はるのゆきはいつかどこかで(古いの引っ張り出してきたその弐)
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中国唐代の詩人、孟浩然 『春暁』曰く、

       <春眠不覚暁、処処聞啼鳥>

        「春眠暁を覚えず」

 

 

 

 

だからといってこれは寝すぎだろう!

枕元の時計をみて思わず現実逃避的な言い訳を考えた自分につっこみをいれる。

昨夜は丑の刻辺りには床に就いた覚えがある。つまり丸半日と六時間程寝てしまったわけだ。

 

さて、どうしたものか。

久々の休日ではあるが特に予定もないし、散歩がてら買い物にでも行こうかと思ったらこれだ。

こんな時間では近所の店はしまっているだろう。ついてないというか日頃の行いというか……おそらく後者だろう。あまり気は進まないが寝すぎでぼけたアタマのために散歩だけでも行こうと思い、私は反動をつけて起き上がった

 

 

頭上に見える空には星一つない。ただわずかな雲の切れ間から、辛うじて月明かりが差し込んでいるだけだ。多少不便はあるが、よく知った道を歩くにはこれで十分だ。

春とはいえ、日が沈むと肌寒さを感じる。凛とした冬の空気というものがまだ残っているようだ。

月光に照らされてうっすらと輝く雲はなかなかに風情がある。何処ぞの絵の背景のようで、夜の散歩もそう悪くはないと思わせてくれる美しさをもっていた。

 

寝坊もまあ、たまにはいいか…。

 

私は一人ごちると、決まりの悪さに歩調を早めた。

 

 

私の散歩は特に目的があるわけではない。

何かを見に行くわけでもなく、ことばが悪いかもしれないが、ただふらつくだけなのだ。短くて二十分、長ければ一時間以上歩き続けていることもある。運動が目的というわけでもないが、勉強に息詰まると外に出ることが多い。ふらふらと歩き回って帰ってくると、血の巡りがよくなるのかとても頭の回転が速くなる…ように思う。定期考査中など遅くとも昼過ぎには帰宅するのでよく散歩に出る。親の冷たい視線がなかなかに痛いが、まあそれはそれである。

 

 

ふと、傍らの土手の斜面に、一本の比較的大きな桜があるのが目にとまった。

 

それ位の大きさの木はさほど珍しくもなく、葉も花もない木を見て桜だとわかるほど桜は身近なものであったので桜が珍しいわけでもなかったが、その桜は何か違っていた。

 

 

………あ。

 

 

私は立ち止まり、錆びたガードレールに手をつき、身を乗り出した。手が赤茶になるかもしれないが、そんなことはどうでもいい。ただ確かめたかった。

 

 

…やっぱりそうだ。

 

 

蕾がないのだこの桜には。春のこの時期に。そのうえ幹の根本の方からでている芽も、枯れている……。

 

―?

 

何か張ってある。

私はガードレールを乗り越え、〈何か〉をよくみようと近づいた。

 

暗くて読みづらかったが、要は、もうまもなく、この木が切られるということ。

 

いつ倒れるかわからないような状態で危険である、と言うのがその理由。

 

 

勝手だなあと思った。

でもたぶん勝手なのは私も同じなのだろう。

 

勝手だなぁと思っている私を何処かで誰かが勝手だと思っているのだろう。

人は何処へ向かうのだろう。

わたしはどこへいくのだろう?

悲しい苦しい悔しい迷い・・・そして逃げてまた悲しんで。

 

 

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目をつぶって。

手を伸ばして、ふれてみた。木肌の乾いた感触、苔のやわらかさ。そこに人肌のような温かさはないけれど、まだ、生きているのだと、そう感じて、私はゆっくりと瞼をあげた。

 

 

 

 

 

 

さくら

 

 

 

ふわりふわりとそれはまるでゆきのように

 

うすずみいろのくもをせなかに

 

ほそいつきにてらされて

 

あわくはかないももいろの

 

それはさいごのはなふぶき

 

それはさくらのうつくしさ

 

 

 

 

 

 

―目の錯覚だったのだろう。一度瞬きをすれば消えてしまったのだから。

 

だから。

 

「ありがとう」

 

また今度。

 

魂というものは輪廻転生を繰り返しているそうだから。きっとまたあえるだろう。いつか、どこかで。私が私であるかぎり。

 

 

 

説明
出てきた記念第二弾。

詳しくは『永遠の幻 永遠の夢(古いの引っ張り出してきたその壱)』参照。

あ、この物語はフィクションです。
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