環地球圏戦記ヴァンガード・フライト「序章【発端】」
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 キプロス島の王ピグマリオンは、現実の女性に失望し、自らの手で彫った象牙の彫刻でできた理想の女性像を作り上げました。王はいつしか、ガラテアと名付けたその女性像を愛するようになり、彼女のために食事まで用意し、恋焦がれました。王は毎日、毎日、女性像に愛の言葉を語り続け、やがて彼女を人間にして欲しいと願うようになりました。そして、片時もその傍らを離れようとしなくなりました。衰弱していく王の様を見て哀れに思った女神アフロディテは王の願いを叶え、女性像を人間に変化させ、王はガラテアを妻に娶りました。――――オウィディウス『転身物語』より

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 人類が宇宙に飛び出して久しい時代。人類の宇宙開発技術は宇宙へと、月へと移民させるほどにまでに至っていた。地球と月の重力の均衡がとれるラグランジュ・ポイントに次々に建設されるスペース・コロニー。しかし、彼らはいまだ木星を限度として太陽系の外へは飛び出せずにいた。

 二十一世紀に二百余りあった独立国家は、アメリカ合衆国を盟主とする環太平洋州連合、かつて北大西洋条約機構に加盟していたユーロ圏を中心とするヨーロッパ・アフリカ統合連盟、ロシア連邦を盟主とするユーラシア連邦という三つの巨大国家に統合された。しかし、三国間の外交上の対立はますます深まるばかりであり、偶発的な軍事衝突に端を発する小競り合いは後を絶たなかった。

 半世紀ほど前、ついに世界は「世界統合戦争」と呼ばれる大戦争を繰り広げた。戦争を終始有利に進めた環太平洋州連合の水面下での周到な根回しにより、三国間に恒久的な和平合意がなされた。その後、環太平洋州連合が主導して全世界は統合された。グローバル・ユニオン、地球統合政府の樹立である。しかし、旧国家間や宗教上の対立はすぐに消えたわけではなく、統合政府には多くの難問が残された。一時は乗り越えたかに見えた食糧危機、環境問題、宗教間・民族間での紛争、統合政府でなくとも旧国家が抱えていた問題は、そのほとんどが統合政府に引き継がれた。

 統合政府は、地球全体と数多の民族の統一を維持すべく、治安維持の名目で地球統合政府直轄の宇宙戦力である((地球統合宇宙軍|グローバル・ユニオン・スペース・フォース))、略してGUSFを編成した。

 当初は、月を含む宇宙に戦力を配置してはならないという「月その他の天体を含む宇宙空間の探査及び利用における国家活動を律する原則に関する条約」、通称「宇宙条約」を破棄したうえで旧国家が保有していた宇宙戦力を寄せ集めただけの急造軍隊だったが、やがてこの軍隊は人類史上最大かつ最強の軍隊にまで増強され、宇宙での紛争に限らず地球上で起こっている紛争にも絶対的な力を持って介入し、鎮圧にあたった。

 GUSFは、最高司令官として統合政府議長を頂き、GUSF元帥によって統括されている。GUSFの参謀本部は統合政府と同じかつてのアメリカ合衆国領ワシントンD.C.、現在は北アメリカ州東アメリカ区アース・ネイブルと呼ばれる、言わば世界の首都に置かれている。現在のGUSFは、地球の衛星軌道上にある四つの宇宙機動要塞、四基の無人機動衛星及び無数の監視衛星、八個の主力宇宙艦隊、並びに拠点制圧のための陸戦隊で構成されている。

 統合政府は他にも地球統合陸軍(GUA)・地球統合海軍(GUN)・地球統合空軍(GUAF)を持っているが、その兵器の大きさや性能、軍の規模はGUSFの比ではなく、他の三軍はGUSFの支援に回ることが専らの役目である。

 一見、GUSFによって地球の治安は守られているかに見える。しかし、地球あるいは地球圏のどこかで起こった小さなひずみはやがて大きな歪みへと成長する。そして、つい三年前に「バグダッド内乱」と呼ばれる内戦が起こったばかりである。再び多くの血が流された。統合政府はこれに対して政治的な措置と平行してGUSFの軍備拡大を決定、GUSFはさらに大きく、強大な力へと成長していくのだった。

 世界は、その力が新たな悲劇を生むことを知らずにいた。

 

 その日、地球上の地球統合政府のあるアース・ネイブルからGUSFが誇る巨大宇宙要塞「ボレアス」へ向かう定期便の往還輸送機はごったがえしていた。

 「八本腕の魔神」の異名をとる要塞ボレアスは戦略上極めて重要な施設であるため、軍に所属している者でも容易に近付くことのできない第一級軍事機密地域だ。したがって、ボレアスに向かう連絡往還輸送機に乗船している人数はいつもたかが知れたもののはずであった。

 それが今日は普段の三倍は乗船しているだろうか。定員五十名の往還輸送機の座席がほとんど埋まっている。乗船している者のほとんどが緊張の面もちと、何かへの期待と不安が同居したような表情をしている。

 その中に彼はいる。黒地に白の一本線、六角の金星ひとつの階級章を襟に付け、左胸には銀色のウィング・マークの記章が輝いていた。それらは彼が航宙機パイロットの少尉であることを示していた。

『本日付けをもって、ベルンハルト・ヴェルンヘア・ヴァイス少尉にF/A-26ドラグーンの正規パイロットとして新造空母ホーマルハウトへの乗艦を命じる』

 示達の後に命令書を受け取った時、彼はその場で飛び上がりたい衝動を抑えるのに苦労した。必死に平静を装っていたつもりだったが、しきりに彼の顔色を窺うような視線があったことから見ても、きっとその心情を上官も察したに違いない。

 最新鋭戦闘航宙機ドラグーンのパイロットに選ばれたということももちろん、彼にはこの上ない喜びだったが、この新造空母ホーマルハウトへ乗艦するということは、もうひとつ別のあることを意味していた。

 

 ――戦闘航宙機操縦士養成課程。宇宙を飛行する航空機様の機体を総称して航宙機と呼ぶが、それを特に戦闘用に使用するもののパイロットになるための登竜門である。同じ宇宙を飛行するものであっても、より大きな宇宙艦艇の航行や宇宙要塞の運用に携わる者の養成課程は別にあり、GUSFに数多くある隊員養成課程の中でも最も厳しく、そして内外の羨望を集める花形であることで知られている。

 戦闘航宙機操縦士養成課程はGUSFへの入隊志願者のうち希望者だけでも競争率二十倍を超える狭き門である。二十世紀に航空機の開発競争が行われた時、その速度は最大でも音速の三倍程度だったとされるから、空気抵抗のない宇宙空間で、それを遥かに超える速度の世界へ飛び込むためには、肉体的な強靭さはもとより、誰の助けも借りずにたった一人で、どんな状況においても広大な宇宙で航宙機を的確に操縦できる精神的な柔軟性をも求められる。希望者の大半は健康診断や体力測定、潜在的又は先天的に不適格な要素がないかの適正検査の時点で振るいにかけられ、不合格の者は他の課程へ進む道を選ぶか、GUSFへの入隊そのものを諦める結果になる。

 それらの検査に合格した者の中から更に成績上位の者から順に戦闘航宙機操縦士養成課程へ進むことを許されると同時に第一戦闘教導旅団所属となり、一律曹長に任官される。運良く養成課程に進むことができたとしても、候補生である間に他の兵科への転属を希望する者、つまり脱落者が多く出ることでも有名であり、無事に卒業することができ、少尉に任官された者はそれだけでも敬意に値するとして一般には通称「スペースクラフト・マスター」と呼ばれることもある。一般幹部候補生学校を卒業した者も同じように少尉に任官されるが、航宙機パイロットの少尉は別格と見られ、日本語では読みが同じことを利用して、俗に「翔尉」と書いて区別することがあるくらいだ。

 彼、ベルンハルト・ヴァイスも奇跡的に各種検査に合格し、三年間の課程のうち二年余りの過酷な訓練に耐えてきた。彼が養成課程に入ることを許された時、GUSFでの主力戦闘航宙機はハンターと呼ばれる機体であり、脱落しなければ彼もまたそのパイロットになるものと思っていた。しかし、卒業を間近に控えたある日、候補生達の間にある噂が飛び込んできた。それは、新型の戦闘航宙機が開発中であり、それがGUSFの次期主力戦闘航宙機になる、というものだった。その時は正式な名称は不明で、仮に「Xスペースクラフト」と呼ばれていた。その噂には、「先行試作機がたった一機で一瞬のうちに五隻の標的艦を撃沈した」という候補生達の関心を刺激するに余りある続きがあった。ハンターは優秀な機体だったが、ミサイルを除けば全て固定武装であり、単機で宇宙艦艇を撃沈できるほどの火力を備えてはいなかったため、艦艇を撃沈できるというだけでも驚異的とされたのだ。

 時間が経つごとに噂は確信的に語られるようになり、「現行のものでは考えられない程の高性能の火器管制システムを搭載しており、現行のありとあらゆる武装はおろか、GUSFで初めて実用化する新武装をも搭載できる」という、もはや口伝のうちに尾ひれが付き、誇張されたか眉唾としか思えないような噂も立った。更には、先行試作機に搭乗していたテスト・パイロットが「バグダッド内乱の英雄」と名高い女性パイロット、マーリオン・ボルン大尉だったという情報も追加され、新型戦闘航宙機の部隊が新たに編成されるとすれば、彼女が隊長になるのだろう、ともっぱらの噂だった。

 ベルンハルトもそれらの噂を耳にして無関心ではいられなかったが、日を追うごとに高まる周囲の関心に引きずられるように、その新型戦闘航宙機の開発元が著名な航宙機製造企業マクレイン・エアロスペース社であることや、GUSF制式記号「F/A-26」が与えられたこと、「ドラグーン」という名称が与えられたこと、原型機が十五機製造されたことを知った。

 マーリオン・ボルン大尉のことは彼もよく知っていた。地球圏規模で放映される衛星放送の情報番組に組まれた特集のインタビューに何度となく現れた人物であったし、その物腰の柔らかさと英雄と呼ばれていることを少しも鼻にかけない応答に好感を持った。また、その美貌や美声でも電子ネットワーク上の話題を賑わし、「麗しすぎるパイロット」とさえ言われ、それもマスメディアへの露出を増やしている要因になっていることも知っていた。

 ついに、新型戦闘航宙機ドラグーンのパイロット候補には新人である養成課程のパイロット候補生も例外ではない、との情報が候補生の間に流れると、ドラグーンのパイロットに選ばれることはすなわち、誰もが憧れる存在であるボルン大尉の部下になることと同義と解釈された。

 候補生達はドラグーンのパイロット候補に例外なし、と知るや否や、それまで教官の鬼のしごきに耐える仲間と見ていたはずの自分以外の候補生をライバル視し始めた。百数十人の候補生のうち、ドラグーンのパイロットに選ばれるのはボルン大尉を除くとどんなに多くても十四人しかいないのだから当然のことと言えた。候補に例外なし、ということは、現役のパイロットも当然含まれるため、候補生から選ばれるのは多くても一人か二人だろうという観測が大勢を占めていた。

 ベルンハルトが養成課程に在籍していた間、教官達は一度たりとも噂を肯定も否定もしなかったが、候補生同士の切磋琢磨にやる気を引き出す良い材料とばかりに巧妙に利用していた節さえあった。教官達でさえ、ドラグーンのパイロットに選抜されるのはトップクラスの成績を修めた者になるだろうと確信していたからだ。

 ベルンハルトも必死に努力した。努力したつもりだった。しかし、いつになっても成績は中の上程度よりは良くならなかった。だから、まさかドラグーンのパイロットに選抜されることなど想像もしていなかったし、外れるのが判っている期待はすまいと関心のない振りをしていた。成績はフルネームを伴って逐一公表されるので、最後には成績が伸び悩んでいる者が自然に集まってきて、ベルンハルトの周囲で「ハンターも良い機体だ」と慰め合い出す始末だった。

 ところが、卒業まで一ヶ月を切ったある日、ベルンハルトは第一戦闘教導旅団の旅団長室に出頭を命じられた。一般の学校で言うところの校長室にあたる場所。教官室と同じく、候補生の無断での立ち入りが禁じられている場所のひとつだ。旅団長室に出頭となれば、よほど重要な話があると見て間違いない。なぜなら、候補生がどんなに悪さをしても直属の教官への出頭がせいぜいであり、仮に犯罪を犯して軍法会議の後、不名誉除隊を命じられる場合であっても旅団長室にまで呼び出されることはないからだ。逆に、表彰や叙勲されるとなれば旅団長室への呼び出しもありえたが、素行が悪くなくとも決して良くもないベルンハルトにとってはまったく思い当たる節がなかった。そもそも、候補生が候補生である間、旅団長である准将と直接話す機会など卒業まで一度もない。あるとすれば、卒業式で優秀な成績を修めた者数名が候補生を代表して少尉の階級章とウィング・マークの記章を着けてもらう時くらいだ。

 何を言われるのか緊張しながら敬礼するベルンハルトに旅団長は楽にするように言った。ベルンハルトが敬礼していた右手を体側に戻すと、旅団長とベルンハルト以外は誰もいない密室で書類もなく、口頭で静かに、そして厳かかつ単刀直入にこう告げられた。「ヴァイス候補生、君が新型機ドラグーンの専従パイロットに選抜された」と。そして、養成課程の卒業の日まで他の候補生を含め、家族にも口外無用と念を押された。

 選ばれた。選ばれてしまった。ベルンハルトがドラグーンのパイロットに。最初は何が起こったのか理解できなかった。自分でも信じられなかった。何かの間違いではないかと思った。たまたま同姓同名がいたのかとさえも思った。

 旅団長にしつこく何度も確認したが、その答えは決まって小声で「間違いない」だった。あまりにも何度も確認するので、最後には「機密事項を軽々しく口にするな」と旅団長から凄まれ、有無を言わせない鋭い視線で睨まれたくらいだ。ただ、ドラグーンのパイロットの発表は本人に直接伝達されるのみで、候補生からベルンハルト以外に誰が選ばれたのか、何人選ばれたのかさえ軍事機密の一点張りでまったく教えてもらえなかった。

 その後、養成課程をそのままの成績で卒業したベルンハルトは、拒否する時間も機会も与えられず――もちろん断ることなど考えもしなかったが――アース・ネイブルに異動させられ、三ヶ月に渡るドラグーン操縦シミュレータを用いた模擬訓練を受けた。最後に仕上げとして噂にも上った先行試作機を使用しての宇宙空間における慣熟訓練を受けることになり、その時、養成課程の間に聞き及んでいた噂はすべて本当だったことを知った。

 そうして、本日の命令書受領となった。先行試作機に乗った限り、噂に違わぬ機体と知ったベルンハルトの期待は弥が上にも高まっていた。

 

 長いようで短かった養成課程での訓練の日々を思い出し、ボレアス行きの往還輸送機でベルンハルトは感慨に耽っていた。辛かった訓練の思い出ばかりだが、今となっては良い思い出のようにさえ思えた。それもこれも、無事にドラグーンのパイロットに選ばれたからに他ならないわけだが、ふと、ドラグーンのパイロットに選ばれなかった候補生の仲間達は今頃どうしているだろうか、などとかつての級友に思いを馳せてみた。きっと、自分を妬むどころかそれを通り越して恨んでいる者もいるかもしれない、との想像に行き当たることも当然のように思えた。少なくとも、養成課程での成績だけで言えば半数近くの候補生のほうが優秀だったのだから。

『本船はこれよりグラビティ・ターンに移る。シートベルトを外して座席を立っても良い』

 往還輸送機のパイロットからのアナウンスがあって、過去から現在へと戻ってくるベルンハルト。通路側の席に座っていたベルンハルトは、隣の兵士の肩越しに往還輸送機の窓から漆黒の宇宙を見る。

 十分もすると、眼下に広がる蒼い地球の向こう側に金属の光を帯びた巨大な姿が見えてくる。ボレアスだ。宇宙空間では遠近感が狂うため、正確な大きさは把握することができないが、それでも巨大であることは遠目に見ても分かる。

 彼は、徐々に近付いてくるボレアスを見て胸が高鳴ってくるのを感じていた。

 地球の赤道上空の低軌道衛星軌道にはGUSFが保有する四つの宇宙機動要塞が浮かんでいる。地球を取り囲むようにほぼ九十度ごとにひとつずつ配置されており、それらにはギリシャ神話に登場するアネモイと呼ばれる東西南北の風を司る神の名前が付けられている。それぞれ東風を司るエウロス、西風のゼピュロス、南風のノトス、そして北風のボレアスと呼ばれる。その他に、下位のアネモイの名前からとったカイキアス、アペリオテス、スキロン及びリプスと呼ばれる無人の機動衛星も存在する。

 その中で最大の宇宙機動要塞ボレアス。地球上空三六十キロメートルに浮かぶその巨体は、電磁カタパルト部を含めると最も長い部分で全長三十キロメートルにも及ぶ。夜間になると地上からでも太陽光を照り返す光を見ることができ、一般に普及している小さな天体望遠鏡があれば、はっきりとその姿を見ることができる。「八本腕の魔神」のあだ名に示されているように、ボレアスには八つのアルタイル級大型戦艦を収容することができるドックが存在する。また、それぞれの腕の両脇に二カ所ずつ、合計十六カ所の係留点を持ち、同時に十六隻の艦艇の応急修理及び補給を行うことができる。

 正確な数字は明らかにされていないが、一万人を超すGUSF将兵と十個以上の航宙機部隊が配備され、一個艦隊に匹敵する強力な武装を持つとされている。

 

(あそこに、俺のドラグーンがある。そして……)

 ベルンハルトは思わず呟く。そして、感極まったように一端ボレアスから目を離し、一度座り直して腰の位置を合わせると、往還輸送機の天井を見上げた。

 往還輸送機はそのままボレアスへと近づいていく。肉眼で捉えられるようになると、ボレアスまではあとほんの数分だが、この数分がこれほど長いものだと感じたことは他にない。

 ふと、窓とは反対の方、彼から見て左方へ目を向けると、彼の視界にある人物の顔が飛び込んできた。その横顔を見た瞬間、彼は驚きのあまりに心臓が口から飛び出そうな感覚に襲われた。そう、その人物に巡り会うことが、彼にとってのホーマルハウトに乗り組む「もうひとつの意味」でもあったのだ。

 彼は即座にシートベルトを外し、浮かび上がるようにして立ち上がる。そして、隣の席に座っている兵士に迷惑をかけながらその人物へと近づいていく。自分の目の前を通られて少なからず不満を感じる兵士だが、ベルンハルトの襟の階級章を見て、とりあえず文句は言わない。

 そして、彼はその人物の脇に近付く。念のため、襟の階級章を確認する。黒地に白の二本線、六角の金星はひとつだった。大尉は白の一本線に金星三つだから、それは、大尉からひとつ昇進して少佐になっていることを意味していた。

「マ、マーリオン・ボルン少佐とお見受けいたします!」

 ベルンハルトは、シートベルトを締めたまま座席で雑誌を読んでいるその人物に大きな声で声をかけた。周囲の人間は彼の大きな声に驚いて彼の方を見るが、すぐにまた隣の席の知人との会話に戻っていく。

 マーリオン・ボルンと呼ばれたその若い女性の士官は、彼の言葉に気が付いて雑誌が表示されたタブレット型携帯端末から目を離し、それを膝の上に置くとその上に手を組み、宙に浮かぶベルンハルトを見上げた。あまり驚いた様子はない。

 顔を上げた時、頬にかかっていた髪がさらりと耳の方へ流れ、ココアブラウンの瞳がベルンハルトの視線を真正面から受け止める。

「自分は、このほどホーマルハウト乗艦を命じられました、ベルンハルト・ヴァイス少尉であります!」

 ベルンハルトは左手で座席の背もたれを掴み、マーリオンに敬礼を施した。無重量状態であるため、直立不動の姿勢とはいかないが、物理法則に逆らってまで姿勢を正せと言うほどGUSFの軍規は厳しくはない。無論、右手の位置さえ教本のとおりにできていれば、宙に浮かびながらの敬礼も無礼とはされない。

 マーリオン・アマーリア・ボルン少佐。先のバグダッド内乱で英雄的な戦績を挙げたとして一躍有名になった人物。女だてらに、というそしりも決してなかったわけではなかったが、ベルンハルトは英雄としての彼女に純粋な憧れを抱いていた。

「はじめまして。ヴァイス少尉。確か、私の部隊に配属でしたよね」

 マーリオンはにこやかに微笑んで、ベルンハルトに握手を求めた。

 ベルンハルトは差し出された手を握り返して良いものかどうか戸惑ったが、マーリオンの微笑みに表情を緩め、差し出された手を握り返した。

「俺……、いや、私の名前などを覚えてくださっていて光栄です。少佐の部隊で働けることを光栄に思います」

 手を握ったまま言うベルンハルトにマーリオンは微笑みの中に照れ隠しの笑みを混ぜて答える。

「頑張ってくださいね」

 ベルンハルトがマーリオンの手を離すと、再びアナウンスが入る。

『本船はこれよりGUSF衛星軌道要塞ボレアスへ入港する。搭乗員は速やかに座席に戻り、シートベルトを締めよ』

 しかし、マーリオンと握手した手をぼんやりと恍惚の表情で見ているベルンハルトにはアナウンスが聞こえない。なかなか座席に戻ろうとしないベルンハルトに向かって、苦笑いしながらマーリオンはベルンハルトに言う。

「入港ですよ」

 ベルンハルトは、その言葉に我に返り、

「し、失礼しました。そ、それでは、また後ほど」

 と再びマーリオンに敬礼をすると、ぼんやりしていた自分を思い出して赤面しながら慌てて自分の座席に戻っていく。

 

 ボレアスのゲートから往還輸送機を入港させるために宇宙へと伸ばされた細いガイド・レールに白色に輝く誘導灯がゆっくり灯っていく。往還輸送機はこれに従って、ゲートへと進入していく。

 その時、ゲートは目と鼻の先というところで、機内にけたたましい警報音が鳴り響いた。

『本船に急速接近する所属不明の機影多数あり! 総員衝撃に備えよ!』

 緊迫した機長の声によるアナウンスの中、往還輸送機の搭乗員は騒然とした空気に包まれる。そしてその直後、機体の至近を光の筋が通過していく。

「攻撃されてる! 近いぞ!」

 誰かが叫ぶ。往還輸送機は至近弾を受け、大きく姿勢を崩す。機体が軋む嫌な音があちこちから響く。

 往還輸送機のパイロットはなんとか機体をゲートに突っ込ませようと懸命に操縦桿を操作する。往還輸送機は所属不明の飛行物体からの攻撃を受けながらも、ゲートに直進していく。しかし、入港するには明らかに安全な速度とは言えず、十分に勢いを殺すことができない。

 パイロットはスロットル・レバーをへし折らんばかりに渾身の力を込めて目一杯の逆噴射をかけるが、ゲートをくぐった直後から往還輸送機の翼は港の壁にこすりながら火花を上げ、往還機を固定するために存在しているはずの金属のロック・アームを破壊しながら進んでいく。

 往還輸送機の中の搭乗員は激しい衝撃に襲われた。シートベルトをして安全姿勢をとっているものの、人間に比べれば巨大な往還輸送機の慣性力には逆らうことはできず、前後左右に振り回され、前の座席や窓枠、壁などに頭や腕などをぶつけられる者が続出する。それでも大きな悲鳴があがらないのは彼らも軍人の端くれという意識もあったためかもしれない。

 そして、最後には往還輸送機はゲートの一番奥の壁に激突するような形でようやく止まった。

 

「定期便の人員輸送往還機、なんとか入港したようです!」

 ボレアスの指令センターでは、オペレーターが司令官に報告を飛ばす。指令センターには、二十数名のオペレーターがおり、巨大なボレアスの全情報と指揮系統を一手に引き受けている。

「よし、全力で反撃を……」

 司令はそこまで言いかけたところで言葉を失った。「開始せよ」との言葉が続くものと思っていたオペレーター達は何事かと司令のほうを振り返った。彼らはそこで驚愕の光景を目にした。

「な、何をする! 中佐! 銃を下ろせ!」

「今、ボレアスに反撃されちゃ、困るんですよ……」

 中佐と呼ばれた副司令の男は、目に冷酷な光をたたえ、右手に持った拳銃の引き金を躊躇なく引いた。GUSFで制式採用されている銃火器は無重量空間での使用を前提として無反動化されており、作用反作用の法則による反動をできる限り生じないように設計されている。通常の拳銃を無重量空間で撃ったとしたら射手は反動でくるくると回転してしまうことになるだろう。弾丸がライフリングを通過する際に銃身に働く捻り方向の慣性力も無視できないため、命中精度に影響を及ぼす。

 過たず司令の眉間に命中した弾丸は、彼の体を浮き上がらせ、そのままのけぞらせるように重力の弱いボレアスの床へとゆっくりと弧を描くように運んでいった。

 オペレーター達から悲鳴があがる。何人かの士官が反逆者を仕留めようとほとんど反射的に腰に手を回して銃を抜き、副司令の中佐に向けて発砲した。その銃弾のうち一発は副司令の右肩に命中し、彼はその場に片膝をつくが、すぐに別の乾いた銃声が何度か響く。発砲したオペレーターは仲間だったはずの別のオペレーターに射殺されてしまっていた。誰かが押した緊急事態ボタンに呼応して異常事態を示す警報が鳴り始め、指令センターの全周にわたる三六十度ディスプレイに大きな緊急事態≠フ赤い文字とそれを取り囲む黄色い帯が投影される。

 同様にして拳銃を抜いていたあるオペレーターは、それを副司令や仲間を撃ち殺したオペレーター達に向ける前に、近くの席にいた別のオペレーターから銃を突きつけられた。

 そのまま、指令センターの状況は膠着状態に陥る。誰かが撃てば別の誰かがその者を撃ち殺す。誰の目にも明らかなそんな状況に、誰もが身動きを取れなくなった。

 その後間もなくして、指令センターに自動小銃を持った警備兵が怒涛のように雪崩れ込んできた。警報に呼応して反逆者を制圧しに来たと誰もが思った。しかし、彼らの目的は司令を殺害した副司令の中佐を捕らえるためではなく、その銃口はオペレーター達に向けられた。

 少尉の階級章をつけたオペレーターは、哀しげな瞳をしながらも拳銃を高く上げた。

「銃を捨ててください、中尉。できれば撃ちたくありません。あなたは私の尊敬する先輩ですから……」

 中尉と呼ばれたオペレーターは、まだ下を向いたままの銃のグリップを握る手の力を緩め、そのまま足元に武器を落とし、ゆっくりと手を彼の頭の後ろに挙げた。銃が床に落ちる乾いた金属音が司令センターのそこかしこから響く。

「これより、ボレアス指令センターは我々が占拠する! 抵抗する者は容赦なく射殺する!」

 副司令の中佐は、撃たれた右肩を押さえつつも立ち上がり、警備兵達を背にして高らかに宣言した。

 

 再び往還輸送機が突っ込んだゲート。

 機内ではほとんどの乗員が気を失って座席にもたれかかってぐったりとしていた。通路側の席に座っていたために比較的壁などにぶつけられずに済んだベルンハルトは、窓からゲート内が加圧されていることを確認すると、近隣の席の下士官に他の乗員の手当てと搬出を命じてすぐさま往還輸送機のハッチを開ける。

 外に出ると、ゲート内も機内と同じように警報が鳴り響いており、往還輸送機が進入してきたゲートは既に閉じられているのが見えた。往還輸送機の翼は折れ、機首のほうが無残に潰れている。パイロットの生存は絶望的に思えた。そして、状況を把握しつつあるベルンハルトを時折わずかな揺れが襲う。攻撃を受けたのは往還輸送機だけではないようだ。ボレアスそのものが攻撃を受けているに違いない。

 次々と往還輸送機から出てくる下士官兵たちに向かって、ベルンハルトは叫んだ。

「シャトルのパイロットの救出を優先しろ! 手の空いている者は他に怪我をしている者を運び出せ!」

「少尉はどうされるのですか!?」

 近くにいた若い軍曹がベルンハルトに聞く。

「この要塞の中にホーマルハウトがいるはずだ。敵を迎え撃つ」

 ベルンハルトはそう答えながら腰の拳銃を抜き、遊底を引く。これで、安全装置を解除さえすればいつでも発砲できる。

「ヴァイス少尉!」

 ベルンハルトに呼びかける者がいる。マーリオンだ。彼女は往還輸送機のハッチを出るとタラップのない場所からひらりと飛び降りる。その高さは建物の二階以上はあり、地球の重力下では下手をすれば怪我をしかねない。重力の弱いボレアスならではの芸当と言えた。そのまま彼女は軽やかにステップを踏みながらベルンハルトに向かって跳んでくる。

「ボルン少佐! ご無事でしたか!」

 ベルンハルトはマーリオンに銃を持っていないほうの手を伸ばし、彼女はその腕に掴まって勢いを殺す。

「私は大丈夫です。それよりも早くホーマルハウトを探さないと……」

「少佐、場所は分かりますか?」

 ベルンハルトはボレアスの構造をほとんど知らない。ホーマルハウトがいるはず、とは言ったものの、実際にはどこにあるのかははっきりとは判らなかったため、これから調べるつもりだった。

「マクスウェル大尉が迎えに来てくれる予定になっていましたから、正確な順路は私もわかりません。でも、このゲートから一番近い四番ドックにホーマルハウトが格納されているはずです」

「了解しました。道々、構造図を確認しながら少しでも進んでおきましょう」

 言うが早いか、ベルンハルトは要塞内部への入口に向かって走り出した。マーリオンもそれに遅れまいと走り出す。

 

 ボレアスの通路は照明が落ち、赤く暗い非常灯に切り替わっていた。慌ただしく通路を行き来するボレアスに配属されている兵士達。

「おい! 君!」

 ベルンハルトは、近くを走り抜けていく伍長を引き留めようと声をかける。

 伍長は、非常に急いでいる風ではあったが、ベルンハルトの方を振り返って立ち止まった。

「なんでありますか? 少尉」

 伍長の視線はベルンハルトの足元から襟まで往復し、士官用の制服を着ていることや階級章からすぐに上官であることを確認したようだ。

「俺達を第四ドックまで案内してくれないか? ホーマルハウトの乗組員だ」

 しかし、伍長は少し困ったような顔をして、

「申し訳ありません、少尉。自分は任務中でありまして……」

 と言葉を濁す。

「こちらも急いでるんだ。なんとかならないか!?」

 伍長に詰め寄るベルンハルト。しかし、伍長も非常事態でやや錯乱していて、どうして良いやらわからずに返答に困っている様子だ。

「責任なら私が……」

 言いかけたマーリオンの言葉を遮るように、遠くから誰かが呼びかける声が聞こえた。

「ボルン少佐!」

 ベルンハルトとマーリオンはかぶりを振ってその声の主を捜す。背が高く、痩身の二人の男性士官がこちらへ向かって駆け寄ってくるのが彼らの視界に入った。

 ベルンハルトは、向こうからやってきた二人の男の階級章を見て、一人は大尉であることを見て、敬礼を施しつつマーリオンの邪魔にならないように横に退いた。

「少佐! ここにいらしたんですか! 早くホーマルハウトへ!」

 そうマーリオンに話しかけてきた男はベルンハルトと同じか少し年下くらいの青年だった。彼もベルンハルトと同じ少尉の階級章をつけている。

「少佐をお迎えにあがろうとしたら、これですわ。シャトルが攻撃を受けたと通信で聞いて、えらい心配しましたで」

 もう一人の大尉の階級章をつけた男は、独特の、なまりとも方言ともつかない言い回しとイントネーションで手振りを加えながら話す。

「心配かけてすいません、マクスウェル大尉、それから……」

「グデーリアンです。少佐」

 グデーリアンと名乗った少尉とマーリオンはどうやら初対面のようだ。ベルンハルトは彼の顔をどこかで見たような気がしたが、思い出せない。

「グデーリアン少尉もありがとう。私とヴァイス少尉なら大丈夫です」

 ベルンハルトの名前を聞いて、グデーリアン、アロイス・オットー・グデーリアン少尉は初めてベルンハルトの顔を見た。

「久しぶりだな! ……と言ってもお前は覚えていないだろうけどな」

「すまない。どこかで会ったような気はするんだが。ベルンハルト・ヴァイスだ」

 ベルンハルトは敬礼の代わりにアロイスに握手を求め、アロイスも笑顔でそれを握り返す。

「自己紹介はまた後にしとき。今はとにかくホーマルハウトへ帰らんと」

 妙な言葉を操る男、マクシミリアン・ジェラルド・マクスウェル大尉は三人に向かって速やかな移動を促す。

「マクスウェル大尉、グデーリアン少尉、助かりました。案内お願いします!」

 アロイスに先導されて四人は第四ドックへ向かって走り出した。

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「何故だ。何故、ボレアスは反撃しない!?」

 攻撃空母ホーマルハウト級一番艦「ホーマルハウト」の副艦長、アレクシス・デニス・バウアー中佐は、敵にいいように翻弄されているボレアスに不満を漏らしていた。一個艦隊に匹敵する強力な武装を持ち、多数の航宙機部隊を駐留させていると言われていながら、一向にボレアスが反撃している様子がないのだ。

 ここで、アレクシスはひとつの仮説に行き着いた。

「まさか……。ボレアスの中でも……?」

 アレクシスの頭の中では、一瞬でパズルが組みあがるように最悪のシナリオが描かれていった。血の気が引いていくのを覚えながら、彼はホーマルハウトの艦長席を振り返って叫んだ。

「艦長! 出港許可を!」

 アレクシスの大声での呼びかけに通信士の女性兵や、航行、監視、兵装、艦載機管制の各担当士官達も艦長席に向かって振り返る。

「いいえ、まだだめですよ……」

 ホーマルハウト艦長、シャオ・ティエンリン大佐は、それでも艦長席を立つことなく、静かに言い放つ。

「艦長! これだけ攻撃を受けていながらボレアスが反撃していないのは、ボレアスの中でも反乱が起きているに違いありません。このままではホーマルハウトが敵に奪われてしまいます。奴らの狙いは間違いなくこのホーマルハウトなのですよ!」

 アレクシスはなかなか出航しようとしない艦長に痺れを切らしてまくし立てた。

「まだです。まだ役者が揃っていません。今出て行ってもみすみす沈められに行くようなもの。それよりも、ドラグーンの発進準備を急がせてください」

 アレクシスの説得にも落ち着き払って自分の意思を淡々と告げる艦長、シャオ大佐。彼女の命令に応じて通信士が早速ドラグーン格納庫へ連絡をとる。アレクシスは動揺と困惑の表情を浮かべながらも上官の意見を黙って聞いていた。

「あ、そうそう」

 シャオは思い出したように別の通信士に向かって手を挙げた。

「コンウェイ上級軍曹、紅茶を一杯いただけますか?」

「艦長! 呑気に茶など飲んでいる場合ではありません!」

 アレクシスは、シャオに食いかかるように抗議するが、彼女はコンウェイ上級軍曹に茶の注文をつけるのに忙しく、アレクシスの話を微塵も聞いていない。まるで、右の耳から入ってそのまま左の耳へ抜けて行ってしまっているかのように一向に意に介した様子がない。

「は、はい……。こ……、紅茶の種類は……。さ、砂糖と、レモンと、ミルクは、ど、どうしますか……?」

 注文を受けたシルビア・エレノア・コンウェイ上級軍曹は、ヘッドセットを外して自席を立ち、シャオの方を向いて青ざめながらも震えた声でシャオの注文を復唱している。

 彼女は艦載機管制通信士であるため、艦載機を出撃させていない今は比較的手隙ではあった。しかし、暇だろうと忙しかろうと、本来であれば戦闘中に持ち場を離れることは厳禁であり、彼女にしてみればそれだけでも十分な服務規程違反である。自分の乗艦がいるドックが攻撃されているのを知りながら席を立つとなれば彼女の反応も無理からぬことである。

 今出ていっても沈められる。アレクシスもそれは分かっていた。しかし、敵はどこかで内部情報を入手し、明らかにこのホーマルハウトの出航のタイミングを狙って攻撃してきているのは間違いない。ぐずぐずしていると、ボレアスが全面的に占拠され、このドックにも敵が流れ込んでくるだろう。そうなったら、ホーマルハウトも、ホーマルハウトが搭載している十五機の最新鋭戦闘航宙機F/A-26ドラグーンも敵に奪われてしまう。

「早く……! 早く来てくれ。ボルン少佐!」

 アレクシスはいまだ閉じられているドックのハッチを睨んで唸るように呟く。シャオの言う役者とは他でもない、第三三戦闘攻撃航宙機隊長マーリオン・ボルン少佐のことだ。

「敵の迎撃に出撃した第三艦隊より入電!」

 シルビアが席を離れているため、主に艦載機管制以外の通信を担当している通信士、エカテリーナ・カルサヴィナ上級軍曹が声をあげる。しかし、その後がなかなか続かない。アレクシスが電文を早く読み上げるように催促しようとしたのとほぼ同時に、エカテリーナからのうわずった声が続いた。

「……『現在、我が第三艦隊は敵艦隊と交戦中。敵は、GUSF第六艦隊』とのことです!」

 シルビアはエカテリーナの声を聞きながら先ほどよりも顔色を悪くして、震える手でシャオの喫茶を用意している。手から血の気が引いて真っ白になった指先に冷感さえ感じているため思うように手が動かず、なかなかはかどらない。茶葉の分量をうまく量れず、湯がトレーや彼女の制服に飛び散る。

「馬鹿な……! 本当に反乱だというのか!?」

 アレクシスはあっては欲しくないシナリオがその通りになっているのを否定するかのように叫び、最悪の報告に対して驚愕の表情を隠しきれない。彼は、艦隊の名前を聞いてその司令が誰であったか瞬時に思い出していた。もし反乱を起こしたのがその人物であるならば、それだけでも十分驚愕に値する。

「敵は第六艦隊だけなのか!? いや、第六艦隊に間違いないのか!?」

「ホーマルハウトの搭載電子機器を使えないので、今はなんとも言えません!」

 監視担当先任士官のエドウィン・ラッセル・ハミルトン大尉はアレクシスの問いに即座に応答する。閉所でホーマルハウトの各種センサーを作動させても意味がないため、まだ彼には大きな仕事はなかった。

 しかし、異変は確かにある。彼の前にあるコンソールには先ほどまではボレアスからの情報が断続的に送られてきていたが、攻撃が始まる直前からコンソールに映る文字は一文字も増えていかない。

「今、再び電文ありました! 読み上げます。『我が第三艦隊は奇襲を受け、劣勢にある。戦闘を続行できるのはごく短時間と思われる。援護ができるうちに貴艦の速やかな出航を要請する』とのことです!」

 エカテリーナの報告にシャオを振り返るアレクシス。

 しかし、それでもシャオはにこやかな表情を崩そうともせず、やっとできあがって出てきた紅茶を悠然とすすっているだけである。茶の準備を終えたシルビアは通信コンソールの前で疲れ果てた顔でうなだれており、エカテリーナはシルビアがヘッドセットをつけるのを補助してやりながら心配そうに彼女の顔を覗き込んでいる。

 アレクシスは、一向に動きを見せないシャオを見て、彼女から見えない方向に体を向けると、

「……こんなところでやられてしまうのか。ホーマルハウトは……」

 と絶望のあまり天を仰いで思わず呟いた。

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 第四ドックへと急ぐマーリオンをはじめとするホーマルハウトの艦載機パイロット達。ゲートから最も近いドックとは言え、広大なボレアスの通路は長大だった。

 その途中、マーリオンとマクシミリアンの後ろを走りながらアロイスがベルンハルトに話しかけてきた。

「よぉ。そろそろ思い出したか?」

 ベルンハルトは彼の顔を横目に捉えながら、おそらく前にどこで会ったか早く思い出せと言っているのだと解釈した。しかし、やはりはっきりとは思い出せず、返事ができない。軍歴の短いベルンハルトに思い当たるのは、戦闘航宙機操縦士養成課程の時に一緒だった同期くらいしかない。しかし、そこにいた候補生の数は上級生や下級生も含めると百名や二百名ではきかないため、全員の名前と顔を覚えているのはそもそも無理というものだ。

 そのベルンハルトの反応を見てアロイスは、

「冷たい奴だぜ。お前がドラグーンの専従パイロットに選ばれた時は盛大に祝福してやったのによ」

 と溜め息をつきながら首を振る。

 祝福、の言葉でベルンハルトは思い出した。養成課程の卒業式の日、恒例の帽子投げが済んだ後、周囲の様子がおかしいことに気づいた。教官から厳命されたとおりに誰にも言わなかったのに、自分がドラグーンのパイロットに選抜されたことを知っていた大勢の候補生から手荒い祝福を受けたのは忘れたくても忘れようもない。その時、直立不動のまま視線だけで忌々しげにベルンハルトを射抜いていた視線もだ。ベルンハルトはひとつ勘違いをしていた。卒業の日まで他言無用ということは、卒業の日になったら明かしてもいいという意味だったのだ。彼がドラグーンのパイロットに選ばれたことを候補生達に気前良く教えたのは、他でもない教官である。

 更にその中でも、どこから持ってきたのかは知らないが、最後にベルンハルトの頭の上からバケツの水を盛大にかぶせた者がいた。バケツを持ったまま、ずぶ濡れになったベルンハルトを見て大笑いしていた人物、それがアロイスだった。

「……どうやら思い出したらしいな」

「ああ。あの馬鹿笑いをな。こんなところで再会するとは奇遇だな」

 ベルンハルトは殊更怒ることはなかった。ここでやり返すこともなかった。何故なら、その時のアロイスは大笑いをしながらも、笑って出たのではない涙を流していたからだ。彼らの夢を無残に打ち壊して自分がドラグーンのパイロットに選ばれたのだから、あの程度のやっかみは仕方がないと思うしかなかった。

「奇遇と思うか? まぁ、俺がホーマルハウトに配属になったのは確かに偶然だが、大尉が俺をここに連れてきたのは偶然じゃないぜ」

 何のことを言っているのかわからず、得意げなアロイスの顔を見る怪訝そうな顔のベルンハルト。アロイスはベルンハルトの反応を見て満足そうに、

「ホーマルハウトに着いてみれば解るさ。きっとたまげるぜ」

 と言いながら喉の奥で笑いを漏らす。ベルンハルトにはホーマルハウトに何が待ち受けているのかまったく想像がつかず、なんとなく漠然とした不安が胸の中に湧き上がってきていた。

 そうこうしているうちに、第四ドックまであとわずかという標識が目に入る。しかし、ドックを目の前にしてその行く手を阻む者が現れた。

「止まれ! この第四ドックは現在閉鎖中だ! 直ちに立ち去れ!」

 ヘルメットを目深に被り、自動小銃を構えた完全武装の兵士は、ベルンハルト達に銃口を向けてそう威嚇した。

「アホ言うな! 俺らはホーマルハウトの乗組員やぞ!? 自分の船に帰るな言うんかいな!?」

 マクシミリアンは警備兵と思しき男に食って掛かったが、彼は怯む様子もなく、

「司令からの命令だ! 第四ドックには誰も近づけるなという! 立ち去らんと、この場で射殺する!」

 と更に銃口をマクシミリアンに向かって突き出す。

 その言葉を聞いたアロイスがマーリオンに耳打ちする。

「少佐、おかしいです。ボレアスの司令がホーマルハウトの出航を邪魔するような命令を出すとは……」

「ええ。わかっています。みんな、銃は持っていますね?」

 全員、マーリオンを見ずに、警備兵のほうを見据えながら頷く。

「なにをこそこそ話している! 早く立ち去らんと……!」

 とそこまで言いかけた警備兵にマクシミリアン、アロイス、ベルンハルトの三人が飛びかかった。三方から襲われ、不意をつかれた警備兵は慌てて自動小銃の引き金を引くものの、その銃身はアロイスに押さえつけられ、銃弾はあらぬ方向へと流れていく。直後、警備兵はマクシミリアンに拳銃のグリップで顎を強打され、そのまま崩れ落ちる。すかさずアロイスが警備兵の自動小銃を奪って肩にかけ、マーリオンの方を振り向く。

「事態は一刻を争うようですね。次にホーマルハウトへの道を塞ぐ奴が現れた時には……」

 最後の言葉を切るアロイス。マーリオンは一瞬の間をおいて、拳銃を顔の前に持ち上げてその言葉を継ぐ。

「射殺しても構いません!」

 

 再び第四ドックへの通路を走り出したベルンハルトの眼に、通路の丁字路に一人の兵士がいるのが見えた。その兵士は、立ったまま通路の壁に背中を預け、ベルンハルトから見て右手の通路からの銃撃をひとしきりやり過ごすと、壁の影から顔を出して自動拳銃を撃ち返す。再び銃撃の雨が始まるとまた通路の影に隠れる、という銃撃戦を繰り返している。

(あれは、誰だ……?)

 敵か味方かは判らないが、服装から言って男性士官であることだけは判る。加勢すべきなのか、排除すべきなのか決めあぐねていると、丁字路の正面方向、奥から別の兵士が音もなく現れた。明らかに壁に隠れている男性士官を狙っている。男性士官は右手からの銃撃に気をとられていて気づいた様子がない。

「危ない!」

 ベルンハルトは、とっさに飛び出した。その男性士官が敵か味方かはともかく、右手からの銃弾の雨の中、無我夢中で彼に飛びついた。

 床に倒れこむ二人のすぐ上を奥の兵士から放たれた銃弾が通過していく。発砲を見たマクシミリアンは奥の兵士に向かって自動拳銃の引き金を素早く三回引く。いずれの弾丸も命中し、呻き声をあげて倒れる兵士を確認すると、ベルンハルトは男性士官の肩を抱え起こした。

「大丈夫かっ!?」

 その時、ベルンハルトは僅かに違和感を感じた。手から伝わってくる感触は男の肩にしては細く、柔らかい。

 男性士官は、その問いかけにすぐには答えず、俯いたまま呟いた。

「……僕に触らないで」

 あまりに小さな声だったので、ベルンハルトは思わず耳に手を当てて聞き返す。

「え? なんだって!?」

「僕に触らないでって言ったんだ!」

 俯いたままの男性士官の大声に驚いてベルンハルトは慌てて手を離す。

 改めて男性士官を見ると、ベルンハルトと同じ少尉の階級章をつけており、亜麻色の長い髪をひとつに束ねている。端整かつ中性的な顔立ちで、いわゆる美少年という形容がぴったりだった。

「ヴァイス少尉! 彼は味方です。ドラグーンのパイロットです!」

 既に通路右手の兵士と銃撃戦を始めているマーリオンから声が飛んだ。

 直後、アロイスが先ほど奪った自動小銃をフルオートにして弾倉の銃弾を全部ばら撒くが、有効打にはならなかった。

「お前、名前は?」

 壁に隠れて相手の様子を窺いながら男性士官に尋ねるベルンハルト。足元に転がるまだ熱を帯びた空薬莢の焦げた匂いが鼻をつく。

「ユーリイ。ユーリイ・ローゼフ」

 そう手短に答えたユーリイと名乗る男性士官は、空になった弾倉と排出して腰の弾帯から予備の弾倉を取り出し、装填する。

「聞いたことあるぞ。大昔に世界で初めて宇宙に行った奴と同じ名前だな」

 ベルンハルトが言うのは、まさしく旧ソビエト連邦の宇宙飛行士ユーリイ・アレクセーエヴィチ・ガガーリン大佐のことだ。しかし、ユーリイはその言葉に眉をひそめた。

「つまらないことに気がつくね。ロシアではありふれた名前だよ」

「そうか、つまらなくて悪かったな」

 不機嫌そうに、にべもなく言い返すユーリイにベルンハルトは思わず苦笑する。

「こんな時に笑っていられるなんて、随分余裕だね」

「目の前で起こっていることがいまだに信じられなくてね」

 そう言うベルンハルトにユーリイは目を細め、更に不機嫌そうに、

「さっきから一発も撃ってないみたいだし」

 と付け加えた。

「味方同士で撃ち合いなんて、正気でできるものか」

 精一杯強がって見せるが、自動拳銃を持つベルンハルトの右手は先ほどから細かく震えていた。左手で右腕の手首を掴んでその震えを抑えようとするが、本人の意思に関わらず右手の震えはおさまらない。その様子にユーリイも気づいていたが、自分も最初の一発を撃つまではそうだったことを思い出し、あえて指摘しないことにした。

「同感だけど、もう既に正気じゃない相手に話が通じるとは思えないよ」

「だからって殺すか? 賛成できかねるね……」

「じゃぁ、代わりに君が死んであげる?」

 ベルンハルトは黙っていた。気持ちの整理がつかなかった。せっかくドラグーンのパイロットに選抜されたというのに、本物の操縦席に座る前に死ぬなんて無論御免被りたかった。しかし、配属初日に味方を殺すなどという正気の沙汰とは思えない暴挙に即座に納得するのも簡単ではないように思えた。

「死ぬ覚悟もないクセに殺したくないなんて。そういうのを偽善者っていうんだよ」

 偽善者という言葉を強調したその言葉に、はっとしてベルンハルトは肩が触れ合う距離にいるユーリイの顔を見る。しかし、それでも背中を流れ落ちていく冷や汗は本能的に恐怖を感じていることを証明していた。

「さっき、僕を助けた時はもっと骨のある人かと思ったんだけどね」

「なんとでも言え。死ぬのが怖くない奴なんているものか」

「君は矛盾してるね。死にたくなかったのなら僕を助けなければ良かったのに」

「それが命の恩人に対する台詞かよ」

 ベルンハルトとユーリイがそんな遣り取りをしている間、通路を挟んで反対側の壁に隠れているマーリオン、マクシミリアン、アロイスも決め手を欠いて手をこまねいていた。

「どうします? このままだと埒があきませんよ。弾数も限られてますし」

「次に向こうからの銃撃が止まったら、突撃するしかあらへんやろうなぁ」

 アロイスの問いかけに、彼の顔を見ずに答えるマクシミリアン。敵はともかく、こちらは平常時の装備であるため、予備の弾倉は各員ひとつずつしか持っていない。弾切れになった時点で投降するか、自殺行為と知りつつ素手で敵に飛び掛るしかない。

 マーリオンも覚悟を決め、突撃を指示しようとしたその時、痺れを切らした敵側からこちらへ接近してくるのが見えた。こちらが軽装備でほとんど撃ち返してこないので弾切れと踏んだのかもしれない。最初はゆっくりだった足取りも、分隊長と思しき兵士の「ゴー! ゴー! ゴー!」という掛け声とともに速くなってきた。もう迷っている暇はない。

 次の瞬間、接近してくる兵士が何かを投げた。ベルンハルトは、重い金属音を立てて転がってきた丸い物体に目を丸くする。それが何なのかを直感的に理解し、ベルンハルトは通路に飛び出し、それを思い切り蹴飛ばした。金属の丸い物体、兵士が投げた手榴弾は、相手の足元で炸裂した。砕け散った金属の破片に身体中を引き裂かれ、悲鳴をあげる間もなく倒れる先頭の数人の兵士。後ろに続いていた兵士は倒れた兵士が盾になった格好になり、ほとんど手榴弾の破片を浴びなかった。

 それを好機と見たマーリオン、アロイス、マクシミリアン、ユーリイの四人は、壁の影から飛び出し、残っている敵兵士に向かって自動拳銃を連発しながら吶喊した。手榴弾が爆発した際に放たれた煙の中、銃声の数と同じだけのおびただしい数の薬莢が床に跳ね返る音がそこかしこから響く。煙で視界を奪われた兵士は闇雲に引き金を引くが、マクシミリアンの接近を許し、次の瞬間には顎の下に銃口を突きつけられていた。

「悪う思わんでな」

 敵兵士の動揺をよそに躊躇なく引き金を引くマクシミリアン。短い発砲音とともに糸の切れた操り人形のように崩れ落ちる兵士。他の兵士も同様に自動小銃を撃ちながらも倒れていく兵士達。

 手榴弾を蹴飛ばした後、床に伏せて頭を抱えていたベルンハルトは、銃声が止んだ後、恐る恐る顔を上げた。

 目の前には、身体を何箇所も撃ち抜かれた兵士と、手榴弾の弾片で身体中を引き裂かれた血まみれの兵士が転がっていた。何人かはまだ生きているようで、絶え絶えに呻き声をあげている。

「うっ……!」

 ベルンハルトはその惨状に喉の奥からこみ上げてあげてきたものを抑えることができなかった。

「ゲエエエエッ!!」

 四つん這いになり、胃の中の未消化物をすべて吐き切ってしまうまで、ベルンハルトの嘔吐は続いた。

 そんなベルンハルトに一瞥をくれると、マクシミリアンは足元の兵士に視線を戻し、手早く弾倉を交換すると、

「今、楽にしてやるで。せめてもの情けや」

 とまだ息のある兵士の頭部に銃弾を撃ち込んだ。

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 第四ドックに格納されているホーマルハウトを襲う震動は徐々に大きさを増し始め、艦橋の焦燥感をあおる。

「艦長! ドック内壁の温度が上がっています!」

 センサーの表示を見ていた監視担当士官ハミルトン大尉の報告が終わる前に、ドックの天井から火柱が猛烈な勢いで吹き出した。ドックの内壁に亀裂が入り、あちらこちらから火柱が見えるようになってくる。

「艦長! もう限界です! ホーマルハウトは戦艦クラスの主砲を搭載しています。艦載機も自動迎撃システムによっても迎撃は可能なはずです。どうか出港許可を!」

 アレクシスの必死の説得にもシャオは身動き一つしない。

「艦長! たった今マーリオン・ボルン少佐以下五名が到着したとの報告がありました!」

 再びヘッドセットを身に付けたシルビアはシャオを振り返る。シャオは、事ここに至って、伏せていた目をゆっくりと開くと手に持った湯呑みを膝の上に置き、数分間の沈黙を破った。

「カルサヴィナ上級軍曹、ボレアスから出航許可は下りましたか?」

「い、いえ……。応答ありません」

 一応出航許可とドックのハッチ開放の要請はしてみたものの、ボレアス内部が混乱しているためか、反乱を起こした兵士が通信を妨害しているためか、指令センターからの応答はまったくなかった。

「よろしい。一応聞いておかないと後で怒られちゃいますからね」

 本気なのか冗談なのか、シャオは今となってはどうでもよいようなことを言う。

「ドラグーン発進準備良いですか? 主砲用意。ドックのハッチを強制排除します。ハッチ排除後、ドラグーン緊急発進してください。ドラグーン射出後、ホーマルハウト出航します」

 シャオはなおも立ち上がることもなく、身動きすることもなく、淡々と命令を下す。

「シマブクロ機関長、出航準備いいな?」

 アレクシスは機関室へ連絡を取る。通信用モニターには、ふてぶてしい笑みを浮かべてたスキンヘッドの中年の男が写っている。

「おう! こっちはいつでもいいぜ! このまま沈んじまうじゃねぇかと冷や冷やしたぜ」

 

 マクシミリアンとアロイスはホーマルハウトに乗り込むと同時にベルンハルト、マーリオン、ユーリイの三人と別れてハンターの格納庫に向かった。「死ぬなよ!」の一言を残して。

 ドラグーンを格納しているホーマルハウト内ドラグーン専用格納庫。ドラグーンは降着用のランディング・ギアを展開しておらず、巨大なクレーンに吊るされるようにして格納されていた。天井にはクレーンが移動するためのモノレールのそれと似たようなレールが設置され、格納庫の外へと伸びている。

 ベルンハルトは初めてドラグーンを目の前にしていた。

「これがドラグーン……」

 全長二十七メートルにも及ぶ鋼色に輝くその威容は、まさに巨大な龍を連想させた。白と青に塗り分けられた機体は、艶消しの灰色一色で塗られていた先行試作機とは輝きが違った。形も先行試作機とほぼ同じだったが、間に合わせの部品で作られていた部分は、武骨ではあるものの、より洗練されたデザインになっていた。また、先行試作機では感じなかった、触れれば切れる鋭利な刃物を思わせるような危険な雰囲気も醸し出していた。ハンターが狩人の機敏さを象徴するものであるとすれば、ドラグーンはまさに竜騎兵の力を象徴しているように見えた。

 それが十五機も並んでいるのだ。圧倒される壮観な光景と言えた。すべてのドラグーンはそれぞれ円筒形の自動兵装換装ユニットの中に収められ、出撃の時を待っていた。兵装を交換する際には、機体を取り囲む円筒が回転し、兵装コンテナの中から適切な兵装が専用の鋼の腕によって取り出されて自動的に換装する。

 圧倒的な迫力に魅入られ、息を呑んでドラグーンに見とれているベルンハルトにマーリオンからの声が飛ぶ。

「ヴァイス少尉! 何をしているのですか!? 早くコックピットへ! あなたの機体は十三号機です!」

 ベルンハルトは、我に返ってマーリオンの方を見る。そして、弾かれるように自分の機体へ走り出す。すぐ隣を走っていたユーリイは、

「まさか、銃が撃てないだけじゃなくて、ドラグーンにも乗れないなんて言わないよね?」

 と皮肉めいた言葉を残し、ベルンハルトの答えを聞く前に自分の機体へ向かった。

 パイロット・スーツに着替えている暇はない。

 先ほどの嘔吐で汚れたままの制服で乗降用デッキからドラグーンのコックピットに躍り込むと、整備兵がパイロット乗降用のデッキと反対側のタラップから素早く上がってきて、手を差し伸べてシートベルトを締める補助をしてくれる。

「本物のドラグーンの操縦は初めてだと思いますが、シミュレータと、先行試作機の操縦をみっちりやってきたのなら大丈夫です」

 シミュレータ、その言葉を聞くだけでうんざりする。養成課程も含めると何百時間シミュレータで訓練を繰り返しただろうか。

「細かい電子機器の操作はMARIONシステムが補助してくれます。少尉は操縦桿を握っているだけでOKです。すぐに発進できます」

 てきぱきと指示をしてくる整備兵の声を聞きながら、ベルンハルトはコクピットの配置がシミュレータのそれと変わらないことを見て、当然と知りながらも安心した。

 ベルンハルトは、足元にあるブーツ状の機器に足を通す。この機器は、通常の航空機で機体を水平方向に旋回させるフットペダルと同じ機能を持つ。

 次に、操縦桿に腕を通し、両手を開いたり閉じたりして感触を確認する。ドラグーンの操縦桿は、通常の航空機や従来の航宙機のものと異なり、左右にひとつずつ、椅子で言うと肘掛けに腕を下ろした状態でちょうど手の位置に来るように配置されており、半分に切った球状をしている。その手前には腕を通して固定するガントレットがあり、その名の通り中世の板金鎧の肘まである篭手に近い形状をしている。それぞれの球状操縦桿には五本の指にそれぞれ対応するアナログ・スイッチが取り付けられており、それが火器のトリガーとなり、スロットルとなる。標準設定では右手がトリガー、左手がスロットルと電子機器操作に設定されているが、パイロットの任意で好きなようにスイッチの配分を定めることもできる。訓練中は、カスタマイズなど十年早いと教官に個別設定を禁止され、標準設定のままでも自在に操縦ができるまでしごきにしごかれた。

「生きて還ってきてください」

 整備兵はそう言い残し、振り向きざまに短く崩れた敬礼を施すと、ドラグーンから離れる。ベルンハルトはコクピットから頷いてそれに応えた。

 キャノピーが閉じられると、キャノピーの裏面全体に外の様子が投影される。全部で三面あるグラス・コックピット化された統合ディスプレイに次々と灯が入ってゆき、ドラグーンの頭脳が目を覚ましたことを告げる。パイロットから見て中央にあるディスプレイが作戦宙域をはじめとするもっともグローバルな情報を表示し、左のディスプレイはメイン・エンジンである核融合炉の出力をはじめとする機体の状態を表示する。右側のディスプレイは主に通信に使用され、レーザー通信の通話品質が良ければ映像も送りあうことができる。主幹表示器が故障した時のために備えられた各種補助計器もすべて正常に動作している。先行試作機に初めて乗った時も驚いたが、核融合炉の出力はハンターのカタログ・スペックとは桁が違っていた。

 最後に、キャノピーの全面に機体の姿勢やレーダーの情報を表示するヘッドアップ・ディスプレイが投影された。

『生体認証完了。ベルンハルト・ヴァイス少尉ト認識シマシタ。初メマシテ、マスター。私ハ、F/A-26ドラグーンノボイス応答型AI技術支援アビオニクスMARIONデス』

 何の前触れもなくドラグーンが語りかけてきたので、ベルンハルトは不意をつかれてのけぞった。ドラグーンのアビオニクスは言葉を喋るとは聞いていたが、ここまで流暢に話すとは思っていなかった。シミュレータや先行試作機ではボイス応答機能はカットされていたため、ベルンハルトは今初めてMARIONシステムの声を聞いたのだった。

 MARIONシステムは、複雑なドラグーンの全機構を無駄なく完全に制御し、パイロットの生命を優先しつつ敵機を的確に撃墜することを支援する航宙管制及び火器管制システムを統合した総合アビオニクスである。五基の超小型スーパーコンピュータから成り、それらによる並列処理と、多数決処理を行う。それぞれのコンピュータは、一定の視点で演算結果を弾き出す性格設定がなされており、それら自身も無数の演算処理装置を持った非同期式超並列コンピュータである。光学カメラ、各種センサー、レーダー、武装の残弾・動作状況、核融合エンジンの出力・状態、パイロットの状態など機体各所から得られる無数の入力に対し、各コンピュータが性格設定に基づいてそれぞれの答えを導き、最後にそれを総合して最終的な解を導く。なお、MARIONシステム≠ヘ略称であるとされているが、製造メーカーであるマクレイン・エアロスペース社は正式名称を明らかにしていない。

 ベルンハルトの驚きには関知せず、MARIONシステムは淡々と話し出す。

『コレヨリ、本機ハ出撃体制ニ入リマス。自己診断終了、異常ナシ。各種電子機器、全武装、核融合ロケット・エンジン、イズレモ異常ナシ。ドラグーン十三号機、カタパルト射出位置へ』

 先ほどから低く唸りを上げていたドラグーンがいっそう大きく唸り出す。間もなく、ベルンハルトのドラグーンを吊るしているクレーンを固定していたロックが外れる音がすると同時に、カタパルトへ向けてクレーンは滑るように移動を始める。格納庫内ですぐに九十度向きを変え、外へと伸びるレールを一定の速度で進んでいく。キャノピーに写る映像を通して見える格納庫内の景色が徐々に後ろへ流れていく。

 ベルンハルトの心臓は先ほどからこれ以上にないほどに早鐘を打っていた。まだ喉の奥に残っている胃酸の匂いに違和感を感じながらも、操縦桿を握る手にじっとりと汗を感じる。

 ドラグーンを吊るしたクレーンは、明るかった格納庫を出ると、まばらな照明があるだけの暗い通路へと進入し、急勾配の坂を登った後、エレベータのように垂直に移動し始める。時間にしてほんの二十秒ほどの移動だったが、ベルンハルトは、それまでの訓練のことを必死に思い出して、自分ならやれるはずだと、言い聞かせた。

 ベルンハルトが軽い衝撃を感じた後、彼のドラグーンはカタパルト射出位置に横に押し出されて固定された。ベルンハルトの鼓動がいよいよ速くなる。しかし、

『進路レッド。コノママデハ出撃デキマセン』

 とのMARIONシステムの報告にベルンハルトは前方を見遣る。確かに、第四ドックのハッチが閉じていてこのままでは出撃できない。どうしたらいいのかMARIONシステムに尋ねようとした時、マーリオンから通信が入った。グラス・コックピットの右側のディスプレイの一部にマーリオンの顔が小さく写る。ヘルメットを被っていないので、彼女の髪は低重力のためになかなか下に流れず、顔にまとわりつくようにかかっている。

『ヴァイス少尉、聞こえますか!? これからホーマルハウトが主砲で前方にあるドックのハッチを破壊します。その後に発進です。いいですか?』

「了解しました! 少佐、お気をつけて!」

『ありがとう。少尉も必ず生きて帰ってください』

 ベルンハルトは、通信が終わると、再びカタパルト射出口の向こう側を見据えた。

 

「ドラグーン発進準備完了。いつでも発進できます!」

「ハンター中隊も発進準備完了しています!」

 シルビアとエカテリーナからの報告が続く。

「主砲準備よし。目標、前方のボレアス第四ドック、ハッチ! 閉所空間での発砲のため、乗組員は総員、衝撃と閃光に備えよ!」

 兵装管制士官エルンスト・テオドール・シュヴァルツ大尉からの主砲発射の警告が艦内全域に通告される。

「艦長!」

 力をこめた声で命令を促すアレクシス。この状況をなんとか打開できるかもしれない、と先ほどまで焦燥感に支配されていた彼の心は前向きな興奮に躍っていた。

「主砲、撃っちゃってください」

 シャオ艦長は茶をすすりながら、主砲発射を命じた。

 自分の興奮とは裏腹に、あまりに緊張感のない艦長の命令にアレクシスは思わずがっくりと肩を落として片手で目を覆う。

 

 ホーマルハウトの艦首に装備された空母のものにしては高出力のビーム・キャノン。それに膨大なエネルギーが収束され、強烈な閃光と、轟音を伴って発射される。ベルンハルトの目にもカタパルトの射出口から閃光が見えた。軽い地震くらいの震動と強烈な轟音が彼を襲う。

 その閃光と震動はしばらく続いたが、轟音は最初の一秒ほどで聞こえなくなっていた。破壊されたドックのハッチからドック内の空気が外にすべて吹き出てしまった証拠だ。ハッチの残骸はドック内部の気圧に押し出されて宇宙空間に弾け飛ぶ。

 閃光がやむと、そこには漆黒の宇宙が広がっている。

『進路グリーン。ドラグーン、レディ、ゴー!』

 間髪入れず、MARIONシステムがドラグーンを発進させる。体を操縦席に押し付ける強烈な加速がベルンハルトを襲う。

「ぐうっ……!」

 先ほどまで遠くに見えていた射出口が急速に迫ってくる。

 次の瞬間、ベルンハルトのドラグーンはホーマルハウトの外、ボレアスの第四ドックのハッチから宇宙へ飛び出していた。

『艦載機全機へ! 敵はGUSF第六艦隊です。艦載機が多数ボレアスの周囲に飛来しています。注意してください』

 ホーマルハウトの艦載機管制通信士シルビア・コンウェイ上級軍曹から支援情報がもたらされる。ベルンハルトは首を巡らして、攻撃されているボレアスを初めて見た。第四ドック付近はひどく損傷しているが、それ以外の部分の損傷は軽微で、武装が損傷して使用できないとは到底思えない。航宙機発進用の長大な電磁カタパルトも無事だが、味方の航宙機が出撃した気配もない。そもそもボレアスが最初からほとんど反撃を試みていないことが伺えた。ボレアスからはまったくと言っていいほど組織的な反撃はしておらず、敵にいいようにされているような状態だった。

「本当にこれがGUSF最強の要塞なのか……?」

 どんなに強力な武装を持っていたとしても、それを運用する兵士達が戦うことを放棄してしまっているのでは、いかに最強と謳われるボレアスと言えども宇宙に浮かぶ巨大な金属の塊に過ぎない。自分の力を誇示することさえしないその魔神の姿にベルンハルトは何かもの悲しい感情を抱いていた。先ほど、往還輸送機の窓から見たあの銀色の巨大要塞の威容は、もはや形だけでしかなかった。

 しかし、感傷に浸っていられるのもそこまでだった。

『二時方向ヨリ所属不明機接近!』

 MARIONシステムからの呼びかけに我に返るベルンハルト。目の前のディスプレイに視線を走らせ、右方を見る。

『敵機機種判明。F-21ハンター』

 ベルンハルトは操縦桿を握り直すと、ボレアスを襲っている酔狂な敵を追い始めた。

 F-21ハンターはドラグーンの前にGUSFの主力艦載機として活躍していた軽戦闘機である。機体の大きさの割には強力なエンジンを積んでおり、機動力に優れる機体だ。対艦攻撃や要塞攻撃をほとんど想定されていないためにそれほど強力な武装を積んでいない。

 ベルンハルトはスロットルを開き、急機動をかけてハンターに接近すると、反応の遅れた敵の背後をあっさりと取った。そのままドラグーン専用のボール型操縦桿を握りしめ、標的に定めたハンターを執拗に追う。

 敵のハンターは、ベルンハルトのドラグーンに背後をとられてからその存在に気づいたように、その動きは慌ただしかった。それでもなんとかロックオンされまいと急機動を繰り返す。しかし、機体の大きさで言えば遙かに大きいドラグーンが小回りのきくハンターにピッタリとくっつき、逃がさない。まさに、ウサギを追う猟犬の心境と言えた。ベルンハルトのドラグーンに追い立てられるハンターの背中がひどく哀れに見えた。

 ベルンハルトは、ヘッドアップ・ディスプレイに表示されている照準をハンターに合わせようと、機体を縦横に操作する。シミュレータでやっていたよりも簡単にさえ思えた。自分が思うように機体が勝手に動いてくれている、そんな錯覚さえ覚えた。

 照準の中央にハンターが入った。真っ赤なロックオン≠フ表示とともにそれを告げる電子音が響く。しかし、ベルンハルトは躊躇ったかのように、トリガーを押し込みかけた指の力を抜いてしまった。

『マスター、ファイアリング・ポジションデス! ロックオン! ロックオン!』

 MARIONシステムからの呼びかけがあっても、ベルンハルトはトリガーを引かない。ベルンハルトの額には脂汗が浮かんでいた。目を細めて歯を食いしばるベルンハルトの視界にあるハンターは、いまだにドラグーンの射程内にいた。

「あの機体に乗っている奴は、昨日まで俺達の仲間だった奴だ……」

 ロックオンを示す真っ赤な照準を見つめてそう呟いたベルンハルトの目に、目の前のハンターがレーザーに撃ち抜かれて爆発、飛散する光景が写った。核融合炉に直撃したため、行き場をなくした膨大なエネルギーの塊が真っ白な光輪を広げたが、コンピュータ処理の防眩フィルタで光度を減殺されたその光はベルンハルトの目には花火の炸裂程度にしか見えなかった。

「…………!?」

 ベルンハルトは一瞬何が起こったのか解らなかった。しかし、たったひとつ解ったことは、たった今一人のパイロットが死んだということだけだった。仮に脱出が間に合っていたとしても、この状況でパイロットの生死を確認する術はなく、ベルンハルトの心では一人確実に死んだという衝撃が強く刻み付けられた。

『何やってんのや! なんで撃たんのや!?』

 通信に飛び込んできた声はマクシミリアンのものだった。ディスプレイにベルンハルトのドラグーンを追い越すように進んできたマクシミリアンの機体が写る。彼の機体もハンターだ。コンピュータで処理され、マクシミリアンのハンターは友軍機であることを示す青みを帯びた色でぼんやりと輝くように表され、その下にマクシミリアンの名前、所属部隊と機種が表示されている。

「大尉……!」

 質問に答える代わりにベルンハルトはそう一言発するのが精一杯だった。

『自分、さっきの白兵戦でも撃たなかったやろ? 殺らなきゃ自分が殺られるんやで! 第一、わいらが敵さんをいてまわないと、ホーマルハウトが沈められてまうんやで。還るところがなくなってまうんやで。それでもええのか!?』

 早口でまくしたてるマクシミリアン。ディスプレイの中の彼もヘルメットを被っておらず、先ほどと同じ服装だった。

「そ、それは……」

 口ごもるベルンハルトにマクシミリアンは更に発破を掛ける。

『しゃんとせえ! お前はGUSFでたった十三人しかいないドラグーンのパイロットの一人なんやろ!?』

 マクシミリアンの言葉に、ベルンハルトはユーリイの言葉を思い出していた。死ぬ覚悟もないのに殺したくないなんて偽善者だと。理屈は解る。理屈は解るが、殺さなければ生きられないという獣のような論理に納得できないでいた。三年前に内乱が起こったばかりだから、自分が戦場に赴くことなどないと平和呆けした考えは持ってはいなかった。GUSFは治安維持部隊だ。決して人殺しが目的で入隊したはずではないと断言できる。しかし、彼が今駆っているドラグーンは戦術兵器だ。搭載されている武装は間違いなく敵を破壊し、殺すために造られたものだ。その二律背反にベルンハルトは絶句した。

『右や! 回避せえ!』

 ベルンハルトが再び口を開こうとした時、マクシミリアンが再び怒鳴った。ベルンハルトは問い返さずにとっさに回避機動をとる。彼の機体のすぐ脇をアサルト・レーザーが通過していく。

『今度の奴はさっきまでの奴らとは動きがまるで違うで! 気ぃつけえ!』

 ベルンハルトは、再びスロットルを開いて攻撃を仕掛けてきた敵に向かう。敵は赤い、シャープなラインを持った機体。

「なんだ、あの機体は……? 見たこともない機種だ。MARION、敵機種は!?」

 MARIONシステムからの返事がある前に、お互いの機体は至近距離に接近し、すれ違いざまにトリガーを引くが、どちらも命中せずに通過する。後から思えば、当たらないと思ったからトリガーを引けたのかもしれない。赤と青のふたつの機体はすれ違った直後から旋回を始め、ドッグファイトが始まる。

『データベース照合、該当機種アリマセン。敵機種不明』

「なんだって……?」

 ベルンハルトは、操縦桿を操作し、敵を捉えようとする手を休めることなくMARIONシステムの報告に対して呟く。目標は、少しずつベルンハルトの視界から遠ざかっていく。と、その時、

『聞こえるか? 私の後ろにいるドラグーン・パイロットの君』

 突然、映像なしの通信が飛び込んできた。音声信号は特に加工されておらず、肉声をそのまま送ってきている。低い、威圧感のある声だ。

「なに? 敵からの通信!?」

『君にも人の心があるのなら、すぐにその機体から降りたまえ。ベイル・アウトの時間を与えよう』

 低い声は、まるで戦う前から勝つのは自分だと判っているかのように、自信に満ち溢れた口調でベルンハルトにドラグーンからの脱出を迫った。

 核融合炉を搭載した航宙機が運悪く炉に直撃を受けて爆発した際には、搭乗員が脱出する暇などほとんどないに等しい。よしんばベイル・アウトのレバーを引くのが間に合ったとしても、機体から十分離れる前に爆発してしまえばその膨大なエネルギーに巻き込まれて搭乗員は跡形もなく蒸発してしまう。低い声は、安全に脱出できる時間をベルンハルトに与えようと言うのだ。

 赤い機体はわざと大きく旋回しつつ、ベルンハルトのドラグーンへの接近を遅らせているようだった。彼は自身の自尊心をいたく傷つけられたうえ、目の前で血の海に沈んだ兵士の姿を思い起こし、怒りに任せて声の主に大声で怒鳴り返した。

「ドラグーンを降りろだと!? 馬鹿も休み休み言え!」

 しばらく返答がなかった。

「人でなしはどっちだ! お前らが馬鹿な考えを起こしたせいで、何人も死んだ! おい、聞いてるのか!?」

 赤い機体は機首を徐々にベルンハルトのドラグーンの方へ向けている。声の主は、今度はひどく失望したような声で、

『そうか、やはり何も知らないか……』

 呟くように言うと、徐々に語気を強くしながら続けて言い放つ。

『君に恨みはないが、我が正義の剣によって、その機体もろとも、ここで死んでもらう!』

 赤い機体はベルンハルトの視界からかき消すようにいなくなった。

「どこだ! どこへ行った!?」

『マスター! 後ロデス!』

 赤い機体はいつの間にかベルンハルトの背後に回り込んでいた。MARIONシステムの敵機動解析がやっと間に合うかというほどの速い機動だった。

 今度はベルンハルトが追われる番だった。先刻撃墜されたハンターと同じように、ロックオンされまいとスロットルを全開にし、操縦桿を前後左右に倒す。しかし、上下左右どちらへ逃げても、どんなに逃げても、逃げようとしても、赤い機体はベルンハルトのドラグーンのすぐ後ろを追ってきていた。

『警告! 敵射撃管制レーダーニ捕捉サレテイマス』

 MARIONシステムからの警告と共にレーダー警戒装置からの電子音の間隔が徐々に短くなっていく。ロックオンは時間の問題だった。ベルンハルトは、思いつく限り最後の手段として、メイン・エンジンの逆噴射を含むすべての姿勢制御スラスターを前方に最大出力で吹かした。機体は急速に減速し、ベルンハルトは急ブレーキをかけた時のように前に投げ出されるような強烈な荷重を覚えた。シートベルトがパイロット・スーツを着ていない体に食い込む。これで赤い機体はベルンハルトのドラグーンを追い越し、今度はこちらが追う側になるはずだった。

 しかし、赤い機体はそれでも、そうまでしても、後ろにいた。

 例の低い声がベルンハルトの耳に届いた。それと同時に、ベルンハルトのドラグーンがロックオンされたことを示す警告音が鳴り響いた。音声だけの通信から聞こえる低い声が万策尽きたかに思えたベルンハルトの耳朶を打つ。

『さらばだ』

 ベルンハルトは、後方モニターに映っている敵機ではなく、見えるはずのない赤い機体からのこの言葉にぞくりとした悪寒を感じて後ろを振り向いた。ここで墜とされてしまうのか、という絶望感を感じ、とっさに目をつぶる。

『ヴァイス少尉! 諦めてはダメ!』

 ベルンハルトは、マーリオンの声に我に返り、反射的に操縦桿を右へ傾ける。

 その直後、マーリオンの機体がベルンハルトと赤い機体の間に割り込むように突進し、ベルンハルトから見て上方から下方へと猛烈なスピードで通過していく。突然の出来事のために、赤い機体はトリガーのタイミングを僅かに逸してしまい、発射したレーザーはベルンハルトのドラグーンに掠りもしない。

 大きく旋回したマーリオンのドラグーンは、赤い機体との格闘戦に突入していった。核融合ロケット・エンジンから放たれるふたつの青白い尾が猛烈な速度で絡み合う。双方がレーザーやガトリングを発砲しているのが見えたが、どちらも命中しない。急旋回を繰り返し、お互いに後ろになり、前になり、数分間に渡って常人のものとは思えない凄まじいドッグファイトが繰り広げられる。ベルンハルトは、茫然自失として自分のレベルを遥かに超越した闘いに見入っていた。

 ベルンハルトは震えていた。

 彼の意思によらず、操縦桿とスロットルに添えられた両手は小刻みに震えて主の指示を拒んでいた。

「くそっ……! 動けよ! なんで動かないんだ!」

 両手に向かって叱咤しても、両手は言うことを聞かない。焦る気持ちとは裏腹に、ベルンハルトの脳裏には明確な認識が焼き付いた。これが戦争。理由などなくとも、敵を恨んでいようがいまいが、敵なら殺す。敵は、自分を敵だとして殺そうとしてくる。理由などない明確な殺意が渦巻く空間。それが戦争。

 人類の有史以来幾度となく繰り返されてきた戦争のことは知識として知っていた。戦争には様々な大義名分がある。祖国を守るため……、群雄割拠した諸国を平定して安寧の世を築く……、世界の安定を脅かす存在の排除……。どれも言葉としては聞こえのいい美辞麗句が続く。しかし、兵士個人の視点に立ってみると、実際に自分が戦場に立ってみなければ、どこから飛んでくるか判らない殺意に満ちた空間に身を置いてみなければ解らないことがある。恐怖という言葉では言い表せないような焦燥感。その焦燥感は敵を殺して自分が生き残らなければ消し去ることができないという絶望感。

 ベルンハルトは、実感として戦争を理解した。

「……奴を追うぞ。MARION」

 彼は、いつしか震えの止まった両手を訓練どおりに、ほとんど無意識に動かし、マーリオンと格闘戦を繰り広げている赤い機体を追った。

 

 敵の艦載機は、ホーマルハウトから放たれたドラグーンにより徐々に数を減らされ、赤い機体に追いすがる機体もマーリオンとベルンハルトの他にも何機かに増え始めた。多勢に無勢と判断したのか、赤い機体は加速して戦闘宙域を急速に離脱していった。

 ベルンハルトが赤い機体を見失った時には、他の敵も既に反転し、目には見えない遙か遠くの敵母艦に向かって帰投を始めていた。

『現在出撃中のホーマルハウト艦載機各機、聞こえますか。敵が撤退していきます。この隙にホーマルハウトは反乱で混乱しているボレアスを脱出、月に向かいます。敵の射程及び艦載機行動半径外に出るまで直掩をお願いします』

 コンウェイ上級軍曹からのこの通信を聞いて、ベルンハルトは大きく溜息をついた。初めての実戦。ベルンハルトはこれからのことに一抹の不安を覚えていた。

『なんとかお互い生き残ったみたいだな!』

 ホーマルハウトへの帰還を始めたベルンハルトが操縦桿を握ったまま再び深い溜息をついていると、アロイスからの通信が入った。彼は出撃前と同じように陽気な笑顔を見せていた。どうやら、彼の方が肝は据わっているようだ。

「ああ。俺は一機も撃墜できなかったけどな」

『じゃぁ、今回は俺の勝ちだな。一機は墜としたぜ』

 まるでゲームの勝ち負けの話でもするようなアロイスにわずかばかり不快感を感じ、ベルンハルトは無意識のうちに彼を睨みつけていた。

『そう睨むなよ。自分が死んじまったら元も子もないぜ? 頭切り替えろよ?』

「……解ってる」

 ベルンハルトはぶっきら棒に答えるとアロイスとの通信を切った。

 ホーマルハウトにとっては幸運なことに、果敢にも反乱に立ち向かおうとした勢力があったようで、ボレアス内部は混乱を極めていた。そのため、ボレアスの武装がホーマルハウトの背後から火を吹くことはなく、有効射程を外れるまで発砲は確認されなかった。

説明
小説版「VANGUARD FLIGHT(ヴァンガード・フライト)」。 序章。地球統合宇宙軍(GUSF)の最新鋭戦闘攻撃機《ドラグーン》のパイロットに選ばれた唯一の男性ベルンハルト・ヴァイス少尉が辿る数奇な運命と巻き込まれていく闘争を描く。
※戦争物です。残酷な描写も含まれますのでお好きでない方はご覧にならないでください。
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オリジナル 創作小説 SF 宇宙 戦闘攻撃機 メカ VANGUARD_FLIGHT ヴァンガード・フライト 

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