不浄絵具 |
「わざわざ何のために呼んだかと思えば、こんな家を探索するつもりだったのかい、君は」
俺は少々あきれたニュアンスを宿しながら、彼に言葉を投げる。
「ああ、まさしく言葉の通りだね。この家を探索するのさ。外観だけは撮ってサイトのほうで報告済みだぜ」
果たして、これが家と呼べるのだろうか。俺は疑問に思う。彼が照らす懐中電灯の明かりを頼りに観察をする。遠くから見れば、それはそれは綺麗な家だったろう。しかし、近くに来てみれば、汚い家にしか見えない。ところどころ塗装が剥げているし、その間から見える木材も風雨に晒されたせいか傷んでいるように見える。近づきすぎては汚く見えるいい例である。綺麗な花があったと近づいて見たら、虫がわんさと湧いていて蠢めいているということを体験したかのようだ。
「ここの所有者は?」
「さあ、詳しくは知らない。噂によると絵描きさんだった人らしいよ」
「普通の家じゃないと分かれば文句はないけどなあ……」
「まあいいじゃないか。ほら、お前も懐中電灯とカメラ持って。入るぞ」
「できるだけ手短にしよう。職務質問とか喰らったら面倒くさいことになるぞ。ただでさえ通り魔事件とか騒がれているからな」
彼はいつも持ち歩く大きめのバッグの中からブツを取り出して俺に渡す。手渡される二つの品を両手に携え、中に入ることにした。小さめの門を飛び越え、玄関から入る。廃虚探索をするようになってのお馴染みのパターンだった。普段人が入らないところに行って写真を撮るだけ。それをネットにアップするサイトを運営している俺達二人は今日もこうして写真を撮りに来たのだった。どうしてこんなことをしているのか。それは少しでも需要があるからだった。勿論、自分達の趣味という観点もあるが人が立ち入らない場所、元々は人が居たのにいなくなった場所に興味を示す人もいるようで、サイトは少しずつアクセスカウンターを延ばしていっている。綺麗な花が好きな人間もいれば、それとは裏腹に腐敗した花が好きな人間もいるのだ。
だから最近は出来るだけインパクトのあるものを載せていきたいと俺は思っていたのだ。だが今回の目的の場所は、インパクトに欠ける。平凡に近いものだった。だから俺はノリ気ではなかったのだ。
「さってと、さっきも言ったように外観は撮影済みだからもういいが、玄関は重要だからな。お前は外から玄関部分だけをアップで撮ってくれ。俺は玄関の内部を撮っておくから」
「あいよ。またお前が一番乗りかい。ずる賢いねえ」
「お前のことだから文句はないんだろう? 文句があるなら行動に移しているはずだしな」
「その通り過ぎて言い返す気力がなくなるわ。ほら、さっさと中に入れよ。邪魔で撮れないだろうが」
彼は軽く悪態をつきながら中へと入っていった。俺はその玄関をデジカメで撮影する。木造で元は立派な両開きの扉だったのだろう。今は建てつけが悪くなって片方しか開かないようだが。ところどころ落書きや、何かで傷つけられたような痕跡もあった。まあ、これは廃虚探索に行けば無いほうがおかしいものだ。特に気にもせずに中へと入っていく。廊下が続いていて、階段が玄関から見えている。廊下は両脇に連なるようにドアがあって、幾つかの部屋と繋がっているようだった。ドアの枚数を数えてみる限り一階は四部屋だろう。その中でも一番玄関に近いところに入る。物音と人の気配がいたからだった。
当然のように彼が写真を撮影していた。俺は他のところで写真を撮る旨を告げると、彼と別れ写真を撮ることにした。彼の横の部屋に入る。俺が入った部屋はどうやら作品を作るところだったらしい。壊れたイーゼルが部屋の奥に転がっていた。その近くにキャンバスも落ちていたので、何が描かれているのか見るために裏返した。何も描かれていない白地であった。ここに訳の分からないような絵でも、素晴らしく綺麗な絵でも何でもいい。とにかく絵が描いてあればネタになったのだが、と残念に思う。しかし、あるものは撮っておいたほうがいい。写真に納めることにした。
撮り終わり、改めて部屋全体を見渡す。窓は頑丈そうな作りをしているが、ガラスは当然のように抜け落ちていた。壁や床には絵具の痕が目立つ。青、黒、赤などのメジャーな色が塗りたくられたようになっている。
もしかしたら、この部屋自体が芸術作品だったのかもしれないと思った。どうやら、青をベースにしていたようである。脇のほうに小さめの机も置いてあったので観察してみることにした。机の上にはパレットと絵具のチューブが残っており、油絵具の跡が残っていた。パレットを手でなぞるとその絵具の色がほのかに移り、ざらりと指を刺激する。青くなってしまった手を気にせずに、その机も撮影をした。
さて、これからどうしよう。とりあえず彼のところに行って二人で行動することにしようか。俺は、彼が撮影していた部屋に向かった。
部屋に入って見ると、そこに彼はいなかった。どうやら他の部屋を見回りに行ったようである。俺は彼の名を呼んだ。しかし返答はない。俺の声だけが壁を反響して耳に返ってくるだけだった。まだ見ていない二つのうちの片方の部屋の中に入る。そこは書斎のようだった。しかし、彼の気配はない。最期の部屋に入ることにした。そこにも彼はいない。どうやら二階のほうへ行ったようである。俺は彼を放置してこの部屋を撮ることにした。元は、生活感あふれるリビングだったのだろう。表面の破れたソファ、古臭いテレビ、大きめの本棚。ようやく元の住民が生活していたという証を見ることが出来た。こういうのを見るのに意味があるのだ。どうして廃棄されずにここまで残ったのか。どのぐらい使い込んでいるのか。そういうのを推測するのが面白い。
テレビの下にあったボロボロとなったビデオを最後にカメラに納めて、そろそろ彼を探しに行こうとしたところで踏みとどまる。そういえば携帯という便利なものがあるではないか。わざわざ探しに行って、居なかったら次を探すというのも面倒だ。彼に電話を書けることにした。
部屋の中でしばらく耳に当てて待っていたが、出ない。あの電話独特のメッセージを何度か聞いたあと、もう一度電話をかけた。携帯のアラームが廊下に出ると聞こえてきた。その音を頼りに彼のいる部屋を探す。どうやら彼は俺が最初に撮影したところにいるらしい。携帯の音が止まない中、俺はその部屋の前に立ち、ドアノブを掴んだ。そして、そのままドアノブを下に降ろす。しかし降ろしたところで俺はまたもとの位置に戻した。
よぎる予感。不毛な事実。そんなものは起きてしまえばありえないことではないのだ。
――何故、彼は電話に出ないのか。ドアの向こうに人はいる。第六巻がそう告げている。
なら、何故出ない。気付かないわけがない。こんな誰もいないような廃虚の中にアラーム音が響けば誰だって気付くはずだ。そう誰だって気付くのだ。俺が電話をかけ続け、別の部屋に留まっている間、誰かが気づき何かをした。その何か、というのも俺は察しが尽いている。
あの部屋にあった絵具の汚れ。あれは絵具ではなかった。あれは血だった。
それをカモフラージュするために青い絵具を床にばら撒いたのだ。パレットに残った絵具。よく考えてみなければ、気付くはずもない矛盾。指でなぞって手につくのはおかしい。廃虚になるまで放っておかれたはずだから、絵具などなぞったところで手につくことはない。誰かが廃虚になったあと格好の穴場として使用しなくならない限りは。
――部屋の中で音がした。誰かが移動する音だ。ドアのほうに近寄ってくる。携帯電話はお決まりのあのメッセージを述べるようになっていた。
これは彼ではない。では誰か。通り魔だろう。俺は武器になるようなものを持っているわけでもない。何人も殺しているような人殺しを不意打ちで一発殴ることは出来ても、相手は不意打ち一発で人を殺す武器を持っている可能性が高い。
俺はその音を聞いた途端、駆け出した。しずかに逃げようとすることは出来なかった。一瞬でも足を緩めたら追われる気がしてならなかった。相手は俺の存在に気付いていない可能性は低い。彼の名前を呼びながら廃虚を廻ったのだ。中に隠れていた奴が聞こえていないはずがない。廊下の奥のほうで光が動いている。俺はそれを見た瞬間向き直り玄関を飛び出した。俺は乗ってきたバイクを置き去りにして逃げ出した。
という話を俺は体験したのです。これが真実なのは皆さん知っているでしょう。ニュースで取り上げられていましたからね。この廃虚の写真をアップするのはもう少しお待ちください。彼を置き去りにして逃げた、という可能性があるのです。俺はもしかしたら彼を救えた可能性があったのではないか。その、なんていうんですかね。後悔の念といいますか。それが心残りでして迷っています。今は警察が調査をしてくれているようですので、その結果を待ちたいと思います。報道では規制のせいか、詳しく説明していないようですが、身元の判別も出来ないほどの惨たらしい最期だったようです。とにもかくにも早急に犯人が捕まることを祈ります。サイトの運営には異常が起こらないようにしたいとは思いますが、こればかりは俺も精神的に堪えました。では、また次の日に報告したいと思います。
追記、さっきニュースで報道されていたのですが、死体が四十〜五十代の男性ということはどういうことだ……。流石に警察の間違いですよね……。彼は一体どこに行ってしまったのでしょうか……。
説明 | ||
絵具がキーポイントであり、そこから発展される真相。ここで述べられている真実は理不尽極まりない出来事である故に、この主人公は気づかない。 | ||
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