リンレンミクと兄と姉 |
「「「おはようございまーす」」」
三重奏でもってリンとレンが姉のミクと一緒にスタジオのドアを開ける。と、朗らかな胴間声が出迎えてくれた。
「リンちゃんにレンくんにミクちゃん、はやいね。おはよう」
ちなみに時刻は正午近くで、おはようございますの挨拶として早い時間ではない。慣習だ。
三人は耳慣れた声の元に駆け寄った。ビール腹の少し目立つひげ面の男性スタッフは、馴染みのスタジオ勤めの面々の中でも特に兄弟に目をかけてくれている一人だ。
「えへへっ! 今日はね、めー姉がお弁当作ってってくれたんだよ!」
長兄はPVの撮影に、長姉は新曲の打ち合わせに。
保護者がそろって不在の家での食生活を守るため、姉が防衛ラインを敷いていってくれたのだ。ちなみにこれがない場合、ネギ料理か、ミカン料理か、シリアルになる。
前者二人の名誉を守るために書き添えるなら、料理ができないわけではなく、冒険心が強いだけだ。そして後者にはそれほど料理に熱意がない。
「スンマセン、家で食べてきゃいーって言ったんスけど…」
姉のテンションをフォローしようとレンが言いかける。けれど。
「でもせっかくのお姉ちゃんのお弁当だし、お外で食べたいよね!って!」
更に上の姉がうきうきとネギ色の弁当包みを両手で持って胸の前に見せる。商品名は浅葱色になっていたはずだが、この家にやってきたが最後、浅の字はあっさりと取り外された。
「だからっ! 控え室かして下さい!」
言って、リンもミカン色、商品名は柑子色の弁当包みを翳す。そしてレンの手には同じ柄の商品名檸檬色の弁当包み。これをバナナ色とはさすがに表現し難い。その点ですでに、この二人の姉にいつも押し切られる遠因はできているのだろうな、とレンは薄々感じている。
厚かましい頼みだと、レンは思ったのだが男性スタッフは目を細め、構わないよ、と笑った。お茶はいつものところにあるから、と。
「「ありがとうございまーす」」
ソプラノが綺麗なハモリを奏で、レンは軽く頭を下げた。
「スンマセン」
控え室へ向かう細い廊下を奥へ、三人で、主に女子二人で弁当の中身について話題を膨らませながら向かうと、向かいからも人が歩いてきた。同じようにスタジオを使うミュージシャンたちらしい。すれ違うには三人では広がり過ぎだと、会話の弾んでいた二人も前後に、三人で一列に並ぶ。
慣習通りにお早うございますと声を揃え、すれ違おうとすると五人ばかりのうちの後ろから二番目が、ちっと舌を打った。
「機械が偉そうに人間ごっこかよ」
ボーカロイドの聡い耳が、この距離で聞き漏らすはずもない。リンとミクは驚愕して立ち止まり振り返り、レンはかっと全身が熱くなるのを感じた。
「てっめ…!」
レンたちが接することは少ないから時に忘れているのだが、そういう人間がいる。レンや、リンや、ミクたち兄弟が歌うことが、人間の領分を侵す許し難い行為だと思っている人間が。
うすら笑う男を睨み上げ、レンは一歩、踏み出そうとした。許せなかった。兄弟を侮辱する奴が。
そこへ。
「レンくん」
朗らかな男性の声がレンの名で押しとどめた。
「やーごめんごめん、そう言えばお茶っ葉切らしてたからさ。これ」
手には大サイズのペットボトルと紙コップ。狭い廊下をちょっと狭そうに歩み寄ってきて、レンに手渡した。
そして舌打ちのミュージシャンににこりと笑う。
「弟想いのお姉ちゃんに声、潰されたくないでしょ?」
けれどその言葉は相手の苛立ちに余計に火をつけたようだった。
「何が弟だ! 頭おかしいんじゃねえの? あんたみたいのがそうやって変な入れ知恵するから勘違いすんだろ!」
そいつの笑い方は、歪んで奇妙で、誰を笑っているのかレンにはわからなかった。
「後継機なんて自分の出番奪った後輩と同じじゃねえか!」
レンの隣でリンが硬直していた。その隣でミクが。
今朝の兄と姉の様子が思い浮かぶ。姉のメイコは五人分の弁当をつめていて、兄のカイトはその横でこっそりと冷凍庫を開けていた。もちろん、見付からないはずもなくつむじに姉の手刀を叩き込まれ悶絶していた兄は、出がけ直前に三人をいちいち一人ずつ抱きしめてくれたのだ。
『今日も元気で頑張っておいで』
その次に家を出た姉は、一人ずつに弁当を手渡しにっこりと笑って言った。
『思い切り歌ってらっしゃい』
二人の活躍の場を自分たちが狭めてる、なんて。それを二人が恨んでるかもしれない、なんて。
思っても見ない。だって二人はいつだって優しくて。
「ミクちゃん、リンちゃん、レンくん」
呆然としていた三人の名を呼んで、男性スタジオスタッフがにやりと笑った。
「メイコちゃんもカイトくんもそんな殊勝な性格してないよ。自分の上に天井を感じたらぶち破る性格だ、二人とも」
自分よりも頭一つ分と少しでかい男の頭に手刀を入れる姉の姿を思い出す。最新機種、だから何、と笑うのが容易に想像ついた。
手刀を入れられた頭をさすりながら、苦笑していた兄の姿を思い出す。いつもにこにこしているくせに、青い双眸の鋭くなるときがあるのを知っている。
二人が歌う姿を見たことがある。思い出した。
「お姉ちゃんは私たちなんかに嫉妬しない」
「カイト兄は私たちなんかにやきもち妬いたりしないよ」
「俺たち、ぜんぜん二人に追いつけてねーもん」
行こ、ミクがリンの手を引いた。リンの手はレンの手を引いた。
舌打ちのミュージシャンを置き去り、狭い廊下を駆け出す。姉の手料理のお弁当をお腹いっぱい食べて、エネルギーをもらって、歌うのだ。
誰よりも高らかに。
五人そろった夜の食卓で、昼の話をした。姉のメイコは呆れたように。兄のカイトはデザートのアイスに熱中して話半分に聞いているようだった。
「あいつ、まだ諦めてなかったんだ」
メイコがぽつりと呟いた。
「あいつも損な性分ね。他人に絡まなきゃやってらんないくらいなら、もう音楽諦めればいいのに」
メイコも随分前に絡まれたことがあるらしい。あの男性スタッフが教えてくれた。
後輩に抜かれていく自分をメイコやカイトに重ねて気を揉んでいたらしい。メイコたちにしてみれば余計なお世話だ。
リンが、にひ、と笑った。
「で、その時めー姉すごかったんだって?」
「は?」
メイコが首を傾げる。
「酔っぱらってくだ巻いて、『二度と言ったらお前の声潰してやる』って言ったんだって?」
「はあ?」
半眼で聞いていたメイコが急に向き直った。その手元には食後の一杯がある。今日は梅酒。
「誰が…あー、言わなくていいわ。わかった」
レンは心の中でスタジオスタッフに合掌した。
「ったく…確かに言ったし、酔っぱらいもしたけど順序が逆! 言われてむかついて言い返して、納まりつかなかったから呑んで呑みすぎたの!」
それもどうなんだろう、とレンなどは思うが、リンはそうでもなかったらしい。何だつまらない、とミカンの時期には早いのでオレンジを一つ、口に放り込んだ。
「その頃ってめーちゃん、あんまりお酒飲まなかったしね」
アイスに夢中で聞いてなかったのかと思っていたが、聞いてはいたらしい。空になったアイスカップを満足げに閉じて、カイトがにこにこと言った。
「「「えっ」」」
弟妹としては驚愕の事実である。
「昔はやけ酒でしか呑まなかったんだよね。だから余計心配だったんだけど」
「んー…まあ、そんなに好きじゃなかったしね」
「「「ええっ」」」
濁点のついた『え』だった。
「それ言ったらカイトだって昔はそんなにアイス、アイスってうるさくなかったじゃない」
「「「えええっ」」」
ミクがネギチヂミの残った皿をひっくり返しそうになりながら、両手をテーブルに突いて立ち上がった。凡そデザートに類するものではないが、今更なのでこの家でこれに突っ込む者はいない。
「だって私聞いたよ?! お兄ちゃん昔っからアイス大好きで、お腹こわすほど食べた、って!」
下三人に向かいに隣り合って座る年長者二人は、視線を交わすこともなく呼吸を合わせた。
「「真実に混ぜるのが最高の嘘(だ)よねー」」
語数が違うのにどうしてそんなに綺麗なハーモニーが出せるのか、レンは少し尋ねてみたくなった。けれどそれよりも先に尋ねたリンの質問の答えで、カイトがアイスでお腹をこわしたのは、まだアイスと言うものが珍しくて食べ過ぎたのだそうだ。そのくらい若かった頃だよー、と兄は笑ったけれど、それっていつなんだ、レンは思ってしまう。
情報としては知っている。売り出された年月日、開発の始まった時期。だけど流れた時間の中に、知り得ないものがたくさんある。
「はー…やっぱ、ぜんぜん追いつく気がしないなー」
すとんと座り直したミクが、溜息をついた。レンも同じ気持ちだったし、たぶんリンも似たようなことを考えていたはずだ。
ふいにメイコが紅茶色の目を細めて笑った。メイコは兄弟の中では一番地味な色味をしているけれどふとした瞬間、そういう表情をすると途端に目を惹く艶が出る。異彩を放つ、と言うのかもしれない。
「追いかけてるうちは追いつかないわよ」
そう言ってメイコは最後の一口を煽り、空になったリンとレンのフルーツ小鉢と、ミクのチヂミ小皿と、自分のロックグラスを集めて重ねた。それらを右手にして最後に、カイトのアイスカップを左手に立ち上がる。椅子はカイトが引いた。
「あ、ねえ!」
洗い物を手伝うらしいカイトを、リンが呼び止めた。
「おじさんがね、もう一つ言ってたの!」
『以前、君らが来る前の二人はまるで、姉弟って言うよりは恋人同士だった』
どうなのどうなの、とリンは期待に目を輝かせている。私も聞きたいな、とミクも目を輝かせている。レンとしても気にならなくはない。
兄と姉が恋人同士だった、なんて言われるとむず痒いような気持ちになる。
シンクはカウンターの向こう側だ。呼び止めたのはカイトだけでも、もちろんメイコにも筒抜けで。
けれど振り返った紅茶色の眸は一瞬、細められただけ。直ぐにキッチンへ入っていってしまった。
代わりに呼び止められた青い眸がにこりと笑う。レンとしては何食ったらそんなになんだって思うようなでかい背をかがめてリンに目線を合わせると、いいかい、と諭すように言った。
「真実を混ぜた嘘は最高だけど、嘘に混ぜた真実も最高の嘘なんだよ」
リンがきょとん、と首を傾げた。ミクも頭の上に目一杯疑問符を浮かべている。レンにだってわかりはしない。一人だけ。
メイコが小さく口の中だけで、バーカ、と呟いた。
疑問符を浮かべた三人をダイニングに残し、カイトは洗い物を手伝いにキッチンへ入っていった。見慣れた光景だ。二人は揃っていれば大抵いつもそうやって家事を分担している。その息の合いっぷりは見事で、レンなんかは時々、参考にならないかとそんな二人を眺めている。
そうじゃなかった二人、ってどんななんだろう。ふとレンは思った。
恋人同士みたいだった二人。想像してみるけれど、わからない。そして、ああそうか、と思い至る。
だって嘘なんだもんな。
おじさんも人が悪い。そう思って、安堵した。
見るとリンがまだ首を捻っている。ミクは腕組みをしてうんうん唸っている。レンは苦笑した。
「二人ともいつまで悩んでんだよ」
今日録ったとこ見直して、明日のところをさらおう。そう言ってボイスルームに駆けていく。
レンわかったの、と聞きながらリンが後を追い、ミクはじっとキッチンに残る二人を見た。
「恋人同士だったなんて嘘だよ」
カイトが笑ったので、ミクは少しがっかりと肩を落とし、二人の鏡音を追ってリビングを通り出て行った。
・・・
「嘘つき」
メイコが呟いた。嘘じゃないでしょ、とカイトが笑った。
「恋人同士だった、わけじゃない。そうでしょ?」
小首を傾げられて、仕方なく。
水を止めて向き直る。上向いて目を閉じた。
過去形なんかじゃなく現在進行形で恋人の、キスが降りてくるまであと一瞬。
<了>
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ルカ発売前のクリプトンズがわいわいしてる話。 カイメイ。 |
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