真剣で私たちに恋しなさい! EP.8 雪化粧 |
忘れたいと思っていても、忘れることの出来ないことがある。たとえばそれは、悪夢となって当時の嫌な感情を呼び起こすのだ。
「ギャーギャーうるさいんだよ!」
そう言われて殴られたのは、一度や二度ではない。だから今度は、いつも笑うようにしていた。するとニヤニヤするなと、また殴られる。どちらにしても、何か理由をつけては殴られるのだ。
一応、世間体は気にしていたのだろう。殴るのはお腹など、服で隠れて見えない場所が多かった。だが、殴られるならまだマシだ。本当に嫌だったのは、機嫌の良い時である。
「お母さん、熱いよ!」
吸っていたタバコを、腕に押しつけられた。泣き叫ぶと、大笑いして喜ぶのである。
「あんたを産んで良かったことは、好きな時にボコれることくらいだろうね」
そう言った母親の顔を、忘れたことはない。悲しくて、悲しくて、憎しみすら湧いた。それでも子供は、親に愛されたいと願うのだ。
テレビで誰かが言っていた。母親は子供のためなら、その命を投げ出すことすら平気でするのだと。それだけの覚悟を持って、苦痛を伴い出産をする。
「お母さん……」
寝ている母親の腕を引く。すぐさま、殴られた。
(テレビは嘘つきだ……)
幼い心は、ただ渇き、孤独の闇に呑まれていった。窓から、笑い合う子供たちの姿が見える。自分もあの中に入りたい――だから大好きなマシュマロを持って、外に出た。
いつも楽しそうに笑っている子供たちが、あの空き地にいる。壁に身を隠し、覗き込んだ。何をしているのだろうか。ギュッとマシュマロの袋を握りしめ、勇気を振り絞る。
「仲間に入れて」
そう一言、伝えればいいのだ。一歩を踏み出す。
そこで、目が覚めた。
榊原小雪は、絡繰り人形のように体を起す。瞼は半分閉じたままで、まだ少し眠そうだ。目尻にはわずかに涙が溜まり、小雪はそれを指の腹で拭って布団の上で正座をする。
部屋の中はカーテンが閉じられ、まだ薄暗い。ぼんやりと、何を見るでもなく視線を彷徨わせた。
(夢……なのかな……)
部屋を出れば、母親が朝食の準備をしているのかも知れない。もしも自分が『よい子』ならば、きっと手伝いをするのだろう。だが自分は『悪い子』だから、また叩かれるのかも知れない。
「そっか……」
ふと、気がつく。母はもう、いない。
のそのそとパジャマを脱ぎ、小雪はジャージに着替える。嫌な夢を見た朝は、時々、一人でまだ誰も居ない街中を歩く。
彼女が暮らしている2LDKの部屋は、葵冬馬が用意してくれた部屋だった。冬馬の病院からも近い場所にあり、時々、井上準と一緒に遊びに来る。
「行ってきます」
誰もいない部屋にそう言い残し、小雪はマンションを出た。周囲は((朝靄|あさもや))に包まれ、輪郭がぼんやりとしている。すべての境界線が曖昧な世界。生きているとも、死んでいるとも言えない自分には、とても似合った世界に思えた。
いっその事、すべてが靄に包まれてしまえばいいのにと思う。
(見たくないものが見えなければ、幸せなのかな?)
真っ白な雪景色、すべてが覆われてキラキラと光を反射する綺麗な世界。汚れたものは何もない、白く、でも冷たい世界。
(小雪……)
彼女は自分の名前を思う。自分は雪は雪でも、道路の隅に溜まった黒く汚れた雪の塊だ。みんなの邪魔になって、誰も見向きもしない。
やがて溶けて消えるだけの、不要なもの。
何軒もの風俗店が軒を連ねる親不孝通りには、早朝、店を閉めて家路につく若い女性の姿がチラホラとあった。中にはゴミの袋を持っている者もおり、集積場にはあっという間にゴミ袋が積まれてゆく。そんな一人なのだろう、疲れた表情で大きな袋を抱え集積場にやって来た女性は、思わず足を止めた。
山のようなゴミ袋に埋もれるように、若い男性が倒れていたのだ。その男性は、朦朧とする意識で街中を彷徨った直江大和だった。両腕が紫色に腫れ、見るからに痛々しい。
「やだ……」
困ったように呟いた女性は、袋を隅に置いて走り去ってしまった。治安のあまり良くないこの近辺では、寝ている酔っ払いや喧嘩で怪我をして倒れている者は珍しくない。そういう人物に関わってもろくな事にはならないと知っているため、ほとんどが見て見ぬ振りをするのである。
同じ親不孝通りでも、もう少し北の方は『宇佐美代行センター』が見回り等と行っているので、発見されれば病院に運んでもらえただろう。
「うっ……」
うめき声を漏らし目を覚ました大和は、起き上がろうとして両腕の痛みに顔をしかめる。ほんのわずかな動きでも、形容しがたい激痛が走った。
(いったい何が……)
混濁した記憶を、大和は必死に探る。
「京と姉さんが……そうだ、夜這いに来て、それで……」
その先を思い出そうとすると、額の奥がズキッと痛んだ。明滅するように、脳裏に浮かぶ場面。まるでフィルムの切れた映画のように、連続した光景の後に真っ白な光に包まれる。
その時だ。
「……」
気配に気付いて大和が顔を上げると、そこに誰かが立っていた。逆光で陰った顔は、見覚えのある顔である。
(榊原小雪……)
いつも葵冬馬や井上準と一緒にいる、2−Sの少女だ。挨拶を交わした事がある程度だが、互いに顔見知りである。
「た……すけ……て……」
何とか声を絞り出しそう言うも、大和を見下ろす小雪の目にはわずかな感情すらない。無表情で、ただ路傍の石を眺めるように大和を見ていた。そして何事もなかったように、踵を返して歩き出してしまう。
「まっ……て……」
もしも腕が動けば、追いすがりたかった。けれど再び激痛に襲われ、大和の意識は遠くなる。
小さくなる小雪の背中には、ただ、沈黙と拒絶だけがあった。
自室で一人、川神鉄心はあぐらを組み目を閉じていた。精神を統一し、丹田に力を溜める。そこへ、ルー師範代が入って来た。
「ようやく、眠ったネ」
「そうか……」
ルーが対面に座り、鉄心はゆっくりと目を開いた。
昨夜、戦いが終わったことを気配で感じ取った鉄心が、すぐさま現場に人をやって川神百代と椎名京を回収して来たのである。すぐに治療を施し、今は二人とも川神院で眠っていた。鉄心が心配をしないようにと、島津寮の麗子に電話で伝えてある。
「しかし、あれほどの気配を撒き散らし、騒ぎにならなかったのは幸いネ」
「本当の剛の者なれば、あの気配に潜む底深さを感じ取り、無用に近寄らぬじゃろう。それ以外の者は恐れ、あるいは気付かず動くことはない」
「確かにアレは、ただ強いという事だけではなく、不気味なものを感じたネ。絡みつくような、嫌なものだヨ」
鉄心は腕を組み、目を細めて小さくうめいた。
「……儂はアレに、一つ心当たりがある。否、他に思い当たるものがないと言うべきか」
「何と!」
「ルーも聞いたじゃろう、百代の話を」
百代は治療中に一度、意識を取り戻したのだ。その際、現場に釈迦堂刑部が居たこと、あの禍々しい気配が直江大和であること、そして大和は姿を消した事を語ったのである。
「直江の事は幼い頃より知っておる。海外へ出張中のご両親とも、何度か顔を合せたことがあった。とてもそのような、禍々しい力を秘め隠すようには思えん。だとすれば、別の何かが直江の中に居るということじゃ」
「まさか、それは……」
「偶然か、あるいは起きるべくして起きたのか……。儂らはもう少し、知らねばならん。そのためにも、((葛木行者|かつらぎぎょうじゃ))様の残した書を読み解かねばなるまい。じゃが儂は、アヤカシの類は専門外ゆえな」
顔をしかめる鉄心に、ルーが進言する。
「ワタシに心当たりがありますネ。学園に、京極という生徒がいます。彼は書に明るく、呪術にも精通しているとか。口も堅く真面目なので、信頼できますネ」
「フム……生徒に頼るのも何だが、この際は仕方あるまい。それはルーに任せる。頼むぞ」
鉄心の言葉に、ルーは大きく頷いた。
「儂は百代が目覚めた時に備え、力を蓄える。あやつめ、暴れ出さぬとも限らんからな」
「わかったネ。念のため、『川神流極技・天陣』の準備をしておくヨ」
ようやく街が動き始める早朝、川神市の空気はどこかざわめいていた。
◆補足
久しぶりにゲームをプレイし直し、色々気になった点があるので書いておきます。
まず、ルー師範代の名前ですが、ゲーム内ではルー・イーと紹介されていましたが、
ビジュアルファンブックにはルー・リーとあり、自分はそちらを参考にして書いていました。
どちらが正しいのかわかりませんが、ルー・リーと書いて始めたので、
今後もそちらで統一したいと思います。
また、各キャラクターの呼称ですが、ゲーム内では色々な呼び方が登場し、
ルートによって異なる場合もあります。
それは適宜、自分の方で判断して書いていきたいと思っています。
違和感のないようしていきますので、どうぞご了承ください。
以上、補足でした。
説明 | ||
真剣で私に恋しなさい!を伝奇小説風にしつつ、ハーレムを目指します。 久しぶりに、ゲームを最初からプレイし直しています。 この作品の時間軸的には、プロローグの少し後、マルギッテが転入した辺りで、誰のルートにも入っていない状態でしょうか。 正直、最初にそれほど厳密に決めてなかったので、色々とおかしな点があるかも知れませんが、ご了承ください。 楽しんでもらえれば、幸いです。 |
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コメント | ||
これは昔拒絶されたから拒絶したのか?(VVV計画の被験者) おつですーめちゃきになります(km) 更新おつです 小雪がどう関係してくるか楽しみです(~yamato~ ) |
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