真・恋姫†無双 外伝:風の流るるままに その3 |
さて、俺は現在進行形で非常に参っている。
「どこがいいですかねー」
目の前のテーブルには、開かれたまま並べられている数枚のパンフレット。
「シルバーウィークとは言っても連休は3日間ですし。国外はまた今度という事でー」
数年前から頻繁に呼ばれるようになった9月の第3週。言葉自体は半世紀前からあるという事実を知っている人は存外少ないと思う。
「まだまだ暑いので海辺もいいですねー」
休みがある事自体は嬉しいのだが、個人的には国民の祝日を月曜日にもってくるのは勘弁してほしい。学校やら仕事やらに2日行って休んでまた2日行って週末で―――そういった事があるから嬉しさが増すのに、それを無理矢理くっつけるのはいかがなものかと思う。
「逆に避暑に行くというのもなかなか」
特に過去の天皇誕生日で出来た祝日をずらしてしまうのは、なんとも本末転倒な話だ。
「おにーさんはどっちがいいですか?」
とまぁ、現実逃避しているところに話を振られる。返事をしたくない事この上ないのだが、しない訳にもいかない。何故ならいま目の前の少女が話題に上げているのは――――――
「どっちでも…」
「しっかり考えてください。風とおにーさんの新婚旅行なのですから」
――――――こういう訳だからだ。
事の始まりはつい昨日の事だった。数週間前に助けた少女と奇妙な同居生活―――断じて同棲ではない―――が始まってから、3日に1度はある彼女の実家での夕食の日である。
「そうそう、今日会社帰りにこんなものを貰ってきたよ」
そういっておじさん―――決して義父さんではない―――が会社の鞄から取り出したのは青を基調とした数枚の紙。受け取って見てみれば、よくテレビなどで目にする旅行代理店の社名が隅の方にありながらもしっかりと自己主張していた。
「旅行のパンフレットですか。おかーさんとどこかに行くんですかー?」
俺からそれを受け取った風が、おじさんに問いかける。すると、おじさんは笑いながら返した。
「母さんや。風がこんなにも親想いに育ってくれているぞ。きっと母さんに似たんだ」
「あらいやだ。お父さんに似たんですよー」
「相変わらずのオシドリ夫婦ですねー」
『HAHAHAHA!(SE)』
たまにこうして訪れるアメリカのホームドラマなノリに辟易しながら、俺は再度問いかけた。
「で、これは何なんだ?」
「決まってるだろう?2人の新婚旅行の為のパンフだよ」
「は……?」
開いた口が塞がらないとはまさにこの事だ。どうやら俺の言語中枢はどこかしらが故障してしまったらしい。目の前の男の言葉が理解できない。
「流石おとーさんです。きゃー、すてきー」
「そう褒めるな、我が娘よ。はっはっは」
風が棒読みで何か囃し立てているが、それも耳に入らない。俺は再度テーブルに撒かれたパンフレットに視線を向ける。北は北海道から南は沖縄まで、種々様々なプランがある。時期的にも値段はそこまで張らない。だいたいが2泊3日のもので、どうやら9月の3連休を狙ってのものらしい事が窺えた。
「………って待て待て待て!アンタはあれか?年端もいかない娘に男と2人きりで旅行に行くように仕向けてんのか?」
「何を莫迦なことを言ってるんだ。君たちはもう夫婦なのだから、そんな事を気にする必要はないんだぞ?」
「まだ夫婦じゃねぇっ!」
「『まだ』という事はいずれなってくれるという宣誓ですね、おにーさん?おかーさん、風の眼から涙が溢れてくるのです」
「それはきっと嬉し涙ですよ、風」
風がおばさん―――誓って義母さんではない―――に抱き着く。
「知らなかったです。嬉しくても涙は出るのですね……」
「それはきっと、貴女がまた一歩人間に近づいたという事の証ですよ、風」
『Oh……(SE)』
もうやだ、この家。
とまぁ、このような形でパンフレットを押しつけられ、風は来たる連休に向けてプランを選んでいるという訳だ。金はどうするのかと言えば、なんと向こうが出してくれるらしい。無料で2泊3日の旅行が出来るのなら乗ってしまえと囁く悪魔がいるが、同時に、そんな事をすればもはや逃げられないぞと警告する天使もいる。
「で、おにーさんはどこに行きたいですか?」
「………家でゴロゴロしたい」
「駄目です。おにーさんは風に、ひとり寂しく旅行に行けと言っているのですか?まるで結婚式目前で婚約破棄されて、でも新婚旅行の代金は払ってしまったからいかない訳にもいかなくなった未婚バツ1の女の人のように、風に1人で孤独な旅を続けろと言うのですか?」
「そこまで言ってねぇよ。そもそも俺らは婚約すらしていないだろ」
「照れ隠しは駄目ですよ、おにーさん。いくら一心同体の風とおにーさんの仲とはいえ、言葉にしないと分からない事もあるのですから」
「ちげぇ!?」
相変わらずのマイペース電波ゆんゆん少女だな、こいつは。俺の剣幕もなんのそのといった感じで、風は誘い続ける。
「ではこうしましょう。風が旅行に行きたいのですが、一人では色々と問題があります。という訳で、おにーさんに保護者を頼んだという事でどうですか?」
「ん…それならまぁ、理由としては………」
「なら決まりですね」
理由としては妥当か。という事にのみ焦点を当てて返事をしてしまったその瞬間、風は携帯電話を手に取り、どこかに電話を始めた。
「あれ?風さん……?」
「ちょっと黙っててください………あ、おかーさんですか?おにーさんも大喜びで承諾してくれたので、風は軽井沢に行きたいのです」
「いや、待て待て―――」
「はい。風は暑いのは苦手なので、涼しい山の中でゆっくりお昼寝したいのです。という訳で、申込はお願いしてもいいですかー?」
「ちょ、行動早過ぎ―――」
「はい。お任せします。にゅふふ、おかーさんならきっとやり遂げると風は知っていますのでー。はい、ではまたー」
ピッ、という電子音と共に通話を終えた風は、そのまま携帯を閉じる。
「風さん…」
「なんでしょうー?」
「いまのはもしかして………」
「はい、おかーさんに旅行の申し込みをお願いしました。兵は拙速を尊ぶ。おかーさんなら既に家を出たでしょうねー」
その言葉に、俺は行動を開始した。
「風、今おばさんに電話したプランのパンフを寄越すんだ」
「何をする気でー?」
「勿論代理店に先回りしておばさんを止める」
「ならばお渡しできませんねー」
「だったら力ずくで奪い取るっ」
言うが早いか、俺は風に飛びかかった。テーブルを跳び越え、風の退路を塞ぐ。風はその胸に1枚のパンフを大事そうに抱え、座ったまま後ずさりする。甘いな、すぐ背後にはベッドがあるぞ。
「にゅぅ……背水の陣とはまさにこの事ですね」
「水はないがな」
俺は両手をわきわきさせながら風に近づく。風も予兆を感じ取ったか、ばっと立ち上がろうとした。
「甘いっ!」
「おぉっ?」
その瞬間、俺は風の両肩に手を置いて、身体を抑える。これでもう逃げられない。
「お、おにーさんの眼が怖いのです」
「安心しろ、俺はいつもこんな眼だ」
言いながら風の腕を掴み、痛みを感じさせないように気を付けながらゆっくりと力を込め、広げていく。そして胸の前の腕が半分ほど開いた所で、俺は少女の胸元のパンフに手を伸ばした。
「ぁんっ」
「へ―――」
そして俺の右手がパンフに触れた途端、風の口から初めて聞く類の声が飛び出す。
「………」
「あの……風、さん?」
視線を上げれば、風の頬を赤らみ、照れたような拗ねたような顔で俺を見つめている。
まさか、今のはいわゆる嬌声というやつでは――――――。
「………優しくしてくださいね、おにーさん」
視線を俺から外しながらも、ほんの微かに濡れた声で風が囁いてくる。その音が鼓膜を通じて脳に達し、その響きと言葉の意味を理解した俺は、理性という名の防護壁をブチ破り、そのまま風の――――――
「『風の着衣を肌蹴させる。そこから覗くのは白磁のような白さを湛えながらも、その地肌は上気した赤みを孕んでいる。聴覚に続いて視覚もか………俺は昼間という時間帯にも関わらず風の豊かな胸元に顔を埋め、その温もりと柔らかさを堪能し――――――』」
「だから人の独白に割り込むな。そもそも豊かな胸などどこにも見当たらない」
「確かに。おにーさんはひんぬー萌えですからねー」
「ちげぇよ」
「ではおっぱい星人ですか?」
「特殊な性癖のカテゴリーから外してくれ。そしてこれは貰っていくぞ」
妄言を吐く風の腕の中から、1枚のパンフを抜き取る。
「あぁ、それはっ」
「俺はひとっ走りしてくる。頼むから大人しくしていろよ?」
そう言って玄関に向かいながら、俺はパンフレットに視線を落とす。
『2泊3日で行く、世界一周の旅!(※泊はすべて機内で行なって頂きます)』
「………旅じゃねぇよ、それ」
呟くと同時に、カラカラとガラス戸の開く音が聞こえた。ばっと勢いよく振り返れば、風が戸をスライドしている。
「敵は策の中です。春蘭ちゃん、見事逃げ切ったらモンプチを買ってあげますよー」
そしてベランダに面した床の上には、パンフを加えたキジトラの姿。
「くっ、罠かっ!?」
言うが早いか、俺はテーブルを飛び越して春蘭を捕まえようとする。が、すんでのところでひらりと躱され、春蘭はそのまま窓の外へと飛び出していった。
とととっ、ととっ、ぽふっ――――――。
床にヘッドスライディングした俺の背中の上を、残り3匹の猫が駆けていく。………ちくしょう、やられたよ。
「申し込み期間ギリギリだったみたいよ。明日以降はキャンセル料が発生するんですってー」
「おぉ、それはまさにグッドタイミングでしたねー。流石おかーさんです」
1時間後。うちにやってきたおばさんは嬉々として自分の手柄を話し、風もそれを褒める。俺はと言えば、膝を抱えて壁に話しかけていた。
「それより一刀さんはどうしちゃったのかしらー?」
「きっと旅行が楽しみで仕方がないのです。あぁして逸る気持ちを抑えているのですよ」
「あら、流石妻ね。夫の事をもうこんなに理解してるなんてー」
「にゅふふ、風は一流ですのでー」
聞こえない聞こえない聞こえない聞こえない………………。
「それじゃ、旅行の準備しないわねー。あと1週間しかないんだから。一刀さんは大きい鞄とか持ってるかしらー?」
「あぁ、それなら押し入れの奥にキャリーケースがありますー」
「なんで知ってるんだよっ」
「妻ですのでー」
「流石妻ねー」
風の妄言を振り切ろうにも、同じような電波人間がもう1人いる為、それは出来そうにもなかった。
※
「おにーさん、いつまでも友達がいない人の真似なんかしてないで、風と一緒に旅行の計画を立てませんかー?」
「話しかけるな。俺はいま、これまで積み上げてきた人間への信頼というものについて脳内で討論しているんだ」
「信頼とは共に過ごした時間が積み上げていくものです。いくら脳内で討論したところで答えなど出ませんよ。まぁ、ここに例外の夫婦がいるわけですがー」
おばさんも夕食の支度があるからと帰宅し、部屋の中には再び俺と風の2人だけになっていた。いや、猫たちもいるから『だけ』という表現はおかしくて―――違くて。
金を出しているのが向こうである以上、俺に断る権利はない。いや、あったのだが、申込を済ませた事によりその権利はなくなってしまった。
どうやってこの現状を切り抜ければいいのだろうか。そう思案していると、風がふと思い出したように付け足した。
「そうそう、お部屋はダブルですけど、もう取り消せませんのでー」
「ざけんなぁああっっ!?」
腰の下から規則的な振動が伝わってくる。頬杖をついた俺の視界には、次々と移りゆく景色。数分前まで様々な建物が見えていた筈だが、トンネルをひとつくぐるだけでこうも変化するとは、田舎とは侮れない。
「おかかと梅干と鮭のどれがいいですか?」
そんななか隣に座った風が、祭の縁日やスーパーの総菜売り場でよく見るような、使い捨ての容器を前のシートの背もたれに広げている。見れば、おにぎりに卵焼き、唐揚げやサラダなど、まるで弁当の如き―――というかまんま弁当がそこにあった。
「………シーチキンマヨ」
「第四の選択肢を提示してくるとは…おにーさんはきっと、社会に出てからもしっかりやっていけますねー」
「ふっ…いくら風でも、無い袖は振れまい」
「まぁ、それを読んでいるあたり、風はもっと凄いのですけれど」
「あるのかよ!?」
俺の無茶振りにも関わらず、風は右手に持ったおにぎりに左手を添えて、俺の口元に差し出す。気恥ずかしいが、まわりに他の客がいるでもなし。俺は腕に乗せていた顔を上げて、その白米の塊に食らいついた。
「どですかー?」
型崩れしないようにしっかりと握られたおにぎりは、風の手のサイズの関係か、やや小ぶりである。しかし、絶妙な塩加減と相まって海苔の風味が鼻孔をくすぐる。咀嚼すれば、米とは違った食感に行き当たった。シーチキンに和えられたマヨネーズの塩味と酸味によって米は途端に引き立て役へと代わり、それでいて主食としての存在感をしっかりと主張している。要するにだ――――――。
「………美味い」
「にゅふふ、風は一流ですのでー。お次は出汁巻き卵さんですよー。風たちのお部屋には四角いフライパンがなかったのでちょと難しかったです」
次に差し出されたのは、風の言葉通り、箸に挟まれた卵だった。だが風の言うような難しさなど感じさせないほどにその形は整っており、彼女の腕前が窺える。弱火でじっくりと焼き上げたのだろう。その表面に焦げた部分など見当たらず、齧りつけば卵の弾力の中から出汁の旨味が染み出し、ご飯が欲しくなる。
「どぞー」
と思った途端、視界におにぎりが現れる。右手で箸を持ち、左手でおにぎりを掲げる風。俺は返事もせずに、その白塊に食らいついた。
「ったく、よく気がつく妻だよ、風は」
「愛故にですよ、おにーさん」
「そっちの唐揚げもくれ」
「はい、どぞー」
結局俺が箸を使う事はなく、1組の箸を使って風が俺に自分にと食べさせるのだった。
………………………………………………あれ?
東京駅から特急に乗って1時間少々。俺達は目的の駅に辿り着いた。ここから今日と明日宿泊予定の旅館までの送迎バスがあるそうだが、その時間までは少しあった。
「どうする?」
隣に立った、眩しそうに太陽を見上げる水色のワンピース姿の少女に声をかける。
「風は歩くのでもかまいませんよー。調べたところ、それほど距離がある訳でもありませんしー」
相変わらずの眠そうな声と顔で返してくる。俺としては問題ないが、風にそこまでの体力があるだろうか。折角の旅行なのに、旅館に着くだけでへとへとになるというのも哀し過ぎるだろう。
「その時はおにーさんに運んでもらいますのでー」
「だから人の独白を読むのはやめなさい」
「独白じゃないですよ?」
「………マジ?」
「冗談です」
「なにそれ怖い。どっちにしても怖い」
俺が自分でも気づかぬうちに独り言を言っているのか、あるいは風が俺の思考を読んでいるのかはわからないが、どちらにしても恐ろしい。
「ほらほら、さっさと行きますよー」
ちょっとした恐怖に駆られるも束の間、声に顔を上げれば、風は既に数メートル先で俺を振り返っていた。
「ったく、気が早いな、風は」
「そう言うおにーさんこそ、足取りがいつもより軽い気がしますが?」
「まぁな」
『HAHAHAHA!(SE)』
そんな遣り取りをしながら、俺と風は手をつないで歩きはじめるのだった。
………………………………あれ?
※
30分後。
「………やっぱり素直にバスを使うべきだったな」
「おにーさんも体力がないですねー」
「待てコラ」
涼しげに答える風は、キャリーケースの上に座っている。そして俺がそれを引っ張っている。ふざけるな。
「確かに歩いて行ける距離ではありましたが………」
「あぁ、まさかこうも登り坂が続くとはな」
俺は傾斜したアスファルトを踏みしめながら答える。確かに風から聞いた距離の数字で言えば、30分も歩けばとっくに到着していただろう。だが、それも平坦な道ならば、の話だ。
「でも、いいですねー」
「何がだ?」
ケースに揺られながら、風がふと呟く。
「こうやって愛するおにーさんに運んでもらうのも、なかなかオツなものです。おんぶも好きですが、愛を感じます」
「言ってろ」
そうぶっきらぼうに返しながらも、案外悪くないなと思う自分がいる事を感じていたのも、また事実だった。
………………………………………………………あれ?
駅から歩くこと小一時間。
俺達が徒歩で旅館までやって来た事に驚きと呆れの表情を見せる女将に案内されて、部屋へと通される。
あぁ、そうだ。先日風が『部屋はダブル』と言っていたのに、旅館とはこれ如何に。と疑問に思う方もいるだろうから、一言だけ説明しよう。風の冗談だった、と。そんな事より。
「まさに和風の旅館、といった感じですねー」
畳にぺたんと女の子座りをした少女の言うように、部屋は建物の外装に違わず和風のものだった。丈の低い四角い卓に、座椅子が2つ。その中央には歓迎の茶菓子が丸い木製の器に入れられている。視界を部屋の奥へと向ければ障子があり、それを開けば緑豊かな渓谷が視界いっぱいに広がった。
「………………のどかだな」
「はいー」
気付けば、先ほどまで座っていた筈の風が隣に立っていた。俺のシャツの裾を軽く握りながらも、それでいて何も言わず、ただ目の前の景観を眺めている。
「おにーさん?」
「嫌か?」
「もっとです」
「はいはい」
なんとなく。そう、なんとなく雰囲気に流されただけだ。俺の左手は、俺の胸よりも少し低いところにある風の小さな頭を優しく撫でていた。風も眼を瞑ってそれを享受している。その手は裾から離れ、俺の腰に両腕を回していた。
「…もっとか?」
「はいー」
遠くから聞こえる川の水音を聞きながら、しばらくの間、俺達は離れる事はなかった。
………………………………………………………だから、え?
※
卓に向かい合って座る俺たちは茶を啜っていた。する事がないと思うのは、俺が都会に慣れ過ぎてしまったからだろか。ただ障子の向こうに見える緑に視線を向けながら、俺は湯呑を傾けていた。
「こっちはどんな番組をやっているのでしょうか」
少女の独り言に目を向ければ、四つん這いの風がテレビの前へと移動していた。いまどきダイヤル式のチャンネルって………。
「むむ、つきません。故障しているのでしょうか」
風がカチカチと何度もスイッチを押しながら唸る。俺はすぐにその理由に行き当たり、ポケットから財布を取り出した。
「100円入れないと見れないぞ。ほら」
「おぉっ、これが噂の………とっくに絶滅していたと思っていました」
俺が親指で弾いた硬貨を見事に両手でキャッチした風は、その100円玉をテレビについている縦長の穴に入れる。と、ぶぅんという低い音と、パチパチという静電気の音と共にテレビが点いた。
「なんとも旧式な…というかこれだともう見られないのでは?」
「確かにデジタルに対応しているようには見えない――――――見れたな」
なんとも不思議な話もあったものである。それともローカルの局がいまだにアナログの電波を飛ばしているのだろうか。そこに流れるのは、画質も音質もひどい映像。そして登場人物の雰囲気から察するに、だいぶ昔の番組のようだった。
「なんともローカルな」
「まぁ、それもまた趣があるってものだ」
言いながら、俺は再び温くなった茶を啜る。
「おっ、えっちな番組ですよ、おにーさん」
そして噴出した。
テレビ禁止令を発布し終えた俺は、夕食までまだ時間もある事だしと温泉にでも入るかなどと考えていた。
「温泉でも行きましょうか」
どうやら風も同じようだった。部屋に案内された時に女将から受けた説明によると、温泉は朝6時から夜の24時まで利用可能らしい。という事は、残りの6時間のどこかで清掃するという訳だ。なんとも大変な話である。まぁ、夜勤の従業員がいると考えればそうでもないのかもしれないが。
「そうだな、行くか」
俺の肯定を受け、風が置きっぱなしにしていたキャリーケースを開く。そこから必要なものを取り出し、部屋の押し入れから浴衣を取り出して入浴の準備を済ませる。まったく手際がいいな。
「それでは行きましょー」
「うぃー」
この際、俺の下着などにいささかの緊張も見せなかった事には触れないでおこう。
※
旅館のスリッパを拝借して、ぺたぺたと廊下を歩く。途中ギシギシと床板が軋む音が聞こえたが、それなりの古さを持つ旅館なのだろうか。
そして露天の大浴場の前に辿り着いたところで、風が口を開いた。
「何をしているのですか、おにーさん。風たちはあっちですよ?」
「は?」
風が指差す方を見れば、大浴場の男女別々の入口とは別に、小さな扉が3つほど見える。その引き戸の前には揃って『ゆ』の字の書かれた暖簾。
「………どういう事だ?」
「旅行の案内をちゃんと読んでないのですか?風たちが申し込んだのは家族やカップル向けのプランです。という訳で、風たちはこっちの露天風呂を貸切なのですよー」
言いながらも、風はぺたぺたと歩き、その戸の前へと到着する。どこから取り出したのか、手に持った鍵についたプレートと扉の横に書かれている湯殿の名前を確認し、その鍵を以って錠を外した。
「行きますよ、おにーさん」
「………………………さて、そろそろ帰るか」
俺は目の前の光景に背を向けた。
「絶景かなー、ですね」
「そうだな……」
風の声が檜か何かの三角屋根に反響して風呂場に響く。ちゃぷちゃぷと俺の横で湯音を鳴らしながら、景色を眺めているようだ。『ようだ』と推測の形で説明しているのは、俺の視界が閉ざされているからである。
「まだやっているのですか、おにーさん」
呆れたような風の声。だって見る訳にもいかないんだもん。
「そんな可愛い言い方をしてもダメです。というより、風はタオルを巻いているので目を開けても大丈夫ですよー」
「そ、そうか……」
風の言葉に、俺はようやく降ろしていた瞼を上げる。
「――――――嘘ばっか!!」
風はその身に何も纏ってなどいなかった。いや、頭にはタオルを巻いてその長い髪が湯につかないようにしているのだが、それでもその肢体は露わになっており、細い腕で隠しきれていない部分の肌は湯に濡れてきらめき、昼でありながらまるで星空の如く輝いている。いや、太陽の光を受けて乱反射をする水面のようと言った方が適切だろうか。無駄な肉の一切ついていないその身体は、少女から女へと変貌を遂げる過程であるが故の危うさと艶やかさを発揮しており、それと同時にたおやかさすら感じさせるその肌に、俺はまるで吸い込まれるかのように顔を近づけ――――――
「『あぁ、貸切でよかった。さもなくば、俺は風への深すぎる愛によって前後不覚になっただろう。風のまるで天使の如き身体を俺以外の―――たとえ女であろうと―――人間に見せる事に冷静さを保てなかっただろう。風は若干の驚きを見せながらも口元には微笑を浮かべ、まるで慈母の如く包み込むような愛で俺の若き情熱を受け入れる。途中からは彼女の声にも快感の響きが混じるようになっていた。少女はまさに、女へと変貌を遂げているのだ、今この瞬間に。その歴史的瞬間に――――――パライソにて、禁断の果実をイブが口にしてから決して変わる事のない、女だけが持ち得るその美しさを見せる一瞬に俺は立ち会ったのだ。俺のこの手で、少女を女へと変えた。その事実を認識する事で、俺は一層興奮の極みへと昇りつめ、何度目になるか分からないほど吐き出した男の((性|さが))を俺は少女に与える。初めは恐怖にしか感じられなかったそれも、もはや女となってしまった少女にとっては快楽以外の何ものでもなく、少女もまたそれを受け止める事によって更なる絶頂へと―――――――――』」
「長ぇよっ!?俺はそんなに詩的じゃねぇ!!というかエロいっ!」
一瞬見えた風の身体を記憶から抹消する事に集中していた為にツッコミどころを計りかねていたが、その発言がどんどんフランス書院に近づいた所で俺はなんとかそれをする。
「むぅ…風はいつでも準備O.K.ですのに」
「俺がNO.K.なんだっ!」
俺の剣幕にようやく理解してくれたのか、ばさりと布の音がする。おそらく縁に置いてあったタオルを手にとったのだろう。そのままバシャバシャと水音がなり、落ち着いた所で――――――
「今度は本当にタオルを巻いてますよ、おにーさん」
「………ようやくか」
――――――ようやく俺の視界に光が戻ってきた。
「………で、何故に風さんは俺の前にいるのかな?」
俺の顔の下には、所々黄金色の髪の毛のはみ出した、タオルの巻かれた風の頭。
「それはもちろん、触れ合って愛を確かめ合う為です」
俺の胸にしっかりと密着するように、風の背中が預けられている。
「俺がどれだけの苦行をたった今強いられているかわかってるのか?」
「我慢は身体によくないですよ、おにーさん」
「我慢してるってわかってんじゃねーか」
ちゃぷちゃぷと音を立てながら、風はそれでも俺の前から動こうとはしない。ピーヨロロロ…と、谷間で鳶が鳴いた。泣きたいのは俺だ。
「むしろ風を鳴かせてくれても―――にゃんでもないでふ」
「よろしい」
とんでもない事を口走ろうとする風の両頬を引っ張ると、即座に訂正する。わかってるなら言わないでくれ。
「むにゅむにゅ、おにーさんはなかなかのイジメっ子です。と風は指摘してみます」
左右の頬を両手で揉みながら風が唸るが、馬耳東風、暖簾に腕押し、糠に釘。俺はそれを聞き流して遠く、風の頭の向こうに見える景色に目を遣った。
「それはともかくとして……温泉もいいな」
「ですねー。年に2~3回でいいので、風はこういう結婚生活を希望します」
「まぁ…頑張ってみるさ」
「にゅふふ、期待してますよ、おにーさん」
風はそう言うと、俺にいっそう身体を預けてくる。俺も彼女の首の前に両腕を回し、ほんの少しだけ引き寄せた。
………………………………………………………あれ?
しっかりと温泉を堪能し、部屋に戻ってしばらくすれば食事の時間がやってきた。流石山中の旅館なだけはある。川魚を焼いたものをメインに、種々の山菜を使った郷土料理が振る舞われ、極めつけに地酒の熱燗だ。これほどだと、来てよかったと思えるのだから人間の本能の欲求も馬鹿に出来ない。
「はい、おにーさん」
「ありがとな」
風が袖を抑えながら、徳利の首を持った右手を伸ばす。俺はお猪口を掲げ、ゆっくりと注がれていく透明な液体に生唾を呑みこんだ。
「おにーさん、風にもお願いしますー」
「はいはい」
「はいは1回です」
「へーい」
「………わざとですか?」
「………………まぁね」
『HAHAHA!(SE)』
ジト目で睨んでくる風のお猪口にも酒を注ぎ、ゆっくりとそれをぶつけ合う。液体は揺れながら芳しい香りを俺の鼻に届かせた。思わず笑みが零れる俺を見ながら、風も器にその小さな口をあて、おとがいを上げ――――――
「て、待てや」
「とととっ、危ないではないですかー」
――――――ようとしたところで風の手を掴んだ。
「ったく、雰囲気に流されるところだった。風はこっちだ」
言いながら別に置いてあったオレンジジュースの瓶とグラスを渡す。
「風は大人の女だと何度言えばいいのでしょうか」
「それでもだ。いくら『この作品に登場する人物はすべて18歳以上です』とはいえ、20歳以上とは言及されていないからな。最後の抵抗と思って諦めろ」
「むぅ、おにーさんはつれないのです」
ブツブツ文句を言いながらも、風は空のグラスを掲げてくる。まぁ、このくらいは、と俺はジュースの瓶を手に取り、グラスに注いでいった。
「では、風たちの明るい未来を祈念して」
「………………乾杯」
先ほど杯をぶつけあった時より、少しだけ高く細い音が鳴った。
2泊3日の旅行も終え、俺と風は帰宅の途についていた。ガタンガタンと断続的に音を鳴らす電車に揺られ、風は俺の身体にもたれかかって眠っている。
「相変わらずよく寝るな」
「むにゃむにゃ…おにーさんが昨日寝かせてくれなかったからです」
「起きてんのか」
ツッコミを入れるも、それ以降返事はない。寝言でボケられるとはなんとも器用な少女だ。
窓から外を見れば、太陽は燦々と輝いている。きっとひどく暑いのだろうが、車内はこれでもかというほどに冷房が効き、少し肌寒い。そんな事を考えていると、隣の少女がもぞもぞと動き出す。
「ん…ふみゅぅ………」
だが目を覚ました訳ではないらしい。彼女も少し寒さを感じているのだろうか。一層俺に身体をひっつけ、俺の腕に自分のそれを絡ませる。腕に温もりを感じながら、俺は―――理由はない。そう、理由はないんだ―――なんだかとても優しい気持ちで満たされた。
初めは理解不能な発言を繰り返していた風だったが、しばらく一緒に生活をするうちに、実は寂しがり屋な、どこにでもいるような女の子だという事がわかってきた。ベッドではなく床で寝る俺にいろいろと誘い文句を言いながらも、俺が固持するとほんの少しだけ暗い響きの声でおやすみなさいと挨拶をする風。バイトで夜遅く帰って来ても、眠い眼を擦りながら俺を出迎える風。一緒に学校に向かえる日はいいが、俺の授業の関係で家を出る時間が別々の日は、少しだけ肩を落としながら登校する風――――――。
「………少しずつ、感化されてしまったのかもな」
そう呟いて俺はいまだ夢の中の風の顎に手を添えて、そっとその小さな頭を上向かせる。
「もう少しだけ、時間をくれな」
そして、その閉じられたままの唇に――――――。
「『そして、その閉じられたままの唇にそっと口づけた――――――』」
「………………」
「――――――というような展開を、帰りの電車では期待します」
「すんな」
こうして、俺と風の初めての旅行―――新婚旅行なはずもない―――は終わりを迎えた。
あとがき
という訳で第3回でした。
風ちゃんが自由すぎるのはご愛嬌。
本編が行き詰っている訳ではないのですが、リハビリも兼ねてあげました。
暇つぶしにでもしてやってください。
ではまた次回。
バイバイ。
説明 | ||
という訳で、第3話。 今回も収拾がつきません。つかせるつもりもありません。 ではどぞ。 |
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このシリーズウザイな(匿名希望) >>瓜月様 そして次回は子どもとか作ってたらどうしよう………(一郎太) >>よーぜふ様 まさか風の毒は感染性だったのか………?(一郎太) おかしいな?こう一刀君の自由?がない話はいらいらするはずなのに・・・なぜにやにやしてるんだろう?・・・あれ?(よーぜふ) >>氷屋様 遅効性の毒か!!(一郎太) >>こるど犬 風が可愛いのは皆知ってるぜ!(一郎太) 少しずつ感化というか、すでに毒され染められてるかとwww(氷屋) まぁ、今更だけど風はかわいいなぁ・・・(運営の犬) >>robert様 流されながらも、ところどころで正気に戻ってると思うんだ(一郎太) >>Joker様 ホームドラマでたまにある感動シーンですねwww(一郎太) >>通りすがりの名無し様 妄想力というものをご存知かね?(一郎太) >>アロンアルファ様 役所からの何かの通知で気づくという流れですね(一郎太) >>天魔様 個人的には最後のページの1つ前のページ全部だと思ってますw(一郎太) >Masatora様 ツッコミ頑張ってるからなぁ(一郎太) >>シグシグ様 あの爺ちゃん婆ちゃんなら何事もなかったかのように受け入れると思うんだ(一郎太) >>道端の石様 そこはホラ、くっついたらこのシリーズが終わっちまうじゃないですかw(一郎太) >>2828様 大丈夫じゃないと思うw(一郎太) >>アルヤ様 だから機内で泊なのですよw(一郎太) >>IFZ様 本編で風ちゃんも言ってるじゃないですか。6.ネタが浮かんだら書く、でw(一郎太) >>jokerm様 もちろん思いついたらですwww(一郎太) いちいち、「・・・あれ?」で吹きますww(robert) ↓杉田声の一刀……うん、似合う。 SEのバリエーション、増えたwww(孔明) うわぁ。。。電波に慣れていく一刀がwwwというか風の独白盗みスキルがレベル高過ぎますwwwww(通り(ry の七篠権兵衛) 流されてる…下手すりゃこのまま婚姻届にも何時の間にか判を押してる気がするww(アロンアルファ) どこからどこまでが「希望する展開」なんだろうか・・・(天魔) このシリーズの一刀は杉田智和の声がする(Masatora) 風ファミリーはともかく一刀ファミリーの方は大丈夫なんだろうかwww続編希望です。(シグシグ) 風ファミリーが自由すぎるww もう一刀結婚しちゃえよ…… 続編希望っす。(道端の石) フランス書院・・・・・・・いろいろ大丈夫か?w(2828) 見事なまでに流されっぱなしの一刀。ていうか二泊三日世界一周の旅て。飛行機でぐるっと周るだけじゃねえかwww(アルヤ) 成る程。このまま流されて、結婚まで・・・1、書く 2、書いて 3、書きなさい 4、書くしかないのだ 5、今の人如きの力では、運命に抗う事は出来ぬ さぁ、選んで。(IFZ) やべぇ、風超可愛い。続きはもちろん・・・?(幼き天使の親衛隊joker) |
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真・恋姫†無双 風 一刀 『風の電波話』 | ||
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