新生アザディスタン王国編 第三話 その2 |
新生アザディスタン王国編 第三話 その2
各国のシンクタンクが定期的に発行している企業格付けのレポートで、カティ・マネキンは異変に気づいた。
彼女と協業関係にある企業の評価ポイントが軒並み下落していた。
どの企業も業績が悪化したわけでもなく、財務状態も悪くない。そもそも決算期でもない時期に、不自然なポイントの変動だった。
身内のスタッフに調査依頼したところ、思ったよりも早く結果報告が届いた。送付されたファイルを開いて5分とせずに、マネキンは苦々しい表情で呻いた。
「なんということだ……」
「うわー、これは酷いッスね」
発端はネットにあった。FaceBookやTwitterといった主要SNSに大量の風評ネタが流布されており、ちょっとした祭状態に陥っていた。
「でも、こんな煽りネタなんて、ネガオタどもが騒いでるだけでしょう、放っておけばそのうち」
楽観的なコーラサワーをマネキンは咎める。
「キサマは何世紀前の人間だ? 情報がミリ秒単位で世界中に伝播する時代に、企業イメージの低下は致命傷だ」
物理的に投資家と企業の距離が隔絶している現状において、実際の企業の価値と投資家の評価が異なる例は少なくない。
「いやでも、ガセネタなんでしょ?」
「確かにそうだ。しかしこれなぞ見てみろ」
それは某工業機械メーカーのリコール記事だった。
ジンクスVに搭載されるフットペダルに一部不良品が混入し、踏み込むと戻ってこなくなるトラブルで怪我人も出ている。
「3年前の情報だ。あたかも今起こっている話題のように巧妙に偽装されている」
他にも食品メーカーの消費期限改ざんに関する内部告発や某広告会社のセクハラ怪文書など、その内容は多岐にわたる。
だがどれも精査すれば情報源があいまいで特定できない、いわゆるガセネタであることが分かる。
「ジューイッシュ・デンティスト、いわゆるイメージダウン工作だ」
画面上にショートメッセージの着信。
彼女のつぶやきを裏付ける内容だった。
メッセージには、被害にあった企業のリストが掲載され、その数は300社を越えている。
「あ、コレですよ大佐。さっき言ってたインドの会社」
今回の広範囲に展開されたイメージダウン工作により株価が下落、長期的下降が続くと見込んだ投資信託会社が、空売り目当てで安値買いに殺到していた。
「ていうか、マイナーな会社ばっかですね」
彼とて、単に秘書として何も考えずに働いていたわけではなかった。四季報を読み、企業情報に精通し、多少なりとも企業名で業界内の格付けを思い出せるようになっていた。
だから、たとえ数が多くとも、安堵してもいい被害規模であると考えたのだ。
しかし、対するマネキンの表情は厳しい。
いわゆる有名企業群が市況を牽引しているのは表向きの状況でしかない。
その背後で資金援助しているのが、堅実な経営で安定した利益を生み出す中堅企業である。安定した配当を供出する企業株を保有することで苛烈なマネーゲームの世界を戦っているのである。
有事における軍隊の運用に見立てるなら、有名企業の市場競争の現場はまさしく前線であり、それを支える資金供給経路は兵站、補給経路となる。
もちろん前線となる有名企業は強固なコンプライアンスを武器としているから、正面から戦えば莫大なコストがかかる。その点で中小企業は容易い。
今回の信用被害は、まさしく資金供給経路となる企業を狙い撃ちしたものだった。
補給経路を断たれてしまえば、前線は孤立し、いかほどに強力な部隊であっても容易く壊滅する。これを回避するには、部隊の後退しか選択肢は無い。
とはいえこれらは、戦場と仮定した話であり、現状の財源からすれば時期を置くことなく、新たに供給経路を作り出すことも可能だ。
今の供給経路を切り捨てても、それを許容できる財源があるのだ。
だが――、
マネキンのオフィスはマンハッタンの一等地で、大窓からはセントラル・パークが見渡せる。
午後の昼下がり。おだやかな陽射しが公園の緑をいっそう映えさせる。
その木陰を散歩するのは、遅めの昼休みをとるシーリン・バフティヤールCEOと出張帰りのクラウス・グラードCSOである。
携帯端末で市場情報をチェックしながらシーリンがつぶやく。
「優秀な指揮官は、部下をけっして消耗品などと考えない。だからこの局面で打てる手は一つしかない」
供給経路を支える企業は、個々の資金体力を見れば決して強くない。
一連の信用被害とそれに連なる逆買収は一つの組織によるものではなく、いわゆるゲリラ的に発生している。ゆえにマネキンの手を離れて買収されたそれらの非力な企業は、なんの補償もなく空売りを繰り返されたあげく、解体されていくのだ。
実際に被害を被るのは株屋ではない。企業の事業主は銀行からの融資を断られ資金繰りに奔走し、それでも立ち行かなくなれば、従業員は不当にリストラされ路頭に迷う。
マネキンは拳をデスクに叩きつける。
「バカモノ! こんな不毛な戦いを続けていられるか!」
彼女の思考経過を知らないコーラサワーは、ただ心配げに見守るしかないのだった。
シーリンの操作する端末の画面は、買収相手の企業ポイントの下降を示していた。マジリフ・インベストメント配下の企業ポイントは変わらず低迷しているが、買収相手企業との相対価値は上がったことになる。
「素性を知れば攻略法はあるものなのよ。優秀な戦略家だとしても、相手が分かればあとは早かった。情報源もあったしね。」
端末の画面に表示された別ウィンドウには、カティ・マネキンのプロフィールが表示されている。
内容は公開情報だけでなく、軍関係者でなければ触れられない領域の情報までレポートされている。
「敵を知り、己を知れば、百戦危うからず、よ」
そう締めくくって端末の表示を消す。
「そういえば」
それまで黙ってシーリンの話を聞いていたクラウスが口を開く。
その口調は優しげである。
「マリナ皇女殿下が本国に凱旋されるのは今日じゃないかな? 今回の件もひと段落したことだし、久しぶりに帰国してみてはどうだい?」
ワシントンD.Cでマリナを出迎えてから10日ほど経過している。この間ほぼ休むことなく事態の対処に奔走していたシーリンは、さすがに疲れを隠せない。
労をねぎらうように差し込まれたクラウスの言葉は、身に染み入るようである。
木陰の向こうの陽光に顔を向けるシーリンの表情は晴れやかであった。
突き抜けるような蒼穹と、荒涼とした大地が対照的なアザディスタン王国内陸部。
首都マシュファドから60キロほど離れた山間部に、新たな王宮が建設されていた。
城や宮殿のような王族の権威を象徴する意味合いは、今日の王宮には求められていない。王族の居所を中心として官公庁などの行政機能が集約され、規模でいえば副都心的機能を有した、近代的建築物で構成されたその区域は、もはや一つの街といってもいい。
その中で唯一シンボリックであるといえるのが、王宮の中央にそそり立つ高さ240メートルの塔だろう。
流線が美しい、見られることを意識した塔で、一国を統治する者の住まう地を象徴するにふさわしくもある。
だがこれも情報通信の基地局として機能する事を知れば、やはり王宮と称するのが妥当であるか難しいところである。
そこからさらに5キロほど離れた砂漠地帯。
荒涼とした地表を砂煙が盛大に立ち込め、上空では高速飛行によって引き裂かれた大気が白い軌跡を幾筋も描かれる。
創設間もないアザディスタン王国国防軍の演習が行われている。
さらに高高度でそれらを俯瞰する二機のアヘッドの姿があった。
通信回線では、いつになく多弁なルイス・ハレヴィ准尉がさきほどからずっと喋っている。
『変則的な編成だというのに短期間でここまで形になるとは、さすがプロですね』
『そうだな。准尉』
『しかし、我々が軍事訓練みたいなことやってしまっていいのでしょうか? キューバとかイラクだかのCIAの軍事キャンプみたいな』
『そうだな。准尉』
応じるアンドレイ・スミルノフ少尉は、分かりやすいくらい言葉が少ない。
先日、アロウズ本部にてアザディスタン王国への護衛任務の規模縮小が決定した。それに基づいて二人にも原隊復帰の命令が下ったのだ。
アザディスタン国内の情勢が安定化した、というのが表立った理由であるが、先日のマジリフ・インベストメントへの経済的包囲作戦を指揮していたのが、アロウズの現役仕官であるカティ・マネキン大佐であることを、二人がシーリンにバラした事も遠因であることを二人は知らない。
(もう、めんどくさいなー)
などと内心で愚痴るルイスは、それでも、今回の下命で誰よりも落ち込んでいる自分の上司の気を紛らわそうとする優しさは残していた。
アラート音が響いて、ルイスは表情を引き締める。
アザディスタン王国全土をカバーする全天レーダー上に、IFFに反応しない機体が一機表示されていて、領空を侵犯していた。
反射的に火気管制を操作する。
その間にもレーダーに映る正体不明機がおそるべき速度で接近してくる。体感であるがその速度は通常のアヘッドの3倍以上に感じる。
『准尉っ』
アンドレイの呼びかけがいつもの張りのある口調に戻っていることに安堵しつつ、ルイスは望遠カメラで正体不明機を目視する。
途端、彼女は強張った肩の力を抜いて、火気管制をオフにする。
「私、アノ人苦手なんですよね……」
すでに正体不明機は、おそるべき速度で接近していて、アンドレイ少尉の通常仕様のアヘッドでも視認できる距離にあった。
『……自分もだ。そもそも、どう扱っていいのかすら分からない』
そのときルイスは気づいた。
正体不明機はこちらをかすめる航路で王宮に向かっている。進路の途中では国防軍が現在演習中である。
不敵な笑みを浮かべてルイスは通信回線を切り替える。
「フーツスィートより各機へ。領空内にIFFに反応しない不審機を発見、ただちに迎撃せよ、これは演習ではない。くりかえす――」
各国遊説を終えたマリナは休む間もなく新築された王宮の視察に訪れていた。
王宮の中央塔頂上は展望台にもなっていて、視察団の姿がある。
「即位式はマシュファドで行います。王宮は交通機関がまだ不安な部分もあり、来賓の誘導に支障を来たす恐れがありますので」
かしずくサーミャが直近のスケジュールと確認事項をマリナとすり合わせている。
「それで良いと思います。せっかく来訪してくださってご不便をかけるわけにはいきません」
展望台は屋外に出ることも可能で、マリナは外の風を直に感じながら応じている。
眼下に見える街並と、その先に視界を転ずれば山間の丘陵と数少ない緑の平原が望める。それはやはり壮観であった。
「なんだと?」
背後でサーミャの不審な声が聞こえたのと、マリナが遠方に光点を見つけたのは、ほぼ同時だった。
途端、青空が影で遮られ、轟音とともに突風が巻き起こる。反射的にかざした両手で視界を覆う。
気づけば眼前に赤いモビルスーツの機体があった。
視察団のスタッフが皆呆然とする中で、マリナは表情を綻ばせた。
以前見た機体とは形状が異なるものの、旋法はあのとき聞いたものと同じだったからだ。
「国防軍か。錬度はなかなかのものだったぞ。久しぶりにお目通り願う、皇女殿下」
開いたコクピットハッチからミスター・ブシドーが姿を見せた。
相変わらずの上から目線な物言いに動じることなくマリナは笑顔で迎えた。
「久しぶりだというのに唐突ですね」
「いかにも、そのとおりだ」
ほとんど制御不能状態のジンクスVがモビルスーツデッキに進入する。
両腕、右脚部を破壊され、姿勢制御もままならない。
崩れ落ちるように着艦すると、非常用ネットに絡め取られる。
機体損傷の激しさとは対照的に、コクピット内のイワン曹長は外傷などは見受けられない。しかし、やや俯いて微動だにしない。
彼女の背後の全天スクリーンに、巨大なモビルアーマーが姿を見せた、かと思う間もなく、みるみる遠ざかっていく。
ライセンサーの一人、デヴァイン・ノヴァが搭乗するモビルアーマー・エンプラスである。
結果として、イワン曹長は彼に命を救われたことになる。
本隊の到着を待たずに壊滅の危機に晒されていた先遣隊を、モビルアーマー特有の優れた巡航性能で先行した彼が、かろうじて全滅から救ったのだった。
そう、この小隊で生き残ったのは、彼女だけだった。
先遣隊がこの有様であるので、本隊の損耗も甚大であった。
先頃のソレスタルビーイングとの衝突戦は、圧倒的な火力によって退路をこじ開けたソレスタルビーイングの戦線離脱によって幕を閉じた。
補給艦が随行していたことからも、もとより戦闘意思があったわけでもなかったのだろう。
いづれにせよ、ソレスタルビーイングの戦力が強化されたことを明確化した戦闘であった。
ガンダムの脅威は健在であり、アロウズは戦力比較の見積もり損ないを認めるしかなかった。
デヴァイン・ノヴァは機体の機動を戦闘速から巡航速まで落とす。
レーダーで周囲を俯瞰する。
おびただしい残骸と、それらから生存者を捜索するスタッフ。
エンプラスであればソレスタルビーイングの追撃も可能だっただろう。しかし命令がそれを許さなかった。
レーダーをさらに拡大し宙域を広げると、地球へ向かう艦隊の光点が表示された。
デヴァイン・ノヴァは機体進路を艦隊へ向ける。
アロウズ直轄の宇宙艦隊の一部が分割され、地上へ向かうこととなった、その護衛が彼の新しい任務である。
バイカル級航宙巡洋艦5隻で構成される艦隊で、本来宇宙軍の全体指揮統括するジェジャン中佐の部隊から分割された、いわゆる虎の子である。
「マネキン大佐は米国から呼び戻してください」
艦隊指揮官である彼は第一ブリッジの指揮官席にゆったりと腰をすえている。
「彼女は宇宙軍の指揮を執ってもらいます。そうですね、メメントモリの警備などが妥当なのではないでしょうか」
物言いは丁寧であるものの、声音の端々に冷たさを漂わせる。
「本件の対応は、私、アーバ・リントが引き継ぎます」
今回の遭遇戦よりアロウズは、対ソレスタルビーイングに特化した体制へのシフトを急ぐ。この時点で、よもやアザディスタン王国とマリナ・イスマイールに影響を及ぼすことになろうとは、誰も予想だにできないことだった。
― 続 ―
説明 | ||
順調に復興が進むアザディスタン王国。しかし世界との軋轢が露呈しはじめる。シーリン・バフティヤールが新たな戦場に赴く。マネー・ゲームという名の戦場に。シリアス路線。5話構成。文字数制限で3話のはみでた分 | ||
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