Little prayer(1)Ewhoit 前編(2)
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   2.若騎士と機能人形

 

 

 

「ぐすっ……ふあぁん、フラウ兄ぃいっちゃやだぁああ」

 翌週の頭、すなわち月曜日。

 今日僕は、卒業式を迎えた。

 騎士学校の卒業式はまばらで、年に八回も行われる。

 そして僕は五つも六つも年上の訓練生と一緒に、式に参列した。在校生代表なんてものじゃない。れっきとした卒業生だ。

 既に式は終わり(書状を各自前に出て受け取り、最後に校長から訓辞を受けるだけのごく短い時間である)、持ち場や騎士寮に配備される前の短い時間を、皆思い思い門の前で友人知人と語り合っている。

 僕達はと言うと、さっきから泣きじゃくって僕を離さないフランをなだめていた。

「コラ、フランよう。あんまフラウを困らせんなって。昨日笑って追い出してやろうぜって俺らで決めたじゃねぇかよ」

「うぅ、うぅう〜〜! だってだってだってぇ!」

「あはは……まぁ分からなくはないけどね。フラン、フラウにずっとひっついて回ってたし」

 ほとほと困り果てていた僕は、ヴィルトールとリゼッタにまで援護をしてもらっていたが――なにせ自慢のわがまま妹。かれこれ三十分は捕まっていた。

 しかし、召集の時間までには着いておかないと、騎士に着任早々、遅刻なんてありえない。新兵が重役出勤なんてしようものなら、大将の顔に泥を塗ることになる。

 そこで僕は、ポケットから飴を取り出し、

「仕方ないな。それじゃほら、飴やるからこれで元気出せ」

 フランに渡した。フランは飴を握ると、

「うぁーい、飴! 私、飴大好き……っているかぁ! 馬鹿にするなぁ!」

 一瞬喜んだかと思えば、急に怒って飴を地面に投げ捨てた。ああ、あれ最後の一個だったのに!

「なんだよ、飴おいしいのに」

「……飴、なんかよりも」

 ふとフランは俯き、小さな声で言った。

「飴なんかよりも……一つ、お願いがあるの」

「……うん? なんだ、あんまりあげられる物、僕は持ってないぞ」

 僕とは相対的に、フランは急に緊張したように体を強張らせていた。態度もどこかもじもじとして、視線は右往左往している。その中でたどたどしく、しかしはっきりと口にした。

「あのねっ……お別れのキス、してほしい……」

「な、なんだって……?」

 僕が聞き返すと、今度は視線を合わせて言う。

「キス、してほしいの」

 思いもしてなかった『お願い』に、僕は混乱した。上目遣いのフランの表情が妙に可愛く見えて、心臓が急に暴れ始める。それはもう縦横無尽に。

 いやいやまさか。これは冗談。そう、フランお得意の冗談で僕を困らせようとしてるんだ……きっと!

「フラン、冗談は止めてくれ。本気で心臓に悪い」

「っ! 冗談なんかじゃないもん!」

 ぎゅ、と僕の胸にフランが抱きついてくる。ふわりと香った、柑橘系の匂いが。さらりと触れた金色の髪が。肌を通じて伝う胸の鼓動、やや震えている手。それら全てが、フランの気持ちを余すことなく運んできた。

「フラウ兄ぃはいっつもそう、私のことなんか妹としか思ってない。こっそり布団に忍び込んでも何でもないみたいな顔して。私にとってフラウ兄ぃはただのお兄ちゃんなんかじゃない……だ、大好きな男の子なんだもん!」

「っ、フラン」

 驚いた。

 フランが、まさか僕のことをそんな風に思っていたなんて。普段の行動からは考えもつかなかった。

 いつもトラブルを持ち込んで。

 一人で処理しきれずに僕を巻き込んで。

 それでなんとかフォローした次の瞬間にはまた何かやらかしている、目の離せない女の子。

 そんな日常もまた、僕は楽しんでいたのかもしれない。こうやって言われて初めて、僕はフランを女の子として見ていた。なら……気持ちには答えを出さないといけない。

「分かった。そこまで言うなら――フラン、目を閉じて」

 僕はそう言って、フランの肩をそっと握って体から引き離した。瞳を閉じたフランのまつ毛は長く綺麗で、目尻からやや溢れた透明の雫が、真珠のように光っているのがとても幻想的に見えた。

「ふぇ……」

 僕はそのまま、顔を少し下げた。きっと横ではヴィルトールが囃したてているのだろうけど、緊張のせいか、心臓の音だけが聞こえ、それ以外は何も耳に入っていなかった。

 そして、フランの前髪を少し上にやって、

 僕は唇を近付けた。

「………………」

 触れていたのはほんの数瞬だったと思う。

 僕が離れると、フランは両手で確かめるように額を触った。

「お、おでこ……」

 軟弱者と言われるかもしれないけど、やっぱり僕には『そこ』にする勇気はなかった。だから、

「――僕にはやらないといけない事がある。フランのことはもちろん大切に思ってる……だからこそ、行かないとダメなんだ。もし、僕が目標を達して、その時にまだフランの気持ちが変わってなかったら、また答えを聞かせてくれるか?」

 本音半分、建前半分のなんとも情けない言い訳になってしまった。だけどまぁ、普段からヘタレてる僕にはこれくらいが丁度いいだろう。

 そんな僕に、フランは薄く微笑んでしかし、

「うん……分かった。仕方ないね」

 半分残念そうな顔をした。

 直後、門の外から召集のサイレンが鳴る。

「それじゃあ、そろそろ時間だから。ちゃんと消灯時間になったら寝るんだぞ? あと朝はきちんと一人で起きれるように。それから部屋の掃除と――」

「ぷ、くすっ!」

「あ、こらなに笑ってるんだよ。人が心配してやってんのに」

「大丈夫。フラウ兄が思ってるより私はちゃんとしてるから。フラウ兄こそ、しっかりしなくちゃだめだよ!? ヘタレて帰って来ることがあったら、追い返してやるんだから」

「はは……そりゃ、頑張らないといけないな」

「おう、いちゃいちゃタイムは終わりか?」

 隣からヴィルトールが茶々を入れてきた。そして後ろにいるリゼッタから窘められる。

「ちょっとヴィル、急かさないの! もう、デリカシーないんだから!」

「いでで、俺はただそこにもう集まり始めてるから知らせようと」

「はーいはい、御託はいいからあんたはこっちに来なさい」

「耳は、耳の端っこはヤメロ……」

「相変わらずだな、あの二人は」

「だね」

 あのままだと耳が伸びてしまうんじゃないかってくらい引っ張られていくヴィルトールを見て、僕らは苦笑した。

「フラウ兄ぃ」

「ん……?」

 突然呼ばれて、もう一度フランの方に向き直ると、頬に温かい感触が走った。

「な、ななっ」

「さっきのお返し! さ、案内の人が呼んでるよ! さっさと行く!」

「わ、ちょ……おい」

 フランに背中を押され、門から外に出される。不思議な顔をしながら、門兵が可動式の扉をガラガラと音を立てて閉めた。門越しに、フランの照れた顔が見える。

「いってらっしゃい、フラウ兄ぃ」

「……いってきます」

 僕はその顔に答えるように、笑顔でそう返した。

 

 ***

 

 フランやヴィルトール達に別れを告げた僕は、騎士学校から馬車で半日を掛けて移動した。着いた先は、初年度の騎士が駐屯する補給用の基地。配属は既に決まっていて、前線に出る小隊。

 正直僕は、この国が常にリトル・プレイヤーその他戦力に脅かされ続けていると思っていた。否、そう思い込んでいた。しかし……現実は優しくなんかなかった。

 ――『超』が付くほど甘かった。甘くて糖尿病になるくらいだ。

 

 一日の始まりは、既にニワトリがコケコッコーと鳴いて、エレメンタリースクールの子供達が長期休暇に集まる朝の体操の時間も過ぎ、さらには一般学生があくびをしながら最初の授業を受けるくらいになった時――その時になってようやく始まる。時間的にも曖昧だけれど、大体午前九時ってところか。

 そしてそこから厳しい戦闘準備の為の訓練があるかと思えば、同じ隊の先輩達は特にそういった様子もなく。

 いや、最初の頃は殺意さえ抱いたが、実は彼らが怠けているのも仕方がない、とも思えるように数日でなっていた。

 出動要請が来ないのだ。

 一日、二日来ないのはまだ分かるが、僕が入隊して半月。ものの一度も僕は基地の敷地から出ることはなかった。

 そして今日も……

 

「クソったれた今日に! 乾、杯ィ!」

「「乾杯!」」

 古ぼけた木造の詰所には、まだ日の落ちていない夕方時だと言うのに、盃を打ち合う音が木霊していた。

 男達が野太い声を響かせ、木製の干からびたテーブルの上で酒を次々に煽る様。祝杯ならまだしも、朝から寝てばかりで昼は賭けトランプ、そしてこの晩に下卑た笑い声で宴を催しているのだから……とても騎士とは思えない。でも、既に見慣れた光景でもあった。ちなみに、この後夜通し賭け麻雀に発展し全員が寝潰れるまで行われるのも通例だ。

「おう、新入りも今日くらいはこっち来いよ! 何も俺達に遠慮しなくてもいいんだぜ? たまにはよ!」

「そうそう、酒くらい一気にヤっちまえよ。ま、良い女引っ掛けた時は譲って貰うけどなァ!」

 最初に僕を誘った先輩騎士が、お前は譲って貰う前に勝手にヤるだろうがよ、と突っ込み、周囲からどっと笑いが起きた。

 僕にはやることがある。故にこの宴には参加しない。無理に誘われても断ることにしていた。

「結構です……というより、今日は気分が悪いんで、早めに寝ようかと」

 無論気分が悪い原因は、この人らの際限ない葉巻の臭いや煙だったり、酒臭さのせいだったりするのは言うまでもない。

「そりゃオメー、朝っぱらからそこらじゅう犬みてぇに走り回ってたらバテんだろ! ヒハ、俺ァどうせ動くなら綺麗な姉ちゃんの腰の上だよなぁ!」

「おいおい新入りにゃまだ早ぇ話だろ。ま、俺なら小っこい方が燃えるな、胸も尻も小せぇ方が最近のブームってな!」

「テメーのロリコン癖はちょっと分からねぇわ」

「うるせぇな、なんなら今度の召集の時にでも存分に語ってやるよ! こう……嫌々ながら無理やり捻じ込むってのも中々味わえないもんだぜ」

「へぇへぇ」

 そこまで聞いて、僕は耳を塞いでボロボロの布切れに身を埋めた。

 寝床越しにも、騒ぎ声が聞こえてくる。

 おら、飲め飲め! 一気だ一気! ばかやろうそれ一番高い奴じゃねぇかこぼすなこぼすな! お、ブラウンとデニーの飲み比べが始まったぞ皆賭けろ! 俺は一万! 俺はデニーに五万だ! テメー昨日ちょっと麻雀で大儲けしたからってブルジョアぶりやがって! おい誰だ俺のステーキを奪った奴は!

 ――ばかばかしい。

 僕は飲み騒ぎ、賭け、遊び狂う為に四年を犠牲にしたわけじゃない。

 前線に放り出され剣を振るってもしかしたら命を落とすかもしれないけれど戦いの場に身をおきそれで死ねるなら本望だ。他を守りたいと思えど自分の身が大切なんて思ったことは無い。

 騎士になって、成果を挙げて、親の仇……リトルプレイヤーを倒す。

 それだけが目的なんだ。

 テレビで流れる騎士の様はとてもヒーローのように映っていた。荒廃した街で救助や自治を行い、ならずものには刃を向ける。

 僕はヒーローになりたいわけではないけど、少なくともそんなイメージしか抱いていなかった。

 そういえば……夢の中の女の子は一体なんなんだろう。

 幼くして僕と面識があったかもしれない……ということは、彼女との仲もまたリトルプレイヤーに引き裂かれたのだろうか。

 なんだかんだであの夢は、騎士に上がって以来見ていなかった。

 これが何のシグナルかは分からないけれど。

 とにかく、現状に変化を求めたかった。

 そう念じ、強く拳を握りしめて……僕は瞼を閉じた。

 

 

 今日の夢はちょっと違った気がした。

 いつもならば、眠りに落ちて夢に入った瞬間、暗い闇に、奈落の底へ突き落とされたような絶望の世界で、あの戦闘が始まる。

 無機質な鉄壁と、死神がもたらす闇に染まる。

 それとは、最初から異なっていた。

 色彩ないモノクロームではない、鮮やかな銀に支配された世界。

 どちらかといえば灰色に近い銀色が、鮮やかと言うのは少しおかしい表現かもしれないけれど、確かにこの銀は、モノクロとは違う、希望の『色』をしていた。

 光沢を持ち、明暗のグラデーションが美しい、波紋が次々に視界を横切っていく。

 それはそう――絶望の夢でいつも泣いている、彼女の髪の色。それに近い感覚だった。

 不思議と暖かい気分に包まれる中、誰かが僕を呼んだ。

 

『フラウ』

 

 辺りを見渡しても姿は見えなかった。

 僕の行動を見透かしてか、薄く笑ったような声で、

 

『目だけじゃ、見つけられないよ』

 

 と言ってくる。

 じゃあどうやって見つけろと。

 

『心、記憶、絆。私とアナタにあったものが、教えてくれるはずだよ』

 

 なんだよ。お前、誰だよ。

 絆なんて持ったことなんかない。

 

『ねぇ、私を見つけられないの?』

 

 探してないし。

 

『探してよ』

 

 僕にはやることがあるんだよ。

 

『それでも見つけてくれるって信じてる』

 

 …………。

 

『出来るだけ早く、見つけてね。一人ぼっちじゃ寂しいから――』

 

 そう言ったきり、声の主は音量を徐々にフェードアウトしていって、やがて何も聞こえなくなった。

 銀の空間に取り残された僕は、まだ心地よさの残るここでまどろみながら、夢が明けるのを待った。

 

 

 いつもと違う夢は、いつもと違う日常を運んできてくれたらしい。

 朝早くに起き、走りこみと一通りの鍛錬を終え、詰所に戻った時だった。

 麻雀を打っている途中で寝落ちした連中が、テーブルに突っ伏して酒臭い呼気を辺りに撒き散らしている。ここまでは普通だ。しかしその傍で、基地宛の手紙――すなわち、この分隊全体への手紙だ――を選り分けていた先輩が叫んだ。

「遠征が決まったぞ! しかも大将のお墨付きでだ!」

 それを聞いた瞬間、低く唸って地面に指で絵を書いていた者も、寝惚け眼で賭けの勝ち金を集計していた者も、皆色めきたって一斉に歓声を上げた。

「よっしゃああ!」

「オイオイ来たぜオイ! オイ、起きろオイ!」

「ヒャッハー! 狩りの時間だぁあああ!」

 何故かさっきまで爆睡していた者まで起き上がってハイタッチを交わしている。

 僕は『遠征』の意味が分からず、手紙を見つけた先輩に尋ねた。

「あの……遠征ってなんですか?」

 すると、先輩騎士はきょとんとして、

「何ってお前、知らねーのか?」

「はあ」

 ここの連中が全員喜んでいるようなイベントだから、どうせ大したことない……というかくだらない内容なんだろう。遠征っていう言葉の意味から推察するに、どこか遠くに行くんだろうけど。旅行? まさか。

 生返事であれこれ考えていると、後ろから数人にバシバシと肩を叩かれる。

「新入りはまだ遠征行った事なかったよなぁ! お前もようやく初体験ができるってこったな! 男を上げられるぜ?」

「いやー、コイツ連れていってもどうせ恥ずかしがって表に出てこないんじゃねーのか? なんせまだ『お若い』からな! それとも意外と燃えるのか? うはは」

「まぁまぁ、ノウハウは俺が教えてやっからよ! どう小っこいのに入れるのかはレクチャーしてやんよ!」

「出たよ。オメー、スラム遠征の時だけこうだもんな。ったく、俺はチビは嫌いだ」

「そういったって、どうせヤる時はヤる癖に」

「そら腹減ってる時に目の前に飯があったら誰だって食うだろ」

「よくいうぜ、がはは」

「あの、話が見えないんですけど……」

 尋ねても、もう向こうは勝手に盛り上がってこっちの話を聞いていない。仕方なく、さっきの先輩騎士の元に聞きに行く。すると、ニヤリと笑って、言った。

「出征だよ出征。リトルプレイヤー狩り、さ!」

 

 

「こうも暑いとなんだか気が抜けちまうなぁ」

 僕の隣で呟いたのは、小隊長だ。あのくだらない基地の隊の中で、唯一の良心と言っていい人なので、必然的に近くに居ることが多かった。

「……そうですか? 僕は初陣ですから、緊張しかしてません」

「はは、自衛隊みたく他の国と戦争おっぱじめるってんなら、そら緊張もするかもしれねぇがな。実際本格的な戦闘になった事はほとんどねぇ。向こうは数も少ない。大体が単騎か、多くても一家族ってなもんよ。本当にやべー奴が居る場合はこんなしみったれた小隊なんかにゃ任せてくれねぇ。今回のスラムも、俺は五度目だが……前回行った時も特にやるこたなかったしな。安心しろ、怖いなら後ろに隠れててもいいんだぞ?」

 そういうと、小隊長はうはは、と笑う。

 僕らは今、街のド真ん中を行軍している途中だ。

 今回の目標は、基地管轄にある中程度の街、クレイル――のスラム敷地である。

 少子化対策として導入された乳幼児アジア移民政策の負の遺産として、国の各地にスラムは急増した。元々先進国家で就業率も世界トップを走っていたこの国でさえもスラム人口は全体の一割を超す。

 このクレイルの街では、街の半分以上が産業で栄えているものの、東部にこさえられた城門より奥からはスラム地域に区別される。

 スラムに住むのは他でもない、職を持たない貧困層になるのだが、政策により生み出された多くのストリートチルドレン達は、このスラム人口の半分近くに及ぶ。そして……ストリートチルドレンと容姿は変わらないリトルプレイヤーが、スラムに紛れて生活するのは良くあることなのだ。

 もっともその性質故に迫害されること、忌み嫌われることから身分を隠す者が大半らしく、この任務において、とりあえずスラム居住者で怪しい者は捕縛する、とのことだ。

 伝令内容的に、戦争のようなイメージしか沸かなかったけど、小隊長だけでなく周り全員がお気楽ムードで喋っている。これが某『北の国』なら、国家反逆罪とかで死刑になるかもしれない。まだ訓練校で行進の練習をしていた方が厳しかった。

 もちろん、僕みたいにガチガチ緊張しているのもまた滑稽なんだろうけど……さすがに前を歩く先輩はふざけすぎじゃないかと思う。

「でよ、こう腰をクイクイッって捻ると痛がるんだぜ!」

 行軍しながら体を横に向け、鎧の間から腹を出してクネクネと腰を揺らしている。それを向かいに居た別の先輩がむんずと肉を掴み、苦言を呈した。

「分かった、分かったから腹を出すな気持ち悪い。お前また太っただろ、こんなたぷたぷしやがって」

「そんなこたねぇよ。くびれが三つになっただけだ」

「それを三段腹って言うんだよ」

 格好良く名前付けてみようぜ、スリー・バウンド・ストマック、みたいによ」

「だせぇし!」

「だぁあ、うるせーよ黙って歩けハゲ!」

 あまりにもペースが落ちたものだからついに後ろから尻を蹴られる。ガァン、と乾いた音がして、蹴られた先輩は「おひょ」と声を上げて尻を押さえた。

「てめっ! やりやがったな!」

「お前らがおせーから悪ぃんだよ!」

「なんだとこの野郎!」

 今から任務だと言うのに。

 場所を目の前にして、かの二人は取っ組み合いの喧嘩を始めた。

 互いに肩をぶつけあい腰を掴んで、相撲のような形でオラオラと罵りあう。それを見かねてか、

「静まれ、そろそろ作戦開始だ。――スラムに入るぞ」

 小隊長がそう告げた。灰色の、形だけは無駄にでかい門がギギギと耳に痛い音を残して開いていった。

 門を通るとそこは、同じ街……いや、同じ人間が住むものなのかと思うほど異質だった。

 クレイル自体はそこそこ大きな街だ。首都周辺ほど人が満ち溢れているわけではないが、ずっと歩いてきた道は綺麗に整備された石畳が並んでいて、軒には活発な商店が立ち老若男女が商い集っている様子がそこかしこで見られた。

 ――が。

 ただの一歩、場所を違えるだけで景色はまるで変わる。

 クレイルの一般居住区を『光』と例えるなら、このスラムは『闇』ですらない、そう……『無』だろうか。

 土地は荒廃しきっており、当然ながら道路なんてものはない。土は灰色そのものでそれが見渡す限りずっと続いている。生命力の証か、なんとか生えている雑草でさえまばらである。

 点々と立っている建物は住宅のつもりなんだろうか。木造であることは見て取れるけども、それ以外はただのガラクタの寄せ集めというかなんというか。どの建物も屋根が粗大ごみのような、車だとかイスが突き刺さっている。窓は中途半端に割れ、ドアも見当たらず、どこから出入りしているのか検討もつかない。

人の姿は見えない。僕らがやってきたからだろうか。やせ細った犬や猫がこちらを見ている。残念ながら餌は持ってきていない……。

 一目見た感想では、酷い有様としか言いようがない。息を飲み、立ち止まった僕に背後から声が飛んだ。

 「各自指定された持ち場で行動開始しろ!」

 それと共に、初年兵の僕以外は皆慣れたように散らばっていく。訓練学校で何週間もかけて叩き込まれた隊列なんて微塵も感じさせないほど、ばらばらだが小隊長は何も言わない。僕は慌てて後を追った。

 

 ***

 

 行動開始、とトランシーバから聞こえる。

 作戦本部と言えば聞こえだけは良い、名ばかりの自室で、大将ラインハルトは大きく息をはいていた。それは失墜ではなく、安堵のものである。

「ようやく、ようやく我の願いの種が蒔かれた……。もとより長い年月とギャンブルのような願いではあったが、あやつが良く成長してくれたものだ。あの男から出し抜いた情報もある。万が一あやつが殺されてしまうことが無いとも言えないが、志優しき者だ、きっと悪いようにはいくまい。私がこの修羅から開放される時も間近だ――」

 普段、部下から慕わ畏れられるその精悍とした顔つきがふと緩む。

 無理も無かった。彼はとある事件で、最愛の者を一人亡くし、娘を人質同然に取られてしまった。そしてその状況は十年近くにも及ぶ。

 そこから修羅の道を究め、四年前に、ついには騎士の長へと上り詰める技量を得た。それでも敵は遥かに強大で、また卑しい者だった。

 彼は悲嘆に暮れた。

 一時、世界を捨て、地の果てで孤独に死に行くのも良しと思ったこともあった。

 そうこうしている間に世界は、自身の敵に屠られていった。退廃していくのが見えた。

 公園の遊具で昼下がり、思慮にふける彼の横を未就学の女児達が駆け回っていた。娘に面影を重ねた。

 娘と年齢を同じくする者達の未来を守りたいと思った。

 だが、どうしようもない。

 やりきれない気持ちで任務先に向かった時だ。

 彼は希望を見つけた。拾った。

 見た瞬間、『敵に繋がる者だ』と記憶の奥底が告げた。

 彼は希望に途方も無い年月と、微小な確率に、賭けることにした。

 そうして今に至る。

 希望は年月を遥かに早くクリアし、僅かな確率さえも超そうとしている。

 十年の思惑が、もうすぐ手に入る。

 そうとなれば、顔くらい緩むのも仕方ないといえよう。

 もう一つ、大きな息を中空へ放ち、やたら高級感のあるチェアに背を預けた。キシ、と軽く音を上げるがそれは彼の体重が重いせい。

 と、急に胸元から黎明な響きのメロディが流れた。着信音だ。

 ラインハルトは、すっと顔の緩みを戻し、音の元である携帯電話を指二本で摘まみ、着信元を確認する。表情は固く冷たいものへと変わった。この携帯の番号を知っているのは、ただ一人だけである。間違い電話であった欲しい、と彼は思ったが残念ながらディスプレイが示したのはその人だった。

 通話に出る前に部屋のロックを確認し、携帯のジャックに何かイヤホンに似たものを取り付ける。前者も後者も、盗聴を防ぐ為である。どちらも、通話主に言われたものだ。

 ややあって通話に出る。

「……なんだ」

「私だ」

 そんなことは分かっている、忌々しいやつめ、と拳を握る。

「披検体ナンバー2の事だ。既に潜伏場所を伝えたはずだ。首尾はどうなっている」

「問題ない、先日精鋭部隊を送り込んだ。もし失敗したとしても、通常任務の延長上だ。他に流出する怖れはない」

 精鋭と言えるのは一人だけだがな、とは言わない。

「それなら結構。君も丸くなったものだな。さすがに娘が大事だと見た」

「……分かっているなら返して欲しいが」

「それはダメだ。君が言うことを聞くと申し出たから、彼女は大切に扱っているし名目的にも君に顔を見せることだって許しているんだぞ? 本当ならば幽閉して実験してやるところだ。ナンバー1は裏切り、ナンバー2は目下脱走中。私の懐のよさにいい加減感謝してもらっても良いんだがね」

「何を抜け抜けと! ええい、とにかく言われたことはやった。成果が出ればまた報告する。他になにか連絡は!」

 バン、と机を殴り、携帯に向かって怒鳴る。電話の向こうの男は、それを心底愉快だとばかりに、楽しそうに応対する。

「特にないよ。君が何をしようと、結局無駄だってことは君が一番分かっているはずだろう? 精々私の足元で働いて」

 そこまで聞いて、ラインハルトは通話を切った。

「…………クソッ。計画は絶対に成功させてみせる。覚えてろ……!」

 虚しい憤りは、空気へ紛れ、部屋の隅へと拡散していった。

 

 ***

 

 任務、と言われるほど厳しいことは何一つなかった。

 僕は初年兵なので、一人巡回して怪しい人物を見かけたら、首を突っ込まずに戻って隊長に報告。と言うのが役割。

 けれどその怪しい人物も特に見当たらない。

 なんというかこのスラム、奥深くまで歩いても、身寄りのなさそうな幼い子供と会うだけで後は道端で寝ている酔っ払いや老人しか居ない。

 ぶっちゃけ、暇だった。

 それでも詰所で腐っているよりはましだけど。他の人はどこで何をやってるんだろう。

 そう思っていた時だ。

「にゃあああぁ!? なにするのだ〜〜〜!?」

「……なんだ?」

 甲高い、子供の声。少女だろうか。

 そう遠くないところからだ。

 だが、周りはがれきで作られた建物(っぽいもの)が多く存在していて、どこからかわからない。

 すると、声の主がもう一度叫ぶのが聞こえた。

「だ、誰か! 助けてぇ!」

 助けを呼ぶ声が確かに。

 ……これはしらみ潰しに当たるしかないか。

「待ってろ!」

 瓦礫の山を掻き分け、一人捜索を始めることにした。

 

 

 言うなれば、北欧に良く見られるレンガ造りの……それが一気に崩壊したかのような、跡が並んでいる場所だ。

 声が近いと言うことが分かっても、まず入り口が見当たらないものも多いし、幾度となく瓦礫をどけても、当たりは引かなかった。

 時間だけが過ぎて、少女の声は今は聞こえない。

 あれは思い過ごしだったんだろうか……?

 ふと汗を拭う際に、天を仰いだ。

 すると、何故だろう。

 風の向きが、空を流れている風の道が、はっきりと見えた――そんな気がした。

 視界に、微かな白く細い糸のようなもので、右から左へと漂っている。それに触れると、そよそよと涼しい風を手に受ける。

 その糸の行く末は、瓦礫で作られた、塊にしか見えない一つの建物へと集まっている。よく見れば人が屈んでようやく入れるかどうかの穴が開いていた。

 風に背を押されるように、僕はそこへ近づき、穴に頭を突っ込んで中に入ってみることにした。

 ――そこには。

「ははは、オラオラ逃げるんじゃねぇよ」

「おい手は縛っておけよ」

「暴れんなってコラ」

「うぅっ、いやぁ、いやだぁ……」

 四、五人の先輩騎士と、泣きじゃくる一人の少女が居た。

 

 少女は両手を頭の上で掴まれ、元は白かったであろうワンピースのような服は、泥だらけなうえ引き千切られた跡があり見るも無残。やや焼けた肌には、無数の切り傷と殴られた赤みが残っていた。

 少女の齢は八、九と言ったところだろうか。小さな体躯に大の大人が群がっている様子は、誰がどう見ても悪戯の範疇を超えていた。

 絶句し固まる僕に先輩騎士が気づく様子はなく、さらなる暴力が少女に加えられる。

「なんでぇ……ミャー、何も、ぐすっ、やってない、のに……。なんでこんなこと、ひっく……するの?」

「そりゃ何もしてねぇだろうなァ? けどよ、お前らは――存在するだけで邪魔なんだよ!」

 少女の頭を掴んでいた一人が、壁におもいきり頭をぶつけるように、額を強く押した。ゴン、と鈍い音が響き、「あぐっ」と少女の口から声が漏れる。

 それでようやく我に返った僕は、ずりずりと小さな穴から這い出して先輩を怒鳴りつけた。 

「ちょっと先輩方! 何をやってるんですか!」

 すると、一番僕に近いところで、何やらビデオみたいなものを持っていた一人が、怪訝な顔でこちらを振り返る。

「あん? ……なんだ新入りじゃねぇか。何かあったのか」

「何かあったか、じゃないですよ。目の前にあるじゃないですか、これはどういうことなんです!?」

 思わず語気が上がる。体も心も興奮していた。

 そんな僕の、恨みの籠もった視線を彼は一笑に付して全員に問うた。

「ハッ。なんだ、訓練校でダダ上がりしてきたからよほど肝の据わった奴かと思ってたがやっぱり腑抜けだな。オイ、教えてやれよ。俺らが何やってるか」

「面倒だが、仕方ねぇな。オラこっち来い!」

 少女の頭を片手で掴んでいた者が首根っこに持ち替えて、僕の目の前にぶらん、と下がった少女を差し出す。

「う、うっ……」

「よぅく見ろ。コイツの頭には何がある? コイツのケツからは何が生えてる? 一発で分かるはずだぜ」

 ズタボロにされて、ぽろぽろと涙の雫を流す少女を見やる。すると、彼の言っていることは、すぐに分かった。

「耳……と、尻尾」

 普通の人間ならありえない筈の、頭頂部から飛び出た、黄色と茶色の毛に覆われた耳。それと、股の下から同じ色で先のやや曲がった尻尾があった。一言で表すなら、猫のよう。

 僕の答えに満足したのか、先輩はニヤリとして大声を張り上げる。

「そうだ、耳と尻尾。マジモンの人間にゃーこんなもんは付いてねぇ。勿論作り物でもねぇぞ? 引っ張っても取れなかったしな」

 言って、グイグイと耳の片方を引っ張る。少女は「や、やめ……」と弱々しく抵抗した。

 つまり、彼はこう言いたいのだ。

 人間ではない、異質なモノ。

 リトルプレイヤー。

「た、確かにそれは分かりました。でも、仮に彼女がそうだったとして、ここまでする必要はないでしょう! 戦闘能力は既に無いようですし、本部に引き渡せば……」

 途中で、ガン、と壁を蹴飛ばす音に言葉がかき消される。

「バカ言ってんじゃねぇ! コイツらがどれだけ狡猾でずる賢くてセコい野郎か、お前はまだ分かってないようだな。弱ってるとみせかけて突然襲ってくる、それで前任の副隊長は殺されたんだよ。俺だってあん時ぁ死にかけた。本来なら会った瞬間ブッ殺すのが基本だが、俺らは寸前で止めてやってんだ。――それに」

 そこで一旦言葉を切り、周りをジロリと見渡した。

「……楽しみもねぇとつまんねーだろ?」

「は?」

「そうそう、ボコすのも任務の一環、ってナァ!」

「そろそろ続きと逝こうぜ! 俺もうガン立ちで収まらねぇ!」

 全員が、呼応するように騒ぎ出す。

 掴まれていた少女は、藁の敷いてある所に放り投げられ、一人がそれに覆いかぶさった。

「お楽しみの続きだ! 新入りは邪魔すんならそこで見てろよ」

「や、やだぁ! た、助け――」

「黙れっつってんだろタコ」

「ん、むぐ、ぐ!」

 少女の口に布が詰められ、行為は進んでいく。

 僕は呆けて突っ立っているだけ。

 なんだ。僕は何をしているんだ。

 僕は騎士だ。

 目の前で力を振るわれる少女を助けないと。

 でも彼女はリトルプレイヤー。倒すべき敵。親の仇。

 なら、このまま見捨てても構わないんじゃないか?

 

 ――いや。

 そんなことできるわけないじゃないか。

 騎士としてじゃなくて、人間として。

 なら、するべきことは一つ。

「どけっ!」

「ぐっ!?」

 力任せに肩を突っ張り、横から一人に突撃。不恰好に手足を地面に付いていた彼は、それだけで押しのけられ、隅にあった瓦礫に頭から突っ込んだ。奇襲成功。

 だが奇襲できるのはそれまでだ。空気が変わった。ガラガラと音を立てて雪崩を起こした瓦礫と、無様に腰から頭を埋めた一人を見て、それまで馬鹿騒ぎをしていた他の四人が一斉に怒気を剥き出しに、僕へ迫ってくる。

「オイ新入りィ……テメェふざけたことしてくれたなぁ……」

 そのうちの一人から、装甲の襟を太い腕で掴まれ、僕は宙に浮いた状態になる。けどここで怯むわけにはいかない。両手でその腕を握って抵抗する。圧倒的な体格差。びくともしなかった。

「ふざけたこと、してるのは……どっちだよ」

「うるせぇ!」

「がっ!」

 ガラ空きの脇腹に、強烈な蹴りが入った。息が詰まる。そのまま投げられた。固い地面に受身が取れず肘と腰を打ってしまう。

「っ……」

 見上げた先には灰色があった。

 額でそれを受け止め、また地面に転がされる。蹴られたのだと理解するのに三秒掛かった。

 ガガガ、と立て続けに、容赦なく腹を踏まれる。その度に「オラ、オラ!」と声がして、胃から液が逆流してくるような感覚に陥った。ああ、ちくしょう。多対一なんて卑怯だぞ。

 マウントポジションの下にされ、両頬は際限なく殴られた。右、左、右、左。規則正しい暴力のリズムが、感覚を失くし、やがて攻撃が止んだ時、僕の体からは力という力が抜けていた。

 目の前には、息の上がった男が――もはや視界は歪んで誰か判別はつかないけれど、言い放つ。

「ったく邪魔しやがって。余計なパワーつかっちまったぜ」

 ペッと何か吐き出された。首筋にどろりと気持ちの悪いものがかかる。うわ、ツバかよ。行儀悪いぞ。

 と、そんな冗談を頭で考えていても、僕の口は何の言葉も吐き出さない。きっとあいつらから見たら今の僕は酷く弱々しい目をしてることだろう。

 やっぱり無謀だった。

 騎士にとって突貫とはもっとも愚かな戦略だと教えられたのはいつだったか。

 ともかく、僕は負けた。

 僕が倒れている横、少女が一際大きな鳴き声を上げた。一つ、殴る音が聞こえて少女は黙る。

 ビリ、ビリと破られる音と、野郎共の気味の悪い歓声が上がった。目を伏せた。耳を塞ぎたかった。これから惨状が始まる――そう思った直後、

 

「何をしているのかしら?」

 背後から声がした。

 幾度となく殴られ、蹴られたせいで頭はぼうっとしていた。さっきから耳が突っ張ったようなキーンとした音で、先輩騎士の笑い声は、地獄からの使者が密談しているような、モヤモヤとした不協和音にしか聞こえなかった。

 それなのに、その音を聞いたとき。

 全身からぞわぞわと毛が逆立つような……電撃が頭の先からつま先までを光速で駆け抜けたような、そんな感触が走った。

 痛みで鈍った頭。硬直した身体。おそるおそる、後ろを振り返ると。

 

 視界には、また少女が一人。小さいとはいえ、あの耳っこよりは少々大きいか。

 でもそれはあくまでも……視界に限った話、だ。

 頭の中では、僕は既にそれが一介の少女ではない、と理解していた。否、理解せざるをえなかった。

 外見はとにかく、白く透き通るような肌と、冬のダイヤモンドダストを思わせる光沢の銀髪が印象的だった。薄くやや赤い唇、黄金の琥珀にも見える鋭い視線の瞳――どれを取っても幻想のよう、そう……夢に出てきたあの女の子も、こんなタイプだった。

 小さな体躯は耳付き少女より少し大きいくらい、フランと良い勝負ってとこだろうか。なんにしろ、彼女の纏う異質な存在感は、僕を圧倒していた。逆に、先輩騎士達は小さな闖入者にそう驚くこともなく、むしろ悦に入った表情で少女へ近いていって、

「別に何もしてねぇよ? ただちょーっと躾のなってない子猫ちゃんと遊んでやってただけさ」

 「そうそう……もしかしてお譲ちゃんも俺らと遊びたいってか?」

 「ヒッハー! そりゃ大歓迎だぜ! 遊ぼうぜ俺達と!」

 すると銀髪の少女は、彼らを一瞥すると、

「……汚らわしい。ミャーをこんなにしたのも、貴方達のようね」

 ミャー、とはさっきの耳っ子のことだろうか。

 「汚らわしくてナンボさ。さぁ、こっちきて一緒に遊ぼうぜ」

 少女の細い腕が掴まれ、さっきのミャーのように、藁の敷かれたところへ引っ張られる。倒れこんでいる僕と、かすかに目が合った。恐怖からなのか、はたまた何も感じていないのか、その瞳には一点の光もない、曇り。感情を読み取れなかった。少女は抵抗できたはずだ。それをしなかった。何かを企んでいるような、でもその企みが見えない、そんな顔だ。

「さて、獲物が二匹になったわけだが。どうするよ?」

「俺、銀髪ちゃんとーった!」

「この野郎、抜け駆けは良くねぇぞ!」

「手前には尻使わせてやるよ。それでいいだろ」

「チッ。仕方ねぇ」

「じゃあ俺とリーダーは猫ちゃんで。アンディはビデオ係な」

「お、おい! そりゃねぇよ!」

「撮った奴はお前の好きにしていいさ。売り飛ばすなりなんなりとな」

「お? マジで? オーケーオーケー。それなら俺マジでバシッと撮っちゃうぜ」

 目の前で少女二人の処遇が、糞野郎達の手によって決められていく。もはやこんな奴らは騎士なんて名詞必要ない。糞野郎なんてひらがなで六文字も消費するのが宇宙の無駄だ。

 が、当の僕はボロボロで何もできない。目の前に助けたい対象が居ても、動けないなんて、糞野郎よりもさらに下の、ただの糞だ。二文字で効率的だ。四文字も少なくなった。

 ふと、二人を見た。

 「うぅう、シュカぁ……」

 「…………」

 耳っ子は両目泣き腫らし、震えながら少女の手を握っていた。シュカ、と呼ばれた銀髪少女は無表情のままで、その子の頭を撫でている。耳っ子の頬を伝っていた雫が、輪郭から儚く散って地面で跳ねた。

 彼ら、彼女らは。

 狡猾で薄汚い、社会の害悪だと報道され、世論は誘導され。

 そしてその通り解釈するならば……

 少女が流した涙すら、

 虚構だ。まがい物だ。

 毒物に変わりないものだ、と。

 しかしその毒物であるはずの雫は――僕には、この世のどんなものよりも透き通って見えた。

「待たせたなお譲ちゃん達。今からきっちり遊んでやるからよぉ? グヘヘ」

「……その前に」

「あ?」

「その前に、僕と遊んでくれませんかね、糞野郎」

 気づけば僕は、ボロ布みたいな体を無理やり立たせて、少女二人の目の前に立っていた。

 さっきみたいな、感情に任せた行動じゃない。

 今度は……怪我を負わせてでも止める。スラッシャーの番いを、鞘から抜いた。本気で、やる。

「ヒャッハー……それは何の冗談だ? 新入り」

「おいおいィ? まだ懲りてねェのか」

「懲りるも何も、さっきのは本気じゃないですから」

 右手のスラッシャーを顎先へ突き出した。

「ファック……イかれてやがるぜ」

「いかれてるのはアンタ達だ。腕を切り落とされたくなかったら、この子達には手を出すな」

 向こうは最初から任務を口実にこういうことをやろうとしていた。だから邪魔な重装甲は誰も着けてない。多分どこかに脱ぎ捨てたんだろう。丸腰であれば、引かざるを得ない。

「クソ、おい、どうするよ?」

「どうするも何も……仕方ねぇだろ。小隊長にチクられちまったらこっちがブタ小屋行きだぜ」

「早くしろ。僕は本気だ」

「分かった! 分かったってよ、畜生!」

 そう吐き捨てると、一人が恨めしそうに僕へ舌打ちしながら、後ろへ下がって行く。他の四人のうち三人も引き下がり、小さな穴から這い出て行こうとする。が、一人……リーダーと呼ばれていた男だけが、腕組みをしたまま僕を睨みつけていた。

「アンタもだ。さぁ早く」

「名前は忘れたが……新入りのペーペー野郎が。あんまり調子に乗ってっと、そのうち痛い目見んぞ?」

「それはこっちの台詞だ。冗談だと思ってると、その腕、切り落とすぞ」

 男との距離は僕の間合いで2歩半。0.5秒あれば刃は届く。

「オメーは今テメーの後ろに居る奴がリトルプレイヤーだってこたぁ分かってんのか?」

「分かってるさ」

「そうかそうか……なら死ね!」

 一瞬、男の目に冷酷な光が宿った、と思った時にはもう遅かった。

 男の脇から素早く握られたのは拳銃。僕は反応できずに鉄の音を聞いた。

 パンッ!

「っ、うぐ」

 音と痛みはさほど差なく、体に響く。

 灼熱の炎に焼かれる熱さが、右肩を襲った。思わず片膝を付くことしかできずに、スラッシャーは手から離れて地面に転がってしまう。視線を痛みの元にやれば、そこは装甲を貫き、赤く滴っていた。

 それはまさしく、目の前の丸腰の男から、自分の肩が銃で撃たれたことを示していた。

「ハハッ。無様だな……おい、コイツを捕えろ!」

 リーダー男が、僕に剣を向けられ帰ろうとしていた野郎共を呼び寄せ、そいつらに僕は両腕と頭を掴まれ拘束される。

「ちく、しょう」

 肩口からは滝のように血が溢れている。なんとか奮い立たせていた頭も、武器を手放したことで戦意から遠ざけられてしまった。痛くてぼうっとしないのだけは幸いか。でも、もうどうしようもなかった。

「オイ、さっきはよくも邪魔してくれたなぁ?」

「うぐっ」

 正面から腹を蹴られた。口から赤い液が漏れる。

 髪を引っ張られ、顎が上を向いた。空いた顔を、思いきり殴りつけられた。

 藁の上へ放り投げられ、腹を踏まれる。そこは鍛えられない場所だ。軍用の靴で踏まれれば、声も上げられない。顔が横になって、少女二人の表情が視界に入った。一人は涙で顔がぐしゃぐしゃになっていた。もう一人は……顔を傾げるだけだった。

「そっち見てる暇はねぇぞ」

 顔を蹴られた。無理矢理上体を起こされ、膝が顔面にヒットした。血で前が見えない。

 それから数分、体感的には数時間以上だったが……僕はボコボコにされ続けた。今日二度目のフルボッコだ。ゲームならヒットポイント・バーはきっと振り切っている。昔有名だったらしい、国民的カードゲームアニメで、敵をボコボコにする主人公を止めるヒロインの台詞が、それは僕に投げかけられるべきだと思った。例の、もう彼のライフはなんちゃらと言うやつだ。くそ。

 やがて僕の息は絶え絶えになり、痛みつけたと判断したのか、リーダー男は一人に命令して、地面に転がっている僕の愛剣を拾わせた。首筋にそれが突きつけられる。

「僕を殺して、どうする……小隊長に見つかれば、殺人になるだろ」

「ならねぇよ。そこの一人はリトルプレイヤーだ。お前を殺して、そこの耳野郎も殺す。新入り騎士は暴れたリトルプレイヤーを勇気を持って倒したが、相討ちになって命を落とした。良くできた筋書きじゃねぇか」

 ……この糞野郎。

「どこまで外道なんだよ、子供殺しを騎士がやることか!」

 激昂すると、血の混じった唾液が飛んだ。

「うぜェな……お前、そろそろ死ねよ」

 正面から、拳銃を向けられた。照準は僕の頭だろうか。

「あばよ」

 引き金が引かれた。

 確かに、ターン、と間の長い乾いた音を聞いた。

 ああ、死んだ。

 ごめん父さん母さん。フラン。ヴィルトール。リゼッタ。あと夢の中の女の子。

 僕は特に戦功を上げることもなく仲間に殺されました。

 鉄色の死神が、僕の額を捉えるまで意外と時間が掛かった。涙が流れる暇があったくらいだ。

 どうせなら涙くらい流しておこう。死体を焼く時に水分が多すぎて生焼けにはなりたくない。

 そんな、くだらないことを考えていると、突如。

 世界が青く光った。

 拳銃の色も青く。

 土の色も青く。

 死ぬ前の前兆か、これは。ここから走馬灯でも流れてくれるのか。

 

 そのアテは外れた。

 耳鳴りをもっと酷くしたような、ギィイイインと音がしたかと思えば。

「――瞬間(フレーム)切断(カッター)」

 誰かの声がして、

 僕の目の前に迫っていた、

 灼熱の鉄が、

 半分に引き裂かれた。

 

 耳鳴りが止んだ。というか、世界から音が消えた。僕はまだ生きていた。

 目の前のリーダー男の顔は、驚愕の表情に染まっている。

 その両端にいた他の二人は、開けた口が塞がらないといった感じで固まっていた。

 なんだ、これは。

 

 リーダー男が何か叫んでいる。声は聞こえないが、口だけは動いている。やや鈍い。ビデオをスロー再生をしている時に似ている。拳銃を構えた。おいおい、さっき撃ったのにまた僕を殺すのか。

 引き金を引いた。銃弾が迫った。

 二発目もまた、綺麗なナナメの線で、半分に切断された。

 

 ややあって、リーダー男の目が突然ひん剥かれたように、変な方向を向いた。

 挙動がおかしい。拳銃が手から離れた。

 

 次の瞬間。

 リーダー男の頭が、首を境に――撥ね跳んだ。

「!?」

 主を失った体は、少しばかり迷走するかのようにその場で地団駄を踏み……どしゃ、と前のめりに倒れる。切断面から飛び散った紅の飛沫が、僕の顔を濡らした。

 

 音は消えたままだ。

 リーダー男の左隣に位置していた男は、僕を……いや、僕の後ろを見て、何かを言いかけた。

 そこでまた、首に一筋の線が走り、

 歪んだ表情のまま、それは藁の上にバウンドした。ごろり、僕の方を向いて止まった。

 

 何だ。何が起きている。

 

 もう片方――右隣の男は背中を向けて逃げ出した。逃げ出したまま、背後から何かに腰を両断されて前に倒れた。

 気づけば、僕を拘束していた二人は、物言わぬ肉塊になっていた。

 辺りが血で染まり――

 夢のラストのように、意識は途切れた。

 

 ***

 

 全てを瞬間の世界で断ち切り、喰らい尽くして。

 私は、私の後ろで震えていたミャーに、声を掛けた。

「……終わった。もう、大丈夫……」

「…………ぅん」

 頭の上からぴょこんと生えた、猫みたいな耳(本当は虎なんだけど)をなぞるように、頭をよしよし、と撫でてやり、自分の胸に、ミャーの頭をそのまま抱え込んだ。まだ震えが止まらないのか、直に振動が伝わってきた。

 可哀そうに、ミャーは最近頻発しているスラム狩りに遭遇してしまった。いつもならセトナと一緒にしか外に出ないけれど、今日は一人でお使いに行ったところだった。セトナに帰りが遅いから、と心配して探してみたらこの様だった。

 洋服はぼろぼろ。太陽みたいにきらきら輝く金の髪は、切れ味の悪いはさみで切り取られたように、短くずたずたに切り裂かれていた。泥も被っている。

 まだ、心が壊されるようなことをされていなかったのは、不幸中の幸いだったかも。

 あの若い、青年が居なかったら、きっと――。想像するだけで虫唾が走る。

 あるいは、ミャーの中に眠る猛虎が、心もろともあいつらを切り裂いたかもしれない。

 とにかく寸前のところで、ミャーは助かった。名も知らない青年のおかげで。

 その青年は、私達の目の前で赤い海に沈んでいる。肩の傷が致命傷に見えた。……放っておけば、まもなく死ぬことは明白だ。

 でも――私に彼を救う義理はないもの。関係ない。

「ミャー、もう行こう。ここは、あいつらがまた増えるかもしれないから」

 ミャーを立たせて、手を引いて外に出ようとした。すると、僅かに抵抗があった。

「……ねぇ、シュカ」

「どうしたの?」

 尋ねると、無言でミャーが指をさした。その先には、倒れているさっきの青年の姿があった。

「そのヒト、死んじゃうの」

「ええ……仕方ないけれど。多分」

「助けちゃ、だめ?」

 上目遣いは卑怯だと思う。

 私はため息を一つはいて、ミャーに向き直った。

「あのねミャー。こいつは人間。私達とは違う。それに、この服は――あのどうしようもない大人が着ていたものと同じよ。つまり、仲間というわけ」

 さっきはその仲間同士で揉めて……最終的に殺し合いまでしていたようだけれど。まぁ、人間の考えることなんてそう分かりたくもない。

「でも、でもぉ」

 きゅ、と手が握りしめられた。

「ミャー、感じるの。このヒト、ミャー達と同じ匂いがするの」

「…………」

 ミャーの言葉に、どきりとした。

 男達を喰らったあと、虫の息で生死漂う青年にも刀をかざした時、頭の中に流れた既視感。

 何故か、こいつをどこかで見たことがある……そんな感じがした。

 そしてミャーがそう感じ取った、と言うことは。

「同類……か?」

 あり得ない。

 私達は人間とは相容れない。今人間達に服従している同類はみな洗脳で頭を焼かれたもの達だ。だから私達を狩る筈の人間と、同類が手を組むなど……。

「シュカ?」

 もう一度、青年の顔を見た。

 身長のくせにやけに幼い顔立ち。でも、雰囲気は、幾度となく修羅場を潜ってきた古兵。そんなものが見える。そういう意味では私に似ていた。

 まずは、調べてみようか。殺すことなら、いつだってできる。

 「分かった。この男は私が面倒見るから、ミャーは早く家に戻って、そのぼろぼろの体をなんとかしてきなさい、女の子なんだから。それからセトナが心配してたから、それもね」

 ミャーに言うと、ちょっと前まで瞳に溜まっていた泉はどこへやら、ぱぁっと顔を綻ばせて、

「うん! シュカ、だいすき!」

 と、私に抱きついてくる。血だらけなのに……。そんな笑顔されたら、ダメって言えなくなるじゃない。

「ほら、早くセトナを安心させてあげなさい」

「はーい!」

 パタパタと足音を立てて、ミャーが裏口から出て行ったのを確認して、倒れている青年をひとまずどうにかしようと、思案に暮れた。

「さて、どうしようかしら――」

 

 ***

 <In the dream phase 2>

 

 辺り一面、

 いや……空気が、世界さえも、赤く染まっていると思った。

 幼い僕は、街に一人、立っている。

 生死かぎらず、と付け加えれば一人ではないけれど。

 視界の端から端。大人、子供、男、女。

 分け隔てなく、『生』からかけ離れた肉体が、転がっていた。

 僕の顔と服は、赤い液体で染まっている。そして、手には何かよくわからない形の武器が握られていた。長い鎖のついた、先っぽには鋭利な刃物がジャラジャラとくっ付いている。刃物が本体なのか、鎖が本体なのか分からないけれども。

 一つ確かなのは、この刃物で何かと戦ったことだった。

 それが、街に転がる死体を屠ったのか、あるいは何かから街が襲われてその敵と戦ったのか。どちらなのかは知るよしもない。

 僕は街を見渡した。

 ビル、家、商店だったものが建ち並ぶ。

 今は死体が二、三突っ伏している巨大な噴水がある所を見れば、きっと日常は非常に多くの人で溢れ返る、盛んな街だったんだろう。それも、昔のものになってしまったようだが。

 ビルは窓という窓が割れている。無事なものは何一つない。

 中には、真ん中から巨人がポッキリ折ってしまったか、それか飛行機が飛んできて衝突したか……中階から上が無残にも折れ曲がって地面に落ちているものもある。

 商店……はその体を残していない。樽に大量に積まれたトマトが散乱し潰れ、死体から流れる紅と混じっている。住宅も同じ状況だ。半壊で留まっているものが数戸、あとは全壊。局所的にハリケーンが通ったように、一本の抉られた道に沿って破壊をされていた。

 僕はその住宅を眺め、やがて半壊の建物に向かって歩を進める。

 歩くたび、ぴちゃ、ぴちゃ……とただの水ではない反射音が残る。陰湿な臭いが鼻をついた。

 そして足が止まる。目の前には、一つの家があった。赤い屋根が他よりも際立っている。

 ただ家と言っても、ドアがひしゃげて入れそうもない。

 ぐるりと周辺を歩き回って、コンクリート塀との間に、子供一人が入れそうな隙間を見つけた。ゆっくりと近づいて、覗いてみる。

「――っ!」

 一人の幼い女の子が、びくりと驚いたように、こちらを見ていた。

 目には大粒の涙が浮かんでいて、顔や肌に負った傷が痛々しかった。

 僕は近づいて、見据える。

「……見ていた」

「えっ」

「君の両親のこと」

「そう、なんだ……」

 少女はそれを聞くと、少し安堵したような、そんな顔で俯いた。

「お父さんとお母さんは」

「この街に生きてるやつは君しか居ない。二人は、やられた」

「あなたが?」

「…………」

 僕が押し黙ると、彼女も黙った。けれどすぐに口を開いて、

「私も、そうするのかな」

 そう言った。夢を見ている『今の僕』には、彼女の言った意味は分からない。幼い僕はその言葉を理解したようで、淡々と告げる。

「君だけは逃げてもいい。僕は見なかったことにするから」

 すると少女は、僕の話をまるで聞いてなかったように、僕の腕を取ってまじまじと見ていた。

「……怪我してるわ」

「人の話聞いてる? ……って」

 途端、彼女の舌が僕の手首に触れた。深くはないが浅くもない切り傷に、唾液が絡まり、僕はぴくりと震えた。

「なに、を……」

「ん、ちゅ……む」

「や、やめろって、ば!」

 腕を振り上げ、少女を振りほどいた。

 少女はそんな僕を見てくすくす笑う。

「恥ずかしがり屋さんだ」

「それはどうでもいい……で、どうするのさ」

 僕は舐められたところをしきりに気にしながら、少女に問う。少女はふと視線を落として、途切れ途切れに答えた。

「私、行く場所、ないもの」

「そうか」

 それからしばらく沈黙が支配した。

 先に口を開いたのは僕だった。

「僕と一緒に、来る?」

「え……」

 少女は目を見開いた。

「きっと怖いこと、いっぱいあるけど。それでもいいなら」

 ぐっと両手を握り合わせて、迷ったように少女はその手を見つめていた。しかし、やや時間も過ぎたころ、

「…………うん!」

 と、薄く微笑んだ。

 

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