オレンジ |
真っ赤な太陽が大気をオレンジ色に滲ませて、ゆっくりと沈んでいくの。
辺りすべてが燃えるように輝いて…… それから静かに暗く冷えていく。きれいだけど、寂しい風景。
そんな夕焼けを、見たこと、ある?
そう言ったのが、自分の母親だったのか、彼は覚えていない。酒の匂いが記憶にあるから、やはり彼女でいいのかもしれない。しかし、それにしては、ずいぶんと感傷的な台詞のような気がするのだ。
母親には― ブルマには後悔や悲しみは似合わないと、彼は思う。
「うわーっ、すごーい」
無邪気なブルマの歓声に、彼はちょっとだけ得意げな顔をしてみせる。
「だろ。砂漠には何もないけどさ。でも、これは壮観だと思うぜ」
鼻をこすりながら自慢する、恋人になったばかりの少年を振り返って、彼女はにっと笑って見せる。花が綻ぶ瞬間のような笑顔に、赤面性の彼は少しドギマギして視線を逸らした。
ふうん。なかなかロマンティックなこと言うのね。
彼女はひそかに感心する。見てくれはちょっとカッコいいけど、女が苦手だったというからデリカシーは期待できないかも、なんて値踏みをしていたのだ。
願いごと本当に叶っちゃったかな、と彼女は助手席から少年の横顔を眺めた。彼はちらっと彼女に目をやると慌てて正面を向いて、急ごうか、と呟いた。
落ちていく夕陽へ、ジェットフライヤーはまっすぐに飛んでいった。
椅子に腰かけて、彼女は二星球をテーブルの上でくるくると回している。なにをしたいわけではない。なにもする気になれなくて、夕方の応接間なんて、誰もいない場所で時間をつぶしている。
疑いが確信に変わっても、悲しみは生まれて来ない。ただ虚しい。
彼の電話の向こうで聞こえた細い声は、友だちなんかのものじゃない。そんなことはずっと前からわかっていたけれど、彼女の迷いと同じく形になっていなかっただけ。
ブルマの手の影から飛び出した二星球が黄色く反射した。
ふと顔を上げる。西の都に陽が沈んで行く。ビルの谷間から彼女を照らす光は、いつか見た夕焼けほど鮮明ではなかったけれど、同じ1つの太陽には違いない。
廊下をばたばたと駆けてくる彼の足音を聞きながら、彼女は考える。
そう、同じ太陽。同じ空。同じひと。
ドアは荒々しく開いたが、彼は入り口で戸惑った。それが何のための沈黙なのか、考えることがつらくて、彼女は、ねえと自分から声をかけた。
「ここでは珍しいくらい、きれいな夕陽じゃない?」
穏やかな声色をどう受け取ったのか、彼は小さく息をついて、そうだなと曖昧な返事をする。彼女には、次にどう言おうか、と悩んでいる様子が手に取るようにわかる。でも、それは、いま聞きたくない。
「前にも見たこと、覚えてる?」
「あ? ああ」
彼は顎に手を当てて、もちろんさ、と頷いた。
本当に? 簡単に信じられなくなっている自分に、彼女は失望する。いつから彼は、こんなにそつのない男になってしまったのだろう。世慣れることを望まなかったわけではないけれど…。
どこかが食い違ってしまったまま、大人になってしまった。
「それよりさ、さっきのことだけど…」
貫くように投げかけられる、今日最後の光線が彼女の視界で少し滲む。
終わっていたんだな。彼女は愛しいはずの男を振り返りながら、そのことを知った。
赤ん坊を寝付かせて屈めていた身体を起こすと、彼女の青い瞳に真っ赤な太陽が飛び込んできた。嵐が去った翌日の夕方だから、光は地球の空気を伝わってどこまでも拡散していく。
「うわぁ、ね。見て、きれいよ」
後ろに現れた気配を自分の母親だと思って、彼女は感動がおもむくまま話しかけた。いつもの転がるような笑い声がしないので、おかしく思って見返ったブルマは、それが彼だったことを知った。
つまり赤ん坊の父親で、彼女の恋人… のような男。
彼は、冷たい目で彼女を見る。
どうせ、下らないとか言うんでしょ。彼女は唇を軽く噛んだ。この異邦人には、情景を愉しむなんてことは理解できないのだ。
「こんなものが、おもしろいのか」
ふんと鼻を鳴らし、半ばバカにしような口調で、彼は聞き返した。
悪かったわね。彼女は、意地になって強く答えた。
「そうよ、きれいなものを見るのが好きなの!」
彼の脇を通り抜けようとした彼女は、男に引き留められる。といっても、余計な言葉をかけたりしない。彼女の腰に腕を回して、歩みを止めさせた。
なによ、と自分を押しのける彼女をじろりとにらみ、黙ってろ、と彼は命令した。強引な行動は、彼は自分に許された特権とでも思っているようだ。
彼は彼女を抱えて浮き上がり、バルコニーから建物の外に出た。
「な、なにっ?」
突然の浮遊に驚いて彼女は、彼の首にかじりつく。彼は、建物の天辺まで飛び上がると、彼女を下ろした。ひときわ高い彼女のうちは、屋根に登れば西の都を遠くまで眺望できる。
彼から解放されて、彼女は周囲をぐるりと見渡した。よく知っている街並みが、オレンジ色に染められていく。ふだんよりずっと澄んだ空気を震わせて、太陽は西の都を鮮やかな一色に変えてしまう。
あぁ、と小さく感嘆の声を出した彼女の背後で、ふっと男が気を緩めた。彼女は彼の傍らに立って、首を傾げる。どうして、と。
「…見たかったんだろう?」
そうだけど。彼女は、なおも彼を見つめる。黒い瞳は当たり前のように応える。
「なら、見ればいい。好きにしろ」
視線は絡み合い、彼女は彼の手にそっと手を重ねて、逞しい肩に頬を寄せる。ぴくり、と口元が痙攣して彼は顔を背けた。
物好きな女だ、という彼の独り言に、彼女は胸の裡で答える。
ううん… そんなことないわよ…。
だってほら。
彼女は目を細めて、落ちていく年老いた夕陽を見る。
こんなに、きれい…。
わずかに残された甘やかで、今ではほろ苦い記憶― そんなことをいなくなってしまっても、彼女は幾度も幾度も思い出す…。
「ちょっと来てください」
半壊した我が家の一部を改造して作った作業部屋で、マシンの整備をしていたブルマは、息子に呼ばれて手を止めた。彼はドアから顔をひょいと出している。
大きな脅威だった2人の敵を倒してから、息子の表情も明るくなった。
「なによ」
とにかく、と近づいてきた母親の手を取って、彼は外に連れ出すと、彼女を抱えて飛び上がった。辺りはいつのまにか夕暮れ。荒れ果ててはいるけれど、復興の兆しが感じられる西の都に橙いろの強い光が満ちあふれる。
かろうじて立っている、もっとも高いビルの屋上にまで行き、彼は母親を下ろした。
「好きでしょう、夕焼け」
大きく真っ赤な太陽が廃墟を燃え上がらせながら、終わりの輝きを放ち、地平に降りていく。
「あぁ…」
彼女はため息をもらした。
何度も… 人生のうちに何度も目にした光景。彼女の生まれた日も、恋した日も、涙した日も。太陽は変わらずに、地球に昇り、沈んでいた。
彼女はその場に立ちすくみ、脳裏に浮かんでは消える、たくさんの記憶と共に、大地と大気と色あせる空とを見つめた。
喜ばせようと思って連れてきたのに無口になってしまった母に困惑し、息子はかける言葉を見失う。
小さく華奢な背中。自分の母親はこんなに小さい人だったろうか。
「母さん…」
泣いてる…? その問いかけを、彼は口にすることはできなかった。
「ばかね…」
彼女の細い肩が小刻みに揺れる。
「こういうものは… かわいい女の子に見せてやりなさいよ」
彼は頷く。
「…いつか、そうします」
男の面影を残した少年の顔を、振り返って見ることはできなかったけれど、彼女はそっと息子に語りかける。
でも、そういうとこ。あんた、あいつにそっくりよ…。
地球のあらゆる場所で、今日も大きな夕陽が沈んでいく。さまざまな命を照らし出しながら。
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ベジブル「もうひとつの未来」設定。ベジータあんまり出てこないけどベジブル。 | ||
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