熱砂の海 2
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 敵は最も可能性の低いと思われた方法で砂漠に現れた。いや、降り立ったと言うべきかもしれない。

 飛竜の背に二、三人が乗り、ラファールから送り出されて来るのである。

 考えの中に入ってはいたものの、さすがのザバも数瞬は見入ってしまった。

「――ラファールに行けば飛竜に乗れるかもしれないな。どうだ?」

 アルディートの問いかけに男たちは笑みを返した。

「アザラから給料をもらってからじゃねえと考えられないな」

「この三ヶ月がただ働きになっちまう」

「俺は五ヶ月だぜ」

「まあ、契約が切れるまでに考えればいいことさ」

 男たちの反応にアルディートは微かな笑みを浮かべる。

「確かにただ働きは傭兵の鉄則に反しますね。ですが期待通りの報奨を望むなら、言葉遣いに気をつけた方がよろしいかと」

 アルディートの傍らに立つザバが笑みをはっきりと見せながら言った。

「そうだった」

「何時来るんだ。その男は」

「数日中とあったが」

「で、何時帰るんだ?」

「さあ…」

「一日で帰って欲しいなぁ。それ以上は自信がない」

「オレもな。いっそ一言も喋らない方が楽かもしれん」

「なあ、ザバ。仕事をきっちりこなせば、あとは大目に見てもらうことは出来ないか?」

 今度は苦笑し、

「相手を見てからその件は検討してみることにしますが、まずは頭を使った方が良いでしょう」

「剣を使う方がよっぽど楽だ」

 どよめきのような笑いが起こったが、一騎の走竜の疾駆によりそれはかき消された。

「飛竜の飛来が途切れました」

「来るべき兵士が全員到着したか」

「しかし向こうも疑念にかられてるだろうなぁ。オレなら飛来地を叩くことを考えるからな」

「敵兵の数が少ないうちに仕掛けた方が得策だからな」

「それが凡人の考えなのさ」

 知った風に傭兵の一人が言うと、そんなこと当然じゃないかという無言の視線がその男に集中した。

 険悪な雰囲気、と言うよりはいつものゲームという感が漂う中、その終了を告げたのは作戦の立案者であるザバ本人であった。

「いやなに。飛竜の大脚に踏み潰されて死ぬのだけは御免だと思っただけでしてね」

 ジョークともとれるザバの言葉に男たちはどう反応していいか分からず、眉を寄せただけだった。

「飛竜と戦うよりは人間と剣を交えた方が、確かに勝ち目がある」

 ザバの言葉に正面から応えたのはアルディートだった。

 交戦時の面倒を避けるため、今は髪を茶に染めている。

 そうしていると一人の血気盛んな青年にしか見えないが、彼ら一段を外から眺めていると次第に視線が釘付けになってしまう魅力がアルディートにはある。

 年齢の平均から比べれば剣技に長けているが、百戦錬磨の傭兵たちの中では発展途上という印象さえ受け、強烈な指導力がありそうでも、カリスマ的な存在感があるというわけでもない。多くの人間の中で異質な存在でもなく、特定の人間――ザバが傍らに居るからという訳でもない。

 他者を魅きつける源は何なのか分からないが、彼ら傭兵はそれを深く追求することはない。自分たちを自由に行動させ、稼がせてくれる人間で在ればそれが最善なのである。無用な詮索をして最高の指揮官を失うことほど馬鹿らしいことはないと考えているからである。

 ――しかし。

 戦に臨む直前には相応しくない考えを巡らせていた数人の男たちも、ザバの一声に我を取り戻した。

「さあ。今回は逃げ足を見せて欲しい。剣技は監査役殿が居るときまで出し惜しみしてください」

 一瞬笑いがもれ、全員が走竜に騎乗する。

「引き際を誤るな」

 アルディートの言葉を合図に男たちは走竜の腹を蹴った。

 乾いた熱砂を舞い上げ、一段が疾駆を始めた。

 

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 正規軍と傭兵部隊の最も異なるところはその戦闘形式である。

 陣形を整え、全体のバランスと連携による戦闘が主流になるのが正規軍であるが、傭兵部隊は各々が個人技により敵を倒してゆく先方が主流になりやすい。

 剣技・戦術に卓越した者だけが傭兵としてやっていけるからであり、そういう方法を採った方が彼らの力を十分に発揮させられるからである。もちろん全く他者との連携をとらないという訳ではなく、必要で在れば陣形をくむ。その見極めをすることが傭兵部隊の指揮官に求められる最重要事項であるが、それを理解する正規軍士官は少ない。しかしこのラファールとの国境を警護する傭兵部隊の指揮官、アルディート・アッスレイはそれを知る希有な正規軍士官であった。「私の教育が幸いしたのだ」と冗談めかして言うザバに頷く者は多かったが、自身も傭兵でありたいと思っている風のアルディートは、ザバのその言葉を完全に無視している。

 

 

 この戦いにおいて陣形を組むか否か思案する必要は皆無だった。

 第一に敵は歩兵のみである。

 国境と言ってもアザラとラファールの間に広がる砂漠が国境であり、それを越えるには走竜を用いても二〜三日かかる。不意打ちをくらわすには、なるほど飛竜により兵を運ぶのは妙案であるが、砂漠で最も重用される走竜までも飛竜に乗せて運ぶことは出来ない。それ故に可能性の低い攻撃方法であるとザバは考えていた。

 歩兵と走竜兵でどちらが有利かと問えば、正しい答えは子供にも分かろうというものだ。

 それが分からぬラファールでもあるまい。

 それを敢えて実行するというのは……。

 不吉なものを感じ、ザバは非難されることを承知で国境警備兵の三分の二を残した。

 敵歩兵の十分の一の兵力であるが、走竜騎兵であることと彼らが皆傭兵であることからそれで十分であろうとはじきだしたのだった。

 狙いが別にあるのではないか、という懸念からだった。

 だがこの辺境の国境にどんな狙いがあるのか。

 ここに目を向けさせておき、他の国境を攻めるにしても距離がありすぎて陽動にはならない。

 ラファールの真意はザバの頭脳をもってしても読めなかった。

 結局、必要最低限の兵を率い、敵兵の足並みが揃うのを待つことにしたのだった。

 

 

 砂煙が舞い上がり、走竜が疾駆する。

 傭兵たちは思い思いの獲物を見つけ、散って行く。

 まったく統率のとれていない部隊。

 この場に監査役が居ればそう報告書に記すに違いない形で戦の火ぶたが切って落とされた。

 待機していた地点に一人、ザバが残っていた。

 少しだけ走竜の脚を進めさせ、砂丘に上ると戦況を見つめる。

 歩兵と走竜兵。圧倒的優位は予想通りだった。

 傭兵たちには手応えのない戦いに唾を吐き捨てているに違いなかった。

 

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 剣を振るい、走竜を操りながら敵兵を倒すアルディートは不快感が全身に広がっていくのを止められなかった。

 劣勢を承知してなお向かってくる敵兵たちは容易く砂漠に鮮血を散らせて倒れていったが、その狂気に憑かれたような瞳は死してなお閉じられることはなかった。

 悪寒が襲う。

 恐怖からのそれとは全く質の違ったものだった。

「バシュー!」

 飛竜の賭で負けた男の名を呼ぶ。

 数度繰り返してようやく一頭の走竜がアルディートの側に駆け寄って来た。

「妙だな」

 視線が合うとどちらからともなく口にした。

「この妙な感じが、奴らの理解出来ない作戦に起因するものだと思うんだがな」

 アルディートとザバがこの国境地域に赴任する前からここにいる古株の傭兵バシューの言が、自分の勘と一致し心を決めさせた。

「浅めに。アザラの傭兵は腰抜けだと吹聴されるように動け!」

「――不名誉なことだ」

 言いながらバシューは小さな笑みをもらし、走竜を最前線走らせていった。

 今回の作戦のリーダー的存在であるバシューが動けば、言葉を用いずとも伝令としてその意が伝わる。

 辺境の少ない数の傭兵部隊だからこそ使える手段であった。

 ジリジリと退き始める。

 走竜兵であっても数にはかなわないと知らしめるかのような印象さえもたせる。

 ザバのたてた案では相手に圧力をかけ、あるポイントに追い込むことになっていたが、この妙な不快感に従い、敵を追わず追わせることにしたのだった。

 予定ポイントと異なることで多少の時間差は生じるが、アザラに近いここの地の利は、アルディートたちにあった。

 誘われるように敵が動く。

 傭兵たちの動きが巧妙であることに疑いはないが、戦況を一望できる場所まで下がったアルディートは、この奇妙な感じの原因に、いや原因の一つに思い至った。

(そうか――……)

 やはりこの作戦には何かあると確信した。

 敵の一群には明確な指揮官がいないのだ。

 いくつかのグループとそれをまとめる人間はいるが、全体を指揮する者が存在しない。

 陽動の意が地理的に無理であることは明らかであるから、この一団はいわゆる捨てゴマである。では三百強、積み上げられるであろう敵兵の屍の山には、どんな意味があるのだろうか?

 戦況を見つめるアルディートの目が細められる。

 その時、右方向から風を切る音が聞こえた。

 反射的に剣で切り払う。

 重い衝撃を受け上体が揺らぐが、もちこたえさせると走竜を走らせた。

 アルディートの剣で叩き落とされたのは、小型の戦斧だった。投げた男は迫り来るアルディートを恐れる風もなく、素手で迎え撃つ構えをとった。

(何故だ――?)

 走竜兵を素手で相手にしようという歩兵はまずいない。

 自らに問いかけながらも地を響かせ、走る走竜の上から敵を叩き斬った。

 眼球が飛び出しそうなほど目を剥き、男は倒れ伏した。

 熱砂が鮮血に染まる。――乾いた砂漠は、幾千人、幾万人の血を飲み込もうとしているのだろうか?

 剣についた血を振り払うと、ゆるやかな追い風が背中にあたった。

 手綱を引き、走竜に高い咆吼をあげさせる。

 それが合図だった。

 

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 傭兵たちを乗せた走竜は、一斉に向きを変え、背中を見せて疾駆を始める。

「――――?」

 敵兵たちがあっけにとられるほどの勢いで走り去る様は、遠くから戦況を眺めれば敗走しているとしか思えない光景であった。

 ザバが見れば、「いや、見事な逃げっぷりですね」と、ニヤニヤ笑いながら言うに違いない。万人に感心されるほどの勢いに見とれていた敵兵たちは数瞬の後、現実に戻り走竜を追いかけ始めた。だがしょせん人間の脚では追いつくはずもなく、差は開く一方だった。

 そして――その足が止まる。

 走り続けた疲労のためであり、背中にあたる風が次第に強く激しくなってくるからであった。叩きつけるだけであった風が輪を描き始め、髪が、服が強風に乱れる。

「皆、止まるな!」

 バシューの怒声が風に流れ、消える。

 言われるまでもなく傭兵たちは自らの命を守るために走竜を走らせる。彼らの最後尾についたアルディートもまた、敵兵と傭兵たち、そして風の動きを計りながら走らせる。

 その視線が危うい味方の姿を捉えた。

(ウォールト――)

 先の月に傭兵部隊に配属されたばかりの、若年の正規軍兵士である。配属された事情はアルディートとはかなり違うが、将来傭兵部隊を指揮する可能性のある有望な兵士だ。年齢だけならばアルディートと同年であるが、砂漠で生まれ傭兵たちと付き合いながら育ったアルディートとの差は大きい。

 砂漠に慣れさせるために配属後初めてになる今回の戦に参加させたが、整地された都市・村と砂漠では走竜の扱いも走力も違うことが、頭では理解できていても実感できなかったのだろう。その上、運の悪いことに砂嵐は遅れ始めたウォールトの辺りが中心になり始めている。

 斜め後方に走竜の首を向けると、アルディートは一直線にウォールトに走り寄る。

「走れ!」

 数メートル手前で向きを変え、砂嵐を避ける方向を示しながら走る。心強いことこの上ないアルディートの出現にウォールトは自らを励まし手綱を握り直す。

 だがこの辺りに周期的に起こる砂嵐は意を持っているかのようにウォールトに襲いかかり走竜の脚をにぶらせた。

 絶え間なく叩きつける砂は小石に思えるほど体に痛みを与え続け、目も開けていられないほど風が狂ったように吹き付けてくる。

 敵兵はそのただ中にいる。

 為す術もなく、脱出する方法も知らず、大多数の者が砂に飲まれて死に至るだろう。

 運良く最も近い村――アルディートたちが本営を設けている村に辿り着いたとしても捕虜として捕らえられる。それ以外の方向にある水場は走竜を用いても五日はかかるため、着く前に乾きに倒れるだろう。

 敵兵に希望のもてる未来はなさそうである。

 「少々悪どい手口ですね」と自嘲気味にザバは笑ったが、無謀と言える敵の作戦の裏を考え、なるべく敵兵と接触すべきではないと考えた末のことだった。

 走竜にムチを入れるウォールトの手が止まった。

 砂嵐を嫌がる走竜が咆吼をあげ身を捩る。

 滅多に使わないムチを嫌ったのかも知れないと思ったウォールトは走竜の腹を蹴り必死に脱出を試みるが、ウォールトを捕らえた砂嵐は彼を逃そうとしない。

 それでもなだらかな砂丘を駆け上がり――下ろうとした時、走竜がバランスを崩した。

(――砂沼!)

 平行して走っていたアルディートは、状況を瞬時に悟り叫んだ。

「ウォールト! 走竜を捨てろ!」

 人間を乗せたまま砂漠の底なし沼と呼ばれる砂沼を脱出するのは、総力に優れた走竜と言えど不可能に近い。走竜と人間双方が助かるには、各々が己自身の命を落とさぬよう死力を尽くす他ない。

 だがここに来て間もないウォールトは砂沼に対する認識が甘いためか、アルディートの言葉に躊躇した。

 飛竜ほどではないが走竜もまた貴重な竜である。走竜を捨てろと言うアルディートの言葉を即実行するには、正規軍の色濃いウォールトには無理なことだった。

 

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「ちっ」

 アルディートは舌打ちすると、腰の短剣を取り手綱めがけて投げようとした瞬間、ウォールトの騎乗する走竜が悲痛の咆吼をあげるのを目の当たりにした。

 走竜は前足を大きく蹴り上げ、ウォールトを振り落とす。

(何だ?)

 おとなしい性格の走竜が何故? という問いは後回しにし、鞍に常備してあるロープを砂沼の中に転がったウォールトに投げた。

「体に!」

 無我夢中でウォールトがロープを体に巻き付け縛ったのを確認すると、アルディートは走竜の腹を思い切り蹴った。

 だが砂沼の流れは容易く振り切れず、また砂嵐の危険風域も間近に迫ってきた。

(焦るな……)

 アルディートは自分に言い聞かせ、手綱を握り直す。

 舞い上がる砂が数メートル先のウォールトの姿を消してゆく。

「頑張れよ」

 走竜に囁きながらムチ打つ。

 ゴウ、と短い猛り声をあげて走竜が力強く脚を進めるが、それもすぐに止まった。

(ダメだと思うな)

 ――ダメだと思いそうになった時、もう一踏ん張りすれば失敗しても自分を責めこそすれ悔いることはありません

 ザバの言葉を思い出した時、ウォールトの体につながるロープの重みが半減した。

 ロープの先に人影が見えた。

(バシューか?)

「力を緩めるな」

 知らぬ男の声が届いた。

 いや、どこかで聞いたことがある。

「引くぞ」

 不意に現れた男は走竜をアルディートのそれに並べたてた。

 その右手にロープが掴まれている。

「はっ」

 二頭の走竜が首を並べ、渾身の力でウォールトを砂沼から引き上げるべく歩をジリジリと進ませる。

 砂嵐よりも遅いそれだが、まずは砂沼から抜け出さなくてはならない。

 隣の男の苦しい息づかいがこの嵐の中でも聞こえた。

 ロープを素手で掴み引くというのは、かなりの負担である。

「もう少しだ」

 走竜の首を軽く叩きながらアルディートが言う。

 長い長い一瞬の後、スルリと滑るように走竜が前方に動いた。

「出たか…」

 男はロープを斬ると後方に走り、気を失っているウォールトを自分の走竜に乗せた。

「次は砂嵐と競わねばな」

 走竜を寄せてきた男の姿を、ようやく正面から見た。

 飛竜に相応しい蒼穹の空の色の瞳が、アルディートの心を射抜くように輝いている。日丈夫という言葉があるが、それはこの男にこそ使われるべきだと断言できるほど整い風格のある容姿。それにアルディートより数段逞しく、充分に鍛えられた体躯。

 可憐な、あるいは優雅な夢を見るように美しい女性に見とれることは想像できたが、男に魅せられたように見とれることがあるとは、どんな男も考えることはあるまい。

 だが現実は違ったのだ。

「男三人で心中する気はないぞ、アルディート」

 自分の名を呼ぶその男の声は、砂嵐のただ中という危険極まりない現実を忘却させることが可能なほどだった。

 しかしその甘い悪夢を振り払ったのは、そうさせた男自身だった。

「行くぞ」

 その声に導かれるように、アルディートは走竜の腹を今一度蹴った。

 

 

説明
 もっとも可能性が低いと考えた方法で国境を越えてきた敵兵と剣を交える。
 だがそれ以上に敵の様子に奇異なものを感じた。
 そして砂嵐が部下の命を奪おうとする――。

熱砂の海 1 → http://www.tinami.com/view/315855
熱砂の海 3 → http://www.tinami.com/view/317049
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ファンタジー 傭兵 戦士  砂漠 

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