Soul for the Sword【お試し版】
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◆ 序章

 

桃の花が咲いている。良く手入れされた桃園にそよ風が吹き抜け、舞い落ちる白い花弁が幻想的な風景を形作っている。桃園の中で一際大きい桃の木の根元に座し、一人の少女が琴を爪弾いている。少女が奏でる琴の音色は哀切を帯び、少女の気持ちが伝播するように桃園を悲しみが包み込む。

 突如として音が乱れ、痛みを堪える様な小さな悲鳴が音曲を止める。少女が奏でる琴の七本ある弦の一本が切れて弾け、少女の白魚のような指に赤い痣をつけた。指を押さえて痛みに堪えていた少女の瞳が潤み、一筋の涙が頬を流れた。少女は顔を覆い大粒の涙を零してすすり泣く。

 演奏に失敗したからではない。切れた弦が指を傷つけたからでもない。少女の嘆きはまるで世界から拒絶されたかのようだった。嗚咽とも共に揺れる身体に合わせて少女の手首に嵌められた腕輪の鈴が鳴る。……蕭、……蕭と囁くように鳴る鈴の音と少女のすすり泣く声だけが桃園に響く。

 不意に少女の身体に柔らかな感触が当る。最初、猫かと思ったその生き物は自分の身体を少女に擦り付けるように摺り寄せてくる。

「慰めてくれるの……?」

 少女の呟きに答えるように白い生き物は身体を擦り付ける。猫かと思われたその生き物は体長こそ猫とさして変わらないが、明らかに猫とは違っていた。全身を白い体毛で包み、華奢な胴体には不釣合いなほどに大きい尻尾を持ち、耳からは巨大な触手のような手のような長い耳のような形状のものを生やしている。何より目につくのはその紅い瞳。一切の感情を感じさせないかのような深い紅い瞳だ。もう一度少女の足首に頭を擦り付けると、少女の正面に回り前足を揃えて座りこちらを見詰めてくる。紅い瞳が射抜くかのように少女を覗き込む。

「今、君の心が悲しみに包まれているのを見て、僕はやって来たんだ。」

 口はまったく動いていない。口と思しき器官は一切の動きをみせていないが、確かに少女の耳にはその生き物が放つ声が聞こえていた。いや、正確には耳ではない。耳を通り越して直接脳に語りかけてきているのだ。甘く優しげな声が少女の心に直接触れる。

「君の心に例え何を犠牲にしても―自分の命や世界の運命すらも引換えにしても―叶えたい願いが有るんじゃ無いかな。」

 それがどんなに非人道的な行為であるかを少女は理解している。自身の人間としての尊厳のみならず、その生命、自分が生きてきた世界、自分を愛してくれた人、そして自分が愛した人の命すら奪い去ってしまうものだというのは理解している。

 だからこそ、少女は顔を覆い世界を拒絶して泣いていたのだ。

 そこまでしなければ結ばれる事が出来ない自分の愛する人を想って泣いていたのだ。

「僕にはそれを叶える力がある。君の願いをたった一つだけ叶える事が出来るんだ。それがどんな願いであろうともね。」

 目尻に溜まった涙を指で拭い去り、少女は白い生き物に問い返す。 

「本当に……本当に私の願いを叶えてくれるの?」

 白い生き物は小さく頷きゆっくりと一呼吸おくと、紅い瞳をにっこりと微笑むように細めて言葉を吐き出した。

「だから、僕と契約して魔法少女になってよ!」

 これから為そうとしていた行為を思えば今更何を恐れる事があろうか。

 こうして一人の魔法少女が誕生した。

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◆ 第一章

 

 いつもと同じ朝、いつもと同じ一日の始まり。それが恨めしく思えるのは、世界でただ一人自分だけだろうと暁美ほむらは思う。”いつもと同じ朝”そう感じる人間はどこにでも存在するが、それが本当に”いつもと同じ”と認識しているのはこの世でただ一人あたしだけだ。それは時間遡行者としての宿命とも言える。テレビのニュースキャスターは聞き飽きたニュースソースを読み上げ、いつもと変わらぬタイミングで原稿を読み違え、そして謝罪を行う。ドアを開け、外に出れば決まった時間に決まった顔触れが足早に学校や会社へと向かっている。時間を気にして時計を見るタイミングまでいつもと同じ≠セ。

 だが、このいつもと同じ∴齠の始まりが本当に・・・・・・いつもと同じでは無いことを知っているのも暁美ほむらただ一人である。いや、正確には検証対象となる以前≠知っている者が暁美ほむら一人であるのだから、その差異を感じ取れるのが彼女一人だと言える。世界は確かにいつもと同じ≠セと言える。瞬時に眼前の光景が変わる事も、極度に文明が変幻しているような事は無く、そこにいる人間も街並みも何も変わらない。そこに存在する人間同士の関係性が変わることも無い。しかし、必ず何かが、どこかが変わっているのである。

 暁美ほむらがその願いによって得た魔法少女としての能力は時間の巻き戻し≠ニ時間停止≠ナある。このうち時間の巻き戻し≠ヘ彼女自身の意志と特定条件によって発動し、決まった時間……即ち彼女が長期入院し、退院するその日へと時間を巻き戻すことが出来る。ただし、この時間の巻き戻しというのが単純な時間の遡行ではない。これは恐らく願いを叶える側の意向によるものなのだろう。単純な時間遡行ではどれだけエネルギーを回収できたとしても、やり直しをされては回収したエネルギーが無に帰してしまう。そこで、願いを叶える存在であるインキュベーターは時間遡行ではあるが、異なる並行世界への移動という方法を設定した。これにより、例え暁美ほむらが時間を遡行したとしても、その時間軸で回収したエネルギーは無に帰することもなく並行世界間で共有される事となる。端的に言うとループを行う度にカウンターがリセットされるのではなく、累積されていくのだ。では、彼女が繰り返す並行世界とは何だろう。これは可能性によって分岐した世界といえる。例えば一人の人間が朝一番で飲む飲み物をコーヒーにするかお茶にするか、どちらか迷っているとしよう。この時選ばれた側と選ばれなかった側、どちらを選んでも世界は続く。だが、厳然として選ばれなかった可能性は存在する。選ばれた側がその世界に存在する人間が認識する現行世界であるとするなら、選ばれなかった可能性を並行世界と呼ぶ。暁美ほむらが旅する並行世界とはそんな世界。それは誰かが選択肢を謝った世界=B

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 結果として暁美ほむらは一度として同じ時間を繰り返したことなど無い。全てが一見同じであるが、僅かながらに違っている世界での繰返しを行っている。だが、今回の差分に関しては暁美ほむらにとって捨て置けぬ事態となっている。その机の上の写真を見るまでは、いつもと同じく必要な”物”だけを回収し、誰にも気付かれずに姿を消そうと思っていた。

なんで……何故、あの子の写真がこんな所に……?

 机の上に並べられている写真を見紛うはずはない。鹿目まどか、その人である。現在、暁美ほむらが潜入しているこのビルは外見からの印象としては普通のオフィスビルである。しかし、そこに掲げられている看板の名前を少し調べればこの国の広域指定組織の末端企業であることは直ぐにでも分かる。いや、そんな必要も無いのかもしれない。このビルの入り口で二十分も張り込めば、出入りする人間が社会の表通りを歩く事が憚られるようないかがわしい輩であることが分かるだろう。今、鹿目まどかの写真を挟んで差し向かいになって話し合っている人間もその類だ。

「まぁおめぇに難しい話をしたところで、分からねぇだろうが。要はこいつの親を脅す材料が欲しいって訳だ。」

 二人の会話を聞く為に時間停止を解除し、ロッカーの中へと身を隠す。二人のうち、比較的身なりが整った兄貴分と思われる人物が煙草の煙を吐き出しながら語りかけている。身なりが整っているといっても、開襟のシャツから覗く胸元に光る金のネックレスにオールバックの髪型はどんなに控え目な表現をしてもチンピラという形容詞以外は浮かんでこない。

「でも、なんでこいつの親はそんなに恨まれてるんです?俺達だって危ない橋渡るんですから、少しくらいは事情を知っておきたいっすよ。」

「あーなんだ。俺もそれほど詳しく知ってる訳じゃねーんだが。要は新しい医療技術の認可をこいつが邪魔してるって話なんだよ。」

「新しい医療技術?」

「コンパクテンシャっつってな。どうも人間の脳や記憶を別の人間に移し替える技術らしいんだ。」

 正確には魂魄。つまり魂を電子化し別の人間のみならず、別の容れ物に移し替える技術である。丈二の認識ではそれを別の人間への記憶の転写としているに過ぎない。

「要は金持ちのじーさま達が、余命いくばくも無いって状況になって、別の若い肉体に脳だけを移植して生き延びようってことらしいんだ。」

「へーすげぇ技術じゃないですか。それの何がいけないンすか?」

「俺にも良くわからねーんだが、なんでも事故が起こる可能性が多いんだと。」

 倫理上の問題もある。生命というタブーに触れることを神が許さないのか、魂魄転写には事故が多発した。いわゆる脱魂燃焼である。魂魄転写を行う際に生体脳は異常な高温を発し、転写元を破壊してしまう。脳細胞は確実な死を迎え、転写元となった人間の生命を奪う。そんな技術がまっとうな社会が許すはずもなく、上海の裏社会で細々と文字通り影ながら行われるのみに留まっていた。

「じゃあ、こいつは良い奴じゃないですか?事故を未然に防いでるんでしょ?」

「洋一……おめぇ分かってないな。別に事故が起こるとかそんな事は関係ねーんだよ。じじぃどもは今日明日にも死ぬってんだ。それなのに事故が怖くて延命の可能性を捨てるか?もちろん代わりの”若い肉体”なんてのにも頓着しねえよ。自分が生き延びるためならな。俺達のシノギはこのビジネスを成立させて、そのじじいたちに健康で後腐れの無い若い肉体を提供することだ。」

 善意の第三者としての肉体提供者を斡旋する……それを射太興業で行う。ちょっと街を見渡せばいくらでもいる食い詰めた人間を或る時は言葉巧みに誘い出し、或る時は半ば強制的に浚い、転写先の肉体としようということだ。

「技術の提供を上海は青雲幇の劉さん。そしてそれを実現する機材、システム、場所の提供やそれらの認可をこいつの会社が握ってるらしいんだわ。」

机におかれたまどかの母親……鹿目詢子の写真を指差す。まどかの母親が何を生業としているかを、ほむらは正確には知らない。確か医療関係の商社に勤めているとか聞いた記憶がある。その彼女が何故こんな連中に関わりを持たれるような事になってしまったのか。鹿目まどかの母が少々押出しの強い人物だというのは知っている。しかし。恨みを買うにしてもここまでの事態に巻き込まれるようなものであるはずが無い。ほむらが考えを回らしていると、尚も兄貴分の丈二が話し出す。

「デカいシノギになるからな。万が一があっちゃいけねぇ。そこで反対派の中心人物となっているこいつを脅して退場して貰うんだ。」

「だったら、何も回りくどいことをしなくても、この女を直接さらっちまえば良いんじゃないっすか?」

 少々身なりの良い……とは言ってもその筋の人間特有の趣味の悪さが垣間見える兄貴分とは違い、一見して街のチンピラ然と分かる身なりと頭の悪さがうかがい知れる弟分が反駁する。

「俺も最初はそう思った。だが、どうやらこの女、意外と骨太らしい。ちょっとやそっとの脅しに屈するようなタイプじゃない。逆に下手な脅しはこちらの足元を掬われる恐れがある。」

 吸いさしの煙草を苛立たしげに灰皿に押し付けて揉み消しながら丈二が吐き出す。

「こういうタイプには搦め手の方が効くんだよ。本人は強い積りだろうが、家族を人質に取られるとコロッと参っちまう。」

 まどかの写真をトントンと指で弾きながら言葉を続ける。

「お、良い手が思いついた。この女さらってそのまま提供しまえば良いんだ。一家まとめて行方不明にしちまっても良い。」

「流石、兄貴だ。悪知恵が働くや。」

「まぁ俺らやくざ者なんてのは、嫌われてなんぼだからな。これくらいの汚れ仕事はしないと、おまんまが食えねぇわな。」

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 限界だった。これ以上一秒でもこんな奴らの口を動かさせる気は無かった。

 突如としてロッカーから飛び出して来た少女に驚く二人が、身構えるよりも早くほむらの踵が弟分の洋一の顎を捉えた。構えも何もあったもんじゃない。力任せに放ったその蹴りは洋一の下顎を粉砕し、その身体を5mほど吹き飛ばし、煙草の煙で黄色く変色した壁に叩きつけた。魔力によって強化された身体能力は常人の領域を遥かに凌駕している。たとえ武道や格闘技のような訓練されたフォームではなく、力学的に理に適っていない構えだろうと尋常ならざる破壊力を見せ付けた。今の暁美ほむらの身体能力ならばオリンピックに出場さえすれば金メダルでオセロが出来ることだろう。

「て……てめ……」

 驚き、動揺、恐怖。どこから出てきた?何故こんなことをする?我が目を疑うような強烈な暴力。どれに反応するかを瞬時に選び取ることが出来ず胡乱な目で問い質そうとする。ほむらは丈二が立ち上がるよりも早く歩み寄ると先ほど盗み出したばかりの拳銃を、そのぽかんと開けた口の中に差し入れた。いや、差し入れたという表現には語弊がある。半開きの口に銃口を突っ込むのだ。当然の様に上顎の前歯は叩き折られているのだから。

「あなたはもう喋る必要は無いわ。」

 熱く滾る気持ちとは裏腹に恐ろしく冷たい声が出た。と、自分でも驚いた。机上に置かれた写真へと目線を向け、それに釣られるような形で丈二も視線を移す。

「二度とこの子の前に現れないで。この子にもしも危害を加えるようなら、次は命が無いと思うことね。」

「おめ……やくざ者にこんな真似をしてタダで済むと思ってるのか?」

 銃口で口腔を塞がれながらの聞き取りにくい声ながらも、丈二が恫喝する。

「ええ……もちろんタダで済むなんて思っていないし、タダで済ます積りも無いわ。」

 ほむらは丈二の口から拳銃を引き抜くと、照準をまだ倒れたままの洋一に移すと躊躇い無く引き金を引いた。乾いた発砲音と共に弾き出された弾丸は真っ直ぐに洋一の身体に突き刺さり、その命を奪う。

「よ……洋一ーーーっ」

「あなた達に口で言っても分からないわよね?」

 再びほむらは銃口を丈二の眉間に突きつける。

「てめぇ分かってんのか?射太興業を敵に回す事になるんだぞ。お前がちょっとばかし強いからって、射太興業全体を敵に回して街を歩けるとでも思ってるのか?」

 丈二は射太興業から直盃を受けた直系の組員である。その丈二に危害を加えるということは射太興業に弓を引くということになり、その落とし前を付ける為には何でもやる。素人に喧嘩で負けたとあっては二度とやくざ稼業を張っていく事は出来ない。舐められたら終わりの商売なのだ。面子を保つ為ならば何でもやる。素手で勝てないのならば道具を持ち出すだろう。一人で勝てないなら徒党を組んで襲う。不意打ち、人質、嫌がらせ、ありとあらゆる手段を使ってでも落とし前をつける。それがやくざだ。

「お前の家族もお前の友人も……この街にいられると思うなよ。嫌になるくらい追い込んでやるぜ。」

 丈二が脅しと思って口に出した台詞はほむらにとっては逆効果となった。再びほむらの逆鱗に触れたと言っても良い。

「そうね……あなた達はきっとそうでしょうね。だから、組ごと潰してあげるわ。それならあの子に危害を加える人はいなくなるでしょう。」

「お前……本気か?」

 ほむらが引き金にかけた指に力が入るその瞬間、けたたましくドアが開け放たれて組員と思しき人相の悪い男達が入ってきた。銃声を聞きつけてやってきたのだろう。 

「お前らそこで何をやっていやがる。お客人がお越しだから静かにしておけと言っておいただろうがっ!」

 若頭の大西が数人の若衆を連れて部屋に入ってきた。その後ろには客人である青雲幇の劉豪軍の姿もあった。

 血の気の多い連中が集う場所である。組員同士のいざこざは日常茶飯事だ。エスカレートするあまり銃が持ち出されることも珍しくは無い。今回もそんな事だろうとタカをくくっていた。そのような事態になった時、はねっ返りを抑えるのは若頭である大西のような人間の仕事である。

 だが、今回は少々事情が違っていた。現場にはセーラー服のようなコケティッシュな衣装の少女が一人、手には拳銃を握り締められている。その銃口は丈二の眉間に突きつけられ、今にもその命を奪おうとしている。視線を部屋の隅に送ると、丈二の舎弟にあたる洋一が胸から大量の血を流して息絶えている。間違いなくただの喧嘩とは違う。

「若頭っ!あれは俺達の道具ですぜ。」

 ほむらが握っている銃は今さっきまでこの部屋のロッカーに保管されたものである。それに気付いた組員の一人がやや興奮気味に大西に伝える。

「丈二よぉ……要はその娘っ子に銃奪われて、舎弟を殺られて、イワされてるって事か?」

 客観的に見ても事実としてそうである。だが……

「怒り通り越して、呆れるわ。」

 大西が大仰に手を振ると、射太興業の若衆がそれを合図としてほむらににじり寄る。気付くと室外にもすわ出入りかと物音を聞きつけた構成員達が集まってきていた。

「構わねぇから道具奪い取って、女は叩きだせ。」

 大西の指示にパンチパーマで額の辺りに5センチ程の傷跡のある男が動き出す。

「丈二の事は構うな。うちにあんな若い者はおらん。」

 そう言い捨てると後ろに控える劉豪軍に視線を移す。

「まったくうちの若い者と来たら……申し訳ない。お恥ずかしい所をお見せしました。」

 劉豪軍に軽く詫びつつ、交渉を再開しようと室外に出るように促す。しかし、劉豪軍の瞳はほむらから離れない。

 それに気付き振り向くとそこには、ほむらを取り押さえようと近づいた若衆達が宙に飛ぶ様が展開されていた。魔力によって強化された暁美ほむらの肉体はさながら野生の獣のように凶悪な戦闘力を発揮して、当るを幸いに次々と組員達を破壊して行く。まるで砂糖細工を崩すかのように簡単に。ほむらの掌が触れた部位は顔だろうと腕だろうと抉り取られたように欠損し、殺傷していく。

 大西は慌てて室外に控えていた構成員達に檄を飛ばす。

「お前達!何を見てやがる。チャカでもなんでも構わねぇ。何でも使ってあの女を止めろ!急げ!」

 控えていた若衆のなかで偶然に懐に道具を持参していた何人かがわっと室内に押し入る。だが、彼らがその道具を構えるより早く、全員同時に地に臥すことになる。

 一際大きい銃声。まるで……何発もの銃が同時に発射されたかのような大轟音。発射のタイミングは今、地に斃れ臥している彼らにとっても大西達にとっても同時であっただろう。

 時間停止。ほむらに与えられた固有の能力。これを使用することによって、止まった時の世界で銃弾を配置。再び時を刻ませる事で一人一斉射撃を行う事が出来る。当然、彼らの耳に届く発射音は一度だけだ。それが聞こえたかどうかは疑問だが。

 一瞬にして構成員の大半を失い大西は青ざめる。更に後ろに控えた素手の構成員達を促すが、惨劇を前にして無手で立ち向かうほどの度胸は持ち合わせていなかったのか、怯えた表情を見せている。強面の彼らであろうとも、死は怖い。特にこのような無為の死は怖い。所詮はやくざである。利己的に他者から利益を詐取する事を生業とする者達。その先に待っているものが死であると分かっていて飛び込む者は少ない。そのような侠客を部下に持たなかったことが大西の不幸であった。

 見るに見かねた劉豪軍が大西に声をかける。

「大西若頭。ここは俺に預けてもらえますかね。」

「劉さん……これはうちの組の問題だ。それに相手は小娘だ。青雲幇の劉豪軍の手を借りたとあっちゃうちらの面子は丸潰れだ。」

「そんな事を言ってる場合じゃないですよ。」

 振り向く大西のこめかみを銃弾が貫く。大西が斃れたのを見て取った残った若衆は悲鳴をあげながら、はうはうの態で逃げていく。

「あぁ……だから言わんこっちゃ無い。」

 崩れ落ちる大西を見下ろしながら、劉豪軍はやれやれといった面持ちで身構える。こうなっては最早ここにいる人間を生きて帰す積りはないのだろう。

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「こんな事になるのなら濤羅の奴を連れてくれば良かったか。」

 惨劇を前にしても焦る様子も見せずに呟く。孔濤羅は青雲幇の凶手……つまり暗殺を生業とする男である。豪軍とは戴天流を共に学んだ朋である。凶手としての仕事の無い時期は豪軍の警護役を務めている。濤羅自身は兄弟子のボディガードを勤めることに口では不満を示している。戴天流門下では豪軍に敵わなかったのだ。その兄弟子の警護など不要ではないか?不満を口にしながらも、しっかりと警護役を務めているのは二人の友情といえよう。

ここで死ぬ訳にはいかないな。瑞麗の為にも。

 一月後に控えた豪軍と瑞麗の結婚式を前にして、兄弟水入らずの時間を設ける為に濤羅を日本に置いて来た。その失敗を悔いる。

「あなたが青雲幇の……それじゃあ逃がす訳にはいかないわね。」

 ほむらが照準を豪軍の眉間に合わせる。この場、この企みに関わった者を一人として逃がさない。非情な決意が満面に現れている。

 ほむらの握る拳銃は初速で秒速400mほどの弾丸を発射する。反射神経を凌駕する速度で飛来する弾丸は狙いさえ誤らねば、確実に豪軍の命を奪うだろう。だが、その弾丸は空しく壁に弾痕を作るのみだった。二度、三度と完璧に照準を合わせたにも関わらずその弾丸が豪軍を捉えることはなかった。豪軍は半身になり僅かな運足でほむらが放つ弾丸をいなしてしまう。

「得物を持ってこなかったのは、確かに不用心だったかもしれないな……」

 豪軍の手にもしも一刀が握られていたのならば、その場から足を動かす事もなく済ませられた。そう言いたいかのような口ぶりだ。

「何故当らないか、分からないって顔をしているね。」

 拳銃の弾を避ける。この一事は豪軍程の拳士ならば然程の難しさではない。銃口の向きと手首の角度で弾の飛ぶ方向は確認できる。ましてや室内ということもあり、風の抵抗も少ない。弾丸は銃口から過たず真っ直ぐに対象物に向かう。発射のタイミングは筋肉の張りと指の動きと肩の動作が教えてくれる。だが、これらの情報以上に内家拳士である豪軍には相手の意≠感じて動く事が出来る。それはほむらが相手を撃とうと思う意志。それは弾丸の初速よりも疾く豪軍を撃つ。豪軍は遅れてやってくる弾丸を僅かに動いて避ければ良い。呆れるほど簡単な作業だ。

 人間とは時として人知を超越した体術を身に付ける者……いわゆる達人という人種がいることを知ってはいたが、いざ目の前に現れるとその出鱈目ぶりには驚かされるばかりだ。

「別に分からなくても良いわ……当らないのならば、当るようにしてあげれば良いのだから……」

 自己の理解に及ばぬ内家拳士の超絶技を見てもほむらは冷静だった。確かに人間の範疇としては凄まじい業の冴えだ。だが、それも人間の範囲でならという話だ。魔女や使い魔……ましてやあのワルプルギスの夜との戦いを繰り返した暁美ほむらにすれば、焦るほどのことではない。何より、これより見せるほむらの能力には適わない。そう認識していた。

 ほむらがその自己の能力を発動させようと身構えた瞬間、ほむらが動くよりも疾く豪軍は拳銃の間合いを一瞬で縮めほむらの懐に肉薄する。

「くっ……!!」

 自己の能力である時間停止よりも、拳銃での近接射撃による迎撃を選択したのがほむらの失態だった。握り締めた左手の拳銃は照準を合わせる暇すら与えられず豪軍の右腕によって払い落とされる。

”すまないな。俺もまだ死ぬ訳には行かないんだ。”

 豪軍の左掌ががらあきとなったほむらの水月に触れる。そう……打つ、突く、殴るではなく……触れる。衝撃すら与えない優しい打撃。

「?!」

 絶好の機会をミスミス見逃して、柔らかな……まるで羽毛が触れるような感触を残して豪軍はほむらに背を向ける。

 ほむらは吹き飛ばされた拳銃を拾うことなく、迷わず先ほどロッカーから拝借した拳銃を盾から取り出す。盾からの物品取り出しは魔法少女として手に入れた能力としては地味ながら、あらゆる場面で効果を発揮する。特にこのような相手の得物を封じたと思っている相手への不意打ちとしての効果は抜群だ。

「待ちなさ……」

 言いかけたほむらの言葉が止まる。突如として沸き上がる悪寒。ドクンと一際大きい心臓の鼓動と共にほむらが膝をつく。

「あぁぁ……ぁぁぁぁ」

 声にならない声を吐き出しながら、全身の穴という穴より同時に体液が溢れ出る。体中の水分という水分を穴という穴から迸らせながらも最後の力を振り絞り、ほむらは先ほど豪軍に触れられた胸元を検める。口から溢れ出る血液とも胃液とも判別がつかない謎の体液で衣服を汚しながら強引に衣服を破き胸元をはだけさせる。控え目な胸板にくっきりとドス黒い手形が浮かんでいた。

 戴天流内功掌法が秘奥『黒手烈震破』内家拳士の練り込まれた内功によって発せられる勁を体内に撃ち込まれ、五臓六腑を一撃で破壊せしめる必殺の業。

「俺の内功が不十分だったおかげで無駄な苦しみを与えてしまったか。」

 豪軍の肉体は義体へと変わる移行期間であった為に体内の経絡の大部分を失い、あれほどの冴えを見せた内功はかつての三割にも満たない物となっていた。本来ならば、ほむらは苦しみすら感じず主要器官を破壊し尽くされ眠るように死に至っただろう。全身の水分を逆流させるような不細工な結果を見るに絶えず豪軍はその結果に背を向けたのだ。ほむらが自らの身体から溢れ出した体液で出来た水溜りに倒れ臥す音を聞き取り、豪軍は悔やむように眼を瞑りながらほむらを見下ろす。

それにしても一体この娘は何者だったのだろうか?

 一流の外家拳士でもこれほどの膂力を誇る人間は五指に満たないだろう。ましてやこのような年端もいかない娘が。豪軍は遠く上海で待つ花嫁に思いを馳せる。義体への移行を開始した豪軍には文字通り脳に直接情報を送り込み……または記憶のバックアップを取る事により在りし日の瑞麗の姿を思い浮かべる事すら可能だ。だが、それをせずに生体脳だけを使い花嫁の面影を思い出すのは豪軍の捨て切れぬ人間としての感傷だろう。

「瑞麗とさして歳も変わらないだろうに……哀れなことだ。」

 視線の先にある死体を見詰める豪軍の瞳は在りし日の瑞麗の可憐な姿を思い出していた。結婚式を目前に控えたこの時期に花嫁を置いて遠い日本の地を踏む彼を非難する者はあった。彼の義兄となる孔濤羅もその一人だ。

俺だって……こんな事はしたくは無かったさ。だが、それが瑞麗の望みと言うのならば、狂ってやることでしか俺は彼女を愛する事が出来ない

 ほむらの死体に瑞麗の姿を重ねて自責の念に駆られる。言うなれば、この日本行きが最後のチャンスになるのだ。孔濤羅と孔瑞麗。この兄妹に与えられた最後の機会。

濤羅の奴が、もしも瑞麗の気持ちに気付いてやってくれれば……

 もしも孔濤羅が妹の気持ちを汲み上げることが出来れば……あの恐ろしい計画を実行に移さずに済む。己の命も、愛しい人の命も、信じた朋友も、忠誠を誓った組織も、何もかも破壊し尽くしたった一人の為に。ただ瑞麗の為に。それが何をもってしても贖えない大罪だとしても……

それにしても……こうなってしまっては日本における商売は頓挫だな。

 改めて室内を見回すと、ほむらが破壊した射太興業の構成員が無造作に無残な姿を晒している。恐らくは射太興業の主だった人間はほぼここで命を散らしたことだろう。この場に居ない組長の山崎は命を落とさずに済んだ。しかし未だ服役中である。娑婆の空気を吸えるのは少なく見積もっても1年後。実質的なトップである大西が斃れたことによって、射太興業はその命脈を絶たれたと言っても過言ではない。

せっかく謝も連れてきてやったと言うのに……

 謝逸達……魂魄量子化の研究にその魂を捧げ、禁忌を犯す事も辞さない姿勢であり続けた結果とうとう学会を追放された狂気の科学者。しかし、彼は逆にその立場を良しとして非合法な手段で試験体を集め、研究を続けた。行えば必ず被験者は死ぬ。悪魔のような実験に嬉々として打ち込む彼を人は「左道鉗子」と呼んだ。

 その彼を日本に連れてきたのは、豪軍がこの先に計画している事≠ノ彼が重要なポジションを占めているからに他ならない。この東方の地で好きな様にその腕を振るってもらうように射太興業に働きかけ、彼の実験体を用意してやろうという事だ。いわば接待だ。

とにかく、こうなれば長居は無用だ。謝に連絡を取り、急ぎ上海に戻るのが得策か……

 まさか女子中学生一人に壊滅させられました……などといった事を射太興業の上部組織や生き残りが信じるとは思えない。嫌疑は生き残った豪軍にかかることは目に見えている。

 部屋から立ち去ろうと、豪軍が出入り口に向かおうとした瞬間、ふとした違和感を感じて巨大な水溜りに横たわるほむらに注意を向ける。

気のせいか……

 豪軍の第六感……鍛え抜かれた内家拳士としての勘が何かを感じ取ったのか。咄嗟に扉から離れ、部屋の隅に身を寄せるようにして半身を取る。部屋全体を見渡して、現状を確認……する前に異常に気付く。

 ついさっきまで豪軍が居た場所に三発の弾丸が撃ち込まれていた。部屋の中≠謔阡烽射抜き、部屋外へと弾丸が突き抜ける。

馬鹿なっ…… この部屋にもう動く人間はいない。

 豪軍は慌ててつぶさに部屋を検める。動くものは……いない。いや、一つだけ先程までと変わっている事がある。水溜りにつっぷすように息絶えていた少女の死体が……無いっっ!!

そんな……馬鹿なっ!確かに息絶えていたはず。功を誤ったか!?いや、そんなはずはない。衰えたと言えども、あれ程の勁を打ちこまれて生きて……ましてや身動きできる人間がいる訳が無い!

 豪軍は知らない。今、相対する存在が奇跡によって成り立った魔法少女であることを。魔法少女であるならば、どのような奇跡も可能だ。例え心臓を破壊され、体中の血液を失ったとしても、その心が折れない限り魔法少女は死なない。

 

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一度ならず二度までも避けられるとはね。

 ロッカーの中で身を潜めながら、ほむらは豪軍の動きを確認する。時間停止を行い、相手が知覚出来ないような射撃を行う。ほむらが魔女との戦いで身に付け、そして実戦してきた必勝の攻撃手段。それが今通用しない。破られた訳ではない。ほむらの時間停止はその能力も依然使用することが出来る。魔力の残量にさえ気を使えば、いずれは仕留められるだろう。

でも……流石にあの打撃をもう一度貰うのは御免だわ。

 肉体の快復にかなりの魔力を消費して、尚完全な状態には程遠い。ましてや肉体強化に魔力を使う余裕などない。

こいつに手間取って魔力を浪費しては……今後の行動に支障をきたす事になるわ。

 ほむらにとってはこのような形での魔力の浪費は絶対に避けねばならない事だった。無限とも思われる程の回数を繰り返すことが許された身といえども、魔力が尽きては終わりだ。グリーフシードが常に潤沢に手に入るとも限らない。それでなくともワルプルギスの夜を迎えるには完全なコンディションをもってしても尚足りぬ。

さて、どうした物か……

 ロッカーの中でほむらが思案に暮れていると、豪軍が先手を打って動き始める。

「フゥゥゥゥ」

 一際大きく息を吸い込みまた大きく息を吐き出す。気息を整え、丹田に力が巡るのを感じる。

衰えたといえど……あと一度や二度は使えるはずだ。

 肩幅に足を開き、上半身を寛げ、丹田に意識を集中する。

「呵ッ!!」

 蓄えた勁を一息に吐き出す。丹田にて十分に練られた内功は電磁パルスとなって周囲の電子機器に襲い掛かる。戴天流が秘奥『豪雷功』である。照明がパンという音を立ててショートして室内は闇に包まれる。昼間といえど窓の無い密室である。豪軍はその一瞬の隙をつき、気配を察知したロッカー目掛けて猛然と突進する。

 豪軍には暁美ほむらがどのような手段を用いて、攻撃してきているかは分からない。こちらから姿を認識できない形で攻撃してくるのならばそれに対する状況を用意してやれば良い。一面が闇に包まれた空間であるならば、条件を五分にまで持っていく事が出来るのではないか。

 予想は的中した。ロッカーごと破壊することを目的とした豪軍の右足が見事にほむらを捉える。

 ロッカーがある程度の衝撃を吸収したおかげか、致命傷とはならなかったがさしたる魔力強化を行っていなかった身体には深刻なダメージを与えた。豪軍の蹴りによって奇妙な形に歪んでしまったロッカーのひしゃげた扉を強引にこじ開けて、その中より引きずり出されるほむら。

 呼吸困難に陥ってもがき苦しむほむらを踏みつけて行動を抑える。豪軍の踵がほむらの胸を強く打つと鯨が潮を吹くように吐瀉物を撒き散らす。吐瀉物に赤い物が混ざる。血液である。豪軍の感じた手応えでは確実に内臓を破壊し致命の一打となっていたはずであった。

 だが、またしてもこの女は死なない。何故だ。疑問が豪軍の胸中に渦巻く。ほむらを抑えつつ室内に落ちていた長ドスを拾い上げる。先程勢いよく部屋に入ってきて即座にほむらに排除された若衆の誰かが持っていたものだ。無いよりはマシとはいえ、あまりの安物に豪軍は辟易する。

 豪軍は未だもがいているほむらに刃物を突きつけると尋問を開始した。

「貴様は何者だ。何故俺達を襲う?何故致命の一撃を二度も受けて動ける?」

 白刃がほむらの首に触れる。冷やりとした感触が身体に伝わり、ほむらはピクリと身体を震わせて動きを止める。

「……あなたに答える必要は無いわ。」

「答えねば。その首を刎ねると言ってもか。」

 白刃の先端で首の皮一枚を傷つける。プッと微かな音ともに紅い雫が一筋首を伝う。

「……」

 これ以上の尋問となると目か耳を殺ぐしか無い。それでもほむらは答えない。怯えた瞳ではない。死を覚悟した瞳でもない。決意を込めた瞳で睨み返す。

「ならば仕方ない。」

 白刃一閃。剣光が閃いた刹那の後、ほむらの首と胴が斬り離された。

「例え君が化生であろうとも、首と胴が分かれても生きられる生物などいまい。」

 刃が閃き、返す刀がほむらの胸板に突き刺さる。念入りに心臓を破壊し、止めとし豪軍は立ち去ろうとする。

 室外に出て、建屋内の廊下を数歩進んだところで、はたと足を止める。いや、後ろから何者かに抱き締められている。

これは……まさかっ

 拘束を解き振り向こうとするよりも早く、密着した何者かは豪軍の背中へ銃弾を撃ちこむ。一発、二発、全弾撃ち尽くした所で拘束を解き、支えを失った豪軍の身体は地面に向かって斃れ臥す。豪軍の瞳が最後に見たものは、首の無いほむらの身体だった。

 時間停止を行い豪軍に察知されること無く肉薄。相手を拘束する事により避けえぬ姿勢を取り心臓を撃ち抜く。これがほむらの取った最後の戦術であった。本来首と胴を切り離されれば、脳より神経への伝達回路が断たれる事になり、肉体は機能しない。それを可能にするのが魔法の力だ。ほむらは自らの肉体が首から離れる前に魔力を使い、命令を与えておいたのだ。与えられたプログラムをこなした肉体は最後にほむらの頭部を探し当てると、胴体と頭部を連結させる。

思ったより魔力を消費してしまったわ……

 振り向いてみれば、死体の山、山、山。

ここまでする必要があったのか。

 ほむらの胸に罪悪感というしこりが残った。いかに鹿目まどかを守るためとはいえ、本当にここまでする必要が有ったのか。彼らにも心配する友や家族が居たのだろう。それはほむらが手をかけた他の者も同じなのだ。ちくりと罪悪感が胸を刺す。

まどか……辛いわ。

 辛い時も苦しい時もいつだってまどかの事を考えると耐えられる。全ては貴女のため。貴女の為ならたとえ地獄に落ちても構わない。そう思うことだけが、ほむらの心を癒す唯一の手段だった。

 

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◆ 幕間

 

 桃園から聞こえる音曲にあの時の悲しみの色はもうみえない。弾む音色。喜びを謳歌するかのように朗らかに流れ出る音曲は聴く者の心を春色に染めあげるだろう。

 桃園に足を踏み入れた孔濤羅は小さく胸を撫で下ろした。どうやら今日の妹の機嫌は頗る良いらしい。これから瑞麗に告げる内容と、それを聞いた際の妹の事を思うと胸が痛む。

 濤羅が沈痛な面持ちで桃園に入ってくるのを見やると瑞麗は兄を元気付けるかのように小さく微笑んで演奏を続ける。濤羅は野暮で不器用な男である。それでもこのような時に演奏を止めるような真似はしない。妹が一曲弾き終えるまで静かに座して待つ。瞑目し、耳のみを瑞麗が奏でる音色に傾ける。

 やがて曲が終わり、妹が照れ隠しのように小さく頭を下げる。濤羅の沈痛な面持ちを見て瑞麗は何かを察したのか、すっと姿勢を正して兄に正対する。

「瑞麗……落ち着いてよく聞いてくれ。」

 濤羅が思い口を開く。出来ることなら聞かせたくは無い事実だった。

「豪軍が日本で命を落とした。」

 豪軍の死と射太興業での惨劇は謝逸達によって青雲幇に伝えられた。青雲幇の香主である劉豪軍の死は幇に大きな衝撃を与えた。寨主・李天遠はすぐさまに孔濤羅に仇討ちを命じた。豪軍の生体脳に増設されたHDにはしっかりと死の寸前までの情報が残されていたのだ。

「俺は青雲幇の道義に則り、必ずこの手で豪軍の仇を討つ。」

 凶手として仕事に赴く際、妹はいつでも悲しい顔をする。先祖伝来の仕事と言えど、他者を殺傷する生業だ。優しい妹が悲しむのも無理は無い。濤羅はこのような時に妹の機嫌を取るような器用さを持ち合わせてはいない。

「すまない。だが、分かってくれ。この仇だけは誰にも討たせる訳にはいかない。絶対にこの俺の手で討たなければいけないんだ。」

 共に武の道を歩んだ朋。未来の義弟。濤羅と豪軍の絆は強い。たとえ青雲幇からの命がなくとも、濤羅は旅立っていただろう。

「お願い……兄様……行かないで。」

 か細い声を咽喉の奥から絞り出すように吐き出す。瑞麗の目にはうっすらと涙が浮かんでいた。

「今度こそ死んでしまうわ。相手は豪軍様を倒す程の相手なのよ。」

 戴天流門下における劉豪軍の腕前は濤羅を上回る物だった。濤羅に取ってはいつだって自慢の兄弟子だったのだ。豪軍こそ国士無双の拳士。戴天流の免許皆伝は本来ならば豪軍が受けるべきだった。豪軍を語る兄の口調はいつだって誇らしげだった。

「これは相手が弱いから戦おうだとか、強いから今回は避けようだとか、そういう戦いじゃないんだ。」

 うつむく妹に一歩近づき、その細い肩に掌を置く。ピクンと一瞬瑞麗の身体が震える。

「例え相手が悪鬼羅刹であろうと必ず討ち果たさなければならないんだ。」

 触れた掌が熱を帯びたように熱く燃えているのを瑞麗は感じる。兄の怒りが瑞麗の心に染み入ってくる。

「分かってくれ瑞麗。お前の花婿であり、俺の義弟の仇はきっと取ってくる。」

 なんでこんな事になってしまったのだろう。自分の願いは果たされたはずだった。豪軍との縁談は破談となり、兄と二人の穏やかな時間と関係が取り戻されるはずだった。それが永遠に続くものと思っていた。

 兄の肩越しから見える桃林に、あの白い生き物が紅い瞳を輝かせていた。禍々しく輝く紅い瞳が瑞麗をじっと見詰めていた。

説明
魔都見滝原に屍山血河の幕が開く!射太興業に忍び込んだ暁美ほむらはそこで見たモノをめぐって武侠結社青雲幇との抗争に巻き込まれていく・・・
激突する魔法少女と内家戴天流!
魔法少女が繰り出す奇跡を内家戴天流は打ち破ることが出来るのか?コミックマーケット81にて頒布予定の魔法少女まどか☆マギカ×鬼哭街暁美ほむら中心小説本のプレビュー版となります。今回は全三章構成のうちの第一章までを公開します。
表紙担当はペピーチェの桜月りん様(http://homepage2.nifty.com/peppy-c/)

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