少女の航跡 短編集06「ファンタスマ」-2
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「そんな! もう一週間も経っているんですよ! 絶対に何か、おかしいですって!」

 《シレーナ・フォート城》の上層階に、子供が出すような、悲鳴にも似た声がこだました。

 その声の主は、『セルティオン』王家の執政官を務める、フレアー・コパフィールドだった。小柄な体格に魔法使いの衣装を身に付け、顔も、童女のようにあどけなかったから、まるで彼女は、本物の子供のような存在だった。

 誰が見ても、一つの王国の執政官には見えないだろう。

「フレアー様、どうか落ち着かれて…!」

 とフレアーの傍にいた黒猫が人の言葉を介して言った。彼女の使い魔であるシルアも、慌てて正気を持っていないフレアーを宥めようとする。

「ああ、そうだな。だが落ち着かれよ。コパフィールド殿。きっとあの方は自分で何とかなされる」

 ピュリアーナ女王はそう言って、目の前のフレアーを落ち着かせようとした。相手はまるで子供のような姿こそしているが、立派な同盟国からの執政官。扱いはあのイザベラと同等のものでなくてはならない。

 しかし、フレアーの方はと言うと、

「あの人は、あたしのお母さんなんですよ! 確かに、100以上もの歳月を生きていらして、あたしとは比べ物にならない程の魔力を操ることが出来るかもしれません。でも、でもっ!」

 母親であるイザベラとは違い、フレアーには、どうしても落ち着きと言うものが無かった。そういった所が、フレアーをさらに幼く見せてしまっている。

「落ち着かれよ、フレアー殿。貴女の母上は、そうそう簡単にこの世から消え去ったりはしない。それは貴女が一番良く知っているだろう」

 礼は失していない。だが、フレアーの心の奥底にまで響き渡るような声で、ピュリアーナ女王は言い聞かせていた。

「う…、はい…、分かっております…」

「フレアー様。私めも、イザベラ様には長らくお仕えしましたが、よく分かっているつもりです。イザベラ様は、絶対にご無事なはずです」

 シルアが再びフレアーにそう言った。

 その時、王座に着いていたピュリアーナ女王は立ち上がった。彼女が立ち上がると、その真っ白な翼から、必ず一枚は羽が落ちる。

「貴女の母上、イザベラ殿がいなくなったのは、この《シレーナ・フォート》の港部地下に位置する、第7地下水道だと思われる」

 そう言って、ピュリアーナ女王は、壁にかけさせて置いた、古めかしい地下水道の地図へと歩み寄った。

 複雑な、迷路のような図面がそこには描かれている。多分、地図を持って地下に潜ったとしても、迷ってしまうに違いないほどに複雑だ。

「この地下水道が出来上がった頃、それは100年近く前になるが、《シレーナ・フォート》はまだ建設の真っ最中だった。港への拡張を目指し、次々と建設が行なわれ、海を埋め立て、どんどん広げていったわけだが、何層にも渡って改築が行なわれていたため、地下水道も、古いものから、新しいものまで入り乱れる形となってしまった…」

 ピュリアーナ女王は、何もかも見通すかのような瞳を地図へと向け、更に人間と比べれば長く、爪も伸ばした指で、地図を辿っていく。

「貴女の母上が入られたのは、最も古い区画の一つだ。一説には、精霊さえも住んでいると言われている…。

 この辺りは、地上に港の役場も建っているから、地下水道も、多くの下水を流すため、集積施設がある。どの地下水道もそこに通じているから、向うならば、この辺りだろう。おそらく…」

 ピュリアーナ女王が指差したのは、港の地下水道でも中心部に位置する大きな広間だった。

 どうもそこには、多くの水道管が集中しているらしく、その広間を中心として放射状に道が伸びていた。

「私の、お母様はそこに?」

「おそらく…、だが…。しかし貴女は、精霊と話ができるだろう…? 地下水道には、住み着いている精霊もいるという。その者達と話ができれば、貴女の母上とも出会えるはずだ…」

 ピュリアーナ女王の言葉に、フレアーは頷いていた。だがシルアは、

「地下水道ですか…、私めは、あまり良い思い出がありませんな…」

 と、小さな声をフレアーの足元で立てていた。

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 一人のシレーナに連れられ、フレアーとシルアは《シレーナ・フォート》の港へとやってきていた。

 この1週間の間に、二人も魔法使いがやって来た。港の民は興味津々の様子である。

 元々、《シレーナ・フォート》には数え切れないほどの亜人種が住み着いていたのだが、その中でも魔法使いは非常に珍しい存在だった。

 何しろ、魔法使い達は自分達自身で、種族にいる者達全員の名前を挙げられるほど数えるほどしか、存在していない。

 そんな魔法使いが2人もやって来れば、注目の的である事は間違いなかった。

 だが、同じ魔法使いが2回やって来たのかと思えるほど、《シレーナ・フォート》にやって来た魔法使いは非常に良く似ていた。

 実際、フレアーとイザベラは親子だったし、2人とも紫色の魔法使いの装束、そして栗色の髪や、緑色の瞳が良く似ている。

 ただ、フレアーは、栗色の髪を頭の後ろで2つの三つ編みにしていたが、イザベラはその髪をただ後ろに流している。そうした外見上の違いはあった。

 フレアーは、港へと降り立つと、周囲の視線など全く気にすることなく、真っ直ぐに母が行方不明になったという、地下水道を目指した。

 

 

 地下水道には、シレーナは入っては来られない。それはフレアー自身も良く知っていたし、例えシレーナ以外の護衛を付けてもらうことが出来たとしても、それはフレアー達、魔法使いの仕事にとって、大きな障害となる。

 魔法使いたちを助けてくれる精霊たちは、あまり人間や、粗野な性格の亜人種の前には姿を出したがらないからだ。

 彼女は幼い姿ながらも、そういった事をしっかりと理解していたし、人を捜すという任務は実際に何度も請け負っていた。

 もちろんそれは、フレアーが執政官である以上、国家の要人だったり、王室の関係者ばかりだったわけで、実の母や、一緒に姿を消している子供達という捜し人は初めてだった。

 まして、こんな下水を流す地下水道での捜索など…。

「ううう…、匂うなあ…」

 思わず顔を覆ってしまいたくなるほどの臭い。本当に母はこんな所にやって来たのかと疑わしくなってしまう。

 この地下水道には、自然界では決して現れないような、とても濃く、そして汚い水が流れてきている。空気も淀んでいて、流れというものが感じられない。

 フレアー達、魔法使いは、人間よりも遥かに敏感肌だったから、そういった匂いをよけいに感じてしまうのだ。

 だが、彼女は母を求めて先に進んだ。

 手にした、母より与えられた、かしの杖を握り、その先端部に火を点す。その火は、フレアー自身の魔法の力によって生み出されていたから、かしの杖自体がもえて燃えているわけでもなく、かしの杖に燃え移る心配も無い。

 フレアーはそれを両手で握り締め、前へと進むのだった。

 

 

 しばらく地下水道を進んで行くと、先の方から声が聞えてきた。最初は下水が流れている音かと思ったが、どうも違う。それは、はっきりと意味を持った声だった。

「うわぁ〜! やめてよ〜!」

 女の子の声だった。フレアーは自分自身の外見と同じくらいの年頃の女の子を想像する。

「ほらほら! 追い掛け回せ!」

「大人は出て行けよぉ〜!」

 次いで、口々に男の子たちの声が聞こえてきた。こちらも年ごろは同じくらいの子達の声で、それほど遠くない場所から聞こえてきているようだった。

 やがて、何かがこっちにやってくる姿がフレアーには見えた。真っ暗な中を、松明だけで照らしているからよく分からないが、人が、それも子供が走って来ているように思える。

 そして、それ、はあっと言う間にフレアーとの距離を詰めた。

 全く避けるような暇もなかったし、下水道の細い道の上だったから、避けられる場所もなかった。

 フレアーは、目の前に走ってきた女の子の姿をした何かとぶつかる。思わず、人にぶつかったかのように身構えたフレアーだった。だがそれは女の子ではなく、下水の塊のようなもので、フレアーにぶつかった瞬間に砕け散り、下水となって彼女へと降りかかった。

「う…、く…」

 凄い悪臭がフレアーの鼻を突いてきた。これはこの地下水道を流れている下水と同じ匂いだ。それも、何倍も濃くしたかのような臭いがする。

 しかしそれだけではない、フレアーが被った下水は、何か、不思議な力を持っていた。実際に肌で触れる事によって、フレアーはそれを理解した。

 これは、下水が、魔力を持っている。それも、はっきりとした意思を持つ魔力だ。

「ああぁ…。ごめんなさい…。あたし、前を見ていなかったものだから…、つい」

 見下ろすとそこでは水が集まって、何かの形を形成している。人の姿が現れ出し、あっと言う間にフレアーほどの体格の姿となっていた。

 どうやら、この地下水道には精霊が住み着いていたようだ、とフレアーは理解した。

「ごめんなさい。あたし、追われていたの。だって、あの子達、ひどいよ…。あたしが、精霊だって分かったら、すぐに追いかけまわされて…、

 “大人は出ていけ”って」

 水から出来上がった精霊は、とても悲しげな声でそう言った。水で出来上がった姿だという事を除けば、その姿は人間の少女のようである。

「はあ…?」

「あれえ? あなた、前にも会わなかったっけ? まだこんなところにいるの?」

 きょとんとした様子で精霊が、フレアーに尋ねてきた。それは母のイザベラの事だな、とフレアーはすぐに理解した。

「え…、ああ…、それ、あたしのお母さんなの。だから、あたしは、その魔法使いとは、別人」

「え、ええええ? あんな小さい子に、同じくらいの体の大きさの子供がいたの?」

 と、精霊に驚かれてしまうフレアーだったが、

「やーいやい。出て来い! 大人!」

「ぼく達の遊び場に入ってきたら、どんな事になるか、思い知らせてやる!」

 地下水道の近くから、男の子たちの声が聞こえてきた。どんどんこちらへと迫って来ている。

「え、えーん。酷いよ。大人だなんて…。あたしは、身も心も若いから、子供の姿をしているのに!」

 精霊は突然、泣きだしたかのようにフレアーに言った。体が水から出来ているような精霊が泣いているのかどうか、フレアーにもさすがに分からなかったが、

「あの子供たちは、一体何なの?」

「しらないけど、あの子供たちは、ユーレイだよ! ユーレイ! あたしの方が先にこの場所を縄張りにしているんだって言うのに!」

 と、水の精霊はいきなりフレアーに向かって叫びかけてきた。

「ユーレイって、はあ?」

 フレアーはそう驚くなり、地下水道の向こう側からやって来る男の子たちの姿を見た。そこに迫って来ている男の子達の姿は、精霊の姿のように向こう側の景色が透けてしまっている。

 ただの子供たちでないという事は明らかだった。かといって精霊でもないようだ。

「やーいやーい!」

 向こう側からやってくる男の子達は、手に棍棒のようなものを持っている。どうやらそれで精霊を追い回していたようだ。

「ちょっと、あなた! 一緒に来て、助けてよぉ!」

 精霊が無理矢理フレアーの手を掴んでくる。水の精霊は、こちらから触れる分には本物の水のように透過してしまうのだが、相手側からは掴むことができる。

「助けるって、ど、どこへ?」

「フ、フレアー様ッ?」

 フレアーとシルアがそのように言い切るよりも前に、水の精霊は、地下水道の下水の中にフレアーの体を引きずりこんでしまった。

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 フレアーは激しくせき込みながら、下水の中から引き上げられていた。

「ご、ごめーん! あの、その。魔法使いだったら、水の中でも息ができると思っていたものだから…」

 水の精霊は、戸惑いつつもフレアーにそのように言っていた。フレアーは、水の中に引きずり込まれた上に、水の精霊と一緒に泳がされてしまい、息継ぎもできないままに、どこか知らない場所へと運ばれていたのだ。おかげでシルアともはぐれる結果となってしまった。

「…、か…、体の構造は…、人間と変わらないんだから…、い、息ができるわけないでしょ…。それに、ううう…」

 フレアーは、自分が、頭から足の下まで下水の中に入ってしまったという事を、悪臭から痛感するのだった。

「あ、あの…。私はフィーネって言うの。あなたは…?」

 水の精霊は名乗り、フレアーに尋ねて来る。フレアーは咳き込みながらも、水の精霊の姿を見上げた。水中の中に、着の身着のままで引きずりこまれてしまったため、いつも被っているつばの広いとんがり帽子から、泥水が滴り落ちる。

「フレアーだよ…。お母さんの名前は、イザベラ。ここに来たみたいなんだけれども…」

 とフレアーが言うと、水の精霊は、思わず驚いたような姿を見せた。

「あ、あの、魔法使い、あなたのお母さんなの…? そ、それじゃあ…、た、大変!」

「な、何が大変なの!?」

 その精霊の慌てぶりに、フレアーも同じように慌ててしまった。まさか、母に何かがあったとでも言うのだろうか?

「そ、それが! あなたのお母さんも、その…、あれになっちゃっていて…!」

「あれ…? あれって、何なの!?」

 フレアーは水の精霊に叫びかけた。するとその時、背後から、フレアーの肩を掴むもののがいた。

 肩を掴まれたフレアーは、とっさに背後を振り返る。

「フレアー…。あなたなの…?」

 下水道に響き渡る声、フレアーはその声によく聞き覚えがあった。

「お、お母さんなの?」

 と振り返った先にいたのは、フレアーの母の姿だった。身の丈も、体格も二人はほとんど代わらなかった。人間で言えば、双子か姉妹にさえ見ることができてしまう。

 しかし、今、フレアーの目の前に現れた、母、イザベラの姿は様変わりしていた。

 何しろ、さっきフレアー達の前に現れた、男の子達のように、向こう側の景色が透けて見えているのだから。

「ああ…、そんなぁ…、お母さん、その体…、まさか死んじゃったの…?」

 泣きそうな声になりながらフレアーは母の姿を見つめた。しかしイザベラはそんな彼女の肩に手を置く。

 そして、安心させるように語り掛けるのだった。

「大丈夫。死んでなんかいない…。ただ、精神だけが、体を抜け出してしまっているの。ここにいる他の子供達もそう…。たった一人を除いてね…」

「精神が、体を?」

 幾分かは安心して、フレアーは母の顔を見た。自分と生き写しだと言われるほど似ているイザベラの顔が微笑む。

「だからね。わたしは体を見つけなければならないの。体が見つかれば、私が子供達も私自身も、精神を体に戻してあげることができる…。どこかにあるだろうって、ずっと探しているんだけれども…」

 と、イザベラが言った所へ、

「もしかして、あそこじゃあないかなあ…、子供達が横になっている姿を見たような気がしたんだけれども…」

 水の精霊であるフィーネが、フレアー達に言ってきていた。

「どこなの? それは?」

 そう彼女に尋ねたのは、イザベラではなく、フレアーの方だった。

「でも、人の行ける所じゃあないかも…? 何て言ったって、水の中なんだから。ニンゲン達は、貯水槽とか言っていた気がするけれど…」

「じゃあ、そこね。子供達の体もそこにあるんだわ」

 そうイザベラは言うと、フィーネに貯水槽までの道を案内させた。

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「ねえ、お母さん…? どうしてそんな体になっちゃったの…?」

 フレアーは、自分よりも前を歩く、母の精神体に尋ねた。今目の前にいるのは、フレアーが産まれたとからずっと見ている母自体ではなく、その心だけが抜け出てしまった姿。と、自分に言い聞かせても、上手く納得できない。

「ある一人の子が、この地下水道には住み着いている。今では、まるで主のように、この地下水道を支配しているの」

 イザベラはフレアーに言った。

「それは一体、何者なの?」

 フレアーがイザベラに尋ねる。

「怨念よ。10年前に、一人の子供が持ってしまった怨念の心が、この地下水道に住み着いたの。ちょうど精霊のようにね」

 イザベラはチラりと、一緒について来る水の精霊の方を見やった。フィーネは下水の中にいる方が安心できるのだろうか、下水の中を泳いできている。彼女自身の体も水でできているから、よく目を凝らさないとどこにいるか分かりもしない。

「どうして、10年前から、って知っているの?」

 とフレアーが尋ねると、

「それは、この《シレーナ・フォート》に10年前、酷い嵐が襲ってきて、当時はまだこんなに設備も発達していなかったから、港にあった多くの家が波に呑み込まれてしまった。子供達もみんな、ね。それで、もしかしたらと思って当時の記録を調べてみたら、ビアンコっていう男の子が、家ごと波にさらわれて行方不明になっていたの」

 地下水道を歩きながら、フレアーは天井を見上げて考えた。

「で、でも…。沢山の子供達が、海に飲み込まれたんだったら、何でその男の子だって言うことが分かるの?」

 考えた挙句に、フレアーが尋ねる。

「だってわたし、その男の子の霊体に直接会ったんだから。だから、こんな体にされちゃったのよ」

「はあ?」

 フレアーにとっては、イザベラの言った言葉が、とても突拍子も無いもののように聞えてしまい、拍子の抜けたような声が出てしまっていた。

「そのビアンコって男の子の霊体は、生き物から霊体と肉体を分離してしまう力を持ってしまったの。何でかは知らないけれど、多分、自分自身も霊体だからできるんでしょうね…。後は、あなたに教えた通りよ。フレアー」

 フレアーはすぐに、母から、執政官としての仕事を受け継ぐ際に学んだ事を思い出した。

「怨念から生まれた霊体は、とっても、魔力が強い…?」

「下手をしたら、わたし達、魔法使いよりも上かもしれないわね…」

 イザベラの言葉に、フレアーは、思わず鳥肌を立てそうになった。

 生きているわけでもない。かといって死んでいるわけでもない。その中間の存在である霊体と、フレアーは出会ったことが無いわけでも無いし、魔法を用いて立ち向かった事が無いわけではない。

 だがフレアーが今まで出会ってきた霊体のほとんどが、些細な悪戯をするような霊体ばかりだったし、動物などの霊ばかりだった。

 怨念から産まれた霊。それも限度を知らない子供の霊とは果たしてどの程のものか、彼女にとっては想像も付かなかった。

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「あったあった! ここだよ!」

 突然、下水の中から声が響いてくる。正しく言うと、聞えてきた声は、下水から沸き起こってくる泡を、上手く利用した、精霊の出す巧みな音だったわけだが、フレアーとイザベラはそれが、フィーネの声だとすぐに分かった。

 直後、下水の一部が持ち上がり、そこには再び水の精霊の姿が現れた。

「いち、にい、さん、よん、ご…、じゅういち…。全部で11の体が、ここの水の底にあるよ。皆子供だし、あなたの姿もあったよ」

 フィーネが見つけたという子供達の体。それが誰のものであるかは、フレアーもイザベラもすぐに分かった。

「11か…、わたしも含めると、ちょうど全員分ここにあることになるわね…。すぐにわたしも自分の体を取り戻さなくっちゃ…」

「取り戻すって、ど、どうやって…?」

 霊体になってしまっている母の姿を見つめ、フレアーは、彼女が何をしでかそうとしているのか、とても戸惑った。

「そうか…、フレアー? あなたにはまだ教えていなかったわね。体と心を繋ぎとめている力については…」

 イザベラは静かに言った。

「体と心を繋ぎとめている力って…?」

 フレアーは、そんな話を以前にも母から聞いた覚えはあったが、思い出すことは出来なかった。何かの魔法の一種だろうかと考える。

「わたし達、魔法使いにとっても、人間にとっても、エルフにとっても、体は、ただの器にしか過ぎないの。本当は、今わたしがなってしまっている霊体のような姿で、わたし達魔法使いも、人間も、本当は精霊のような心だけの存在…」

「それは、聞いたことがあるけれど…?」

 と、フレアーが言ったが、イザベラは続けた。

「魔法使いの体はもって400年。人間だと80年って所かしらね…。肉体がその活動を停止しても、しばらくは、私のような霊体の存在の心は残る。今、私がある、ふらふらとさまよっているような霊体の状態だと、数ヶ月もしない内に、ばらばらに消え去ってしまう…」

「え…、そうなんだ…? じゃあ、あの子供達も…?」

 水の精霊フィーネが、下水の中から顔を上げ、イザベラの姿をまじまじと見た。

「霊体でいるっていうのは、思った以上に危険な事なの。あなた達精霊のように、魔力で、力を逃がさないようにしていれば別だけれども、人間も魔法使いも、そんな力は持っていない。特に子供の場合は危険だわ…。あの霊体の姿になっている子供たちも、自分では気付いていないかもしれないけれど、そろそろ限界ね。

 わたしが出会ったときよりも、ずっと姿が消えかかってきている…」

「じゃ、じゃあ…。姿が消えてしまったら、どうなるの?」

 慌ててフレアーがイザベラに尋ねた。

「肉体よりも先に、心が死んでしまうって事になるわよ。わたしだって、こんな状態で長くいたくはないの。さっさと子供達を、この肉体の中に戻してあげないといけないわ…。その魔法は、そうね、フレアー。こんな事件が起こったからには、あなたにも教えておいて上げないといけないようね」

「そんな必要は無いよ。だって君達も、ここで僕達と一緒に永遠に過ごせるんだから…」

 イザベラの言葉を遮るかのように、地下水道に響き渡った一人の少年の声。すかさずフレアーとイザベラ、そして水の精霊のフィーネは顔を上げた。

 彼女達の向いた方向には、10人の子供達、そしてその中心に一人の男の子が立っている。それも、全員が霊体だった。向こう側の景色が透けて見える。

「駄目だよ、君達。ぼくらの大切な遊びに水を差しちゃあ…」

 と言った、中心に立つ男の子。他の子供達は、うっすらとその姿を見せているだけなのに、その男の子だけは妙に存在感がある。姿がはっきりと見えているのだ。

 同じく霊体となってしまっているイザベラは立ち上がり、その男の子に対して言い放った。

「また、会っちゃったわね…。私の体をこんなにしてくれちゃって…。まあ、いつまでもこんなつもりでいるつもりはないから良いんだけれどもね…。邪魔はしないで欲しいわ…」

 と、母が静かに言うのを、フレアーは見ていた。いつもは愛嬌も笑みが印象的なイザベラだったが、ここぞという時や、真剣に魔法を使う時はその顔立ちも、眼光の鋭さも変わってしまう。

 フレアーと、ほぼ年齢も変わらないかのように思えるイザベラだったが、その眼や態度には、明らかに人間が一生かかっても得られないような存在感があった。

「君の魂を引きずりだした時に分かったよ。君は、ぼく達のように子供じゃあないんだね。子供の姿をしているだけで、本当は、大人なんだって。大人はぼく達の遊び場に入ってきちゃあ駄目なんだよ。何故って? 心が染まっちゃっているからなんだ。人間でも魔法使いでも同じ。大人になると、心が汚い色に染まっちゃう。それは、ぼくにははっきりと分かるんだ。

 だから決めたんだ。ぼく達の遊び場に大人は入って来ちゃあいけない。もしは入って来たんだったら…」

 そう言い放つなり、その男の子は、両手を広げた。すると、突然竜巻のようなものが地下水道に吹き荒れる。

 それは、まさに嵐だった。地下水道の下水が豪雨のように吹き荒れ、どこから起こったのか、激しい風が叩き付けてくる。

 フレアーは、自分の帽子が飛ばされないようにしゃがんで、帽子を押さえていた。彼女にとってはもはや悲鳴を上げることしかできない。

「10年前の嵐と共に消え去った男の子…。それが、突然一ヶ月前に、同じ嵐と一緒に、この《シレーナ・フォート》に戻って来たのね…。男の子自体は、死んじゃったのかもしれないけれども、その心だけは嵐と一緒に残ったのね」

 だがイザベラは、毅然とした表情で、嵐の中心にいる男の子を見つめる。

 男の子の周りにいる、霊体の子供達がそうであるように、イザベラも霊体だったから、物質的な嵐の影響は全く無かった。だがそれでも彼女は、嵐を起こしている男の子、ビアンコの、嵐を操っている魔力を直に感じていた。その魔力は、とても、人間の子供だった者が持てるようなものではない。

 明らかに、イザベラの魔力を上回っている。

「ぼくは、戻ってきたんだ。新しい友達を作るために。前の友達は皆、嵐で死んじゃったけれども、新しい友達は違う。ほら? この通り、どんな嵐にだって吹き飛ばされないし、何も感じない。だけど、ずっとぼくと一緒にいられるんだ!」

 ビアンコは、まるで自分自身の晴れ晴れとした気分を示すかのように、大手をふるって嵐を吹き荒らさせた。すると、ビアンコの操る嵐はさらにその勢いを加速させる。

「ど、どうしたらいいの!?」

 嵐の中で、フレアーが慌てている。彼女は地下水道の中で吹き荒れている嵐に吹き飛ばされないようにするだけで精一杯のようだった。

「わたしが、水の中に飛び込んで、子供達を、元に戻す。だから、あなたは、この嵐をどうにかして!」

 そうフレアーに言うなり、イザベラは貯水槽の中へと霊体の姿のまま飛び込んでいった。水しぶきも上がらず、まるで溶け込むかのようにイザベラの体が消えてしまう。

 イザベラが水の底へと向ってしまったことで、貯水槽の上にいるのはフレアーだけになってしまった。

 しかも、この場にいる者達で、肉体を持っているのはフレアーだけだ。他の者達は、平気な顔をしていても、ビアンコという男の子が生み出す嵐は、フレアーだけに襲いかかる。

 悲鳴を上げながら、その場から吹き飛ばされそうになりながらも、フレアーはゆっくりと立ち上がる。

「フレアー様…。落ち着かれれば、あのような嵐は、何も怖るるに足りませんぞ…!」

 突然聞えて来る、聞き覚えのある声。それはシルアだった。

「シ、シルア…。あなた、あたしを追って来れたの?」

 嵐に吹き飛ばされそうになっているフレアーのすぐ目の前にやって来る、一匹の黒猫は、息を切らせており、全力でここまでやってきていたようだった。

「フレアー様のご家族にお仕えする身としては、全力で参らねば…。フレアー様が残された魔力の痕跡は、はっきりと私も感じております。どこまでもお仕えしますぞ…」

 そう言ってシルアは意気込んだものの、猛烈に降りかかる嵐に、彼自身の体は吹き飛ばされそうになってしまう。

「ほぅら…。意気込むのは良いけど、あなたが先に吹き飛ばされないようにしてよ…!」

 と言い、フレアーは、シルアの体を抱え込んだ。

「また一人、大人がやって来たね…。猫の姿をしているけれども、大人だって事ははっきりと分かる…。大人は駄目なんだよ、大人は…!」

 更に一段と嵐が強くなった。フレアーは吹き飛ばされないように、貯水槽の手摺りに掴まって、シルアを抱えるしかなかった。

「イザベラ様は?」

 シルアがフレアーに尋ねる。

「あたしだけ残して、この水の底へ行っちゃったよ。あたしが、この嵐をどうにかできると思っているらしいけど、どうしようもないって!」

「この嵐ですか…? もしかしたら、私とフレアー様の力を合わせれば、何とかなるかもしれませんぞ…」

 シルアはその猫の瞳でフレアーを見つめて言った。

「は、はあ…? どうやって…?」

 帽子を押さえ込み、体を縮ませてフレアーは目の前のシルアに言った。

「この狭い地下水道…。あの者が生み出せる嵐の規模も限られているはずです。それに、今起こっているこの嵐は、台風と呼ばれるものの、小さなもので…」

 シルアが長々と説明し出そうとしたが、嵐は、フレアーの目前に迫ってきていた。

「だったら、どうしたら良いっていうの!」

 フレアーは遮ってそのように言い放った。

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「つまりこういう事です。あの台風と呼ばれるもの。中心は渦の中心ですから、風がありません。フレアー様と私の魔法があれば、きっと打ち破ることが出来るはずです」

「本当?」

 と言ってフレアーは背後を振り向こうとしたが、突風は目の前にまで迫ってきていて、どこが嵐の中心なのかも分からない。

「ど、どどどど、どうやって、中心を狙って魔法を撃てばいいって言うのよ!」

 と、フレアーが言ったときだった。

「ちょっと、その作戦。あたしも協力できそうだよ?」

 突然、聞えて来る声。フレアーが顔を上げれば、そこには、あの水の精霊が体の半分を地下水道の水の中に沈めたままで存在していた。

「あの嵐、水大きな渦を作ってこっちにやって来ている。渦の中に飛び込んじゃえば、あたしはあの嵐の中心に行くことができるみたい。渦の中なら、あの嵐をつくっているとっても強い魔力には影響されないと思うよ」

 と、水の精霊、フィーネは言った。

「そんなこと、本気でできるの? 言っておくけどね、あたしとシルアの魔法が合わさったら、あんたみたいな精霊、粉々になっちゃうほど強烈なんだよ?」

「あーら? 水の精霊を甘く見ないでよ? 水の中では、どんな魔法だってあたし達には通用しないんだから。跳ね返すことさえできちゃう。それに、あなたが渦に飲み込まれたら、溺れちゃうでしょ? あなたのお母さんも今は忙しいみたいだし、あなたとあたしでやるしか無いのよ」

 そう言うなり、フィーネは、嵐の方に向って飛び込んでいった。彼女の体はあっという間に嵐が作り出している渦へと呑み込まれて行く。

 だが、水の中にいれば、嵐の影響を彼女が受けないという事は本当であるようだ。

 フレアーの感じる、フィーネの肉体を構成している魔力は、散り散りになることはなく、渦と共に、回転しながら中心へと向っていく。

「フレアー様、やるしかありません!」

「もう! 言われなくてもやってあげるんだから!」

 フレアーは嵐に吹き飛ばされそうになりながらも、何とかその場から立ち上がろうとした。

 右手には杖を構え、すでにそのかしの杖は赤色の光を放ちつつある。

「あの子がいる所に撃てば、嵐を爆発させられる、か…、嵐に向って撃っても駄目ね…。弾き返されちゃうでしょうから…。水の中を潜らせるように撃たなきゃあ…」

 フレアーはシルアと魔法の力を融合させ、狙いを定める。シルアがフレアーの体と魔力を一体とさせることにより、フレアー自身の魔力は増大し、一人で魔法を使うときの数倍の威力を発揮できる。

 それは、フレアー自身の魔力を感じ取る能力についても同じだった。

 嵐と共に高速で回転する渦の中に、フィーネの魔力を感じ、探す。とてもフレアー一人では感じ取れないほどにフィーネの位置は、渦によって動かされている。

 だが、フレアーは、フィーネの位置を感じ取り、魔法を撃った。

 フレアーとシルアの放った魔法は、台風が起こしている渦の中へと飲み込まれていく。

 その渦の中に赤色の光が呑み込まれてしまったかのように見えた刹那、

渦の中から、その魔法は跳ね返され、竜巻のように起こっている小規模の嵐の中心へと飛び込んでいき、爆発して破裂させた。

 フィーネが、自分の元へと飛んできた魔法の塊を、台風の中心に向けて跳ね返したのだ。

 フレアーとシルアは、嵐が爆発したときの衝撃によって吹き飛ばされた。フレアーとシルアの魔法の力もあったが、ビアンコが構築していた嵐の魔力は凄まじいものがあり、爆発の余波が、地下水道を揺らがす。

 嵐が消え去った後、貯水槽の上には、呆然としたビアンコの霊体だけが残っていた。

「そ、そんなあ…、ぼ、ぼくの嵐が…?」

 粉々に吹き飛んでしまった自分の嵐の跡に、ただ言葉を漏らすしかないビアンコ。

「残念。下水道の中では思った以上にその力を発揮できなかったみたいね?」

 背後から聞えてきた声に、ビアンコははっとした。彼が振り向くのよりも早く、イザベラは霊体になっている彼の体へと手をかざす。

 既にイザベラの体は元の、魔法使いの肉体を取り戻していた。

「もう行きなさい。十分でしょ…? 10年も彷徨ったんだし、一ヶ月ほどとは言っても、お友達ができたんだから?」

 ビアンコが辺りを見回せば、貯水槽の底から、息を切らせながら、何人もの子供達が地下水道の足場へと上がってきていた。

 もはやビアンコの周りには、子供達の霊体の姿は一人も残っていなかった。

「ねえ…? 君もぼくのお友達になってくれるよね? だよね?」

 イザベラが手をかざしていると、ビアンコはだんだんと黄色い光に包まれていった。彼の姿はその光に包まれると、どんどん薄れて言ってしまっていた。

「さあ…? 私は、あなたが嫌いな大人だから。お友達にはなれないんじゃあない?」

 ビアンコの姿が完全に消え去るよりも前に、イザベラは皮肉交じりにそう言っていた。

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 数日後、《シレーナ・フォート》の港では、ある催事が行なわれる事になった。

 それは、10年前、さらにそれ以上にまで遡った、この地方を襲った嵐の犠牲者に対しての慰霊祭だった。

 港には、大きな慰霊碑が置かれることになっていた。

 石版ではなく、この『リキテインブルグ』で産出される、特別な鉱石で、それは《シレーナ・フォート城》の内装にも使われている。

 慰霊碑には、多くの名前が刻まれていた。分かっている範囲では、年代ごとに分けられ、その名前が記載されている。

 そして10年前の多くの名前の一つには、ビアンコという男の子の名前があった。

 港に掲げられた巨大な慰霊碑を見上げている、2人の魔法使いの女達。一人はフレアーで、もう一人はイザベラだった。

「あの、ビアンコって子が、お友達欲しさに、子供達を霊体にしていたって本当?」

 フレアーが一緒に慰霊碑を見上げる母親に尋ねた。

「ええ、そうよ。何も子供達を自分と同じ霊体にして、大それた事をしたかったわけじゃあないみたい。あの地下水道の施設に、自分達の遊び場を作って、永遠に子供でいたかったのよ」

 フレアーは、母の顔を見上げた。

「どうしてそんな事が分かるの?」

 すると母は答える。

「それは、あの子達と一週間くらいいたからね。大人だって事がバレたのはいつ頃だったかな…、でも、幾ら大人になったとしても、分かるものなのよ。子供達が一体何を望んでいるかなんて。

霊体が地下水道にいたって別に構いやしないけれど、やはり子供達が霊体でいれば1ヶ月くらいであっという間に死んじゃう。だから、あのビアンコって子を、行くべき場所に行かせてあげる必要は、確かにあったのよ」

 そう言って、イザベラは再び慰霊碑を見上げた。

「ごめんね、お母さん」

 と、突然フレアーが言う。

「どうかしたの?」

「あたし、結局何も出来なかった。今回は、お母さんの足手まといになってばっかりで、やっぱりお母さんは、私と違って大魔法使いなんだ…ね…。そう思っちゃった」

 しかしイザベラは、じっとフレアーの顔を見つめて言った。

「何を言っているの? あなたが来なかったら、わたしは、まだあの地下水道で幽霊の姿のままだったわよ」

「あ、ああ、そう?」

 フレアーは頬を赤らめてそのように言った。

「今は、あなたが、『セルティオン』王の執政官なんだから、もっとしっかり自信を持ちなさい」

 優しくはあるが、まるで戒めるかのようなイザベラの声。フレアーは、静かに頷いて答えた。

「はい…」

 そう答えたフレアーとイザベラは、お互いの手を握って、港に聳え立つ慰霊碑を見上げた。

 周りから見れば、まるで姉妹のように見える親子である二人。彼女達は、これからも魔法使いとして、多くの人の為にその力を発揮する親子となるだろう。

 

説明
少女の航跡の番外編第6話では、子供たちが次々と行方不明になるという怪事件に、魔法使いである、イザベラが調査に乗り出します。イザベラは、フレアーの母親です。
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