自然科学―民俗学境界 第四章
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【第四章 病魔】

 

 時は午後二十三時頃だろうか、とある病院の一室にヨーコは立っている、彼女の前には物々しい機械に囲まれ人工呼吸器に繋がれたあざみがいた。

 呼吸も弱々しく、彼女がいつその生命に終わりを迎えてもおかしくない状況である。

 躊躇していられない、彼女の精神に潜り込むなら今しかない、例えそれで彼女が負荷に耐えきれず死んだとしても彼女に巣食うその化け物は退治しなければならない。

 人間に手助けする形になるのは少々癪だがこいつを放っておいたら我々妖怪にも影響が出るのは確実だ。

 ヨーコは深く目を閉じて両腕を広げ深呼吸をした、するとヨーコの身体が淡い光を放ち、彼女の身体を包むと、光はあざみの身体の中にスーッと入って行った。

 

 

 気がつくとヨーコはどこか学校の教室にいた、更にどこかで見た事あるような制服――

 間違いない、あざみが通っていた学校の教室だ。

「―――ね、将来獣医になろうと思うんだ」

 あざみの声にヨーコが目を開けるとそこは学校の教室であった、そして制服姿のあざみが友人のリサとヒトミの二人と楽しそうに会話をしていた。

「――でも、――じゃんあざみん――」

 ヒトミはあざみに対して何か言っている、だが彼女の精神も衰弱しているからなのだろうか上手く聞き取れない。

 恐らくこれは彼女の過去の記憶なのだろう、そして彼女の中で楽しかった思い出が学校での何気ない日常という事だ。

「何とけなげな娘なのだろう! しかしこの一族の血筋であった事が唯一の不幸であったな!」

 突然、ヨーコの後ろから声が聞こえた。

振り返るとそこに奇妙な格好をした妖怪が一人立っていた。

 裸の上半身には日本にはない文字らしき刺青がびっしりと入っており、肩には大型の肉食動物の牙らしきものが付いた緑色の木彫りの肩当て、背中には骨をアーチ状に組み立てた飾りをしており腰には脚の踝(くるぶし)まで伸びた紫色の袴、顔にも人の顔を象ったような木彫りのマスクを被っている。

 風貌からしてこの妖怪は日本で生まれたものではなく海南から流れ着いた妖怪なのだろう。

「だが当然の報いとも言えるな、何故ならばあと少しで強大な力を手に入れこの国を私のものとしようとした所にこの娘の先祖が突然やってきて私を封印したのだ!」

 妖怪は腕を大きく振り下ろし怒りをあらわした、だがその拳は空を切っただけである。

「幸か不幸か、千年近くの年月はかかったが封印が弱まりまたこの世に降り立つ事が出来た! そして長い事彷徨った末についにこの憎き金屋の一族の末裔を見つける事が出来た」

 仮面越しににやり、とした口元が伺えた。

 この様子を見るにいかにあざみの先祖に対する怒りと復讐できた事の喜びが伺える。

「それで今度は逆にこの一族の力を奪おう…という訳ね」

 ヨーコは毅然とした態度で妖怪に言い返した、だがヨーコは表情こそ平全を装ってはいるものの、尻尾や耳の毛が逆立とうとするのを必死に抑えていた。

 相手は一族の力を完全に得てはいないものの、妖怪自体から禍々しいまでの邪悪な力を感じ取る事が出来る。

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元々この妖怪自体かなり力のある奴だ、ヨーコの妖怪でもあり、狐としての「本能」がそれを直感的に感じ取っている。

「その通りだ! 人間というものは技術こそ進歩はしたがその反面、我々人ならざる者の存在などかけらほど忘れてしまっているようだな! この一族も例外ではなかった、だからこそ私が有効活用してやろうというのだよ! フハハ フハハハハハ ハーッハッハッハッハ! ヒャハハハハ!! ハハハハハハ!」

 妖怪は身体を大きく反らせ、頭が地面に付きそうな程、腹を抱えて馬鹿笑いをした。

「このような力は私が使ってこそ真価を発揮するもの! 私こそが世界を統のべるに相応しい存在! 私こそが! 私こそがこの世界の頂点に君臨すべき者なのだ!」

 今度はまた突然、怒り狂ったように激しく手を左右に振り、そして空を仰いだ。

「狂ってる…」

 ヨーコはせいぜい日本の妖怪ぐらいしか知らないがこの妖怪が身につけている物を見るに、その装飾一つ一つに呪術が込められいるのは見てとれる。

 そこから察するに本来はもっと理知的で冷静な人物だったのだろう、だが長き年月に渡る封印の中で彼の心の中にはあざみの一族に対する復讐心と世界を自分の物にしようという制服欲のみしか残っていないだろう。

「狂っている…だと? お前も同じだろう、お前にも邪悪な気配を感じる、お前も多くの業が溜まっているのだろう。 そんな貴様が何故人間のこの娘に味方をするのだ。 よもや情が移った、とでも言うのではあるまいな!?」

「別に彼女は安全な寝床を得ようと利用したにすぎない、ただあんたみたいなのを放っておいたら後々面倒だし、それに――」

 ヨーコは妖怪を睨みつけた。

「あんたみたいなのにこの世を支配されるのだけは御免だからさ!」

 我ながら自分らしくない台詞だとは思っている、ただこうも強がりを言っていないと戦える自信が無いのが本音である。

 正直勝てるかどうかも分からない、だがこの妖怪をこのままにしておく訳にはいかないからだ。

「ハハ… ハハハハハ! ハハハハハハハハハハ! 面白い、気に入ったぞ! その褒美にお前が守ろうとしている人間の力で殺してやろう!」

 妖怪は右手を前にかざすと、手から巨大な蒼い火球が飛び出した。

 火の玉は炎の筋を描きながら速いスピードでヨーコに向かって飛んでいく、ヨーコは右に避けて避わしたが、火球からの熱気を遠くから感じ取れた。

 ヨーコを通り過ぎて行った火の弾は暫く空を飛んでいると途中で半径五メートルぐらいの爆発と共に爆風を巻き起こした。

「ハハハハハ! いいぞもっと踊れ! ほらほらほらほらほらァ! ヒャハハハハハハハハ!」

 今度は妖怪の両の手から火球が絶え間なく放たれた。

 次々と放たれる火球に対しヨーコは避けるのが精一杯であった、右から左へ、左から右へと火の玉を避けるも繰り出される速さに翻弄されている。

「避けるのが精一杯のようだな、背中がガラ空きだぞ!」

 突然、背中に激痛が走ると同時にヨーコはまるで人形のように身体が投げ出された。

 すかさずヨーコは右手と両足を使って伏せるような姿勢で受け身を取り着地する。目の前には遠くにいたはずの妖怪が立っている。

「ほぅ、思ったより丈夫な奴だな! だがその程度じゃなァ!」

 再度妖怪はスッと霧のように姿を消し、ヨーコは全神経を集中し相手の気配を探り敵の位置を捉えようとした。

「…! そこっ!」

 ヨーコは長く鋭い爪で自分の背後の空間を切り裂いた。

 すると目の前には先ほどの妖怪が立っており、ヨーコの一撃で胴体と下半身が奇麗に真っ二つに切り裂かれている。

 ヨーコの手には肉を切り裂いた時の重く確かな手ごたえを感じた。

 ・・・が同時に自分の脇腹にも激痛が走った、そしてその激痛には反対側の脇腹、そして頭部と激痛が広がってゆく。

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 全身に激痛が走る中でヨーコは自分の置かれている状況を理解した、自分は今相手の妖怪に様々な方向から殴られている、つまり先ほど自分がが切り裂いた敵は良くできた幻影だったのだ。

「どうしたどうしたァ、このままだと本当に死んでしまうぞォ? そうしたらお前をどう食ってやろうか! 昔喰らったあの肉みたいに生もいいなァ! それともこの一族の女と一緒に鍋で煮てやろうかァ! ハァハハハハハハハハハハ!!」

 妖怪は下衆な笑い声をあげながらヨーコを殴り飛ばし、飛ばした方向の反対側に瞬時に移動すると今度は反対側の方へ殴り飛ばす。

 ヨーコは球技の玉のように勢いよく飛ばされてゆく。

「己の無力さが十分に分かっただろう! 遊びはもうこれぐらにしてそろそろ死んでもらうか――!」

 妖怪はヨーコの胸ぐらを掴み高く掲げた、そして左手からは先ほどの火球が生み出されてゆき、次第にそれが大きくなってゆく。

 あぁ自分はこれで死ぬのか――。 

 やはり自分では勝ち目は無いのか、ヨーコは意識が薄れて行く中で己の無力さを感じた。

 それと同時に、あざみの笑顔が浮かんだ。

 死の間際に人間の事を思い浮かべるなんて自分は思った以上にお人よしらしい、独りには慣れているはずなのにどこか虚しさもこみあげて来る。

「…ロ シュ――」

 誰かの声が聞こえる、どこかで聞いた事ある声――。

「シュロ!」

 何者かが誰かを呼ぶ声が聞こえた、確かその名前は――。

 ヨーコは重い瞼をゆっくりと開けると目の前にはあざみの姿が宙を浮くように妖怪の背後にいた。

「良かった、まだ生きてたのね!」

 あざみは安堵に胸をなでおろした。

「この死に損ないが、まだ動けるほどの余裕があったか!」

 妖怪は激怒し声を荒げた、仮面越しからもあざみを睨みつけているのを感じた。

「あなたが何を考えているのか分からないけど多くの人を苦しようとするのだけは放っておけないわ!」

 あざみは妖怪の威圧するような態度に怯える事も無く毅然とした態度で妖怪を睨み返した。

「だが今更現れた所で貴様に何が出来る!? 自分の力の意味も分からない上に頼みの綱のこいつもこの通り虫の息だぞフハハハハハハ!」

 妖怪は勝利を確信したかのように高笑いをし、ヨーコを掴んでいる腕を振り、あざみ達に勝ち目は無いことをアピールして見せた。

「確かに自分がどういう力を持っているか分かっていないわ、だけどそれを理解している者に渡す事が出来たらどうなるかしら?」

 あざみの言葉に妖怪はハッとした表情でヨーコを見た。

「馬鹿な!? 貴様そんな事をすれば自分がどうなるか分かっているのか!」

 妖怪は先ほどの余裕な態度から一転、焦った態度であざみに叫んだ。

「大体は分かるわ、だけど私は完全に消える訳じゃない、シュロと一緒になるだけよ!」

 あざみは目を閉じて深呼吸をすると身体が霧のようになり、その霧のようなものはヨーコの身体に溶け込むかのように入ってゆく。

「やめろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ! それは俺のものだ! この小娘にくれてやるものかぁぁぁぁぁっ!」

 妖怪はあざみであった霧に火球と飛ばした。しかしただ空の向こうを撃っただけで効果は全く無かった。

 その間にあざみの身体はヨーコに完全に溶け込み、身体の内側から力が満ち溢れてゆくのを感じた。

「これが金屋の一族の力――」

 ヨーコはあざみが自分に何をして、その結果彼女がどうなってしまったのかを悟った。

 人間の肩を持つつもりは無いがこいつだけは許せない、この感情は自分の怒りではない、あざみの妖怪に対する怒りを自分自身でも感じている。

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 ヨーコは自分の胸ぐらを掴んでいる妖怪の腕を払いのけて掴むと、思いっきり相手の外側ね捩じり曲げた。

「ぎゃぁぁぁぁっ!」

 骨が砕ける鈍い音と断末魔の叫び共に妖怪の右腕が自然には曲がらない方向ねじ曲げられた。

 追い打ちをかけるようにあざみは自分の尻尾に重心を置いて回転するとその勢いで右足の踵で水平に相手の顔面目がけて蹴り飛ばす。

「がぁぁっ!」

 先ほどまでヨーコをいたぶっていた妖怪は思えないほど相手は激しく吹き飛ばされ地面に叩きつけられた。

 ヨーコは今までの自分より遥かに強い力を手に入れた感覚に驚きを感じていた。

 しかし力を手に入れたからといっても傷までは癒えてはいないようだ、身体のあちこちに切り傷や打撲の跡があり、あばら骨も折れている感覚がする。目も片目がぼやけて見えており少しでも気を抜けばいつ倒れてもおかしくない状況だ。

 奴を倒すには今しかない、今できる唯一の方法は自分の意識が無くなる前に攻め続ける事だ。

「力を・・手に…入れたか…らって…調子に乗るんじゃねぇ!」

 生まれたての動物のようにふらふらと立ちあがり息を整えると先ほどヨーコに向かって放っていた火球を今まで以上の速さで次々と飛ばした。

 だが力を手に入れたヨーコには炎の軌道が読めていた、ヨーコは右や左へと軽々と避しながら相手との距離を詰めよっていった。

「クソッ、来るな来るな来るな来るなぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 追いつめられる恐怖と彼女から感じ取れる怒りと殺気――。

 妖怪には遠い昔に感じた自分が封印される時、或いはそれ以上の感覚――

 このまま近づかれると封印されるだけでは済まない事を妖怪の本能がそれを感じ取っている、即ち死を覚悟していた。

「たぁぁぁぁっ!」

 妖怪との距離が近づくとヨーコは相手の頭上目がけて高く跳び跳ね呪文のような言葉を呟くと妖怪の周りに光の帯のようなものが現れた。

 そしてそれは妖怪の身動きを封じるかのように鎖のような形になって縛り上げる。

「ぐっ――か、身体が動かない!」

 もがけばもがくほど鎖は妖怪の身体に食い込んでゆく。

「これで――決める!」

 その間にヨーコは蒼い光のようなものを帯び、相手の身体をめがけて蹴りを繰り出した。

「ぐあぁぁぁぁっ!」

 一筋の光が突き抜けると妖怪の腹には大きな穴が開き、それと同時に妖怪の身体が砂のように崩れ始めた。

「あと一歩、あと一歩だったのだ…こんな事、認めんぞ! 何故だ、貴様のように業の深い化け物風情が何故…!」

 崩れ去る肉体と意識の中で妖怪がヨーコに問いかける。

「さっきも言っただろう、あんたを野放しにしたら自分にも厄介だという事、そして――」

 ヨーコは一瞬目を瞑ってため息をついた。

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「あんたの事を許さないと思った人がいた事、かな」

 ヨーコの言葉を聞いた妖怪はハッ、と目を見開いた、彼女の隣にうっすらとではあるがあざみの陰が見えたような気がしたのだ。

「こんな脆弱な妖怪と…人・・・間・・・ごとき・・・に・・・」

 恨めしげな視線と共に妖怪は砂の山となりどこからか吹く風に乗って消えて行った。

 それと同時に周りの景色も音を立てて崩れ始める。

 目の前の教室や窓の外の景色にはヒビが入り硝子のように割れ崩れてゆく、普通ならば精神世界は崩れる事なく元の世界に戻る事ができる。

 しかしあざみの身体がヨーコと融合した事、つまりそれは彼女の死を意味し、それと同時にこの世界も終わりを迎える事になったのだ。

 このままでは自分も崩れる精神世界と共に肉体が崩壊してしまう、ヨーコは満身創痍の身体を持ち上げ何とか立ちあがった。

 思うように動かない足をばねのように曲げ思いっきり高く跳び跳ねる、見上げると空の方に光が見え、ヨーコはそこをめざして飛んだのだ。

 光は元の世界への出口、つまり世界の境目である、そこに近づくにつれヨーコは意識の意識がだんだんと薄れ、光に吸い込まれるように身体が引き寄せられてゆく。

 足元ではヨーコに襲いかかるかのように世界が崩れてゆく中、目の前に光に包まれたあざみの姿があった。

「こうして人の姿で合うのは始めてね、ヨーコ。 悪気は無かったんだけどあなたの記憶の中から名前を調べたわ」

 あざみはヨーコに微笑みながら話しかける、だがそのあざみの身体も足元から徐々に消え去ろうとしている。

「答えなくてもいいわ、こうして最後に姿を現したのはあなたにお願いがあるからなの――」

 願い?

 元の世界に戻れるとしてもここまでの傷は癒えるだろうか、もしかしたら死ぬかもしれないというのにお願いなど――。

 それでも彼女は自分の命を救った恩人もある、ヨーコは黙って聞く事にした。

「私の代わりに金屋あざみとして生きて欲しいの、といっても学校に来るだけでいい。 私はもうこの世にはいなくなるから私の事、誰かに覚えてて欲しいの」

 ヨーコは遠のく意識の中であざみの願いを聞くと軽く頷いた。

 自分の頼みが聞き入られたあざみはヨーコに微笑むと光が弾けるように消え去っておった。

 そしてヨーコも光の中へ消えて行った――。

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 目が覚めるとヨーコはどこかの住宅街の道路の真ん中にいた。

 恐らくあざみの肉体が死んだ事により精神世界から吐き出されるようにどこかしらに飛ばされたのだろう。

 妖怪は死んだ、だがあざみも死んだ――。

 ヨーコの胸の内にはどこか虚しさを感じる、また自分は独りになった。

 孤独には慣れているはずだが、いつも独りになる時は誰かが亡くなった時である。

 何百年にも続く孤独――、ひょっとしたらそれにももう疲れているのかもしれない。

 そう思うとヨーコの内には虚しさと一緒に始めて感じる悲しいような感覚を覚えた、これが寂しさというのだろうか――。

 あざみは自分に看取られて死んだ、だが自分はどうだろうか。

 自分が死んだ時に誰が傍にいるだろうか、このまま誰に気にかけられる事無く消えてしまうのだろうか。

 死にたくない、今は誰か傍にいて欲しい――。

 ヨーコは傷だらけの重い身体を上げ、残りの力を振り絞り何を求めるとも無く夜の闇に消えて行った。

 

説明
色々あって感覚が開きましたが第4章をアップします
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伺か ゴースト 小説 金屋あざみ 自然科学―民俗学協会 

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