今度彼女に出会ったなら |
意外な光景だった。
目の前の花屋に、見たことのある白い日傘を持った人物。穏やかな笑みを浮かべて、なにやら店の者と談笑している。
最初は、見間違いかと思うほど驚いた。目をこすって、自分の目を疑ったくらいだ。
究極のいじめっこ。笑顔のサディスト。見返り美人を超えて見返り破壊神。目が合ったら石ではなく肉片になる。だけど、そこに痺れる憧れるぅ!
などなど、異名や噂やらがつきないあの幽香がまさか人里で、しかもあんな笑顔を浮かべているなんて、一体誰が想像できただろうか。いや、普通は出来ないだろう。
見なかったことにして、さっさと家に戻ろうかしら。人形に使うための布地とか買うものは買ったしね、うん。
そうと決まれば回れ右――
「それじゃあ、私は友人を見つけたので、今日はこのへんで。また今度来るわ」
「おお、そうかい。また来ておくれよ」
なんか嫌な予感ばりばりの会話が聞こえたような。あいつに友人がいるなんて聞いたこともない。いや、そもそもそこまで親しくないから、あいつのことなんて詳しくは分からない。もしかしたら、人里に友人がいたって、おかしくないかもしれない。
まあ、どちらにしても私には関係ないわね。うん
「ねえ、アリスでしょう?」
声掛けられた。
幸いにも、今は背を向けているから、あちらから私の顔は確認できていない。
「いえ、そんな人知りません。さよなら」
声を変え、さらに小さな声で誤魔化す。
そして、足早に去ろうとしてみたが――
「やっぱりアリスじゃない。酷いわぁ、逃げようとするなんて」
強く肩を掴まれ、幽香の方を強制的に向かされた。……肩が痛い。こいつ、もし私じゃなくて、本当にただの他人だったらどうするつもりだったのだろう。妖怪の私だからこそ大丈夫なものの、そこらの人間程度だったら肩が砕けているところだ。
とりあえず、肩に置かれた手を払う。意外に素直に離してくれた。
「あら、幽香じゃない」
「白々しいわね。私だって最初から分かっていたくせに」
「……どこから気付いていた?」
「私が花屋の主人と会話しているあたりから」
つまり最初から気付いていた、と。
まあこいつなら、それくらい簡単なのだろうな。あんなに穏やかに談笑していても、やっぱり完全に気を抜いているわけではないのね。
「ふふ……」
む、なんか笑顔だけど、さっきとは違う感じがする。なんていうか、まるで新しいおもちゃを与えられた子供みたいな笑み。
「おもちゃにされる趣味はないわよ」
「あら、分かった?」
「私はさっさと帰って作業をしなきゃならないの。あんたの遊びに付き合っている暇はないわ。どうせろくでもないこと考えているんでしょ?」
「ろくでもない、なんて失礼ね。友人じゃなかったら、思わず日傘で殴るところだったわ」
「誰があんたと友人よ」
「アリス」
「いや、なった覚えはないわよ」
「あら、それはつまり、日傘で殴られたいということかしら? 私、暴力は嫌いなのよ」
友人否定したら殴られる。なんて横暴な。それに暴力嫌いって……発言を紙に書いて、見直すべきね、こいつ。
さて、どうしたものか。
人里内で戦うわけにもいかないし、なによりこいつとはあまり戦いたくない。勝つにしろ負けるにしろ、きっとただでは済まないだろうから。決して怖いわけじゃあない、うん。言い訳なんかではないわ。
「はぁ……で? その私の友人さんが、一体なんの用なのかしら?」
この場をスマートに乗り切る一番の方法は、私が折れるしかなかった。
そんな私の返答に、幽香は笑みを浮かべた。
むぅ、なんか悔しいけど、腹が立つくらいに綺麗だ。美人が笑みを軽く浮かべるだけで、こんなにも華になるのか。それとも花を操る能力で自分の華まで操れるのだろうか。いや、さすがにそれはないか。
「ちょっとお茶でもしていかない? せっかくの人里なんだから、そこらのカフェで」
「何を企んでいるの?」
「あら、失礼ね。ただ優雅に過ごしましょう、と言うことよ」
まあ、どちらにしても私に拒否権は無いようなものだ。
何か企んでいるのかもしれないけど、ここは素直に従うことにしましょう。
「こっちよ。良いお店があるの」
拷問器具を試す店とかじゃないだろうか。
いや、人里にそんなものあるわけないわよね。
幽香と並んで、歩く。私もそれなりに身長がある方だけど、幽香はそれよりもほんの少しだけ高い。
幽香の顔を見るには、少しだけ上を向かなければならない。
「ん? どうしたの?」
「……別に、なんでもないわ」
目が合って、慌てて視線を外す。
そういえば、幽香の目をしっかりと見たことはない気がする。まあ、話す機会自体が少ないのだけど、もし会話をするにしても、いつも視線を合わせることはしていなかったと思う。
「ほら、着いたわよ。ここ、良いお店なのよ」
「へえ……」
見た目、本当にただの喫茶店、というイメージがぴったり当てはまる店だった。
イメージしていたものと違って、あまりにも普通すぎて、少し拍子抜けする。
幽香が店へと入った。少し慌てて、それを追うようにして入る。
「いらっしゃいませ。あら、幽香さん。今日はお二人ですか?」
「ええ、席は空いているかしら」
「はい、どうぞこちらへ」
店員に連れられ、席へと行く。
きょろきょろと周りを見渡してみるが、私たちの他に客はほとんどいなかった。それほど広い店内でもない。大きな古い時計が一つ、飾られている。足場もテーブルも椅子も、全て木で作られていて、少し独特の香りがした。
全体的に、静かな雰囲気の店に思える。
「ご注文がお決まりになりましたら、お呼びください」
「私はいつものを。それとこの子にも同じものを一つね」
「あ、はい。かしこまりました」
「……ちょっと」
なに勝手に決めてるのよ。と、言いたかったが、残念なことに店員はもう行ってしまった。
仕方なく、睨むだけにしておいたが、腹が立つほどの爽やかな笑みを返された。
「あんた、ここ常連なの?」
「さっきのやりとりを見て、初めて来店したと思うのなら相当頭が可哀想ね」
「はっ……」
明らかに貼り付けただけの笑顔で言ってくるので、鼻で笑ってやった。
幽香は怒らせると恐ろしいものがあるが、これくらいのことで不機嫌になるようなやつでもない。強者の余裕ってやつだろう。
というか、こいつは一体何を頼んだのだろう。
いつも幽香がここで注文しているものらしいが、そもそも幽香がこんなところに来ていること自体が予想外で、何を注文しているのかなんて想像もつかない。
「ねえ、一体――」
「秘密よ」
「……はぁ?」
「女は秘密を持っていた方がより魅力的になれるのよ。まさに、大人の女、ってね」
お前は何歳だ。
そして注文したメニューを秘密にしただけで魅力的になれるのなら、全ての乙女がそうするわ。秘密にするなら、もっと違うことを秘密にしろ。いや、幽香ならいくつも秘密抱えてそうだけど。
「まあ、味は保証するわよ? 多分、あなたでも飲めるはず」
「飲めるってことは、紅茶とか? 私、紅茶なら普通に好きよ」
「違う違う。私が注文をしたのは紅茶じゃないわ」
「お待たせしましたー」
そこに、ちょうどタイミングよく店員が運んできた。
普通の、どこにでもありそうな白いカップに、まるでルーミアの闇のような黒くて深い色をした液体が入っていた。
店員は同じものを幽香の前にも置いた後、ぺこりと一礼をして戻って行った。
しばらく、無言でその黒を見つめる。
ずっと見つめていると、その中に吸い込まれるんじゃないかという馬鹿げたことを考えてしまう。
「これは、もしかしなくても……」
「コーヒー。ちなみにホットコーヒーね」
「やっぱり、そうよね」
うーん、コーヒーかぁ。あんまり口にしたことないのよね。
幼かった頃、大人っぽいっていう理由で、痩せ我慢してブラックコーヒー飲んだとき以来、かしらね。魔界のみんなに笑われたのを覚えている。
「ここのコーヒーは、美味しいのよ」
「てっきり、幽香は私と同じ紅茶派かと思ってたわ」
「ええ、紅茶派よ。ただ、たまには苦いものを飲むのも中々良いものよ」
そう言って、幽香は一口飲んだ。
砂糖やミルクを入れずに、飲んだ。
あんな苦いものをよく飲める。想像しただけで、うっ……となる。許されるならば、正直飲みたくはない。
が、しかし、幽香の目線が私から離れない。無言で、飲めや、と訴えているのがよくわかる。私の態度から、あまり好きではないと分かっているだろうに。性格の悪い奴だ。
「飲まなきゃダメ?」
「頼んだのに飲まないなんて、店の人に失礼よ」
「いや、頼んだのはあんただろう」
「細かいこと気にしない。ストレスで胃がいかれるわよ」
「そのストレスの原因が何を言うか」
「はいはい、いいから飲みなさい。それとも、おこちゃまのアリスちゃんには、まだ早いかしら?」
「む……」
なんて安い挑発だ。
睨んでやるが、やっぱり爽やかな笑みを返されるだけ。
さて、どうしたものか。
「それとも、一人じゃあ飲めないかしら? そうね、なら口移しで飲ませてあげてもいいわよ? とっても苦いキスになるけどね」
「なにその脅し」
ふつーに怖いわ。
「脅しだと思う? アリス、私はね、やるときはやる女よ」
「そういうセリフは、もっと格好良い場面で使うべきね」
「あら、ならまさに今じゃない。人形のように美しい汚れない少女に、口移しをする。これほど素晴らしい場面は、そうそうないわよ」
なんていう恥ずかしいこと言ってくれるんだ、こいつは。
怖いのは、幽香の場合本気でやりそうなところ。
思考が読めない。その嘘くさい笑顔の下に、一体何を隠しているのか、私には分からない。想像もつかないのだ。
とりあえず、カップを手に取る。
「あら、残念。せっかくの口移しは却下かしら?」
「あたりまえよ。ここを何処だと思っているの? 喫茶店よ?」
「喫茶店じゃなければ良いの?」
「へ? ゃ、そういうわけじゃなくて」
「早く飲みなさいな。冷めてしまうわ」
「え、あ、うん」
とは言ったものの、どうしようか。
飲む真似、なんてこいつに通用しないでしょうね。あえて手が滑ってふりして零す――は、店の人に失礼だ。
「やっぱり口移し、かしらね」
「いや、飲むから! ちょっと、ちょっとだけでいいから、待って」
「ん、心の広い私は哀れなあなたを待ちましょう」
なんで上から目線なんだ、こんちくしょうめ。
口まで、ゆっくりと運ぶ。コーヒー独特の匂いが、少しきつい。思わず顔をしかめてしまう。
けれど、飲まないわけにはいかない。
唾を飲み込んでから、一口だけ、口に含んだ。
「んっ……」
やっぱり、苦い。
とにかく苦い。
けれども、それだけ。特別美味しいとも思わないが、別に不味いとも思わなかった。むしろ、これくらいなら飲めるかもしれない。
「あら、意外にいけるって顔してるわね」
「ええ、自分でも予想外にね。幼い頃は、苦手だったのに」
「そういうものよ。いつまでも子どもじゃないのだから、いろいろと変化があるのは当然のこと」
そんなものだろうか。
コーヒーをまた一口飲んで、そんなことを思う。うん、もしかしたら、普通に美味しいかもしれない。苦いけど。
「そしてアリス、私は別にブラックで飲めなんて一言も言ってないわよ?」
「……は?」
「くっ……はは。アリスったら、明らかに苦い、って顔しているのだもの。おかしくってしょうがないわ」
「なっ!?」
飲めても結局笑われるのか!
いや、それよりも、ミルクとか砂糖を入れて良いなんて、それこそ一言も言ってなかったではないか。
幽香は、悪戯が成功した子どものように笑っている。
普段との大人っぽさとのギャップで、それはとても幼く、可愛らしく見えた。と同時に、本当に性格のひん曲がった奴だ、と再認識した。
「本当、いい性格してるわね、幽香」
「あなたが私を褒めるだなんて、珍しいわね」
「いや、褒めてないから」
はぁ、とため息一つ。
コーヒーに砂糖を入れようかと思ったが、いまさら入れてもなぁ。うん、別にこのままでもいっか。
「にしても、あんたがこんな普通に人里来てるだなんて、意外だったわ」
「たまにさっきの花屋とここへ来るくらいよ。あんまり長居しちゃうと、どこぞの頭が堅いご立派な先生に目をつけられちゃうからね」
「ふぅん……」
「アリスは、なんでここに?」
「私は布調達って感じね」
その後は、他愛のない会話をしばらくした。
それは、本日何度目か分からないくらい、私の予想外なことに、とても穏やかな時間だった。
◇◇◇
「お金くらい、ちゃんと持ってたのに」
「良いのよ、私から誘ったんですもの。私が払うのが常識でしょう」
店を出た後、少し伸びをする。ずっと座って話していたから、体が凝っている。小枝を踏みつけたような、軽い音が鳴った。
最初は普通の喫茶店かと思ったけど、うん、落ち着いていて良い店だったと思う。また来ても良いかもしれない。
そんなことを思いながら、ふと隣の幽香を見る。
「ん? どうしたの?」
「んー別に」
「私と離れるのが寂しいのかしら? 参ったわね……あなたが望むなら、添い寝くらいしてあげても良いけど、私多分、理性を抑えきれないわよ」
「何の話よ!?」
からかうように、そんなことを言う幽香。
なんなんだ、もう。
今日一日で、今までの幽香に抱いていたイメージがだいぶ変わった。
性格が悪いっていうのは変わらないけど、意外に、本当に自分でも意外すぎるが、話してみて結構楽しかった。
「何を考え込んでいるのよ?」
「別に、関係ないわ」
もちろん、こんなこと幽香に言ったら調子付かせてしまうだろうから、絶対に言わないけどね。
さて、と幽香が言った。
「帰りましょうかね」
「そうね」
「アリス」
「んー?」
「楽しかったわ」
「……そう」
「送って行きましょうか? そしてそのまま、あなたの家に泊まって添い寝を」
「いらん、帰れ。花畑に埋もれてなさい」
「まぁ、怖い怖い」
全く怖そうにしていない。くすくすと、小さく笑っている。
さて、私も家に戻ろう。
「それじゃあ、またねアリス」
「ええ……またね、幽香」
そう言葉を交わして、幽香と別れた。
またね、か。
「そうね、また偶然出会ったりしたら……」
今度は私から、お茶に誘ってやっても良いかもしれない。
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幽香とアリスで幽アリですっ。 | ||
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