This is "just" a pen
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 その日は書類作業の多い日だった。入院と退院がたまたま重なったこともあり、看護師は全てそちらの対応に追われていて、その分の書類作成、記録や報告をわたしがこなしていた。もう一人ぐらい……副主任のような人がいてくれたら助かるのだけれど。

「点滴終わりました〜」

「ああ、山之内さん。おつかれさま」

 そんなことを思いながら書類の山と格闘していると、山之内さんが詰所に戻ってきた。……そう、彼女のような人がもう少し役職に興味を持ってくれたら、わたしも助かるのだけれど……。

 山之内さんは記録用紙を手に取るとわたしの向かいにどすんと座った。その額には深い皺が寄っていて、どうやらかなり苛ついているようだった。

「……くそ、あのジジイ、人のケツ触りまくって! 代わりにきつーく血止帯、巻いてやりましたけど」

「気持ちはわかるけど、山之内さん、そういう不適切な言い方はよくないと何度言ったら……」

「へいへい、わかってますて。けど、ホンマにどうにかしてくださいよ、あの患者。うち以外だって看る可能性はあるんですよ?」

「……わかっています」

 山之内さんだからうまくいなせているけれど、これが他の看護師だったらもっと面倒なことになっているだろう。実際、夜勤さんの方からは苦情が上がってきている。それにしても、頭の痛い問題が次から次へと……思わず額を押さえる。

「頼みますよ、ほんまに……あれ? 主任、それどないしたんです?」

「え?」

「いや主任、そんな可愛いペンなんて、持ってたんやなって思って」

「……ああ、これのこと?」

 わたしは使っていたボールペンを軽く振ってみせる。ペン自体は普通のボールペン、ただそのお尻に可愛らしいクルミを抱えたシマリスがついていた。

「変、かしら?」

「いや、そないなことはないですけど……意外やなあと思って」

 確かに、自分ではこんなキャラクタの付いたペンなんて買わない。普段は病院の備品か、シンプルなデザインのものを愛用している。

「ふふこれはね、いつもお世話になっているからって、沢井さんにもらったのよ。せっかくもらったのに使わないなんて、もったいないでしょう?」

「へえ、沢井からねえ。ほお……」

 意味深な笑みを浮かべる山之内さん……わたしははっとして、慌てて否定する。

「な、何よ? 言っておきますけれど、他意はありませんからね」

「はいはい、わかってますって……なあところで主任、ものは相談なんですけど」

 山之内さんはキラリと目を光らせ、ペンを持つわたしの手をガシッと握る。

「うち、そういうの実は集めとるんですわ。なんで、もしよければ譲ってもらえたらなって思うんですけど……」

 ……そんな話、彼女と長い付き合いでも初耳なんだけど。

「な? ええでしょ?」

「だ、だめよ。そんな、他人に貰ったものを気軽にあげるなんて――」

「な、この通り。何なら主任の仕事、幾つか肩代わりしてもええから!」

 魅力的な提案であった。……けれど、そういうわけにはいかない。

「何でですの? ただのボールペンなんでしょ?」

「そうですけど……でも、いくら頼まれても、ダメです! だって、これは沢井さんからの――」

 はっ、として山之内さんを見ると、彼女はにやにやとわたしを見つめている。……やられた。

「……いやあ、主任にも乙女なところがあるんやなあ。安心しましたわ」

「もう、からわないで!」

「おお、こわこわ。それじゃ、うちは見回りに行ってきますね」

 もう書き終えたのかさっさと記録用紙を綴じると、山之内さんは出ていってしまった。わたしは振り上げた手を下ろす所がなく、その場でふぅと息を吐いた。

(沢井さんからのプレゼントだから、か)

 実のところ、わたしは彼女のことをどう思っているのだろう。ただの上司として心配しているだけ? 彼女にあの子を重ねている? それとも、何か別の――

 ……と、思考の海にに入りかけたわたしは、思わず首を振る。まだまだ片づけなきゃいけない書類は山になっているのだ。この調子では終わるのが深夜になってしまう。

 わたしはペンを持ち直すと、書類の山との戦いを再開した。

 

                  ☆              ☆              ☆

 

「……んー!」

 わたしは大きく伸びをしながら、病棟の廊下を歩いていた。

 事務作業ばかりではどうしても滅入ってしまうし、それに病棟の様子も見ておかなければいけない。

 と、不意に近くの病室から子供の泣き声が聞こえてきた。どうしたのだろう、と顔を覗かせると、藤沢さんが泣き止まない子供を前にあたふたしている姿があった。

「どうしたの、藤沢さん?」

「あ、しゅ、主任。採血するところだったんですが、針を怖がってしまって……」

 なるほど。子供は針=痛いものという認識だから、見せただけで怯える子も多いのよね。こういうのは、どうしても個々の看護師のスキルに任されているところがあるから、難しい所ではあるのだけど。

 さて、この子の場合はどうしようかしら……そういえば確か沢井さんは、こんなことしていたわね。

 わたしは胸元から、あのリスのついたペンを取り出すと、子供の前にそっと差し出した。

「こんにちは、わたしリスのくるみっていうのよ。あなたは?」

「くるみ……ちゃん?」

 子供が興味を持った所で、わたしは藤沢さんに目配せをする。

「そうだよ。ねえ、もし良かったら、わたしと友達になってくれないかな?」

「お……お友達?」

「うん。それとも……わたしじゃイヤ?」

 首を振る子供の傍で、藤沢さんが頷くのを見て、わたしはほっと一息。

「じゃあよかった、これからよろしくね?」

「う、うん!」

「よかったわね、くるみちゃん。……はい、あなたも仲良くしてあげてね」

 にっこり微笑みながら、わたしは子供にリスのペンを渡してやると、子供もにこりと微笑みを浮かべた。

「すいません、主任」

「いいえ? でもそろそろ、あなたも何か気の逸らし方を覚えたほうがいいかもしれないわね」

「う……はい」

「じゃあ、後はお任せするわね――あ」

 少し落ち込ませてしまったかしら……と思いながら部屋を出ようとすると、そこにはトレイを持った沢井さんがいつもの笑顔を浮かべて立っていた。

「流石でした、主任さん!」

「いいえ、わたしはできることをしただけよ。それより……ごめんなさいね」

「えっ?」

 きょとんとして、沢井さんは不思議そうな目でわたしを見る。わたしはバツが悪くて、彼女の顔から目を逸らす。

「ほら、あのペン……せっかく買ってきてもらったものだったのに」

「ああ、それのことですか。あはは、いいんですよ。主任さんのお役に立てて、良かったです」

「でも――」

 せっかくの、プレゼントだったのに。そう思いつつも、言えずにいると、

「そんなに気に入って下さったのなら、また買ってきますよ。……それとも、一緒に買い物行きますか?」

 今度はわたしが驚く番だった。

「そんな……わたしなんかとで、いいの?」

 わたしじゃ沢井さんとは趣味も服の傾向も違うし……それに、こんなオバサンとじゃ話題も合わないし、一緒に買い物しても楽しくないんじゃないかしら。そんな考えが、頭の中をぐるぐる回る。けれど沢井さんは即座に「はい!」と頷いた。

「もちろんですよ! わたし主任がどんなものを買うのか興味ありますし、それに主任のこともっと沢山、知りたいですから!」

「えっ?」

 わたしの胸がどきりと高鳴る。

「沢井さん、それってどういう――」

「……あ、すいません。これをなぎさ先輩のところに持っていかなくちゃ。……それじゃ主任、後でまたご連絡しますね」

「え、ええ……」

「なぎさせんぱーい! 持って来ましたけど――」

「あ、沢井! おそーい!」

 呆然と藤沢さんの元に駆けていく沢井さんを見送ると、やがて我に返ったわたしは詰所へと足を向ける。

 ……何だか足元がふわふわしておぼつかない。ただ買い物に行く約束をしただけなのに、そのことを考えるとわくわくが止まらない。こんなの、今まで体験したことない。

 自分の感情に戸惑いながらわたしが詰所に戻ると、山之内さんが記録を帰ってきたところだった。

「主任、おつかれさまですー」

「あ、ええ、おつかれさま」

「あれ? 主任、あのペンはどうしたんです? あんなに大事そうにしてたのに……」

 わたしを見て、山之内さんが不思議そうに首をかしげた。

「ああ、あれ? ……もう、いいのよ」

「ええ?、どうしたんですか? まさかまた、沢井のやつ何かしでかしたんですか?」

「いいえ、そうじゃなくてね……」

 目を丸くして問いかける山之内さんに、わたしは少し困って腕を組む。……どう伝えたらいいのだろうか、今のこの気持の正体を。しばらく考えたもののそれに適した言葉はついぞ出ては来なかった。

 

説明
白衣性恋愛症候群-はつみSS。個別ルートに入るかはいらないかぐらいの頃。
いつもお世話になっているからとキャラクタつきのペンをプレゼントされたはつみ。そのペンで書類作業をしていると、やすこにそのことをからかわれ――
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SS 百合 白衣性恋愛症候群 大塚はつみ 沢井かおり 

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