おまじない |
外科に戻ってきてからというもの、慌しい毎日が続いている。
やっぱり戻ってきて思うのは、外科は内科と違って、一分一秒が勝負だっていうこと。
もちろんできるかぎりの予防策はとりながら、異変に気付いたらすぐに処置。なかなか気の抜く時間がなくて大変な仕事だけど、やりがいはある。
ここまで来るのに紆余曲折あったけれど、外科に戻ってきて本当に良かったって、思う。
……それでもやっぱり、慣れない仕事には目を回すこともしょっちゅう。あまりにひどいとパニックになりかけたりもする。
そういう時、わたしはそっと胸に手を当てて大きく深呼吸。自分の心臓の、とくんとくんという音を聞いているうちに、不思議と気持ちが落ち着いてくる。
「ねえ、藤沢さん。いつもやってるけど、あれって何?」
「あれって?」
「ほら、たまに胸に手を当てて、何かやってるじゃない」
詰所に戻る途中、先ほどまで一緒に看護に当たっていた同僚の看護師が、興味津々といった様子で尋ねてきた。
「ああ、これはおまじないみたいなものです。パニックになった時とかにやると、落ち着くって教えてもらったんですよ」
「ふうん……」
わたしはいつもそうするように『おまじない』をしてみせる。ゆっくりと心音を聞いていると……何故だろう、あの子を近くに感じることができる。二人でいるとき、ぎゅって抱きしめられているときのようなような、温もりを感じることができる。
だからどんな辛いことがあっても、わたしはわたしでいることができる。
「まっ、でもこれ嘔吐介助のときは効きませんけどね。据えた臭いを思いっきり吸い込んじゃうから」
「あはは、藤沢さん、嘔吐介助だけは苦手だもんね」
どうにもあの据えた臭いがダメなんだよね、わたし――などと話していると、急に詰所の方からナースコールが鳴り響いた。
「どうしましたか? ……はい、はい! わかりました。203の患者さんが――」
コールを取った看護師の声を聞きながら、どうやらまた忙しくなりそうだなと思った。
☆ ☆ ☆
「なあ、沢井。なんか最近、外科でこういうおまじないが流行ってるらしいんやけど、知っとるか?」
申し送りの終わった朝の詰所の中、その『おまじない』とやらを実践する山之内さんを見て、わたしは思わすにやけてしまった。だって、その『おまじない』って、両手を胸に当てて目を閉じ、大きく深呼吸するというもの。それはわたしがよくやる癖そのものだったから。
(……きっと、なぎさ先輩だな)
自分がおまじないと称してこれを教えたのは、なぎさ先輩だけだし間違いないだろうな。……だけど、そんなに色々な人に知られるぐらいやってくれていたなんて、少し嬉しくなっちゃう。
「これやると、リラックスできるとか肩こりが治るとかって話なんやけど……まあ、こんなん効くわけないやんなあ。まあ、プラセボ効果ぐらいはあるかもしれんけどな」
「あはは、それはそうですよ」
わたしはにこりと笑って、自分もその『おまじない』をしてみせる。
「だってあれは……わたしと先輩にしか効かないおまじないですから」
もうわたしには癒しの手はないけれど、この小さな鼓動を聞いているうちに、すっと心が安らいでいくのがわかる。そして、先輩に抱きしめられた時の、鼓動の高鳴りを思い出すことができる。
だから今、こうして離れていても、わたし達は平気。こうすればいつでも、繋がっていることがわかるから。
「……ふうん、なるほどなぁ」
山之内さんはわたしをまじまじと見つめ、そして口元をふっと緩めた。
「なんや、色々あったけど、あんたら上手くやってるんやな。ちょっと安心したわ」
「はい! ありがとうございますっ!」
あの時山之内さんや主任さんにはとても迷惑かけちゃったものね。今こうして頑張ることで、いくらかその恩返しができていればいいのだけど。
「さーて、朝からのろけも聞かせてもらったことだし、張り切って朝のおむつ交換いきますかね」
のろけとどこに関係があるのかはわからないけれど、まあでも頑張るのは悪いことじゃないよね。
「はい!」
とわたしは大きく頷くと、ゴム手を持って山之内さんの後に続いた。
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白衣性恋愛症候群 藤沢なぎさTrueEnd後のお話。 外科病棟で働くなぎさには、ある元気の出るおまじないがあった。それは―ー |
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