レッド・メモリアル Ep#.08「抽出」-2
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 突然鳴り響いた電話の呼び出し音。アリエルは心臓が止まりそうになった。だが、アリエルがシャーリの部下のテロリストから奪った携帯電話が鳴ったのではない。別の誰かの携帯電話が鳴り響いたのだ。

 アリエルは木の陰に隠れながら、自分が走ってきた背後を見やる。すると遠く離れた場所に誰かが立っている。

 それはシャーリだった。

 彼女が追いかけてきていたのだ。片手にはショットガンを持っており、何とも物々しい姿をしている。そして片手には携帯電話を握って誰かと話していた。

「お父様」

 シャーリが再び口走っていた、“お父様”という言葉。その言葉は何度もアリエルは聞いていた。一体彼女が何度も口に出している“お父様”とは何者なのだろう?アリエルは木の陰から顔を覗かせた。

 

 シャーリは突然かかって来た、“お父様”からの電話に動揺していた。まるで目の前にいるはずのアリエルを仕留めてやる事をとがめるかのような電話。

 まさか。“お父様”は誰よりもわたしを愛していらっしゃる。だから、わたしがアリエルを仕留めたいという事はお父様にも分かっているはず。

 だが、電話に出るなり、“お父様”はすかさずわたしに言ってきた。

(シャーリ、お前は一体何をしているのだ?)

 お父様の声からなぜか怒りが感じられる。そのお父様の口調が、シャーリをひどく動揺させてきた。

「何を?と申しますと?お父様?」

 シャーリは震える声を隠す事が出来ないままに、お父様に言った。

(レーシーから連絡があったぞ。お前はミッシェル・ロックハートが今、正にトラックの下敷きになろうかと言うときに、勝手な行動に出ているとな)

 お父様はそこで咳き込んだ。それでも怒りの声を止めようとはしない。

「そんな、お父様!わたしはただ!アリエルを。あの娘を追っているだけで!」

 シャーリは震える声でお父様に言った。もはやアリエルを追いかけている事など忘れてしまいそうだ。

(アリエルは、後でいつでも見つけることができるだろう?だが、今差し迫っているのはミッシェルだ!もし彼女を私の元に連れてくる事が出来なければ!

 この計画が一体どうなってしまうか、分かっているのだろうな?)

 お父様は再び咳き込む。それもかなり激しい咳だ。数十秒はその咳が収まらなかった。

「申し訳、申し訳ございません!お父様!」

 シャーリはそのように応えるしかできない。もしかしたら、お父様の言う勝手な行動が、お父様を追い詰めて、病状を悪化させてしまっているのではないか。そんな懸念がシャーリの中に生まれた。

(ミッシェルが助からなければ、私の命も助からん)

 やがて咳の中からお父様が言ってきた。

 そのお父様の言葉が、自分の中に何かを思い出させてくる。

 そうだ。こんな事をしている場合ではない。早くお父様の元に戻らなければならないのだ。それも、ミッシェル・ロックハートを連れて。

「お父様。もしかして、ミッシェルが」

 最悪の様相が思い浮かぶ。だが、お父様は言ってきた。

(安心しろ。ミッシェルは無事だ。レーシーが救出したおかげでな。だがお前は戻れ。今はアリエルに構っているような時ではない)

 お父様の声が幾分か和らいできている。だが、その声は掠れ、かなり無理をして声を出しているということが分かる。

「どうして!まさかお病気が!」

 シャーリは思わず森の中で声を上げた。誰に聞かれてしまっても構わない。今はお父様の事しか考えられない。

(ああその通りだ。お前の言う通り、病気が悪化している。もういつ危篤状態になっても不思議ではないようだ。さっきも意識を失っていたよ。医者がいなければ助からなかった)

「ああ、そんな!そんな!」

 シャーリは口では表しきれないくらいの言葉を連呼する。だが彼女のお父様は静かに言ってきた。

(いいか、シャーリよ。悲しんでいる暇などないぞ。お前なのだ。私の命はお前が握っているのだ。ミッシェルを早く私の元へと連れてこい。それが済んだらすぐにアリエルも探せ。我々の計画は二人にかかっているのだ)

「はい、分かり、ました」

 シャーリは嗚咽交じりにそのように答えるしかなかった。通話を切りたくない。もしかしたらもう二度とお父様と会話できないかもしれないと思ったら、とても通話を切る事なんてできない。

 だがシャーリは携帯電話の通話オフスイッチを押して、レーシーが待つ元へと戻らなければならなかったのだ。

(待っているぞ。我が愛する娘よ)

 そのお父様の声を最後に、シャーリはまるで噛みしめるかのように通話をオフにした。

 そして、顔をうつむかせたまま、森を元来た方へと戻って行くしかなかった。

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 アリエルはそんなシャーリの姿を離れた場所から見つめていた。

 彼女が何故あんなに泣きながら通話をしていたのか分からない。だが、しきりにある言葉を連呼していたのが、耳に焼きつくほどだった。

 “お父様”と。

 シャーリの言う“お父様”とは一体何者なのだろうか?

 アリエルには見当もつかない。今朝、シャーリ自身に直接言ってやったように、シャーリの両親は彼女が幼い時に死んだはずだった。

 だが、シャーリは両親の一人、“お父様”と『ジュール連邦』で再会したと言っていた。

 その“お父様の事を言っているのだろうか?

 シャーリが“お父様”の事を想っているように、アリエル自身も、お母様、つまりミッシェルの事を想っている。

 だから、シャーリが“お父様”の元に母を連れていこうとするのならば、アリエルも彼女達が何をしようとしているのか、知る必要があった。

 ここで逃げたとしても、いずれシャーリ達は私の元へとやって来るだろう。そして、母と同じように自分を連れ去ってしまうのだ。

 アリエルは、シャーリを追わないわけにはいかなかった。だが、このまま歩いて追いかける事は出来ない。

 それは分かっていたから、今、携帯のナビシステムが示している国道のポイントにまず向かう必要があった。

 彼女はシャーリとは逆の方向へと駆け出していく。

 今、アリエルには、母親を何としてでも救出したいという、確かな決意があった。そして、シャーリが何故自分達を狙っているのかという疑問が、さらにその感情に拍車をかけていたのだ。

 

《ボルベルブイリ》『国家安全保障局本部』

9:02 A.M.

 

 セルゲイ・ストロフは『ジュール連邦軍』からかかって来ていた電話の応対をしていた。

 テロリストを逃してから数日、国内テロ組織の確かな証拠を掴む事も出来ず、ただ卓上での捜査に明け暮れていたストロフだったが、ここにきてようやく進展があったのだ。

「『タレス公国軍』が、『チェルノ財団』について調べている、だと」

 ストロフは『ジュール連邦軍』の、対外諜報を指揮する大佐からの電話に出ていた、彼のもたらしてきた情報を知り、ストロフはすぐに目の前にあるコンピュータを使い、大佐が送って来たメールもチェックする。

 そこには、『チェルノ財団』の帳簿情報が表示されていた。

(どうも、『チェルノ財団』には東側諸国との繋がりがあったようだ。帳簿を見てみろ。この東側にはまだそんなに金があったのかと、驚くぞ)

「これは」

 大佐が見せてきた帳簿の情報に、ストロフは思わず息を呑んだ。

 ただの帳簿ではない。まず0の数が尋常ではなかった。天文学的ともいえる数字が帳簿には並んでいる。

 この国の国家予算をも上回る金額がやり取りされている。それも、国内の組織と東側の会社との間で。

(西側、『タレス公国』の会社は知っているな?《グリーン・カバー》だ。つい二日前に、不正な武器開発をしていたとして摘発された会社だ。『チェルノ財団』は、この会社と多額の取引をしていたと思われる)

「厄介な事になったな…。もし『チェルノ財団』が、『タレス公国』側から不正に武器密売をしていたとなると」

 ストロフは歯を噛みしめながら言っていた。まさか自分達の知らない間に、これほどの金額がやり取りされていたなど知らなかった。

(今の我が国と『WNUA』側の現状を考えれば、戦争の危険さえ考えられる。現にこんな金額でやり取りするものと言えば何だ?戦術核兵器か?生物兵器か、化学兵器か?様々に考えられる)

「この情報は、もう『タレス公国軍』が掴んでしまっているんだろう?我々よりも先に掴んでいる。もみ消しようが無いぞ」

 国にとって不利になる事はもみ消す。それこそストロフの仕事の一つだったが、すでに漏れ出してしまった情報はどうしようもない。

 しかも漏洩先は他国の軍なのだ。口封じだってしようがない。

(“『チェルノ財団』が独断でやったことで、我々の国は何も関与をしていない”という事が分かれば、『WNUA』も戦争はしたくないはずだ)

「だが、ここ昨今のテロ活動もある。あれも、もしや『チェルノ財団』がやらせているんじゃあないのか?」

 ストロフが深刻な面持ちとともに言うと、相手の大佐はすぐに返答してきた。

(その線が濃厚なのは間違いない。だが、『チェルノ財団』に、我が国がやらせているとしたら?)

「まさか。そんな事があるはずがない。我が国は、東側との戦争は本気では望んでいないぞ!」

 ストロフは思わず声を上げて言った。

 隠れて電話をしているわけではない。同じオフィスに勤める部下達が彼の方を向いてきたが、それはいつもの事だ。

(だが、『WNUA』はそうさせたがるだろう。何かしらの理由を付けて、我が国の責任にするはずだ。

 もし、東側の国でこれ以上のテロが続いてみろ。戦争を仕掛けてくるのは向こうだ。正義のための報復攻撃から戦争が始まる。今、向こうが仕掛けてこないのは、理由が無いからだ。国民を納得させる確固たる理由が無ければ、大義名分ある戦争はできないだろう?)

 大佐は言ってきた。だがストロフは苛立ったように答えた。

「それで、俺に一体何をしてほしいと言うんだ?」

 今ではストロフが皆の注目を集めてしまっている、国家安全保障局の諜報部署の内部。彼は、机を指でたたきながら尋ねた。

(『チェルノ財団』と我が国の政府、軍部に繋がる全ての情報を消せ。今からでも遅くはない。それと、『チェルノ財団』の捜査は『タレス公国』側ではなく、我々がやるんだ。きちんと捜査をしてテロリストを暴いたと言う誠意を見せれば良い)

「ああ、言われなくてもそうしておくさ」

 と、ストロフは答えた。彼は目の前に山積みになった仕事を、まずはどれから片付けていこうかと考え始めるのだった。

 

 アリエルはバイクに跨り、別のトラックに乗り換えたシャーリ達を追いかけていた。

 さっき、シャーリの部下から奪った携帯電話でナビシステムを呼び出したのは、バイクのリモートコントロールをしたかったからだ。

 シャーリ達のアジトのフェンスの外に、ばれないように隠していたバイク。それをリモートコントロールで自分の場所まで戻したのだ。

 西側の国では、このリモートコントロールによって、バイクの紛失や盗難が大幅に減ったのだと言う。だが、東側のこの『ジュール連邦』ではあまり普及していない。アリエルが使ったのも、西側の国のバイク会社のβ版の試用機能だった。

 だが、バイクはきちんとアリエルの元へと届いた。

 どこも傷ついた様子はないし、乗り手を乗せず、単独で走って来る割には操作ミスをして、横転したりはしない。

 むしろナビシステムに頼った方が、バイクの操作はずっと楽だし、バイクごとの位置情報は常に把握されているから、交通事故だって起こさない。全自動のバイクを、まるで公共機関の乗り物のように利用する人だって、西側の国にはいる。

 ただアリエルがそれをしないのは、自分のテクニックを使ってバイクに乗りたいがためだ。そして今は、このバイクを自分で操作してシャーリ達を追いかけている。

 シャーリ達はどこへ向かうかは分からなかったから、アリエルはバイクを疾走させて彼女達を追いかけるしかなかった。

 バイクで1、2時間ほども追跡したころだろうか、シャーリ達を乗せたトラックは、一つの町へとたどり着いていた。

アリエルはバイクのヘルメット内に表示されるナビシステムの地図を確認する。《ボルベルブイリ》からおおよそ150km離れた場所の町だ。

《アルタイブルグ》と名が付いている。アリエルがまだ来た事がない町だった。

テロリストのトラックは2台。シャーリ達の仲間がやって来て、シャーリと母を乗り換えさせたトラックと、護衛のトラックが1台付き、《アルタイブルグ》の町の中を、一定の速度で走っている。

時速50km。目立ちもせず、騒音も立てない。だがトラックは黒塗りだったし、軍用で使えそうなトラックだから、物々しさは醸し出している。

だが、この町の住民はトラックにさして関心を払っていない様子だった。

首都《ボルベルブイリ》と同じで、この町も大分荒廃してしまっている。今では『ジュール連邦』全土の町に、冷たい風が駆け抜けていた。それは不況であり、貧困の風だ。

シャーリ達は周囲の注意もひかず、《アルタイブルグ》の町をトラックで走り抜け、町の反対側にやって来た。

町の中心地からは離れており、再び郊外としての姿が強くなってくる。

2台のトラックはやがて通りを離れて、郊外の開けた場所に建っているある建物へと向かった。

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男は自分のベッドの前に表示された一台のモニターを見つめていた。

そのモニターには、男の娘が持っている発信機の位置を表示するポイントが示されている。先ほどまでは《ボルベルブイリ》近郊地帯まで拡大しなければ表示する事ができなかったポイントだが、現在は《アルタイブルグ》の町の地図だけで、娘の位置を確認することができるようになっていた。

 男がじっとモニターを見つめていると、病室の扉が開き、そこに彼の秘書が姿を見せた。

「失礼します。お嬢様がもうすぐお見えになるようですが、お出迎えになりますか?」

 と言ってくる秘書。男は彼の方は見ずに呟いた。

「そうしたいが、この体では動く事も出来ん。ベッドごと移動させるのは手間がいるだろう?外の連中にこの姿を見られたくはないのでな」

 男はそのように呟くと、目の前に表示させているモニターのポイントが、中心にやって来たのを知った。

 この病院に、ようやく娘が到着したのだ。世界の表と裏ほどではないとはいえ、遠く離れた場所にいた娘が、ようやく自分の元に帰ってこようとしている。

 病気に蝕まれ、もはや余命いくばくもない体ではあったが、どうやらまだ活力が戻ってきそうだ。

 娘が自分の元へと戻ってくる。これだけでも立派な特効薬になりそうだ。もちろん、彼女が病気を完治させることはできない。

 だが、生きる希望は出てきた。娘はそのために必要なものを私の元へと届けに来たのだ。

 

 シャーリはようやく病院へと戻ってくる事ができた。この病院を訪れるのは、毎日ではなくほぼ1週間おきくらいに来ることしかできないでいた。

 学校に通う必要があったせいだ。自分がテロリストだと思われないために、上手く普通の女子高生として振る舞い続ける必要があったのだ。

 だが、もはやそのような事をする必要などない。何しろ、お父様の元に戻ってくる事が出来たのだから。

 シャーリ達のトラックが病院につくと、トラックの中にいる彼女らは、すぐに救命救急センターの中から中へと通された。

 そう。救命救急センターから中に入るのが一番いい。

 なぜなら顔を見られずに済むからだ。病院の中には、お父様以外にも病院の患者が多くいるが、そこへと物々しい武装をしたままテロリストたちがやってくれば人目を引いてしまう。

 だから、救命救急センターから、顔を知っている医師や父の部下達の導きで中には向かった方が良いのだ。

 救命救急センターに乗り付けたシャーリ達は、ミッシェルを乗せた担架を下ろし、そのまま病院内へと入って行く。

 ミッシェルは部下に見張らせたまま、シャーリはレーシーと共に、他の患者からは知ることができない場所にあるエレベーターを使い、お父様のいる階を目指した。

「ねえ、シャーリ」

 エレベーターの中で、レーシーが不安げな顔をシャーリへと向けてきた。

「お父様は、わたしたちを褒めてくれるかな?良くやったって?」

 と、レーシーが言ってくる。彼女の不安は、その瞳が潤んで震えている事からも明らかだった。

 シャーリは感じていた。この娘がお父様に感じている不安は、自分のものと同じだと言う事を。

 シャーリ自身も、お父様に褒めてもらえるかどうか不安だった。そして、彼女にとってはそれだけが生きがいだったのだ。

「大丈夫よ。きっとお父様は褒めてくださる。だって、あのミッシェルをちゃんと連れてきたんだから」

 と言って、シャーリはレーシーをなだめた。

 だが、実際のところ、シャーリは褒めてもらう自信なんてどこにも無かった。自分の感情に逆らえなかったとはいえ、お父様には勝手な行動を何度も叱責されたのだから。

 やがて、長い時間に感じられたエレベーターは静止し、シャーリ達はお父様の病室がある階に出た。

 そこは特別病棟で、限られた病人しか入院する事ができない病室だった。

 シャーリ達は面会人の二人を装って通路を歩き、お父様のいる病室を目指す。

 お父様の病室は、他の病室とは離れた場所にある。これも、お父様にしかできない事だった。

 お父様は、この病院を取り仕切る存在でもある。病院の中でできない事なんてない。

 シャーリは、レーシーと共にお父様の病室の前までやって来た。

 入口の前には秘書が一人いる。そして、他の入院患者は知らないだろうが、入口の前の椅子には護衛もいた。

 彼は黒いジャケットを来て背の高い男だったが、懐に銃を忍ばせている事をシャーリは知っている。

「シャーリ様。お待ちしておりました」

 お父様の秘書も、護衛もシャーリとは顔なじみだった。秘書はそのように言ってくる。

「お父様の容体はどうなの?」

 すかさずシャーリは聞き返す。今のシャーリの興味はそれしかない。すると秘書は顔を伏せ、まるでシャーリの表情を伺うようにして話し始めた。

「良く、ありません。実は、今日も何度か発作に襲われています。医師の話では脳の腫瘍がどんどん拡大していて、よく意識があるものだと言っているほどでして」

「お父様。そんな!」

 シャーリは顔を伏せてまるで噛みしめるように言った。

「あなたのお父上が今も生きているのは、奇跡に等しいと。もう一刻の猶予も無いかもしれません」

 と言って、秘書はシャーリの顔を見つめた。

「お父様に会わせて」

「はい。ただ今」

 と言って、秘書はお父様の病室の扉を開いた。扉を開いた直後から、病室内の電子機器の一定のリズム音が聞こえてくる。

 病室の中心には、大きなベッドがあり、そこには幾つものチューブに繋がれた、一人の男が横たわっていた。

 シャーリは思わず口を押さえそうになった。そのチューブにつながれ、まるで枯れ木のようにやせ細った姿こそ、まさにお父様だった。

「あ、そ、そんな」

 生きているのが不思議なくらいだった。最後に会った時、お父様はベッドの上にはいたけれども、まだ体の肉付きはあったし、もっと元気だったはずだ。

「そこにいるのは、シャーリか?シャーリなのか?」

 お父様の声が聞こえてくる。電話で話していた時の声に比べて、かなり弱ってしまっている。

「は、はい」

「お父様?」

 シャーリがお父様の声に答えた直後、レーシーがきょとんとした顔を見せ、シャーリの背後から言ってきた。

 レーシーはお父様がどんな状態でいるのか、良く知らないのだ。シャーリはあえて、幼いレーシーには何も言わないで来たのだ。

「お父様!」

 レーシーは、お父様の病気の事など知らず、いきなりベッドの上のお父様に近寄った。

 シャーリが泣きそうな顔でお父様の方を見つめている事なんて、まるで気にもしていないかのようである

「お、おお…、レーシーか…。見ないうちに、大分、大きくなったな…。シャーリと共に良くやったと聞いている。良い娘だ」

 本当は手を伸ばし、レーシーの頭を撫でてやりたいのだろうか?だが、今のお父様には手を伸ばすことさえできない。

「シャーリ。お前もだ。良くやってくれた」

 顔を上げてシャーリに向かって口を開いてくるお父様。だが、シャーリは黙ってお父様に頷くしかなかった。

「お父様。ご病気なの?」

 レーシーがお父様に向かって言った。

「あ、ああ…。だがな、すぐに良くなる。お前達がミッシェルをここに連れてきたお陰だぞ。私の病気もすぐに良くなるのだ」

 と、レーシーと自分を安心させるかのようにお父様は言った。

 確かに。それが目的であのミッシェルをここに連れて来たのだ。だから、お父様は必ずご病気が治るはず。シャーリは自分にそう言い聞かせた。

 しかしそれでも、今目の前にいるお父様の姿を見ていては、とても安心することなどできなかった。

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 ミッシェル・ロックハートが目覚めた時、彼女は自分がどこかの手術室にいる事を知った。

 自分の下に敷かれているのは非常に冷たいベッドだ。しかもベッドなどと呼べたものではない。自分は冷たい台の上に寝かされていたのだ。

 それも、いつの間にか手術着のようなものに着替えさせられている。ここで起こっている事は一体何なのか?それはミッシェル自身にも分からなかった。

 ミッシェルは体を起こそうとしたが上手くいかない。どうやら硬く手術台に拘束されてしまっているようだった。

 だが、『能力者』としての『力』を使う事ができれば、この拘束から逃れる事ができるかもしれない。ミッシェルはそう思い、自分の力を集中させた。

 どうせここで自分にされる事はろくでもない事だ。自分はテロリストによって誘拐されたのだから、テロリストの目的に利用されるにすぎない。

 しかし、上手く『力』を使う事が出来ない。

 手はプラスチックバンドによって拘束されているだけだったから、ミッシェルの本来の力さえあれば、その拘束から逃れることができるはずだった。プラスチックバンドなど簡単に引きちぎる事ができるはず。

 しかしながら、プラスチックバンドは引きちぎる事が出来ない。余計に手足に食い込んでしまうばかりだ。

 その時、部屋に何者かがやって来る物音が聞こえてミッシェルははっとした。

 顔を横に向けてみれば、手術室の扉から、医師の格好をした者達二人が入ってきていた。

 彼らは何かを話している。

「まさか。本当にやるのか?あのお方のお体では、とても耐える事ができない手術になるぞ」

 一人の医師が驚いたかのような声でそう言っていた。

「ああ、耐えられないだろう。これは危険な賭けだ。だが、そのために彼女がいる。彼女の『能力』を使えば、あの方を危険な手術から生き延びさせる事ができる」

 二人の医師が自分の元に近づき、顔を覗きこませた。

「目が覚めたのか?」

 一人の医師が言ってきた。

「ここはどこ?あなた達は何者?わたしに何をしようとしているの?」

 ミッシェルは立て続けに三つの質問を投げかけた。

 二人の医師たちは台の上にいるミッシェルの上でお互いの顔を見合せた後、ミッシェルに顔を覗きこませて答えた。

「ここは病院で、私達は医師だ。これから、私達の上司の手術をしようとしている。その為には君の協力が必要だ」

「嫌よ。誰があなた達なんかに協力するものですか」

 ミッシェルは即答していた。だが、手術のためにここに連れてこられたと言う事は、彼女にとっても予想外な事だった。

 ここに連れてこられた理由は、もっと暴力的なものだと思っていたからだ。

「何故、私が手術に必要なのよ?」

 とミッシェルは質問する。医師たちは何かの準備を始めているらしく、ミッシェルには構っていられないようだったが、彼女は背後から質問を投げかけた。

「自分の、『能力』が何たるものかは知っているだろう?」

 医師の内の一人はミッシェルの方を振り返らずにそう言ってくる。

「あなた達テロリストが使いたがるような『能力』とは違うわ!」

 ミッシェルは声を上げたが、どうやら医師たちは聞く耳を持たないようだった。

 

「できれば、手術が始まる前に、ミッシェルに会っておきたい。彼女の同意が求められるなら、その方が良いだろう」

 突然、お父様が言ってきた言葉に、シャーリは驚かされた。

「お父様…。今、何て?」

 お父様が横たわっているベッドに寄り添うようにしていたシャーリは、お父様がゆっくりと口を開き、言葉を発している姿を目の当たりにする。

 口を動かすことさえ、今のお父様にはとてもつらそうな事だ。

 そこまでして口を開いて発せられた言葉。それは以上に重要な意味を持っている。

「できれば、この手術は同意の元で行いたい。それは医師としての務めだ。どんな手術であっても、同意の元で行いたい」

 だがシャーリは、

「だ、駄目です。お父様。ミッシェルは非常に危険です!彼女は我々に対して敵意を抱いています。もし、お父様と引き合わせようならば!」

 だが、そんなシャーリの言葉を遮るかのように、お父様は言ってきた。

「なに。彼女と会話をするのは今回が初めてじゃあない。それに、鎮静剤を投与してあるから手出しはできないようにしている」

「ですが」

 とさらに言うシャーリだったが、

「手術室で構わん。会って直に会話ができるようにしたい」

 お父様は更にシャーリを説き伏せるかのように言い、シャーリはそれに従うしかなかった。

「はい」

 まるで機械の受け答えであるかのような言葉と共に、シャーリは答えるのだった。

 

 シャーリ達が入っていった、この病院のような建物は何だ?と思いつつ、アリエルはバイクで建物へと近づいていった。

 最初は無機質な建物で、病院のような何かの建物、としてしか見えなかったアリエルだったが、近づくにつれ、その建物が本当に病院である事が明らかになって来た。

 病院の名前は、『チェルノ記念病院』というらしい。名前も知らない病院だったが、どこかで名前を聞いたことがあるような気もする。

 もしかしたらテロリストのアジトなのではないかと思ったアリエルだったが、病院がテロリストたちのアジトとはどういう事なのだろう?

 少し考えにくかった。

 だが、シャーリ達が母を連れ去った病院であることには間違いない。病院の中には母が必ずいるはずだった。

 アリエルはバイクを近くの建物へと停車させ、目立たないように徒歩で病院へと近づいていった。

 病院は、確かに病院でしか無い。カモフラージュしてテロリストのアジトになっているわけでもないようだ。

 確かに病院の来院者らしき人物が多くいるし、医師の姿さえ見かける事が出来た。

 病院の裏庭でシャーリ達が乗って来たトラックが停車している事を見つけるまでは、アリエルもここに本当にシャーリ達が来たのかと、疑ってしまうほどだった。

 アリエルはシャーリ達の乗って来たトラックの周りに、彼女の部下らしき人物がまだいる事を知った。

 シャーリは間違いなく母を連れてこの病院の中へと入っていったのだ。

 もしかしたら、彼女の言う“お父様”がこの病院の中にいるのではないだろうか?シャーリの“お父様”が医師なのか、患者なのかは知らなかったけれども、どうやら潜入する意味がありそうだ。

 母も間違いなくここにいる。

 そう確信したアリエルは、病院の裏口から、院内へと飛び込んでいった。

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 お父様は、ベッドごと搬送するだけでもかなりの手間を有した。

 元々お父様の体は大柄であった事もあるのだが、ベッドは大きく、またベッド上にいるお父様を不用意に刺激してもいけない。

 数人の看護士の付添、更にはシャーリとレーシー、護衛と共に、お父様は搬送されていく事になった。

 大型のエレベーターで下の階にある手術室へと向かいながら、お父様はその病気に蝕まれている体ながらも、恍惚とした表情を浮かべていた。

「素晴らしいと思わんか?シャーリよ」

 お父様は、シャーリに向かって突然言ってきた。彼は無理をしつつも自分のベッドから手を伸ばして、シャーリへとそれを伸ばしてきていた。

 シャーリはそんなお父様の手を取ると握り締め、答えるように言った。

「素晴らしい、何がでしょうか?」

 と、シャーリはお父様の手を握りつつ尋ねた。

「私が、ミッシェルの『力』によってこの病を治すことで、計画を進める事ができるようになるのだ。

誰かの力によって、他の命が救われる事は素晴らしい事だ。それも、それが、結果的にさらに多くの人々を救う事ができるのならばな…」

 お父様は再びその言葉を口にしていた。もう何度となくシャーリの前で繰り返されて来た、その言葉を。

「わたしは、お父様のご病気が治るだけで、素晴らしい事だと思います」

 シャーリがそう言った所で、お父様達を乗せたエレベーターは手術室のある階に到着した。

 即座に看護士達によってお父様を乗せたベッドは、手術室の方へと向かう。手術室は、他の患者は立ち入ることができない特別な場所にあって、そこは他の病院の医師であっても入る事が出来ない場所でもあった。

 シャーリ達はその手術室の手前で待たされた。手術室の中にはすでに一人の女と二人の医師がいる。

 女は、ミッシェルだった。

 手術室の前に出されているシャーリ達からは、中の会話を聞く事は出来ない。

 

 その男は、ミッシェルの横へとベッドを並べられると、顔を横に向けて話し始めた。

「ミッシェル・ロックハート。お久しぶり」

 しわがれた声と、かすれた声、そしてその老木のような容姿からして、病に侵され、もう長くはないであろう男。

 ミッシェルは、この男を初め、知らない男かと思ったがそうではなかった。老木のような姿になってしまっても、この男には確かに面識がある。

「あなた…。あなたなのね…。こんな事を自分の娘、あの子、シャーリにやらせているのは」

 ミッシェルは自分の体の中に鎮静剤が回っている事を知っていた。だがそれでも男に向かって声を上げる。

「鎮静剤が体に回る事を、本来の君ならば、拒否することができる。

 “解毒”だろう?君が持っている『能力』は…」

 ベッドに横たわった男は、ミッシェルに向かって言ってくる。その言葉は、まさにミッシェルにとって図星だった。

 娘、ミッシェルにも明かしていない『能力』の秘密だったが、この男には知られてしまっている。どこから情報が漏れ出したのか。

「その解毒の『能力』によって、君の体には本来ならば、鎮静剤のようなものは通用しない。もしウイルスや腫瘍など、正常でないものが入ったとしても、簡単に消去してしまう事ができる」

「ええ、良く調べてあるわね。でも、残念な事に、この『能力』は自分自身にしか通用しないものよ。他の人物に対して使う事は出来ないわ。例えば、あなたのような病人に対しては…、ね」

 ミッシェルは自分の横に横たわっている男の意図を察知し、そう言った。

 だが、手術台に寝かされ、今にもその命が失われそうな男は言ってくる。

「その点なら心配は無用だ。今現在、君の『能力』は抑制されている。何故だかわかるかね?君はシャーリ達と、君の娘と共にアジトへと向かっただろう?そこで脳にある処置をされたはずだ」

 男は、これも老木のような指を突き出し、それをミッシェルの頭の部分に向けて言ってきた。

「我々は、『能力』を人間がどのようにして使うのか、ほぼ解明している。人間の脳のどの部分が活動を活発にし、『能力』を発揮することができるようにしているのか、全て把握しているのだ。

 だから、君の脳の一部の機能を低下させ、“移植”しやすいようにした目的もあるのだ」

「“移植”ですって?まさか、脳の…?」

 鎮静剤で頭がぼうっとなりつつも、ミッシェルは驚かされた。

「一般的な世界では、まだ前例も無い事かね?しかし裏の世界では、すでに頻繁に行われている事だ。私も試験的に行ってきたが、まさか、自分自身にやる事になるとは思っていなかったよ」

 と、男が言うと、ミッシェルは歯を噛みしめながら言葉を発した。

「そのため、なのね!あなたは、自分の脳の病気か何かを治療するために、自分の娘にこんな事をしでかさせたというの!

 アリエルも襲って、私を拉致するために、彼女も巻き込んでひどい事をさせた!それが父親が娘にさせる事?あなた、あのシャーリはあなたに盲目的に従うようになってしまっているわ!恐ろしいテロリストになり下がっているのよ!」

 ミッシェルがそこまで言うと、男は激しくせき込んだ。それはミッシェルが言った言葉がショックになったと言うよりもむしろ、突発的に起こった咳のようだった。

 激しくせき込むその様相からは、死の匂いをはっきりと感じることができる。この男は間違いなくもうすぐ死ぬ。それがミッシェルにははっきりと分かった。

 だが、同情する事などできるだろうか?自分自身が生きながらえたいために、娘を使って、自分をここに連れてきて、脳の移植をしようなど。

「脳の病気は…、脳腫瘍だ。実は、私の『能力』が脳腫瘍を作ってしまった…。自業自得と言えば、自業自得なのかもしれないな」

 男は咳の中から言葉を並べた。

「あなたも、『能力者』なの?」

 ミッシェルがそう言った時、彼女の目の前には医師の姿が立ち塞がった。そして、腕に繋がっているチューブの中に注射器を差し込む。どうやらそれは麻酔であったらしく、ミッシェルは一気に薄れていく意識を感じた。

 もし、脳の移植などされてしまったら、自分はもう生きてはいられないのかもしれない。まだ、義理の娘のアリエルに会いたかったのに。

 やり残したことが無いと言ったら嘘になる。だが、無情にもミッシェルの視界は黒いカーテンの中に包まれていってしまった。

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 やはり、ミッシェルの同意を得る事は出来なかったようだ。“お父様”は、彼女に同意をさせた上で手術をしたいと言っていたが、自分の脳を喜んで差し出すような人物が果たしているだろうか?

 もちろん、自分だったら差し出してもいい。最愛の“お父様”の為だったら、自分の命を差し出してやっても良いだろう。

 だが、自分では何もすることができない。それは、自分が病気を治す力など有していないからだ。

 お父様のために自分がすることができるものは何もない。そう、ただ死にゆく“お父様”の姿を見ていることしかできないのだ。

 だが、ミッシェルによってそれは変わるだろう。

 医師達は、この手術が何時間にも及ぶものだと言っていた。だが、シャーリはこの場を離れるつもりはなかった。

 レーシーと共に、この場で見守るつもりだった。

 お父様に麻酔がかけられようとしている。手術が成功すれば、お父様は再び目を覚ますだろうが、もし手術が成功しなければ、お父様はもう眼を覚ます事は無い。ミッシェルと共に死ぬだけだ。

 シャーリが自分を落ち着かせるようにして、じっとしていようと心に誓おうとした時だった。

 突然、手術室の扉が外側から開かれ、そこに一人の人物が現れた。

 アリエルだった。彼女は相当に焦った様相を見せており、息を切らせていた。両腕から突き出した刃からは、血が流れている。それはアリエルの血ではない。おそらく、外に立たせていた見張りのものだろう。

 アリエルの『能力』の前では外の見張りの銃など、何の役にも立たなかったようだ。

「シャーリ!お母さんは?」

 また、お母さんなどと言ってきたな?とシャーリは呆れていた。アリエルは自分の姿を見るなり、どんどん迫って来た。

「あのまま、わたし達から逃げていればよかったのに。どうしてあんたは、いちいちわたしに突っかかってくるのかしらね?あんたが来なくても、わたしからいつでも行ってあげるっていうのに」

 半ばあきれたような声でシャーリは言った。だが、内心は彼女にここから消えて欲しかった。

 何しろ、今から“お父様”の手術が始まろうとしているのだから。

「お母さんを返して!」

 アリエルが必死の様子で言ってくる。だが、シャーリは手術室の前に立ち塞がり、アリエルを中に入れるつもりなどなかった。

 まして、彼女に義理の母親を返すつもりもない。

「駄目よ。これからあなたのお母さんは、わたしのお父様に大切な事をするのだから」

 と、シャーリは言い放った。

「大切な事って、一体何なの!」

 アリエルは声を上げて言い放った。しかしシャーリは顔を苦笑させているだけでアリエルの前に立ち塞がってやっていた。

「お父様の病気を治すために、大切な事なのよ。これ以上あんたに邪魔をさせるつもりなんてないわ。今すぐこの部屋から出て行ってもらうわよ」

 シャーリは言ってやった。しかしその直後、しびれを切らしたかのようにアリエルはシャーリの体を突き飛ばして、手術室の扉を強引に開いた。

 アリエルは、今まさに手術が行われようとしている手術室の中へと入ってしまう。

 もしお父様に傷つきでもしたら?シャーリは手術室の中へと入っていくアリエルを抑えなければならなかった。

「おい!何だお前は?」

 手術室の中にいる医師が言ってきた。だが、アリエルはその右腕から突き出した、彼女自身の『能力』で生み出されたブレードを突き出す。

「お母さんを返してもらうよ!」

 医師は手に持っていた医療器具を思わず落としてしまっていた。両手を上げて、抵抗ができない様子を見せる。

 次いで背後からシャーリはショットガンの銃口をアリエルの背中に突きつけようとした。この娘は一体何を考えているのだ?シャーリは思う。

 例えこんな風に乗り込んできたとしても、自分達に取り押さえられるのがオチなのに。

 母親を失うともなれば、周りも見えなくなってしまうと言うのか?

 だが、シャーリもお父様を危険にさらそうとするアリエルを許すつもりはなかった。

「もうよい。やめておけ、シャーリよ」

 手術台の上からお父様が言ってきた。お父様は相当に弱ってしまわれていて、とても生きている人間からの声とは思えなかった。

 ちょうど麻酔をかけるところだったらしく、まだ意識はあるようだ。

「しかしお父様」

 シャーリは言ったが、お父様は目を閉じたまま声を出す。

「よいのだ。シャーリよ。彼女は私を傷つけるような事などしない!」

 と答えた所で、再びお父様は激しくせき込んでしまっていた。

 

「いいか?彼はこのまま手術をしないと死ぬ。容態は1時間後に悪化するかもしれないし、今かもしれない。こうしている場合ではない!」

 アリエルは、自分がたった今刃を突き出している、医師の姿をした人物に言われ、すぐ横の手術台に寝かされた男、そして自分の義母の姿を見下ろした。

 義母の方は麻酔か何かで眠らされており、意識が無いようだった。手術台の上に寝かされている。これから何か処置をされようとしているのだろうか?

 一方、男の方の姿を見て、アリエルは思わず息を呑んだ。

 その男はまるで朽ちかけた樹木のような様相になっていて、顔や腕、どうやら全身から肉がそげ落ちてしまったかのようになっている。

 手術台から足がはみ出すほどの長身のようだったが、顔はくぼんでおり、まるでミイラのような姿をしていたのだ。

「待て。私ならまだ大丈夫だ。それよりも、話をさせてくれないか?」

 男はしわがれた声を出しつつ医師の方に向かって言った。

「しかし」

「良いのだ。もしすぐに死ぬようだったら手術には耐えられまい」

 と男は言った。手術と言った。手術っていったい何だろう?この男は不治の病にでも冒されていて、それを手術で治そうとしているのだろうか?

「シャーリ。お前もだ。銃を下ろせ」

 男はシャーリに向かって言った。

「ですが、お父様」

「いいのだ!下ろせ」

 シャーリのお父様は、声を荒立たせ、シャーリに銃を下ろさせた。この今にも死にそうな男が、シャーリのお父様だと言うのか?このお父様のために、シャーリは自分達を捕らえようとしていたのか?

 しかし、一体何の為に?

「アリエルよ。こっちに来てくれ。その顔をよく見せてくれ」

 男は、アリエルに向かってそのように言って来た。だが、アリエルには何が何だか分らなかった。

 何故、この男は自分の事を知っているのだろう?自分は、シャーリの父親と面識などなかったし、こんな男は知らない。

 だが、男は手を伸ばしてきた。まるでアリエルの事をずっと前から知っているかのように。

 アリエルは、恐怖さえ感じた。この男は今にも死にそうな姿をしているのに、自分に向かって手を伸ばしてきている。

 だが、不思議とアリエルもこの男を知っている気がした。

「我が娘、アリエルよ。その顔をもっと見せてくれ」

 と、男はしわがれた声で言ってきた。

 その言葉にアリエルは動揺する。今、何と言った?まさか、娘なんて言っていないだろうな?私の事を娘、だって?

「ど、どういう事!あなたは一体誰なの?」

 突如、男が言ってきた言葉にアリエルは激しく動揺する。

「私はお前の父親だ。アリエル」

 手術台に寝かされている男は、はっきりとした言葉でアリエルに言った。

 アリエルにとっては、まるでそのまま倒れてしまいそうなほどに唐突な言葉だった。

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 アリエルは、手術台に横たわっている男から、自分自身が父親だと明かされ、動揺していた。

 彼女は動揺し、突然の出来事で、周囲の状況さえも現実味が感じられないほどに動揺してしまっていた。母を救い出すためにここまでやってきた彼女だったが、突然の出来事にショックさえ感じてしまっていた。

 アリエルはただされるがまま、手術室からシャーリによって連れだされていた。

 シャーリは何度もアリエルにショットガンの銃口を向けたてきたが、今度はただアリエルを外へと連れ出しただけだった。

 アリエルが抵抗でもしようとしたらどうしたのだろうか?その時はシャーリも力ずくで彼女を取り押さえただろう。

 だが、アリエルは抵抗しなかった。

 シャーリと、彼女の傍らにいる、ジュール人形のような姿をした少女、レーシーと共に、シャーリを手術室のある待合場所のような場所に座らせた。

 そこには、アリエルがここに乗り込んで来た時に、倒したシャーリの仲間が倒れていた。待合室にはまた別のシャーリの仲間が現れていたが、シャーリはその者達に冷たい視線を向けると言った。

「片付けときなさい」

 仲間の命をアリエルが奪ったと言うのに、彼女はただそう言うだけだった。

 シャーリの仲間、と言うよりも部下らしき男達は、倒れて血を流している仲間たちを、まるで物でも扱うかのように引っ張って連れ出していった。

「あたしの仲間を殺したのね。でもいいや。どうせ、生きていても仕方のない奴らばかりなんだから」

 シャーリはまるで一切の感情を込めないかのような声で言ってしまった。だがそれは、今のアリエルにとってはどうでもいいこと。

 シャーリは待合室のいすに座らされたアリエルをじっと見つめてくる。

「あなたはどうかしら?アリエル」

 と、シャーリは言って、彼女はアリエルを見下ろしてくる。

「あなたは私のお父様の、大切な娘の一人なのよ」

 シャーリにそう言われても、アリエルにとってはまるで実感がわかなかった。

 何しろ、アリエルは生まれてから今まで、父親と言う存在と出会った事が無い。シャーリは必死にお父様、お父様と、自分の父親を慕っていたが、アリエルにとってはそのような感情は生まれてこなかった。

 突然、父親が今で会った男だと知らされても、それは、全く実感のない出来事だったのだ。

 だが、シャーリは言葉を続けてきた。

「そしてあなたは、私と同じお父様を持っている。不思議な事だけれども、それは紛れもない事実なの」

 アリエルの父親が、シャーリのお父様と同じ人物なのならば、それは同じ父を持っている事を示している。

「あなたと母親は違うけれども、お父様は同じ。これがどういう事か分かる?私達は異母姉妹と言う事なのよ」

 正にシャーリの言った通りの事だ。だが、アリエルはシャーリの顔を見上げて、彼女と自分の血が繋がっている事を確かめ合う気にはなれなかった。

 むしろそれが嘘であって欲しい。そうとさえ思えてしまうのだ。

 シャーリが自分の母親を連れ去った張本人。そして、彼女に命の関わる何かをしようとしている存在。そう思っていた事が遠い昔であるかのようにさえ感じられてしまう。

 だが依然として、自分の母親は手術室の中にいたし、そこでシャーリの命令、彼女のお父様と呼ばれる存在の命令で何かをしようとしているのだ。

 それだけは変わっていない事だった。

「悪いけれども、あなたの母親は使わせてもらうわよ。わたしのお父様の為よ」

 と、シャーリは言った。

 アリエルは幾分か、目の前で起こっている現実を理解することができるようになっていて、彼女の顔を見上げて話す事が出来た。

「私のお母さんを使って、一体、何をしようと言うの?」

 アリエルはシャーリと目線を合わせて尋ねた。異母姉妹だと言う事が分かっても、彼女のアリエルを見る視線は冷たいものである事に変わりは無かった。

 だがどうやらシャーリは、大分昔からアリエルが異母姉妹である事を知らされていたようだ。

 それなのに自分に銃口を向けてきていたのか。

 シャーリは一体、何者なんだ。アリエルの中に新たな感情が生まれてきていた。

「ねえ一体、何をするっていうの!」

 アリエルは声を上げて尋ねた。ここは病院の中だったが、今、待合室には誰もいない。医師や受付係さえもおらず、シャーリとアリエル。そして後ろのシートに座っている少女だけだ。

 だが、感情のこもった声を上げるアリエルを落ち着かせるかのような口調でシャーリは言ってくる。

「手術をするのよ。私のお父様の命を救うためのね」

 シャーリは静かに言った。

「手術ってどんな?危険な手術なの?私のお母さんを使うって、まさか、臓器移植とか、そう言った」

 アリエルがそう言うと、シャーリはまるで彼女の無知を笑うかのように苦笑していた。

「臓器移植ねえ。近いわ。でも臓器移植なんてものじゃあない。脳移植よ。脳の一部を移植するの」

 シャーリは言ってみせた。

「ちょっと!それじゃあ、私のお母さんは!脳の一部を、あなたのお父さんに提供するって言うの?」

「ええ、そうよ」

 当然のことであるかのようにシャーリは言った。

「ふざけないで!そんな事をしたらお母さんは!」

 アリエルはシートから立ち上がって、シャーリに向かって言い放つ。だが、シャーリは、

「死ぬとは言っていないわよ。でも、危険な手術になるでしょうねえ。ただ、やる事はあなたの頭にした事と同じなのよ。細い管を通して、脳の一部に刺激を与えると言う方法。

 でも今度はもっと太い管を使って、脳の一部を頂く事になるわ」

「そんなことしたら!」

 アリエルは医療の知識に関してはまったくなかったが、シャーリの言った言葉を容易に想像する事は出来た。

 多分、そんな事をしたら、自分の母親はただじゃあ済まない。命を失わないまでしなくても、脳に深刻なダメージが残ってしまうかもしれない。

 もしそんな事になってしまうのだったら、アリエルは、何としてでも手術を止めなければならなかった。

 だが、シャーリはアリエルの前に立ちはだかり、彼女の行く手を防いだ。

「駄目よ。手術を止める事は私が許さないわ。私のお父様はね。もういつ死んでもおかしくないの。脳の腫瘍がどんどん大きくなっていってね。あなたのお母さんの『力』が無ければ、多分、明日までも生きられないの」

「そんな。そんな事なんて知らない!」

 と言って、手術室へと今にも飛びこんでいきそうなアリエルだったが、シャーリは彼女の腕を掴んで言い放った。

「あなたが今手術を止めようとすれば、あなたのお母さんもただじゃあ済まないわ。そして、わたしのお父様。つまりあなたのお父様をも殺す事になるのよ」

 シャーリの視線が、アリエルの目をじっと見つめて言ってくる。アリエルの腕を掴むシャーリの腕の力は強く、アリエルが振りほどこうとしても、とても振りほどく事が出来ないものだった。

「なぜ、わたしのお母さんを!臓器提供とかそういうのって、本人の同意が無ければできないものなんじゃないの!」

 アリエルは、医療の移植だとか脳手術など、知っている知識を総動員してそう言った。本人が嫌がっているのに、無理矢理にしてしまう手術などどこにあると言うのだろう。そんなものは存在しないはずだ。

 母は、ここに連れてこさせようとしている連中から逃れようとしていた。アリエルを連れ、テロリストから何としてでも逃げようとしていた。

 母が、アリエルの父、つまり彼女の元夫の脳の移植の同意をしていたなどはとても思えない。

 だったら、様々な形で迫っていたシャーリの手下を退けたりもしないだろう。

 ミッシェルもアリエルも、無理矢理ここに連れてこられたも同然なのだ。

「もちろん。あなたのお母さんの同意なんて知った事じゃないわ。お父様の為よ。お父様の糧となるため、あなたのお母さんを使うの!」

 シャーリはそのように言う。だが、アリエルにはそれをとても許す事ができなかった。

 自分のお母さんを何だと思っているのだ。

「ふざけないで!そんな事!今からでも止めさせて!」

 アリエルがそこまで言った所で、突然、彼女は背後から後ろ手に両手を掴まれてしまう。

 アリエルが背後を振り向くと、そこにはジュール人形のような姿をした小さな少女がアリエルの腕を両手で握っていた。

「だーめ。騒いじゃあ、だーめだよ」

 まるで子供が遊ぶかのような声でその少女はアリエルに言って来た。とても小さな少女が出すことができる力だとは思えない。アリエルの手は、まるで手錠にでもかけられているかのように動かす事が出来なかった。

 動きを封じられたアリエルの顔に、シャーリが顔を近づけてくる。

「そのレーシーもねえ。わたし達と同じ、お父様の異母姉妹なのよ。わたし達とは似ても似つかないでしょう?でも、あなたの腕を簡単に拘束することができる事からして、『能力者』である事は良く分かるわよね?」

 と、シャーリはアリエルに、吐息さえもかかるくらいの距離で言った。彼女の隻眼となっている目。そして、髪によって顔の半分が塞がれ、その中に隠れている傷に塞がれた目さえも覗けそうだった。

「『能力者』。それって」

 アリエルは腕を振りほどくため、自分の腕から、骨と皮膚を硬質化させた刃を突きださせた。それはアリエルの意志どおりに出現して、背後で腕を掴んでいるレーシーに襲いかかろうとする。

 だが、刃はレーシーまで届かなかった。

「駄目だよおイタは!あなたの刃の動きから形まで、あなたの『能力』は、全てあたしの頭の中にインプットされているんだから!ねえ。大人しくしてよ。お姉ちゃん」

 と、レーシーは言って来た。最後に言い残した、お姉ちゃんと言う言葉だけが、アリエルにとっては異質に響いた。

「あなたの可愛い妹はねえ、アリエル?どんなコンピュータでも、兵器でも、体内に融合することができる『能力』を持っているの。だから、あなたの事は体の脈拍から、その刃の動きまで全てを把握している。

 あなたの刃に関する『能力』は、あなたの脳に刺激を与えた時に、すでにアジトで解析済みよ。それを、レーシーの頭にインプットしてあげたの。どういう事か分かる?レーシーは言ってみれば、人間コンピュータなの。だから、あなたの動きから全てに至るまで、完璧に読むことができる。

 あなたをアジトに連れて行ったのも、あなたに無駄な抵抗をさせないためが目的と言っても良いわね。これでもうレーシーがいる限り、あなたはわたし達に対して、無駄な抵抗はできなくなったのよ」

 シャーリに説明されても、アリエルには上手く理解できなかった。腕を拘束されて、突然の父との出会い。そして、母はこうしている間にも危険な手術をさせられている。

「そんな事って!」

「そんな事があるの。それが『能力者』って奴よ。でもねえ。レーシーなんかよりもよっぽど、あなたのお母さんの方が、素晴らしい『能力』を持っているみたいね?だからお父様は。あなたのお母さんを必要としたの」

 シャーリが更にアリエルに言って来た。腕をぎりぎりと締めあげられて、アリエルは、とてもそれから逃れる事が出来ない。

 このままでは腕どころか体の身動き一つさえ取る事ができないようだった。

「ああ、それって酷いなあ!」

 と、レーシーは何とも気の抜けたような声を上げた。本当に子供が発するような言葉で、アリエルは本当に自分の背後で腕を締めあげているのが、幼い少女なのかと疑いたくなってしまった。

「あなたのお母さんの『能力』の一部をお父様に移植することで、お父様はご自分の病気を治すことができるの。それって、とっても素晴らしい事だと思わない?ねえ。アリエル。今から、見せてあげようかしら?

 レーシー。彼女を立たせてあげて!」

 と、シャーリが言うと、レーシーはアリエルの腕を掴んだままその場から立たせた。アリエルはよろめきながらもシートから立ち上がらされざるを得なかった。

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 シートから立ち上がったアリエルは、シャーリ達の手で、手術室の中へと連れて行かれた。手術室は、内部と外部がガラス張りによって遮られており、アリエル達は外部に入った。

 そして手術室の内部では、医師達が集中して今まさに手術を行っている真っ最中であった。

「お母さん!」

 アリエルが思わず叫んでいた。

 手術室の中ではミッシェルが手術台の上に寝かされ、その頭部に何やら管が伸びている。ホースほどのチューブが伸ばされ、医師はそのチューブの先で、何やら手を細かく動かして操作を行っていた。

「ちょ、ちょっと、お母さんに何をしているの!」

 アリエルは叫ぶ。だが、手術室の中には声は聞こえず、アリエルがいくら叫んでもそれを止めさせる事は出来なかった。

「無駄な抵抗はしない事ね。もし今、あなたのお母さんにしている手術を途中でやめさせたら、あなたのお母さんは死ぬわよ。もちろん、わたしのお父様も同様。そうしたら、その責任はあなたに取ってもらう事になるわね」

 シャーリがアリエルの前に立ちはだかるようにして言って来た。

「何ですって!」

 とアリエルは言うのだが、手術室には硬い強化ガラスがはまっているらしく、レーシーの後ろ手で掴みかかっている腕から解放されても、恐らく手術を止める事は出来ないだろう。

 レーシーに腕を掴まれ、目の前にはシャーリと硬く閉ざされた手術室がある。もし、今無理に手術を止めようとしたら、母を殺してしまう事になりかねない。

 つまり、今、アリエルにできる事は何一つない。黙って手術室の外で手術を見守っていることしかできないのだ。

「くっ。手術は、成功するの?お母さんは、大丈夫なの…」

 アリエルは苦虫を噛みしめるかのようにそう呟いた。

「大丈夫よ。お父様が集めた一流の医師が手術に当たっているんだから、あなたがパーにしなければ、手術は成功するわ」

 

「ここまでして、あなたのお父さんの手術をするのはなぜ?私のお母さんまで使って、しかも、あそこまでして!」

 アリエルの脳裏には、ここ数日にシャーリ達がしてきた事が思い浮かばれる。彼女は普通では無かった。テロリストまがいの事を何度もしてきている。

 シャーリは、国家安全保障局の建物にも乗り込んできたし、《ボルベルブイリ》では、母の元同僚を使ってまで自分達を捕らえようとしていたのだ。

 ただ、父親一人を救いたいだけでそこまでするだろうか?もちろん、今までのシャーリの言動からして、彼女が父親を相当に溺愛していると言う事だけは理解できたが。

 ただそれだけのことで、人を何人も殺めたりすることができると言うのだろうか。

 シャーリはアリエルの感覚から言ってしまえば、明らかにおかしかった。

「お父様には、大切な目的があるのよ」

 シャーリは変わらぬ表情のまま、アリエルにそう言って来た。

「何?その目的って?ここまでする必要のある目的なの?」

 アリエルは依然として警戒の姿勢を見せたままシャーリに尋ねた。

「もし、お父様の力によってこの世界が変わると言ったら、あなたはお父様に協力する気になるかしら?何が何でもお父様がやろうとしている偉業を成し遂げて差し上げたい。そういう気になるかしら?」

 シャーリはまるで夢想するかのような表情を見せ、アリエルに言って来た。だが、アリエルはシャーリの言った言葉が現実のものとは思えず、彼女を凝視した。

「世界を変える?何を言っているの?あなた?」

 冗談か誇張にすぎないだろう。アリエルはそう思ったが、シャーリはその表情を変えない。むしろ、いつも見ている彼女よりもずっと真剣なまなざしをアリエルにぶつけてきている。

 シャーリは本気なのだ。アリエルはそう思った。

「お父様は世界を変えることができるの。この病院はほんの手始めよ。この病院やお父様は自らの財力を使って、世界を変えて行こうとしているの」

 シャーリは身ぶり手ぶりで事の壮大さを物語るかのように言った。だが、アリエルにはまったく持って彼女の姿が信じられなかった。

 彼女がそんな思想を持っていたなんて。父親の命令で動き、世界を変えようとしていたなんて。

「あなたは、そんなお父さんの力を使って、自分も世界を変えられると思っているの?」

「お父様にとって、私は大切なしもべ。そしてお父様はわたし達にとってみれば、絶対的な力を持つ王よ」

 シャーリはまるで未来を見つめるかのような目をして言った。彼女の瞳には一点の曇りもない。彼女が信じるお父様を、全て信じてしまっているかのようだ。

「あんな事までさせられて、それでも、お父さんを信じるの。あなた?」

「当たり前じゃない。だって、わたしのお父様なんだから。あなたも、お父様のしようとしている事を知ったら、自分からお父様の糧になろうとするわよ」

 シャーリはアリエルの方をじっと見つめて言って来た。

 だが、アリエルはそうして見つめてきたシャーリの目が恐ろしくて仕方が無かった。彼女の目はまさしく狂信者の目そのものとなっており、他のものは何も目に入っていないかのようだった。

 一点の曇りも無いかのようなシャーリの目は、狂信者だからこそできる目なのだろう。

「嫌だ。私は、あなたのお父さんに協力する事なんて、できない」

 怯えるような声をアリエルは発していた。

「わたしとしては、あんたなんかいらないんだけれどもね。お父様の命令だから、今は仲よくしていてあげるわよ。それと、一つ忘れないでおいて」

 シャーリはアリエルに顔を接近させて言った。

「な、何よ?」

「わたしのお父様は、わたしのお父様ってだけじゃあないのよ。あなたのお父様でもあると言う事を忘れないで頂戴。お父様をがっかりさせないで」

 と、シャーリはアリエルに言い残す。それはアリエルにとってもまだ信じられない事だった。

 今、手術室の中で母、ミッシェルと共に寝かされ、ミッシェルと同じように頭に処置をされている男が父親だなんて、アリエルには俄かに信じる事が出来なかったのだ。

「今、やっている手術を、あなたのお父さんにはできなかったの?」

 アリエルは、手術室の強化ガラスを食い入るように見つめ、シャーリに尋ねる。

「やろうとしたし、実際にやったわよ。でも、脳の腫瘍はあまりにも大きくなり過ぎていたし、お父様の脳腫瘍は癌になって、全身を蝕んでいるの。だから、あなたのお母さんの『能力』に頼るしかないのよ」

 シャーリは言ったが、アリエルには何の事か分からなかった。

「私のお母さんの『能力』?何、それ、私、知らない」

 するとシャーリは呆れたかのようにアリエルに言ってくるのだった。

「何、あなた、自分の母親の『能力』も知らなかったの?」

 

 ミッシェルに処置を行っている医師は、ほんの数ミリ程度の微細な動きをチューブから伸びているワイヤーにつけ、ごくゆっくりと処置を行っていた。

 ミッシェルの頭に付けられたチューブはさらにその先で、ごく小さい穴から脳にまで伸びている。

 すでに別の組織のアジトで行われていた処置によって、小さな穴はミッシェルの頭に開けられていた。それをほんの少し大きくして、脳のある部分だけを摘出できるようにしただけだ。

 後は頭を開くことなく、外部からの操作によって脳に処置を施し、他の部分を傷つけないように患部だけを摘出することができる。

 シャーリの父親、つまり彼らの主の脳腫瘍はあまりに拡大していたため、この方法では処置する事が出来なかった。巨大化した脳腫瘍は脳だけではなく、彼の肉体のあらゆる部位に転移していたため、手術はもはや不可能な状況下にあった。

 しかも現在の彼の容態ではこの手術をする事すら危険でさえある。巨大化した腫瘍にダメージを与える事にもなりかねないし、更に、医師がほんの少しでも操作を誤れば、彼自身の脳にも深刻なダメージを与えかねない。

 もはやぼろぼろになっている彼の脳や肉体には、あまりに深刻なダメージになりかねない。

 医師は脳外科医としてはベテランで、この手の手術は合法にも非合法でも数多くの経験がある。だからこそ雇われたのだが、

 『能力者』の脳の移植というのは、まったく持って初めてだったのだ。

 だが、今のところ医師はまったくミスをしていない。今、脳から、ミッシェルの『能力』をつかさどっている部分を摘出しようとしている。

 決して、他の部分には傷つけないようにし、人間が、人知を超え、未知の『力』、無限の『力』を発揮すると言う部分だけを摘出するのだ。

 アリエル、シャーリ達が見守っている中、医師はミッシェルの脳からチューブの中へとその一部を移す事に成功した。

 後は、これを自分達の主の脳の同じ部分に移植するだけだ。

 

 手術は、アリエルにとっては、何時間もかかる大手術のように思えた。目の前で母の脳の一部が移植されていく。アリエルはそれを黙って見ていることしかできなかった。

 いつ、母に付けられた心臓の鼓動を示すモニターが音を立て、心停止を伝えるか、気が気ではなかったのだ。

 もしかしたら手術によって母は死んでしまうかもしれない。そう思うと、アリエルはどうしようもない自分を抑える事ができなくなってきそうだった。

 だが、手術は実際は3時間と言う時間で終わった。これはシャーリによれば、順調に進んだ証拠なのだそうだ。

 神経の手術など、10時間以上かかってしまう事さえある。だが、人間の最もデリケートな部分の一つ、脳の移植と言う大手術なのに、わずか3時間で終了してしまうなんて。

 母の頭からは管が取り外され、頭に包帯を巻かれた。彼女は髪を落とす事も無く、包帯は黒髪の間にある小さな穴を覆うように付けられた。

 手術が終わっても、アリエルは手術室に隣接した場所でかじりつくようにしていたが、やがて、その肩にシャーリが手を載せてきた。

「終わりよ。これであなたのお母さんも助かるし、わたしのお父様も助かるの」

 と、安心させるかのような声。だが、アリエルは安心していなかった。

 心臓の高なる鼓動が感じられる。まだ、目の前で母が手術をしているような、そんな気持ちが抜けきっていない。

 例えシャーリに安心するように言われても、とてもじゃあないが安心する事なんてできそうになかった。

「分からない」

 まるで独り言のようにアリエルは呟くのだった。

「分からないって、何が分からないっていうのよ?」

 攻撃的だったシャーリの口調も割と落ち着き、アリエルに言ってくる。

「何故?脳の一部を移植しただけで、本当にあなたのお父さんは腫瘍が治るの?そんな治療法。聞いたことが無いよ」

 と、アリエルは手術中抱えていた疑問をシャーリへとぶつけた。

 アリエル達の隣の部屋では、手術を終えた男、シャーリに言わせればアリエルの父親が、アリエルの母、ミッシェルと同じように頭からチューブを取り外されている。

 見た所、その男の容態が回復したようには見えなかった。男もミッシェルも、本当に脳の一部を交換などしたのか。それさえも分からない。

 ただ二人とも麻酔によって眠らされていたから、おそらく脳の一部が移動した事を意識する事は出来なかったはずだ。

「そんな、治療法があるのよ。ただ、お父様にだけ有効で、しかもあなたのお母さんの協力が無ければできなかったんだけれどもね」

「それが、分からないっていうの!」

 アリエルは声を上げて言った。まるで手術中の緊張の全てから解放されたかのような声で。

「何故、どうして?何故、私のお母さんを使う必要があったの?健康な人の脳だったら、ドナーとか、何とか、色々手に入れる事が出来たでしょ?」

 と、アリエルは言うが、

「だから、あなたのお母さんの、『能力』がお父様には必要だったのよ!分かる?『能力』よ!あなたは自分の母親の、義理の母親らしいけれども、その『能力』さえも知らないようね?

 いい?今、手術で移植した脳のほんの小さな部分は、人が『能力』を使う際に使っているほんの一部なの」

 シャーリはアリエルに言い放ちつつ、自分の頭を指差した。

「あなたのお母さんは、病気なんかを解毒する『力』を持っているのよ。そのせいか、麻酔が全く効かないという体質も持っているわね。だから手術は2段階あって、まずあなたのお母さんを無理矢理気絶させて、その間に『能力』の脳の一部の活動を停止させるの。それはこの病院とは別の施設でやらせてもらったわ」

 アリエルの脳裏に、自分達が連れ込まれた人里離れたアジトの姿が思い浮かんだ。

 シャーリは話を続ける。

「そして次の段階。その『能力』の移植よ。お父様の脳の一部にあなたのお母さんの脳の一部を植えつければ、解毒作用が働いて、お父様の病気は治るの。全身に広がっている腫瘍だろうと何だろうと、たちまち癒えてしまうはずよ」

 と、シャーリは身ぶり手ぶりでアリエルに説明するのだった。

「そんな、方法で、本当にうまくいくの?私には理解できない」

 アリエルはまだ全てが理解できないと言った様子で、その場にあったベンチに座ってしまうのだった。

 隣では手術中の時間に耐えられなくなってしまったのか、ジュール人形のような姿をしたレーシーが寝息をたてて眠っている。

 何とも緊張感の無い姿だったが、アリエルにはその姿は目の中には入っていなかった。

「私のお父様から、あとであなたに説明して下さるわ。そうすればあなたも納得がいくはずよ」

 シャーリは今までの攻撃的な口調を崩し、アリエルの肩の上に手を乗せ、妹に言い聞かせる姉のような口調でそう言うのだった。

 

説明
自分の”父親”と出会う事になるアリエル。不治の病に冒されている父はそれを治すために、アリエルの養母からある移植手術をさせる事に
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