夏の終わりに、僕のヒマワリは枯れました。
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夏の終わりに、僕のヒマワリが枯れました

 

 ひらりひらりと、夏がすすむにつれて花びらが散っていくのはどんなに鈍い僕でもわかった。ただ僕はそれをどうすることもできなくて、毎日たっぷりの水をあげてみたり、効果が期待できると噂の肥料をやってみたり……。止めることができないのはわかっていた。でも枯れてほしくないから、僕はどんな苦労も惜しまなかったんだ。満開のヒマワリを、もう一度だけ見たかったから。

 

 

 

 八月二十日、左手に姫向日葵を三本持ち、僕は病院への道をまっすぐに歩いていた。家から歩いたら三十分以上かかるし炎天下で大変だけど、僕のヒマワリの元へ行くためだったら耐えられる。バイクや自転車に頼らず、自分の足で向かいたかったんだ。

 服の袖で汗をぬぐいながら、こまめに水を飲んで、ようやく病院についた。受付で面会に来たことを伝え、病室にまっすぐ向かった。ドアをノックし、返事が返ってきたことを確認してドアを開いた。僕のヒマワリは僕を確認するとにっこりほほ笑んでくれた。

 

「啓太、今日も来てくれたんだ、ありがとう」

 

 その声と笑顔に僕はいやされた。ここまで来たしんどさなんか一瞬で吹き飛んでしまう。

 

「来ないわけないだろ。俺は夏美の恋人なんだぜ」

 

 自慢げに言うとヒマワリ、夏美はおかしそうに笑った。ひとしきり笑って僕の左手を見た。姫向日葵を愛おしそうに見つめて僕に視線を戻した。

 

「ほんとうに、いつもありがとう」

 

 やわらかく笑って、やわらかい口調で、とてもやさしい言葉をかけてくれる。だからこそ僕は彼女に惚れたんだ。

 夏美、たまに名前とイメージとが一致しないように感じることがある。夏美はいつも優しい。春の陽だまりのような、そんな優しさだ。夏の強い日差しや、危険を感じるような季節とはどこか違う気がする。ただ一つ、彼女にぴったりだと思わされたイメージが一つだけあった。僕が夏で最も美しいと思っている花、元気に笑い人を喜ばせる……。そう、まるでヒマワリのようだと思った。そんな彼女のそばにいられる僕は、とても幸せだった。

 部屋に置かれている花瓶を持ち、そばにあった洗面台に古い水を捨てた。昨日持ってきた姫向日葵は少し元気をなくしている。この病室では日に当たれないからだろう。その様子すら彼女を見ているようで、どこか痛々しかった。

 水だけ変えてそのまま花を生けようとする僕に夏美からの非難が飛んできた。

 

「ちゃんと全部水切りしてよ」

 

 僕はめんどくさいと思い、いやそうな顔を夏美に向けた。

 

「ここじゃ太陽を浴びれないんだから、水くらい美味しく飲みたいじゃない」

 その言葉を聞くと僕は断れなかった。夏美からはさみを借り、水を流しながら茎を一、二センチ切る。そうしてから花瓶に生けるとようやく彼女は満足した表情を見せた。僕もその表情に満足し、いたずらっぽく笑って見せた。

 

 

「ああ、そうだ。忘れてた」

 

 僕はポケットに手を突っ込み、奥のほうでくちゃくちゃになった小さな袋を取り出した。夏美はそれを不思議そうに眺めて僕の目を見た。僕は得意げに笑ってみせる。

 

「これ入れると切り花が長持ちするらしいんだ。使っていいだろ?」

 

 僕がそういうと夏美は嬉しそうに笑ってうなずいてくれた。そのあとはくだらない話をして、僕なりに夏美を元気づけた。気がつくと時計の針は六時を指していて、さすがに帰らなければならなくなった。

 

「じゃ、明日もまた来るから」

「無理しなくてもいいよ」

 

 無理してないと心の中で言いながら眉を下げて見せた。

 

「俺が夏美に会いたいから来るんだよ」

 

 そういうと夏美は恥ずかしそうに、でもうれしそうに笑ってくれた。夏美の最高の笑顔が見れるのが僕の一番の幸せだった。だからまた会えると信じて、きっと笑ってくれると信じて僕は毎日病院へ通っている。なぜなら最近、日に日に夏美の表情が暗くなっていたからだ。体も徐々に痩せ細り、みるみる頼りなくなっていることがわかる。日の当たらない病室で、ヒマワリは弱りきっていた。

 

―――

 

「どういうことだよ」

 

 翌日に僕が病室を訪れると、夏美は信じられないことを口にした。

 

「だからさ、別れよ。疲れちゃった」

 

 夏美の言葉が信じられない。目の前の現実を受け入れたくなかった。

 

「何でだよ! 俺が気に食わない事でもしたのか? 何でも言ってくれよ、直すから!」

「そうじゃないよ」

 

 勢いに任せて叫ぶ僕に、夏美はしたたかに言った。向けられている視線が強く、背けることができない。夏美の言葉が本気であることがわかった。それと同時に、大きな嘘がかくされていることに、その時の僕は気付けなかった。

 

「直すっていっても無理だよ、全部だし。もう合せるのも疲れたんだよね。啓太って子供みたいなテンションで、なんかいっつも一方的に話してくるし、入院したら毎日来るしさ、暑苦しいよ。私いま療養してるの。だからもう来ないで」

 

 夏美の言葉にカチンときた。悲しいのもある。でもそんなところ見せたくなかったんだ。だからこみあげてくる怒りにまかせて壁をたたき立ち上がった。

 

「ああそうかよ! 俺だってお前みたいな女願い下げだ。次はもっと遊び上手な女を探してやるよ。お前なんか一生このベッドで寝てろよ、じゃあな!」

 

 僕はそのまま病室を出て思いきりドアを閉めてやった。収まる気配のない怒りを込めて壁を思いきり殴る。看護婦さんが注意してきたが聞く耳なんて持てない。ズガズガと歩き病院の外へ出た。

 

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早足で家に帰ると、夏美との品を乱暴に壊していった。写真もプレゼントも一緒に買ったブレスレットも、何もかも処分した。

 最後にベランダに出てまだ花びらを残している向日葵を抜こうとした。しかし茎をつかんだところで止まってしまった。夏美と一緒に植えた向日葵を抜くことだけは出来なかった。夏美をここまで愛していたことを思い知らされ、捨てられた悔しさと悲しさに涙が出始めた。誰よりも愛していた。彼女の笑顔がすべてだった。それを売り言葉に買い言葉で彼女を傷つけ、それによって自分が一番傷ついて帰ってきてしまった。今更謝りに行くこともできず、行き場を失った感情はすべて涙となって流れる。

 

「夏美……、僕を捨てないでよ……」

 

 いつもの虚勢すら張ることができず、一番もろい自分が出る。こんな自分を唯一見せられるのも夏美だった。もうそんな相手すらいなくなったのだ。僕は涙腺が壊れてしまったのではないかと思うほど泣いた。一晩中、夏が終わりかけて花弁を散らすヒマワリのそばで。

 

 

 

 夏美と別れてからというもの、何をする気も起きず、時間の感覚まで忘れた。あれから何日経ったのか、今日が何日なのかさっぱりわからない。食欲もろくにわかず、自分の周りにはインスタントラーメンや栄養補助食品などの空が散らかっている。風呂に入ったのもいつだったか、自分が何のために生きているのかもわからなくなった。

 さすがにこの生活は不味いと思い、変えなければとは思っている。しかし、完全に気力を失ってしまっていた。とりあえずシャワーを浴びようと立ち上がり、ふらふらと浴室に向かう。途中で見た鏡に映る自分はひどい有様だった。

 風呂場で体と髪を洗い出てくると携帯が鳴っていた。特に相手を確認せずに出ると、夏美に似ているけど違う人物の声が聞こえてきた。その人物から聞かされた言葉に、僕は自分の耳を疑った。急いで服を着替え、バイクで病院へ向う。

 

 

 

 病院に着くと中年の女性が僕のほうに寄ってきた。一目見ただけで分かった。会ったことはないけど、夏美のお母さんだ。すぐに連れて行かれた先は手術室の前だった。赤いランプが点灯しており、この中に夏美がいるのだと察した。話を聞くと、容体が変わる少し前に僕の名前を呟いていたらしい。そして夏美の携帯から探し当て、僕に電話してきたらしい。

 僕は言葉がないとわからないから確信は持てないけど、夏美ももしかしたら、あの事を後悔していたのかもしれない。そう思いながらベンチに座りながら時が過ぎるのを待った。五時間後、ランプが消えて扉から医師が出てきた。おじさんとおばさんに何やら話をしている。今僕が聞くのはこの二人にも、夏美にも失礼な気がしてきかないようにしていた。しかしおばさんが泣き崩れ、おじさんの目が閉じられるのを見ていやでもわかってしまう。望ましくない結果であったのだと。

 僕もうなだれ、すっかり落ち込んでしまった。おじさんとおばさんが手術室に案内される。夏美に会いに行くのだろう。僕はしばらくここにいることを決め、静かに待った。

 

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 しばらくして体を揺すられる感覚で起こされる。最近はろくに眠れてすらいなかったため、そのつけが今来ていたのだろう。顔をあげるとおじさんがいて、僕に来てほしいと言ってきた。夏美は先ほど病室に運ばれたらしく、あの日が当たらない病室へ向った。夏美は安らかに眠っており、もう死んでいるのではないかと思ってしまう。しかしただ眠っているだけらしく、安心から大きなため息が出た。だがやはり、もう長くはないらしい。

 僕たちの関係を夏美は黙っていたらしく、今までのことをすべて話した。夏美との思い出を話していると何度も泣きそうになる。そうしているとすでに数時間が過ぎており、小さな窓から青空が見えた。その空が美しすぎて、なんだか悲しかった。そしてもうひとつ感じたのは、これも夏美らしいということだった。きれいですべてを包み込む鮮やかな青空は、夏美のようだ。

 僕がそう感じていると夏美が目を覚ました。おじさんたちが駆け寄り声をかける。夏美は精一杯の笑顔を見せ、小さな声でしばらく二人にしてほしいと言った。おじさんたちは部屋を一度出て行き僕たちを二人にしてくれた。気まずい空気の中、先に口を開いたのは夏美だった。

 

「この前はごめんね、あんなひどいこと言っちゃって」

 

 僕だって人のことは言えない。夏美が謝る必要はなかった。

 

「私ね、気づいてたの。もうそんなに生きられないって。だからどうにか別れて、啓太を自由にしてあげなきゃって思った。でも、あんなひどいこと言っちゃだめだよね」

 

 僕は何も言えない。夏美の思いを最後に受け止めてあげないと。いつも元気にふるまう夏美だけど、本当は辛かったんだと伝わってきた。だから、最後まで話を聞く。でも、顔は上げられなかった。

 

「啓太は啓太でいいんだよ。優しくて弱虫なほうが啓太らしい。私たちお互いに虚勢貼ってたから、辛かったよね」

 

 泣きたい、泣きたい、泣きたい。でも今一番泣きたいのは夏美のはずなんだ。僕は今は泣けない。

 

「ありがとう」

 

 その一言に僕は思わず顔を上げた。なぜその言葉を言われるのかわからなかったから。でも僕が見た夏美の顔は、涙にぬれても最高の笑顔で笑ってくれていた。今まで見てきた中で、一番美しい。

 

「ずっとそばにいてくれて、ありがとう。すごくうれしかったんだよ」

 

 僕はその言葉に泣いてしまった。しかし奥歯をかみしめて、勇気を振り絞って声を出す。

 

「僕のほうこそ、ありがとう。いつも笑ってくれて」

 

 夏美は唖然とした顔をした。僕はもう涙をこらえきれなかった。

 

「そしてごめんね、夏美より素敵な人なんかいないのにひどいこと言って。夏美と過ごした時間は楽しくて、僕に勇気をくれて、今も僕の背中を押してくれて……、本当にありがとう」

 

 夏美も僕もたくさん泣きながら笑った。一緒に過ごした時間と残り少ない時間を噛みしめながら。おじさんたちも戻ってきて、最後に談笑して、夏美は笑いながら亡くなった。ただその笑顔が、今まで見た中で最も美しく、最高の、何にも代えがたい笑顔だった。それが、八月三十一日の出来事。

 

―――

 

 通夜も葬儀も速やかに行われて、一週間という時間があっという間に過ぎた。僕は断ち切れたとは言えなくても立ち直り始めて部屋の片づけをはじめた。部屋の中がだいぶ片付きベランダに出ると向日葵は茶色く染まっていた。しかしそこにはたくさんの種をつけ、僕を励ましてくれている気がした。種を回収して枯れた向日葵を片付ける。来年もこの種から最高の花が咲くことを願った。

 

 

 僕の大事なヒマワリは夏の終わりとともに枯れてしまった。でも、最後まで僕を元気づけてくれたヒマワリの最高の笑顔を、僕は絶対に忘れない。夏の終わりの空に僕は誓った。

 

 

End

説明
夏の最も美しい花は、最高の笑顔をくれるヒマワリでした。


はじめまして、クローク-clork-と申します。お目にとめていただきありがとうございます。
夏の終わりの悲しくて切ない話を書きました。どうぞよろしくお願いします。

追記・見づらいような気がしたので改行を増やしました。
追記2・後書きのような何かです。 http://blog.goo.ne.jp/chesya_bad-apple/e/db2f3534f8dee36f62e8658e61b021b9
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