えりみん |
1.
「おーい、起きてるかー?」
ガンガンとドアを叩く。
廊下に金属の扉が立てる凄まじい音が響くけど気にしない。
部屋の主がオヤスミモードに入ってたら、こんくらいしないと起きてこないのだ。
時刻は平日の真っ昼間、午後一時。 健康的な社会人ならまず起きて働いてろよ!って感じ。近所迷惑とか考える必要もないっしょ。
「起きてゆー、あいてりゅよー」
幸い、相手は起きていたようだ。が、語尾の溶けっぷりからすると意識の方はあまり期待できそうにない。
「うら若い乙女が一人暮らしで鍵開けっ放しなんて不用心だぞ……っと」
ドアを開けると台所……だった腐海がお出迎え。
何度も来ていい加減慣れてる俺は、我ながら器用に新聞の山を避けつつ靴を脱ぎ、先住民が付けた獣道をたどって奥へと進む。
「あー……ついでに麦茶とってー」
「わざわざ尋ねてきた客に浴びせる第一声がそれかっ!」
突っ込みつつも冷蔵庫を開け――しっかし、何も入ってない冷蔵庫だ――ペットボトルを引き出すと、流しにあった辛うじて汚染されてなさそうな湯飲みを二つ手にとる。
「まーたゲームー?」
俺の声は随分呆れてたと思う。
もういい加減春だってのに、部屋の主と来たらコタツに足を突っ込んでゲームの真っ最中。
ぐで、と上半身を天板の上に投げ出し、あごの下にクッションを挟んでる。
「にー」
肯定とも否定とも付かない鳴き声を上げたそいつを引き起こし、姿勢を正す。
クッションはおなかとコタツの間に設置。
これで、いかにこやつの胸が薄かろうと、そうそう溶けられまい。
「いらっしゃあい」
にへへ、っと笑う。
「いい加減にしとかないと仕事に差し支えるよ」
口では叱りながら、でも抱きつきたい衝動を必死にこらえる。
だって、かわいいんだもん。
仕事の時のきりっとしたこいつもいいけど、こうやって半分溶けてる笑顔を向けてこられると、もうメロメロになってしまう。
あー、いかん。とりあえず落ち着こう。
湯飲みの一方をこいつの前に置き、倒れ込むのを二重にストップ。
残りの湯飲みに麦茶を注いで、一息に煽ろうと……して、裾を引かれた。
「あによ?」
「ずるーいー、あたしにもー」
口をとがらせて上目遣いのおねだり……俺を萌え殺すつもりか。
「わっかった、わっかったから!」
注いでやろうとする俺の手を全力で阻止しやがるし。
「何がしたいの、あんたは」
さすがに今度こそは本気で呆れた俺に、
「えへー……く・ち・う・つ・し」
とびきりの笑顔でそんなことを言いやがった。
2.
「…うげ」
苦しくなって目を覚ましたら、顔の上に髪の毛が広がっていた。
ショートの俺の髪なわけがないので、犯人は一人しかいない。
「…人のおなかを枕にすんな…」
幸せそうに寝ているこいつの目を覚まさせないように、そろそろと上半身を起こす。
時間は…マズイ。そろそろ支度しないと間に合わない。
「おら、起きろー……おー、良く伸びるな」
ほっぺたをむにむに引っ張るが、反応はない。
むにむに
むにむにむに
むにむにむにむに…はっ
「そーゆーことしてる場合じゃないんだっつの」
柔らかな感触に、ついいつまでも触っていたくなる誘惑に駆られそうになっていた。
今度は容赦なく、思いっきり左右に。
「おーきーろー」
うにゅーとかうにゃーとか、いつもの如く鳴くだけで反応無し。
「ほんっとーにいぎたないな、この娘は…」
ほっぺたをぺしぺしとはたくが、手を払いのけもしやがらない。
「早く起きないとキスしちまうぞ、こら」
唇突き出してきやがった……
問答無用で立ち上がる。おなかから転げ落ちた頭が、フローリングの床にぶつかって豪快な音を響かせる。
「ひどいー」
「人を枕にしてた奴が言う台詞か!」
「だって、気持ちいいんだもの…やーかくてー」
「褒めてない、それ絶対褒めてないよね!?」
最近気にしてるんだぞ……この娘と来たら、俺よりもぐーたらな癖にすっきりしたおなかしてんだもの。
「んー、あたしは好きだよ?」
「ちょ、いきなり何を」
「んー、ふふふ、す・き・だ・よ♪」
慌てる俺に微笑むと、そう言ってそっとまぶたを閉じる。
……あー、また職場で「すっぴんだ」って突っ込まれるなあ。
3.
「おーい」
「んー?」
生返事。こいつがゲームに熱中してるときは大抵こんなもんだが。
「おいこら」
「いまいいとこー」
「いいとこー、じゃないっ! 人の足をクッション代わりにするな!」
俺がベッドで本を読んでる隙に、こいつときたら、人のふとももにアゴを乗っけてゲームを始めやがった。
両腕を器用にくぐらせて、すっかりおくつろぎである。
「んーふーふー、気持ちいいー」
ぐりぐり
「ちょ、こら、あごをこすりつけるな、くすぐったい!」
「いーにおいー」
「ええい、いい加減にせんかー!」
足をばたばたさせてやると、面白いように頭が跳ねている。
「あーもお、髪ぼさぼさだよー」
渋々離れて髪を整えだしたこいつの腰と両足をすくい上げてベッドの上に転がす。
「にゃんっ!」
そのまま仕返しとばかりおなかの上にあごを乗っけてやる。
「くらえっ!」
ぐりぐりぐり
「や、やめ、くすぐったっ!」
「おかえしじゃー、うりうりうり」
「なー」
「んー?」
「君は押さえ込まれたままなわけですが」
「んー」
「それでもまだゲームやるかね」
「んー」
…仰向けのまま、すっかりゲームに没頭してるし……
今日はもうこのまま寝てやる。
…ああ、でもこいつのおなかも柔らかくて気持ちいいなあ…
いいにおいもするし…
4.
「ふー」
思わず声が出る。仕事の後の風呂は良い、特に気疲れする仕事の後は。
そのままずるずると腰を落とし、鼻までつかる。
息を吹き出して泡を作って遊んでいると、風呂の戸ががらっと開いた。
「じゃーん」
「じゃーんじゃない!」
あいつが入ってきた。一糸まとわぬ姿で。せめて前は隠してくれ…
「俺が入ってるんだから、後にしなよ」
「えー、一緒に入りたいー」
「この狭い風呂で二人は入れないでしょ」
「…ダメ?」
上目遣いで見つめてくる……弱いんだよなあ……
俺の沈黙を承諾と受け取ったのか、あいつはいそいそと湯船に入ろうと…
「ちょ、なんでうしろ! 前に入りなさいよ!」
「ちぇー」
不服そうに口をとがらせるけど何されるかわかんないし。
「やっぱ狭……って、なんで向かい合わせ!?」
足を重ねるように無理矢理向かい合わせに入ってきやがった。
おかげで……その…ええい、下が見れん!
「だってー、ずっと見つめてたいし?」
……天井見つめてるしか出来なくなった……
5.
「んあ……」
目を開けると、あいつがベッドの片隅に腰掛けて、俺を見つめていた。
「起きちゃった……またする?」
「ななな何を!」
「ゲ・エ・ム。昨日は途中で寝ちゃうんだもん、一人で倒すの大変だったんだよ?」
心臓に悪い冗談は、その憂さ晴らしという訳か。むうっと唸った俺の顔がおかしかったのか、くすっと笑うとそのまま立ち上がる。
「朝ご飯作ってくるね、何が良い?」
「……トーストと目玉焼き。ベーコンかりかりに焼いて」
「ふふ、しばらくお待ち下さいませ、お嬢様」
軽やかな足音とともに漂ってくるおいしそうな香りに、俺はまた目を閉じた。
今日も遅刻ぎりぎりになりそうだ。
6.
「アイス、アイスーっと…」
勝手知ったる他人の冷凍庫とばかり、アイスキャンディを引っ張り出す。そもそも俺が昨日差し入れたんだけど。
ベッドで溶けてたあいつがもぞもぞと動き出し、
「ん」
と右手を差し出す。
「残念ー、最後の一本」
んべ、と舌を出してやる。…もう後何本か残っていたはずなんだが。俺が寝てる間に食いやがった奴に同情の余地はない。
「せめて一口ー」
ベッドの下に腰掛けた俺にのしかかってくる。
「暑い重い、どけー」
眠たい奴って妙に体が熱いんだよなあ…全体重のしかけてきやがるし。
「にゅー」
後頭部に額をぐりぐりこすりつけてくる。くすぐったいったら無い。
「わかった、わかった…一口だけね?」
うしろに突きだしてやったアイスキャンディに大口を開けて食らいつくあいつ。
「ちょ、そんなに……って、おい」
食いちぎるかと思ったら、ぢゅうううううっと盛大な音を立てて汁だけ吸い取りやがった。
「ああああ、すっかりただの氷じゃんか」
全体に色あせてしまった氷の棒(かつてアイスキャンディだった物)をがっくりしつつ眺めていると
「えへへー、間接キス」
くすくすと笑っているあいつの振動が、背中越しに伝わってくる。
「なんか違うし」
俺もくすくす笑いながら、氷の棒をくわえなおした。
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