鞍馬天狗と紅い下駄 そのいち
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一、「くららちゃんとたまちゃん」

 

 山の陰に日も沈もうという頃。夕暮れにとっぷりと落ちた鞍馬の山の中に、一人歩みいる少女の姿があった。白い袴姿に短く切り揃えられたおかっぱの髪。もみあげの辺りにある紙をはっとするような赤い紐で結い上げた彼女は、袖につけた黄金色の鈴を打ち鳴らして山頂へと九十九折りの坂道を登って行く。

 何をしに来た伏見稲荷の。どこからともなく山の中に声が響く。

 それは人ならざる者の声ならば、森の何処とも分からぬところから忽然と湧き上がってきた。苔に覆われた岩を穿つ水から響いたかと思えば、どこまでも鬱蒼と茂る木々の合間から沸いたかにも聞こえた。あるいはただの人となれば、暗き足元に敷き詰められた小石たちを蹴り上げる度に、その音が響くようにも捉えられただろう。

 奇奇怪怪、妖怪変化の仕業。しかし、彼女は少しも臆することなくその場に立ち止まると、声の正体見たりとばかりに、その視線を狭き木々の合間の空に向けた。

「久しぶりですね、鞍馬の女天狗よ。貴方の下を訪れるのは、かれこれ十年振りということになるでしょうか」

「こまごまとしたことをよく覚えているわね。人の単位で測れぬ時を生きてるくせに」

 小石と落ち葉を巻き上げて強き風が舞い上がる。夜空の明星が一際輝けば、流星の如くそれは姿を消して、すぐさま紅く輝く二つの星に変わった。

 星ではない、それは、紅く光る人ならざる者の眼であった。明星を隠したのはその者であり、風を起こしたのもその者であった。闇よりもまた更に暗く、その輪郭を浮き上がらせている漆黒の翼が、少女の頬に強き風を送っていた。

「久しぶりじゃないタマヨリヒメ。神様のお役目に熱心なアンタが、妖怪風情の私の元を訪れるなんて、明日は雨でも降るのかしらね」

 静に少女の前に降り立ったのは、彼女の倍の身長はあろうかという大女。黒い長髪に黒い翼、黒い修験複に紅い星が輝いている黒い帯。その帯に輝く明星よりもこと更に紅い瞳に紅い下駄、白い鼻緒に白い肌。その手に持った、青々しいうちわだけがまだ生気らしきものを感じさせる、何やら異様な女であった。

 そんな異様な娘に、またしても少女は臆することもなく近寄ると、なんでもない感じに彼女に頭を下げた。それを面白くないという感じに、鼻先を振る女天狗。

「人が私にそれを望むのならば、喜んで雨でも降らせましょう。ようやく出てきましたか、鞍馬天狗の娘よ。岳父殿は元気にされていらっしゃいますか」

「法眼と毎日囲碁打ってるわ。千年近くも、よく飽きないものよね。で、なんの用かしら。貴方みたいな真面目ちゃんが私の下を訪れるのは、決まって用事があるでしょう」

 察しが早くて助かりますよと、少女は言った。平静な、抑揚のない、無機質な声で。

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二、「いまりときょうのうんせい」

 

 夏休みに入り、日がな一日いまりと遊ぶだけの毎日に、なんだか疑問を感じてしまった僕は、桜花さんの紹介で近所の魚屋でアルバイトをはじめることになった。

 なんでアパートの管理人である桜花さんが魚屋のおじさんと知り合いなのか。そこの所はよく分からなかったが、せっかくの夏休みだ。そのうち、センパイに誘われて、どこかに出かけることもあるだろうから、軍資金もそれなりに用意しておかなくてはいけない。結句、二つ返事で僕は桜花さんの誘いを受けた。

 そして、出勤二日目でもっとスーパーとかコンビニとか、そういう無難な所にしておくべきだったと後悔した。魚屋さんの朝は、思った以上に早い。そして、僕のアルバイトの内容と言うのも、腕を骨折してしまってろくに物を運べない店長の代わりに、朝の競に車を出して、競り落とした荷物を運んだり、と、そういう物だったのだ。店の前で奥様達に魚を売る仕事は、それはできるからと、断られてしまった。

 という訳で、朝の三時に起きて八時前に帰宅するという、学生にしてはハードな夏休みを僕はここ数日というもの過ごしているのだった。

「ただいまぁ。いまりさん、お兄ちゃんのお帰りですよー、そろそろ起きなさーい」

 玄関の扉を開けて僕は可愛らしい同居人の名前を呼ぶとそのまま風呂場へと向かう。築うん十年のボロアパートだけれども、学生の下宿としては嬉しい事に、僕の部屋には風呂があった。その風呂場に、僕の同居人にして仮の妹はいつも寝ている。

 風呂の蓋をはがせば、僕の膝上近くまで張られた水の上に、ぷかりぷかりと気持ちよさそうに浮かんでいる少女の姿が見えた。人が一生懸命働いて疲れてるっていうのに、この娘ときたらなんて良い顔して寝てるんだろうか。涎まで垂らしちゃって。

「ほら、いまり、いまり、いーまーりーさん。起きなさいって、もう、朝だよ」

「やー、もうちょっと。いまり、きのうは、キングクルールたおすのにいそがしくて、ねてないんだもん。もうちょっと、あと、いちじかん」

 そういう時はあと十分とかいうものだろう。このぐーたら娘め、完全にだらけきっていやがる。しかも夜遅くまでゲームなんかして、目が悪くなったらどうするんだ。

 まったく、桜花さんめ。パチンコで大勝したからってなんでこんなものを。

「もう、そんなに寝たいなら寝てればいいよ。お兄ちゃん、一人でご飯食べちゃうよ」

「おにいちゃん、いまりのきゅーちゃんのこしといてね、おねがいよ」

「どうしようかな。もう残り少ないからな、全部食べちゃおうかな」

「てんびんざのきょうのアンラッキーアイテムは、きゅーちゃんなんだよ。おにいちゃん。てんびんざだよねー、きゅーちゃんたべたら、きょうはアンラッキーだねー」

 なんだよアンラッキーアイテムって。どんだけきゅーちゃん食べたいんだよ。

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三、「いまりとスーパーファミコン」

 

「ねぇお兄ちゃん、とくだねもうおわったー?」

 テレビを見ながら一人で寂しく納豆をつついていた僕の背後で、眠たそうな少女の声が響いた。振り返れば目を擦りながら、頭に紙のお皿を乗せた少女が立っていた。

 寝ぼけていても流石は河童。頭の皿はしっかりと付けている。しかしながら、ふらふらとおぼつかない動きをしている所を見れば、とても高級なお皿を頭に載せることはできないな。例えば、その名前と同じような伊万里のお皿などは。

「終わったよ。ついでにごはんも終わりました。いまりさんのごはんはありません」

「そんなこといっちゃってー、ちゃんとよういしてあるくせに、もう、いけずぅ」

 どこでそういうノリを覚えてくるんだ、お前は。

 考えるまでもない、このアパートの大家くらいしか、こんな面白いことを言う知り合いは居ないじゃないか。あぁもう、昔の純粋だったいまりを返してくれ。

 断った所で泣きじゃくるのは目に見えていた、僕は仕方なくちゃぶ台の前から立ち上がると、いまり用のプリキュアの絵が入ったお茶碗を手に取り、ご飯を盛った。

「おにいちゃん、きゅーちゃんあたらしいのあけていいー?」

「まだ古いのが残っていただろう。それ全部食べてからにしなさい」

「ふるいのぜんぶたべちゃっていいのねー。わかったー。じゃぁ、ぜんぶたべるー」

 そういう意味じゃない。勿体ないから、開けるなという意味だ。間違いなく確信犯、振り返れば笑顔のいまりが、手にきゅーちゃんがみっちり入ったパックを持って、こちらを見ていた。河童のきゅうりへの執着心、恐るべし。

「あっ、おにいちゃん、きょうのけつえきがたうらないせんしゅけんはじまるよ!!」

「血液型も何も、お前、河童じゃないか。そんなのあるのか?」

「そんなのはどうだっていいじゃない。ささいなことよ」

「そうか、うん、些細な事だな」

 テレビの前にかじりつくと、輝いた目でレースの開始をまついまりさん。女の子というのは例外なく、占いだとかそういうのが好きなのだろう。

 女の子の前に彼女は河童だけれども。その癖、相撲はあまり見ないんだよな。

「きょうのいまりはこのさんかくちょんちょんがたってやつなの」

「A型な。漢字はそこそこ読めるのに、どうして英語は読めないのかね、お前」

「そんなことないもん。いまりしってるよー。このおうかねーちゃんがくれた、しゅーぴゃーふぁみきょんのあかくてまるいの、えーぼたんっていうんだよ」

 なんだか誇らしそうに胸を張るいまり。しかしながら、確りと言いきれていない。

「はっ、いまり、きづいた。えーぼたんおしたら、えーがたさん、はやくなるかも」

説明
河童幼女と暮らすほのぼの小説。短編なので気軽に読んでください。
pixivで連載していた前作「河童いまりと頭の皿」はこちら。⇒ http://www.pixiv.net/series.php?id=31613
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河童いまりと頭の皿 幼女 妖怪 ほのぼの ギャグ 

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