博麗の終  その4
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【亡霊の仕切る場で】

 

 口元にあった扇子を、そっと閉じる。

 

 その様だけで場の空気が緩むのは、きっと『幽々子がそれを望んだから』なのだろう。今のように優しく微笑んでいる姿ならば、春を連想するほどの温もりすら感じられるのに。

 

 背筋の伸びた自然体の正座で可愛らしく座っている今の姿でいてくれるなら、

 

 なごやかな会合になるはずなのに。 

 

 

「では人間側から問われた『幻想郷の危機を村人に知らせても良いか』という問いにつきまして。意見のある方は挙手をお願いします」

 

 場が、再びざわめき始めた。

 

 ここにいるのは九分九厘が人外だ。人に類するのは村の長老と半人半妖、合わせて一人と半分だけ。しかも人が己の身の振り方を問うたのだから、問いに答えるわけがない。つまりこの問いは、一人と半分という一厘を除外した十分たる人外に向けられたものということになる。

 

 しかしこれは、『答える術がない問い』なのだ。

 

 

 そもそも、という話になる。

 

 人外の者が人間の思考回路をたどるのは不可能だ。特に数の多い妖怪などは、まがりなりにも捕食者と被食者の関係にある種族である。

 

 言い換えれば『相反するとも言える種族の反応を推測して、その対応に最も効果的であるような行動を導き出して意見を述べよ』ということ。

 

 行動原理が根本から異なっている種族に対してこの問いを投げかけるとは……幻想郷の識者・西行寺幽々子の言葉とは思えないほどの、無意味さ。

 

 それとも何か。

 答えではない何かを、意図したものなのだろうか。

 

 そこらかしこで口にされる戸惑いの言葉はざわめきを大きくするだけの意味しか持たず、意見は元より質問の類でさえ述べられることは無かった。

 

 幽々子は、緩やかな仕草で少しだけ扇子を開くと、陰でそっとため息を吐いた。

 

「……どちらになろうと」

 

 やや強めに語り始めたことで、それだけで緊張が走る。

 

 あるものは怯えて下を向いた。

 あるものは視界の端で幽々子を捕えた。

 あるものは幽々子を見ていたために、常温で凍りついたようになってしまった。

 

 誰もが、幽々子に注意を注いでいた。

 

「私たちの予測ではリスクや混乱の度合い等から、人に告げても告げなくても、ほぼ同程度の影響があるだろうと判断しています。ですからこの件につきましては、皆様への信頼と協力を求める姿勢の証として判断をお任せしたいと思っています」

 

『どちらにせよ、フォローの準備はできていますから』とは、言わない。

 

 実は。

 

 ここで識者たちが求めているのは適切な解答、ではなく、人外をまとめられるリーダーなのだ。

 

 八雲と冥界、地獄の一部と永遠亭はそれぞれの指揮系統で別行動を取る形となる。最もできることの多い勢力を率いる者達は、できることの少ない者達の指揮にかかる手間を惜しむことが最善手となる。

 

 人側からこのような類の問いが発せられるのは予測していたことなので、機会を利用してやろうというのが識者たちの考えである。

 

 自然発生的にまとめるものが出てくれれば、識者たちが想定した最高の展開となる。その可能性も少なからずあると想定していたのだが、残念ながら取りまとめようとするものは出てこないようだ。

 

――ただ、

 

「少しよろしいでしょうか」

 

 すっと。白く細い手を上げたのは、森に住む魔法使いアリス・マーガトロイドだった。

 

「ええ、いくらでもどうぞ」

 

 幽々子は少しだけ、笑った。

 

「人間側は自粛したようですが、少なくとも私にはこの場に来る来ないの選択肢がありました。おそらくは人間以外の者達は誰でもこの場に来てよいことになっていると思うのですが」

 

「その通りです。特に制限は設けませんでした」

 

「ではなぜ、事情も加えて話しているはずの有力者の姿が見えないのでしょうか。例えば紅魔館の方々や守矢の方々、山や地底からも誰も来ていませんし新しいお寺からも人は来ていないように見受けられます。影響力を考えるとその方々抜きでの話し合いにあまり意味を成さないと思うのですが」

 

「……そうですね。包み隠さずお答えしましょう。紅魔館からは返答がありませんでした。守矢からは『私たちは私たちのやり方で何とかしてみせます』という言葉を預かっています。地底からは『表立って地上に出て関わることは控えておいた方が互いのためでしょう。ただ、来る者には誰でも、できる限りのことをします』という言葉を預かっています。協力は惜しまないとのことなので、地霊殿の主には定期的に報告をしていきます。それから、命蓮寺は『幻想郷というものに対する理解が薄いので、今は様子を見させてください』とのことでした」

 

「全く、あの暴走緑巫女……まあ、おおむね理解できるのですが、紅魔館が返答無しとはいったいどういう状況だったのでしょうか。霊夢のことともなれば、あの吸血鬼は先陣を切って何かを始めそうなものですが」

 

 はた、はた、と。

 菫色の扇子が、ゆっくりと開かれる。

 

「さあ…どうだったかしらね」

 

 くすくすと。

 

 ここに至って、初めて。

 

 音を出して、亡霊が嗤う。

 

「実際に紅魔館へ行ったのは式神の方だったから、詳しい話は聞けていないのですよ。ああ、アリス・マーガトロイド。貴女はよい頭をお持ちだとと聞いていますから、貴女なりに、あの吸血鬼がどのような行動に出るかをよくよく考えてみてはいかがかしら?」

 

「……っ!」

 

 アリスは露骨に『しまった』という顔をした。

 

 元が無表情に近い上に、あまり付き合いをしない魔女なのでほとんどの者は気がつかなかった。ただ一人。いや、半人か。上白沢慧音だけは、村で行われる人形劇の際に付き合いがあるのでその衝撃を見て取ることができた。

 

「…………さすがに。吸血鬼の考えることまでは、わかりませんわ。ましてやあの、レミリア・スカーレットです。気まぐれで何をしでかすやら、私ごときでは判別しかねます。質問は以上です、お答えありがとうございましたではこれで失礼させて頂きます」

 

 ぽつぽつと話し始めた割には、終わりはやけに早い口調で。述べたかと思えば、すぐに一歩を踏み出して去ろうとする。普段が冷静なだけに、わかるものには、その動揺の大きさが伝わってしまう。

 

 だから、止められる。

 

「あら、まだこの場は終わらないわよ」

 

 冷たい声が、進めかけた足を凍らせる。

 

「これ以上、何かの進展がありましたら申し訳ありませんがその旨だけをお知らせください。後ほどこちらから伺います。私は……そう。もう一人、暴走しそうな霧雨魔理沙の方を押さえに行きたいと思います。人間側かと思ったのですが、どうやら外されているようなので」

 

 ちらりと慧音の方を見る。

 慧音はその意図を理解して、アリスのフォローへと回る。

 

「ああ。私は人間の里の相談役だからな。長もそうだ。里に住んでいない魔法使いには声をかけていない。気にはかけているのだが」

 

 と。慧音が話終える前に、「ああ、そうだったわ」と声がかかる。 

 

「魔理沙なら、そうね。今頃はマヨイガにいるのかしらね。博麗神社に結界と式を置いているんだけど、そこに来たという報告があったわ。紫も行ったでしょうから、きっとすきまで隔離されていることでしょう。連絡を取ってあげるから、しばらく外でお待ちなさいな」

 

 アリスは、きっと『霊夢に会わせろ』と暴れていたであろう魔理沙の気持ちに思いを馳せた。

 

――刹那。

 

 背後の冷気が「すぐに、行くから」と告げた。

 

 ばっと音が出る速度で振り向くが、そこには勿論何もない。

 

 それは正しく、亡霊の声。

 

 普段のおっとりとした口調でもなく、こういった公の場で見せる落ち着いた口調でもなく、心すら凍らせるような威を持つ口調ですらない。

 

 

 ただ、おぞましい。

 

 喪われたモノの音だった。

 

 

『私の失言のせいなのだから、自業自得か…』

 

 アリスはそう思いながら、少しだけ青ざめた顔で扉へと向かった。

 

 

 レミリア・スカーレットは吸血鬼なのだ。

 

 博麗霊夢を吸血鬼化するに、決まっている。

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