黒髪の勇者 第五話
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第一章 チョルル港(パート5)

 

 結局、グレイスの誘いを断りきれず、いや、寧ろ積極的に酒を含んで頬を軽く赤らめたビックスをフランソワが散々になじった後、詩音を含めた三人はチョルル港を離れて、シャルロイド公爵家の館が存在するという、シャルルの街へと向けて移動を開始した。移動手段が徒歩だと告げられて詩音はどれ程の時間がかかるのだろうか、と覚悟したが、聞けばシャルル港から僅かに南下して半時間程度の位置にあるらしい。距離にして二キロ程度だろうか、と詩音は考え、フランソワの後に続いてチョルル港を後にしたのである。

 その後、貿易業者でひしめく街中を抜けて到達した場所が、シャルロイド公爵家の館であった。フランソワに聞くところによると、チョルル港も含めてシャルルという街であるらしい。現地の人間は、余りに広大な港の規模を考えて、市街地が広がる一帯をシャルルと、そして港をチョルルと呼び分けているとのことだったが。

 さて、その建物は、詩音であっても流石と思わせる、広く、そして美しい建築物であった。見事に統一された赤レンガで建造された建物は、詩音にとっては少しレトロに感じるところがあったものの、これまでの人生の中で見学してきたレンガ造りの建物とは異なり、生活の雰囲気がどこかしこと漂ってくる点が大いに違うところだと言えるだろう。成程、確かに貴族の邸宅らしい、と詩音が考えた時、先行していたフランソワが一度詩音を振り返り、そしてこう言った。

 「先に着替えたほうがいいかしら?」

 そう言われて、詩音は昨日から着替えをしていないことを思い出した。昨日台風に襲われた服は朝からの太陽に照らされてすっかりと乾いてはいたが、この状態のままで初対面の、しかも貴族の館に入ることはどうも憚られる。

 「サイズが合うものがあれば、是非。」

 詩音がそう答えると、フランソワは軽く頷き、ビックスに向かってこう言った。

 「シオンに服を用意してあげて。」

 

 とりあえず、自分で整理できることは整理しようか。

 一人が入るには広すぎる湯船に浸かりながら、詩音はぼんやりとそう考えた。ビックスが服を用意している間、湯浴みでもどうかと誘われて詩音は二つ返事でそれを了解したのであった。べたつく髪を一日ぶりに洗い流して、のんびりと風呂に浸かると、何処かで疲労しきっていた身体に芯が入っていくように、思考がすっきりとしてゆくことを自覚する。

 まず理解できたことは、この世界が何処にあるのか、そもそも地球であるのかも疑わしいが、少なくとも現代の地球よりは科学が発展していない世界であるらしい、ということであった。それはチョルル港に停泊していた船舶を見ても、ここまでの距離を歩く間に自動車や鉄道らしきものを一つも見かけなかったことからも判断ができる。

 そして、勇者とは。

 どうやら過去に、この場所、ミルドガルドという場所に勇者と呼ばれる存在が訪れたらしい。そしてどういうことか、フランソワやビックスの話から推測するに、その勇者は黒髪黒眼を有している。確かに、港湾業者を見ても、漁師を見ても、街を歩く人々を見ても、黒髪を持つ人物が誰一人として存在していなかったから、そもそも黒髪の人物が珍しいのだろう。それに、伝説とは一体なんなのか。今分かっている伝説は、魚料理を伝えた人物、ということしか分かっていないけれど。

 そこまで考察して、詩音は重い溜息を漏らした。落ち着いてみて不意に、家族のことや、昨晩「また明日。」と別れた真理のことを思い出したのである。

 あいつ、今頃泣いているだろうな。

 母親の性格から考えて、多分一番に真理の家に連絡を入れているはずだ。その後は警察に届け出たか、道場の主である母親の父親、つまり詩音の祖父に相談しているか。自分がどのような扱いになっているか、まるで検討が付かなかったが、詩音は唯一つ、真理が恐らく自分を探して歩き回っているのではないだろうか、という点だけ、妙な確信を抱いていた。多分真理は、時折涙を拭いながら、自分のことを探している。

 「早く、戻らなきゃ・・。」

 ぽつり、と詩音は呟き、その声が浴場のタイルに拡散して響き渡った。その音が虚空の最中に消えたことを確認すると、詩音はえい、と意を込めるように立ち上がった。

 

 「随分、さっぱりしたね。」

 ビックスの用意した、クラシカルな洋服に身を包んで現れた詩音の姿を見て、ソファーに腰掛けたフランソワは相変わらず、ゆったりとした表情で微笑んだ。

 「儂の古着のサイズが合ってよかったわい。」

 そのビックスも、既に鎖帷子を脱いで、動き易そうな服装に着替えを終えている。ビックスから借り受けた洋服は、少しネック部分がせり上がっていることが窮屈といえば窮屈だが、顎に突き刺さらない分、学生服よりはマシだと言えるだろう。

 「まずは座って、シオン。今、お茶を用意するから。」

 それではと、詩音はフランソワに勧められるままにソファーへと腰を下ろした。驚くほど柔らかい、座り心地抜群のソファーであった。一体、いくらするソファーなのだろうか、とつい貧乏くさいことを考えていると、扉が開かれ、二人のメイドが入室してくる。それぞれティーセットと、ふんだんに盛り付けられた洋菓子をトレイに収めていた。詩音の知るメイドと言えばコスプレ衣装の一つでしかないが、この二人は本職も本職らしい。同じようなメイド衣装に身を包んでいるにも関わらず、全身から醸し出す空気がまるで違う。一言どころか、余計な物音一つ立てずにテーブルへと近付いたメイドは、詩音とフランソワ、そしてビックスの前にそれぞれ白磁のソーサーを置き、その上に事前に温めていたらしい、空のティーカップを乗せた。その作業を終えると、カップと同じような白色のポットから、とろとろと飴色の液体を注ぎ始める。途端に、強い、そして心地のよい甘い香りが室内を包んでいった。

 「ストレートでいいかしら?」

 紅茶が注がれると、詩音の真正面に着席しているフランソワが詩音に向かってそう訊ねた。その言葉に詩音は軽く頷く。目の前には既に、クッキーらしい焼き菓子が備えられている。これ以上、甘いものは必要ないだろう。

 「下がっていいわ。」

 詩音の返答を確認すると、フランソワがメイドに向かってそう指示を出した。早速とばかりに、詩音の左隣に陣取ったビックスが紅茶に手を伸ばす。それに続いて、詩音もティーカップを手に取り、そのまま、一口含んだ。心地よい、計算された温度に、舌の上を転がる甘い苦味。詩音でも分かる、超一流の紅茶であった。

 「まずは、どこから話そうかしら。」

 ソーサーへとカップを戻す時、小さな金属音をつい響かせてしまった詩音とは違って、全くの無音のままカップを一度置いたフランソワが、少し考えるような素振りを見せながらそう言った。聞きたいことはいくらでもあったが、詩音はただ、フランソワの言葉を待つ。何から質問すればいいか、詩音の中でも整理できていなかったのである。

 「黒髪の勇者の伝説から、お話しましょうか。」

 少しの間をおいて、フランソワはそう言った。その言葉に、詩音は頷く。

 「少し長い話になるけれど・・。」

 そう言って、フランソワは語りだした。朗々と、言葉に悩む様子も見せずに。

 

 ミルドガルド大陸。

 世界の西端に位置するその大陸では、古代から複数の国家が存在していた。

大陸一の歴史を持ち、ミルドガルド大陸南部の海に浮かぶアリア島を拠点とするアリア王国に加えて、大陸の西部では大国であるシルバ王国が、そして大陸の東部では、アリア王国から見て手前にコンスタン王国が、そしてその奥、ミルドガルド大陸の最東端にはグロリア王国という国家が存在していた。それぞれの国家は小競り合いこそ存在したものの、基本的には互いに尊重し合い、相互に協調した発展を続けていたのである。

 だが、その牧歌的な状況に一石を投じた国家がある。大陸東部、コンスタン王国とグロリア王国に挟まれる地域に誕生したビザンツ帝国であった。ミルドガルド暦100年ごろ誕生したと言われるビザンツ帝国は、ミルドガルド暦185年、第四代皇帝スレイザの即位と時を同じくして、全方位に渡る侵略戦争を開始したのである。グロリア・コンスタンの両国は数年の内にビザンツ帝国の支配下に置かれ、その勢いは西部に位置するアリア王国に、そしてシルバ王国にと拡大していった。

 当時大陸一の国力を持つと噂されたシルバ王国はビザンツ帝国の猛攻撃の前にあえなく滅亡した。唯一残されたアリア王国も、海を味方につけて善戦したが、最終的に帝国軍の上陸を許して王都を喪失、アリア王族もまた、王女イリアルだけを残して全滅した。そのイリアルも残された僅かな護衛兵と共に、アリア東端海岸に位置するアテネアの街へと落ち延びることになったのである。だが、ビザンツ帝国は万が一の反乱を恐れて、イリアルを討ち取るために軍をアテネアに派遣した。一万とも二万とも言われる大軍相手に、イリアルが用意できた兵士は街の義勇兵を含めても一千程度であったという。

 だが、その時、奇跡が起きた。

 アテネアの街に、勇者が光臨したのである。

 その者は、黒髪黒眼を持つ青年であった。彼は奇妙な、恐ろしいほどの切れ味を持つ湾曲した刀を持ち、アリア王国がそれまで触れたことのない、皮と金属を絶妙な具合に組み合わせた甲冑と、金色の角を生やした兜を身につけていたという。そして勇者は、十倍にも及ぶ帝国軍に対して、素晴らしいまでの戦術を用いて逆襲を仕掛けた。即ち、隘路に誘い込み、崖上からの逆落としという、想像を絶する戦術で十倍にも及ぶ帝国軍を混乱に陥れ、そして打破したのである。ミルドガルド暦198年の出来事であった。後にアテネアの戦いと呼ばれたその戦いに勝利したイリアル軍は王女イリアルと、多大なる功績を挙げた勇者を旗印として、堂々と祖国奪回戦争を開始した。アテネアの勝利はミルドガルド大陸に瞬く間に広まり、大陸全土における、対ビザンツ帝国を目的とするレジスタンスが五月雨式に蜂起することになったのである。

その中でも大規模な反乱として、マニエルの反乱とスノッリの反乱の二つを上げることが出来るだろう。

元来、ミルドガルド大陸で広く信仰されるヤーヴェ教の司祭であったマニエルは、旧シルバ王国の田舎町で蜂起し、崩壊しかけていたヤーヴェ教の教会組織を纏め上げてビザンツ帝国に反旗を翻した。一方、ミルドガルド大陸北方に位置する、大平原が広がるフィヨルド地方では元来馬賊であったスノッリが蜂起した。イリアル、マニエル、スノッリの三者は程なく軍事同盟を締結し、十数万にも及ぶ大軍を率いた連合軍がビザンツ帝国に向けて進軍を開始したのである。東、北、そして海上から攻め立てられたビザンツ帝国は必死の抵抗も空しく敗退を続け、そして連合軍は帝都ビザンティオンへと迫った。ビザンティオン攻防戦は半年間という長期にわたる戦闘になったが、最終的に兵数と補給で勝る連合軍が勝利した。最後まで抵抗したビザンツ皇帝スレイザもまた勇者との壮絶な一騎打ちの上に討ち取られ、ここに漸く、後に大陸戦争と呼ばれた、足掛け20年にも及ぶ戦争が終結したのである。

 その後、皇帝を失ったビザンツ帝国は連合軍の手により分割させられ、各個に小国家として独立させられることになった。また、コンスタン王国とグロリア王国は王族の近縁者を王と立て、再度の独立を果たすことになった。一方、北部草原地帯ではスノッリを国王とするフィヨルド王国が、西側の旧シルバ王国ではマニエルが自ら教皇となり、宗教統治を前提としたシルバ教国が、そしてアリア島にはイリアルが女王となってアリア王国がそれぞれ成立し、或いは独立したのである。

 

 「それが勇者の伝説。勇者の生い立ちは現在も尚不明で、伝説にはニホンと呼ばれる異世界から降り立ったとされている。」

 まるで吟遊詩人の歌でも聞いているように、分かり易くミルドガルドの歴史を話し尽くしたフランソワは、締めくくりとばかりにそう言うと一度言葉を止めた。話し過ぎて乾いた喉を潤すために、すっかり冷め切ってしまった紅茶を再び持ち上げて、ぐぃ、と飲み干す。

 「忘れていたわ。」

 飲み干したカップをソーサーへと戻しながら、フランソワがそう言った。そのまま、言葉を続ける。

 「勇者様のお名前。ヨシツネ様とおっしゃるの。戦いの後にイリアル様と結ばれて、イリアル様の統治を傍で支えたと伝えられているわ。」

 「ヨシツネ・・。」

 その名前をぼんやりと繰り返しながら詩音は、どこかで聞き覚えのある名前だと考えた。ヨシツネ。勇者。戦術家。逆落とし。その言葉に該当しうる人物を詩音は十分に知悉していた。否、日本人なら誰もがその名前を思い浮かべるだろう。

 「源義経・・?」

 「知っているの、シオン?」

 思わず、という様子で身を乗り出したフランソワに対して、詩音は確信が持てない、という様子で頷いた。だが、他に該当する人物も思い当たらない。そう決意して、詩音はフランソワに向かってこう答えた。

 「俺の知る義経なら、確かに日本史に名だたる武将だけれど。」

 だが、義経は頼朝に殺されているはず。いや、だが、もしかしたら。

 「異世界に紛れ込んで消滅したために、死亡と報告された?」

 「どんな人なの?」

 独り言のように呟いた詩音に対して、フランソワがそう尋ねた。

 「戦の天才、と言えばいいのかな。俺にとっても歴史上の人物で、時代は・・鎌倉幕府が成立する直前だから、1192年より少し前の・・。」

 そこで詩音は、思わず言葉を飲み込んだ。

 「どうしたの、シオン?」

 「800年前だ・・。」

 「800年前?」

 フランソワの問いに、詩音は一度、深く頷いた。

 「義経の時代も、俺の時代から計算して大体800年前になる。そして彼は、若くして実の兄と仲違いして・・殺された、ことになっている。」

 「どういうこと?」

 「一部で義経の生存伝説があって・・。本当に殺されたのか、疑う人も確かにいる。」

 「なら、異世界から来たという話も辻褄が合うわね。それに、ヨシツネ様はミルドガルドに降り立った時、体中に矢傷を背負っていたと文献にあるわ。」

 そのフランソワの言葉を受けて、詩音はもう一度思考を巡らせた。俺と同じように、あの光り輝く靄に包まれて、この世界に逃れたというのだろうか。確かに、フランソワの話と義経の伝説は妙なところで符号している。

 「光の靄。」

 暫くして、詩音はフランソワに向かってそう言った。

 「俺は、妙な光の靄に包まれて、そして気付いたらこの場所にいた。」

 「ビンゴ。」

 確信を得た、というような自信に満ちた口調で、フランソワはそう言った。そして、続ける。

 「『勇者は光と共に訪れた。』アリア王国の古文書には、そう書かれているわ。」

説明
第五弾です。

ということで初代勇者のネタバレです。

次回もよろしくお願いします。

黒髪の勇者 第一話
http://www.tinami.com/view/307496

また、ミルドガルド大陸の地図を近日中に用意する・・予定です。
当面お待ちくださいませ。
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コメント
氷菓さま>コメントありがとうございます!ビザンツ帝国はこの後も色々絡んでくるのでお楽しみください。義経は一部で囁かれている生存説を元に書いているので、弁慶は登場しない予定です^^;ただ、今後別の、「生存説が流れる歴史上の人物」は登場する予定です。これからもよろしくお願いします!(レイジ)
ビザンツ帝国強ェェェwww。そして勇者が義経とはwww。パーティーに弁慶いなかったのかな?(氷菓)
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異世界 ファンタジー 戦記物 戦艦 勇者 黒髪の勇者 

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