レッド・メモリアル Ep#.05「グリーン・カバー」-1 |
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『タレス公国』《プロタゴラス空軍基地》 γ0080年4月8日 10:25A.M.
「これは不当な扱いです。オットー氏は、『グリーン・カバー』の中でも特に重要な役割を担っていられる。このまま軍に拘束されているという事は、会社の利益にも大きな損失をもたらし、また、オットー氏自身の名誉にも関わります」
《プロタゴラス空軍基地内》に設けられている、取調室の中に、ベンジャミン・オットーの弁護士の声が響き渡った。
弁護士はこの場にやって来た当初から、オットーに向けられた扱いは、不当なものだとして、軍側を声高らかに訴えている。
「しかし、ベンジャミン・オットーは、テロリストと一緒に行動していた男と一緒のオフィスにいた。更にその計画に加担していた可能性もある」
基地の最高責任者である、ゴードン将軍がそう答えた。彼には別の職務もあったのだが、今はオットーの関わっているとされるテロ事件の解決の方が優先だった。
基地の最高責任者が出て行く価値はある。オットーは、大企業の重役だし、その逮捕のためには、リーの部隊だけではなく、軍自体が総力を挙げる必要があるのだ。
しかし、
「これ以上、オットー氏を拘束することは、不当な行為の他なりません。人権団体も黙っておりませんし、オットー氏は国を相手取り、訴訟を起こすつもりでいます。真っ先にあなた方が訴えの対象となるでしょう」
「いや、それは」
弁護士がどんどん話を進めてしまうので、オットーは彼を止めようとしたが、
「あなたは、黙っていてください」
と言われ、彼は黙るしかなかった。下手に発言をすると、裁判のときに不利になるから、とそう言われているのだろう。
その時、弁護士はわざとらしく自分の腕時計を見て、声高らかに言った。
「おっと、こんな時間だ。オットー氏の拘束していられるあなたがたの時間はおしまいです。オットー氏を逮捕する明確な証拠が無ければ、自動的に彼は釈放される事になります」
「ちょっと待て、あと1時間はあるはずだ」
ゴードンは慌てて弁護士を制止しようとした。体格の大柄な彼が立ち上がると、幾ら壮年とは言えかなりの迫力があったが、弁護士はそれに臆する様子も無く言った。
「いえ、オットー氏の拘束時間とは、彼が、あなたの軍の捜査官に腕を掴まれたその瞬間から始まっています。そこから、きっちりと24時間。いいですか?『タレス公国』の法律ではそうなっているのです」
反論しようとしたゴードンだったが、彼にとってはどうする事もできなかった。
不当にオットーを拘束していたとしても、自国民の、それも社会的に影響力のある存在の起訴は難しい。
人権保護団体に軍と国が訴えられれば、自分の立場すら危ういのだ。
「構いませんね?オットー氏はここを出て行きます。今後、あなた方の軍は、オットー氏には決して近寄らず、《グリーン・カバー》の企業内に入る事も許されません」
弁護士はゴードンに向ってそう言って来る。彼の言う事は間違っているわけではない。しかしゴードンにとっては、まだやらなければならない事が沢山あった。
「ああ、分かった。連れて行けばいいだろう?」
まだ怯えているようなオットーの後姿を見やるゴードンは、取調室の中で、一人携帯電話を取り出していた。
空軍基地の奥、留置施設や取り調べ室がある建物の駐車場では、車の中にリーとデールズが控えていた。
彼らは油断の無い様子で、建物から出てきたオットーと、その弁護士の姿を見ていた。
(どうだ?)
リーが耳に付けている、携帯電話のワイヤレスホンから、ゴードン将軍の声が聞えて来る。
「たった今、建物から出てきて、弁護士と一緒に車に乗り込む所です」
そう答えたリーは、車の中に流れる光学モニターの画面にも同時に目をやる。そこには、空軍基地内の地図と共に赤いポイントが表れていた。
赤いポイントは基地の地図の駐車場に、ちょうど2つ現れている。
(オットーに付けた発信機は、しっかりと作動しているか?)
と、ゴードンの声。
「奴自身に取り付けた発信機と、車につけた発信機。両方生きています」 そうリーが答えた時、彼の前のモニターのポイントが動き出した。オットー達が車を走らせて空軍基地から出て行くのだ。 「今、車を出していきます。もしオットーが誰かと接触するならば、すぐにでも会いに行くでしょう。彼を監視して捕らえます」
デールズが運転をして、リーと彼を乗せた車は、オットーを乗せた車の背後からこっそりとその後をつけだした。
相手に気付かれない程度の車間距離を置く。オットーと、リー達の車の間には、軍用トラックが一台、カモフラージュの目的で割り入った。
オットー達は物々しい姿の軍用トラックに後ろを付けられていると思い、一見すればただの乗用車でしかない、リー達の車には注意を払わない。
(ああ、だが今度は明確な証拠を掴んでからにしてくれよ)
基地の敷地を出るなり、リーの耳元にゴードンが言ってくる。
「ええ、分かっておりますよ」
リーは感情を込めない口調でそう答えていた。
《プロタゴラス郊外》
11:03 A.M.
オットーと弁護士を乗せた車は、真っ直ぐと《プロタゴラス市内》を目指していく。今のところは誰と接触しようという素振りも見せない。
オットーは《プロタゴラス郊外》の高級住宅地に住んでいて、今、彼らが向っているルートは、正にその自宅へと向うルートだった。
市街地では物々しすぎるため、リー達の車をカモフラージュする目的だった軍用トラックはとっくに基地に帰っている。
今、リーとオットー達の間には車は無く、車間距離を広げて走行していた。
住宅地ではあったが、最近多発しているテロ事件のせいもあり、人通りも車の通りも少ない。
だから、オットー達に気が付かれないためにも、リー達はかなりの車間距離を開けて走行していかなければならなかった。
「32番通りを市街地へと北上中。依然として動きはありません」
(気をつけておけよ。オットーからは決して目を離したくは無い)
リーの耳元でゴードン将軍が再び言ってきた。リーは変わらず冷静だったが、ゴードンは、『WNUA』や軍の上層部から、早期のテロ事件解決を求められている。だから落ち着いてなどいられないのだろう。
「動きがありませんね。このままだと、オットーは自宅に戻るだけです」
運転しながらデールズは言ってきた。
「自宅で、誰かと出会うという事も考えられなくはない」
とリーが呟く。
その時、彼が監視している車のモニターに動きがあった。
「オットーの車に近付いてくる車がある。3台。かなり速い!」
リーは声を上げた。彼の目の前のモニターには、オットーと彼の車に取り付けた発信機からの位置情報の他にも、周囲の車の情報も表示されている。
その車の情報によれば、時速60kmほどのスピードで、3台の車が3方向からオットーの車に接近していた。
「おい!急げ」
リーがデールズに言う前から、デールズは車のアクセルを踏み込んでいた。
「分かっていますって!」
リー達が、オットーの車の元へと駆けつけた時、彼の車は3台の黒塗りの車にその行く手を阻まれていた。
リー達が車を急停車させた時、高級車に乗った者達が次々と外へと降りてくる。リー達と同じような、ダークスーツに身を包んだ者達だった。だが、彼らはサングラスもかけており、非常に物々しい姿を見せている。
軍の人間でもなければ、只者ではないだろう。
「『タレス公国軍』の者だ!そこで何をしている!」
リーが、自分のIDを高らかに見せつけ、その者達に迫ったとき、リーに向って、現れた男達は次々と銃を向けてくる。
「何だ!どうするつもりだ」
リーがそう言い放った時、サングラス姿の者達は一斉にリーに向って発砲して来た。
リーは素早く乗ってきた車の背後に身を隠す。住宅地に銃声が響き渡り、『タレス公国軍』の防弾処理がされた乗用車に、銃弾が次々と命中する。
「少佐!」
デールズが車内から叫んでくる。
「お前はそこにいろ!」
リーは言い返し、素早くスーツの内側から銃を抜いた。
そして、隠れていた乗用車から身を出し、次々と銃を発砲してくる男達に向って、その銃口を向けた。
すでに引き金には指がかかっている。
リーは、次々と飛んでくる銃弾の間の隙を見つけ、素早い動作で、リボルバーから弾丸を発射した。
まるでレーザーのように一直線に発射された光を放つ弾が、銃弾のように、現れた者達を打ち倒していく。
車の陰から身を出したリーは、あっという間に、銃撃をしてきた者達を打ち倒してしまった。その間、3秒も経っていない、あっという間の出来事だ。
しかしその直後、
「放せ!どこへと連れていく気だ!私をこんな目に合わせてただで済むと思っているのか!」
叫び声を上げていたのはオットーだった。
彼は車へと連れ込まれていこうとしている。
「待て!お前達!」
リーよりも、デールズの方が、オットー達に近かった。だが、オットーはあっという間にサングラス姿の者に車の中へと押し込まれてしまい、この場から連れ去られようとする。
リーは銃を向け、更に光弾を発射したが、相手は防弾仕様にされた車で、光の弾は弾かれてしまう。
だが代わりにデールズが、オットーの車に向けてテイザー銃を向けた。
デールズが放ったテイザー銃の電極が、数メートル離れた先の黒塗りの車の車体後部に命中する。
瞬間、デールズの体から青白い光が放出され、それがテイザー銃に移っていく。
テイザー銃から電極へと飛び火した直後、不可思議な現象が起こる。オットーの乗った車体の背後は爆発を起こしたのだ。
だが、中にいる人間が死なない程度の爆発だ。車は大きく後部が持ち上がり、再び地面へと激しい音を立てながら着地し、火花を散らす。
デールズは、テイザー銃を車へと向けながら駆け寄り、オットーを確保しようとしたが、彼自らが、デールズの向って来たほうとは逆の扉から飛び出してきた。
「オットー!待て!」
デールズは叫ぶが、オットーは、転げ落ちるように車の中から飛び出してくる。彼を追おうとするものの、オットーを車の中に連れ込んだ者が、デールズに向けて銃を発射してきた。
それの銃弾をすかさず車の陰に隠れることで避けたデールズ。
すかさずリーが飛び出していき、銃を向けてくる男へと光弾を撃ち込んだ。
しかしその頃すでに、オットーは、住宅地の中へと走っていってしまっている。彼はこの場から逃げ出すつもりだ。
「待て! オットー!」
テイザー銃の射程距離からは大きく離れている。デールズは彼の後を追おうとしたが、リーがそれを制止した。
「いや待て! デールズ。奴を追うな!」
「どうしてです? このままじゃあ」
信じられないといった様子でデールズが振り向いてくる。
「あいつに発信機が付いている事を忘れるな。どこに行こうと我々がマークしている。それに、オットーも、追い詰められていると分かれば、必ず誰かと接触する。例えば、昨日のスペンサーとかいう奴かもな…」
リーは冷静に言い、車の中へと戻ろうとした。
「オットーが、今みたいに何者達かに、連れ去られたり、襲撃しなければ、いいんですが」
「奴の弁護士に話を聞こう。何か聞いているかもしれん」
そう言ったリーは、オットーと一緒の車に乗っていた、彼の弁護士の方へと歩いていく。車内には、何が起こったのか分からない様子で、呆然としたままの弁護士がいた。
「オットーを泳がせているですって?」 セリアは携帯電話を耳に押し当て、リーからの通話にぶっきらぼうに答えていた。
(ああ。これから奴がどこかの誰かと接触するかもしれんからな)
電話先のリーの声は冷静だった。住宅地で銃撃戦があったとの事だったが、彼の口調はいつもと変わっていない。銃撃戦などまるで無かったかのようである。
(会いたいとお前が言っていた、協力者には会えたのか?)
と、リーがすぐに言ってくる。
「これから会うところよ。今、アパートの前。何か分かったらすぐに連絡するからね」
と言ってセリアは通話をオフにした。
セリアがやって来ていたのは、《プロタゴラス市内》にあるアパートだった。オフィス街からは程遠く、むしろ繁華街の近くにある。人の雑踏がいつもは聞えて来るはずだったが、今日は静かだった。
セリアがこのアパートに来るのは初めてではない。裏通りから入って、薄汚れた廊下を通って、ある扉の前までやって来るのも、何度も経験した事だった。
セリアはアパートの一室の呼び鈴を鳴らした。
すると、しばらくして、部屋の中から、半ば眠たげな様子で一人の女が顔を覗かせた。長い茶髪が、今まで寝ていた事を示すように酷い有様だった。
「セリア?待ってたよ、でも、ちょっと待って」
その女は半ば寝ぼけたような様子でセリアに言って来る。だがセリアはため息を付くと、彼女が扉を開くよりも前に、玄関を全開にして足を踏み入れた。
「待っていた、じゃあ無くって、眠っていたんでしょ。あなた、今まで」
フェイリンは部屋の中にいる女を振り向いてそう言った。その女はパジャマ姿のままで、足もスリッパだった。
「う。昨日の内にやっておこうとしたら、途中で眠くなっちゃって、でも、ホラ。あれだよ。もう頼まれたことはできているから安心して」
女は慌ててそう言ってくるのだった。
「あなたは、大学時代から何も変わっていないのね、フェイリン」
と、セリアが言うと、フェイリンと呼ばれた女は、眼をぱちぱちさせてセリアの方を見てきた。
「え、何が?」
フェイリン・シャオランは、セリアが大学に通っていたとき、同じ寮の同じ部屋だったルームメイトだ。
彼女は、『レッド系』の人種で、コンピュータオタク。専攻もコンピュータプログラミングで、その方の成績は優秀だった。
活動的だったセリアと違って、フェイリンはコンピュータいじりと、ビデオゲーム、漫画が趣味だったのだが、意外と人なつっこく、3年先輩であるセリアとも仲が良かった。 フェイリンは、大学卒業後、大手のコンピュータ会社に勤めていたのだが、どうも会社で働くことが性に合わなかったらしく、数年で退職している。
以来、ハッカー業にいそしんでいる彼女は、結婚もしていないし、子供もいない。ずっとオタクのままだが、何かとセリアは頼りにしていた。
「これが、『グリーン・カバー』の銀行取引の記録?」
セリアが、フェイリンの部屋に表示されている画面を見て呟いた。フェイリンは、他にも3、4つの画面を使って、部屋の中に株式情報、為替情報も掲載している。彼女は定職に就いていないが、こうやって金を稼いでいるのだ。
「そぉううよ」
あくびをしながら、部屋の奥で着替えてきたフェイリンが姿を見せた。コーヒーカップを片手に、セーターを着込んでいる。髪をセットしてきたらしいが、眼鏡をかけていて、化粧っ気が全く無い姿は、レッド系の人種の顔立ちと合わせて、彼女がオタクである事を示していた。
「これを見る限り、大して派手な取引はしていないわね。もし、うちの軍とヤバい取引をしていたりしたら、あいつの部下が見つけているだろうし」
フェイリンの方をちらっと見ただけで、セリアは再び画面を見入った。こうしていると、まるで大学時代を思い出す。
あの時は、セリアにとっても、何もかも忘れたい時期だった。だから、大学に身を寄せていたのだから。
フェイリンは、セリアにとっては、忘れたい事を忘れさせてくれる存在のようなもの。 今、この世界で起こっている現実さえも忘れさせてしまいそうだった。
「と、思ってさ。裏帳簿みたいなのも見つけたんだ。見つけ出すの、大変だったんだから」
と言って、フェイリンは、離れた位置から、セリアの見ている画面を操作した。彼女の指には既に操作リモコンが取り付けられており、彼女の手の動きと連動して画面が動く。
セリアの前には、別の電子化された帳簿が現れた。
セリアは、その帳簿を読み取っていく。彼女は専門的な簿記の知識も資格も無かったけれども、目の前に現れた帳簿は、明らかなものを示していた。
「そぉんなに、この会社が気になるの?『グリーン・カバー』?そんなの上場銘柄にあったっけぇ?」
フェイリンが興味津々と言った様子で、セリアの背後から尋ねて来た。
「一応、あるわよ。でも、気をつけておいた方がいいわ。もし、株を持っているんだったら、早めに全て売り払っちゃう事ね」
「そんなに、ヤバイ会社なの?あたし、知らないけれどもさ」
セリアは、画面に現れている表をチェックしていく。
「当座預金の取引が多いわね。あとは小切手と…。現金では無くて、銀行口座からの取引がほとんどよ。しかも海外口座。取引相手の名前は、『チェルノ財団』って…?」
セリアは画面の前に立ち止まって、帳簿の情報を頭に入れようとした。このフェイリンがハッキングしたものは、軍のよこしたメモリーに入れておけば良いだけだが、セリアはすぐに頭から引き出せるようにと、覚えこんでおくのだ。
「その企業、凄いねえ…。下の方にあるけれども、ビル建設って、何千億もの金額を動かしているんだ。将来有望じゃあないの?」
フェイリンが背後から言ってきた。彼女の言葉が気になり、セリアは『グリーン・カバー』の裏帳簿の一番下をチェックする。
「建物建設って、これ、どういう事よ?『チェルノ財団』から、何千億も受け取っているわ…。国家予算並みじゃあない…」
帳簿にずらりと並ぶ数字の長さに、セリアは思わず息を呑んでいた。
「もし建物建設のためだとしたら、一つの街を作れるほどかもね?その『チェルノ財団』っていうところも、相当の大金持ちなんじゃあないの?」
「ええ、そうね。気になるのは、『グリーン・カバー』が、この金額で一体何をしようとしていたかって事よ。この会社は軍需産業よ。建物の建設って、会社の建物の改築や新築にこんなにかかったりするとは思わない。資金が流れている先が、気になるわ。そう、あとこの『チェルノ財団』っていうところも!」
フェイリンの方を振り向いて、セリアが言った。
「あたしに、調べてって、言っているんでしょ。分かったわ。やってあげる。但し、朝、昼、晩とおごってくれたらだけど」
と、悪戯っぽくフェイリンは言ってきた。 「ええ、いいわ。そのぐらいだったら、おごってあげられるから」
「あらら、あなたらしくないなぁ…。でも、それなら、あたしも話に乗っちゃう!」
と言いつつ、フェイリンはセリアの座っている横の椅子に座り、コンピュータの操作盤を操作して、部屋の中の画面を操りだした。フェイリンの住んでいるアパートの一室には幾つ物が画面が現れ、仮想空間を作り出す。
フェイリンは眼鏡越しに素早く視線を動かしつつ、仮想空間を流れるあらゆる情報を処理し始めた。
「セリア。あなたの子は見つかったの?大学時代からずっと捜しているでしょ」
と、画面を操作しながらフェイリンが話しかけてきた。
セリアは黙り、じっと、フェイリンが動かしている画面を見つめている。
彼女が答えようとしないので、フェイリンはさらに口を動かした。
「軍を辞めた、ってのもさ、あなたは自分の子を捜したかったから、でしょ?でも、これは、軍の仕事だよね?あなた、本当に戻ったの?」
とフェイリンが言ってくる。どう答えようかとセリアは迷ったが、
「わたしの子を捜してくれる協力者が、軍にいたのよ」
それは、リーの事だ。彼に持ちかけられた取引の事を、“協力”とセリアは言いたくなかったが、フェイリンに分かるように言うには、これしかなかっただろう。
だが、フェイリンは、
「子供を捜してやるから、軍に戻れって言われたの?」
と、一旦コンピュータの操作をやめて尋ねて来た。
「そんなとこよ」
セリアは、フェイリンとは目線を合わせずにそう答えた。
「酷いんじゃあない?それって?」
セリアの脳裏にリーの顔がちらつく。あいつが、酷い奴かどうかはまだセリアには分からなかった。『グリーン・カバー』に自ら乗り込み、危険を顧みなかったあいつを、酷い奴。役人だから。と言えるだろうか。
「さあね。でも、もう大分、調査は進んでいるみたいだけど。国防省の国民管理センターですってよ」
「じゃあ、その人との取引はもう終わっているんじゃあないの?あなたは役目を果たしたんだから、もうこれ以上かかわる必要は」
フェイリンにしては珍しく、セリアの事を心配してくるかのように言ってくる彼女。フェイリンの方がセリアよりも3歳も歳が下だったが、まるで姉であるかのように彼女を気遣っているようだ。
しかしセリアは、
「乗りかかった船でしょ。どうせ、他にやる事なんてないんだし。わたしに話を持ちかけてきた連中は、わたしが途中で辞めるなんて言い出したら、多分、取引は中止だ。とか言ってくるでしょうから」
「相変わらず、変わっていないねえ、セリアは」
笑いながらフェイリンが言ってきた。
「何がよ?」
「子供の事も、ずっと捜し続けているし、自分が納得いかないと思ったことは、とことん追求する。納得できるまで立ち向かえるなんて、そんなことができるのは、セリアだけ」
と言ったとき、セリアの携帯が鳴り出した。
「ああ、そう。それは褒め言葉に受け取っておくわ。それよりも作業を続けていなさいよ」
「はいはい」
セリアは携帯電話を耳にあてがう代わりに、イヤホンを取り出してそれを耳に取り付けた。携帯電話を持たなくても通話をすることが出来る。
(セリア?進展はあったのか?)
さっそくリーの声が聞えて来る。彼と出会ったのは2日前だったが、その無機質な声はセリアにとって、昔からの知り合いであるかのような響きを持っていた。
「ええ、進展ありよ。『グリーン・カバー』は、『チェルノ財団』という所と繋がりがあったわ」
セリアはフェイリンの横の椅子から立ち上がり、彼女のアパートの一室を歩き回りながら話し出す。
(『チェルノ財団』?)
「ええ、そうよ、聞いたことある?多分国内の団体じゃあないんでしょうけれど、数千億という金額がやり取りされているわ」
そうセリアが言うと、リーは少し黙ったので、彼女は話を続ける。
「最後に大規模な取引があったのは一ヶ月前なの。わざわざ裏帳簿まで用意して、そこにきちんと記載があったのよ。『グリーン・カバー』は、この《プロタゴラス》市内にある、55番地の土地と建物を『チェルノ財団』に売っているわ」
すると、リーが言葉を返してくる。
(君の言う、その『チェルノ財団』とは、『ジュール連邦』の団体だ。国内で開発が遅れている地方農村などに、医療チームを派遣して診療をしたり、病院を建設したりする…) 「はあ? 何でそんな慈善団体と、この国の軍需産業が係わりをもつのよ?取引内容だって、普通の企業の取引の比じゃあないわ!」
セリアは思わず声を上げていた。
(ああ、だから怪しいな。その『チェルノ財団』について調べる必要があるって事だ。特に『グリーン・カバー』との関係を)
「ええ、だから、たった今調べさせているわよ」
リーの言う事など、セリアは分かっている。セリアは少し苛立った声でそう答えていた。
(信頼できる者なんだろうな、お前が手を借りているって言うのは)
リーが再び疑り深い声で言ってきた。
「ええ、信頼できるわよ。わたしの在職中は、何度も手伝ってもらっているんだから。この子は、軍の情報部で働いていた事もあるから、軍にも記録が残っているはずよ。彼女のことは」
とセリアが電話先に言っていると、フェイリンがちらちらとこっちを向いてきていた。
(そうか。だが、外部の人間にやらすべき仕事ではない。特にこういったデリケートな問題はな。軍の人間にやらせるのが)
「あんた達の軍じゃあ、『グリーン・カバー』の機密データにも入り込めないのに?『チェルノ財団』の情報をつかめたのも、彼女がいたからなのよ。
それに彼女に対する信頼は、わたしがずっと頼ってきていることからも、明らかじゃあなくて?それは記録を見れば分かるはずだわ」
リーの言葉を覆い隠すようにして、セリアは言い放つ。
電話先のリーはしばし黙った後、口を開いた。
(分かっている。だが、完全に信頼しきったりはするなよ。それと、軍の捜査に関わらせるという事は)
「ええ、分かっているわよ。危険に対して常に備えておけ、でしょ」
リーが次に言ってくるであろう言葉を先読みし、セリアは相手の言葉に覆いかぶせるようにして答えてしまうのだった。
(ところで、『グリーン・カバー』が買い取った土地の所在地は分かったのか?)
リーが話を切り出してくる。むしろ今はそちらの方が重要な事だった。
セリアは、画面の前で操作しているフェイリンの方を向いて尋ねた。
「どこ?フェイリン。場所よ。『グリーン・カバー』が買い取った土地と建物は?」
「ええっと、55番地の再開発地区よ。住所は、ここ」
フェイリンが画面を操作すると、そこに、《プロタゴラス市内》の地図と共に、一塊のエリアがマークされた。彼女はものの数分足らずで、裏帳簿の情報から『グリーン・カバー』が買い取った土地の所在まで突き止めてしまった。
「そこ、ね。大分ここから近いわね。わたしの端末に送って頂戴」
セリアは、自分が持っていた携帯端末を、フェイリンのデッキと通信させ、その情報をダウンロードする。
「ここ、再開発地区で、まだ建設ばかりしている所よ。調べた住所でも、まだ建設中の建物になっている…」
と、フェイリンは言うが。
「だけれども、調べてみる価値は十分にあるのよ。何故、この再開発地区を買い取る必要があったのか、しっかりとね」
その時、セリアの耳元のイヤホンにリーの声が響いた。
(セリア。逃げたオットーにつけて置いた発信機だが、お前が調べた再開発地区へと向っているぞ。今、追跡しているが)
リーの言葉に、セリアにはある考えが生まれた。
「その再開発地区だったら、わたしの今いるところからすぐよ。多分、あなた達よりも、オットーよりも先に辿り着けるから、待ち伏せをすることができるわ」
携帯端末に送られた画像をチェックしながらセリアは提案した。
(君が、オットーを待ち伏せる、だと?)
「何よ。その不安そうな声は?」
セリアがイヤホンマイクに向って言い放つ。
(また余計な事をしないでもらいたいと思っていてな。君が下手に手出しをすれば、オットーの弁護士が黙っちゃいない) 「あらそう?でも、後始末はあなたの仕事だからね」
携帯端末をスーツのポケットに押し込むとセリアは、足早にフェイリンのアパートから出て行こうとする。
「フェイリン。助かったわ。ありがとう。もしまた新情報があったら、この端末に送って頂戴」
「はーい。分かったわ。でも、お茶ぐらいしていく時間無いの?久しぶりに会ったんだからさ」
玄関から足早に外へと飛び出していこうとする、セリアの慌しい姿を見て、フェイリンが尋ねたが、
「申し出はありがたいんだけど、今は残念なことにそんな時間は無いわ。今度ゆっくりと、ね。一応、おごりも、その時って事で」
セリアは、フェイリンぐらいの前でしか見せない笑顔を見せてそう言った。
「セリア。また無理したりしないでよ。あなた、熱くなり過ぎて、時々周りが見えなくなるんだから」
「ええ、そのくらい自分で知っているわよ」
と、だけ言い残して、セリアは、フェイリンのアパートから出ていった。
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《プロタゴラス》55番地再開発地区
《プロタゴラス》では、都市再開発が始まっている。首都中央の人口が増大している事もあり、中央には新たな土地が求められていた。時に古い建物や敷地を取り壊し、時に海上を埋め立てて新たな土地を建設する。
最近は、老朽化が目立つ建物と土地が格安で売られ、それを多くの業者が買い取り、新たな建物をそこに建てていくというビジネスが展開されていた。
55番地の中央に位置する、建設中の建物郡もその例外ではない。シートが張られ、鉄骨が剥き出しの建物が幾つも建っていた。
しかしそれは完成すれば、高層ビル街と化すだろう。今の姿とは全く違うビル郡がそこには現れるはずだった。
建設中の区画の建物の中に、唯一一つだけ、人も入ることが出来るほど完成したビルがあった。高さは20階ほどで、全ての建設が終了すれば、ほかのビルに譲ることになるが、今ではそのビルが最も高くなっていた。
そのビルの18階に、何人かの者達が集っていた。まだ内装は骨組みが剥き出しのままのところも多くあったが、人が入ることができないわけではない。
骨組みが剥き出しな事を気にしなければ、オフィスとしても十分に役割を果たしてくれるだろう。
設置されたテーブルを囲って、数人の者達がそこにはいた。
一人の男だけが立ち上がり、他の者達にさながら演説でもするかのように、会話を展開している。
「先方は5人と要求してきました。金は十分に払ってくれでしょう。この取引には、期待をすることができますよ!」
それはスペンサーだった。彼は、いつも彼の横にいる女を秘書のように従わせ、雄弁な口調で話している。
「だが、前の金は全てこの再開発地区の建設で消えた。またその金で建物でも建設する気なのかね?」
会社の役員風の男がそのようにスペンサーに言ってくる。
「いいえ。その金は、今度は彼らをこの地に呼び込むために使います。そうすれば、数兆の利益を出す事も夢ではないでしょう。それさえあれば、一つの国さえも動かすことができますよ!」
スペンサーはそのように言ったが、
「ふん。大した自身だな。数百億もの金が裏で動いていたら、国が黙っちゃあいない。政府は税金にうるさいからな」
嫌味を込めるかのようにして、一人の男が言ってくる。だがスペンサーは、半ば軽蔑するかのような目で彼を見やった。
「あなた達は、分かっていないようですね? あの方や、彼らの恐ろしさが。ただの烏合の衆などと思わないほうが身のためでしょう」
スペンサーの言葉が、ホールに響き渡って、重さを増した。まるでそれがのしかかるかのようにして、テーブルを囲っている者達へと広がっていく。
「しかし、気がかりなのがオットーだ。あいつは非常に多くの事を知っている上に、軍にマークをされてしまった。このまま起訴されるような事があれば」
重々しい空気の中、また別の男がそのように言った。
「ご心配なく。オットーでしたら、すでに対処をしておきました。問題なく片付けることができます。これで我々の情報は外部へとリークしない」
スペンサーが雄弁な口調でそういった。皆の注目が一斉に彼の方へと向けられる。
スペンサーの言った言葉は、ある事を示していたからだ。それはこの場にいる者達にとっては、最後の手段とも取れることだったし、何よりも自分達が目立ちすぎる存在になってしまった事を意味していた。
「本当に、そうなのだろうな?」
「我々の関与が知られてしまったら、困るぞ」
と言ってきた男に、スペンサーは、
「ええ。我々が手を出すまでもありません。彼らが早急な対応をしてくれているお陰で、我々も手を汚さずに済みますよ。」
「手なら、すでに汚れている。軍にもマークされた。もう逃げることはできんかもしれんぞ」
と、一人の男が言った。
「いいえ。全く問題ありません。私が全て対処しますから、ご安心下さい。軍は我々に辿り着くことさえできませんよ」
と、スペンサーが言うと、
「さあ、どうだろうな。お前が『グリーン・カバー』に来て以来、どうも疑わしくて困る。一見すると、お前は敏腕な営業マンのようにも見えるが、もっと大きな何かを画策しているのではないかと、そう思えて仕方が無い」
一人の男がそのように答えた。彼はこの中では最も年配で、『グリーン・カバー』の中でも影響力も強い男だった。だがスペンサーはそんな男の前でも動じない。
「だったら、どうなさるおつもりです?もう引き返すことはできませんよ。あの方の手中の中に入ったからには、もはや、逃れることはできません。ただ従うのみです。例え、この『グリーン・カバー』が、この国の中でも大きな影響力を示していたとしても、あの方の前や、そもそもこの私の前に立ち向かうことはできないでしょう?」
スペンサーはそう言ったが、その場にいる者達は何も言い返せなかった。スペンサーの目の前にいる『グリーン・カバー』の重役達の前でも、彼は圧倒的な存在感を示していた。まるで重役達の方が小物に見えるかのように。
「ご安心下さい。あの方の傘下に入れば、この『グリーン・カバー』は安泰なのですから」
そう言ったスペンサーだったが、会社の重役達は決して安心することはできないようだった。
謎の者達に自分を乗せた車を襲撃されたオットーは、いち早く自分の置かれた状況を察知して、あるビルへと向っていた。
何故自分が、こんな事に。
オットーは、今起こっている現実こそ、しかと受け止めるしか無い事は分かっていたが、何故、こんな状況に置かれているのかに関しては、多くの疑問をぶつけたい気持ちだった。 何故、自分がこんな目に遭わなければならない? 『グリーン・カバー』で重役として、会社に多くのものを貢献して来た。
今ある『グリーン・カバー』の姿は、自分と同志たちであるはずの重役達が作り上げてきたものだ。なのに、この仕打ちは一体何だ?
自問自答しながらも、オットーは走り続け、ある場所へと向っていた。
車も乗り捨てた。もはや頼れる人間もいない。だが、自分の背後には、危険が迫っている。
『タレス公国軍』と、あの者達。
あの者達は、おそらく暗殺者だ。自分を始末しにやって来ているのだ。
理由は、軍に『グリーン・カバー』を探られないためだろう。あの男ならば考えそうなことだ。
オットーは、『グリーン・カバー』が裏でやらせていることについて、あまりに多くの事を知りすぎていた。
だから、それを軍に知られないために、自分を始末するつもりなのだ。
「私だ。ここを開けてくれ」
《プロタゴラス市内》の建設中の施設のゲートの前までやって来たオットーは、ゲートの警備員に向かってそう叫んでいた。
「オットーが、ヘリの離陸の命令を出した?」
デールズはリーに尋ねた。
「ああ。本部がオットーの携帯電話の傍受をした。つい5分前にオットーが、ヘリの離陸の命令を出している。場所は、55番地の、再開発地区のビルのひとつだ。まだ建設中という事になっているが、『グリーン・カバー』重役のヘリポートがここにある」
「奴め。国外に逃げる気か」
リーが言った。
「困ったことに、軍はオットーの身柄の拘束のための確かな理由を持っていない。離陸されて国外に逃れようとしても、ヘリを攻撃することはできない。離陸前に奴を押さえる必要がある」
「セリア? 奴はやはり、55番地の再開発地区へと向っている。ヘリの離陸命令を出しているから、おそらく国外逃亡をするつもりなんだろう。おい聞えているか?」
(聞えているわよ!もうわたしは敷地の中にいるんだから!)
「オットーは、もうすぐ始末されるでしょう。ご心配なく。軍が嗅ぎ付けてきていますが、すぐにカタが付くはずです」
(そうか、それは良かった。こちらの方も順調に物事は進んでいる。もう少しで、我々の計画は完全なものとなるだろう…)
電話の先から低い男の声が聞えてきて、スペンサーはそれに答えていた。
「例の者がこちらにやってくる事をお待ちしております。彼さえこちらに到着すれば」
(ああ、近く、合流するように手配しよう。それと、あいつとも、早々に接触するようにしておけよ)
「は?」
電話先の男の声に、スペンサーは思わず宙を見て、気の抜けたような声を漏らした。
(私が、お前のやらせている、ビジネスについて知らないとでも思うのか?金が動けば、私の元にすぐに情報が来る。お前は、『グリーン・カバー』に与えている金以外にも、随分と金を動かしているな?)
スペンサーは周囲を見回して、辺りには自分達以外には誰もいない事を確認した。
ここは、建設中のビルの中で、自分と、耳の不自由なブレイン・ウォッシャー以外には誰もいない。作業員さえも近付いてこない場所だ。
「い、いえ、それは。少しでもあなたのためを思って、私は」
(お前のビジネスは、私のビジネスだ。分かるな? 勝手な真似は許さん。私が5人と言えば、お前は5人用意すれば良い。余計なチンピラ無勢の力など借りん)
電話先の男の声は大分しわがれていたものの、迫力は十分に持っていた。スペンサーは相手の声に、思わず手を震わせざるを得なかった。
「分かっております。ですが、彼の持つものは、我々にとっても、非常に利用しやすく」
(お前はさっさと身から出た錆を綺麗にしておけ。一国の軍、いや『WNUA』まで動かれると厄介だ)
「は、はい」
スペンサーがそのように言うと、電話先の男は唐突にその電話を切っていた。
スペンサーは、建設中のビルの窓枠に手をかけ、外の景色をじっと見つめる。ブルーシートがかけられたビルが幾つか並び、その先には、《プロタゴラス》の市街地が広がっていた。
スペンサーの背後に、ブレイン・ウォッシャーが歩み寄ってくる。彼女は、スペンサーに話しかけることは出来なかったが、代わりに目の前にある画面が、彼女の唇の動きを読み取った。
スペンサーはブレイン・ウォッシャーの前に流れている画面の字を読み取って答えた。
「彼は、我々のしている事をすでにお見通しだ。勝手な真似をしていると思っている。あの方のためにやっていると言うのに」
スペンサーがそのように言うと、彼の言った言葉が、ブレイン・ウォッシャーの前の画面に文字として流れていく。
その文字に反応したブレイン・ウォッシャーが、唇を動かして画面に文字を並べた。
「“大丈夫なのか”だと。もちろん大丈夫だ。今、あの方にとっては我々を切る事はできまいだろうよ。肝心のあいつが、行動を起こすまではな」
そうスペンサーが言ったとき、彼の携帯電話が振動して着信を伝えた。
「ああ、わたしだ。一体、何の用事だ?」
さっきの電話の男とは違い、スペンサーは今度はぶっきらぼうな声で答えていた。今は電話に出ているような状況ではないからだ。
営業マンとしての姿も、上司に対しての話し方をする必要もない。だが、
「何だと。オットーがここに?ほほう。我々に助けを求めてという事か。馬鹿な奴め。まだ我々が助けてくれるとでも思っているのか」
と言った、スペンサーの言葉は、すぐ側にいる、ブレイン・ウォッシャーの盲人用機器にも伝わり、彼女の目の前の画面に文字を表示した。
「すぐに、カタを付けておけ。ひっ捕らえる必要など無いぞ。あんな奴はもう我々には必要ないのだからな」
「おい!私だぞ!何故ここを開けんのだ!?」
建設中のビルの外、敷地に入るゲートの前では、ベンジャミン・オットーが敷地の入り口に設置されているゲートを激しく叩いていた。
本来ならば建設作業車が敷地に入場するためのゲートだったが、今は硬く閉ざされてしまっている。
ゲートの塀は高い上に、人の力では開くことが出来ない。
だが、オットーならば、この場を通るだけの権限はあったはずだ。『グリーン・カバー』の重役であるということは、こんなゲートで行く手を塞がれるなど屈辱でしかない。
今もゲートの監視員がモニターで、扉を叩くオットーの姿を見ているはずだった。
なのに開かない。
車が襲撃され、ここにやってくるまで、オットーはうすうす感づいていたが、どうやら自分は『グリーン・カバー』から村八分にされてしまっているようだぞと、そう感じていた。
だがまさか、始末まではされないだろうか。
と思ったオットーは、直接重役達に話を付けるため、いつも彼らと秘密の会合を開いているこの再開発地区に来たのだが、
ゲートの前にいるオットーの元に1台の黒塗りの車が接近して来た事で、彼の考えは変わった。
車のウィンドウは開かれ、そこからサングラスをかけた男が顔を覗かせる。その男は銃をオットーの方へと向けていた。
「まずいわね。オットーが狙われている!」
セリアが叫んだ。すぐさま、携帯電話のスマートフォンから、リーの声が跳ね返ってくる。
(救出しろ、セリア。奴に死なれてもらっちゃあ困る!)
「分かってるわよ!」
リーが言い終わるよりも前に、セリアの体は飛び出していた。
彼女は、再開発地区のゲートの前にいるオットーの体に飛び掛り、彼の体を押し倒した。
接近してきていた黒塗りの車からは銃弾が放たれ、それはオットーの体ではなく、ゲートの扉へと命中していた。
「誰だ、お前は!」
と、オットーが目を見開き、セリアの顔を見上げた。
セリアはオットーの姿を空軍基地の取り調べ室で見ていたが、オットーはセリアの顔は知らないはずだ。だから何者だと思っただろうか。
「あんたに一緒に来てもらうわよ!何で狙われているのかって事も全部話して!」
セリアがオットーの体を引っ張りつつ、そう言ったとき、ゲートの前に車が突っ込んできて、セリアは身を交わさざるを得なかった。
その時、オットーの体を掴んでいた手を離してしまう。
「待ちなさいよ!あんた!」
ゲートに突っ込んできた車は急停車し、扉が開かれるとそこから背の高い男が二人姿を見せる。サングラスをかけており、手には銃を持っていた。
地面に尻餅を付いていたセリアと、背中を向けて必死に逃げているオットーは、格好の標的だ。
彼らは何のためらいも見せずに、セリアとオットーに向って銃を放とうとした。
だがセリアは素早く身を起こす。その瞬間、彼女の体は炎が燃え上がるかのような色に輝き、目の前の男に向って拳を突き出していた。
炎のような色に輝いたセリアの拳は、男の体に突き出され、彼の体はまるで鉄球にでも打ちのめされたかのように、背中から黒塗りの車へとぶつかる。
車のボディはひしゃげ、ウィンドウが粉々に割れた。男の体はそこでさらにバウンドして、車の反対側で、オットーへと銃を向けていた男へと飛び掛る。
二人はうめき声を上げ、その場に倒れた。
(おおい、何だ?セリア!一体どうした?)
耳中でリーの声が叫びかける。
セリアの体は再び元の状態に戻り、再開発地区のゲートから敷地に沿って走っていくオットーの後を追っていた。
「今、追いかけてんのよ!話はあと!」
セリアは叫んで、オットーを追い始めていた。
オットーは2つの勢力の人間に追われ、再開発地区の裏口を潜った。普段正面ゲートからしか入った事が無かったから、作業員用の狭い裏口の存在を、オットーは知らない。
それはまるで隠し扉のようにあったから、オットーもその存在を知らなかったし、危うく目を落としそうだった。
背後から追いかけてくる見ず知らずの女は、信じられないほどのスピードでオットーを追いかけてきていた。
さっきの男達は、自分を撃とうとしていたが、あの男達をけしかけたのは、会社の重役連中じゃあないのか
自分はもう用済みだとでも言うのか。そして、知りすぎてしまった情報を、昨日現れた軍の連中に知られないために、始末しにかかっているのか。
オットーはすでにそれを確信に変え、再開発地区に侵入していた。
もし、重役達が自分を狙っているのだったら、この場所には自分を狙っている連中がうようよいるはずだ。
だが、ここに来ないわけにはいかなかった。オットーは、一つの建物を目指して走り出した。
一方、オットーの後から狭い扉を潜り、再開発地区へと潜入したセリアは、複雑に入り組んだ地区に閉口していた。
まるで迷路のように入り組んでいる建設地帯は、工事用資材や建設作業木のお陰で行く手を阻まれ、オットーがどこにいるか目視できない。
セリアが持つ、携帯端末の画面には、オットーがどの位置にいるのかを示してくれていたが、設置されている建設用資材までは表示されていない。
オットーは自分を巻くために、わざとこの再開発地区に入ったのだろうか。
だとしたら、オットーはこの場所をよく熟知している。『グリーン・カバー』とそれだけ深い係わり合いがある地区なのだろうか。
(おおい。オットーは捕らえたか?)
リーが耳の中の通信機で急かしてくる。
「今、奴を探しているのよ!この再開発地区の中、まるで迷路みたいだわ!どこを曲がったら良いかもわかりやしない!」
苛立った声でセリアは言い放つ。彼女は駆けながら携帯端末をチェックし、オットーのいる方向をとにかく目指していた。
(我々も今、到着した。オットーを早く捕らえろ。面倒にならないうちにな)
「うるさいわね!あんたは黙っていなさい!面倒にならとっくになっているのよ!」
オットーを目前にして阻まれる迷路のような地形に、セリアは苛立ちを露にしていた。
(おい、冷静でいろ。オットーを捕らえても何もするなよ。尋問は我々の方でやるんだからな)
セリアの苛立ちの声を聞いても、あくまで冷静でいるリーに、セリアは苦虫を噛み潰す想いだった。
だが、セリアが再び携帯端末に目を降ろしたとき、移動していたはずのオットーの反応が一箇所で停止していた。
セリアのすぐ近くには建設中のビルがあった。どうやらビルの骨組みは完成しているビルらしい。見上げれば20階近い高さがあった。
オットーの反応はそのビルの中で止まっている。
セリアは、携帯端末を立体的な表示へと切り替えた。オットーに取り付けられている発信機からの反応は、高度をどんどん上げて行っている。
速度からしてエレベーター。間違いない。
「とうとう追い詰めたわよ!」
セリアは、そう自分に向って言い放ち、建設中のビルへと走りこんでいった。
「オットーさん?どうなされたんです?そんなに慌てて?」
再開発地区のあるビルの屋上では、一機のヘリが離陸の準備を進めていた。そこへとやって来たオットーは激しく息切れをしており、高級そうなスーツも薄汚れている。
彼にとっては、まるで地獄の中を潜り抜けてくるかのような思いだった。もう初老にさしかかろうという年齢だったし、学生時代にスポーツをやっていたわけでもない。今、特別に体力づくりなどの運動をしているわけでもない。
自分を始末するんだったら、地の果てまで追い掛け回して、心臓発作で殺したほうが確実なんじゃあないか、とそう思えてくるほどだった。
「り、離陸の用意はできているか?」
と、オットーはヘリコプターの準備を進める操縦士に尋ねる。まともに舌も回らないほどに疲弊していた。
「え、今すぐですか?それはちょっと無理みたいですね」
操縦士は全く緊張感の無い声でそのように言ってくる。オットーにとっては、一刻も早くこの場から逃れたいというのに。
「何だと!電話ではすぐに発つと言っただろう。1時間も前に電話をした!」
オットーは、まるで緊張感の無い操縦士に苛立ち、そのように言い放った。今すぐにもこの場から飛び立ちたいのに。こいつにはそんな気すらない。
「いや、ですね。いつもならばもう発てるんですが、政府から飛行禁止令が出されているんですよ。特別な飛行許可証が無ければ、離陸さえできないんです」
操縦士はオットーを乗せる様子など無く、諦めてくれと言わんばかりの表情を見せた。
「駄目だ。そんな事は許さん。今すぐ離陸しろ」
しかし、そんな操縦士に対して、オットーはナイフを向ける。そのナイフは、オットーが自分の車の中に護身用として隠しておいたものだった。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ」
操縦士は突然顔色を変えて言った。
「どうだ?分かっただろう?早くこの場を飛び立て。私は、国外逃亡をしなければならないほど、やばい状況に置かれているんだ。何をしでかすかなぞ、分からないぞ!」
オットーを追うセリアは、彼が入っていったと思われる、建設中のビル内へと入っていった。
そこはまだ鉄骨がむき出しの建物内で、階段もエレベーターも見当たらない。オットーはどのように上に向っていったのかと、周囲を探るセリア。
その時、彼女は、背後から飛んできた、空気を切り裂く気配を感じ、素早くその場に身を伏せた。銃弾がセリアの元へと飛んできて、それが、頭の上を通過していったのだ。
「何?誰よ!」
セリアは素早く、銃弾が飛んできた背後を振り向く。するとそこからは、サングラスをかけた、黒服の男達が数人現れて、セリアに向って銃弾を放ってきていた。
何の警告も無しの銃撃だった。セリアは溜まらず、近くにあった鉄骨の支柱の背後に隠れる。
銃弾が鉄骨に当たるのを背中で感じながら、セリアは、現れた男達が何者であるか、整理しようとした。
おそらく、こいつらは、オットーを狙っている連中だ。彼の知りすぎた情報が『タレス公国軍』側に漏れ出さないように、こいつらは動いている。
そして、ここは『グリーン・カバー』の所有する再開発地区。この連中は、『グリーン・カバー』の私設部隊か何かだろうか? そして今、彼らはオットーを消しにかかっている。多分、彼の前に現れる邪魔者も同じようにして。
だが、こいつらが本当に『グリーン・カバー』の私設部隊なのだろうか?やっている事があまりに目立ちすぎている。
『グリーン・カバー』のような、表向きはまともな軍需産業がやるようなやり口じゃあない。
こいつらは、違う何者かだ。
とセリアが結論付けたとき、鉄骨を回り込んできて、一人の男がセリアに向って銃を発砲した。
しかし、セリアは瞬間その銃弾をかわし、男の懐に潜り込むと、その銃を奪い取りつつ、回し蹴りを食らわせた。
蹴りを放つ瞬間、セリアの体はオレンジ色の光に輝き、炎のように噴き出して、男の体を吹き飛ばしていた。
セリアの蹴りを食らった男の体は、ビルの剥き出しの鉄骨へと飛ばされていき、そこにめり込むように激突していた。
セリアはすでに見つけていた。このビルには、建設作業用のエレベーターがある。2基あって、そのうちの一つはすでに上へと上っていってしまったようだ。もう1基だけがここの階に残されている。
セリアは、そのエレベーターに向って走り出していた。
鉄骨の支柱の影から飛び出したセリアに向って、男達は一斉に、銃を発砲してきた。建設中のビル内部に激しい音が何度も反射し、セリアはその中を転がりながら、エレベーターの方へと向う。
その時、彼女の目の前に立ちはだかる一人の男の姿があった。黒服でサングラスをかけたその男は、セリアに向って銃弾を正面から放ってくる。
だがセリアは、臆することなく、その男の正面から飛び掛っていった。目の前から発射された弾丸を、セリアは拳で弾き落とした。痛みは感じるが、彼女の拳は銃弾に勝るほどの破壊力を持つ。彼女に弾が命中するようなことは無く、代わりにセリアは拳を突き出し、目の前の男を打ちのめす。
セリアの拳から大きな衝撃が生み出され、目の前の男はきりもみしながら吹き飛ばされた。
セリアが、高能力者だからこそ可能な力だった。
彼が飛び込んでいったのは、建設作業用のエレベーターで、ビルの上層階へと向うことができるようになっている。
セリアはその中へと飛び込んでいった。彼女を追撃するかのように、銃弾がエレベーターのフレームに命中するが、セリアは、構わず上行きのスイッチを押し、エレベーターを覆っている柵の中に身を埋めた。
黒服の男達が、エレベーターに到達するよりも前に、セリアを乗せたエレベーターはビルの上層階へと向って移動していく。
「何だ?何だ?銃声だ!銃声がしたぞ!」
一方、部隊を引き連れて再開発地区へとやって来たリーは、建設現場の内部から聞えてきた激しい銃声を耳にしていた。
すぐに軍の部隊は、行動を開始し、再開発地区の内部へと足を踏み入れていく。
「全く、セリアめ。また無茶をしているな」
リーは6連発リボルバーの弾装を確認してそれを片手に持つ。車から降り立ち、その感情が篭っていないロボットのような目線を、建設中のビルへと向けていた。
「おい!まだ飛び立てんのか!もう待ってはいられないぞ!」
ビルの屋上では、ヘリが今まさに飛び立とうとしている所だった。しかしながら、プロペラこそ回転しているものの、機体は少しも持ち上がらない。
操縦士にナイフを突きつけているオットーは、待ちきれない様子で言い放った。しかし操縦士は、
「ええ、今やっていますって!ですが、オットーさん。良いんですか?今は航空警戒が敷かれています。万が一の場合、軍によって撃墜される事になりかねませんよ?」
ヘリの操作盤を慌てた様子で操作しながら、オットーに向って言っていた。
「地上にいたって、私は捕まるだけだ。こうなったら、とことん逃げてやるのだ。とりあえず、公海に出ろ。後は私が指示を出す」
「分かりました。離陸します」
操縦士がそう言い、彼が操縦桿を握ると、ヘリは飛び立ち始めた。
「待ちなさい!しまった!」
屋上へと駆け込んできたセリアだったが、目の前で、オットー達のヘリは飛び立っていた。もうセリアがジャンプしたって届かない高さにまでヘリは上昇している。
「待て!オットー!待ちなさいッ!」
セリアは屋上で飛び上がってオットーに向って叫びかけるが、結局は無駄な足掻きのようだった。
(おおい!どうしたセリア?オットーはどうなっている?)
ヘリが飛び立つ際のうるさい音に混じって、リーの声がセリアの耳元で響く。
「オットーのヘリが飛んでいくのよ? どうにかして捕らえられない?」
(このまま無線で降り立つように説得するが、応じないなら爆撃するしかない)
そのリーの言葉は、つまり手出しができないと言うことに他ならなかった。
「爆撃したら、あいつが死ぬじゃあない!生かしたまま捕らえなかったら、『グリーン・カバー』にも、あのジョニー達にもたどり着くことはできないわよ!」
と、セリアが言い放ったときだった。
突然、空中を切り裂くような音が響き渡り、何かがセリアの頭上を横切った。その音は、オットー達を乗せたヘリに向って行きぶつかる。
瞬間。オットーを乗せたヘリは爆発を起こし、炎を空中に振り撒いた。あまりに強烈な爆発だったせいで、セリアのいる場所にまで衝撃波はやってくる。
セリアの顔は薙ぎ倒され、ビルの屋上の足場に叩き付けられる。
だが素早く起き上がり、爆発が起こったほうを向いた。 空中にまだ煙が残っているが、オットー達を乗せたヘリは跡形も無い
セリアのいた位置にまで、ヘリの破片は飛び散ってきており、プロペラの残骸が、炎を纏ったまま、転がってきていた。
(おおい!セリア!どうしたんだ?オットーがやられたのか?オットーのヘリが爆撃されたのか?)
セリアの耳に入った通信機に、リーからの声が聞えて来る。セリアは、しばし、屋上の足場に身を伏せていたが、これ以上ヘリの破片が飛んでこない事を確かめると、ゆっくりと身を起こした。
「ええ、そうよ。あんたがやらせたわけじゃあないのね」
(オットーは、大切な証人だ。それを爆撃しろなんていう命令は出さん。今、この再開発地区を閉鎖するように命令を出した。君もすぐに下に降りて来い)
リーの言葉を耳で聞きながら、セリアはゆっくりとその場から立ち上がった。
まだ、足元がふらついている。ヘリが爆発したときの爆風で転ばされて、どこか頭を打ってしまったようだ。
「全く。誰よ。こんな事をやらせたのは」
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西側の国にて―。テロリストのバックにいる存在が、巨大軍事企業であるグリーン・カバーであると知ったリー達はその重役を追い詰めるのですが―。 | ||
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