FIRE_WALL (前編)
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1.

長い髪をした、見覚えのある後ろ姿を見つけ、リュウは、足を速めた。

休日午後の下層街は、名前を呼んでもきっと届かないくらい、雑多な音であふれかえっている。

かかえた包みを左肩にもたせかけ、リュウは、右腕をのばして、相手のほっそりした肩を軽く叩く。

一瞬、肩が小刻みに震え、早すぎるタイミングで長い髪の少女が振り返った。

はずみで抱えていた本を、取り落とす。

「ごめん。おどかした?」

細い腕からこぼれた重い本が地面まで落ちる前に、拾い上げたリュウが、手渡しながら謝った。

「あっ、ううん。今日、街で同僚に会うと思ってなかったから…。」

少女は、そういうと、気を落ち着けるように、胸に手を置き、息を吐き出した。

「あ、マックスたちの計画だろ。俺も誘われたよ。エリーも、行かなかったの?」

「うん。わたし、狩りはちょっと…。リュウは? 買い物?」

「見ての通り、食料の買出し。」

「ずいぶんたくさん、買ったのね。」

「同居人が、大喰らいなんだ。」

エリーがにっこりした。リュウが、笑顔を返す。

「その本…、仕事の資料?」

本人の外見からはそぐわない、物騒なタイトルの本を改めて見直して、エリーが苦笑する。

「確かに…、『爆発物取り扱いの手法』なんて、普通じゃ読まないよね。」

「最近の、誰かが爆発物を置いて回っている事件…、あれ担当するの?」

「まさか。まだ事件の担当なんてさせてもらえないよ…。毎日怒られてばかりだし。

でも、なにか、したくって、

いつかは処理班に回りたいって言ったら、

仕事の後、先輩が特別に教えてくれることになったの…。」 恥ずかしそうにうつむきながらエリーが言った。

リュウやエリーたち新米レンジャーが、それぞれの部署に配属されて、5ヶ月あまり。

同じレンジャーでも、エリーがめざしているのは、機械やそれに関連する技術のエキスパートだ。

爆発物の処理も、その任務に含まれるものの、新米のエリーに、まだそんなに重大な仕事が回ってこないのは、当然のことだった。

「いつか、回ってくるさ…て、ちょっと変なはげましだね。」

「ありがとう。そういえば、ボッシュは? いっしょじゃないの?」

「今日? いや、だれだか、えらい人のパーティだとかで、上層街。」

「なんだか、大変そう…。」

「ラフな格好で、馬鹿騒ぎ、ってわけにはいかないんだそうだ。どんなのだか、想像もつかないけど…。」

「私も。」

2人は、同時に肩をすくませて、笑った。

街の広場に設置されている巨大なスクリーンに、リュウがちらと目をやったのを見て取って、エリーが先に言った。

「あ、もう行くね。」

「うん、それじゃ、また明日。」

リュウが手を上げて別れを告げ、足早に立ち去る後姿を、エリーは一度だけ振り返った。

 

 

 

「いた…!」

翌朝、早足で大階段を降り、下層街をかけ抜けたリュウは、なじみの店、路地、下町をくまなくのぞいた挙句、ようやく路地の奥にある小さな広場の片隅のカフェのオープンスペースで、見慣れた金髪頭を発見した。

朝の下層街は、ちょうど夜勤明けの労働者たちが戻るころで、出勤する人々の群れと交じり合い、にぎやかな活気を帯びている。

そんな中、優雅にカフェのテーブルで談笑するレンジャーたちのところへ、つかつかと歩み寄り、口を開く。

「こんなとこで、何してんだよ、ボッシュ。

パトロールの時間に、どうして来ないんだ?」

「あぁ、パトロール? そうか。リュウ、悪いけど、今日はお前一人で行けよ。」

丸いテーブルの上にブーツを乗せたまま、ボッシュが面倒臭そうにそう言うと、まわりにいた2,3人の新米レンジャーたちがどっと笑った。

「何、ふざけてるの?」

「何か問題が起きたら、連絡しろよ。すぐ行ってやるぜ。」

「一人でパトロールくらいできるだろ、リュウ。」

「そうだ、パートナーだろ?」

ボッシュの左隣に陣取って、にやにやしていたとりまき連中が、たきつける。

「ボッシュ。みんな…悪いけど二人で話せる?」

リュウは、ボッシュが足を乗せている丸テーブルの反対側のいすを引き、どっかと腰を下ろす。

ボッシュが、周囲のレンジャーたちに目をやると、しぶしぶ取り巻きたちは、席を離れた。

「なんだよ?」

「昨日から、何か変だよ。

遅く帰ったと思ったら、ろくに口も利かないし、今朝は今朝でパトロール場所に来ないなんて。

どうかした? 昨日、何かあったの?」

「関係ないだろ、リュウ。」

飲みかけのカップを、ボッシュは、リュウの目の前に乱暴に置いた。

「上層街のパーティがつまんなかった、とかなの?」 リュウはひるまずに水を向けた。

「つまらないだって? どっちがだよ?

こんな街のパトロールも、下っ端レンジャーごっこも、俺は、あきあきしてるんだよ。」

「ふーん。上層のエリート連中は、下層街が嫌いなわけ?」

皮肉めいたリュウの物言いに、ボッシュが応じた。

「当たり前だろ。誰が好き好んでこんなとこにいるかよ?

昨日だって、サード所属だって知れると、なぐさめられたんだぜ、このボッシュ1./64が。

こんな街、すぐに出てってやるってのに。

お前は、下層が大事だったな、さっさと行けよ、リュウ。」

犬を追うように頭を振るボッシュに、リュウは、わざとにっこりして見せた。

「俺がへまやると、エリートのボッシュは、上層街へ帰れなくなるよね…?」

「は?」

テーブルをはさんで、ボッシュとリュウはにらみ合った。

「へまなんかしたら、殺すぞ、リュウ。」

「じゃ、パトロールに同行して、愚図で下っ端の俺を見張れよ。…ほら!」

リュウがテーブルから立ち上がって、ボッシュの二の腕をつかむと、ボッシュは、エメラルドのきつい瞳をきらめかせた。

背後に置いていたレイピアを、無言でつかみ上げる。

ボッシュの腕から手を離し、距離をとるため、リュウが、テーブルから一歩下がると、きゃ、という声が聞こえた。

「あ、ごめん。」

ぶつかりそうになったウェイトレスに、リュウが手を添えたその瞬間、耳をつんざく轟音と熱風とが、突然、背後から押し寄せてきた。

熱い空気の壁に背中を押されながら、反射的にリュウは彼女をかばって、地面に身を伏せた。

目に見えない速さで、飛んできた金属片が、目の前の広場の床のあちこちに、鋭くつきささる。

その一枚がカフェの大きなガラスに当たったらしく、大きな音を立てて割れたガラスの破片が飛び散り、人々が堰を切ったように、悲鳴を上げて逃げ惑いはじめた。

目の高さにあったテーブルを、見慣れたブーツががたんと乗り越え、そのまま走り出すのを、リュウは目の端でとらえた。

「ボッシュ…!」

身を起こしたリュウは、ウェイトレスの無事を確認すると、走り去ったボッシュのゆくえを求めて、広場の惨状を見わたした。

ちょうどリュウたちのいたカフェの反対側の建物が、跡形もなく1、2階部分をえぐられて、そこから白と黒の入り混じった厚い煙がもくもくと、せまい広場全体に這うように広がりはじめている。

広場のそこここで、飛び散った破片に当たった怪我人のうめき声や、子供の烈しい泣き声が聞こえる。

パニックに陥った人々は、広場から出ようと、あちこち意味のない方向へと駆け出していく。

「こちら、リュウ1/8192、緊急支援要請。広場で爆発が起き、怪我人が多数出ています。場所は、N201地区…。」

手首に取り付けた無線機を口元に当てながら、リュウは、爆破された建物の方向へ向かったボッシュの後を追って、駆け出した。

広場を覆う黒煙の中で、レイピアを抜き身で持ったまま、迷いのない速度で、路地に駆け込んでいくボッシュの後姿がちらりと見えた。

「リュウ! こっちに怪我人がいるんだ、手を貸してくれ!」

広場の中ほどで、ボッシュのとりまきのレンジャーの一人の声が、リュウを引き止める。

立ち止まったリュウは、そこにいる怪我人を放ってはおけず、ついには厚い煙幕の向こう側に、ボッシュを見失った。

 

 

 

救急隊員の処置がはじまるまで、広場のあちこちにいる怪我人に手当てをして回り、瓦礫の下にももう誰も残っていないと判断して、リュウが広場を離れることができたのは、45分後のこと。

返答がない無線のチャンネルを繰り返し変えながら、ボッシュの消えた路地裏をさまよい、なんの手がかりを得ることもできないまま、疲れきって本部へと戻ってきたのは、さらにその1時間後のことだった。

「リュウ、どうしたのよ、その顔!」

本部の廊下で声をかけてきたターニャに言われて初めて、リュウは自分の左頬に手をやり、べっとりと赤い血がついていることに気がつく。

「飛んできたガラスの破片で切ったらしい。

もう血は止まってるから、だいじょうぶ。

それより、ボッシュと…連絡がとれないんだ。だれか、見た?」

「ボッシュなら、さっさと戻ってきてるわよ。」

「え…?」

「なんだか、爆破犯人の重大な証拠を見つけたとかって、意気揚々と隊長室へ行ったわ。」

「そうか…。」

リュウは、大きく安堵の息を吐いた。

「よかった…。ありがと。」

廊下を曲がり、リュウがレンジャーたちの休憩室へと飛び込むと、左手奥の隊長室の扉から、無表情なボッシュが出てくるところだった。

「…ボッシュ!」

爆破事件の余波で、いつもよりも熱を帯びた部屋の中で、リュウは声を幾分張り上げ、人をかきわけて、ボッシュのところへとたどり着いた。

足を止め、リュウを見下ろすボッシュは、無言だった。

そのジャケットのあちこちに、赤黒いものがこびりついていることに気づき、リュウは、思わずボッシュの腕に手をかけてしまう。

「これ…だいじょうぶか? 怪我は?」

「俺の血じゃない。それより、お前の血がつくだろ。」

ボッシュは、とっさにリュウの手を払いのけた。

「あ、ゴメン。」

「それより、お前、あのとき、犯人の姿を見たか?」

「いや、背後で爆発があって、倒れこんで…」 リュウは気づいた。「ボッシュは、見たの?」

「馬鹿、それで後を追ってったんだよ。最後は、逃げられたけどな…。」

ボッシュの瞳の中に、誇らしげな輝きと、悔しさの色が、複雑に入り混じる。

「爆発で記録カメラがいかれちまったんだ。でも、相手の特徴は覚えてる。」

右手の人差し指で、自分の頭を、とんとんと叩いて見せた。

「大手柄じゃないか! これで、やっと事件が解決するね…。」

リュウが破顔すると、ボッシュも、ようやくにやりとした笑みを見せた。

二人が隊長室の前から、揃って歩き出したとき、休憩室の入り口の方からやってきたエリーが、おずおずと声をかけた。

「あの、ボッシュ…さん。」

「あぁ?」

エリーとボッシュが話しているのをあまり見たことのないリュウが、驚きつつ静観していると、エリーは、ドーナツの箱を入れるような茶色い紙包みを目の前に持ち上げて、ボッシュに差し出した。

「なに?」

「さっき、頼まれたんです。玄関前のところで…、

あなたに渡してほしい…って。」

「ボッシュ、なんだよ今日は? エリー、それ、女の人?」

「ううん…ちがうと思う。」

胡散臭げにエリーのほうを見たボッシュが、そばにあったテーブルの方へ頭を振って、エリーに言う。

「そこへ置けよ。」

「え?」

「置けって! 早くしろよ!」

恫喝され、あわてたエリーが、テーブルの上に置こうとして手を滑らせ、紙袋を取り落としかけた。

ボッシュが、レイピアをすらりと引き抜いて、たわんだ切っ先の力で、紙袋をエリーの手から、壁際へと弾き飛ばした。

閃光と破裂音が、同時にやってくる。

とっさに身を伏せたリュウは、目を焼かれ視界の先に浮かぶ真っ黒な斑点と、耳の奥の残響を振り切るように、頭を強く振った。

壁の方を見ると、えぐりとられた中心から、爆発のすすが黒い花火のように広がり刻まれているのが見えた。

あたりには、粉々になった紙袋の破片が舞いちり、つんとする刺激臭が鼻をつく。

身を起こしてすぐに、リュウは、ボッシュとエリーを見回し、その無事を確認して、胸をなでおろした。

「馬鹿か、お前は!」

周囲からおしよせるレンジャー隊員たちの喧騒の中、エリーの前に立ち、ボッシュの怒号が、飛んだ。

エリーは、唇を震わせ、顔色を失っている。

「お前が処理班希望だって? 爆発物をこんなとこまでのこのこと運んできて、いったい何のつもりだ!?」

「ボッシュ、言いすぎ!」

「自分を吹っ飛ばしかけても、気づかないとさ。」

エリーは、唇をかみしめ、体を硬くしたまま、突っ立っている。

唇の震えが次第に広がって、体にまで伝わり、目には次第に盛り上がる光があった。

「おい、こいつ、この俺を処理するところだったんだぜ?

小規模の爆発だからよかったようなものの、下手すりゃ全員死んでた…。」

「…わかってる。ボッシュ無事か? 小言は、後でいいだろ。…エリー?」

「おい、みんなどけよ。ほかに爆発物はあるか!?」

技術課のレンジャーたちが到着したらしく、まわりをとりまいていた人の輪が崩れた。

「…ごめんなさい…。」

かすれた声でようやくそう言うと、エリーは、ぱっと身を翻し、その途切れた輪の向こうへと走り出た。

それを見送ったリュウが、ボッシュのほうを振り返り、その腕に手をかけた。

「ボッシュ…どこも怪我ない? これは…爆弾…だよな?」

ボッシュは、レイピアをさらりとつかに収めると、唇の端を引き上げて答えた。

処理班の連中が、硬質プラスチックのカバーで、念入りに爆発物の破片を覆うのを、横目で眺めている。

「意外と骨のある犯人…ていうより馬鹿だな? 俺だけを狙ったんだ…このボッシュ1/64に、喧嘩を売る気らしい。」

リュウには、その口調がどこか楽しんでいるように聞こえて、とても気がかりだった。

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2.

「そこで、この連続爆破犯人のプロファイリング・データを作成し...。」

「ちょっと、どうよ、あのえらそうな態度。自分が最初にまんまと取り逃がしたくせに。」

リュウの耳元に、隣に座っているターニャの声が届く。

レンジャーたちが集められた緊急収集で、演台の前のスクリーンには、緑に光るらせん形が映し出され、ぐるりと回転したかと思うと、次第にクローズアップされ、赤色に明滅したそのはしごの一段だけが大写しになった。

背景には、遺伝子を含む犯人の推定データが数値化され、左から右へとペンキを塗るように、表示されていく。

遺伝子から身体特徴が予測され、推定された犯人の全身画像へと移る。

30代男性、長身、やせ型、一致するID記録なし。

ひょろりとした全裸の像が、両腕を真横に伸ばしたまま、こまのようにくるくると何度か回転する。

リュウたちレンジャーの手元の記録コードにも、同じ数値が忙しく光り、下から皆の表情を白く浮かび上がらせている。

「…ずいぶん、辛らつだね。」

リュウは、ターニャにだけ聞こえる声で答える。もちろん、顔は前方の演台にいるゼノ隊長とボッシュのほうに向けたままだ。

「だって、そうじゃない? 大勢の怪我人を放置して、報告もせずに単独で犯人を追って、その挙句に逃げられたんだから。

人のミスには、やたら厳しいみたいだけど。」

「エリーの件で、怒ってるんだね。」

ターニャが沈黙した。ターニャだって本当は、ボッシュが犯人を取り逃がしたことを失敗と思っているわけじゃない。

むしろ、犯人との戦闘で相手のDNAまで採取できたことは、ボッシュの手柄と言ってよかった。

「エリート様とは、やってけそうにないわ、ってだけ。むしろ、早く出世してここを出てってほしいくらい。」

「案外早く、そうなるかもな...。」

「え?」 ターニャが大きく驚いて、リュウのほうを見た。

幸い、演台のボッシュの説明は終了し、皆が立ち上がるところで、ほかのレンジャーたちの注意を引くことはなかった。

「それで、いいの?」 ターニャはうかがうようにリュウの顔を覗き込む。リュウは苦笑した。

「そりゃ相棒が出世したら、嬉しいさ。」

「そうじゃなくて、リュウは、どうするの?」

「おい、そこ、ちゃんと聞いてたんだろうな?」

投げつけるような声がして、ターニャが黙り込んだ。

ボッシュは、演台の脇から壁にそって伸びたスロープの上から、手すりを飛び越えて、リュウたちが立っていた座席のところまで、やってきた。

「仰せの通りに。」 ターニャが敬礼し、くるりときびすを返して、走っていった。

「なんだ、可愛いげのない女だな。」

「ボッシュ、俺たちはいまからどうするんだ?」

「やっぱりお前、俺の話、聞いてなかっただろ。」

「あ。」

ボッシュが、腰につけた装備を確かめながら、出口へと歩き出し、リュウもその後を追った。

足早に廊下を進むボッシュに、すれ違うレンジャーたちは、道を開けるように、自然に脇へどいていく。

その中で、ただ一人だけが、ボッシュをよけず、廊下の中央に立ちすくむように道をはばみ、ボッシュは、相手の肩にどんとぶつかったが、そのまま気にもとめずに歩き続けた。

「……あ、あの。」

消え入るような声で、エリーがあわてて声をかけたので、ようやくボッシュは振り向いた。

「またお前か。何?」

「ボッシュ、この前のこと、私の不注意で、危険な目にあわせてしまって...。

二度とあんな馬鹿なまねは、しないから…。」

「あぁ。」

「ほんとにごめんなさい...。」

エリーは、深々と頭を下げた。

くせのない長い髪が、肩からすとんと胸のあたりへと流れ落ちた。

ボッシュは、頭を下げるエリーを一瞥すると、何も言わずに再び玄関へ向かって歩き出した。

一部始終を見ていたリュウが、見過ごせずに、話しかける。

「もう、気にしないで。」

「ありがとう……でも私、軽蔑されてるね。

…もっと、ちゃんとできるように、がんばるね…。」

声音が震え、恥ずかしさに顔も上げられないエリーの背中を、リュウはぽんと軽くたたき、エリーにだけ見えるくらいの笑顔をわずかに見せて、ボッシュの後を追った。

 玄関を出て、下へと続く金属の階段をカチカチと鳴らしながら降り、先を急ぐボッシュに、ようやく追いつく。

「いらついてるの?」

「あの女が、つまらないこと、言うからさ。」

「エリーには、大事な話だったんだろ。」

「私情より、いまは任務が優先だろ。」

一瞬だけ、ボッシュがリュウをにらみつける。

「どっちもだよ。

任務も仲間も、同じくらい大切にしなきゃ。

危険な作戦だから、

エリーにだって、覚悟があるんだよ。」

「あんな連中が足を引っ張らなきゃ、こんな事件、難なくこなせるはずさ。」

「…ボッシュ!」

リュウが、突然足を止めた。

ボッシュが振り返る。

一歩分の距離が、ふたりの間に横たわっていた。

「この前は、確かに大きなミスをしたけど、

エリーを、信じてやってよ。

仲間を信じないと、こんな仕事、やってけない。」

「あの女の肩をもつ気かよリュウ?

足手まといは、いらないぜ。」

「いままで、ボッシュは、

追い詰められて泣きたくなったり、

誰かに自分を許してほしいと思ったことはないの?」

「は? ないね。」

「…そう…。」

リュウの傷ついたような表情が、ボッシュをいらだたせる。

「下らないことは、後だ。

とにかく、いまは作戦に集中しろよ、リュウ。

今度の事件の相手は、いかれた爆弾マニアだ。

お前の言うとおり、危険も考えられるからな。」

そうだよ、

いったい、いま一番危険な立場にいるのは、どこの誰だと思ってる?

――そんな言葉が喉まで出掛かったが、リュウは、ようやくのことで、それを呑みこんだ。

「わかった。黙って指示に従うよ、ボッシュ。」

「最初から、そう言えよ、リュウ。」

ボッシュの横顔が少し和いだ。

下層街の路地を入り込み、目的地が近づくにつれ、周囲の空気がぴんと張り詰め始める。

数チームにわかれて展開しているこの捜査で、一つのチームの指揮を任されたのは、先のボッシュの功績によるものだった。

この作戦を計画したボッシュの気負いを、リュウは、いつも以上に感じていた。

退屈そうにパトロールをサボっていたボッシュとは、まるで別人のようだ。

下層街の路地の奥でも、くりぬかれた岩盤の間際、いわゆる”壁際”に近い地区は、ほかの場所以上に小さな建物が、ごちゃごちゃと立ち並んでいる忘れられた場所だ。

下層街でもここまで端となると、よほど用がない限り、リュウも足を踏み入れない。

空気や光などの居住環境が悪いため、住民たちは寝に帰るだけの連中がほとんどで、採掘所の仕事へ出かけていて、昼間はほとんど人がいなかった。

先に到着していたサードレンジャー数名が、目的の建物を取り囲むように、配置を終えている。

お互いに寄りかかるように立ち並んだ、赤さび色のアパートの一つに、ボッシュとリュウは、並んで足を踏み入れた。

「どうして犯人のアパートがわかったの?」

階段を上りながら、声をひそませて、リュウがボッシュにたずねる。

「あだ名だって、知ってるさ。

通称”ジェイコブ”、IDなし。

3ヶ月ほど前に、最下層の採掘所から姿を消した。

ついでに、爆薬も盗まれて、その記録が残ってたんだ。

爆発薬の配合と異物の混入率から、あっさり割れたぜ。」

「犯人は、下層街出身者?」

「あるいは最下層出身者か。

それ以前、どこで何をしてたかは、まったくわからない。

最下層の採掘所じゃ、雇うほうだって、IDなんかもっちゃいない連中だろ。

ジェイコブって呼び名にしたって、意味なんかないさ。

どうせ、適当につけたに決まってる。」

2階のせまい廊下の一番奥の部屋の前で、技術課のレンジャーが、スライドドアに顔をくっつけていた。

突入する前に、ドアに爆発物が仕掛けられていないか、慎重に調べていく作業だ。

ドアの左右それぞれに自走式のセンサーを取り付ける。

その間を結んだ赤い光が、少しずつ下から上へと上がっていくようすを間近で監視しながら、同時に壁に耳をつけて、何か不審な音や振動がないかを感じ取っているようすだ。

音、光、振動、すべてセンサー任せですませるレンジャーもいるが、

熟練した技術者ほど、機械と同時に、自分の勘を使うようになると、エリーから聞いた覚えがある。

ドアの左手の廊下の突き当たりの壁には、人間よりも大きな丸い換気扇が取り付けられていて、中のファンがゆっくりと回転するたびに、なまぬるい空気の流れが、リュウとボッシュの額や頬にぶつかった。

下層街全体を照らす照明が近いらしく、ファンの隙間から、赤みの強い、強烈なオレンジ色の光が廊下に差し込み、ファンの回転につれて、そこにいる全員の顔を照らしたり、暗くさえぎったりしている。

送られてくる風よりも、オレンジ色の光が、肌に与える熱のほうが、ずっと強かった。

じりじりと焼かれるような緊張感の中、はてしなく長い時間が経ったように感じられたのちに、技術者のレンジャーが、ようやく立ち上がった。

「だいじょうぶ、ドア付近に爆発物の反応は、ありません。」

「よし。」

前に立つボッシュが、右足を上げて、いきなり硬いブーツの底で、ドアの表面を強く、蹴りつけた。

金属のドアは、があん、と音を立て、蹴られたドアとしては、ごく普通の反応を返した。

「開けろ。」

技術課のレンジャーがドアを開け、開くと同時に、銃を構えたレンジャーたちがなだれ込む。

ボッシュといっしょにつづいて部屋に飛び込んだリュウには、すぐに、部屋に人気のないことがわかった。

誰も、いない。

部屋は、もぬけのからだった。

部屋のあちこちには、生活感があり、つい、いまさっきまで人がいたことを思わせるというのに。

ボッシュやほかのレンジャーたちも、すぐに犯人の逃走を察知して、声をひそめることをやめた。

「外の者は逃亡者の捜索、中の者は全員散開、

爆発物反応なしの場所から、捜査着手だ。

セムテックスの反応があれば、すぐに報告しろよ。

技術課のチェックで白とわかる前に、信管には絶対手を出すな。」

ボッシュの指示で、捜査員たちは、せまい部屋のあちこちへと散らばりはじめる。

ドアを開けてすぐにある、4メートル四方ほどの居住スペースには、雑多なものが積み重なっていた。

脱ぎ散らした衣類、分厚い紙の本、ビニール袋、紙コップ、持ち手の部分が奇妙に長いさじ、ラジオペンチ、紙でできたノート数冊、いろいろな色の液体が残った透明の使い捨てのコップ…。

技術課の職員数名が、手分けして爆発物検知のセンサーで、手を触れずにその上をなぞっていく。

爆発物の反応がないとわかるまで、リュウたち捜査員は、しばらく待つほかはない。

しかたなく、リュウは、部屋のあちこちを見回した。

 壁際のソファの前には、低い机が置かれていて、そのまわりには、気分を高揚させるので、下層街では通称”アッパー”と呼ばれてる飲料水の空き瓶が、いくつも転がっている。

机の上には、一番安くて手軽なテイクアウトのバーガーの食べ残しが、黄色い包み紙の影から覗いて、悪臭を漂わせている。

それも一ダースは放置されているだろうか。

リュウは、ボッシュに届けられた爆発物が、そのバーガーショップの名前入りの茶色い紙袋に入れられていたのを、まざまざと思い出した。

『失われた本』、そんなタイトルの、リュウが見たこともない、紙でできた分厚く古い本が、そのそばに伏せられている。

リュウは、気になった。

紙。紙が多い。

紙でできたノートなど、リュウは施設時代に使っていた記憶があるだけだ。

それに、この部屋に入ってから、コンピュータのたぐいは、まだいっさい目にしていない。

それも奇妙なことだった。

 リュウがバーガーの包み紙を、指先でそっと押しのけると、その下から、机の上に置かれた、つるつるした白い厚紙が現れた。

ただの紙だ。しかし、この紙の上には、コンピュータのキーボードの下手な絵が、えがかれている。

手書きの鉛筆の線でいい加減にえがいたものなのに、キーの文字が一つ一つ丁寧に書きこまれている。

紙にえがかれたキーボード。そのちぐはぐさに、リュウは違和感を覚えた。

中でもとりわけ、力をこめて、太く書き込まれた文字のあるキーを、リュウは指先でたどってみた。

B…O…S….C…

突然、肩を後ろからぐいと強くつかまれて、リュウは、はっとした。

かがみこんでいたリュウをどかせたボッシュが、レイピアの先で、器用にキーボードの描かれた紙を裏返す。

その厚紙の裏には、溶かした金属で描かれた配線がびっしりとひしめいていた。

金属線が触手をのばした先が、表側の絵のキーの位置と対応しているのがわかった。

特定のキーに触れると、スイッチが入るトラップ。

乾いた紙の裏側に隠された悪意に、リュウは慄然とした。

「こっちにマップがあるぞ。」

奥の部屋から、捜査員のひとりの声がした。

ボッシュを追って、リュウも、その部屋へと向かった。

すぐに廊下と同じ換気用のファンが、部屋の右側の壁一面を占領しているのが、目に飛び込んでくる。

ただし、さっきとは違い、このファンは故障でもしているのか、回ってはいない。

くしゃくしゃのシーツが目立つベッドは、換気用のファンから漏れる強いオレンジの光で、しましまに染め分けられている。

ベッドの頭側の壁の上に、見慣れた下層街のマップが、わざわざ紙に印刷されて、貼られており、衣類のつくろいものをするときに布をとめつけるのに使う、マチ針が、地図の上数か所から突き出ていた。

右手から入ってくるオレンジの光に照らされて、頭が丸くか細い針の影が、黒く濃く、地図上に長く伸びている。

ベッドのまわりに立つ誰もが、無言で、見慣れた地域の上に刺さったマチ針の丸い頭の先を見つめた。

ボッシュが、口元に無線機を近づける。

「こちら、ボッシュ1/64。緊急支援要請。

犯人の残した地図を発見、次のターゲットと思われる地区に、至急捜査員派遣を要請する。

下層街J05地区…、A12地区…、C76地区…、O91地区…、B64地区、以上だ。

繰り返す、犯人は逃走、5か所の地点に爆発物が仕掛けられた模様。」

5か所同時に…淡々としたボッシュの報告の意味が落ちてくるにつれ、下層出身のレンジャーたちの中に怒りがわいてくるのを、リュウは感じ取った。

いつもさんざん悪態をつきながらも、やっぱり下層街は、自分たちの生まれた街なのだ。

「対象地区それぞれにチームを再編成してくれ。俺たちもすぐにその一つに向かう。」

無線を切ったボッシュは、そこにいるメンバーに簡潔に指示を出す。

「ここにいる者は、残って捜査を続行。

遺留品から爆発物の種類や大きさ、偽装方法を特定し、情報を随時、処理班に報告しろ。」

ボッシュは、くるりときびすを返すと、右手の壁の換気用ファンから、外をのぞいた。

ファンを覆っている金網は、破れて外側に折れ曲がり、人間が通れるほどの大きな穴が開けられている。

「ここから、逃げられたのかもな。」

「――それで、俺たちは?」

ほかのレンジャーたちが、捜査を再開するために散っていっても、まだそこに立ち、地図を見つめていたリュウが、ファンの隙間から外を見るボッシュにむかって問いかけた。

「俺たちは、いまから、B64地区へ向かう。

5つの地区の頭文字をつなげると”JACOB”、自分の名前”ジェイコブ”だが、

最後の地区は、俺の名前、ボッシュのBと、俺のD値の64でもある。

この犯人の頭は単純で、ユーモアのセンスがない。

きっと、そこへ俺を呼ぶつもりだぜ。」

「呼ばれたからって、そこへ行くの? 罠かもしれない。」

「行かない理由はない。

なんだ、リュウ、

お前、怖いのかよ?」

振り返ったボッシュの笑顔が、小馬鹿にするように、リュウを見下ろした。

そうだ、とリュウは、心の中で答える。

怖いよ。

だって、

狙われているのは、俺じゃない。

これは、いままでのような、

無差別な爆破予告じゃ、なくなってる。

何をする気なんだ?

リュウは、唇を引き結び、もう一度壁の地図を見た。

そして、B地区の上につきたてられた悪意の意味を汲み取ろうと、その光景を、強く目に焼き付けた。

ボッシュが、出口に向かって頭を振り、リュウに合図を送る。

そのまま玄関を出て、二人は、暗くせまい階段を駆け下り、大通りへと飛び出した。

「B地区まで、約3キロあるぞ?」

「こっち! A地区経由が近道!」

駅へとむかおうとするボッシュに、下層街には詳しいリュウが、後ろから声をかける。

「このボッシュ1/64に、下層街を走れって? …あとで高くつくぞ、リュウ。」

先に走り出したリュウが、大通りを駆け抜けて、ふたたびせまい路地へとかけこむ。

コーナーで膨らみながら走るリュウに、ボッシュが追いつく。

最初に犯人を追っていったときのあの速度を、リュウは思い出した。

仕事からの帰宅時間と重なって、入り組んだ路地を急ぐリュウの体に、よけきれない人がぶつかってくる。

「ごめんね、ちょっと急ぐから。」

せまい通りを照らす光の色は、ますます赤く、暗くなり、人々の顔を見分けることが難しくなってきている。

この中に、犯人がまぎれて、ぶつかってきたとしても、リュウには、察知する自信があるとは、言えなかった。

だんだんと、反対方向へと急ぐ人々が増えてきて、次第に二人は、身をかわすのに懸命になった。

ようやく1ブロック先に、武装したレンジャーたちの一団と、専用車両が見えて、リュウは、ほっとした。

爆破予告場所のひとつ、A12地区だ。

リュウたちと同じサードレンジャーのひとりが、住民を避難させるべく、警告灯を持った腕をぐるぐる回しているのが、かすかに見える。

「A12地区の配備は、終わってるようだね。」

リュウが息をついだ。

「・・・俺たちはこのまま、B地区まで、急ぐぞ。」

「おーーーい! リュウ! ボッシュ!!」

半ブロック先で、赤く光る警告灯を振り回していたレンジャーが、下がり気味のヘルメットを押し上げて、白い歯を見せた。

夕闇の中で、新米サードのハントの声だとわかり、リュウが、やせっぽっちで気の弱いハントに向かって、手を振り返した。

ハントの立つ場所の左手から、見えないなにかが衝突したように、ハントの体がなぎ倒された。

通りの左手、ほぼ半ブロックに渡って続く大きな建物の一階のガラス部分が、ハントのいた地点から、リュウのいた手前まで、走りぬけるように白煙を吐き出してはじけ、鋭く光るガラスの破片が、通りに向かってばら撒かれた。

ハントのいた場所へむかって駆けていた、リュウたちのところへもすぐに、煙とともに爆風が押し寄せ、声を上げる間もなく、体が持ち上げられる。

とっさに腕を上げて頭をかばったまま、リュウは、硬いコンクリートの上を転がり、道のわきの金属製のゴミ箱にぶつかって、地面へと落ちた。

すぐに身を起こし、頭を振って、リュウは、少し前を駆けていた相棒の姿を探す。

あちこちでうなり声や、咳き込む声。

うずくまる人々の輪郭が、噴き出した火に照らされて、明るいオレンジ色に縁取られた以外の部分は、闇に溶けはじめている。

夜が、押し寄せてきていた。

「ボッシュ…!?」

さっきまで、通りをゆきかっていた人々が皆、道路へと倒れ伏し、立ててあった店の看板やダンボールの高く積まれていたゴミ箱も、すべて吹き飛び、壁際へと投げ出されていた。

その中で、たった一人だけ、建物の角に寄りかかりながら立つ後姿を見つけた。

ぶちまけられたガラスの欠片が、炎を映して、あちこちで、光っている。

ぱりぱりとそれを踏みながら、リュウが、駆け寄る。

まぶしい熱にあぶられて、顔を向けているのも苦しいはずなのに、ボッシュは、顔をそむけもせずに、爆破された建物から噴き出す炎を、じっと見ている。

リュウが、その隣に立ち、怪我はないかと、顔に触れ、あちこちを調べている間も、体を硬くしたまま、みじろぎもしない。

大きく見開いた、無表情な瞳の上に、オレンジ色の膜がかぶさったように光り、そこにはリュウの姿は映らない。

そんなはずはないのに、リュウは一瞬、ボッシュの目の表面に涙の膜がかかっているのかと、思った。

「ボッシュ。」

「俺が、負けるわけがないさ。

そうだろう? リュウ。」

「アパートに踏み込んだとき、爆弾は、もう仕掛けられてたんだ。

どうしたって、間に合わなかった。」

「俺たちが、ここを通ることを、やつは、知ってたんだ。」

「だからといって、爆破を止められたわけじゃない。初めから計画されてたんだ…くやしいけど。」

「……ボッシュ1/64だ。A12地区で火災発生。

ほかの地区は、どうなってる…?」

無線で本部と連絡を取るボッシュを見ながら、リュウは、ハントや同僚たちが、その炎の中にまかれているかもと思い、あらためてぞっとした。

ようやくスプリンクラーが作動しはじめ、レンジャーたちの増援が到着することを告げる、高いサイレンが響いた。

ボッシュの無事を確かめたリュウが、救助の群れに加わるときも、ボッシュは、壁にもたれたまま、なにかを刻み付けるように、じっと炎を見ていた。

何を見ているのか、リュウには、おしはかることさえ、できない。

その瞳は赤く見え、奥には、ただ燃えるような意思が、あった。

 

 

さんざん引っ掻き回された、さんたんたる1日を、重い足取りで引きずって、2人は深夜、宿舎へと戻った。

J05地区、A12地区では、爆破処理が間に合わずにレンジャーの犠牲者が出た。

C76地区、O91地区は、技術課のレンジャーの活躍もあり、爆発物はなんとか未然に回収された。

だが、B64地区にいたっては、まだ仕掛けられた爆発物の場所さえ、わかっておらず、夜を徹して、捜索が行われていた。

その作業を見ていたボッシュを、無理やり引き剥がすように、リュウが、つれ帰ってきたのだ。

簡素なこの部屋には不似合いの、上層街の店からわざわざ配達させた革張りのソファーに、ボッシュは、どさり、と身を投げた。

先の見えない疲労が、リュウの体にも、残っている。

「B64地区にずっといるって、もっとごねると思ったよ。」

「あんなせまくてごちゃごちゃした場所で、夜通し捜索かよ? ここの方が確実に、部隊の情報が入る。」

リュウは、ソファーのわきのディスプレイを見た。画面上を蛍光の文字が埋め尽くし、それでも表示場所が足りずに、下へ下へと流れていく。

無線記録、支援要請、武器や証拠品の登録や移動記録、レンジャーの現在位置と配備計画…、

レンジャー組織の命令系統、人員と物資の流れがあまさず把握できるように、ボッシュが作り上げたものだ。

「ジェイコブの犯行声明、っていうのかな。中身は、読んだ…?」

爆破が未遂に終わった2つの地区に、犯人が残したと推定される紙のメモが発見され、捜査本部の中でも極秘資料扱いとなっていた。

リュウも、勿論、その中身は知らない。

「あぁ、見た。くだらない内容だったぜ、見る必要はない。

遺伝子工学が世界を駄目にした、人間は文明を捨て去るべきだとかなんとか…、

お決まりの、たわごとだ。

いかれた野良犬の、無駄吠えってやつ。」

「でも、彼はいまは無力じゃない。――爆薬は、あとどれくらい残ってるの?」

「今日、かなり押収されたから、多く見積もっても、あと1回、派手にやれるか。」

「残り、1回…、B64地区のどこかに、あるのかな。」

「さあな。」

ボッシュは面倒くさそうに、片手でブーツを引き抜くと、ソファーの背越しに壁に向かって投げ捨てた。

金属製の壁面にぶつかる鈍い音につづき、ずさりと床に落ちる重い音がする。

リュウは、暖めたカップを手渡そうとしたが、ボッシュが怠惰に天井を見据えたまま受け取ろうとしないので、ソファーの前にある金属製のテーブルに、ことりと置いた。

自分は、ソファーの手すりに腰をかけ、自分のために用意したもう一つのカップに口をつける。

そのまま、暗い部屋の中で、色素の薄いボッシュの肌の上に、ディスプレイの文字が発する淡い光が映り、次々と流れさるのを見ていた。

「…だが、俺は奴に感謝しなくちゃ。」

ボッシュの言葉に、リュウははっとする。

「この場所から、抜け出せるチャンスをくれるんだからな。」

「そんなに、この街が、嫌いなのか?」

何度目かの、だがいつも決着の出ない問いを、口にしてしまい、思わずリュウは、ひざの上に置いたカップに目を落とした。

言ってしまったことに、後悔する。

「――弱くてダメな奴を、手っ取り早く、強くする方法を知ってるか、リュウ?」

「どういう意味?」

「その弱い奴を、閉じ込めるんだよ、せまい部屋の中に。

そして、その中に、一匹のモンスターを放す。

弱い奴は、逃げようとするが、逃げられない。

外側から、鍵がかけてあるからだ。

どうしても逃げられないとわかると、やがてそいつは向き直り、

そこから出るためには、相手を倒すしかないと悟る。」

「それって、どういう……。」

「それと同じさ。――この街は、俺を閉じ込めてるつもりなんだ。

だが、あいつは、俺がこの街を抜け出すための鍵なんだぜ、リュウ。

向き直るんだ、そうすりゃ、怖いものなんかない。」

リュウは、何も告げられずに、ただボッシュのほうを見た。

スクリーンに流れる文字が、時折、赤や黄色に変わって、頬に映る色がさまざまに彩られても、その下のボッシュの顔には、表情が無かった。

リュウが無言のまま、そっと立ち上がり、ブーツを拾い上げ、自分のベッドから毛布を引き抜いて、ソファーのところへ戻ったとき、ボッシュは身を起こして、情報の流れ続ける画面を、食い入るように見つめていた。

リュウが、薄っぺらい毛布をばさりと広げて、ソファーの背もたれにかぶせても、ボッシュは、身じろぎひとつ、しなかった。

 

 

(後編へつづく)

説明
ゲーム「BOF5 ドラゴンクォーター」二次創作小説です。リュウとボッシュの間にあった壁のお話。前編です。※女性向表現(リュボ)を含みますので、苦手な方はご注意を。
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ブレスオブファイア ドラゴンクォーター BOF ボッシュ リュウ リュボ 女性向  

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