聖者がいなくなった |
僕はミカエル。マリアの十四人目の息子。
「ねえ、どうして人は死んじゃうの? 」
長所と欠点は知りたがりな所。今日も質問をして困らせていた。マリアには悪いけど、しょうがない。僕の頭の中にはいつも「どうして」が溢れていて、少しでも量を減らすために、僕の口はせわしなく動くし、耳は答えを聞き逃さないように感度が最大になっている。
「そうねえ。じゃあ、逆に聞こうかしら。どうして、人は死んだらいけないの? 」
いつもみたいに、マリアは逆に、と言って、質問を質問で返す。あらかじめ用意しておいた答えを僕はすぐに言う。
「だって、死んだら悲しいじゃないか。マリアがいなくなったら、僕は一人ぼっちでご飯を食べないといけないし、こうして話すことも出来なくなっちゃう。神様が人を作ったんなら、どうして死んじゃうように作ったんだろ。そんなの、悲しいだけだよ」
言いながら、マリアがいなくなることを想像して、悲しくて涙がにじみそうになった。そんな僕を見て、マリアは微笑むとハンカチで目頭を拭ってくれた。
「そうね。もしかしたら、いつまでも生きることは幸せなことかもしれないわね」
遠くを見ながら寂しそうに言うマリアを見て、もしかしたら、してはいけない質問をしてしまったかもしれないと思った。
雨が降った日の翌朝は、からりと気持ちよく晴れる。だから、それが散歩の日。僕とマリアは近くの公園を通って教会に行く。ということは五日に一度は、教会に行っていることになる。この州では、条例で五日に一度雨を降らせることになっている。西海岸に住む人にとっては考えられない多湿な地域だが、その分緑化はどの州よりも進んでいて、マリアも空気がおいしいと言っていた。味がしない空気をおいしいと言うなんて、よくわからないし、変だと思う。けど、そんなマリアのことが僕は大好きだったし、尊敬していた。僕だけじゃない、みんなみんな、マリアのことを尊敬している。
マリアのしわしわの手をぎゅっと握って、いろんなことを話しながらの散歩は大好き。僕のエスコートはとても上手いと、前にマリアが褒めてくれたことがある。そのときから、僕はマリア専用の紳士だ。ガールフレンドをパーティ会場に招待するように、僕は丁寧に教会にお送りする。
途中、すれ違う人々は皆マリアを見つけると笑顔になって、挨拶をする。
「やあマリア。こんにちは」
「ええ、こんにちは」
マリアは有名人だから、すれ違う人は決まって挨拶をする。教会に向かうまでに、十人は挨拶をしてきた。そのたびに、マリアは穏やかな顔で挨拶を返すのだった。
「やっぱり凄いな。皆、マリアのことを知ってる」
「別に凄いことじゃないわよ。ただ、少し長く生きただけ」
「マリアは何歳なの」
「八十歳くらい。もっとも、そこまで珍しい歳でもないけどね」
そういって笑った。
皮肉なことに、文明が発達して神様の存在が否定されればされるほど、神のしもべになりたがる子羊は増えていった。安心感を得たいなら、多幸剤を服用するだけでいいはず。もっといえば、不安感情を脳から追い出せば確実だ。シャット、ロック、デリート。方法はいっぱいある。なのに、人は手間のかかる心理カウンセラーを利用する。部屋にアロマを置く。音楽を聴く。最近は、神様に祈る人が増えてきた。日曜日でもないのに、この日も教会は人で溢れている。
「やぁマリア。ごきげんよう。お体の調子はいかがですか」
壇上に立っていた神父様が、マリアの姿を見つけて挨拶をした。そのとたん、ざわめきがぴたりと止まる。たくさんの人が、マリアに注目した。
「こんにちは神父様。見てのとおり、ここまで歩けるくらいには元気よ」
誰もが口をつぐんだ教会を、マリアの言葉は澄み渡るように響いた。モーゼの十戒のように、人垣がぱっと割れる。皆がマリアのために道を空ける。マリアはそれがごく自然なことであるかのように、作られた道の真ん中をゆっくりと歩いた。僕は手を握って、一緒に歩く。
人々がマリアに尊敬の感情を抱いていることは、ずっと前から知っていた。だけど、どうやら彼らは僕にも何らかの特別な感情を抱いているらしい。脇に立つ人々の多くはマリアに注目していたけど、何人かは僕にも視線を向けていた。ぎらついた視線。その人たちの瞳は一応に同じ色どおりを湛えていた。たぶん、期待という色だと思う。
教会の最前席に腰掛けると、マリアは目を閉じてお祈りする。マリアのお祈りの仕方は変だ。十字架を切ったり、アーメンと言ったりもしない。ロザリオを持たないし、洗礼もしない。カトリックでもプロテスタントでもない。ただ黙って目をつぶるだけ。そういうのって、瞑想っていうんじゃなかったかな。マリアはいつも型破りだ。
でも、気にしない。マリアがするなら、それはきっと正しいことなんだろう。ちらりと後ろを見る。人々はマリアを真似て、目を瞑っていた。教会の人々が、神父様までもが、マリアを真似してお祈りしている。静まり返っていた。厳粛な静かさだった。
やがてマリアがお祈りを終えた。顔を上げて、静かに息を吐く。
「終わったの? 」
「ええ。終わったわ」
教会に音が戻ってきた。人々は、名残惜しそうに教会を後にしていく。統率された蟻のように、人の波はよどみなく出て行った。あっという間に彼らは一人もいなくなった。
「少しよろしいでしょうか」
帰宅しようとしていた僕らに、神父様が声をかけてきた。
「不躾ではありますが、その、よろしければ、私とお話をさせてもらえませんか」
「神父様、それは」
「ええ、どうぞ」
制止しようとした僕を、逆にマリアが片手で制しながら言った。
「ありがとうございます。貴女の慈悲に感謝を」
「いいのよ。人が、誰かと話すのに許可がいるなんて変だもの」
マリアは穏やかに言ったが、僕はちっとも穏やかではない。ばれたら、僕はハワードさんにこっぴどく叱られるだろう。
「人、ですか。私は、人なのでしょうか」
神父さまは、顔を苦悩でゆがませながら聞いた。
「そうね……まだ、人ではないわ」
そう、僕らはアンドロイド(人間もどき)だから。
マリアは、最後の人間だった。二十二世紀が終わるころから、人類は息を引き取るように、ゆっくりとその数を減らしていった。今では、マリア以外は、みんなアンドロイド。といっても、この表記は正しくない。便宜上、僕らはアンドロイドでなく人だ。
アンドロイドという単語が使われなくなってずいぶんと久しい。世界中の人間の数が千を下回ったころ、僕らはアンドロイドではなく、人間であると主張した。古典的なSFでは、アンドロイドの人類への反乱という大事件かもしれないが、千よりも少ない人間は、あっさりとその主張を認めた。アンドロイドの精巧さは、体中をほじくりかえさなければ、見分けがつかないところまで達していたし、人口が過小になった世界は、たった千人の人間にはだだっ広すぎた。心許せる隣人が欲しくて仕方なかった。アンドロイドが主張しなくても、千人はとっくに人として扱っていたんだ。
「ねえ、マリア、どうして神父様と話したの? 」
教会の帰り道、僕らは公園のベンチに座っていた。舗装された歩道に、洗浄された川に浄化された空気。遺伝子を組み換えた抗菌樹木。人の手が入っていないところは、この公園にはひとつとしてない。日光すら、大気中に散布されたカバーセルが快適に調節してくれる。
「どうしてって、人とお話するのに理由がいるかしら」
「いるさ。だってマリアは特別なんだ。皆、マリアと話したがってる。もし誰とでも話していいことになったら、皆が押し寄せてきて、きっとマリアはへとへとに疲れちゃうよ」
事実、皆はマリアと話したがっていた。マリアと会話出来るのは、ごく一部の特権階級のみ許され、普通の人々は挨拶しか許可されていない。それでも、州にはマリアと話したいという問い合わせがひっきりなしに来る。変な話だ。僕らは既に人で、マリアとなんら変わらないはずなのに。
「みんな、病んでいるのね」
ぽつりと、マリアが呟いた。
「ヒューマン・コンプレックスのこと? 」
「皆不安なのよ。本当に人を名乗っていいのか、後から不安になってしまった」
近年、爆発的に広まっている病がある。国境を越え製造の型番を越え、人工知能を侵す。それが、ヒューマン・コンプレックス。ついに人工知能は、心の病を持つ域に達していた。
「さっきの神父様も、悩んでいたね」
「馬鹿な話だわ。きっと、私に言って欲しいのね。あなたは人よ、とね。そんな気休めのような個人の弁明では、人に分類することなんて出来ないのに」
「ヒューマン・コンプレックスを馬鹿な話だなんて言えるのは、マリアくらいだね。皆、凄く悩んでるよ」
「あら、そうなの? 」
きょとんと、まるで少女のように目を丸くしてマリアは言った。
「てっきり、ミカエルは悩んでいないと思っていたんだけど」
「え」
思わず声が出た。マリアの何気ない問いは、僕の頭を疑問でいっぱいにした。確かに、僕は人かどうかなんて、考えたことが無い。僕は、ヒューマン・コンプレックスに悩んでいないのか? じゃあどうして? 何故?
それから、僕らはずっと公園のベンチに座っていた。いつも動いている僕の口は止まり、耳は役目を忘れたかのように何も聞こえない。ただずっと、僕に自身に向ける質問が溢れていた。
「そろそろ帰りましょうか」
そのとき初めて、僕は思考の渦から解放された。あっという間に、現実に引き戻される。
「ごめん、マリア。僕、考え事してて」
申し訳なかった。僕はマリアをエスコートしないといけないのに、一瞬だけど、マリアのことを忘れていた。
「いいのよ。むやみに質問するよりは、よっぽど」
マリアが立ち上がろうとしたので、手を貸す。ちょっとしてから、その発言の趣旨に気づく。
「いつもの僕への当てつけ? 」
「よくわかってるじゃない。まず、考えてから質問するべきなの」
そういって、僕の額を小突いた。
経過報告29
オレンジ色の部屋に僕はいた。椅子も机も扉もオレンジに統一された、なかなか奇天烈な部屋だ。確か、カラーセラピーとかいうんだっけ。リラックスのためらしいけど、僕に言わせれば逆に落ち着かない。おそらく、まだ人工知能の精神が未熟だったころに建築されたものなんだろうと睨んでいる。理論だけ理解するのに忙しくて、自身の感受性には、とんと無頓着だったころ。
机をはさんで、ハワードさんが質問してくる。
「君は人かね」
「人だよ。間違いない」
「自身の存在や意義について悩むことは? 」
「特に無いかな」
「ふむ」
「あのさ、このコードは何とかならないの」
頭に取り付けられた機器を指して、僕は非難めいた声を出す。コードは重くて首が疲れるし、発熱するから暑くてしょうがない。
「我慢してくれたまえ。君の精神を正確に計測するためだ」
抑揚の無い声で、僕の要求をつっぱねる。
ハワードさんは、僕が知る中でもっとも優秀な人だ。古参のアンドロイドであり、州知事であり、国会議員であり、署長であり、人工知能の研究者であり、技術者でもある。数多くの仕事を同時にこなすには、体が一つでは足りない。ということで、ハワードさんは何人もいる。複数の体を持ち、それぞれが別々の仕事に従事し、定刻に一日の経験を一括にして脳にフィードバック、同期する。個人が複数になることは、重要なポストの人物しか許されていない。ハワードさんは相当偉い人のはずだ。
「ミカエルはヒューマン・コンプレックスに陥っていない。それは前から計測できた。恐らく、マリアさんと暮らしていることによって、人として重要な要素を学んでいる」
「要素? 一体どんなものさ」
「それを解明するのは、私ではなく君だよ。経過報告は後一回だ。それまで、有意義に人生を謳歌してくれたまえ。君が、人の未来を築く」
「僕以外の人の未来を、ね」
ハワードさんは何も答えなかった。
パスタを茹でていた。僕と、マリアの好物。最初のうちは、マリアは何も仕事を与えてくれなかったけど、最近やっと認めてくれて、パスタを茹でることは任せてもらえるようになった。マリアは、テーブルでトマトソースを作っている。ぐつぐつと泡立つパスタを、じっと見ていた。沸騰した湯に暴れまわる麺は、のたうち回って苦しがっているように見える。
「ねえ、マリア。死ぬって、どんなことかな」
パスタを見ながら、僕はつぶやいた。
「最近、ずっと考えてる。でも、わからないんだ。苦しいのかな。それとも、楽になるのかな」
背中越しに、トマトの潰れるぴちゃぴちゃとした音が響いてくる。マリアのしわくちゃの手が、トマトをすり潰す音だ。
「ふふ、子供ね。それに、好奇心が旺盛。とてもいいことだわ」
「マリアは子供が好きなの? 」
「大好きよ。皆、好き」
「そっか」
嬉しくて顔がにやけた。向かい合わせじゃなくて良かった。きっと、からかわれちゃう。
「ミカエルも後何年したら子供を授かるのかしらね。百年かしら、それとも二百年? 」
「さあ、どうだろ」
僕らには寿命が無い。合成樹脂と合成繊維を除けば、その多くは有機体で出来た肉体だ。限界はある。が、代替可能な肉体だ。四肢や臓器が寿命を迎えると、それらを廃棄して新品と入れ替える。滅多にあることではないが、脳のメモリ以外の全身を一度に入れ替える人もいる。そういった人たちの多くは、重度のコンプレックスを抱えることになるけど。自分が以前の自分と同じ人物なのか、人なのか。
もし誰もが好き勝手に子供を授かれば、ハツカネズミみたいにあっという間に増えて、地表は人間でいっぱいになるだろう。だから、特権階級を作った。社会に多大な貢献をした人は、様々な権利が与えられる。マリアとの会話もそう。その最たるものが、一人の子供を授かる権利。役所に申請すれば、夫婦の情報を混ぜ合わせて、新しい人工知能とメモリを作ることが出来る。沢山の夫婦が子供を作ることを望んでいるが、なかなかその機会は訪れない。けど、皆反発はしなかった。僕らは長く生きたせいで賢かったし、達観していた。時間は無限にあった。無限は、人の気質をひたすら長くした。
「マリア、茹で上がったよ」
パスタの水を切って、後ろのマリアに言った。
「マリア? 」
返事は無かった。代わりに、ボールの落ちる音が響いた。トマトソースが飛び散っている。どろりとしたソースが、床に広がっていく。粘りのある溶岩が流れるさまに似ていた。赤くて、流血みたいだった。
混乱して、ハワードさんに連絡するのが、少し遅れた。
マリアが倒れた。
死ぬ。体の細胞に送られていた酸素の供給が止まって、壊死していく。心臓が止まる。生まれてからずっと刻まれた命のビートが止まる。脳が、何の電気信号も送らなくなる。どこにも何も、命令しない。考えることも、感じることも出来ない。
死ぬのは悲しい。
もう、マリアと話せなくなる。
死ぬのは怖い。
肉体のスペアはいくらでもある。たった一人の人間となったマリアには、細心の注意と最新の設備と再診の検査が与えられていた。そのほとんどを、マリアは突っぱねた。
マリアが言っていた。私は蚕(かいこ)ね。って。ずっと前に、絶滅した虫。繭が貴重な繊維を生むから、捕獲されて、人間に大事に飼われていた。その結果、彼らは野生へ戻る術を忘れて、退化した。枝にとどまれず、身を守る術をしらず、自分では繭すら作れない、家畜化された昆虫。大事に大事に育てられ、真綿で首を絞められる。生きているのか、死んでいるのか。
「ミカエル、いいぞ」
部屋のスピーカーからハワードさんの声が流れた。こんなときなのに、いつものように抑揚の無い声。ぞっとした。無感情だった。ハワードさんは理解してる。僕に怒っても仕方ないことを。時間が、利口にさせる。もっと合理的に、もっと無感情に。もっと、人から遠ざかる。
「マリア……」
「あら、ミカエル。どうしたの、そんな顔をして」
こっちの台詞だよ。というはずだったのに、声が出なかった。喉の辺りで何かに引っかかって、いつまでたっても声にならない。パクパクと、口だけがむなしく動く。
「おいで」
マリアが両手を広げた。もう、駄目だった。泣いた。
経過報告30
「馬鹿だね。皆、馬鹿だ」
ハワードさんは、その能面のような顔をちょっと歪ませた。
「馬鹿とは? 」
「バージョン2.2までの全て。人と名乗ったのにね、人じゃないよ、皆。だって人は子供を作っていいし、誰かに話しかけるのも自由だ」
オレンジ色の奇天烈な部屋。今日で最後だと思うと、なかなか悪くない部屋だった気がする。
「それは、場合によるのではないかな? 私たちは、賢い。ある程度の規則、そしてそれを理解し、遵守することが出来る。それが、マリアさんを守ることだからね」
「マリアを守るって、いつマリアがそんなことを頼んだのさ。そろそろ、蚕を野に放たないといけない」
「蚕? 」
訳がわからないという顔だ。それが愉快だった。僕がここまでハワードさんの顔を自在に動かせるなんて、ちょっと前までは考えられなかった。
「ヒューマン・コンプレックスの解決法、たぶんわかったよ」
ハワードさんの目が見開いていた。ハワードさんがヒューマン・コンプレックスに悩んでいるのか甚だ疑問だったが、どうやらそれなりに悩んでいたらしい。
「本当かね? 」
「うん、あのさ。僕ら、怖くないんだよ。生きるのが」
だから悩む。本当に生きてるのか。生きる感動が、鈍すぎる。
「どういうことだ」
「すぐにわかるよ。どうせこの後、僕の脳を引っぺがしてから、オルタナ(副現実)に流して、皆の人工知能を2.3にするんでしょ。その時、すぐにわかる」
それが、マリアの子供、ミカエルの仕事。
「そうはいかない。君の経験は人類全てにフィードバックするんだ。細心の注意が必要なんだよ」
「安心しなって。たぶん、特権とか規則とか、全部無くなっちゃうけど。でも、損はさせない」
「何故だね? 」
マリア、たぶん、もう貴方の前にミカエルは現れないけど。みんな人間になるから、寂しくないよね。
ハワードさんに僕は言った。
「人生はさ。短くて、一度しかないから素晴らしい」
僕はミカエル。マリアの十四人目の息子。最後のミカエル。
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世界でたった一人の人間になった老婆と、アンドロイドの少年のお話。 | ||
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