台風一過 |
「うわっ!」
会社をサッサと抜け出せたのはいいものの、一分も経たないうちに猛烈な風に吹かれ、ビニール傘の骨が曲がってしまった。
「フレームが完全に逝ってやがる…一分たらずでか」
使い物にならなくなった傘を無理やりたたむが、フレームが歪んでいるためきちんとたためない。
「このガラクタどうしてくれるかねぇ…」
出勤時よりかさばる傘を持ち、ため息をつきつつ私は駅へと歩いて行った。
「まだ雨が弱いのが救いか」
今日は台風が接近しており、丁度退社の時間帯に会社のあたりにいらっしゃったようだ。雨風が酷くならないうちに帰宅しようと思っていた矢先、先程の突風によって傘が破壊された。
幸い駅に着くまでにさほど濡れなかった。これなら傘をささなかった方が良かったかもしれない。
駅に着き電光掲示板へ目を向けると、どこもかしこも「運休」の文字が舞っていた。携帯電話で別ルートを検索するも、ことごとく止まっており電車での帰宅は無理だろう。色々悩んだ結果、腹をくくってタクシーで帰る事にした。
「あ〜…」
手痛い出費になるのを覚悟しつつ、財布の残金を確認すると三千円ほどしか入っていない。これではとても帰れないので、コンビニでいくらか下ろしてくる事にした。
次第に強くなってきた雨にさらされつつコンビニに辿りつき、傘立てに傘を入れようとすると、私の傘と同じように破損した傘が何本もあった。
ゴミ箱に目を向けると、口から傘があふれていた。壊れた傘なんて持っていても邪魔なだけ。しかも量産のビニール傘ともなれば愛着なんてあるわけがない。捨てられるときに捨てるのは至極当然の事。
(まぁ、当然だな)
何ら不思議の無い光景を尻目にコンビニの中へ入って行った。
現金を下ろしてコンビニから出た時、いつもの癖で傘立てに手を伸ばす。そこに並んでいるのは壊れたビニール傘達。その中から自分の傘をすぐに見つける事ができた。
すこし錆が浮き始め、ビニールもくすんできた古ぼけた自分の傘。こんな物に未練も執着もあるわけではない…のだが、なんとなくそのまま置いて帰るのを躊躇ってしまった。ゴミを増やして、店の人に迷惑をかけたくなかったのかもしれない。少し考えた後、手に馴染む壊れた傘を抜き、駅のタクシー乗り場へ向かった。
風と雨に再びさらされつつ駅に到着した。
皆考える事は同じなのだろう。タクシー乗り場に長い行列ができていた。ふと駅のごみ箱へ目を向けると、こちらも傘があふれていた。これ以上入れるのは無理だろう。コンビニに置いてくればよかったとちょっと後悔しつつ、傘をもったまま自分の番までタクシー乗り場に並んだ。
「ありがとうございました」
タペストリーと新刊セットが買えそうな金額を泣く泣く支払い、
地元の駅でタクシーを降りる。もう会社を出てから三時間ほど経過している。台風も離れていったのだろうか、まだ風は強いものの雨は止んでいた。
家へ向かい、葉っぱが張り付いた遊歩道を歩く。遊歩道は人気が無く、街灯がぽつんぽつんと灯っている。道の脇には壊れた傘がいくつも捨ててあった。
ゴミを捨てるとはとんでもない奴と思いつつ、元持ち主の気持ちも分かる。こんなガラクタ持ち帰っても捨てるのが面倒だ。ゴミの日に出すにしても大きくて邪魔だ。手間を考えると何とも言えなくなってしまう。だが、流石に家の近所で捨てたら誰かに見られている可能性もあるわけだし、悪評がつくと後でもっと面倒なのでここはぐっと堪える。
仕事で凝った首を何気なく回すと、視界の片隅に人影が映る。人気は無かったのにいつの間にか誰かが居た。驚いて振り向く時に首を痛めてしまった。
「いてて…今度接骨院行かなきゃな」
首をさすりつつ人影の方へ体も向ける。その人は街灯の下に立っており、畳んだナスみたいな色の傘をぎゅっと握りしめていた。
不思議な感じの女の子だった。全体的に水色っぽい印象で、ボブカットの髪、上着、短めのスカート何れもが水色系でまとまっていた。特異的なのは下駄をはいている事と、右目は青、左目は赤と左右の瞳の色が異なっていた。
(なんだこの子…)
気合いの入ったコスプレなのかもしれないと無理やり自分を説得させた。あまりジロジロその子を見ていても悪いので踵を返そうとすると、その子は口を開いた。
「酷いよね。持ち主の為にその身を広げて雨を防いでいたのに、使えなくなったら道端に捨てちゃうんだもん」
「え?…あぁそうだね」
すぐに傘の事を言ってると気付き、あわてて彼女に合わせた。
「まったく、傘をなんだと思ってるんだろうね!」
「傘なんて、雨を防ぐ道具でそれ以上でも以下でもないんじゃないかな」
自分で言った物の、すぐに規格外の使い方を思い出す。そう言えば、昔はバットにして野球をしたり、チャンバラをした気もする。
「そりゃそうかもしれないけどさ…でもこんな雑な扱いは酷いと思わない?」
その子は道脇に落ちている傘に目を向けて言った。
「まぁ、流石にこれは褒められたものじゃないと思うけどね」
色々思い当たる節はあるが、口にしない。
「でしょでしょ?傘だってきっと恨んでるよ!」
肯定的な答えを返したので、女の子の言葉は我が意を得たりと勢いを増す。
「それでいつか化けて出てくるんだよ、うらめしや〜って!」
何故か分からないが、根拠不明な理論なのに妙な説得力がある。加えて「うらめしや〜」の部分がやけに言い慣れているように聞こえた。
「あぁ…まぁ、恨んでる…だろうねぇ」
「大体、傘は風が苦手なのに、何でわざわざ広げようとするのかな。こんな日に傘をさしても結局濡れちゃうし、傘が壊れるしいい事ないのに!」
「…そりゃ悪かったな」
自分の傘に目を落とす。何度も捨てようとした壊れた傘は変わらず歪な形をしている。私の視線につられて女の子も私の傘を見る。
「あなたは傘捨てなかったんだ?」
「…まぁね」
「何でまだ持っているの?もしかして、愛着があるからとか?」
捨てなかったというより、捨てるタイミングを逃したと言った方が正しい。手には馴染んでいる物の、愛着なんてない。
「ここの傘達にくらべれば、その傘は幸せ者だね。壊れちゃってもまだ持ち主さんが一緒にいてくれるんだもん」
そう言った女の子はやさしく微笑み、私の傘を見つめている。ここまで言われたら、捨て損なったなんて口が裂けても言えないので、女の子に合わせる事にした。
「壊れたとはいえ、一緒に会社に通った相棒だからね。ぞんざいに扱うのは気が引けたんだ」
「そっか」
しばらく止んでいた風が再び吹く。街路樹は葉を鳴らし木がしなっている。明日もまた会社がある。こんなところで永延と話しこんでいるわけにはいかない。
「また風が出てきたね。そろそろ帰った方がいいよ」
やっと私の口から大人らしい言葉が出てきた。
「うん。私もこの子たちをつれてもう行くね」
連れていく?傘を片付けるという意味だろうか?さっきから傘の立場に立った言葉が多い子だ。何か傘に特別な思い入れがあるのだろう。
「お兄さんは、その子捨てちゃうんでしょ」
「そうだね。家で処分するよ」
「そうしてあげて。きっとその子も最後までお兄さんのところに居たいはずだから」
分かったと返事をして踵を返し家路を急いだ。
「たまには人間にも良い奴いるんだ」
女の子は遠ざかる私の背に向かい、小さな声で呟いた。
「ただいま」
家に帰り、いつものように玄関外の傘立てに傘を入れる。明日の朝にゴミ捨て場へ持って行こう。
「あの子なんだったんだろう」
意外と傘の妖怪か何かだったりしたら面白いなと思いつつ、玄関の扉をあける。
深夜、日付が越えてしばらくすると風はすっかりおさまっていた。そんな台風の跡が残る住宅街に下駄の音が響いた。下駄の音は段々大きくなり、男の家の前で止まる。下駄の主…傘の女の子は傘立てから壊れた傘を取り出し話しかける。
「お疲れ様。今までよくがんばったね」
ニッコリ笑って傘をぎゅっと握る。
「それじゃあ一緒に行こうか!」
カランコロンと楽しそうに下駄の音を響かせて、女の子は住宅街を後にした。
「行ってきます」
誰も居ない家に鍵をかけて、ゴミ袋と鞄を手に家を出た。昨日まで頑張ってくれた傘をゴミ捨て場まで持って行こうと傘立てに手を伸ばすが…
「あれ、無い?」
どこへ消えたのかさっぱりわからない。電車の時間が迫っている事を思い出すと、その疑問は頭の片隅へ追いやられた。袋をゴミ捨て場へ放り投げて早足で駅へ向かった。
駅へ向かう道中に今日の予定を組み立て始めたので、それ以降傘の事を思い出す事は無かった。
また一つ、傘が幻想の彼方へ消えていった。
説明 | ||
台風の後、あなたの傘はどうなっていますか? | ||
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コメント | ||
>きみたかさん コメントありがとうございます。確かに小傘の出てくるタイミングを見れば、完全オリジナルの話を作ることもできそうです。しかしこの話でやりたかった事は小傘とのやり取りなので、それを引きたてるためにも前半は主人公一人でがんばってもらいました。(シェオル) この話、小傘でなくても十分オリジナルで成り立ちそうですが、オリジナルだとみる人減っちゃいそうですね…(きみたか) |
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