少女の航跡 第3章「ルナシメント」 3節「全能の存在」
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 片腕を押さえながらカテリーナは走っていた。手にした剣がいつもよりもずっと重い。生まれたときから自分に与えられていたとかいう力は取り戻していたが、それでも利き腕を失った状態では、自分の体さえも重々しかった。

 腕を自分で落とすのは、思っていたよりも早く済んだ。恐ろしいまでに血は出てしまったから、力がすぐに戻ってこなければ危うかった。

 ロベルトとかいう男が言う、カテリーナが生まれた時から持っている力は、強力だった。分厚い鉄の扉を、例えその一部でも溶かしてしまうほどの電撃を発するだけではない。

 まるで体の隅々にまで、強力な精力を与えたかのように力がみなぎってくる。切り落とした腕の痛みも、ある程度は押さえ込まれ、出血による体のだるさも大幅に引いていた。

 だが、屋敷から脱出することが出来たまでは良かったのだが、そこは深い森の中だった。

 森は、カテリーナが想像していたよりも深く、それも険しい。出血もどんどん続いていた。

 騎士見習いのときに習った止血術を、そのまま腕に施していたカテリーナだったが、傷口を押さえたクッションの固まりもあっという間に血で染まり、血がどっと体から抜けていくのを感じていた。

 ただ、この剣と、最低でも靴だけは手に入れなければならなかった。

 靴は、地下の倉庫の中から、急いで一組だけ拝借をしていた。靴がなければ、この険しい森の中に飛び込んでいくのはあまりに危険だったからだ。

 そして、剣。これも地下の倉庫で見つけた。いや、自分を呼んでいたとでも言おうか。

 自分の体から、力を封印している腕輪を切り離した瞬間、体の中にわき起こってくる、奇妙な熱とともに、この剣の場所をカテリーナは感じる事が出来たのだ。

 だから、自分とともに連れてこられた剣が、地下にあると言う事はすぐに分かったのだ。

 この剣が、今まで自分に力を与えてくれていた。

 そしてこれからも与えてくれるはず。

 片腕でも振り回すことができた剣は、その肝心な右腕が無い状態では、左腕で引きずって持っていくしかない。

 しかしたとえ、右腕が元に戻らなかったとしても、この剣を左手で使わなければならないのだ。

 森を30分も彷徨っただろうか、普通の人間だったら、とっくに出血の多さで死んでいただろう。

 身に付けているドレスは、流れ出る血で真っ赤に染まっていたし、この一枚の衣服しか付けていない彼女にとっては、まるでぼろ布一枚で森に飛び込んだようなありさまだった。

 鎧も、刃のような髪を留めている鉄線入りの、バンダナさえもない。今のカテリーナは無防備な存在だ。

 だが、カテリーナはまだその命を繋ぎ止めていた。

 今だに森を抜ける事が出来ない。深い森であると言う事はカテリーナも分かっていたが、まるで同じ所をさまよっているかのようだった。

「君らしくない行動だな、カテリーナ。今までは、そんな無謀な事はしなかったはずだ。我々は、そこまで君を追い詰めてしまったのか?」

 突然、カテリーナの前方から聞こえてきた声。カテリーナは思わず足を止め、前に目を凝らした。

 霞んでいる目。体力の消耗と、出血の多さが引き起こしているのだろう。

 森の闇の奥から、まるでカテリーナの前に立ちはだかるかのようにして、ロベルトがその姿を現した。

「無計画、だったわけじゃあない…、腕輪の話を聞いた時から、やるつもりではいたさ…。あんたらが、ちっとも腕輪を外して力を戻してくれそうにないから、こんなに早くやることになったけどね…」

 掠れたような声を漏らし、カテリーナは言った。

「まさか、本当にやるとはなぁ…。お前の今までのことを考えりゃあ…、きちんと本当の事を言っておくべきだった、と後悔しているぜ…」

 森を行くカテリーナの背後から、立ち塞がるようにカイロスが現れていた。

 カテリーナは、ロベルトとは逆方向に逃げようとしていたが、突然現れた彼の存在に、思わず足を止める。

 彼女は自分の右腕を、抑え込むようにして立っていた。さらに左腕には、両刃の剣をも重々しく引きずっている。

 それはカテリーナの力にとって、必要不可欠な剣だった。

 だが、カテリーナはその剣を、いつもながら、片腕でやすやすと持つ事はできていない。両手で持って抱える事もできたが、今のカテリーナにはそれができなかった。

「本当に腕を落としてしまうとはな…。だが、分かっただろう? 腕を落として腕輪と体を離したとしても、この森からは抜けられん。ハデスのかけた呪縛は、君の居場所を教えてくれる。例え力を戻してもだ。さて、その前に…」

 と言ってくるロベルト。

「私は、このままだと死ぬって、そう言いたいのか…?」

 カテリーナは、自分で切断した腕を抱え込むようにして、ロベルトの方を振り向く。

 二の腕の辺りで、紐を巻きつけ、止血をしている上、クッションのようなもので、カテリーナは右腕を覆っていたが、それでも血は、彼女の腕から地面へと流れ落ちている。すでに地面には溜まりさえ出来上がっていた。

「君の持っている力は、傷を治すようなものじゃあない。放っておけば、いくら人間よりも頑丈だったとしても、死ぬときは死ぬんだ」

「そ、そんな事だろうって、も…、もしかしたらって…、私だって、思っていたさ…。で、も、やらないで、ずっと、ここに監禁されているわけには、いかない、だろう…? 私には、待っている、仲間が…、いるんだ」

 すでにカテリーナは相当に血を失ってしまっているらしく、顔面は蒼白だった。青ざめた顔を向け、カテリーナは言った。

 自虐的なのかどうかも分からない。カテリーナは蒼白になってしまっている顔をロベルトへと向けて言っていた。

 彼女が着ているドレスは、特に腕の袖口の部分が真っ赤に染め上がり、それは月夜の闇の中で黒色にさえ輝いていた。

「聞いたって、仕方がないけど…、普通の人間だったら、どのくらいで、死ぬんだ? この血の量だと…」

 彼女は、右腕を落としており、布で押さえた腕からは、血が滴り落ちてきている。布で押さえて、止血もしているとはいえ、血は時計のように一定の速度で地面へと落ちて行っている。

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「早く戻れ…。私達の技術と、今の君の力があれば、腕はきちんと元通りにできる。だが、このまま君が進めば、間違いなく死ぬ。止血していたとしても、今の君の体でも、あと10分も持たない。森を抜けるのには、例え、この森にかけてある封印を解いたとしても1時間はかかる」

 ロベルトという名でカテリーナ達には知られているサトゥルヌスは静かにそう言い、カテリーナへと手を差し出した。

 彼女は重々しい大剣を杖のように地面に突き立てたまま立っており、今にもその場に倒れ込みそうだったからだ。

 だが、カテリーナは息を切らせながらも答えた。

「10分…、10分ね…。人間の体って言うのは、不便だって、初めて知ったよ…」

 カテリーナは体をよろめかせつつ、森を更に進もうとした。だが、剣を引きずりながら進んで行こうとする彼女の姿は、いつ倒れても不思議ではない。

「死にたいか? お前が死んでしまっては、もう誰もお前の国を救えない」

 自分のすぐ脇を通って、森から出ていこうとする彼女を、サトゥルヌスは呼びとめる。

「ここにいたって、同じ事だ。どうしても、私を死なせたくないのだったら、今すぐ治療してもらいたいね。そうすれば、腕を落としたくらい、平気なのは、知っている…」

 カテリーナがそう言う間にも、どんどん腕からの出血は続いていく。

 サトゥルヌスが手を出し、彼女をこれ以上森の奥へと、そして自分達から、離れていかないようにする事は、今のカテリーナだったらできたかもしれない。

 力を取り戻したとはいえ、いまのカテリーナはあまりに弱っている。生身の人間よりも力を出す事が出来ないのではないか、と、サトゥルヌスは思った。

 しかし、カテリーナが再び森の奥へと足を踏み入れようとしたとき、その場にいた、カテリーナ、サトゥルヌス、そしてカイロスは、ある気配を感じた。

 その気配は上空から降り注ぐかのように彼女たちへと落ちてきていた。

 気配は、重々しく、彼女たちへとのしかかるようにやってきた。それは突然の気配で、接近する予兆さえも感じる事は出来なかった。

「参ったな…。君が力を取り戻した事で、君の居場所が知れてしまったようだぞ…」

 サトゥルヌスは、カテリーナにそのように言いかけると同時に上空を仰ぎ見た。

 森の木々よりもさらに高い場所、そこに黒い影が浮かんでいた。

 月が出ていたが、まるでその月を覆い隠すかのように、その影は姿を見せていた。

 その影はカテリーナ達のもとへと、まるで、重々しい石が落ちてくるような衝撃で落下してきていた。

 その衝撃により、森の木々は揺れ、さらにいくつもの枝さえも折れていた。

 今にも倒れそうなほど弱っていたカテリーナは、その場から吹き飛ばされそうになったが、寸でのところで、サトゥルヌスがかばったため、それは免れた。

 森の中に落ちてきたもの。それは黒い塊をした何かだった。それは岩のようにも見えたが、岩ではない。月の光を反射した体を持つ、金属だった。

 しかしただの金属ではない。金属の板が何枚も重ねあうようにして作られた、何かの塊、ちょうど、鳥の翼が折りたたまれているような姿をしていた。

 だが、鳥にしても大きすぎた。人間の体よりも数倍の大きさがある。もしこの翼が開かれたら、その翼は、5メートル以上もの大きさを持つだろう。

 翼はゆっくりと開かれた。

 カテリーナ達のもとに落下してきたのは、確かに、金属の翼を持つ何者か、だったのだ。

 思わず後ずさったカテリーナ。彼女たちが見ているものは、明らかに人の人知を超えた存在だった。

 これが巨大な金属の翼をもつ鳥だったら、まだその人知の範疇に含まれるものだったかもしれない。

 だが、これは鳥でさえない存在だった。カテリーナ達の目の前に現れたのは、金属の体を持つ、人だったのだ。

 人と取れるならば、人だっただろう。

 だが、人としてはあまりにその体が大きすぎた。おそらく身長は3メートル近くある。人間よりも巨人に近いかも知れない。

 月を背にカテリーナ達の前に立ちふさがったその者の姿は、巨大な黒い影そのものだ。金属の翼が、その巨大さを更に巨大に見せている。

 だが巨大なだけではない。この翼を持つ巨人は、圧倒的な威圧感さえも持っているようだった。それは重い空気となってカテリーナ達へとのしかかってきている。

「カテリーナ、フォルトゥーナ…」

 巨人は言葉を話した。

 人の言葉を話す事が出来る。それだけでも、この巨人がさらに大きな存在であるという事を決定的なものにした。

「何者だ、お前は…」

 だがカテリーナは臆することなくその巨人に言い放った。声は震えていたし、顔も真っ青だった。だがそれは並の人間ならば、致死量に相当する出血をしているためだ。

 カテリーナは臆することなくそう言ったのだ。

「私は、ゼウスという。お前をこの世に造り出した者だ…」

 ゼウス、と名乗ったその巨人は、ロベルトに抱えられているカテリーナの方を向き、そう意味を持った言葉を話した。

 言葉が、まるで言葉だとは感じられない。地震か地鳴りのようだ。

「ゼウス…、だと…」

 カテリーナは目の前の巨人が言ってきた言葉を言い返す。

「そう…、私はゼウスという。お前を連れに来た…」

 カテリーナはロバートにかばわれたまま、その存在を見つめる。その時彼女は感じていたが、自分よりもむしろロバートの手が震えているのだ。

 どんな場においても冷静でいた彼の手が震えているのだ。

「サトゥルヌス、カイロス。正直、私はがっかりしている。お前たちが、私を裏切るとは思っていなかったからだ。いや、ずっと以前から裏切っていたのか?」

 ゼウスと名乗った男の声が響き渡る。それは圧倒的な存在感があった。彼が言葉を発するだけでも、地面が揺れ動いているのだ。

「さあ…、さあな…?」

 カイロスがどもりながら言った。彼は目の前の存在に怖気づいているようだ。今まで自信満々の表情を絶やさなかったカイロスだったが、ゼウスと名乗った男の前では何をする事もできないようだった。

「たとえ我々が同志であったとしても、確かに意見の相違は生まれるだろう。だが、裏切りとなってしまえば、それは罪でしかない」

 まるで、天の裁きが下るかのような迫力と意味を持つ言葉。森の木々さえもがざわめく。

「だが、今は、お前たちの事を許す、許さないなどと言っている場合ではない。もうすぐ“時”がやって来る。お前達も知っている“時”だ」

 ゼウスは言った。彼は天を仰ぎ、声を轟かせる。

 そのゼウスの“時”という言葉に、カイロスは動揺したようだった。

「何だと…、“時”だと…。馬鹿な。それまでにはまだ2年は残っていたはずだ。もう、なのか?」

 サトゥルヌスも動揺し、そう呟いていた。

「予想以上に、力の強まりが高くなっている事が、私には感じられる。カテリーナの力が完成し次第、いつでも“時”はやって来るだろう」

 ゼウスは言った。

「そのような事は我々がさせん。お前の野望はこのカテリーナがいないと成り立たないのだろう?だったら、このカテリーナはお前には渡さない。それだけだ」

 サトゥルヌスが言い放つ。彼はカテリーナをかばった姿勢のまま、まだ手を震わせていたものの、それを押し殺すかのようにして言い放っていた。

「我に逆らうか、サトゥルヌス。だがお前の力では無駄な事だ」

 ゼウスはそのように言うと、サトゥルヌスの方に向けて手のひらをかざした。すると、サトゥルヌスは何かに突き飛ばされたかのようになって、背後へと吹き飛んでいった。まるで彼の体が紙のようになって吹き飛んでいってしまう。

彼はカテリーナからも手を放してしまっていた。

カテリーナは、目の前にいる巨大な存在に、ただ目を向けるしかなかった。

「さあ、これで邪魔者は消えた。行くぞ、カテリーナ・フォルトゥーナ…」

 そう言って、ゼウスはカテリーナへと手を差し出した。その手は非常に巨大な存在で、カテリーナの体など、すっぽりと包みこんでしまいそうである。

「理想の世界を作ろう。カテリーナ。お前ならばできる」

 ゼウスは、弱り切っているカテリーナの体を包み込んだ。彼女は抵抗することなどできず、ただされるがままになってしまう。

 彼女にはこのまま彼に連れ去られてしまうのか、何をされるのか分からなかった。

 ただゼウスはカテリーナに対しては全く敵意を見せず、ただ手を差し伸べるだけだった。

「さ…、させるかッ!」

 カイロスがゼウスの背後から銃を向けた。彼は叫ぶとともに銃弾をゼウスの背中に撃ち込んだが、全く手ごたえがなかったのだろうか?

 銃弾は外れてしまったかのように、ゼウスの体は微動だにしなかった。

 だが彼はカテリーナの体を、まるで軽いもののように抱えると、カイロスの方を振り向いて、一言だけ言い放った。

「無駄だ。お前ごときが何をしようと、我らの行いを止めることなどできん」

 それだけ言ってしまうと、ゼウスの巨大な金属の翼が羽ばたき始める。

 金属同士が擦れ合う音が響き渡り、巨大な翼が羽ばたく。その羽ばたきの衝撃だけでも森の木々は震え、近くに会った木などはなぎ倒されてしまった。

 ゼウスはその巨大な翼をはばたかせながら、抵抗する事が出来ないカテリーナの体を抱え、その場から飛び去る。

 空に浮かぶ月さえも覆い隠しながら、ゼウスは飛翔し、カテリーナをいずこかへ連れ去ってしまうのだった。

 

 

 カイロスはゼウスの羽ばたきによって吹き飛ばされてしまった体を起こしながら、まだ呆然としている自分に気が付いた。

 “彼”に最後に出会ったのは何年も前だったが、再び目の前に現れると、あれほどの存在だとは想像もできなかった。

 あんな存在に自分達が達向かおうとしている事を考えれば、非常にばかばかしく、むしろ愚かな事なのではないかとさえ思えてきてしまう。

 それがあの存在、ゼウスだった。

「おい、カイロス…」

 同じくゼウスの力に吹き飛ばされてしまっていたロベルトことサトゥルヌスが、足元をふらつかせながら、カイロスのもとにやってきていた。

「おい、無事だったか?」

 と、カイロスはサトゥルヌスに尋ねる。軽い怪我こそしているようだったが、サトゥルヌスはどうやら無事のようだった。

「カテリーナをすぐに探すぞ…、ゼウスの事だ。我々が到底手の届かないような場所へと隠そうとしている…」

 サトゥルヌスは冷静にそう言うのだった。カイロスは未だに切らしてしまっている自分の息を感じながら、彼と共にゼウスという存在が飛び去って行った月夜を見上げていた。

 彼らはこれから何が起ころうとしているのかをはっきりと知っていたし、それが何を示すのかも理解していた。

 そのためには、たった今から行動しなければならない。

 そう、たった今からだ。

 

説明
何とかロベルト達から逃れようとするカテリーナ。しかしながらそんな彼女の目の前に、強大な存在が現れるのです。
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