墜落飛行
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 よくある台詞で、空を飛びたい、なんてのがあるけれど、私は今まで一度だってそんなことを考えたことはなかった。

 高いところは、嫌いだ。

 

 

 

 仕事に疲れて帰ってきたある日、警察が訪ねてきた。

 この近くで、25歳前後で猫を飼っている方を知りませんか?

 そう聞かれて、思わず私ですと答えてしまった。

 警察の人はなんとも微妙な表情をした。何か、変なことを言ったかと思ったら、どうにも今日、うちのマンションから飛び降りがあったらしい。

 なるほど、身元調査だったのかと思ったところで私の答えに対しての微妙な反応に納得がいった。

 結局警察は飛び降り自殺であり事件性は無いと判断し、翌日には何事もなかったかのような状況へと戻っていた。

 私は、翌朝になってどのあたりで飛び降り自殺があったのか、興味本位に探してみることにした。

 それは本当にすぐに見つかって、落下地点と思われるマンホールの上には流しきられていない血の跡が。

 そしてすぐ隣りの車のトランク付近はべこりと凹んでいた。

 おそらく、この上から飛び降りたのだろう。最上階から、私の部屋の、すぐ上のあたりから……。

 その日はすぐに仕事に行く時間になったから、それきりだった。

 

 

 

 毎日毎日、同じ時間に家を出て職場へ向かう。

 毎日毎日、翌日のために同じ時間に寝支度をして毛布に潜り込む。

 繰り返し、繰り返す。

 たまにやってくる休日にも、何をするか明確にならずふらふらとして、結局のところ無駄に持て余す。

 そんな日々。

 

 

 

 ふと思い立って、私はもう一度、墜落現場へ行ってみた。

 何日もたったあとで、車のトランクは修理されていたし、血の跡なんてもう雨に流されて残ってはいなかった。

 上を見上げてみる。

 晴れた夏の日の空しか見えなかった。

 一体彼は、何を思って此処へ墜落したんだろう。

 想像を巡らせても、答えはでない。

 それは彼が出した答えではなく、私の出した予測にしかならないのだから。

 見上げても見上げても、空の青さとまぶしさに目が痛くなるだけ。

 

 

 

 彼は、彼処かからどんな世界を見たのだろうか──

 

 

 

 ふとそんなことを思いついた私は、四階まで登って廊下側の手すりから墜落現場を見下ろしてみようとして、それができないことを悟った。

 手すりは私の首元ぐらいまでの高さで、謝って落ちるようなものでもないし、人を落とすのにも手間取りそうだ。

 事件性はない、確かにそうだろう。

 見通しの良くて人の通りがあるだろう廊下側のこんな超えづらい場所から墜落したのなら、それが他殺であるならあまりにもお粗末だ。

 私は手すりに足をかけて、上半身を乗り出した。

 そうして、やっとその光景を目の当たりにした。

 

 ──なんて、なんて遠いんだろう……。

 地面ははるか向こう側で、このまま見を乗り出せば墜落する前に飛行できそうな、そんな妙な感覚。

 私はその感覚を即座に危険だと判断して廊下に戻った。

 もう少し長く見つめていたら、私はきっと引きこまれて、その甘美な飛行という誘惑に飲み込まれていた気がする。

 その結果が、墜落に至ることも忘れて。

 

 そうか、彼はきっと、飲まれてしまったんだろう。

 それは墜落と対をなす飛行であり、飛行した先に待っているのは墜落という結果なのだ。

 それは矛盾した二律背反、壊れてしまった境界線。

 

 結局私は引き込まれることもなく、今日も日常を続けている。

 それでも、今日も誰かが何処かで、境界線を踏み越えているのだろう。

 

 

説明
のんふぃくしょん。執筆時間:30分。推敲無し。思うことは人それぞれだと思います。
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