動かしたいのかとかは なんとなくわかるものだから、それとなくそちらの方向へ動くように。
もしほんとに力を抜いてると、そこまで簡単に動かない。人間の腕って、結構重たいんだよね」
「す、すみません」
「いや、謝ることじゃないかな。誰でもそうなる当たり前のことだから。はい、ありがと」
開放された腕のぬくもりが、少し名残惜しい。
「力を抜くっていうのは結構大事なことだよ。
腕に力を込めるとわかると思うけど、筋肉が収縮すると どうしても肘を少し曲げたような状態で固定されるんだ。
それじゃしっかりした速度が乗らないし、力の方向も逸れてしまいがちだから10割の力を込められない」
そういって腰に差した刀を構えて中腰になると、硬い音がした。
鞘から少しだけ刀身を覗かせるその状態は『鯉口を切る』というらしい。
それだけで、このあたり一帯の空気が凍りついたかのように重くなる。
気づけば、青白い光を照り返して刀は伸びきった右腕の先で止まっていた。
時間そのものを数瞬切り裂いたようだ。肝心な斬撃の瞬間だけが抜け落ちている。
「やっぱり手心を加えていたんですか?」
さっきの訓練でされていたらひとたまりもなかっただろう。
一抹の非難を込めて指摘すると、空笑いが返ってきた。
「いやいや。『居合い』は気勢を整えなきゃいけないし、鞘の中で走らせることで速度を上げるものだから。
愛紗のあの怒涛の攻めの間にそんな悠長なことをする時間なんてないって」
「そういうことにしておきます」
なんにしても、斬る刹那が見えなかったのだ。
自己の鍛錬不足を恥じる気持ちを隠すように、皮肉めいた響きを持たせて話を切った。
「だから今のも、大切なのは弛緩だよ。
意識して力を抜くするっていうのは、いうほど簡単じゃない。意識をするということはその場所にわずかでも力が入るということだから。
こういっちゃうと、ダラリとその部分を本当に無気力にするように考えがちだけど、それはそこに対する意識を『切断』しているだけで、『弛緩』しているわけじゃない。
余分な力を込めない、っていえばいいのかな?」
うーん。と唸る姿は、先ほど剣技で見せた表情とはかけ離れていて、どうしても重ならない。
「呼吸が深かったりするのも、その弛緩のためですか?」
「……さすが愛紗。目の付け所が違う」
呼吸の回数が人より少ない、というのは一刀の特徴だった。
平常ならまだしも、戦闘中でも彼の呼吸は常に安定している。
「余分な力をかけないから、燃費がいいんだよ。
自分がどう動けばいいかを冷静に考えられる。
けどこの戦い方で一番の利点はやっぱり視界が狭くならないことかな?
物理的な力みって精神にも作用するから、気づいたら視野狭窄になりがちだからね」
それについては思い当たることは愛紗には山ほどある。
戦の最中で彼はことごとく上の位にある者を射抜く。小隊長、中隊長、敵将。
上官とはいうなれば指揮するものだ。軍の総合力を司る指揮者が倒されれば、戦力は大きく減退する。
わかっていても生半可な力では出来ない。武力もそうだが、対象を選定する目が必要なのだ。
他にも敵陣の綻びに機敏だったり、一番最近であれば愛紗との先ほどの訓練もそうだ。
目が合っているうちはいい。ただ一瞬、視線が外れるときがある。
石畳、樹木、後方、空。その逸れた視線は本来なら好機であるはずなのに、愛紗の背筋に一筋の冷水を落とすのだ。
そして予感はことごとく的中する。
石の欠片を弾かれて虚を突かれた、背後から星の横槍が入った。
ほんのわずかなその間隙を見逃さず、致命的な攻撃を受ける。
思い出して、先ほど蹴られたわき腹がズキリと鈍く痛くなる。
「さて、そろそろ終わりにしようかね。お腹も減ってきたし」
気づけは太陽は西に傾いて、朱く景色を染めていた。
一刀は城へ向かう階段を伸びをしながら下りていく。
「明日も明日で訓練入ってるんだよなぁ。星と蒲公英。
蒲公英勝てないからって翠も呼んで1対2とかにしなきゃいいけど。さすがに捌ききれないぞ。
部隊のほうも見なくちゃいけないし……」
指を折りながらブツブツと呟く背中を追いかけて、愛紗も城へと向かっていった。
歩きながら響くのは、彼の腰巻についた金属と鞘が触れる音。
説明 | ||
ぼく の かんがえた きょうか いっとう くん 時代が時代だから、恋姫っ娘ってみんな『剛』のタイプに思えるんだよね。速にしろ射にしろ武にしろ。剛直というか。 あ、シリーズモノとは別次元のお話です。 どうせチート化するならやれるところまでやってしまえという。 なんか一刀のじいちゃんの道場、由緒正しい古道場というかスポーツ医学に精通したジムみたいになった(笑)……。 理論はゼミで教わったことだったり、まるっきりテキトーだったり。 他作者様の強化一刀と差分を付けたくて、こうなった。 戦闘描写が書けないだけでチート設定を考えるのは大好きです。 |
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コメント | ||
あさぎ様:「根性」だとか精神論ばかりに傾倒しない合理的な戦い方をしてくれると俺得だったり。(牙無し) 平和で技術の進んだ一刀の世界だったからこそ、身に付く力もあるんでしょうね。(あさぎ) yosi様:達人のような超然的な境地に達すること事態、それなりに安定した環境が必要なのかもしれないですね。戦乱の世ではそれが難しいのかも(牙無し) 確かに恋姫は力技でゴリ押しするタイプが多い印象ですね。バキの渋川剛気みたいな達人タイプはいないかも。(yosi) |
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