擦れッッッッッ!!!!!!!!
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 それは秋と冬の境目の、涼しいのか寒いのかも曖昧なある昼下がりの事である。

 森近霖之助の城である香霖堂に、珍しくも無い常連が一人居座っていた。

 

 霧雨魔理沙、魔法使いである。

 

 白黒の魔法使いと揶揄されがちな通り、

 真っ白なエプロンに真っ黒なローブ、とんがり帽子と、いかにも魔女といった出で立ちであるが、

 どういう訳か、その日はご自慢のとんがり帽子をかぶっていない。

 

 と言っても理由は簡単で、上部が擦り切れてすっかり穴の開いてしまったとんがり帽子を、

 霖之助が必死になって繕っている最中なのであった。

 

 二人の間に会話は無い。

 霖之助は作業に集中しているし、当の魔理沙本人も何か思うところがあるのかじっと押し黙ったままである。

 

 湯気の立つお茶を緩慢に啜りながら、魔理沙が御隠居の老婆宜しく大きな溜息を吐き出した。

 そんな時だ。

 

「なあ、魔理沙」

 

 不意に霖之助の手が止まり、魔理沙のお茶を啜る手も止まった。

 

「うん?」

「今月に入って君がこの帽子を壊したのは何度目になる?」

 

 霖之助は魔理沙の方を見ていない。

 帽子の方をじっと睨んでいるが、明らかに不機嫌な雰囲気は魔理沙の方を向いていた。

 

 こういう時の彼は、怒っていると相場が決まっている。

 面倒事はご免だとばかりに、魔理沙はツンとそっぽを向いた。

 

「覚えてないぜ」

「五回目だよ、今月に入って五回目だ」

 

 苛立った声。

 それでいて、なんとも慳貪な物言いである。

 

「細かい奴だな、香霖は」

 

 そのせいで、茶化す声すらそら寒い。

 

「君が大事するって言ったからこそ僕はこの帽子を君に譲ったんだ。

それを毎度毎度こんな風にされていては、愚痴の一つもつきたくなるさ」

「あー、分かった分かった。次からはアリスのトコに修理に出す。これでいいだろ?」

 

 魔理沙が露骨に鬱陶しそうに頭を振ったので、霖之助は溜息を一つ吐き、また針作業の方に戻っていった。

 

 沈黙の降りた店内に、お茶を啜る音と衣擦れだけが静かに響く。

 風の吹く音が時折強く聞こえて、その度に何か言いたげな口のパクパクと空回る音が小さく聞こえた。

 

 時計の針

 

 風の音

 

 衣擦れ

 

 そして、溜息

 

 沈黙が長く続いた後で、先に口を開いたのは魔理沙の方だった。

 

「あー、その……なんだ。さっきはゴメンな。ちょっとイライラしてたんだ。だから、その……言い過ぎた」

「別にいいさ。怒ってもないし、気にしてもいない。僕もちょっと言い過ぎたかもしれないしね」

 

 霖之助の口調にはまだ少し棘が残っている。

 けれど、謝ったのは恐らく正解だったと思う。

 胸のつかえもとれたし、幾分か空気も軟らかくなった。

 

 霖之助の方を見ると、ようやく帽子が完成したのだろう。

 くるりくるりと回しながら、何度も点検を繰り返している。

 やがて、「よし」と一言だけ呟いたかと思うと、魔理沙の頭の上にやや乱雑にそれを被せた。

 その表情は、どこか笑っていて、

 

「今度からは大事にすること。分かったね」

「分かったぜ」

 

 だから魔理沙も笑顔で返した。

 

 

 

 

 

 

 

 小休止を挟んですぐの事である。

 二人してカステラをお茶請けに茶を啜っていると、霖之助が思い出した様にポツリと言った。

 

「それで?君は毎度毎度、帽子がこんなに壊れるまで何をしてるんだい?」

「あー、言ってなかったっけ?その……グレイズしてたんだよ」

 

 何故だろう。悪戯を告白するみたいで気恥ずかしい。

 

「グレイズ?」

 

 対する霖之助は不思議そうに首を捻った。

 それは、博識な彼には珍しく良く分からないといった風な表情である。

 

 ―――――成程、そういえば香霖は書籍組だったか。

 

 弾幕に関わりの無い生活をしているから、グレイズを知らなくても当然だ。

 何と説明したものか考えあぐねていると、霖之助がそれよりも早く口を開いた。

 

「別にグレイズを知らない訳じゃないよ」

「そうなのか?」

「ただ、君の言うグレイズと僕の知っているグレイズがどうも同じものとは思えなくてね……」

「違う?グレイズが……か?」

 

 魔理沙の知る限り、グレイズというのは弾幕に擦る事だ。

 寧ろ、それ以外にもグレイズというものがある。その事が魔理沙には意外だった。

 

「で、その香霖の言うグレイズってのはどんなモンなんだ?」

 

 霖之助は暫く、どういう説明したものかと首を捻っていた様だったが、ややあってその口を開いた。

 

「一応、僕も書籍組の主人公だろう?」

「ああ、そうだな」

「書籍組の主人公には“紫グレイズ”というシステムが付属する事になっている」

「紫……グレイズ」

 

 魔理沙の脳裏に浮かんだのは、身体の脇を擦り抜けていく大量の紫のイメージで、

 ただただ吐き気がするばかり。

 

「うへぇ」

「変なのを想像してるのだろうけど、それがあながち間違いという訳でもないんだ」

「そうなのか?」

「この紫グレイズというのはね、

 紫に心を破壊される事無く極限まで精神を擦り減らす事で得点が加算されるというシステムなんだ。

 それはもう……ギリギリまでね」

 

 霖之助の表情は一見平静通りに見えたが、よく見るとその額には脂汗が浮いていて、

 紫グレイズの壮絶さが垣間見えた。

 

 きっと人には言えない様な戦いがそこにはあったのだ。

 魔理沙は、その事にはあまり触れない様にしてあげようと思った。

 

「ふうん、確かに私のグレイズとは違うな」

「やっぱりそうなのかい?」

「ああ、私達のは飛んでくる弾幕に身体を擦って得点を得るシステムだからな」

「弾幕……。成程、それは確かに違うな。僕らのが精神的なグレイズとするなら、

 魔理沙の方は肉体的なグレイズと言ったところか」

「それはちょっと卑猥だぜ、香霖」

 

 顔を赤く染めて抗議するも、彼が聞き入れた様子は無い。

 それどころか、グレイズというシステムを追求すべく、

 思索と独り言の海に今まさに飛び込まんとする兄貴分が目の前にいた。

 

 ――――――――――放っておこう。

 

 こうなってしまった兄貴分が決して止められない事は良く分かっていた。

 

 けれど、夢中になって持論を語る彼を見るのは決して嫌いではない、というのも実を言うと事実であった。

 

 

 

 

 

 

 

 夢中で語り続ける事、数刻。

 

 話し終える頃には魔理沙もすっかり飽きていて、

 外の風景を見るのに夢中になっていたから、霖之助は少し唇を尖らせた。

 

「ちゃんと聞いていたかい?」

「聞いてないぜ」

 

 お決まりのやり取りを繰り返し、何時もの様に説教が始まると思いきや、

 今日の霖之助は珍しくそこで会話を打ち切った。

 

「やれやれ」と呆れた様に呟いて、何処か遠くに視線を馳せる。

 それから押し黙って、彼は何も話そうとしないのだった。

 

 もしかしたら、蘊蓄を聞かなかったせいで怒ったのだろうか。

 

 ――――――――――普段なら絶対に怒らないのに……。

 

 魔理沙が窺う様にして顔を覗き込むと、珍しくもなく神妙な顔付をしている。

 

「香霖?」

 

 反応は無い。

 

「香霖?」

 

 もう一度問い掛けるその声に呼応する様に、神妙な視線が魔理沙を真正面から捉えた。

 じっと真っ直ぐ、外すことなく魔理沙を見つめてくる。

 

 暫く、そのまま……。

 

 気恥ずかしくなって顔をそむけるのと、霖之助が神妙な声を発するのはほぼ同時だった。

 

「こんなことはあまり言いたくないんだがね」

「香霖?」

「あまり、自らを危険に置く様な行為は感心しない」

「ええと……つまり?」

「グレイズに挑戦するのは止めた方がいい、と言ったんだよ」

 

 ―――――――――珍しい事もあるもんだ。

 

 反論をするよりも先に魔理沙が思ったのはそれだった。

 放任、とまではいかないが、これまで異変解決に関しては何一つ束縛するような事を言わなかった彼である。

 それが何故今になってそんな事を言い始めるのか、魔理沙には分からなかった。

 

「でも、今まで黙認しててくれただろ?何で今さらそんな事を言うんだ?」

 

 だからちょっとした抵抗の意を込めて、魔理沙はそんな事を言ったのだ。

 けれど、それに対する彼の反応は、魔理沙にとっては意外なものだった。

 

「精神的、肉体的と差こそあれ、僕もグレイズを恐ろしさを味わった身だ。そしてその危険性も身をもって味わった。

 こうして僕自身が危険だと知ったものに君が関わっているというのは正直あまり好ましい気分ではないよ。

 僕が言っただけで君が素直に聞くタマじゃないのは勿論分かってるさ。でもね、知っていて欲しい。

 魔理沙にはあまりグレイズに挑戦してほしくは無い。何かあったら親父さんにも申し訳が立たないしね」

 

 それは長い吐露であり、彼の心配する気持ちが痛いほど伝わってきた。

 もしかしたら、異変解決に関しても彼はずっと心配していてくれたのかもしれない。

 本当は凄く嬉しい筈である。

 

 けれどそれに複雑な感情を抱いてしまうのは、自分が天の邪鬼なせいか、それとも親父のことを出されたせいか。

 理由は分からない。兎に角、カチンと来たのだ。だから、つい言ってしまった。

 

「残念だが、香霖。その約束は聞けないな」

 

 我ながら生意気だと思う。

 けれど、言ってしまった。 

 もう、後には引けなかった。

 

「私は、もう一人前の魔法使いだぜ。香霖に心配されなくたって一人で何だってできるんだ」

「魔理沙、君は――――」

「聞かないぜ」

 

 彼の声はもう聞きたくなかった。

 魔理沙は、箒をひっつかむとドアを蹴破り幻想の空へと飛翔した。

 

「魔理沙――――」

 

 後ろから声が聞こえる。

 けれど振り返らない。

 振り返ったら負けなのだ。多分、自分の心に……。

 

 季節の狭間の風は涼しくもあり、寒くもある。

 けれど、こうして飛んでいるとどちらを受けても寒かった。

 

 身震いを一つ。

 手がかじかんで、痛かった。

 

 白い息を吐き出し、曇天を見上げ、思う。

 

 本当は、自分でも分かっているつもりである。

 グレイズを行っている時、どれだけ命の危険に晒されたか。

 どれだけ怖いと思ったか。全て分かっているつもりだ。

 

 それでも彼の申し出を断ったのは、多分自分を一人前として見て欲しかったからだ。

 保護される少女じゃない。一人の対等な存在として見て欲しかったからだ。

 

 だから、もうやる事は決まっていた。

 

「待ってろよ、香霖」

 

 少し熱っぽく呟くと、魔理沙はどこへともなく箒を飛ばすのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 ここ暫く魔理沙が店に来ていない。

 少し前まではしょっちゅう帽子の修理に来ていたというのに、今ではその姿すら見られないという有様だ。

 

 けれど霖之助は、先日の説教が効いたと楽観するつもりは毛頭なかった。

 あれしきの事で心を変える様な殊勝な奴でない事ぐらい長い付き合いでよく分かっているつもりだ。

 

 だから、霖之助はまた魔理沙が悪びれもせずに帽子を修理しに来ると思った。

 その時にまた説教をしてやろうと思ったのだ。

 

 けれど予想は外れ、未だに魔理沙はその姿を見せていない。

 言いたかった言葉だけが、心の中にただ降り積もる。

 

 何故、あの時もっとしっかり言い聞かせてやらなかったのか。

 後悔だけが積もり続けた。

 

 そういえば何時だっただろう。

 不意に、魔理沙がこんな事を言っていたのを思い出した。

 

「私達の当たり判定ってのはな、身体よりもずっとずっと小さいみたいなんだ。

 手が吹っ飛んでも頭が爆ぜても私達は生きてる。

 一体どこが当たり判定かはまだ分からないが、それってとても不思議だと思わないか?香霖」

 

 あの頃は気にも留めていなかったが、もしかしたらあれが予兆だったのかもしれない。

 

 もし首の無い魔理沙が、腕を無くした魔理沙が香霖堂に来たら―――。

 ゾッとする。

 

 込み上げた不安は、何処から来たものなのか。

 少なくとも、魔理沙へ向かうものである事は間違いない。

 だから霖之助は、珍しく重たい腰を上げた。

 

 ――――――――魔理沙の家に行こう。

 

 着込む物も着込まず、普段着のままで席を立つと、香霖堂のドアを押し開けようとして。

 控えめなノックの音に気がついた。

 

 もしかしたら客かもしれない。

 けれど、今はそれどころではない。

 

 客よりも、魔理沙の方が大事だった。

 

 閉店中だ。

 そう言おうとして、ドアを開けて、目の前に、それはあった。

 

 

 

 そこには見慣れた魔女帽子と

 

 

 

 心臓が一つ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

魔理沙は多分やり遂げたのでしょう。

だからこれはきっとサクセスストーリー

 

ゲーム中では、頭に当たろうと、手に当たろうと、当たり判定に当たらない限り決して死なない魔法使い。

現実に存在するとしたら、それはもしかしたらこんな感じなのでしょうか。

それはそうと、あの当たり判定って心臓の位置っぽいと思いません?

 

説明
以前、某所に投稿した作品です。
一部グロテスクな表現があるので苦手な方は注意してください。
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タグ
東方 森近霖之助 霧雨魔理沙 メタ 微妙にグロテスク 

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