魔法少女ほむら☆マギカ −その後の世界−
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魔法少女ほむら☆マギカ −その後の世界−

 

 

 ふわり、と羽毛が舞うような柔らかな動作で、暁美ほむらはそのまぶたをゆっくりと持ち上げた。その視界に映るのはしかし、それまで見ていた夢の残滓を堪能する気分すら萎えさせてしまうような、色気の無い、無機質であり、また機能的でもある、染み一つない白一色の天井であった。

 ぎし、とベッドが唸る。少しばかりスプリングの硬さが気になるベッドから上半身だけを起こして、ほむらは何かに納得するように小さく頷いた。その視線は今、壁に画鋲一つで吊り下げられたカレンダーへと注がれている。その中の一日、大きく花丸が記された日付、4月16日。今日がその日であることをほむらは確認し、そのまま視界をベッド脇にある机へと移動させた。机には、『見滝原中学校入学案内』と題された小冊子が置かれている。今日が、その日。それまでお世話になった病院から退院し、他の同級生から遅れて、見滝原中学校に編入する日であった。

 だが。

 今日やるべきことは、それだけであっただろうか。

 何か、そうまるで、小さな、気に留めなければ、気にしないでいられる程度には小さな小骨が、咽の奥につっかかっているような、そんな感覚を、ほむらは覚えた。そのまま、ほむらは居心地が悪そうに、ベッドの上、左腕だけを持ち上げて、軽く自らの、透き通るような黒髪に手を触れ、何ともなしに髪の房を弄る。だが、何も思いつかない。

 「別に、何も無いわね。」

 暫くの思考の後に、ほむらは漸くそう結論付けた。もう少しで何かを思い出せるような、そんな根拠の無い自覚のようなものはほむらの心理には存在してはいたが、なにしろ朝の時間は短い。いい加減、準備を整え始めなければ、編入初日から遅刻すらしてしまいかねない。そう考えてほむらが寝台から床へと向けて足を伸ばした時、ほむらは二つの、流れる赤の物体に気が付いた。

 「リボン・・?」

 はらはらと、ほむらの右手から毀れた、可愛らしい赤い布切れはどう見てもリボンのようにしか見えない。それにしても、私がこんな華美なリボンを持ち合わせていただろうか。アクセサリーは勿論、私服や小物まで、どちらかというと地味で無難な配色を好む自分の性格から考えてみれば、このような、確かに可愛らしく見えるが派手なリボンを自らで用意するとは思えなかった。それなのに、なぜか、とても大切なものであるような、譲れない存在であるような感覚を、ほむらは強く覚えた。その理由は、ほむらには分からない。ただ、何か、無意識の奥底から突き上げるように、何かがほむらに向かって訴えかけていることだけは自覚した。それも、とても強く。

 ふ、とほむらは、小さく、吐息に混ぜるように小さく、声を漏らした。リボンの二本程度、たいした荷物にもならない。自ら身に付けることには多少なりとも気恥ずかしさが先行するものの、制服のポケットに入れておく程度なら支障が無いだろう、と考えたのである。

 

 「じゃ、自己紹介、行ってみよっ!」

 用意されたホワイトボードの前で、このクラスの担任という早乙女和子の明るい声が響き渡った。ほむらは先程、滞りなく入学手続きを終えて、今はこれから編入するクラスのホームルームに参加している。クラス全員に向かって声を張り上げた早乙女に促されるように、その隣、教壇の上に立たされたほむらは、ぼんやりと教室を軽く眺め回しながら、短く答えた。

 「暁美、ほむらです。」

 言いながら、視線をもう一度、動かす。誰かを、探している。少し、教室の空気が重たくなったことを感じる。だが、それよりも。いや、あの座席にいるはずなのに。あの子ではない。あの、ショートカットの女の子では。その隣に、確か。

 「暁美・・さん?」

 困りきったような早乙女の声で、ほむらはぱちくりと瞳を動かした。それまで見ていた夢から、唐突に我に返ったかのように。

 「よろしくお願いします。」

 ほむらへの対応を探り求めているクラスメイト達の珍妙な緊迫感を解きほぐすように、ほむらはそれだけを告げて、深々と頭を下げた。だが、十分に大人びた、中学生とは思えない丁寧な一礼に、クラスメイトはもう一度度肝を抜かされたらしい。ほむらが面を上げた時に見た景色は、狐か狸に化かされたような、どう対応すれば良いのか分からないという表情そのままのクラスメイトの表情であった。ただ、それでも、始めはぱらぱらと、やがてクラスメイトの全員から温かな拍手を受け取ったところから考えれば、特段意地の悪い人間は存在していないらしい。

 そのかわり、とても大切な人もいないけれど。

 瞬間、突き上げるように、抵抗するように小さく吼えた、表層心理の光も差さぬ、海溝にも似た、手を伸ばすことすら叶わぬ深層心理の奥底から届いた言葉に、ほむらはびくり、と肩を震わせた。大切な人、この教室に?

 この教室の生徒たちとは、無論教師も含めて、全員が初対面であるはずだった。そんな集団に、今後のことはさておき、今時点で大切な人物がいるわけが無い。なのに、なぜか確信めいた言葉で、心理が叫ぶ。その原因を探りたくて、ほむらが僅かに息を飲み込んだとき。

 「では、暁美さん、あの席に着席して。」

 現実に引き戻した声は早乙女の言葉。相変わらず困惑の色をその表情に載せているところを見ると、自己紹介を終えて尚動こうとしないほむらに対する戸惑いを感じているのだろう。それと同時に、深海から浮上しかけていた記憶の片隅も、機嫌を損ねた様子で、もう一度光の届かない深みへと隠れ潜んでしまう。少しどころではなくへそ曲がりな自分の心に辟易しながらもほむらは、小さく会釈をすると用意された席へと向かい、そして腰かけた。なんとも言えない、小さな違和感だけがほむらの脳裏に、小さく灯った。

 

 そのまま開始された一限目の授業を終えて、休み時間を迎えると、ほむらはたちどころに、クラスメイトの女性陣にその周囲を囲まれることになった。訊ねてくる内容は他愛もないものばかりで、前の学校での様子やら、部活のことであるとか、初対面の人間に対する興味から沸いてくるらしい質問ばかりであった。その間にも、相変わらず、どうにも居心地の悪い、妙なひっかかりがほむらの心理に存在し続けていた。だが、その原因は未だに分からない。それなのに、授業の合間、休憩時間を迎えて、その苛立ちは益々強くなっていることを、ほむらは嫌にでも自覚する。どこかに、誰かと一緒に行かなければならない。そんな気がする。そこまでは考えられるのに、それ以上のことを思い出させるべき何かの存在は、まるで大海の中に浮かぶ木の葉を、水を掻きもがきながら探し求めるかのように不安定で、不確実な感覚でしかなかった。そうして一人、思考を巡らせるほむらには気付かぬ様子で、クラスメイトはそれまでと変わらず、ほむらに向かって質問をぶつけ続けている。少し、嫌気を感じてしまう程度に。

 「ごめんなさい、少し緊張していたみたいで。」

 気付けば、ほむらは半ば無意識に、そう呟いていた。そのまま、続ける。

 「少し、保健室に。」

 「大丈夫?」

 ほむらを囲んでいた少女の一人がそう言った。続けて、別の少女が言葉をつなげる。

 「保険委員、誰だっけ?」

 「あの子、えっと、仁美さん!」

 その声に導かれるように背後を振り返ったほむらは、クラスメイトが指差した、いかにも上品という様子が見て取れる少女の姿をその視界に収めた。その隣には、自己紹介の際に視線がかち当たった、ショートカットの少女の姿も見える。

 「仁美さん、保険委員だよね?」

 続けて、クラスメイトの一人がそう言った。少し離れた場所にいる仁美に向けて、少し大きく、張りのある声で。その響きに対して、仁美は突然の指名に驚いた様子で、状況を理解しようとばかりに、ただ瞳を瞬きさせている。

 「ほむらちゃん、体調悪いんだって。保健室に連れていってあげて?」

 続けて、言葉を補足するように、クラスメイトは仁美に向かってそう言った。

 「それは大変ですわ。」

 ようやく、仁美がクラスメイトに向かってそう言った。そのやりとりをぼんやりと耳に収めながら、ほむらはもう一度、誰かを探すように、さほど広くはない教室の全域に向かって、視線を彷徨わせた。誰か、とても大切な人を。なのに、それが誰なのか、全くわからない。いいえ、違う、思い出せない。もう一度視線が交錯した相手は先日度と同じ、ショートカットの少女だけであった。その少女は、ほむらと視線が合うと何かを嫌がるように視線を逸らし、ほむらに向けて歩き出した仁美を一度呼び止めると、彼女の耳元で小さく、何事かを囁いた。その内容を聞き取ることは無論ほむらでも不可能ではあったが、ショートカットの少女の表情から察して、必ずしも良い内容ではないことは簡単に理解できる。

 「大丈夫ですの?」

 密談を終了させた後で、ほむらの座席を訪れた仁美はスパイスを効かせたような、少しつんとした口調でそう言った。初対面の人間に対して警戒心を持つ性格なのだろうか、とほむらはぼんやりと考える。

「少しだけ、気分が。」

「でしたら、保健室にご案内致しますわ。」

中学生とはとても思えない、訓練された言葉遣いに却って息を飲みながら、それでもほむらは小さく頷くと、ゆっくりとした動作で立ち上がった。どうして保健室に行こうと考えたのか、その理由はわからない。ただ、悪意はないが少しうるさくも感じるクラスメイトから離れるには、都合の良い言い訳であるようにも感じる。

 「少し、お疲れになったのかしら?」

 教室を出て、廊下に出ると、仁美は前を歩いたまま、ほむらに向かってそう訊ねた。

 「・・そうね。」

 小さく、ほむらはそう答える。疲れたと言えば、疲れたのかのしれない。そのまま、会話も途切れ、二人の足音だけが廊下に響く。休み時間にざわつく他の生徒たちからは浮き上がるような、奇妙な沈黙であった。

 「さやかさんに、何か?」

 しばらくして、意を決した様子で、仁美はほむらに向かって口を開いた。

 「さやか?」

 心当たりがあるような、無いような。またしても心に引っかかりを残す名前であった。

 「私の親友の・・ショートカットの子ですわ。」

 説明を付け加えた仁美に対して、ほむらは納得したように頷いた。続けて、こう答える。

 「特に、何も。」

 「でしたらいいのですが。」

 未だに警戒心をとかない、という様子で仁美はほむらから視線をそらすと、後ろ手にその華奢な両手を組みながら、言葉を続ける。

 「さやかさんがほむらさんに、睨まれた、と恐れていたので。」

 「・・別に。」

 言われてみれば視線を、さやかと言うらしいショートカットの少女と交わした記憶はあるが、睨みつけた覚えはない。自分の視線が他人よりは厳しいのだろう、という自覚は有してはいたけれど。

 「なら、構いませんわ。」

 ほむらに対して、仁美はさらりとした様子でそう言った。

 

 その後の授業も退屈だった。教師から問われる問題には、たとえどんな難問であっても淀みなく回答することが出来る。体育の授業でこなせない競技種目など存在していない。ただ、人と関わることだけは億劫だと感じていた。一人でいる方が気楽。いままでも、私はこうしていたのだから。

 それも、何度も。

 そう考えた瞬間、ほむらははっ、としたように瞳を瞬かせた。今と同じことを、過去に繰り返したことがあるような気分に襲われたのである。そう考えて、ほむらは小さく首を横に振った。続けて、自身を納得させるように、既視感の一種だろう、と考える。なのに、違和感が消えない。何か、大切なことを忘れている。或いは、思い出せない?その気配は強く強く、ほむらの心を揺さぶりかけた。わからない。

 気付けば、ほむらはその手に、今日目覚めたときに握り締めていたリボンを手にしていた。赤い赤い、可愛らしいリボン。このリボンが、心のつまりの原因であるような、そんな気分に陥る。眺めながら、考える。必死に、心の奥底へと沈下していくように、深く深く。何かが、その奥に閉ざされているような気が、した。扉さえ開けられれば次に進めるのに、どうやらその扉を開ける鍵は構造として何かが不足しているか、それとも何処かに置き忘れてしまっているのか。

 結局、ほむらはどうしても、このリボンの出処を思い起こすことができなかったのである。

 

 「今日は瘴気が濃いね。」

 日が暮れる頃、ほむらの元を訪れたキュゥべえはそう言いながら、四肢を愛らしく、そして軽快に動かしながらほむらの足元へと駆け寄ってきた。見滝原市の中心部、高層ビルが立ち並ぶ、物流と経済、そして人の中心地である。

 「そうね。」

 キュゥべぇに対して短く、ほむらはそう答えると夜風に任せるように、その腰元にまで届く見事な黒髪をたなびかせた。場所はとあるビルの屋上階である。無論、周りに人の姿は見えない。たった一人、ほむらは仁王立ちのままで眼下に広がる街の景色を眺め回すと、呆れるように一つ、小さな溜息を漏らした。存在する人が多ければ多いほど、人が根源的に持つ恨みや憎しみのような負の感情もまた、同じように蓄積されてゆく。まるでダムの底に貯まるヘドロのように。その感情を食い物にする存在。それが魔獣であった。その魔獣が放つ瘴気が、今日はいつも以上に濃い。

 「ソウルジェムは問題ないかい?」

 居心地が悪くなるほどの正円に象られた、無表情にしか見えない、ルビーの如く赤く輝く眼球を持ち上げながら、キュゥべえはほむらに向かってそう訊ねた。小動物サイズのキュゥべえに向かって視線を移すことに煩わしさを感じながら、ほむらはその掌に紫色の結晶体、即ちほむらの精神の源であるソウルジェムを取り出した。

 「大丈夫よ。」

 ソウルジェムの輝きはまるで磨きたてのように透き通っている。これならば十分な魔法を使用することも出来るだろう。そのほむらの回答に安堵したようにキュゥべえは軽く真っ白な尻尾を振りかざすと、とん、と跳躍してほむらの右肩にその位置を移した。

 「じゃあ、行こうか、ほむら。」

 キュゥべえの言葉にほむらは一つ頷くと、軽いステップでビルから飛び降りた。途端に身体が軽くなり、浮遊するような感覚を味わう。瞬時に迫る地面を確認しながら、ほむらは使い慣れた様子で魔法を使用すると、まるで舞いのように緩やかに、コンクリート造りの地面の上でステップを踏んだ。

 敵は、もう目の前に存在していた。人型の、ただし顔を無残に崩した異形の存在。魔獣である。

 魔獣はふらり、と夢遊病者のように動き出すと、ほむらの姿を恨めしそうに眺めた。そして、ゆるりと近付いてくる。

 「相手が悪かったわね。」

 ほむらは魔獣に向かって冷徹に言い放つと、左腕を魔獣に向けて突き出した。直後、鈍い黒色に覆われた長弓がその左手に出現する。魔獣がぎょっ、とした様子を見せたのは気のせいだろうか。魔獣に感情が残されているのか、それはほむらが知るところではない。いずれにせよ、魔獣の感情など理解できるはずもないのだから。

 無言のままで、ほむらは右手を弓の弦へと差し出した。そして、落ち着いた動作で弓を引き絞る。その動きに合わせて弓と弦の狭間に出現した桃色の刃を、ほむらは冷静に魔獣へと向けると、慣れた動作で右手に込めた力を抜いた。

 ひょう、と唸りを上げて飛んだ魔法の矢は瞬時に魔獣へと突き刺さり、その存在そのものを消滅させる。直後に、からん、と小気味よく、小さな音が鳴り響いた。魔獣がその死後に現世に残す唯一の物質、通称『魔獣のコア』と呼ばれている、小石大の黒い塊であった。だが、コアを回収する余裕は今のところ存在しない。魔獣はまるで湧き出るように、性懲りもなく、次々と現れた。地表から浮き出るように現れる、無個性な魔獣に向かい、ほむらは次々と矢を放ってゆく。だが、それでも足りない。今日は本当に、瘴気が濃い。何が原因かはわからないが、魔獣がそのエネルギーの源とするには十分すぎるほどの瘴気が満ちているのだろう。終わらない。小一時間程度の戦闘活動を過ごして、ほむらは焦るようにそう考えた。終わる気配が見えない。一体何匹の魔獣を倒したのだろうか。もう十か、二十か、それとも五十か。それすらも判別がつかなくなる程度にほむらが疲労を覚えた頃。

 「ほむら、危ない!」

 キュゥべぇの叫ぶ声。あの小動物が絶叫するなんて珍しい。そう考えながらほむらは背後を振り返り、そして絶望した。目の前に、一際巨大な魔獣、すでに背後を取られている。振り下ろす、その手にしたものは棍棒か、それとももっと邪悪な武器か。いやにゆったりとした動作で降り下ろされる棍棒を、しかしほむらはただ見つめる以外の方法をもたなかった。無意識に右手を左腕に伸ばす。だが、その場所には、愛用した盾はもう存在しない。

 「ティロ・フィナーレ!」

 棍棒がほむらの脳天を破壊するよりも瞬間だけ早く、凛とした女性の響きが周囲を包み込んだ。直後に、金色に輝く弾丸が魔獣を吹き飛ばす。意味をなさない呻き声を上げながら消滅した魔獣の背後に現れた人物は、綺麗なウェーブを持つ髪をツインテールにした、まるで大砲のような銃を抱えた魔法少女の姿。

 「まだ、戦いは終わっていないわ!」

 ただ呆然と少女の姿を見つめていたほむらは、続けて放たれた、聴く者を鼓舞させる少女の声を耳に収めて、我に返ったように瞳を見開いた。そして、頷く。突然の加勢の出現に、魔獣たちは恐れおののいたように、見えた。否、事実恐れたのかも知れない。マミが緩やかに右手を地に向けて翳しながら、その身体をくるりと、一回転させた。それと同時に現れるのは無数のマスケット銃。空に浮くように直立するマスケット銃の一つを手にしたマミは、戦闘とはとても思えない笑顔を見せると、片手で銃弾を放った。胸元を射抜かれた魔獣がよろめき、そして消滅する。突然の加勢に気力を取り戻したほむらもまた、得意の鏃を魔獣に向けて放った。その後、たいした時間もかけることなく、魔獣たちはその力を失い、威力を地の底へと撤退させて行ったのである。 

 「怪我はない?」

 瘴気が消滅したことを確認し終えた頃、ツインテールの魔法少女が、マスケット銃を魔力の彼方へとしまい込みながらほむらに向かってそう訊ねた。

 「ええ。大丈夫。・・ありがとう。」

 不思議な感覚を覚えながら、ほむらは彼女に向かってそう答える。他の魔法少女に出会うことが初めてだったからかも知れない。いや、本当にそうだろうか?

 「なら、良かったわ。」

 瞳を細めて笑顔を見せながら、彼女はそう言った。そのまま、続ける。

 「私は巴マミ。貴女は?」

 「暁美ほむら。」

 今朝自己紹介した時よりももう少し心を込めて、素直に、ほむらはそう答えた。彼女に、以前、どこかで。

 出会ったことがあるような、気がする。

 「これからも宜しくね、ほむらさん。どうやら同じ学校みたいだし。」

 続けて、マミは悪戯をするように軽く、そして楽しげにほむらに向かってそう言った。確かに良く見ると、魔法少女の衣装を解いた後に現れた学校の制服は、自身が身に付けているものと瓜二つのデザインであった。その事実にほむらは妙な親近感を覚えた。直後にマミが差し出した右手を遠慮なく握り締めたのは、その親近感がなせる技であったのだろう。

 

 それから暫く、ほむらとマミは共闘して魔獣退治に当たることが常となっていった。事前に打ち合わせをしているわけではない。学校で稀に顔を合わすことはあっても、魔法少女に関する話題はお互いに避けていたから、精々会釈をする程度に収まる。それでも毎日のように顔を合わせることになったのは即ち、二人が同じ目的で活動する以上、必然として同じ場所に姿を表すことになる、という理由に他ならない。そうして戦闘を重ねてゆけば、自然の内にお互いの戦い方に対しても理解を示せるようになる。ほむらもマミも、遠距離による攻撃を得意とすることもあったせいか、二人は自然のうちに連携を組んだ戦いを行うようになっていった。おかげで、一人で戦っていた時期に比べると、格段に効率が良く、しかも安全に戦闘を行うことができる。お互いに向ける言葉は少なかったが、それでもほむらにとっては、そして恐らくマミにとっても、お互いに心強い味方であると考えるようになっていたのである。

 それから、一週間程度が経過した時である。その日も、妙に瘴気が強い一日であった。

 「仁美?」

 ソウルジェムを手に摘みながら、魔獣の気配を探っていたほむらは、ふらふらと夜の街を歩く仁美の姿を見つけて、訝しむようにそう呟いた。仲が良いという訳でもなかったが、それでも一応お互いを認識している程度の仲ではあるし、第一、あのお嬢様風の少女がこんな時間に、しかもたった一人で繁華街に用があるとも思えない。只でさえ年若い少女が歩くには多少の注意を払わなければならない場所で、しかもこのような瘴気の濃い日に、何かに巻き込まれないとも限らない。そうほむらが考え、一言声をかけようと仁美に向かって足を向けたとき、どうやら既に異常事態が発生しているらしいことをほむらは認識した。

 良く見れば、仁美の周囲を、薄い瘴気の渦が取り囲んでいる。魔獣が人を喰うときに使用する、魔獣の霧であった。しかもそれは、仁美だけにかけられている訳では無いらしい。周囲に視線を回せば、既に複数名の、年齢も様々な人間が既に魔獣の霧に犯されている。おおよそ、十数名といったところか。まるで夢遊病者のようにふらふらと、それでも一律の規則性を持って彼らは歩いていた。まるで、何者かに引き寄せられるように。

 「今日の魔獣も、手強そうね。」

 仁美に声をかけることを瞬間躊躇ったほむらに対して、背後から声をかけた少女がいる。マミであった。その言葉に、ほむらは振り返らずに一つ頷くと、声を落としながらこう言った。

 「後を付けるわ。」

 この付近には魔獣の気配を感じ取ることができない。おそらく、別の場所から集団を遠隔操作しているのだろうと考えたのである。

 「それが妥当ね。」

 マミもほむらの意見に対して、そのように同意を示すと、仁美も含まれる集団から少し離れて、ゆっくりと歩きだした。尾行というには軽率すぎる追い方ではあったが、仁美はもちろん、その集団の誰もがほむらとマミの二人に気付く気配はない。

 「キュゥべぇは?」

 暫くの尾行を行なった後に、どうやら妙に気取られる心配も無いらしい、と判断したほむらはマミに向かってそう訊ねた。場所はいつしか繁華街を抜け、街の外れ、寂れた郊外の工業団地へと移っている。

 「さぁ、私も最近姿を見ないの。」

 ほんの少し心配するように、マミはそう言った。あの不可思議な小動物を案ずる必要なんてないのに、とほむらは思ったが、口には出さない。

 「それよりも、どうやら目的地に着いたみたいね。」

 続けて、マミはほむらに向かって小声でそう言った。あれだけ明るかった繁華街とはまるで対照的に、必要最低限に設置された街頭以外には明かりすらも不足している場所、どうやら倉庫らしき建物にその集団がぞろぞろと侵入していった。鍵を開けた様子が見えないところを見ると、或いは既に業務としての用を終えた廃屋かもしれない。

 「もう少し、近付きましょう。」

 マミの提案に、ほむらもこくり、と同意を示す。瘴気が街中よりも強くなっていることは、ソウルジェムに頼らなくとも十二分に判断できる。寧ろ、軽い吐き気を感じるほどの瘴気であった。

 「さて、困ったわね。」

 さして困った様子も見せないで、マミは呟くようにそう言った。

 「突入すればいいわ。」

 さっぱりと、ほむらはそう答える。

 「余計な怪我人を出すわけにはいかないでしょう?」

 「大丈夫よ。」

 ほむらのその意見に対して、マミは僅かに思考するように、彼女らしく優雅に人差し指を口元に当てた。その後数秒して、決心を付けたように答える。

 「仕方ない、か。」

 ふっ、と肩の力を抜くようにそう言ったマミは、左手にソウルジェムを取り出すとそれを両手で包み込んだ。それにあわせて、ほむらも自らのソウルジェムを目の前に翳す。魔力と化した光に包まれながら、瞬時に変身を終えた二人は、合図するように頷くと、小走りに倉庫へと駆け出した。そのまま、高めの天井が用意された倉庫の中に突入する。どうやら、集団は先程ほむらとマミが備考した一団以外にも存在していたらしい。その場所には、男女合計三十名程度の人間が存在していた。

 「意外と、多いわね。」

 呆れたように、マミがそう言った。それには同意ね、とばかりにほむらが肩をすくめたとき、どうやら仁美がほむらの姿に気がついたらしい。

 「あら、ほむらさん。どうしてここに?」

 「貴女を追ってきたのよ、仁美さん。」

 冷静に、ほむらはそう答える。だが、その言葉は正しく仁美には伝わらなかったらしい。

 「ああ、ほむらさんも私達の考えに賛同していただけるのですね!」

仁美は何かに感激した様子で、ほむらに向かってそう言った。大袈裟に、両手を広げてほむらを迎え入れる様に。そのまま、仁美は興奮を隠しきれない、という様子で言葉を続けた。

 「本当に素晴らしいわ!では、ほむらさんもご一緒に、新たな世界へと旅立ちましょう!」

 「新たな世界?」

 軽く首をかしげながら、ほむらは仁美に向かってそう言った。仁美が何に感激しているのか、今ひとつ理解できない。だが、そのほむらの返答を以って、仁美は了解の意思と捉えたらしい。広げていた両手をほむらに向けると、ひんやりと冷たい感情を込めながらこういった。

 「そうですわ。このくだらない現世から、私たちは脱出するのです!」

 意思を感じさせない、無機質な瞳のままで仁美はそう言うと、ふわりと体を半回転させながら、月明かりに鈍く光るコンクリートの床の一部を指し示した。そこにあるものは、日用品売り場で販売している様な水色のポリバケツである。その中には、つんとする薬品の香りを放つ、透明な液体が満たされていた。

 「さぁ、新世界へ・・。」

 恍惚な表情そのままで、仁美がそう言ったとき、中年程度の年齢に見える男性がリッター入りの洗剤を片手に、ふらりふらりとポリバケツへと歩んでいった。洗剤、つんとする香り、新世界・・。

 「危険だわ!」

 先に叫んだのはほむらではなくマミであった。猛烈な勢いで駆け込んだマミは、その脚でポリバケツを蹴り飛ばす。相当量の合成洗剤が用意されていたのか、ゆったりとした動きで床に倒れるバケツから、きつい香りと共にコンクリートへと洗剤がぶちまけられる。そのマミの動作に、仁美は奇声にも近い声を上げた。

 「なんてこと・・なんてことを!」

 しまった、と思った直後には既に周囲を囲まれていた。恨めしそうにほむらとマミを睨み付けながら、包囲網をゆっくりと縮めてくる。

 「まるで、ゾンビみたいね。」

 顔を軽く引きつらせながらそう言ったマミに対して、ほむらは頷きだけで応える。それにしても、どうすればいい。三十名程度の相手ならば蹴散らすことは簡単だ、だが不用意な攻撃で一般人に危害を与えるわけにはいかない。

 「困ったわね・・。」

 じりじりと、後ずさりしながらマミはそう言って、こつん、とほむらの肩にその背中を当てた。

 「攻撃するしか、なさそうね。」

 決断を促すように、ほむらは背中越しのマミに向かってそう言った。

 「それは、」

 そうマミが反論を口に出しかけた瞬間である。倉庫の反対側で、何かが突き破られるような衝撃音が響き渡った。かなり大きい、車両でも突っ込んで来た様な衝突音。それに反応して包囲網が僅かに緩む。その狭間を縫ってほむらが、そしてマミが駆け出した。呆気に取られた集団が、つたない足取りで二人を追いかける。だが、その動きは長くは続かなかった。衝突が起こったらしい倉庫の奥、普段は事務室として使用されているらしい一角で満足したように、激しい運動の直後であるように肩を上下させている少女の姿がほむらの視界に写った瞬間、背後の集団がふらふらと、まるで糸が切れた操り人形のようにふらりと半身をのけぞらせると、次々と硬いコンクリートへと倒れ込んでいったのだから。

 「美樹さやか・・。」

 ほむらですらも予想外であった人物の登場に、マミもまた、状況を理解するように周囲に視線をめぐらせた。魔獣の姿は見えない。そして、目の前のさやかは今、どう見ても魔法少女の姿格好をしていた。片手に持つ剣は、恐らく彼女の魔法具なのだろう。

 「む、転校生。なんであんたがここにいるんだよ。」

 遠慮の無い敵愾心を見せ付けながらさやかがそう言うと、ほむらは気だるそうな吐息を漏らした。口論をするは面倒だ、ただ、状況だけを把握したいのに。

 「貴女も、魔法少女みたいね。」

 その重たい緊張感を破った声は、マミの優しげな、そして落ち着いた声であった。ほむらよりも一つ年齢が高いだけであるのに、彼女にはほむらですらも頼りがいのある、妙な安心感がある。その態度は、そしてさやかにも伝わったらしい。安堵するようにさやかはその硬い表情を緩めると、マミに向かってこう言った。

 「はい、と言っても、さっき魔法少女になったばかりですけど。」

 さやかがそう言った時である。どこから現れたものか、白い体の小動物が一行の前に現れた。キュゥべえであった。

 「やあ、君達も来ていたのかい?」

 「キュゥべえ、あなた一体いままでどこに?」

 驚いた様子で、声を上げたのはマミである。その声にキュゥべえは心なしか楽しげに、軽く頭部を、愛らしく振りながら答えた。

 「さやかと契約をしていたんだよ。」

 そのまま、続ける。

 「さやか、魔獣を退治したら、これを僕に頂戴。」

 ぱくり、と床に落ちた魔獣のコアを咥えながら、キュゥべえはさやかにそう言った。そのまま、顔を上に振り上げ、口から離して魔獣のコアを空中に浮かせる。そのまま、予測された落下地点で背中を開くと、その中へとコアを収納させた。

 「うぇ、食べちゃった!」

 驚くようにさやかはそう言った。ほむらにとってはすでに見飽きたとも言えるキュゥべえの行動ではあったが、今日が初陣であるらしいさやかにとっては衝撃的な行為であったらしい。

 「暁美さんは、美樹さん・・よね、お知り合いなのかしら?」

 物珍しそうにキュゥべえの背中を観察し続けるさやかを見つめながら、マミがほむらに向かってそう訊ねた。その言葉にほむらは小さく頷くと、続けて答える。

 「クラスメイトよ。」

 尤も、これまでの交流は殆ど無いに等しいものであったけれど。

 「なら、私の後輩なのね。」

 そういうことに、一応なるのだろう。ほむらがそう考え、頷いて同意を示すと、マミはさやかに向かってこう言った。

 「よろしくね、美樹さん。私は巴マミ。あなたと同じ魔法少女で、同じ見滝原中学校の三年生よ。」

 「よろしくお願いします!」

 ほむらに対する態度とは異なり、元気良く、そして愛想良くさやかはマミに向かってそう答えた。

 

 「嬉しいわ。」

 陶器同士が触れ合う、小さく小気味の良い音と共に手にしていた紅茶を白磁のソーサーへと戻しながら、マミは感慨深そうにそう言った。さやかとほむらの二人を連れて、マミが誘った先は彼女の自宅であった。

 「嬉しい、ですか?」

 マミ自ら調理したという紅茶のシフォンケーキを心から堪能していたさやかが、ふとフォークの手を止めて、そう訊ねる。その言葉に、マミは小さく頷くと、こう答えた。

 「魔法少女が、もう三人も。」

 過去を懐かしむように、マミはその形の良い唇を開いた。そのまま、続ける。

 「今まで、私はずっと一人だったから。」

 つ、とほむらもそれまで手にしていたフォークをケーキの置かれた小皿へと導く。私も、ずっと一人だった。大切な人とも離れて、ずっと一人で。香りの良い、紅茶がマミらしい、洒落た室内に緩やかに、そして温かく広がってゆく。その気高い香りと共に、静かでしめやかな空気があたりを包み込んだ。

 「大丈夫ですよ、マミさん!」

 しんみりとした空気を打ち消すように、そう言ったのはさやかであった。ガッツポーズでもするように右腕を軽く曲げ、テーブルの上に軽く身を乗り出しながら、言葉を続ける。

 「これからは、私と、あと転校生も一緒ですから!」

 その言葉に、ほむらは微かにその形の良い眉を潜めさせた。確かに転校してから二週間程度の時間しか経過はしていないが、そろそろ転校生呼ばわりにも飽きを感じてくる。第一、私が必要としているのは貴女ではなくて。

 誰、なのだろう。

 ふと、ほむらはそう考えた。大切な誰かのことを、いまこの瞬間も、私は思い出すことが出来ない。

 「ふふ、そうね。」

 そのほむらの思考を打ち切るように、マミが軽くその瞳を華奢な指先で抑えながら、そう言った。そのまま、言葉を続ける。

 「これからも、宜しくね、ほむらさん、それに、さやかさん。」

 「勿論ですよ、マミさん!」

 さやかが、筒抜けに明るい声でそう言った。その言葉に、ほむらも倣うように軽く頷く。その二人に向かって、ありがとう、と小さく答えたマミが、何かを思い出すように、一言述べた。

 「そういえば。」

 手を伸ばして掴んだティーカップを空に浮かせながら、言葉を続ける。

 「あの子は今、何をしているのかしら。」

 「あの子、ですか?」

 さやかがそう訊ねた。その言葉にマミは一つ頷くと、こう答えた。

 「昔一度だけ、一緒に戦ったことがある魔法少女がいるの。長いポニーテールをした、槍の得意な子だったわ。」

 懐かしむように、マミはそう言った。そのまま、紅茶を一口、含む。

 「どうしたんですか、その子は?」

 続けて、さやかがそう訊ねる。

 「隣町の子だったから、一緒に戦ったのは一度だけなの。名前は、確か、佐倉杏子。」

 杏子。その名前を耳にした瞬間、ほむらはもう一度、深層心理が暴れだすような感覚をその身に覚えることになった。やはりどこかで、耳にしたことがあるような、そんな気分を覚えたのである。

 

 その杏子と出会うのに、大幅な時間は必要とされてはいなかった。マミの家で紅茶とケーキをご馳走になってから数日後、いつものように魔獣の気配を追っていたほむらは、街外れにある一角で、刃を勝ち合わせている魔法少女の姿を目撃したのである。人気の無い路地裏に響く、文字通り火花を散らす金属音に気付いて駆けつけたほむらの眼前に現れた人物は二人。その内の一人は先日魔法少女になったばかりの美樹さやか。そしてもう一人は、ほむらの見知らぬ魔法少女であった。赤い、赤く光る衣装を身に付けた少女が、高く跳躍する。腰元まで届く長く、ボリュームのあるポニーテールが風に流され、空を舞う。手にするものは彼女の背丈以上の長さを持つ十文字槍であった。月光に穂先が輝き、急降下、さやかに向けて直線距離で刃を突き出して行く。さやかは真正面から受け止めるつもりなのか、慣れない手つきで刀を正眼に構えた。無理だ、あの速度で、あれだけ鋭利な刃を受け止めるだけの技量をさやかはまだ有していない。ほむらは瞬時にそう判断し、側面から中央に飛び出すと、威嚇射撃とばかりに弓矢を放った。忽然と現れた刃に槍を構えた少女は、僅かな動きで穂先を左右に揺らし、鏃をあらぬ方向へと弾き飛ばす。だがそれでも、さやかへの攻撃機会を失わせる効果は十分であった。

 「てめぇ、何しやがる!」

 やむを得ず、という様子でさやかから離れて着地した少女は、続いて穂先をほむらに向けると、怒気の含んだ声でそう言った。その言葉に対して、ほむらは冷静に応える。

 「別に。無駄な争いは必要ないわ。」

 弓を手にしたまま、いつでも放てるように構えながら答えたほむらの言葉に対して、槍を手にした少女の行動は単純であった。

 「邪魔するな!」

 そのまま、ステップを踏んだ。まるで低空で獲物を掠め取る鷹のような勢いで、突き出した槍とともにほむらに迫る。その動きに対して、少女が至近距離に迫った瞬間、ほむらは横に向けてステップを踏んだ。お互いの身体がすれ違う瞬間、空間すらも切り裂く刃の風がほむらへと襲い掛かる。

 「やるねぇ。」

 槍を構え直しながら、ほむらを逃したことに素直に感心するようにその少女はそう言った。

 「でも、次は外さない。」

 その少女が、にやり、とした笑みを漏らしながら口を開き、そして飛び出そうとした瞬間。

 「杏子、何をしているの?」

 凛とした、正義感に満ちた声が周囲を包み込んだ。その場にいた三人が、一斉に路地裏の一点に視線を送る。マミであった。

 「こりゃ・・久しぶりだね、マミ。」

 マミの姿を確認すると、先程までの殺気は何処に行ったのか、寧ろ何かを恥ずかしがるように、杏子と呼ばれたその少女は軽く頭を掻いた。そのまま、十文字槍の構えを解くと、とん、と槍の柄を右肩に載せて、ゆったりとした姿勢を保つ。

 「マミさん、もしかして、こいつが、佐倉杏子?」

 相当の魔力を消耗したのか、ぜいぜいと肩で呼吸を整えながら、さやかがそう言った。警戒を解かないように、未だに刀を構えたままで。

 「そうよ。この子が、佐倉杏子。」

 さやかを宥めるように、普段以上にゆっくりとした言葉で、マミはそう言った。続けて、拗ねるように腰に軽くこぶしを握った右手を当てながら、もう一度口を開く。

 「それで、どうしてこんなところで喧嘩をしていたのかしら?」

 「喧嘩っていうか、その。」

 杏子はマミに対して、途端に返答に給したように言葉を失った。その杏子に追い討ちをかけるように、マミが更に杏子へと詰め寄る。

 「その、じゃないわ。話してごらんなさい。」

 「そいつが、邪魔してきたんです。」

 まだ怒りが収まらない、という様子で口を開いたのはさやかであった。剣を片手に掴んだまま、つかつかとマミと杏子へと近付き、そのまま続ける。

 「魔獣退治に、私じゃ力不足だと突っかかってきて、結局取り逃がしてしまいました。」

 「あんな小物に本気出しても、魔力の無駄だろ、って言ってるんだよ!」

 きっ、と瞳を見開いて、杏子が言った。さやかに対しては、あくまで対抗するつもりらしい。

 「小物でも、誰かが被害にあうかも知れないじゃない!」

 負けじとばかりに、さやかがそう言い返す。

 「ただの喧嘩にしては、大げさだったわね。」

 止まることを知らない二人の口論に、呆れたように肩をすくめたマミに変わって、ほむらは一歩を踏み出すと、そう言った。それに大して、マミが訊ねる。

 「大げさ?」

 「殺し合い、と言ったほうが妥当だわ。」

 ほむらの言葉に、マミはいよいよその可愛らしい瞳をしかめさせた。そして、訊ねる。

 「どういうことかしら、杏子、それにさやかさん?」

 少し怖い、と思ったのはほむらだけではなかったらしい。その言葉に、ぐ、と杏子は唸り、さやかはまるで飼い主に叱られた子犬のようにその頭を項垂れさせた。そのまま、二人とも気まずそうな沈黙を保つ。

 「まあ、いいわ。」

 二人とも口を開こうとしない状況を見て、マミは何かを諦めたように、溜息交じりでそう言った。

 「とにかく、同じ魔法少女同士なのだから、これから先は喧嘩はしないこと。わかったわね?」

 凄みのある口調でマミはそう言った。それに対して、杏子とさやかは神妙に、そして同じタイミングで、わかった、とだけ答えた。

 

 そんな出会いをした杏子とさやかではあったが、それから一週間も経過する頃には、どうやら何か打ち解けるところがあったらしい。近接攻撃を得意とする杏子とさやかはいつしか連携した戦闘を行うようになっており、自然の内にほむらとマミが後方支援を、杏子とさやかが前線攻撃をするような戦闘スタイルが四人の中で普遍化するようになっていた。

 「あいつも、昔色々、あったみたいだからね。」

 唐突にその仲を深めた二人の関係を訝しんだほむらの問いに対して、さやかはそう言って照れくさそうな笑みを見せた。いずれにせよ、仲間同士で傷つけあうような事態にならなかったことをほむらは心から安堵し、そして考えた。

 あの子が今の私達を見たら、どう思うのだろう。

 ふと、そう考えて、ほむらはその瞳を大きく見開いた。あの子。そう、私はあの子の為に、これまで戦い続けていたはずだった。なのに。顔も、名前も、何もかもを、私は思い出すことが出来ない。本当にそんな人間が存在していたのか、それすらも疑いたくなるような状況のなかでほむらはただ、呆然と、ただ川の流れに身を任すほか処置の仕方もない木の葉のように、不安定にふわりふわりと、戦い続けていた。そんなもむらであったが、このまま、四人でずっと過ごせて行ければいい。その様に、他人との距離を置きたがるほむらですらもそう考えるようになった頃、その事件は起こった。

 

 「最悪の魔獣、といえばいいかしら?」

 見滝原市の中心部から少し離れた場所、老朽化の為に立ち入り禁止となっているビルの入り口に集合したほむらたちに向かって、マミが緊張を隠さないままでそう言った。ざわり、と夜の空気が鳴る。照明が無いための暗闇なのか、それともこの先に待ち受ける魔獣が放つ瘴気が余りにも濃すぎるのか。経験の長いほむらであっても、背筋を走る悪寒を隠し切ることが出来ないほどの、強い魔力。それだけの魔獣が待ち受けている。

 「仕方ねぇよ、やるしか無いんだからさ。」

 杏子がそれまで咥えていた団子から串を抜き取って投げ捨てると、務めて余裕を見せるようにそう答えた。さやかはただ、神経を集中させるように僅かに瞳を閉じている。このまま、ここで待っていても仕方が無い。ほむらはそう考えると、小さく、だが緊張を隠さないままで、こう言った。

 「行きましょう。」

 そして、一歩を踏み出す。踏み出しながら、闇の奥からの奇襲を警戒したが、その用意は敵にはなかったらしい。逆に言えば、余裕ということなのだろうか。続けて、杏子とさやか、そしてマミも廃ビルへと進入を果たす。何かが錆びた、つんとする臭気が嫌にほむらの鼻腔を突いた。

 「この奥ね。」

 周囲を見渡して敵の姿が無いことを確認したマミがそう言った。その言葉に、四人がほぼ同じ歩調で廃ビルの深部へと向けて歩き出す。一階には魔獣の気配がない。そのまま、二階、三階へとビルを登ったとき、そいつは現れた。唐突に、ぬらりとした液体のように。その魔獣は、それまでのほむらの常識を覆すに十分な姿格好をしていた。通常の魔獣よりも、身長だけでも数倍は大きい。それだけではない。そいつは、人型ですらなかった。複数の頭部が存在しており、その数は丁度八つ。ヤマタノオロチといえば理解し易いのかも知れなかったが、その頭部は全て、人と同じ形。しかも、それぞれに異なる表情を持っていた。身体は一つだが、足は四つ。手も、なぜか四本存在していた。何より、その魔力。それまで出会った魔獣の数百倍は巨大だろう魔力の渦が、ほむらたちを圧迫するように蠢いていた。

 「こいつは、強敵だな。」

 額に一筋の汗を流した杏子が、それでも普段通りに、慣れた手つきで愛用の十文字槍を構えた。それに合わせてほむらが弓を構えた直後。

 魔獣が、吼えた。人の声に近いような、だが違う。野獣の雄叫びと鳥類の全ての鳴き声を混ぜ合わせて一色に、そして混沌と混ぜ合わせたような、怪音波にも近い、鼓膜を破りかねない、強く、そして不快な金切り声。その叫びが終わった直後、魔獣が動いた。その巨体からは信じられないような、杏子の突撃に勝るとも劣らない速度で、瞬時に魔獣が迫る。杏子がその動きに合わせて、横に飛んだ。その隙を見て、ほむらが弓を引き絞る。ひゅ、と風を切って襲う鏃に対して、魔獣は力任せに腕の一つを横に振った。電流が弾けたような音と共に、ほむらの矢が霧散し、消滅する。続けて放たれたマミの弾丸もまた、魔獣にとっては五月蝿い小蝿程度の存在でしかなかったらしい。弾丸ごとその魔力で消滅させた魔獣は、左に交わそうとしたさやかの身体を軽々と吹き飛ばした。逃げ切れなかったさやかが、空に舞う。

 「さやか!」

 杏子がそう叫ぶと、コンクリート製の壁を蹴り上げてさやかへと向けて飛んだ。直後に、杏子がさやかの身体を抱きとめる。そのまま、両腕にさやかを抱き締めた杏子が重力に任せるままに、重たい音を響かせながら着地した。自身の身体を回復させながら、さやかが杏子に支えられるように立ち上がった。直後、魔獣がもう一度、吼える。ただし今度は、その八つの口腔から魔力の込められた弾と同時に。人の頭と同程度の大きさを持つ魔弾が四人へと目掛けて襲い掛かる。ほむらとマミが身体を横飛びにそらしながら、矢継ぎ早に矢と弾を魔弾に向けて放った。ほむらとマミ、それぞれの魔法と魔弾が真正面から衝突し、焦げるような臭みと共にその力を相殺させる。その隙に魔獣へと飛び込んだのは杏子だった。自身の頭上で十文字槍を威勢良く回転させた杏子は、その遠心力をそのままに魔獣へと振り下ろす。魔獣の右側、一つの手が吹き飛んだ。続けて、さやかが今度は左側から刃を真正面から縦一門に振り下ろす。魔獣の腕を吹き飛ばすまでは届かなかったものの、切り裂かれた魔獣の皮膚からどす黒い、血と言うよりは闇そのものと表現すべき液体があふれ出した。だが、その攻撃は魔獣をより怒らせる効果しか持ち合わせていなかったらしい。ろくろ首のように長く伸びる八つの頭を振りかざした魔獣は、歯をむき出しに杏子へと、そしてさやかへとその首を伸ばした。がちり、と噛み付かれたものは杏子の槍。そのまま力任せに、魔獣は杏子の身体を床へと向けて叩き付けた。瓦礫が舞い、杏子の身体から血液が毀れだす。ほむらが駆けつけながら、無差別に弓を引き絞り、矢を放った。上空ではふわりと待ったマミの背後に現れた数百門のマスケット銃が一斉に火を噴き、魔獣に襲い掛かる。ところどころ打ち抜かれた魔獣は悶えるように吼えたが、それだけだった。杏子と同じように吹き飛ばされたさやかが、自身の回復を行いながら立ち上がる。刀を杖代わりにしなければ立ち上がれない様子を見ると、さやかのダメージも相当に大きい。杏子は身体中に負傷を追いながらも、気力だけで立ち上がる。まずい、とほむらは心中に焦りを覚え、今一度弓を引き絞ろうとした。その時である。

 魔獣が、飛んだ。軽々しく、まるで羽でも生えているのかと錯覚させる程度に。そのまま、ほむら目掛けて落下してくる。四つある巨大な足の裏に踏み潰そうとばかりに。思わずほむらが右手を伸ばした先は、左手の肘辺り。だが、ここには何もない。そう、以前にもあった。あれはマミと初めて出会ったとき。いや、そうじゃない。私は、かつて、この場所に、魔法具が。

 「馬鹿野郎!」

 突き刺すような声と共に、ほむらは側面へと突き飛ばされていた。何が起こったのか理解できないまま、突き飛ばされた衝撃で倒れ込んだ顔を持ち上げたその場所には、厳しい表情をした杏子の姿。その奥には、着地を終えたばかりであるらしい魔獣の姿。

 「戦いの途中で、ぼんやりするな!」

 続けて、杏子がそう叫んだ。その言葉にほむらは一つ頷きながら、震える足を叱咤するように立ち上がる。その間にも、目標をはずして更に怒りを高めたらしい魔獣が杏子とほむら目掛けて突進を開始した。ほむらが弓を構え、杏子が衝撃に供えるように槍を斜めに構える。 

 「ティロ・フィナーレ!」

 タイミング良く、隙だらけであった魔獣の側面が、花火を爆ぜたかのように爆裂した。マミの必殺技が炸裂したのである。その攻撃にはさすがの魔獣もそれなりのダメージを受けたらしい。八つの頭部をそれぞれに苦悶の表情を浮かべ、地団駄を踏むように足を止めた。その隙に、ほむらが渾身の力を込めて矢を放った。直撃を受けた頭部の一つが、首元から吹き飛び、長い首だけが力なく地へと倒れ込んだ。杏子が走り、魔獣の首をもう一つ、叩き落す。地上からはさやかが魔獣の脚に切りかかり、魔獣から更なる鮮血を奪い取る。いける、誰もがそう考えた。このまま、攻撃を加え続けていれば、必ず勝てる。そう考えた。だが。

 もう一度、魔獣が吼えた。残された三本の腕を真正面に構えて現れたものは、先程とは比べ物にならないほどの巨大な魔弾。その禍々しい気配に、ほむらは息を呑み、そして恐怖した。直後、鉛球を投擲するように魔獣は腕を振り上げ、魔弾を無造作に投げつけた。全員ともに、直撃からは身をかわした。だが、魔弾の直撃を受けたビルの床は瞬間に木っ端微塵に砕け、その階層を丸ごと失う。二階へと向けて全員が落下しながら、それでも遠距離攻撃が可能なほむらとマミは執拗なまでの攻撃を加え続けた。だが、魔獣の体力が減っているような様子はまるで見えない。

 「参ったな・・。」

 ぽつり、とそう呟いたのは杏子だろうか、或いはさやかだろうか。

 「こんな化け物が、表に出たら・・。」

 「見滝原市が、壊滅する・・。」

 最悪の事態を想像して呟いたほむらは、直後に身体全体に悪寒が走ることを自覚した。そう、あの時も、私は奴に勝てなかった。今とは違う姿をした、それでも変わらぬ程度に強大な敵に。その結果、大切な人と離れ離れになった。街は滅び去り、多くの人が被害にあった。何度も何度も、私は戦い、そしてその度に敗れた。強くなったはずなのに。ほむらは、そう考えた。なのに、また、私は敗れるのだろうか。

 「仕方、無いよね。」

 さやかが、そう言った。何かを決意したような、澄み渡る青空のような声で。

 「みんな、バイバイ。」

 何をするつもり、と開きかけたほむらの言葉はしかし、さやかに届くことは無かった。さやかは取り出したソウルジェムを蒼く、まるで生まれたばかりの恒星のように輝かせながら、魔獣に向けて飛び掛った。彼女自身が、鋭利な刃と化したかの様に。その蒼い光はただ直線に、魔獣の胸元へと直撃した。そのまま、魔獣の身体を貫き、そして爆ぜる。目もくらむような光の中で、さやかは魔獣と共に、消滅して行くように見えた。

 「さやか!」

 ほむらが悲鳴にも似た声で絶叫した。その言葉が光の中に溶け込もうとした時。

 『さやかちゃん、お疲れ様。』

 声が、響いた。懐かしい、そして温かい声。

 『ほむらちゃんも、久しぶりだね。』

 青白く輝く光はいつしか、桃色の柔らかな、全てを包み込むような光へと変化していた。その光の中に、倒れたさやかを抱きとめる、可憐な表情を見せる、髪を短くツインテールにした、少女の姿が映る。その髪を留めているものは、赤い、そして可愛らしいリボン。

 『それじゃあ、またね。ほむらちゃん。』

 唐突に現れた少女はほむらに向けてそう言った。懐かしい、そして温かな笑顔を見せながら。そうしてそのまま、少女は桃色の光と共に消えてゆく。いや、帰ってゆく?

 「おい、さやかは、さやかはどうした!」

 光と共に魔獣が消え去った後で、杏子がそう叫んだ。その言葉にほむらは夢から覚めた様子で、驚きのままで瞳を見開く。

 「逝ってしまったわ・・円環の理に導かれて・・。」

 杏子を宥めるというよりは、自分自身を納得させるように、マミがそう答えた。その言葉を耳に受け止めながら、ほむらは震える手で、ポケットに収めていた赤い、二つのリボンを取り出した。そのまま、そのリボンを掌の上に流すように載せて、眺める。先程の、あの少女は。あの桃色の光に包まれた少女は。

 

 思い出した。

 

 やっと、思い出した。

 まどか。鹿目、まどか。私の親友。一番大切な人。何度も何度もまどかを失って、何度も何度も、左腕に装備していた時を操る盾を用いて、時間を繰り返して、それでも守れなくて。何度も泣いて、何度も慰めあって、それでもどうにか、僅かに残された可能性を求めて戦い続けたことを。そして、まどかが彼女の願いを叶えたことを。

 『全ての魔女を、生まれる前に消滅させる。』

 そう、まどかは自らの望みを叶えた。自らの肉体と引き換えに。そして、まどかを知るものの記憶と引き換えに。だけど。まどかは言った。

 『ほんの少しなら、本当の奇跡が起こるかもしれない。』

 その奇跡が、漸く、起こった。

 私、思い出したよ、まどか。

 気付けば、ほむらの瞳から大粒の涙が流れていた。止まることなく流れる涙を拭うことも忘れて、ほむらはただ、堪え切れなくなった様子で、声を漏らした。搾り出すように、喉を震わせながら。

 「まどか・・。」

 「ほむらさん?」

 マミが不思議そうな口調で、そう訊ねた。続けて、杏子が首を傾げながら、続ける。

 「まどかって、誰だ?」

 分かっている。皆、まどかのことは覚えていない。でも、私は覚えている。まどかのことを。

 「大丈夫、なんでも、ないわ。」

 声を震わせながら、ほむらは小さく、それだけを答えた。そして、願う。この世界のどこかに、必ず存在しているまどかに向かって。

 まどか、貴女の言ったとおり。本当の奇跡が起きたわ。私、貴女のこと、ずっと忘れない。だって、約束したから。まどかのことを、ずっと、ずっと忘れないって。だから、この身が滅びた時、また貴女と巡り会うまでは、決して、忘れない。

 だから、これからも私のことを見守っていてね、まどか・・。

 

 

魔法少女ほむら☆マギカ −その後の世界ー

 

説明
初めまして。
タイトルから分かるように、魔法少女まどか☆マギカの二次創作になります。

まどかの女神化からほむらのリボンを装備するまでの間、何が起こったのかと考えて自分の妄想を叩きつけてみました。

楽しんでいただければ幸いです。
よろしくお願いします。
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