『貪欲なる《龍》たちの 謀』 |
『貪欲なる《龍》たちの 謀』
ヴィオスとシアの兄妹に大きな依頼が舞い降りた。
「頼む! ワシの娘を助けてくれ!」
弩砲のような声が必至に訴えてくる。
よほどの事なのだろう。依頼主は娘一人を連れ去られ大変な慌てぶりだ。
「ワシなんぞにも優しい良い子なんだ。あの子を人質にされてしまって、ワシは手をだせん。報酬はワシの持つ財宝を好きなだけやる! 娘をワシの元に連れ戻してくれ!」
などと、全財産よりも人質となった娘が大事らしい。でかい図体をして娘を思う気持ちは健気なものだ。いつの時代もどの世界でも親は娘に甘く、心配する事に欠かない存在だ。こいつにとってもそうなのだろう。
「ああ、わかった。探すだけ探してやる」
あまりにも五月蝿い声に耐えかねて、ヴィオスは依頼を承諾した。提示された報酬には不満はない。むしろ、大きく期待できるくらいだ。しかし――。
「おお……! ありがとう。ワシはこの先にある街の外れの洞窟に住んでいる。娘を助けたらそこへ連れて来てくれ。金眼金髪で娘の名前をマグという」
ヴィオスの言葉を聞いた事に安心したのか、娘の特徴と名前を言い残して、依頼主の《金龍(ゴールドドラゴン)》は飛び去ってしまった。
「ねえヴィオス。本気でこんな依頼受けるのぉ?」
妹のシアが風に乱れたピンクのツインテールを整えながら兄に尋ねる。
「さぁな」
青い髪の兄は素っ気無く答えた。提示された報酬にも興味がないのだろうか。
「でも、驚いたねぇ〜。ボクたち娘を助けてくれ〜だなんてさ」
「全くだな。てめえを殺しに来ている相手に、娘を助けてくれってないよな」
奇妙なものだ。
ヴィオスとシアはこの先の街で、《龍(ドラゴン)》殺しの依頼を受ける事になっていた。その標的の《龍》がさっき「娘を助けてくれ」と猛々しい声を出していた《金龍》だ。
体長50mはある大型の《金龍》が人間に娘を攫われ、人間に助けを乞うてきたのが、おかしくて仕方ない。娘のために必死な《金龍》を何の因果か今から自分たちは殺しに行く。
《龍》殺しの報酬は、《龍》の巣にある宝を一部貰うこと。《金龍》の娘を助けようと助けまいと、二人は同じ報酬を貰えるのだった。
ヴィオスとシアは街に着いた。街の名をジンと言う。
活気ある街なのだが鉄と火薬の匂いがプンプンする。そこら中に、武器や弾薬の置き場が設けられているからだ。また木箱に詰められた鉄製の武器が大量に山積みされている。
街には傾斜のある大きな外郭が巡らせてあり、難攻不落を謳う強固な要塞の様だ。ジンと言う――他国では魔神を指す――街の名も、仰向けに寝ている巨漢の腹の様な外形から由来しているのではなかと思わせる。それもそうだ、ここは軍事防衛の街なのだ。ここはドラグ王国の国境の付近にあり、隣国マグアージを牽制するような位置に有る。いわば防衛線の要なのだ。
「兵隊さんだらけ〜ぇ。ガタイのいい男が多くていいわねぇここ〜」
好色魔なシアは黒光りする男たちへと目が泳ぐ。
「バカいえ。軍直属経営の街なんて男臭すぎて嫌気が指す」
ヴィオス周りと見てうんざりした。自分好みの筋肉質で引き締まった腹筋を見せた女兵士などが全く見当たらないからだ。何かと、男の二の腕ばっかりが目に入って来る。
「さっさと、行くぞ。街の中央だったような」
「だよだよぉ。ここの軍のお偉いさんはあの天辺にいるのだ」
シアが街の中央の空を指す。彼女の指先に高い楼閣があった。その最上階に《龍》殺しの依頼人が待っている。
「よく来たな。浮浪者ども」
街長兼軍部司令官のアゴンが唾(つば)を吐きつけるように二人を迎えた。歓迎しくれているとは言いがたく、傷だらけの中年の顔が睨みつけるように二人の顔を伺う。その不遜な態度からヴィオスはアゴンの事を自分の中でクソジジィと命名した。
司令室は楼閣の最上階にあり、天守閣に似た外郭の外まで見渡せるような展望の構造と成っていた。敵軍が襲ってきてもここから直ぐに動きを察知できる、迎撃に適した作りだ。
「外部の人間をここに呼ぶのべきではいが、事が急を要す。分かっているだろうな?」
国内のイザコザや問題はその国の人間が解決するのが一番だが、それが叶わないため、ヴィオスとシアを外国から秘密裏に招かれた。二人の《龍》殺しの腕前が見込まれての事だ。
「分かっている。その為の準備もしてきた」
ヴィオスは懐から薬瓶を取り出して見せた。青色透明の液体は回復薬か何かだろうか。アゴンはその液体が何かを言い当てた。
「《龍骸病(りゅうがいびょう)》の病原体(ウィルス)か」
「その濃縮液だよん」
軽口を叩くシアが周りから睨まれ畏縮する。
《龍骸病》とは、《龍》のみに感染するウィルス性の病気の一種で、《龍》の強靭な肉体を侵食、破壊して骸にしてしまうものだ。ヴィオスたちは今回の《龍》殺しの切り札にこの病原体の濃縮液を使うつもりだ。
なるほど、とアゴンが呟き再び尋ねる。
「分かっていると思うが、そいつを《龍》の体内にぶち込まない限り意味が無い」
「《龍骸病》の病原体は口腔感染か創感染のみ有効なんでしょぉ? 分かってますよ」
シアがミニステッキを振って説明する。
「一撃でも入れば終わる。コイツに液を塗って一傷与えればな」
ヴィオスが背中に担いだ、聖なる施しを受けたブロードソードの柄を触る。この剣で何匹者《龍》を屠ってきた実績がある。今回も倒せる自信がある。
「ただ、念には念をいれておかないとな、今回は相当デカイらしいしな」
その為に、わざわざ入手困難な《龍骸病》の濃縮液まで準備したのだが、それらを見せてもなおアゴンの表情は固く険しい。
「《古代級(エンシェントクラス)》の《金龍》だ。一度暴れれば、この街も一晩で壊滅するような《龍害》になる」
《龍》の破壊行動は一つの自然災害と同等と見る傾向にあり、それを《龍害》と呼んでいる。また、《龍》にはその大きさからランク付けされており、《古代級》は現在確認できる《龍》の中でも最大級のものを指す。下級クラスの《龍》とは比べ物にならない強さを誇っている。
「あれ〜。この街って《龍害》から国を守るために作られたんじゃなかったけぇ?」
シアが自分の知識との齟齬に首を傾げる。
「歴史上そういうことになっている。嘗ては巣にいる《龍》を倒した事もあるが、今は違う。ここの装備ではあの《金龍》を討ち取ることはできない。だからこそ、貴様ら浮浪者をワザワザ呼ぶ事になったんだ。来たからには《金龍》を倒せるんだろうな?」
街の治安を担う司令官としての眼光が鋭く光る。
シアは少し怖いと思いたじろぐが、ヴィオスは気圧されることなく言い返した。
「その為に呼ばれた身だ。失敗すれば俺達も命はない」
「貴様らもこの街も運命共同と言うわけだ。せいぜい逃げるなよ。この街から逃げようものなら、我が部隊の数千の兵士が貴様らを追い、肉塊に変えるからな」
中年は笑い飛ばしているが言葉は本気だ。冗談ではない。二人をこの街から逃がさない為の杭を打ち込んだのだ。
「で、訊くが、巣に住み着いた《金龍》は今まで一度もこの街を襲っていないらしいな。どうしてだ? なら、《龍》がここを襲う可能性が出ているのはどうしてだ?」
「一人の娘のお陰でな、《金龍》がこの街を襲うことはない。ただ危うい抑止であるのは確かだ。ついて来い」
司令室を出るアゴンに従い、二人は後をついて行った。
楼閣の別塔へと至る。最上階の一室に通された。
二重の鉄の壁と格子の向こうに金眼金髪の少女がいた。
「コイツが《金龍》の枷なっている。コイツが居る限りこの場所を《金龍》が襲うことはない。何せこいつは、――」
アゴンは自身有りげに言う。その理由を二人は知っていた。
「こいつは、《金龍》の愛娘だからな」
「ねぇ、ヴィオスどうするのぉ〜?」
兄に向かって呼び捨てするシア。顔がほんのり赤く、少しお酒が回ってきているようだ。
楼閣を去った後宿を取り、近場の酒場にて夕食を取ることにした。
「どうすうるかって、依頼をか? 《龍》をか? 娘をか?」
「勿論、報酬よ! ほ う しゅ う! 龍の巣にあるお宝を一部だなんてそんな不確定過ぎのでいいのぉ?」
シアがステーキにフォークをザクザクと突き刺す。ナイフで切らずに肉片を噛みちぎる。
「ああ、それか。それで不満なのか?」
シアがジョッキに入ったエールを飲み干してテーブルに叩きつける。
「当たり前でしょう! 古代級の《金龍》相手にしないといけないのに、現物払いよぉ! 信じられない! ボクは現ナマがいいのぉ! 出来れば前払いが最高よ!」
兄は愚痴る妹の目の前に金袋を置いた。ひったくるように、袋を掴んで中身を確認するガメツイ妹。その中身を見て眼を輝かせる。
「前金はしっかり貰っている。金貨でな。しかも初代ドラグ王の顔が掘られている。現金貨より二割増しの価値だ」
「それがこんなに! って、これでも前金としてはショボイかもぉ。これで《龍》と戦う準備しないといけないんだしぃ」
テーブルに追加のエールが二本置かれる。
「準備はすでにしただろう? ヤブな研究者ぶっ殺して《龍骸病》の濃縮液奪ったりしてさ。それで使った分の回収金だ」
「ええぇ! それじゃあ利子分だけじゃない! 口止め料で結構使ったのニィ! なんで受け取ったのよこんなの!」
前金を受け取ったということは、依頼を受ける約束をした事になる。シアはこのキナ臭い依頼を受けるつもりではいるが、端金で請け負うつもりはない。
「嘘を言うな。関係者の頭を殆どふっ飛ばしたくせに」
「それでも唯で薬を手に入れたワケじゃないのぉ!」
自分たちがやらかした分の口止め料をそこら中にバラ撒(ま)いたのも確かだ。
「前金は受け取ったが、まだ依頼を正式に受けたわけじゃねぇよ。どっちにしたって、美味しい仕事だ。受けない分けにはいかないだろう?」
50m級の《龍》をたった二人で倒す割に合わなそうな仕事を美味しいと言うヴィオス。何が面白いのかパンを齧る彼の顔がにやけている。
「そりゃそうだけどさ……。でも、《龍骸病》つかって倒すと《龍》の肉が売れないじゃんかぁ」
シアの一番の不満はそこだ。
例え一番いい宝を《龍》の塒(ねぐら)から回収しようとも、前金をタップリと頂いていたとしても、《龍》の肉片を回収できないのが辛い。《龍》の肉体は豊潤な魔力があり、魔道具の材料としても、また希少な珍味の食材としても高く相場に流せる。特に今回のような《金龍》だとその肉の価値は計り知れず。依頼報酬以上の高値を稼げるかもしれない。しかし、《龍骸病》で死んだ《龍》の肉は溶けて、骨だけとなってしまう。肉の価値が損なわれてしまうのだ。竜骨だけでは良い金にはならない。
「そう思うだろう? だが今回は《金龍》だ」
ヴィオスが肉を刺したフォークをシアに向け、続けて言った。
「《金龍》が《龍骸病》で死んだ場合、肉は回収できないが、その溶けた体は砂金に変わるんだ」
「ほんとぉ!」
それを聞いたシアがテーブルに身を乗り出す。ヴィオスはフォークに刺さった肉を噛みちぎり、
「ああ本当だ。過去に《龍骸病》で死んだ金翼竜が砂金になって死んでいたって話がある。それともう一つ。その金貨だ」
シアは再び金袋の中の金貨を一枚取り出して確認する。その旧金貨には初代ドラグ王の顔が掘られている値打ちものだと守銭奴たる彼女には一目にして分かっている。
「恐らくこの金貨は《龍》の巣穴に入って回収したか、あのマグという《龍》の娘を人質交渉に使ってせしめているかのどっちかだ。どっちにしたって、あの洞窟には大量の宝がある。さらに裏付けとして、初代ドラグ王の時代にはこの国で巨大な《金龍》が各地の財宝を荒らしていたという話だ。その話の《金龍》が今回の《龍》なら、期待度は十二分に高い!」
「ワァオ! じゃぁじゃぁ! 《金龍》を倒せば大儲けってこと!?」
「そうだ。宝は一部って事になってるが、《金龍》の死骸を取っちゃいけないっては言ってないからな! せっかくなら宝も全部貰いたいところだけどよ」
「だよねぇ〜! であの《龍》に勝てるのぉ?」
シアが話を区切り、兄へと根本的な問題に対する質問すると、さっきまで下劣な笑いに満ちていたテーブルに一瞬の静寂が訪れた。
ヴィオスは真面目な顔つきになって手を組み合わせた。
「……正直無理だ。勝利条件は、一傷でも負えさせれば勝ちだ。鱗の奥にある肉に《龍骸病》が感染すれば、それで終わる。だが……」
「問題は相手が《金龍》って事よねぇ……。」
外皮を覆う金の鱗が問題だ。
金は聖銀に劣るとはいえ、魔法防御としての効果が非常に高い。更にはその硬度と強度の高さ言わずもながらだ。更にあの大きさ故に、鱗も分厚い。一太刀入れようにも、金の伸展性によって肉にまで届くような傷を負わせられないだろう。つまり、二人が《金龍》への攻撃は戦う以前に完封されている。
「ぶっちゃけ、この街の兵力を総動員して鱗の一枚でも剥がしてもらわないとやってられねぇ」
「そぉよねぇ〜。でも、それじゃあこの街がなくなっちゃうだろうけどねぇ」
笑い事じゃない事を笑いながら言う二人。自らの生死も関わっていることなのに、別に何も心配してないようだ。
「もとからそんな支援を頼めないわけだが、方法はある」
「傷口がダメならぁ、口だねぇ」
「そうだ。あの糞デカイ口が開いたとこに、《龍骸病》の瓶を投げ込んでやればジ・エンドだな」
飲み干したジョッキの底でテーブルを叩いて、ヴィオスが勝利宣言をする。
「じゃぁ、《龍》殺しの依頼は案外楽勝じゃない。前準備した甲斐があったってことかなぁ? あ、デザート、ショコラください!」
シアも割のいい仕事に思えたのか、いつもより余計な追加注文を頼んだ。その前に、エールをいつも以上に飲んで大分酔いが回っていたりするのはお察ししてやろう。
「でだ、もうひとつの依頼のことなんだが――、」
と、ヴィオスが話題を変えようとした時。
「おおいい嬢ちゃんがいるなぁ」
「なに? 向こうの彼氏?」
「そこの、男放っていいことしない」
下端の兵士らしき男三人が下心丸見えでシアに寄ってきた。
「あら? ボクぅ? 別にいいよォ〜ヴィオスは彼氏ってわけじゃないしぃ」
シアは酒で赤い顔を向けて誘いに乗る。残念がら彼女に貞操感というものはないので、彼女がいい男だと思えば付いて行って、喰らい尽くして帰ってくる。
「まじかよ! ならこんなところじゃなくてさ、いいところいこうぜ?」
男たちは、行為に望めると興奮してきたようだ。が、下賤な彼らに対して、
「一人幾ら払うんだ?」
と蚊帳の外にされていたヴィオスが現金な質問を投げて水を差した。
「はぁ? お前何言ってるんだァ?」
片眉を上げて一人がヴィオス詰め寄るが、彼は素面な顔でアスパラを齧る。
「口の聞き方なってねえな。俺はそいつの兄だからな。シアがどこでナニやるかなんて、コイツの好き勝手だ。だが、そいつの体を買うんだろう? なら払うもん払え。 ほら幾らだ?」
クイクイと催促するヴィオス左手と、変に達観している彼の態度に不審がる三人。
「何だ? まさか、この袋よりも金が持ってないって言うんじゃねぇだろうな?」
依頼の前金の入った袋を振りジャラジャラと鳴らす。三人は中身が金貨だとは知らないし、中身がすべて銀貨でも中身以上の金を彼らが持っている可能性は皆無だ。誰ひとりとして飲み代以上の金銭を持ち合わせていない。
「ぇ〜。それは残念。ボクとやりたいならそれなりにお金持ってきてよぉ〜」
いい男でも金のない男には興味がないシアだった。ヴィオスも手を振って『あっちに行け、貧乏人』と追い払う。
「んだぁ? てめぇ……」
勇む男も出たが、直ぐに仲間内に止められる。
「よせ、アレを見ろ」
テーブルに立てかけられた大剣を見る。片手分の長さしかない柄には特殊な装飾。人の身長程ある幅広い刀身。なら、この剣の使い手である優男の力量は、自分たちと比べ物にならないのではないか?
「ち、わかった。適当に飲んで帰るぞ」
と、三人は当初の目的たる晩酌へとカウンター席へ向かった。
「暫く街にいるからぁ〜よろしくぅ〜。今度はお金もってきてねぇ」
遠ざかる三人にシアが虚ろに投げかけた。ヘラヘラとしているが、今にも寝そうだ。
「もお、折角ガタイのいい男がきたのにぃ〜。ヴィオス焼き餅?」
残りのエールを飲み干しヴィオスが席を立つ。
「なわけねえだろう。お前こそ、あの三人の精気どころか身ぐるみ全財産を搾り取ろうと思っていたくせに」
「へへぇ。バレてらぁ……」
ヴィオスは千鳥足になったシアの首を掴んで、酒場を後にした。
彼らの去ったテーブルには食い終わった皿と空のジョッキと一枚の金貨が残った。釣りを貰わなければ大損な支払いだが、貰うのが面倒なのでそのまま立ち去った。
ヴィオスは得る金にはガメツイが、払う金には丼勘定なのだ。
「うぅうう……、あ〜た〜ま〜がぁ〜」
朝からシアは酒の飲み過ぎで頭痛に悩まされていた。昨日は着替えずに上着だけを脱いだ下着姿が乱れている。髪はもっと酷い寝癖で乱れている。
「このバカ妹、なにやってるんだ」
兄の罵倒が精神ダメージから物理ダメージに変わり、頭に響く。
「そんな事言ったてぇ〜。水ぅ〜水うぅぅ……」
「仕方ねえな……」
ベッドの上で悶え暴れる妹を見かねて、ヴィオスは水を一杯もらいに宿の受付へと向かった。
「一杯水をくれないか?」
カウンター越しにいる宿屋の女将さんに言う。
「ごめんよ、今朝の飲み水をまだ汲んできてないんだ。すぐにほしいなら、すぐそこの共同井戸へ行きな。コップは貸してやるよ」
「共同井戸?」
女将さんからコップを受け取り言われた場所へと向かう。面倒ながら、我が妹のために。
井戸は宿場の裏手にあった。井戸というよりも水場と言ったほうがいい。四角く底の浅いプールのような水溜があった。水場には朝から人が集まり、生活用水を汲んでいく。
「ここか。飲めるのか?」
ヴィオスがふと疑問に思った事を口にしたら、近くにいた街の人が親切にも教えてくれる。
「安心しな。この街の飲み水はどこもこの井戸から汲み上げているんだ。山から流れてくる川の水を濾過して、専用の水路に流しているんだよ。他にも何箇所かあるが、どれも同じ水路を回っているんだよ」
「なるほど、貯水も兼ねているのか……」
ヴィオスは感心して、井戸の水をコップに掬った。
灌漑工事や下水工事はどこでも行なれてはいるが、飲み水として使えるように濾過池を設けて、町中に水を張り巡らせるような事はしない。普通は濾過されていない川の水を汲み上げて各家々で煮沸処理してから飲む。特にここのように山間に近い場所だと、汚染を気にせずに飲んでも何ら問題もないはずだ。
「なぜ濾過して飲むんだ?」
飲み水の為に水路を分ける事も、濾過する事も必要だからするのだ。その理由が知りたい。
「山から流れる水には金属分が多くてな。特に鉄がな。沸騰させて飲んでも腹を壊してちまうんだ。だから、ワザワザこんな水路を俺達がこしらえたのさ」
「俺たち?」
「ああ、この街の水路工事をしたのは俺だぜ?」
おっさんが腕っ節を見せて自慢する。
なるほど、確かに重金属の含まれる水を飲んでは体に悪い。鉛、水銀、アルミニウムなど毒性のある金属は勿論のこと、貧血を抑える鉄だって過剰摂取すれば中毒を起こす。
「鉄の多い水か……」
コップに入った水は至って透明だ。朝の光でその水面にヴィオスの浅く笑った顔が一瞬写って崩れた。
「と、ここで考えている場合じゃねえな。ありがとよオッサン」
有益な情報をくれたことに礼を言い、足早に宿に戻る。シアが水を待っているのだ。
部屋に入るとシアが額に腕を乗せて寝ていた。口からはまだ弱った唸り声が漏れていた。
「おそぃ……」
ヴィオスが帰ってきたことには気がついたらしい。
「悪いな、外に水を取りに行ってた」
ベッドから起き上がり、ヴィオスからコップを受け取ると、水を半分ほど一気に飲んだ。朝一番の水は冷えていて、清涼感に富んでいた。おかげで頭の内側に張り付いた痛みも和らいだ気がする。
「ありがと。少しは良くなわぁ……」
シアは頭を振り、手櫛で寝癖のついた髪を梳かす。
「じゃあ、早く着替えろよ。酒場召し食ったら、またクソジジィの所に行くからな」
「へぇ、なんでェ……」
起きたばかりの彼女は全く頭が廻らない。
再び楼閣にて、二人はアゴンを尋ねた。
「なんだ? まだ《龍》殺しは済んでないだろう? 早く殺しにいけ」
蔑みの眼差しでアゴンがヴィオスとシアを睨む。二人の朝一番での唐突な訪問で気分を害したようだ。出来れば今直ぐに二人をこの場から追い出したく思っている。
「言われなくても行ってやる。ただ、色々と聞きたいことがある」
苛立つアゴンの前にヴィオスは昨日の前金を投げた。金袋からはみ出した旧金貨が机の上に散らばる。
兄の突然の行動にシアは後ろで驚いた。
「……何の真似だ?」
アゴンが語尾を強く言う。対し、毅然と態度を崩さずにヴィオスが鎌をかける。
「それはこっちのセリフだ」
ヴィオスは机に手を着いて挑発的に身を乗り出す。
「流通しない旧金貨を渡しておいて、この前金で依頼を受けろと?」
「不満か? 換金すれば現在の金貨よりも価値があるはずだが」
「ああ、それくらい知っているさ。俺が知りたいのはこの金貨の価値じゃねぇ。なぜこの旧金貨を俺らに渡したのか? だ」
台の上の金貨を一枚手に取り、初代ドラグ王の顔をアゴンに見せつける。金貨の顔がヌメリと光沢を放つ。
「偽物だと言うのかそれを!」
憤慨したアゴンがヴィオスに傷だらけの顔を近づける。ヴィオスは顔を引き、アゴンを見下ろすように背を伸ばした。
「いや、これはホンモノの金だ。まあ、続けてもシラばっくれる気だろうから、言っちまうぞ。人を金の洗浄に使うんじゃねぇ!」
キンッと金貨を親指で弾くとそれは台の上でクルクルと回って王の顔を下にして倒れた。
「マネーロンダリングゥ! じゃあ、《龍》殺しの報酬が宝を一部ってのも!」
シアが報酬の不自然さに今気がついた。現金でもなく、有るのかも価値もわからない《龍》の守る宝が報酬とは怪しく思ってはいたが、まさか自分たちが所得隠しの手段として使われているとは思いもよらなかった。
「そんな証拠、どこにある!」
アゴンは強気な態度を示す。だが、語頭に迷いがあったのをヴィオスは聞き逃さなかった。
「なら、ついでにもう一つ言ってやろうか? お前らが行っている洗浄化はそれだけじゃねぇ。街中に溢れる武器がお前らのロンダリングの手口だ。街で武器を作り兵士に配給する。悪くはないが、余りにも武器が多すぎる。溢れた所得を武器に変えて隠してんだろう? 証拠は出資報告書と街中の武器の値段を見比べれば一目瞭然になるぜ」
《龍害》からの、外国からの侵略の、防衛を謳う街だ。いくら武器があっても可笑しくはない。そこに着目したロンダリングの仕組みだ。元々武器は価値がある。原料の鉄鉱石を精製し、できた鉄を溶解させて武器に打ち変える。武器は街の兵士に配給されるとともに、武器商人へ売りつけて所得を生む。初めに仕入れた鉄鉱石などの原料価格と生産コストを合わせた消費価格より武器を売って得た利益が上回る。
唯の鉄よりも武器は高く売れる。そしてなによりも消耗品だということだ。戦士、兵士、冒険者と各人にと、城、町、戦場などの各地で需要が有る。作れば作るほどその利益は増すのだ。
そうして得た金で武器を作り、また金を得る。このサイクルによって大きな利潤を得る。しかし、莫大な利益を伴えば国に支払う税も高くなる。何割かの徴収でも多くのお金を国に捧げることになるのは、金を得た者にとっていい思いをしない事だ。
故に、利益の一部を武器に変えて、売らずに街に配給する武器と混ぜ隠す。そうすれば国は事実上防衛のために使われている武器を徴収する訳にはいかなくなる。これがこの街が、アゴンが行っているマネーロンダリングの仕組みだ。
「それがどうした? 浮浪者のお前らには俺らが何をしていようと関係ないだろう? 国府に密告したとしてもお前らなんぞ取り合うはずもない」
「別にそんな事はしねぇよ。金を出してくれる依頼主を金が出せない状態にしてどうすんだって話だ。ただなぁ、俺らは正当な報酬が欲しいだけだ」
ヴィオスの言う正当な報酬とは、使われていない金貨でも《龍》の宝でもない。
「そうねぇ〜現金がいいわよねぇ〜」
キャッシュ、それ以上に信用できるものはない。
「ふん、業つくばりめ。そんなに金がほしいか」
「アンタに言われたくはないが、金は大事だ人間の信頼なんかよりもずっと信用できる」
「ほしいのは当然よぉ、愛も体もぉお金で買えるし」
「じゃあ何か、前金も報酬も現金にすれば文句はないのか?」
早合点ながら、アゴンはヴィオスの要求をそう読んだ。
「それもあるが、ここからが本題だ」
相手が折れたのを頃合いと見て、ヴィオスが本命を繰り出す。
「確かに《龍》殺しを依頼すると莫大な依頼料を払うことになる。それを現物でどうにかしようと思うのもわからなくもない。この旧金貨を俺達に渡したのにも、宝が有ることを証明する材料だ。間違い無く有るんだよな?」
「ああ、それは何人もの部下が目撃している。《龍》の後ろには宝の山だ。この旧金貨もその一部から回収したものだ」
「そして、《龍》を倒して得られるのは宝だけじゃない。だろう? 宝よりもこっちのほうがお前たちには大事じゃないのかなぁ?」
台に広げてある街周辺の地図に描かれた山脈を指さす。山脈には《龍》の巣の場所も書かれているが、指先はその位置になく山脈の峰をなぞり国境線を超えた。
「《龍》の巣のある山脈は鉱山資源に恵まれているらしいな。その証拠に山脈周辺に鉄鉱石の産地が目立つ。更にもう一つ」
ヴィオスの指がここジンへと流れこむ川に指を叩く。
「この川だ。この川は濾過施設を作らないと飲めない位に金属汚染されているそうだな。多量の鉄が含まれていると」
「そうだ。川の水が沁み出しているのは山の中腹だが、水源は《龍》の巣の近くにある」
アゴンが肯定した。彼の狙いがヴィオスの予想と一致したのだ。
「俺らは宝にはさほど興味がない。回収したところで大半を国に没収されるだろう。だが、資源はそうはいかない。あの《龍》住む山は有用な鉄鉱山だ。地質調査でも豊富な鉄鉱石が埋まっていると結果が出ている」
「じゃあぁ、ボクたちに《龍》殺しを依頼した目的って……」
シアは今更ながら気がついたようだ。
「そう、この街直営の鉄鉱石の原産地を得るためだ」
そうすれば鉄鉱石を買い付けずとも、武器製造での直接的な利益を得ることが出来る。
「しかし、あの《金龍》が……邪魔なのだ!」
アゴンは自分の席へと戻ると、机に両腕を叩きつけて怒りを露にした。
「もう十年だ! あの《金龍》が住み着いて。前の《龍》を撃退したというのに、空いた巣にヤツは居座り続けやがったんだ!」
この街は専守防衛の街であり、《龍》を撃退するために作られた街だ。嘗てあの山に巣食う《龍》は古代級の《金龍》ではなかった。危険で《龍害》を起こす凶暴な《龍》ではあったが、街の兵力を総動員して撃破に成功したのだった。しかし、その矢先にこの国を初代ドラグ国王の時代から襲ってきた《龍害》たる《金龍》が、空き巣にて羽を休める様になった。
「撃退を試みたが、前の《龍》とは格が違いすぎた。魔法も効かない。並の武器では傷一つさえも付きやしない。兵力に大きな犠牲を出し、我々は作戦を断念せざるを得なかった。唯一救いがあったとしたら、あの《龍》がその後この国を、この街を襲うことがなくなった事だ」
《金龍》の討伐はおろか撃退をも失敗したが、強大な《龍害》を長らく防いだ事を賞賛され、この街を指揮するアゴンのメンツは保たれることとなった。しかし、同時にそれは彼の防衛意欲を掻き立て、その為に莫大な資金を得るために武器を使ったマネーロンダリングに手を染めるキッカケを作ったのだった。
「《龍》を退治し、山を調査開発しようとした矢先に、《金龍》――か。前の《龍》との戦闘で疲弊した兵力では為す術もなしってのが頭に浮かぶぜ」
この国での伝説ともなる《龍》だ。打ち勝ってば対《龍》部隊、対《龍》迎撃都市としての泊がつく。無論アゴンの胸にも名誉勲章が飾られる。前線の勝利を追い風として戦ったのだろうが、結果は大敗を期した。
「全く忌々しい限りだ。その後敗戦で削がれた兵力を戻し、街を作り変えて外壁を厚くするなど対策を強いられ多額の資金を要したが、国からの負担では金は到底足りなかった」
一刻も早く街の戦力を戻さねば隣国からの襲撃がないとは限らない。その為にアゴンは武器によるビジネスに眼をつけた。《龍》の巣のある山ではなくとも、近郊の鉱山都市から資源を買取り、街で武器を作り売った所得を開発費と雇う兵の増加に当てた。兵を増やしたことか、いやおそらくは《金龍》の存在によって隣国マグアージから襲撃されることはなく、それどころか《金龍》からの《龍害》もなく工事は滞り無く終えた。その後は武器製造のビジネスで資金を武器に変えてプールしている。
「尤も、今では資金繰りに困ることはない。《金龍》が未だ巣にいるのも襲ってこなければどうということはない。存在自体も隣国への牽制と成る。しかし、そうは行かなくなった。資源地の鉄鉱石が枯渇し、よりによってこの時期に国はアガ公国との戦争だ。折角武器として蓄えた裏金を武器とし流出しなければならない。需要と供給を満たすためにも新たな鉱山が必要だ」
ジン周辺のマグアージとの国境は穏やかではあるが、この国はここより国の反対側にある国境付近で戦争を行なっている。戦争となれば、武器を多く消耗する。防具も然り。そして武器を多く所有するジンは戦争に武器を配給する役割を担わされた。
「そこで、俺とシアを呼んだ。《金龍》を秘密裏に葬る為に」
「そうだ、こちらの国境が仮初の平和であるのはひとえに《金龍》が住み着いているからと言える。マグアージは俺の街とやりあえば、《金龍》の怒りに触れるであろう事を恐れている。自国への《龍害》を懸念する故に攻めては来られない」
「けどぉ《金龍》が居る限り鉄鉱石を山から採掘することはぁできない。他の地方から買おうにも戦争をおっぱじめちゃったおかげで金属類の価格が高騰しちゃってるしねぇ」
戦争による消費物を初めとして、ドラグ王国及び周辺国の経済はインフレーションを起こしている。殊更鉄はその代表と言っていい。鉄の価値は戦争前と比べて三倍近い値を付けている。
「《金龍》の存在は必要。しかし、鉄も必要。このまま戦争のためにこの街の武器を戦地に送り続ければ、街の裏金はなくなってしまう。なら、国府にも隣国にも知られないように第三者による《金龍》の暗殺を目論んだ。そうだろう?」
その第三者たるヴィオスが言う。
「もっと言えば、お前らが事を知らずに、《龍》殺しを遂行してくれれば良かったんだがな」
「それは残念だったな。大仕事なんでこっちも慎重なんだよ。依頼にも依頼金にもな。でないと倒せるものも倒せねえよ」
自信有りげに言うヴィオスにアゴンは訝しく尋ねた。
「お前たちが《邪龍》狩りで名を上げているのは知っているが、たった二人であの《龍》を倒せるとは思えん。どこからその自信は来る?」
アゴンが疑わしく二人を見る。
ヴィオスとシアは若く、この若さで各地の《邪龍》と呼ばれる凶暴で非道な《龍》な多く屠って名を上げた。単にそれはヴィオスの持つ聖なる加護を受けた大剣が、《邪龍》に有効的な攻撃を与えられるだけではなく、彼の力量とそして妹の魔法力にも由るとこがある。シアは成りこそ華奢ではあるが、半端な《龍》なら一撃で致命傷を与えられる程の破壊的な魔術力を持つ。
一個部隊を整えて挑む《龍》に対して、《金龍》に勝てると宣う彼らはたった二人にしてアゴンの率いる大隊と同等以上の戦力を持つことなる。二人を今回の切り札として呼んでおいてはだが、アゴンにはそれがどうにも信じられない。
「なに、簡単なことだ。あの《金龍》を確実に殺れる方法を思いついたからだ」
ヴィオスの言葉にアゴンとシアが目を見開く。
「それってほんとぉ?!」
「それは本当か?!」
《金龍》の大きさ、そしてその強さを知る者としては信じ難いことだ。
「その為には三日だ。三日は時間がほしい。それで《金龍》を殺す準備が整えられる」
「三日……、今直ぐにでも倒してもらいたいが、いいだろう。三日後に絶対倒しにいけよ。でなければ、暗部を知ったお前たちに然るべき対処を講じるからな」
三日後、《金龍》を倒さなければ、二人は恐らく消されるだろう。
「別に誰にも喋らねぇよ。一介の浮浪者の与太話なんて誰が聞くか。それと要求はまだあるぜ。報酬だ報酬」
ヴィオスは指をコインの形にして、その穴からアゴンを覗き見る。卑しいものを見る目がこっちを向いていた。
「報酬を上乗せしろと言うのか?」
「いや、そんなのはいい」
上乗せを提示されたのに、意外にも断る兄の態度を見てシアが慌てる。
「ちょっと、ヴィオス! なんで断っちゃうのぉ!」
「幾らになるかわらない報酬のかさ増しなんてやってられるか。それよりもだ。殺した《金龍》だ。貰っても構わないよな? 勿論現金報酬は払ってもらうけどよ」
ここでシアは気づく。兄は確実に《金龍》の遺体を獲得する為にこの脅しにも似た交渉を持ちかけたのだと。苦労して倒した《龍》をみすみす街に引き渡すなんて、それこそ不利益極まりない。《金龍》の肉体から取れるモノのほうが事後報酬よりもよっぽど金になるはずだ。
「それは構わんが。いいのか、《龍骸病》で死んだ《龍》では肉は手に入らないぞ?」
それに、どうやらアゴンは《金龍》が《龍骸病》で死んだ場合のことを知らないらしい。ヴィオスは狙い通りに交渉が成立し、密かに口角を上げた。
「よし、なら決まりだ。じゃあ、今日から三日、俺達が何してようと邪魔はしないでくれよ。早速やらないといけないこともあるしな。一度《金龍》の大きさを確認したい。《龍》の巣に行ってもいいよな」
無論ブラフだ。二人はすでに《金龍》の大きさも実態も知っている。だが、《金龍》へ会いに行くことへ意味がある。また《龍》の守る宝の確認もできる。
「わかった、死んで帰ってくるなよ」
アゴンは二人を心配して言葉を紡いだわけでなく、今勝手に死なれると困るからだ。
「ちょっと覗き見て帰ってくるだけだ。体格が分かればこっちも作戦を確実にしやすい」
果たして彼はどんな作戦を立てているのだろうか。
「ねえぇ? ついでに聞きたいんだけどぉ?」
シアが何か物言いたげだ。兄とは違い挑発的な態度ではない。
「なんだ。言ってみろ」
シアが女性であるからか、ヴィオスとの対話に疲れてか、すんなりと聞き入れてくれた。
「一度も街を《金龍》が襲ってこなかったのはわかったけどぉ、なんでなのぉ? ここに捕まえている人質の女の子と関係があるの?」
この楼閣にはマグというシアと年端の変わらない娘が捕まっている。今《金龍》が不用意に街を攻められないのは彼女が人質としての効力を発しているからとの事だが。
「その事か……、まぁお前らに隠す必要もないだろうから教えてやろう――」
アゴンが説明を始めようとした矢先、部下の一人が司令室へと足早に駆け込み急告した。
「指令、また娘が逃亡を謀りました!」
「またか! で、捕まえたのか?」
アゴンが渋い表情をする。どうやら今話そうとした娘、マグが部屋から逃げ出したらしい。
「下の階にいた者が取り押さえております。如何いたしましょう?」
大事な人質が逃亡に失敗した事を聞き安堵する。彼らにとって娘を逃がすということは、《金龍》への牽制を無くすということだ。いや、それ以上の意味もある。
「わかった。ここに娘を連れてこい」
「はっ、かしこまりました!」
アゴンは何を思ってそう言ったのか、わからないと言う顔をした部下だったが、直ぐ様部屋を出て下の者へ知らせに行った。
部下が部屋を出て暫くすると、《龍》の娘が兵士に抗いながら連れられて来られた。
「連れてきました」
兵士は娘に膝を着かせる。
乱暴にされて呻く彼女の腕は後ろに組まれて手錠が掛けられていた。しかし、彼女がアゴンを睨みつける眼光は険しく遮り難たかった。
「糞野郎! 早く私を父さんのところに返せ!」
部屋に入るなり、マグは一声をそう放つ。威勢はまさに《龍》の娘と言うべきか、今にもアゴンの喉笛に噛み付きそうだ。しかし、後ろから兵士に抑えられてそれは出来ない。
「吠えるだけの体力はまだあるな。昨日も言ったが、コイツが《龍》に育てられた娘マグだ」
シアは不用意に知ってるぅ、と言いそうになったが口を噤んだ。自分たちが知らないはずの情報を知っている事で相手に疑いを掛けられる可能性を直感的に回避したのだ。
「コイツはな、十年前に俺が《龍》に差し向けた生贄だ。コイツの体には《龍骸病》がよく染み込んでいる」
アゴンはマグへと近づき、徐ろに髪の毛を掴みとって顔を上げさせた。
「くぅ……!」
髪を引っ張られる痛みに彼女が呻く。傷んだ髪の毛が何本か千切れる音がした。
「なるほど、そいつを《金龍》に食わせて殺そうとしたのか。非道ながらいい方法だな」
ヴィオスの読みにアゴンは頷いた。
《龍骸病》は人体には無害の病気だ。しかしその菌は残留性があり、いつまでも体内に残ってしまう。その性質を利用して、アゴンは幼かったマグに《龍骸病》の病原体を大量に飲ませて《龍》を殺すためだけの人体兵器として、生贄として《龍》の巣へと放り込んだのだった。
「非道と言われればそうだがコイツは逃げ出した捕虜の捨て子だ。どう扱おうと誰も文句は言わない。役に立って死ねるだけマシだろう? まあどういうわけか死なずに、《龍》に育てられたってわけだ。」
「いやぁッ……」
アゴンは襟口から手を入れて娘の乳房を直に掴んだ。娘は抵抗しようにもその華奢な体では身動ぎするのが精一杯のようだ。
「クソ……! お前なんて父さんにかみ殺されてしまえ!」
マグは嫌らしく胸を弄ばれる不快感に耐えて、罵声を吐きかける。しかし、アゴンは全く動じはしなかった。それどころか、辱められたマグの顔をヴィオスとシア向けて言った。
「見ろ。コイツラがお前の父親を殺す人間だ。直にお前も用済みに成る。よーく顔を覚えておくんだな」
「イタ!」
胸を強くつねられ閉じた瞳から涙が滲み出た。
辱めを受けて涙を流すマグを同情も哀れみもなく二人はただ淡々とその光景を見ていた。
非情な二人をマグは殺意を持って睨みつけた。
「父さんが死ぬわけない! 私が……! お前らを殺してやる!」
「学もない野生児のお前に何が出来る? 連れていけ!」
「きゃっ……!」
鬱憤を晴らすように一通り楽しんだアゴンは娘を押し倒すように兵士へと彼女を投げた。腕の自由を奪われている彼女は床に倒れ、無造作に兵士に掴み連れられて部屋を出た。
「《金龍》はあの娘を食わなかったが、《龍害》を防ぐという意味と隣国への牽制の意味では随分と効果を発揮してくれた。尤も、その反面《金龍》があの巣にずっと居座る事になったがな」
アゴンは手に残った若い女の香りを嗅ぎながら言う。
「でもぉ、十年もあの娘のおかげで街が襲われることはなかったんでしょぉ? ならなぜ今更あの娘を人質にとってるのぉ?」
マグは《金龍》に街を襲われない為の人質なのだが、人質ではなくとも彼女が《金龍》の側にいれば街を襲ったりはしないはずだ。また、逆に人質として街に置いているが故に《金龍》が娘を奪い返しに襲撃する可能性だってある。
「元々、あの娘は人質にとるために連れてこられたわけじゃない」
「じゃあどうしてぇ?」
「どこかの偽善者が山の中で保護しちまったんだ。巣の近くで倒れていたのをな」
誰かは知らないが、倒れていたマグを近場のこの街に連れて来た奴がいた。善人を装っていたそいつは、彼女を慰み者にした挙句娼婦として売り飛ばそうとしていたのだ。彼女を《金龍》の元に帰そうにもそうはいかなくなった。
「娘を幽閉して一ヶ月近くなる。死なれても困るから、今まで生かしてはいるが」
「でぇ、娘を人質に《龍》を脅して宝の一部を回収してたわけかぁ」
シアの結論は早合点だが、娘を人質にとったことを《金龍》に知らせた時に序に拝借してきただけだ。まあ、強ち間違っては居ないが。
「別にあんな娘がいても戦いに支障はないが……、邪魔がいなくなっている分戦い易いな」
「大体のことはわかっただろう。ならさっさと《龍》の巣へ向え、公務に差し支える」
「じゃあ、そうさせてもらう」
二人は展望の部屋から出て行った。要求を随分と取り付けられたことに満足気に階段を下っていった。
「――三日後に《金龍》を倒して帰って来たら……、殺してやる」
暗部を知られようとそうでなかろうと、アゴンはヴィオスとシアを殺すつもりだった。
ヴィオスとシアは楼閣を出て早速《龍》の巣へと向かった。
門の外へと出ても山まではそれなりに時間がかかり、更に《龍》の巣は山の中腹にある。巣のある山へは、山から街へと流れている川を頼りに川沿いを歩いて行った。
途中、ヴィオスが川の水質を確認する。
「この水を街で濾過しているのか」
見た目は透明な清水なのだが、飲みたくはなかった。薬瓶の一つを開けて薬を捨てる。空になった瓶に川底の砂と水を汲みとって見ると、砂鉄らしき黒い結晶を見ることが出来た。
「喉乾いたぁ?」
シアはヴィオスが飲み水を欲しているのかと思った。
「いや、どうせこの川の水は飲めねえよ。飲み水は水袋の中にあるしな」
「そうなんだぁ。きれいな水に見えるけどなぁ」
「話では水源の水は飲めそうだけどな」
《龍》の娘のマグは恐らくそこで飲み水を確保していたのだろう。でなければとっくの昔に鉄中毒で死んでいるはずだ。
「ねぇ? あのマグって娘どうするの?」
シアが《龍》の娘の救出についてヴィオスに意見を求める。
「さあな、助けるかはこれから決める。《龍》を倒す倒さないにしろ、俺たちをあのクソジジィが生かして返す気が無いのは見え見えだ」
そのへんの対策をしないと《金龍》を倒したところで自分たちが後々生きて街を出られるとは思えない。
二人は更に川上へと進んでいき、山へと入った。そう高い山ではないが長年人がほとんど踏み入れていないので、駄獣道を踏み分けて登るしかなかった。
「うう〜きつういぃ〜」
シアがへこたれそうに成る。急斜面が幾つかあってなかなかに大変だったが、山に入って三十分も登り続けていると《龍》の巣穴に通じる洞窟を見つけた。
「ここか」
事前に貰った地図を確認してヴィオスが頷く。
「入るぞ」
「ちょっとまってよぉお!」
休みたいシアの意思を無視して洞窟の奥へと進んだ。
洞窟の入り口は人が通れるほどの大きさしかなく、進んでいくと途中で広くはなったものの、あの《金龍》が通れそうな大きさでなかった。《金龍》は別の穴からでは入しているのだろう。中は全く見えないほど暗いため、魔法の光で辺りを照らしながら前に進んだ。
洞窟はほぼ直進するだけでよかったので迷うことなく、二人は《龍》の巣へと辿り着いた。
広く開けたそこには天井から降り注ぐ光に照らされて金色に輝く金貨と宝石の絨毯と七色に輝く宝の山が幾つもあった。誰しもがその金銀財宝に目のくらむような光景がそこにあった。
「お・た・か・ら!」
シアはヨダレを垂らして喜んだ。さっきまでの疲れはどこに行ったのやら、感激のあまり踊りだしそうだ。
「来たか。待っていたぞ」
暗がりから重厚で大きな声がする。その方向に魔法の光を向けると羽を閉じて佇む金色の《龍》がいた。その《龍》はまさに此処に来る以前にあった、あの《金龍》だった。
「よく俺達が来たとわかったな」
「臭いでな。一度覚えた臭いはわすれない」
《龍》の嗅覚は人間のそれより遥かに発達している。恐らく、二人が洞窟に入った時には誰が来たのかを嗅ぎ分けられていたのだろう。他に誰か来たのなら、此処に辿り着いた時に殺されても可笑しくはない。《龍》はテリトリー意識の高い生き物なのだから。
「しかし、我が娘は連れてきていないようだな」
溜息を吐くように《金龍》が呟く。顔の表情は分からないが非常に残念がっている。そんな《龍》を安心させるべく、ヴィオスは知り得た情報を伝えた。
「心配することはない。捕まってはいるが、生きている」
「見つけてくれたのか!」
「脱走する位元気みたい。そのせいで鉄格子の部屋に閉じ込められているみたいだけどさぁ」
助けだせていないことには残念さを拭いきれないが、娘が無事だと知り安堵したようだ。
「そうか、そうか。ワシの娘だけあって気丈だな……」
《金龍》の首がうねり、自らの集めた宝へと向かう。
「ワシにとって宝はもう何も価値がない。おかしな事に人間の娘だけがワシの至高の宝だ……」
信じられないことだが、この《金龍》は《龍》にある強欲さと凶暴性が全く感じられない。畏怖嫌厭の情を抱かせるその姿とは裏腹に穏やかで無欲さが言葉に滲んでいた。幾度も《龍》と対峙してきた二人もこのような《龍》は初めてだった。
「なぜそこまであの娘に固執する? お前にとって俺たち人間は虫けら同然シアないのか?」
ヴィオスの問いに《金龍》は静かに答えた。
「嘗てはそう思っていた。長きにわたり人間を食い、焼き殺し、財宝を奪い続けていたワシが、たったの十年でたった一人の人間の娘の消失に焦燥を感じている。自分でも信じられない事だ」
「《龍》が愛情に芽生えたってか?」
「かもしれん……」
茶化すヴィオスの言葉を《金龍》は素直に肯定した。
「じゃ、あの娘を助け出せばあの財宝を全部いただいても構わないのかなぁ?」
「好きなだけ持って行くがいい。ワシにはマグ以外もう必要ない」
《金龍》からの返事を聞き、シアは飛び上がって喜んだ。これだけある財宝を自分のものにしたら、どれだけのお金に変えられるだろうか楽しみで仕方ない。
アゴンからの依頼では《金龍》を倒すことでこの宝の一部と《金龍》から取れる大量の砂金。《金龍》の依頼では娘を助け出すことでこの宝を全て。幾ら目算を立てても明らかに後者のほうが報酬はよく、危険性も低い。《金龍》を倒すよりも人から逃げるほうがよっぽど簡単だ。
「嘘じゃないんだよな?」
「ワシは《龍》だ。卑屈な嘘をつくほど《邪龍》に落ちてはいない」
偽りはないだろう。《龍》は自尊心の高く、自らの意思を容易く曲げることを良しとしない。ヴィオスは《金龍》の言葉を信用することにした。
「わかった。なら三日後にまた此処に来る」
「マグの事を頼んだ。ワシとて助けに参りたいが、この巨体ではマグを安全には助けられそうにもない。それに姿を晒せばその時点であの男がマグにどんな仕打ちをするかわからない……」
《金龍》は洞窟から立ち去る二人を見送り、またその場に静かに佇んだ。
ただただ、愛娘の無事を祈って。
宿に戻るとすっかり夕方近くになってしまった。、疲れを癒すためにも部屋で大人しくすることにした。特にシアは山道を歩き疲れて足がパンパンだった。ベッドに寝転がりつつ、暇を持て余していた。暇を持て余す序に、兄に今後の予定をどうするか聞く。
「ヴィオス。この後どうするのぉ?」
「何もしねぇよ」
兄からの意外な返答に妹は拍子抜けた。
「へぇ?」
「だから何もしねえ。今日はメシ食ったらさっさと寝る。男が食いたいなら適当に捕まえてきても構わないぞ。ただしここには連れてくるな」
武器の手入れをしながらヴィオスはぶっきらぼうにそう答えた。
「ちょっとォ! あの娘を救出するのか、それとも《龍》を殺すのかも決めないのぉ? ボグは断然断然! あの娘を助けてこの街からトンヅラしたいんだけどぉ? でも、ヴィオスには《金龍》を確実に殺せる秘策があるんでしょぉ? どうするのぉ?」
シアはまだその秘策とやらを全く聞いていない。計算高い兄のことだから、思いも寄らないことを考えているに違いない。
「ああそのことか。お前に話してなかったなが、今回《金龍》とは戦わない」
「戦わない? じゃあ《龍骸病》の薬は使わないのぉ?」
「あれなら川に捨てた」
ヴィオスはさらりととんでも無いことを口にする。
「捨てたぁ!? え!? 折角苦労してとったアレを捨てたのぉ!?」
あまりに思いも寄らない言動に驚きを隠せないシア。思い返してみれば、確かにヴィオスは《龍骸病》の濃縮液の入った瓶の中身を捨てている。そしてその瓶に川の水を汲んで水質を確認していた。
「心配するな。《金龍》と戦う必要もないんだ。武器に塗りたくる必要もねえってことだ」
「じゃあ、《金龍》のために娘を助けにいく?」
《金龍》と戦わないなら、消去法で娘を助けだして全ての財宝を自分たちの手にする他はない。お金にガメツイ兄だからこっちを選んだんだろう。
「ああ、だがそれは明日の夜だ」
「明日の夜ぅ? ああなるほど! 三日目に《龍》を倒しに向かうフリをしてトンヅラこくんだねぇ!」
シアの思いついた回答はこうだ。真夜中に楼閣へ忍びこんでマグを連れ出し、朝はヴィオスと二人で《龍》殺しへと向かうと見せかけて、魔法でマグを不可視にして《金龍》の所に連れて行く。それで《金龍》からの依頼を達成できて、お宝がいっぱい自分たちの物にできる。
「強ち間違ってはねぇが、詳しく教えてやるとな――」
この後シアはヴィオスから思いも寄らない計画を耳にすることなる。
一日目は静かに過ぎ、二日目も静かに過ぎようとした。
特筆することもなく、二人はただ時を待った。
そして――。
二日目も終わろうとしていた真夜中。楼閣にて変化があった。
そこはマグの幽閉されている上階の一室。部屋は二重に仕切られて、鉄格子が設けられた檻。窓の外からは街が下の方に見えて、飛び降りて逃げることもできない。
彼女はこの部屋で一ヶ月近く過ごしたが、今日も《龍》である父を思い、眠れずにいた。椅子に座り、ただただ俯くだけ。何日も服を変えることが出来ず皺がよれていて、水浴びもできないから金色の髪もだいぶ傷んでいる。それでも我慢して、ここにいることを耐え忍んだ。
しかし、父を殺すために雇われた二人が気になる。父が殺されるとは全く思わないが、もしかすると、と思うと不安で胸が苦しかった。それに明日で自分がどうなるかもわからない。
涙で視界が滲んでいたその時――、
コンコン
窓を誰かが叩く音がした。涙を拭うのも忘れて、窓へと視線を向けるとそこには信じられないことに、シアが空中に浮いて立っていた。魔法で浮遊しているのだ。
「開けて」
小声でシアはマグに窓を開けるように指示する。呆気に取られながらもマグは窓を開きシアを部屋へと招き入れた。
「どうして……!」
「しっ! 見つかっちゃうよぉ……」
マグ大声をだそうとした自分の口を両手で塞ぐ。
「ボクはキミのお父さん? に頼まれて助けにきたのぉ」
「え、でも父さんを殺しに来たんじゃ……」
「そうなんだけどぉ……。それよりも早くここから逃げるよ。あぁ、でもちょっとまってねぇ」
と言って、シアは自前のステッキを振るい魔法を発動させる。ベッドに寝ているマグの幻影を創りだした。
「これでよ〜ぉし! じゃあ捕まって」
「うん……」
シアは自分とマグに浮遊の魔法をかけて、窓の外へと飛び降りた。その際窓はきっちりと閉めておいた。体は物理法則に逆らい、ゆっくりと路地裏へと降りた。
「あ、ありがと……」
まさか父の仇となるかもしれない相手に助けられて、動揺するマグだった。
「でもまだ安心しちゃダメぇ。その格好だと逃げ出したことがバレるかもしれないから、直ぐにこれを着てぇ!」
シアは路地にかくして置いた自分の着ている服をもう一着取り出した。
「わかったわ……」
マグは着ている服を脱いで誰にも見られないよう急いで着替えた。
「でもって、もう一回魔法。ボクと同じ顔と姿に見えるようにしてとぉ!」
シアが再び幻影の魔法をかけると、マグの容姿は全てがシアと一緒になった。
「これでおーけぇ! じゃあ、今から言う宿屋に行って。そこでヴィオスが待ってるからぁ」
「あなたは……?」
どうするのかと聞かれて、シアはマグの脱いだ服を畳んでから答えた。
「二人で宿に戻るとあやしまれるから、ボクは頃合いを見てから戻るよぉ。さ、早く行ってぇ!」
人目につかない路地に居るとはいえ、早くしないと怪しまれる。マグは頷いてヴィオスの居る宿に向かった。
「ありがとう!」
振り返りざまに礼を言って、宿屋の方へと駆けて言った。
暫くした後にシアの影が宿屋に入るのが目撃される。
そして3日目の朝を迎える――。
朝日の降り注ぐ司令室からアゴンは街の外を眺めていた。視線の方向には《龍》の巣のある山とそこへと続く道を歩く二人の男女が見える。
「秘策があると言っていたが果たしてどうなるかな……」
ヴィオスとシアが《金龍》を殺すことを祈ってはいるが、その傷だらけの顔は嫌な笑みを浮かべている。街と国の命運がかかっているというのに、その顔は貪欲な《龍》と何ら変りない。
「この場武器を準備しておけ、あの二人が帰ってきたらこの場で始末する。妹は娘と一緒に孕むまで遊んでから殺すか」
下劣な笑みに部下の誰もが賛同する。直ぐに拘束具と武器が用意されて、いつでも帰ってきた二人を迎える準備が整う。
《金龍》を倒して二人が帰ってきても、ここには良い未来は待っていないようだ。
《龍》の巣にて――。
《金龍》は懐かしい匂いを感じていた。娘の臭いだ。それとあのヴィオスという男の臭い。洞窟を通り、臭いがこちらへと進んでくる。
ヴィオスとシアはどうやらマグを助け出せたらしい。
「そうか……たすけてくれたのか……!」
目に浮かぶ娘との再会を心待ちに、《金龍》は二人の入ってくる入り口の前で待った。
「マグ……」
《金龍》は夢から醒めたように目をゆっくりと開き、愛しき娘の名を口にした。
数年続けた偽りの親子関係。姿も大きさも違う異種が親子として暮らしてきた。それがどれだけ尊くあるかを、娘が捉えられて帰れなくなった日からより重く感じていた。
そして、また彼女と暮らせる。それが嬉しく思えるのは孤高の誇りがある《龍》としては異常なのかもしれない。しかし、それを《金龍》はなんとも思わない。
足音が近づく。ゆっくりと。
望むべき娘の姿を――。
しかし、《金龍》の期待は打ち破られる。
静かに、粛々と、ヴィオスはマグを両手に抱えて《龍》の巣へと入ってきた。
《金龍》は何事か分からずに呆然と目の前に置かれた力なき我が娘の姿を見る。
「マグ……」
《龍》とは思えないほど、震え弱々しい声で、娘の名前を呼ぶが何一つその口唇から帰ってくる言葉はなかった。
顔に痣が出来ていて、服もボロボロに破かれて肌が露になった自らの娘の死に姿に父たる《龍》は言葉を失った。
「……すまない。俺達が助けるのが遅かったようだ。見つけたときにはもう……ダメだった」
俯いたヴィオスが謝罪を呟く。《金龍》には彼がマグを助けられなかった悔しさと自分に殺されるかもしれない恐怖に震えているように見えた。
三日目の明け方に何があったのか。
シアに幻影を施されて、宿屋へと向かったマグだった。夜道を足早に駆けてなるべく人に見つからないようにとしていた。
これでまた父と二人で暮らすことができる!
彼女がそう思った矢先――。
三人の男の影にぶつかった。酒場でシアをナンパしていた三人だ。
「おうおう。待ってたぜぇ〜。姉ちゃんよ」
「兄貴はいねえみてぇだな? 夜に一人で出歩くのはいけねぇな。俺達が一緒にいてやるよ」
「ヤルのが好きなんだろう? 俺達と楽しもうぜ……」
ヌメリと嫌らしい顔をする三人が、シアの変装をしたマグへと迫る。
「い、いやぁあっ――!」
その後、暫くして本物のシアが宿屋に帰ったが、マグが宿屋に来ることはなかったのだ。
そして、今眼の前にはこのようなマグの姿がある。
幻影の効果は短時間なものだった。あの三人もアゴンの従える兵士の端くれ。内一人が牢番を担当していたのでマグが楼閣に幽閉されているのを知っていた。ことの最中に幻影が切れ、自分たちが犯していた女が組織の暗部に関わる人物だと知れば、明日の我が身のために彼女をどうするかは幾つか想像がつく。アゴンの元へと再び返すのも一つの手ではある。しかし、この場に横たわる彼女を見るに、取られた処置はそれだ。殺して打ち捨てたのだ。
「もう一人はどうした……」
「……洞窟の外に居る。見つけたのはシアだった。辛くてここまで来れそうにもねえって、外で待っている」
同じ年端の女だ。弄ばれた挙句に殺された同姓の死体をずっと見るのは辛いだろう。
「……、ここまで娘を連れてきてくれた事感謝する。こうなってしまったのは残念だが……」
項垂れる《金龍》の瞳から大粒涙がこぼれ落ちる。涙は地面で弾けて、その音が洞窟中に反響した。
首を掲げ、《龍》は光の差し込む天井を見上げる。
「だが……! あの街のものは許さん! ワシの娘を陵辱し、ワシの大切な者を奪ったアイツらは生かしおくわけにはいかん!」
それまで折りたたんでいた金の大翼を広げて、巨体は空へと舞った
「鏖殺しにしてやる! 街も人も全て灰燼と変えてくれる!」
娘を失った悲しみが引き金となり、それまで抑えつけていた《龍》本来の凶暴さを咆哮に露にして、《金龍》は街へと飛んで行った。娘の弔いの復讐のために。
アゴンは街へと迫る金色の光を見た。それは彼を十年来、そしてこの国を古くから苦しめた光。最悪の《龍害》たる《金龍》が襲い来る光だった。
その口から隕石の如き火球が街へ吐き出される。着弾した一帯が一瞬にして火の海となった。あの辺りはヴィオスとシアが泊まっていた宿の辺りだ。宿もその近くの酒場も跡形もなく消し飛び、嘗てそこで働いていただろう人の影が墨色で焼き付いていた。
「アイツら負けたというのか!」
ヴィオスとシアが《金龍》の暗殺に失敗したと思い、口から血が出るほどに歯噛みした。
「各部隊と兵士に応戦するよう通達しろ! どんなことをしても退けるんだ!」
緊急事態にアゴンは命令を下した。到底敵う相手ではないのは承知ではあるが、街から自分たちが非難するまでの時間は末端の兵士を切り捨ててでも稼ぐ必要がある。
部下は直ぐに命令を伝達しようと駆け出そうとしたが時すでに遅かった。伝達に走った部下は壁から生えた爪に突き刺さり、内蔵をまき散らして死んだ。
楼閣の半分が抉り取られ、一拍おいて残った箇所が自重に耐え切れなくなり崩れ去る。
崩れる楼閣ともに落ちていたアゴンは、いつの間にか《金龍》の牙の間に挟まっていた。
「くそ! 離せ!」
自らの軍刀を抜いて、口元に突き刺そうとするが、《金龍》の硬い皮膚には全く歯がたたない。
口で藻掻くアゴンに《金龍》が語りかけた。
「ワシと娘をよくも利用してくれたな……、マグを使ってワシを殺そうとしたこと知らぬとでも思ったか! お前は苦しんで死ね!」
娘のボロボロにされた服から微かに残っていたこの男の臭いが堪らなく不快だった。
《金龍》の口が大きく開き、無数の牙がアゴンの両足を噛みちぎった。そして残った体は生きたまま《龍》の腹の中へと飲み込まれていった。
胃酸の海に溺れもがき、徐々に体を溶かされていく苦しみを味わいながら、爛れゆく体と意識。必死に胃壁を叩いて助けを求めた。
「助けてくれ! 俺の金と武器が! 俺の軍の天下が!」
彼は死ぬ寸前までも、己の欲望に溺れていた。
《金龍》は再びその顎を大きく開き、残りの兵士たちを食らおうと首を後ろへ反らした。
さて、《金龍》がジンに襲い来る少し前のこと。
古びた部屋の一室にて、マグを捕まえて弄んでいた三人の新兵は無残に死んでいた。
マグが彼らの隙を見て、剣を奪い彼らを殺した。
「これだから人間って嫌い」
嫌な顔をする彼女は《龍》と暮らす故に、野生の動物を狩りして食を得ていた野生児だ。
人を惨殺したことに何の不安も後悔もなく、マグは立ち上がって血だらけの部屋から着られそうな服を探した。血だらけの裸で居るのだけは不満なのだ。水浴びもしたい。
幸い、女物の服がタンスの中に仕舞ってあった。台所にも協同井戸から組み上げられたであろう飲み水がタンクに入っていたので、その水で体の血と男の臭いを浴びて流した。体を拭くのにテキトウな男の服をつかった。
服を着替えていると、外から《龍》の鳴き声が聞こえた。聞いたことのある咆哮だった。
「父さんだ! 迎えに来てくれたんだ……!」
嬉しそうな顔で窓の外を見る。すると、父の口から火球が吐き出されて、街の一角から爆発が生じた。街中から阿鼻叫喚が木霊する。
惨死体が三つある家を飛び出すと、マグは父の降り立つ場所へと駆けて行った。 再び会える父の顔を間近で見ようと、逃げ惑う町の人の波に逆らって走る。
父が何故怒り、何のためにこの街へ来たかも知らずに。
「父さん! 私はここ! ここなの!」
手を振って大声で呼ぶも、周りの悲鳴にかき消されて父には娘の声が届かなかった。
「ここからじゃ、遠くて私が分からないんだわ……」
マグは父が自分を見つけてくれそうな建物を探す。いや、探すまでもなく、この街で最も高い建造物は一つしか無い。楼閣だ。彼女の父もその建造物の前へと降り立った。
マグは楼閣へと向かった。
逃げる防衛兵の間をくぐり、マグは楼閣へと入った。エントランスを走っていると、《龍》の爪に抉られた展望の一画が落ちてきて、地響きと土煙が起こる。瓦礫の山に突き刺さった兵士の首がダラリと彼女を見ている。腹部が半分無くなっていては助からない。
幸い階段の破壊は免れていた。倒れている兵士たちを無視してマグは階段を駆け上がる。展望への螺旋階段を上り、父の目の前に現れれば私に気づいてくれるはずだ。そう思い、息を切らしても尚必死に上る。
見上げると、砕けた天井から晴天が見える。
あと少し、あと少しで誰にも脅かされない父との平穏な日々が待っている。
無事な自分の姿を見せよう。笑顔で父の前に飛び出そう。
最後の一段を登り切り、張り上げる声と共にマグは開けた展望の間へと飛び出した。
「父さん!」
ついに、《龍》と人間の親子が再開を果たす。
そして――、
《龍》は我が子をその顎で喰いちぎった――。
《金龍》の嗅覚と味覚が口いっぱいに広がった娘の味を感知する。懐かしさと愛おしさを思い出させてくれるその確かな感覚に怒りに忘れていた自我を呼び戻される。
だからこそ、自分の口元を見た時の後悔は計り知れないものとなった。
「と……ぅ……さ……ど……うし…………て」
マグは口の端に挟まり、《金龍》の眼孔を見ていた。嬉しさと悲しさと疑問と苦痛を合わせた歪な表情が父の顔を見ていた。
《金龍》が震える。自らの犯した行いに後悔が全身を駆けていく。
「お、おぉぉ……うお……っ!」
ズルリとマグの体が口から落ちていく。抉れたその体は楼閣の壊れた一室に落ちた。そこは彼女が囚われていた鉄格子の部屋だった。
彼女の片手が空を掴む。最後まで手の届くことのなかった父を求めて、彼女は絶命した。
「マグッ! どうしてだ! 何故お前がここに! 何故ワシがお前を殺しまったのだ……」
悲しみの咆哮が街中に響き渡る。身悶えする巨体に街は尚も破壊されていく。娘の遺体を見る度に《金龍》の心には後悔と自責の念が積もっていく。
「何故だ、何故こうなった! 何故だッ!?」
頭を抱え悩み、涙する《金龍》が暴れる。暴れる度に建物が壊れ、人が死に、街を無残な瓦礫へと変えていく。それは、《金龍》が真実に到るまで続く。
「マグは死んだはずだ、なのに何故ここに居る! 何故ワシが殺すことにな――」
自らが街を襲いに来た理由。それは愛娘が殺された故の復讐を果たすためだった。しかし、今喰いちぎってしまったのは正しく自分の娘。ならば、巣へと運ばれてきたあの死体は――、偽物だ。
「あやつら!」
《金龍》が発した膨大な魔法光が街を一瞬で灰燼と瓦礫に変えた。自らの破壊した全てを無視して《龍》の巣へと飛び立つ。そこに待つ黒幕を殺しに《龍》は光になって空を駆けた。
「ねえ。成功したかなぁ?」
ケラケラと死体だった女が笑う。財宝の詰まった宝箱の上に座って楽しそうに。
「さあな。でも間違いなくこれであの街は滅ぶだろうな」
「あはっ。これであのクソジジィが死んで財宝は全部ボクたちのものだぁ!」
積もった金貨を宙に巻き上げて女が――マグの死体に化けたシアが――喜ぶ。
ヴィオスも肩を細かく揺らしてクスクスと笑う。
「ああ、でももう帰ってきたみたいだな」
外から聞こえる羽の音を聞き、ヴィオスは大剣を地面に突き刺して立ち上がる。
「あれぇ? もう? 死んでなかったのぉ?」
天井から《金龍》の巨体が降ってきた。口から火炎を漏らす怒れる金色の《龍》が彼らを殺しに戻ってきたのだった。
「貴様ら! よくもワシを謀ったな!」
ブレスが二人を襲う。しかし、用心のために張っていたシアの不可視の魔法壁がそれを遮る。
「もお、あぶない。お宝が燃えたらどうするのぉ!」
幻影を解いたシアが《金龍》へ抗議する。
対しヴィオスは《金龍》の言葉に笑いが込み上げ腹を抱えていた。
「ハハハ。俺達がお前を騙した? 違う違う。お前もだ。お前も、アゴンも、お前の娘も、皆騙されていたんだよ」
「なんだと!」
ヴィオスは面白がって、本当のことを話してやることにした。
「いや、でも正確にはみんなの望みを叶えてやったってのが本当のところだ。
《金龍》、お前は娘が連れ戻される事を望んだ。アゴンはお前が死ぬのを望んだ。お前の娘はアゴンがお前に殺されるのを望んだ。そして、俺達はここの財宝を望んだ」
《金龍》の願いはマグの偽物の死体と言う形で叶い、アゴンの願いは二人が《金龍》を倒すことによって叶う。マグの願いは、《金龍》が街を蹂躙することで叶ったがその代償として、彼女は自らの父に殺された。
「そんでぇ、序にあの兵士三人の望み、ボクとヤるってのも叶えてあげたけどぉ、あいつら犯しているのってアンタの娘なんだよねぇ。三人いっぺんに相手にしてヨガってたかなぁあの娘」
シアがマグを救い出だしたのは《金龍》を幻影の魔法で騙すために、マグの着ていた服が必要だったからだ。幻影でいくら姿を似せても体臭は似せられない。だから、路地裏に着替えを用意してマグの着ている服を脱がせたのだ。服さえ手に入れば、自らの体臭を消す事は難しくない。服がボロボロなのは誰かに襲われたのを演出するために、シアが自分で破いて汚した。
その後、マグが兵士の三人に捕まるのも計画の内だ。実は二日目の午後にシアが彼らを誘っていたのだ。マグを助けだしたあの時間、そして彼女が宿屋までに通る道にて待っているように告げ、シアに変装したマグを囲うよう仕向けたのだ。
そうした理由は逃げ出したマグが人目に着かないようにするためだ。もし、ヴィオスとシアが街を出発するまでに、二人の助けでマグが逃げ出したことをアゴンが知ったとしたら、街中の兵士が彼らを殺しに掛かってきたかもしれない。それを防ぐためでもあり、同時に、本物のマグをここへ連れてきて《金龍》が街を襲わなくなるのを防ぐためだ。
「お前が街を襲ってくれれば、あの娘がどうなろうが知ったことじゃない。お前が自分で自分の娘を殺そうとな」
ヴィオスが《金龍》の逆鱗を逆撫でる。
「助けても良かったんだけどぉ、それじゃあ、街に帰った時にボクたちがアゴンの兵士に殺されちゃうもん。あいつらボクたちを殺す準備を進めていたの知っているんだからぁ」
シアは前日に透明化して楼閣に忍びこんで、彼らの行動を探っていた。国外からきた自分たちを使って《龍》殺しをさせようとしているのだ、彼らが何かを企んでいるのは目に見えていたし、だからと言って、ノコノコと殺されるつもりも無かった。
「それに、ジンの街が壊れるのを望んでいる人もいたしねぇ……」
シアが呟くそれが真実。
「貴様ら……本当は、ワシを使って街を滅ぼしに来たのか!」
「ピンポンピンポ! 大正解だヨォ!」
シアが《金龍》に拍手した。
「そうだ。俺らはドラグ国の要であるジンを陥落させるためにアガ公国に雇われてたんだよ。公国としてはジンから配給される大量の武器が邪魔だったからな。勿論《金龍》のお前の存在もな。ジンを失ったドラグ王国の戦力は武器防具を十分に配給できなくなって、戦力はガタ落ちする。それに、ジンが落ちれば隣国のマグアージも公国と共同して戦争に参加する手はずだ」
「これが成功したらぁボクたちに沢山のお金がはいるんだぁ! ここのお宝も含めていくらになるのか楽しみだよ!」
無邪気に喜ぶシアだが、その瞳がどこまでも貪欲なものに見える。
「許せぬ……! 貴様らのせいでマグは死んだのだ!」
「あら? あの娘死んじゃったんだぁ。じゃあ、ボクが代わりに言ってあげようかぁ? お父さん、どうして私を殺したの?」
シアが幻影で顔をマグに変えて喋る。彼女は《金龍》が娘をどうやって死んだかはしらないが、面白半分に《金龍》の神経を逆撫でた。だが、その行為が《金龍》の見た娘の死ぬ間際のイメージに共鳴した。
「コロス! 四肢を引き裂いて嬲り尽くした後、微塵も残さず灰にしてくれる!」
《金龍》が虐殺を宣言する。両翼が巣に暴風を巻き起こし、二人を薙ぎ払おうとする。
しかし、二人は動じない。そればかりか、ニタニタと笑って何かを待ちわびているような嬉々とした顔をしている。
ヴィオスの口角の上がった口が言葉を紡ぐ。
「いいぜ、やってみろよ。その体で出来るならな」
彼の持つ剣は祝福を受けた《龍》殺しの剣。
「その剣でワシに挑むか。バカめ、《龍》殺しなんぞに我が鱗を砕くことは出来ぬ! 貴様のように《龍》殺しを持ちワシに挑んだ者は誰一人として生きてはいない!」
刃を突き通すことのないその黄金の体には《龍》殺しの剣の効力は発揮されない。例えヴィオスが鱗を切り裂き、《金龍》に傷を与えたとしても、彼一人で本気の《金龍》を倒すなど不可能としか思えない。
だが、ヴィオスは一歩も退こうとはしない。それどころか、剣すらも構えない。
ヴィオスが《金龍》に向かって言う。
「お前、街に居た誰かを食ったな。口元に血がついてるぜ」
《金龍》の口角にはマグを噛み殺したときの血が、顎にはアゴンの足を噛みちぎったときの血がついている。それを確認したヴィオスが大きく口を開いて宣言した。
「てめぇなんかに剣はわねぇ。勝手に死ねよ! バーカ!」
その罵倒で勝負は決した。いや、すでに決していたのだ。
《金龍》が自らの変化に気づいたときには、その右腕が砂のように流れ落ちて骨だけになっていた。それだけではなく、体の至る所が砂となって落ちていく。
「何故だ! ワシの体が!」
砂に成る自分の体に狼狽える《金龍》。それをヴィオスとシアがニヤニヤと見ていた。
「やりぃ! 大成功ぉじゃないヴィオス」
指を鳴らし喜ぶシア。彼女は目の前に今できていく砂金の山に瞳をキラキラと輝かせていた。
「まさか! これが《龍骸病》なのか!?」
「そうだよ。てめぇの喰った人間が誰かは知らないが、あの街の人間は皆《龍骸病》の病原菌を体に取り込んでいるんだよ」
二日前、ヴィオスはこの巣に来る途中で《龍骸病》の濃縮液を川に流した。あれは単に液を捨てたのではなく、こうなることを見越してやった事だった。街よりも上流から液を流すことで、《龍骸病》の病原菌は街の水路へと流れ込み、濾過施設を通って街中に設置された共同井戸の水を汚染した。街の人々は汚染された水を使い、飲み、知らず知らずのうちに残留性のある病原菌を体内に取り込んでいたのだ。アゴンに《龍》殺しを三日待たせたのは街中の人間に《龍骸病》が蔓延するのを待つそのためだ。
つまり、ヴィオスが《金龍》を騙し、街を襲わせたのは、《金龍》に街の人間の誰でもいいから喰い殺させるためだ。その喰い殺される役目を担ったのは皮肉にもアゴンであり、《金龍》の娘であるマグだった。特にマグは十年前に《金龍》に喰い殺され、自らを喰った《金龍》を殺すたるために体を《龍骸病》で汚染させられていた。その役目を十年来に成し遂げたと言っていいだろう。
胃に溶かされたアゴンの体から、口から流れ入ったマグの血から病原菌が《金龍》に感染し、今まさに発病したのだ。
「でもよかったな。これで娘とあの世で会えるんだからな」
「おのれ! 貴様らのような者がまともな死に方を出来ると思うな! 死んでワシの前に現れたとき、貴様らの魂を喰らい尽くしてやる!」
それを最後に《金龍》の声は途切れ、首が落ちた。落ちた龍頭が砕けて砂に変わる。
《金龍》のいた場所には大きな竜骨と大量の砂金の山が残った。
シアは目の前に出来た砂金の山に飛び込んだ。
ヴィオスは変わり果てた《金龍》に対して最高に嫌な笑みをたたえて吐き捨てた。
「よく言われるんだよな。まともな死に方できないって、その台詞」
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オリジナルの短編小説です。ちなみに、こっちでは先にネタバレしておきます。外道なダークファンタジーです。 | ||
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