少女の航跡 第3章「ルナシメント」 1節「異界よりの使者」
[全2ページ]
-1ページ-

 

 サトゥルヌスは、一人、暖炉のある部屋に座っていた。

 長旅によって、まだ体が軋んでいる。どうやらこの肉体をもってしても、長き旅や、戦い、そして、空間同士の移動は大きな体の負担となるようだ。

 彼はずっと被っていた帽子を、テーブルの脇に置き、ソファーに身を埋めていた。

 暖炉のある部屋には彼しかいなかった。暖炉の火が時々弾け、暗い部屋にある灯りと言えばそれだけだ。時計さえもこの部屋には置かれていない。

 サトゥルヌスがやって来て、しばらくした頃、彼は暖炉の方に向って呟いていた。

「カイロスか…、何の用事だ?」

 と、背後を振り返りもせずに、背後に立った男に彼は言っていた。

「どういうつもりだ?」

 サトゥルヌスの背後に立った男が、彼に向って言ってきた。彼は40代を越え、50代にも近い風貌のサトゥルヌスに比べてかなり若く、若者の風貌そのものだった。

「どういうつもりとは、どういう事だ?」

 サトゥルヌスは、まだ若いカイロスの方を向かずにそう言った。

「あいつをここに連れ込んできたという事は、“あの方”に歯向かうという事になるんだぞ…! それがどういう事か…!」

 カイロスと呼ばれた若者は、苛立ち怒りさえ見せそう言って来た。

「ああ…、それは分かっている。だが、“あの方”のすることに真っ先に反対をしたのはお前だ。随分と弱気になったものだな?」

 サトゥルヌスはそう言って、カイロスの方を振り向く。

「かもな。だが大胆すぎる。“あの方”はもう気付いているだろうぜ。お前達が、あの女を捕らえたという事を!」

 カイロスはサトゥルヌスに言い放ってくる。だが、そんなことなど彼は先刻承知の上だった。

「全て承知の上だ。それに、あの方に反抗するならば、いずれは我々の行動もバレる。早めに動かなければならなかった」

 と、サトゥルヌスが言うと、カイロスは黙る。まるで開き直ったかのような彼に態度に苛立ちさえ見せているようだった。

「ああ、分かったよ、“ロベルト”さんよ。元はと言えば、俺がそう言ったのが、はじまりみたいなものだからな…。回りだしちまった車輪は、止められないって事だろ…?」

「もう、そう呼ばれるのも、大分、慣れてしまったな…」

 と言って、サトゥルヌスは再びソファーに身を埋めた。

「カテリーナは、大丈夫なのか?」

 暖炉を見つめたまま、サトゥルヌスが尋ねる。

「あ、ああ…、何とかな…。あの女を助けるため、と考えたら、あんたの判断は正しかったぜ。この世界にある技術じゃあ、カテリーナの傷は手の施しようが無かった。だが、俺達にかかれば、あんなのはかすり傷だな…」

 自信ありげな口調でカイロスが言った。サトゥルヌスはそんな彼の態度など気にもせず、ただ一言呟く。

「そうか、それはよかった。安心した…」

-2ページ-

 カテリーナは、2階の窓のある部屋に寝かされていた。

 一体、どのくらい深い眠りに付いているのか分からないが、彼女は重傷の怪我を負っていたため、それを治療しなければならなかった。

 かといって、大規模な手術をする必要はない。

 彼女の体は、人間の肉体では考えられないほどの勢いで、治癒していく。だから、サトゥルヌスは彼女をこの場所に連れてくるだけでよかった。

 カテリーナが、サトゥルヌス達の住む月夜の館に連れて来られてからすでに1週間が経っていた。

 カテリーナの傷自体は完治していたのだが、体力の消耗が激しすぎた。失った体力を取り戻すには、もっと時間がかかってしまうだろう。

 何しろ、カテリーナは慣れない力を、重傷の状態で使ってしまったのだ。いくら人間離れした強靭な肉体を持つ彼女であっても、それによる体力の消耗は、十分な急速を必要とする。

 しかしカテリーナは、サトゥルヌス達が思っていたよりも、ずっと早くにその眼を覚ますのだった。

 冷たく濡れているかの青いガラスのような瞳を覆っていた瞼が開かれた。意識も朦朧とした様子で、白いシーツに覆われたカテリーナの姿はあまりに無防備だった。

 彼女が身に付けていた鎧は脱がされ、頭を巻いていたヘアバンドも取り払われている。騎士として、戦場に出る彼女の戦装束とはあまりにかけ離れた姿がそこにはあった。

 しかしそれでも、瞼を開いてしまった以上、カテリーナは、周囲の気配に警戒せざるを得なかった。

 彼女は一流の騎士として訓練を受けていたし、何より、騎士団長と言う大役を務める存在だったのだ。目覚めれば一瞬で頭は冴え、周囲に払う。

 例えそれは落ち着くことが出来る自分の部屋にいても変わる事は無かった。寝心地の良いシーツとベッドに包まれ、柔らかな白いガウンを着ていたとは言え、カテリーナの警戒心は揺らぐことは無かった。

 まして、自分が見知らぬ場所にいると分かれば、彼女の警戒心もより強まる。

 ここは一体どこなのか? カテリーナの警戒心は、寝起き直後から最高潮に達していた。

 辺りの様子を伺う。

 ここはどこかの屋敷の一室で、明かりは灯っていない。だが時刻は朝。おそらくそうだ。部屋の中には光が一部差し込んできていて、その光を感じ、起き上がったのだ。

 部屋の中はあまり広くない。《シレーナ・フォート城》でカテリーナに与えられている部屋と同じくらいの広さだろう。

 部屋には誰もいない。カテリーナだけだった。

 カテリーナは、自分が今いる状況を素早く判断しようとした。最後の記憶はどこまでだろう。

 そう言えば、仲間の騎士たちと戦い、命からがら、『リキテインブルグ』『ベスティア』の国境のとりでまでやって来て、それから、

 白い光がやって来たのだった。

 その光から現れた、女。戦女神である、イライナの姿をした女が、カテリーナ達に戦いを挑んできたはずだ。

 その時、自分は太刀打ちすることが出来ず、打ち負かされたはずだった。

 そこから先は、良く覚えていない。

 カテリーナは、最後に自分が感じていた傷の痛みを探ってみた。ガウンを脱いでみたが、自分の体にはどこにも傷が付いていない。

 部屋に鏡があった。うっすらと埃を被っている鏡の前にカテリーナは立つ。

 自分自身の体がそこに映ると、そこにいたのは、年の頃18歳くらいの若い女だった。

 いつの間にか着せられていたガウンを脱ぎ去り、下着だけになった彼女は、そこに映った自分の姿をじっと見つめた。

 まるで、目の前に鏡で映っている自分が、自分で無いかのような気がした。

 多分、それは映っていた自分の姿が、あまりに整いすぎていたせいだろう。

 カテリーナは昔から自分の体には傷が残らない事を知っていた。かすり傷や切り傷程度、騎士をやっていれば幾つも付くものだが、それが寝て起きれば消えうせてしまう。

 まだ騎士ではなく従者だった頃、胸に刃を受けたことがあった。それは義理の姉だったクラリスに言わせれば、エルフでも死ぬような傷だったという。

 事実、刃はカテリーナを貫き、背中側にまで貫き通されていた。

 その傷は1週間くらい残っていたけれども、今では跡形も無い。

 あのイライナに受けた傷も消えていた。

 しかし、今、鏡に映っている自分はあまりに整いすぎている。それが奇妙だった。

 騎士団長になってから、銀色の乙女とか、銀色の戦姫と言われていたカテリーナだったから、鎧に身を包んでいないと自分らしくなく見えるのだろうか。

 かえって今のような、麗人のような姿になっていると、自分を見失いそうだった。

 その時、部屋の扉をノックする音が聞えた。

 鏡に映った自分を見入っていたカテリーナは、扉から外に出て、この屋敷がどこにあるのかを探るのを少しの間忘れていた。

 今のような無防備な姿をさらすわけにはいかないと、彼女は素早くガウンを取り、それを体に着ようとしたが、そんな間もなく部屋の扉は開かれてしまった。

 カテリーナは警戒の姿勢を示す。例えナイトガウンをぎりぎりで羽織っているような状態であっても、その姿勢には油断も隙も無い。

 扉が開かれ、そこに姿を見せたのは、カテリーナも良く知っている男だった。

 その男は何食わぬ顔で姿を見せたつもりだったようだが、カテリーナがすでに起きていて、無防備な姿を晒している事に、面食らったように動揺した。

「おおっと! すまない! まさかもう起きているなんて!」

 とその男が言ったときだった、カテリーナが素早く飛び出してきて、男を捕らえる。目にも留まらぬような動きだった。男はあっという間にカテリーナに背後から首を絞められる。

「貴様は誰だ? 私を何故ここに来させた?」

 と男の背後からカテリーナは言った。その時、彼女は男の顔を見て気が付いた。

 こいつは、知っている男だという事を。

「貴様…、あいつか…? 確かカイロスとか言う…。ロベルトの仲間だろう? 何故ここにいる。お前は『ベスティア』で…」

 と、カテリーナは言うが、その時、カイロスはカテリーナの首を掴んでいる手を振りほどいた。

 カテリーナは突き飛ばされ、部屋の壁に背中からしたたかぶつかる。

 カイロスはそんなカテリーナを見下ろして言ってきた。

「ああ、そうだ。オレはカイロスだ。

 『ベスティア』で捕らえられていたオレが、どうして、ここにいるのかってことについちゃあ、今のお前が知る必要の無い事だぜ…。だが、オレにとっちゃあ、牢獄から逃げ出すなんて、訳、無いことなんでな。

お前にはちっと訳ありなんで、来てもらった…。それだけのことだぜ。突然で悪かったけどな…」

 カテリーナはたたきつけられた壁を背に立ち上がろうとする。

「お前達の都合など知った事か…! 私はすぐにでもここから出て行かせてもらう。そこをどきなよ」

 と、カテリーナは言うが、

「残念だがそりゃあできない相談だ。お前をこの屋敷から外に出すわけにはいかないんだぜ…」

 カイロスはカテリーナの前に立ち塞がってそういった。カテリーナは女としては標準的な身の丈しかなかったから、男のカイロスに目の前に立たれると、相手に圧倒されてしまうはずだった。

 だがカテリーナは動じず、

「いい度胸だな? 私の前に立ち塞がるなんて。お前達は私の事を良く知っているようだから、今更言う必要など無いかもしれないが、黒こげにされたくなかったらそこをどくんだな」

 と言ってカテリーナは掌をカイロスの方へと向けた。

「ああ、いいんだぜ。お前の好きにしてみろ。だがな、今のお前は無敵の女騎士様じゃあない。ただの若い女だ」

 余裕のある口調でカイロスは言ってきた。

「何を言っている?」

 と、カテリーナは言ったが、

「お前の持つ力は、封印させてもらった…。オレ達にとっても、だんだんお前の力は手に負えなくなってきたんでな。一時的にだが封印した」

 カイロスの言った言葉を、カテリーナは信じられないといったような声で答える。

「そんな事…、できるはず…」

「できるはずが、あるんだよ。今、おまえ自身がはっきりと分かっているだろう?」

 カイロスの言った言葉は確かに本当だった。カテリーナは、自分の中から湧き出てくるはずの力を出せない。

 今までだったら、目の前にいる男など、ものともせずに跳ね除け、この部屋から外へ飛び出してやる事ができただろう。

 だが、今は突き飛ばされた体を起こすのさえもやっとだった。

「お前のその腕に付けてやった腕輪だが。それがお前の力を封じている」

 カイロスのその言葉に、カテリーナは自分の右腕を見た。そこには確かに銀色の腕輪がはめられている。腕輪は銀の装飾が施されており、今までにカテリーナが見たことも無いような模様を見せていた。

「これが…、私の力を封じている、だと…?」

 カテリーナは腕輪に手をやった。一見すればただの腕輪にしか見えない。ただそれだけのもの。

「ああ。人間離れしている部分だけ、だけどな。今、お前は、ただの女としての力しか持っていない。だから、無駄にあがくのは止めておけ」

 そのカイロスの言葉に、カテリーナは腕輪に手をやり、外そうとした。簡単に外れないだろうという事はカテリーナも察していたが、本当に外れない。いや、体と一体化していたのだ。

「その腕輪が簡単に外せたら意味が無いだろ? 外し方はオレも知らないんだ。だが、しばらくはオレ達の元にいてもらう」

「私を使って、何をする気だ。お前達は?」

 腕輪のことは諦め、カテリーナは、じっとカイロスを見る。彼女の鋭い視線は、例え腕輪によって力を封じられていても変わる事は無かった。

「別に。何もする気はねえぜ。ただお前が表にいてもらっちゃ困るってだけだ。目立っちまって、ある方の目に留められたんでな。しばらく身を隠してもらうってだけの話さ」

 と、カイロスは言ったが、カテリーナは、

「国には、私を必要としている人が大勢いる。いざとなったら、この腕を切り落としてでも、私は戻らなければならない」

 堂々と彼に向って言うのだった。

「そんな事をしたら、お前は死ぬぜ。まあ、腕を落として、発狂して死なないぐらい度胸がある事ぐらいは分かっているが、屋敷の外の森を出る前に、血が出すぎて死んじまうだろうよ。そりゃあ、元の力を取り戻しても同じことだ」

 カテリーナがどのように言おうが構わないといった様子で、カイロスは部屋から出て行こうとする。

 扉を開くと、彼は背中を向けたままカテリーナに言った。

「ああ、あと一つ」

「何だ?」

 カテリーナは、今の状況を受け入れてしまった様子で、カイロスに尋ねた。

「お前が例え、国に戻ったとしても、これから起こることに対して、何も変わることは無いだろう。無駄な足掻きって奴だ。

 もし、国を救いたいんだったら、オレ達に任せておけ。お前じゃあ何をしても無駄だし、今は何も知らなさ過ぎるんだ」

「だったら知らない事を教えてもらう。私には国を救うという義務があるんだ」

 と言うが、

「義務。なんてものの前じゃあ、オレ達は、お前の国を救うことなんてできんな」

 そのように言い残して、カイロスは、カテリーナのいる部屋から出て行ってしまった。外側から鍵がかけられてしまう。

 何とか開かないものかと、カテリーナは扉を探ってみたが、その扉は見た目以上に硬く閉ざされており、決して開く様子は無かった。

 窓の方も確かめてみたが、こちらも同じで開く様子は無い。

 今までのカテリーナだったら、この扉も、窓も簡単に打ち砕いて開いてやる事ができただろう。

 だが今、カテリーナにはいつも共にあった巨大な剣も持っていないし、窓をこじ開けるだけの力さえも無かった。

 この場にいたまま諦めて彼らに従うしかないのか。

 カテリーナは久しぶりに、自分の力では太刀打ちできないものの前に立たされていた。

 

 

「大人しくしているか? 彼女は?」

 屋敷の階段を下り、一階へと向おうとしたカイロスの背中にかかる男の声。カイロスは背後を振り向いた。

 そこには、紳士の姿をした一人の男が、立っている。薄暗い屋敷の中で、影の中に立っているものだから、その顔さえも見ることができない。

「さあな…、こんなやり方じゃあ、彼女は従わないだろうぜ。いくら力を封じることが出来ても、意志までは封じられない。何としてでも、ここから脱出しようとするだろうぜ…」

 と、カイロスは言った。すると、影の奥から男が姿を見せて来る。

「ああ、そうだろうな…。だがな、肝心なのは、今なのだ。今、彼女を隠しておけば、全く問題は無い。例え、後々に脱走されようともな…」

「やれやれ。あの方からカテリーナを隠しておくなんて、まるで綱渡りでもしているかのような気分だぜ…、ハデスさんよ…」

 ハデスと呼ばれた男は、余裕を見せるかのような口ぶりで話し始めた。

「計画は進行中だ。すでに『ベスティア』は陥落寸前。『レトルニア』もそう遠くは無いだろう…。『ベスティア』については良く知っているな? お前が捕らえられていた監獄は陥落した。だから、お前は逃げ出すことが出来たんだ。《ミスティルテイン》なる王都が陥落するのも時間の問題だ」

 それが何を意味しているのか、カイロスには分かっていたし、ある事が間近に迫っていると言う事も意味をしていた。

「全てが終わるまで、カテリーナを隠しておく?」

「あの方が、姿を見せるまでな」

 と、ハデスが言ったのを聞き、カイロスはちらりと、カテリーナがいる部屋の扉を見た。

 カテリーナは扉を叩くとか、中で暴れるといった、無駄な抵抗は見せていない。今のところは大人しくしているようだ。

説明
少女の航跡の第3章。まずは前章の最後でロベルトらによって拉致されたカテリーナの姿から。拉致したロベルト達の中でも意見の相違があるようですが―。
総閲覧数 閲覧ユーザー 支援
1010 302 2
タグ
少女の航跡 オリジナル ファンタジー 

エックスPさんの作品一覧

PC版
MY メニュー
ログイン
ログインするとコレクションと支援ができます。

<<戻る
携帯アクセス解析
(c)2018 - tinamini.com