スティナ山賊団日誌 2話 |
二話「現在過去情景」
昨日、目の前にはただ褐色が広がっていた。
今日、目前に広がるのは夢の中のように色鮮やかで、美しい景色。
何もない、ただの岩山だと思っていたのに、単色を見ることに慣れていた目が痛くなるほどの色が、世界には溢れていた。
赤茶色やこげ茶色、他にも黄土色や黒褐色をした、様々な形の岩の突起物が張り付く山肌。
軽く手を触れると、表面が崩れたり、崩れなかったり。肌触りも意外と滑らかだったり、想像通りざらざらとしていたりした。
勿論、この山には岩しかない訳ではない。
足元に目をやれば、基本的には灰や黒色の小石ばかり転がっているが、野の草はたくましくも、慎ましやかに生きている。
その姿に自分を重ねてしまうのは、きっと驕り。
位置関係的には、彼等の方が私の足元にあるけど、実際は逆だ。
でも、頼りなさげに見えて、芯は強い。そんな人間になりたいと思う。
私の前を、金色の尾を右に振り、左に振りしながら進む彼女のように。
金は欲望の色だから、その色の髪を持つ人間もまた、欲深い人間だ、と茶系統の髪の人は言う。
だけど、私はそうは思わなかったし、とても輝かしい、希望の色だと思った。
自分よりも幼く、小さな子供なのに、彼女について行くことに全く抵抗を覚えない。
彼女が天才と呼ばれるという要素も、その理由の一つだと思うが、それ以上に私は彼女の“色”に安心と信頼を覚えたのかもしれない。
そして、それに付き従う黒い髪。
時に影の様に、時に羽の様に、時に炎の様に、彼女を助け、見守る存在。
多くの人は白に純粋と清潔を覚え、黒の中に穢れを見る。だけど、私は逆だった。
言うまでもない、この髪への劣等感がそうさせたに違いないだろう。
私は、人が神を信仰する様に、黒への強い憧れの心を抱いた。
闇は、全ての光をその中に隠す。黒には一切の穢れと迷いがない。
白紙の上に落ち、染み込んだインクを取り除く術が、この世にいくつあるか。
黒の絵の具を薄めるのに、一体どれだけの白を費やさないとならないのか。
だったら――ある時、私は髪にインクを塗り付けるという蛮行に出たことがあった。
仮にそれが成功しても、私に対する世間の評価が大きく変わるとは思えないのに。
結果は、散々なものだった。直ぐに色は落ちたのに、その下の髪は醜く傷み切っていた。
少しずつ切っては伸ばし、以前よりずっと髪質は落ちたが、まだ見るに耐え得る髪になったのは、つい最近のことになる。
もっと早く、前を向くことが出来ていれば。
そんな後悔は、昨晩に何度も繰り返した。
「……はぁ」
聞こえないように息を吐いて、暗い思考を止めた。
私が暗い顔をしていては、全体が暗い雰囲気になってしまう。
後ろ向きは性と、症のものだが、少しずつでも明るく振る舞う練習をしていかないと。
あれこれ考えるのをやめ、再び神経を外界の景色を視る為だけに使う。
心持一つで、世界は様々な顔を見せてくれた。
小さな休憩を挟みつつ、登り続けて、登頂と共に昼食という運びになった。
メニューは、途中に捕まえた野生動物の肉。とっくにパンは尽きているので、主食はない。
あまり美味しさはなかったが、大人数で食べるというだけで楽しかった。独りで、何かに追われる様にさっさと食事を終え、その行為を栄養の摂取の為としか認識していなかった頃とは違う。
彼女――ティナちゃんが、意外にもゆっくりと食事をするので、自然と私もそれに合わせて途中に会話を挟みながら食べた。
「あたし達のこと、案外訊かないんだね」
ほとんど終わりかけになって、軽い調子でティナちゃんが言った。
「ティナちゃん達のこと、ですか」
「そう。なんでこんな山に居たのか、とか。そもそも、なんで山賊団なんか名乗ってるのか、とか」
それは、考えるべき事柄なのだろうか。一瞬そう思った私が居た。
そして、直ぐにそれが驕りにも似た傲慢なのだと気付く。
今まで私は、人のことを知ろうという気にならなかった。
自分が一方的に被害者であり、悲劇のヒロイン。ただ迫り来る理不尽に怯え、震えながら、その苦しみから救い出される時を待つだけの人間だったからだ。
だけど、今は違う。救いの時はやって来て、もう私は前を向いて明るく生きる必要がある人間だ。
人は一人では生きれない。だから、人に助けられ、人を助けて生きて行く。
そんな仲間のことは、知っておかないといけない。
それを知ろうともせず、使い捨てる様に頼り切りではいけないということに気付いた。
「差し支えが無ければ、お聞かせ願いたいです」
「勿論、問題ないから切り出したことなんだけど……あんたなら、予想ぐらい付いてるかなって思ってたのに」
そう言われても、ついさっきまで気にしていなかったことなので、何も予想なんて出来ていない。
ティナちゃんの純粋で、思慮深い目の輝きが少し辛くなった。
私の精神は、いつしか麻痺し、人ならざるものに近付いていたのかもしれない。
「こういう山って、昔……数百年前ということね。その頃あった戦争の時、兵器が多く設置されていたみたいなのよ。昔の兵器は、今ある大砲なんかよりずっと精度も有効射程も素晴らしいものだったから、天然の要塞とも言える山は重要な軍事拠点になったということね」
そのことについては、私も本で知っていた。
正確な年代を割り出すことは出来ていないが、少なくとも四百年以上前に栄えていた旧文明は、世界に壊滅的な被害を出す大戦の末、崩壊した。
どういうことか、記録らしきものはほとんど残らず、今日から考えると魔法としか思えない機械は全て壊され、埋められた。
更に、失われたのはモノだけではなく、言葉や知識も全く新しいものに置き換えられた。
高度な技術は封印され、言語は新しいものに統一された。信じられないことに、昔は国によって違う言語を話していたという。
それでも尚、旧文明の残滓は世界に残っている。
今日の人間にとっては、とてつもなく難解な言語で書かれた出版物、いわゆる古文書。
画風も画材も様々、時には人の手で描かれたとは思えない様なタッチの優れた絵画。
そして、かつて数十億という途方もない数居た世界人口を、一気に減らした兵器。
ほとんどが一般の人間には理解不能なものだが、知識人たちは古文書の解読を始め、軍事のエキスパートは兵器の扱い方をまとめ始めた。
どちらも、まだほんの一握りの人間の手の中にある情報だが、これが再び、一般市民の手に渡った時、今度こそ世界や人類は滅亡の憂き目を見ることになるのかもしれない。
「それで、あたし達は……んーと、正確にはあたしだけ、かな。シロウはまた別の目的があるんだけど、まあいいや。あたしはその兵器を集める為に、色んな山を登ってるの。単純に山登りが好き、というのもあるんだけどね」
「何の為に集めているのか、お伺いしても?」
返事はなんとなくわかっているけど、一応その確認がしたかった。
多分、ティナちゃんはそれを悪用しようとは思わない。集めて捨てるか、そんな物騒なものを野放しにするぐらいなら、自分が管理した方が良い、と考える筈だ。
それが、自分の頭脳の明晰さを自覚していて、他人を見下す彼女らしい。
「勿論、最強になる為よ!圧倒的な力で、この世界を手中に収めるの!」
「……え?」
それは、天才少女が夢見るには、あまりに幼稚で、だけどなんとなく彼女っぽい野望で、間抜けな声が出てしまった。
「あ、いや、すごく、壮大だと思います」
「でしょう?でしょでしょ!やっぱり、わかる人にはわかるのよねー。シロウはまるで理解してくれなかったんだけど」
あんまりティナちゃんが大声で騒ぐので、シロウさんにも聞こえたらしい。
頭を抱えて、手で「まいった」とジェスチャーをする。どうやらいつものことの様だ。
「そういうリアは、何か夢とかないの?」
街中で大手を振って歩ける様な世界。
幼い頃はそれを望んでいたが、それこそ夢の世界でしか有り得ない話だとは、もうとっくに気付いている。
だけど、非現実にしか救いを見出せないほど、私の精神は落ちぶれてはいないつもりだった。
「古文書を、沢山読みたいです。私が持っているのは、本当に少しだけですが、もっと旧時代のこころに触れてみたいと思います」
「ふぇー……なんというか、流石ね」
「そ、そんな、大したことではないのですが……」
ティナちゃんに真顔で驚かれてしまうと、急に恥ずかしくなってしまって、逃れる様にリュックの中に手を入れて、古文書の一冊を取り出した。
古文書の中でも、私が大好きなものの一つだ。
「学者が読む様な、分厚い本ではないんです。長くても三十ページほどの、たくさんの絵と、わずかな文字が書かれた本なんです。まだ勉強不足で、あまり意味はわからないのですが、読んでいるとなんとなく、優しくて、幸せな気持ちになれるんです」
「へぇ……古文書って、小難しくてだらだらーっと文章が書かれている本だけじゃないのね」
もしかするとこういう類の本は、きちんとした書物とはいえないのかもしれない。
表紙に美しい装飾が為されたものもあるが、ただ紙を集めて、金具で留めただけ、というものもある。
あまりに粗末で、高尚な書物とはいえないかもしれないけど、私はこういう古文書が大好きだった。
「シロウさんは?」
女同士の会話を盗み聞きするのは良くないと思ったのか、シロウさんは離れたところに居る。
私は彼の所にまで歩いて行った。
「俺?……女々しい話だけどな、家族を探してる。妹と、お袋が連れ立って消えちまってな。スティナとは同郷だから、こいつの家出に付き合うついでに探そうと思ったんだ」
まともな理由で、少し安心した私が居る。
だけど、逆にシロウさんが少し申し訳なさそうな顔になって、私から視線を外して小さく頭を下げた。
「いえ、大丈夫ですよ」
孤児である私にとって、存命であると思われる家族の話は禁句と思ってくれたのだろう。
私はそこまで繊細ではないので完全な杞憂なのだが、その気持ちが嬉しい。
「それに、多くの孤児は、両親の居る人を妬んだりはしません。むしろ、自分に居ないからこそ、応援したくなります」
勿論、全てがそうだとは断言出来ない。たまたま、信心深いシスターの下で育ったからあの孤児院の子供達は善良な考えを持っただけで、独りで生きることを余儀なくされた孤児は、屈折した想いを抱いているのかもしれない。
でも、出来れば孤児院で育つ孤児が多くいることを願いたかった。
「……なんか、ありがとな」
「あ、い、いえ。別にその、口だけではなく、私も勿論協力をしたいと思っているのですが……」
「ああ、わかってる。俺とアレとで守ってみせるから、安心して自分の仕事をしてくれ」
山賊団というのは、山によく登っているから付いた名、というだけでもないらしい。
シロウさんの背には、鈍色に光る槍が背負われている。
狩りや、魚を獲る為の得物ではなく、人に対して使う為の武器だ。
さっきのティナちゃんの話だと、既に彼女もいくつか兵器を所有しているに違いない。
間違いなく、この一団は武装集団であり、ライフサイクルの中に他人との戦闘が組み込まれているのだろう。
その意識が、肝を冷やす。
でも、ここが塀の外の世界だ。
町でぬくぬくと、貧しいながらもそれなりの生活を送れている人間はまだ幸せ。
村はならずものや、時には軍隊の徴収に涙し、旅人は武力を持ち合わせていなければ、身ぐるみ剥がされて捨てられてしまう。
改めて、今の世界の現実が浮き彫りになった気がした。
そして、町を出た以上、私もその渦中に身を置くことになったのだ。何の自衛の手段も持たない私が、今まで生きて来られたことすら不思議に思える。
少なくとも、昨日に二人と出会えていなければ、餓死は見えていただろう。
「っと、さて!お昼休憩終わり!とっとと下りて、たまには広々としたところで寝ましょう」
「お前は寝相が一種の前衛芸術だからな。山の限られたスペースで縮こまって寝てちゃ、ストレス溜まるよな」
「余計なこと話すな、このバカ!」
シロウさんの顔面に向けて、ナイフの様な切れ味のハイキックが繰り出された。
その狙いは寸分も過たず、鼻頭を捉え、そこからの出血を促す。
わずか数秒の間の出来事だったので、大した鼻血ではないのに、驚いて思わず視線を外してしまった。
「痛ッ……おい、登山靴でハイキックは反則だろ……これ、鼻の中が切れてるのもあるが、普通に鼻頭も擦り向けて血ぃ出てるんだぜ……?」
「あんたは丈夫なのと、怪力だけが取り柄なんだから、普段からそれぐらい血を流してるぐらいで丁度良いでしょ。……あ、そっか。リアの前でみっともない姿を見せたくない〜とか考えてるの?」
「う、うるせぇ!」
ティナちゃんの指摘に、シロウさんは顔を背け、わずかに顔を赤くした。
――もう、この山賊団の謎は大体が解明された。
ただ、シロウさんの本心だけは、わからずに居る。
山は登るより、下る方がずっと楽だと言われる。
しかし、足への負担は大きいので、挫かない様に気を付けなければならない。
それに、少しでも踏み外してしまえば、どこまでも落ちて行ってしまいそうだ。
どれだけ気を付けていても下山に慣れていない私は、何度か転げ落ちそうになったが、その都度シロウさんが後ろから腕を引っ張ってくれる。
ティナちゃんは先を進んでいて、厄介な石などは予め蹴りどかしてくれた。
「シロウ、リアをおんぶして行ったら良いんじゃない?」
「は、はあ?」
あんまりに私が危なっかしいからか、ティナちゃんが茶化す様にそう言った。
というか、シロウさんをからかうのを楽しむ為だろうか。
「リア、胸はアレだけど他はあたしより細いぐらいだし、あんたなら造作ないでしょ?」
「そういう問題じゃないって、言うまでもないだろ?お前、女をおぶうとか、どういうことかわかってんだろ」
そう言うと、シロウさんはティナちゃんからも、私からも顔を背ける。
ティナちゃんはその様子を見てけらけらと笑っているが、私はいまいち笑いどころがわからない。
単純に、女性の体に触れるのが恥ずかしい、ということだと思ったが、シロウさんはそういうことを気にするだろうか。ティナちゃんとの付き合いは短い訳ではないのだろうし、彼はもう十九にもなるという。
ティナちゃんは勿論、私も彼から見れば妹か、ただの子供といった年齢だし、ここまで恥ずかしがるだろうか。
「……どういう事なんですか?ティナちゃん」
小さな声で尋ねてみる。
「え?あ、ああ。あんたさ、もしかして自分の容姿のこと、あんまり自覚していないの?」
「私の容姿、ですか」
鏡を一度も見たことがない、という訳ではないし、少なくとも孤児院の中では年頃の少女らしく、お洒落に興じてみたこともある。
白髪を美点だと肯定することは出来ないが、それなりに顔立ちは整っている方だろうし、周りが年下ばかりなのでよくわからなかったが、スタイルが良いとも言われたことがあった。
自分の容姿を自覚していない発言で人の心を乱すことはないと思っていたのだが。
「でも、今まであんまりシロウさんが恥ずかしがる様な事は……」
「あはは、うんうん。シロウはあたしで大分美少女耐性が出来てるからね。でも、あんたを背負うってことになったら、シロウの背中に押し当てられるものがあるでしょ?」
「……あっ」
思わず想像してしまって、顔が赤くなるのを感じる。
そういえば、今まで男性と密着する様な機会はなかったし、人に触れることすら、積極的にすることはなかった。
本当に、人間として当たり前のことすら経験していない人生だ、と思わずまた溜め息が漏れる。
「んー、リア、あんまりこういうこと言うのはデリカシーないかもだけど、あたしの前で溜め息吐くの禁止。折角可愛いんだし、もっと明るい顔をしててよ」
「は、はい」
と言われても、一度伏せ気味になった瞳を、もう一度大きく見開くのは簡単なことではないし、自嘲の笑みと溜め息は完全に癖のものだ。
卑屈にはならない様にしているが、簡単に割り切れるものではないというのは、多分ティナちゃんもわかっている。
年こそ私の方が上だけど、きっとティナちゃんの経験と思慮深さは、私の比ではないだろうから。
「で、ついでなんだけど、敬語もやめにしない?あたし達は見ての通り、田舎出身で言葉遣いもめちゃくちゃなんだし、変に肩肘張らなくても良いよ。年上のあんたにそんな丁寧な口を利かれるのって、結構その、照れる感じだし……」
「そ、そうかな。でも、私あんまり砕けた喋り方をしたことがなくて……」
丁寧な言葉遣いも、私の処世術の一つだった。
白髪をしているだけで不吉だと言われるが、態度が謙虚で、相手に不快感を与えることも少なければ、それなりに人の中で生きることも出来る。
屈辱を感じるだけの誇りなんて、初めて迫害された時には既になかったのだから、それに抵抗は一切ない。
そんな私に対等の関係、対等な言葉遣いというのは、ちょっとした難題だった。
「だからもう、適当で良いよ。あたしも、なんとなくのニュアンスで話してること多いし、リアが一番自然だと思う話し方をしてくれれば、それで十分」
「私の、一番自然な……」
まだ私の髪が、金と茶の中間色、瑞々しくて鮮やかなブロンド色に輝いていた頃の話し言葉。
ほんの子供だったけど、当時はよく喋る子供だった風に思う。
お母さんについて行っては、出来もしないのに家事の真似事をしてみたり、村の人間なのに本や古文書を沢山持っていたお父さんの横で、よくわからないそれの表紙を指でなぞったりしては、古文書の書かれた時代の話をお父さんにせがんでいた。
この髪と同じ様に、色褪せた記憶だと思っていたのに、昔のことは意外にも鮮やかな思い出として回想することが出来る。
もしかすると、今までのどん底の人生に覆われていたことで、輝かしい記憶はその美しさを保つことが出来ていたのかもしれない。
そうして、心の余裕が出来た今、それらは私に優しく力を分けてくれている気がした。
「うん。わかった。じゃあ、ティナちゃんには、出来るだけ普通に話すようにするね」
「へ?あ、ああ。シロウはアレね。まともに口を利く必要もない、と」
「そ、そうじゃなくって、シロウさんは年上だから、最低限その、礼儀は、ね」
それに、実のところ男性と話すのはあまり慣れていないので、緊張もある。
元から人と話すのは苦手だったけど、同性であるシスターや、まだ性差のはっきりしていない子供とは普通に話せた。
こんなことを言うと、ティナちゃんはきっと怒るだろうから言えないけど、彼女と話すのは孤児院の子供に話す感覚に近いから、あまり緊張はない。
逆にシロウさんは、今までほとんど話したことのない年齢、性別の人なので、言葉を丁寧にして、緊張感を保ったままではないとちゃんと話せそうにはなかった。
「んー、あいつはあんまりそういうの気にしないだろうけど」
「でも、私がそうしたいから」
「……あんたがしたいなら、変にあたしからは口出さないけどね」
ティナちゃんとシロウさんの関係というのも、私からは不思議に見える。
二人は七つも年が離れていて、シロウさんからすればティナちゃんは妹か、下手をすれば娘の感覚すらあると思う。
対して、ティナちゃんから見れば彼はもう立派な大人に見えるだろうに、一行の中での最大権力者は彼女だ。
シロウさんにしてみれば、子供の我侭に付き合うという感覚もあるかもしれないけど、ティナちゃんの暴れっぷりは微笑ましくも、ちょっとはらはらしてしまうぐらい。
――初日、シロウさんは私にあんなことを言ったけど、本当はシロウさんとティナちゃんの間にこそ、恋愛の感情があるのではないかと思う。
今は大人と子供でも、後五年もすれば、お似合いのカップルになる。気心も知れているのだから、きっと良い夫婦にもなれるだろう。
……そんな、少女らしい思考回路が私の中にも出来てきて、本当に私の心は軽くなったんだと思う。
いくら下山が登山より楽といっても、長い時間をかけて登ったのだから、それを下るのにも時間はかかる。
平地に立つことが出来たのは、太陽が完全に沈み、月が東の空にその白い姿を堂々と見せ始めた頃だ。
今からでは人里には辿り着けないだろうし、こんな夜分遅くでは、怪しまれるだけだろう。
しかも、ティナちゃんとシロウさんは武装しているのだから、平穏な生活を送っている人からすれば、夜盗の類にしか思われない。
「んー、ちょっと寄り道し過ぎちゃったかな。完全にあたしのミスだ」
野営の準備にかかったところで、ティナちゃんが一際大きな声で言った。
登山の経験がほとんどない私を気遣っての言葉なんだろうし、その気持ちがすごく嬉しいけど、妙に芝居がかった姿には小さな笑いが漏れてしまう。
頬の筋肉が緩むのを感じて、思わずはっとした。
全く意識せず、私は笑っていた。今までは世渡りの為の愛想笑いと、自分や、他人に対しての嘲笑ばかりをして来たのに。
「可愛い顔。やっぱリアには、笑顔の方がずっと似合ってるよ」
「そ、そうかな?」
今まであんまりに笑わなかったものだから、自分の笑い顔がどんなものなのかも知らない。
そして、本来の笑顔の持つ意味すら知らなかった気がして、急に恥ずかしさと、それ以上の充実感が込み上げて来た。
まだ私は、彼女達と出会って二日だ。それなのに、私は分刻みで新発見と成長を繰り返している気がする。
それは私ぐらいの年ではもう知っていて当然のことなのだろうけど、学習出来なければ人生経験豊富な老人でも文字を読めないのと同じ様に、心に余裕がなかったから知ることが出来なかったことばかりだ。
「ね、シロウ。あんたもそう思うわよね?」
「お、おう」
こちらを見たシロウさんと目が合い、思わずうつむいてしまう。
恥ずかしさや緊張というよりは、もっと単純な照れ。なんとなく、同性に笑顔を見られるのと、異性に見られるのでは、意味合いが違っている気がした。
「二人して顔赤くして……奥ゆかしいんだか、お互い初心過ぎるのか……まったく、二人ともまだまだ子供ね」
最年少者の言葉だけど、誰も言い返せない。
シロウさんは、元から口数の少ない人かと思ったけど、ティナちゃんとは結構話している。私がシロウさんと話すのを苦手としている様に、彼もまた女性と距離を詰めて話すのには不慣れな様だった。
それを考えると、ティナちゃんの物怖じしない態度や、社交性の高さは羨ましい。
町の人間に言わせれば、それは無礼なのかもしれないけど、まだティナちゃんは小さいのだし、それぐらい前のめりの姿勢で居た方が良い。
他人ならまだしも、よく知る人と話す時にも一歩引き、本音を包み隠していた私だけに、そう強く思った。
「あ、そうだリア。日誌」
「はい……じゃなくて、うん。ご飯の後に書くつもりだよ」
日誌を書くのは、私の役目。
安全な旅が確保されるこの団に身を置かせてもらっている私の、大事な仕事なのだから、どれだけ浮かれていても忘れはしない。
もし忘れてしまうことがあるとすれば、それは私が忌まわしい過去を完全に過ぎ去った出来事だと、割り切ることが出来た時だろう。
「それなんだけどね。出来れば、そのついでにあたし達に字を教えてくれないかなって。あ、ちなみにこれはあたしの提案じゃなくて、シロウの提案なんだからね。だってあたしはもう十分読み書き出来るし、何より天才だし。大人だし」
何かに追いかけられている様に、必死に否定の言葉を重ねるティナちゃんが可愛らしくて、また顔が笑みの形になる。
また少し、仮面の様に硬くなっていた顔が人間らしいものに近づいた気がした。
「ちなみに、一応本当の話な。家族に手紙の一つでも書ければ、と思って」
シロウさんの言う「家族」が実家の父親なのか、捜し求める母親達なのか、二通りに取れる言葉だったけど、私に断る気持ちはなかった。
心理状況はよくなかったかもしれないけど、間違いなく町で暮らした子供時代は、学習環境的には恵まれていた。
それがどれだけ稀有なことなのかは、頭ではわかっているつもりだ。
だから、出来ればこの知識を広めたいとも思っている。
まだ人に物事を教えるほど、私は多くのことを知らないけど、お互いの持つ知識を交換するような話し合いの形でなら、なんとか出来そうな気がする。
私は旅にまで持ってきた蔵書の中から、ある詩人の詩集を取り出した。
ちゃんとした本ではなく、粗末な紙に質の悪いインクで印刷されたものだけど、私の大好きな本だ。
「わかりました。では、食後に」
この本のタイトルは、リア・ヘリントン詩集。私と同じ名前の女性の書いた、美しくも悲しく、だけど優しさに溢れた詩がたくさん収められている。
だけど、この詩人も悲劇の人だった。
無実の罪からの亡命者であった彼女は、偽名で出版したこの書物から身元がばれ、本国に強制送還、そのまま獄中の人となってしまった。
しかし、まだ詩壇から去ることはなく、自由を制限されながらも詩を書き続けているという。
同じ名前、しかも本人談によれば同じく色素の失った髪を持つ人間の、勇ましささえ感じる生き方に私は憧れ、詩作に励む夜もあった。
ただ、今ではそれ以上に日々の日誌をつけることの方が、私には生きがいに感じられた。
文学者の人生は、友人やファンに囲まれた豊かなものだが、究極的には孤独の中で生きることになる。
それより、私はいつまでも心優しい仲間と共に居続けたい、そう思うようになっていた。
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久し振りの更新となります。やっと少しずつ世界観を描けて来ました | ||
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