レッド・メモリアル Ep#.12「臨界Part2」-2 |
「お母さん。もうすぐここから出られるからね。安心して」
アリエルはベッドの上に横たわる養母、ミッシェルの姿を見ながら、そのように呟いた。ミッシェルはまだ頭に包帯を巻かれたままでベッドの上に横たわり、今はまだ眠っている。どうやら鎮静剤が効いているらしく、ぐっすりと眠っているようだった。
自分が話しかけたとしてもその言葉は母には届かない。それは分かっていたけれども、アリエルは自分の言葉が届いているような気がしていた。
「終わった?さっさと、ここを離れなければいけないわ。どうやら、中にいたはずの人質が外に逃げ出す事ができたみたいだから」
病室の外にいるシャーリが、ショットガンを片手に中に入って来た。その姿はあまりにも物々しく、病室の中に安らかに眠っているミッシェルの姿と相反している。
アリエルはシャーリの方を向き、やれやれといった様子でため息をついた。
「それで、私に一体、何をやらせたいって言うの」
アリエルにとっては、もうどうにでもなれといった心境だった。こんな所までやって来て、必死に抵抗はしてみたものの、結局はシャーリや、彼女のお父様と言われる存在の手中の中にあるだけだ。
必死に抵抗しても無駄。そこで、彼女はシャーリに従うしか無かった。それも、母を救う為だ。
「まずは、わたし達と一緒に来てもらうわ。話はそれから」
「この病院で何かをするんじゃなかったの?」
と、アリエルは言った。一体、シャーリ達は自分をどこへと連れて行くのだろう。もう何か所も移動している。
「この病院は、お父様の御病気を治すために立ち寄ったに過ぎないわ。お父様の壮大な計画は、別の場所で今も進行している。そこに向かうの。そこに行って初めて、あなたの力は役立つ事になるの」
シャーリのその言葉に、再びアリエルは呆れた様子で言った。
「私に、テロ活動とかに加担させようなんて言っても無駄よ。だって、そんな事、私にはできないもん」
だがその言葉は、今度はシャーリの方を呆れさせてしまったようだった。
「あのねえ、ど素人のあんたにそんな事をさせると思う? お父様が望んでいるのはそもそもそんなテロ活動なんかじゃあない。もっと崇高な、人の為になる事なのよ」
とシャーリは言うのだった。すると、シャーリの横からは大柄な男二人が病室の中に入り込んできて、ミッシェルの横たわっている移動式ベッドの両側に回った。
「何をするつもりなの?」
アリエルがその光景に驚いたように言った。
「あなたは、ママと一緒に来たいんでしょ? だから彼女を連れて行くわ」
大柄な男達は、ミッシェルの可動式ベッドを動かし始め、病室から彼女を連れだして行く。
「せめて、どこに連れて行くのかを、教えてちょうだいよ」
アリエルは言う。
「分かりやすく言えば、わたし達の新しい“王国”よ」
シャーリはアリエルにそれしか言わなかった。
「“王国”?はあ?」
アリエルはシャーリの突飛な言葉に、思わず間の抜けた声を出してしまった。こんなときに、何でそんな事を言うのだろう。
だが、シャーリの眼は確かに真剣だった。彼女の片方しか見えていない眼は一切揺らいでおらず、真剣にアリエルを射抜いていた。
「あなたは、その王国にいなくてはならない存在となる。このわたしと同じように、お父様の遺伝子を継ぐものとして、ね」
シャーリはそれだけ言うと、ショットガンを再び担いだ。
その時、シャーリの無線機が鳴った。
(シャーリ様。侵入者です!すぐに来て下さい!)
無線機の声は、無音だった室内に異様に響き、危機感をあおって来た。
だが、シャーリは無の表情のまま、その無線機に向かって一言答えた。
「分かったわ。今すぐ行く」
一方、病院の外では、地下水道から命からがら脱出してきたストロフが、ようやく軍と接触をする事が出来ていた。
「大丈夫ですか?捜査官?病院で手当てをしてもらった方が」
病院を包囲していた部隊長がストロフにそう言って来た。地下水道から泥まみれで出てきた時は、軍には何者かと警戒されたが、すぐに国家安全保障省の身分証を見せ、彼らに自分の身分を納得させた。
軍の部隊長の態度は急変し、すぐにストロフを丁重に扱うようになった。彼は今、病院の付近に停車された救急車の中に座っており、内部で見てきた事を部隊長に話していた。
「俺の事は構うな、こんなのはかすり傷だ。だが、人質を救出したいのならば、地下水路からの潜入がしやすい。そのくらい分からなかったか?」
ストロフは苛立ちながらそう言っていた。だが、それは部隊長に向けた苛立ちと言うよりも、丸一日も拘束されていて、抜け道を見つける事が出来なかった、自分に対しての怒りもあった。
「軍の捜査力と情報では、発見できませんでした。申し訳ありません」
部隊長はそう言って来たが、ストロフはすぐに指示を出した。
「謝る必要は無い。それよりも、すぐにも突入だ。地下水路からならば、奇襲ができる。敵は皆マシンガンを持っているから注意しろ」
「了解。すぐにも突入させ」
部隊長がそう言いかけた時だった。救急車の元に、隊員の一人がやって来た。彼は携帯電話を持っている。
「部隊長。すぐにお電話に出られた方が」
「何だ。どうした?」
そう言いつつも、部隊長は電話に出た。
「ええ、はい。そうですが?」
部隊長の大柄な姿を見上げたストロフは何事かといった様子で見つめる。
「それは本当ですか? しかし、これから人質の救出をしようと」
血相を変えた様子で部隊長は声を上げた。彼の声は救急車の中に幾重にも跳ね返った。
「いえ、しかし、そんな事は」
電話先の相手に何かを言われたらしく、部隊長はその声を静める。
「はい、承知しました。我々は、避難を」
避難という言葉に、ストロフは思わず顔を上げた。
「おい、何を話している、お前!」
ストロフは座っていた救急車内の椅子から立ち上がって、部隊長に言い放った。
「本部からの連絡です。『WNUA』の軍の艦隊が、この《アルタイブルグ》に向けてミサイル攻撃を行ったそうです。着弾するのはもうまもなくだと」
その言葉にストロフは驚愕した。
「何だと。戦争はもう始まっていたのか?」
信じられないといった様子でストロフは声を上げる。
「え、ええ。宣戦布告はされましたが、攻撃はまだでした。現在、西海岸沖に『WNUA』の艦隊が展開されており、そこからの攻撃であるそうです」
「核攻撃か?」
恐ろしいものを尋ねている自分をストロフは知っていた。もし核攻撃が行われていれば、自分達も巻き添えを食う事になる。
「いえ、非核攻撃だそうです。しかし、攻撃は長距離弾道ミサイルで、弾数は不明。本部によれば、《アルタイブルグ》の街を制圧するには十分な威力かと」
という部隊長の言葉を聞いても、ストロフは安心できなかった。逆に彼は考えを巡らせて、ある結論を出した。
「さっき、病院内に入って来た二人組の『タレス公国軍』の捜査官がいた。彼らが来たという事は、テロリスト共の本拠地が、この病院だと『WNUA』側は突きとめている事になる。『WNUA』とて、戦争を長期化させたり、無関係の市民を巻き添えにする攻撃は、なるべくならしたくないはずだ。
となると、連中はこの病院へのピンポイント攻撃をするはずだろう」
部隊長はじっとストロフを見つめた。
「では、テロリストのみならず、人質も巻き添えになる事に」
「ああ、そうだ。だが、戦争は始まっているんだろう? 『WNUA』側も一連のテロを起こした連中が、この病院にいる事は突きとめたようだが、テロリスト共を排除するくらいだったら、病院一つぐらい巻き添えにするだろう」
頭を抱えてストロフはそう答えた。言葉とは裏腹に、ストロフは病院内で見てきた人質の姿を思い出していた。中には子供だっていたし、病院のベッドに横たわる病人だっている。事もあろうか、『ジュール連邦』で最も発達した医療技術を持ち、社会貢献をしている連中がテロリストだったとは、今でも嘘であって欲しいくらいに思う。
「中に突入すれば、人質を救出する事ができます」
部隊長は決然とした口調でストロフに言った。
「ああ、頼む。あと、それだけじゃあない。付近の住民の避難もさせろ、なるだけ遠くに逃がせよ」
「了解!」
その言葉と共に、部隊長はすぐに行動を開始した。
タレス公国 緊急対策本部
『ジュール連邦』との戦争に備えた対策本部はすでに『タレス公国』のみならず、『WNUA』内の国々に備えられていたが、実際その機能を使う時が来るとは、誰しもが避けたい事だった。
『ジュール連邦』と続く静戦も、いずれは連邦側の勢力が衰退するに従って、自然消滅する。そう楽観的に考えるものもいた。
だが、戦争に対しての備えは常に最新のものへと更新が進められており、昨日から稼働している緊急対策本部の情報処理機器は、すでに最新のものとなっていた。
「我が国の軍の艦隊は、たった今、《アルタイブルグ》へとミサイル攻撃を行いました。目標はこちらです」
対策本部の円卓の前に立つ、軍の危機管理担当は、3D画面を操作しながら、『ジュール連邦』西部の地図を表示し、そこに放物線を描くミサイルの弾道を示した。
「ミサイルは大型スカッドミサイルで、一発で半ブロックほどを破壊する事ができます。例え、敵の拠点が地下にあろうとも無意味です。ミサイルは全てを破壊します」
そう言う担当官の前で3D画面は展開し、『ジュール連邦』《アルタイブルグ》の街の立体図を示した。
《アルタイブルグ》の街並みは、西側諸国にとってみれば、30年から40年は過去の姿をしているように見えた。この街には高層ビルも建っていないし、複雑な立体交差を行う高速道路も無い。鉄道も二本のレールの上を走るディーゼル機関のもので、何十年も野放しになっているような建物も幾つもあった。
まさか、このような街から、この東側諸国の軍事の拠点である、《プロタゴラス空軍基地》に核攻撃をしかけられるだけの勢力が現れるとは。
『タレス公国』のカリスト大統領は全く信じられないといった様子で、3D画面へと見入っていた。
「何故、ミサイルを3発撃った? 1発で十分、そのテロリストの拠点を破壊できるのだろう?」
カリスト大統領は、《アルタイブルグ》の街の北部に伸びて表示されている、3本の放物線を指差して言った。
「大統領、これは戦争なのです。我々が攻撃したのは、テロリストの拠点では無く、『ジュール連邦』の国、そのものなのです。『ジュール連邦』は自国内のテロリストを使い、我が国に核攻撃を仕掛けました。ミサイル3発程度など、報復にはあまりにも小さすぎる攻撃です。大統領が命じられるのならば、即座に首都へと向けて最大の被害を出す核攻撃を仕掛ける準備も進んでいます」
そう言ったのは、『タレス公国』の軍事顧問代表だった。彼は軍の人間で、大統領の軍事的判断に助言する立場にある。
「ああ、分かっている。それはよく、分かっている」
カリスト大統領は相手の言葉を遮るかのごとくそう言った。実際、彼は相当に焦っていた。『ジュール連邦』と戦争をする事になってしまった事に対して。そして、果たしてこの戦争を成功させる事ができるかという事に対して。
『ジュール連邦』側の勢力に勝つという自信はある。彼らの勢力、そして国力がいかに衰退しているかは知っていた。軍事力もこの『WNUA』側の七カ国のうちの一国にさえ満たないだろう。
だが、戦争を果たして成功させる事ができるだろうか。何としてでも長期化、そして泥沼化するのは避けたい。世界規模の戦争になる事は確かだ。『ジュール連邦』側が予想以上の力を有しており、長期の抵抗を示せば、戦争は長期化をし、他国の介入により世界大戦にまで発展する。
現在の世界の実情を考えれば、文明が破滅への道に辿る危険性もある。
大統領はなるべく『ジュール連邦』の中枢を狙う攻撃を考えていた。《プロタゴラス空軍基地》に攻撃を仕掛けた勢力に対してだけ攻撃できれば、『ジュール連邦』も降伏するだろう。彼らも、国土の全てを使い果たし、滅亡してまでも戦争をしたくはないはずだ。
しかし、『タレス公国』の軍部は、『ジュール連邦』を徹底的に破壊し尽くす戦争を想定している。
『WNUA』側にある長距離弾道ミサイルを使えば、『ジュール連邦』の広大な国土を全て焦土とする事も可能だ。
だが、そんな事を命令すればどうなる? 自分は世界の人口の1割をも殺害した大量虐殺者などと歴史に名を残す事になる。
「大統領。間もなく、ミサイルが《アルタイブルグ》の目標地点に着弾します」
そう言われ、カリスト大統領は顔を上げた。
彼の目の前には大画面の光学スクリーンに、《アルタイブルグ》の街の中にある一つの建物が表示されている。そこは病院でかつ、『ジュール連邦』側が影で動かしているテロリストの拠点だ。
自分達の拠点を病院に置けば、攻撃されないとでも思っているのだろうか。
だが、このミサイル攻撃により、無実の人々をも巻き添えにするのは避けられない事だった。
逆に考えれば、この拠点を破壊すれば、昨日の《プロタゴラス空軍基地》で起きた壊滅的な被害を都市部で起こされずに済む。結果的に多くの人間を救う事になる。カリスト大統領は自分にそう言い聞かせた。
《アルタイブルグ》《チャコフ記念病院》
「セリア。人質は救出する。だが、あくまで目標はベロボグの奴だ。奴を捕らえる事を最優先に考えろ」
病院のホールを見つめ、リーはそのように呟いた。リーとセリアは天井裏におり、ホールに集められた人質たちの姿を確認する。
偶然病院にやって来た者や入院患者、職員、医師など、多くの人質がそこにはいる。おおよそその数は100人。
「人質救出は苦手だわ。専門分野外だもの。あなたはどうなの?」
セリアがそっとリーに言った。リーは、
「軍の任務に専門分野外などないさ。敵の位置は覚えたか?」
そう言うなり銃を抜く。
「ええ、覚えたわ。一気に奇襲をかけて、手っ取り早く片付ける。そっちの方が得意分野よ」
そして、彼は懐から取り出した手榴弾くらいの大きさのカプセルを床へと落とした。
床に落ちたカプセルは途端に白い煙を吐き出す。
白い煙はあっという間に部屋の中へと充満していく。人質達は悲鳴を上げた。だがそんな悲鳴や白い煙に構わず、リーは自分も天井を突き破り地面へと降り立つ。そしてすかさず銃の引き金を引いた。
彼の銃からは銃弾が吐き出され、白い煙によって視界が閉ざされているにも関わらず、次々と的確に狙いを定めていた。
ホールで人質達を見張っていたテロリスト達は、白い煙によって視界を奪われ、成すすべなくリーの放つ光弾に打ち倒されていく。
リーはホールにいたテロリストの位置をすでに全て記憶していた。敵の数は10人。マシンガンで武装しているとはいえ、視界さえ奪ってしまえば何もできない。敵の位置を正確に把握しているリーの方が有利だった。
リーはテロリスト達を圧倒し、圧倒今にその場にいる者達を倒していく。彼は全ての位置を把握していたから、制圧には時間がかからなかった。
煙幕として使われた煙がだんだんと晴れていく、地面に身を伏せている人質達、そしてリーによって打ち倒されたテロリスト達の姿が見えてくる。リーの狙いは正確で、人質達には全く危害を与えることなく、全てのテロリストを打ち倒していた。
しかしその時、リーは真横からやって来た突然の衝撃に思わず身を伏せた。その衝撃は、あたかも衝撃波であるかのようにリーを煽り、彼の体を押し倒した。
直撃はしていなかったが、リーは何がその方向から飛んで来たのかを理解した。それは散弾で、ショットガンから放たれたものだ。リーのスーツを掠り、損傷を与えている。
地面に倒れ込んだものの、リーはすぐに身を起こそうとした。だがそこにはショットガンを構え、その銃口をリーへと向けている女の姿があった。
年の頃は18歳くらいだ。まだ子供と言っても良いくらいの年齢だが、その姿はどことなく大人びている。
だが、ショットガンやら服装やらで、わざと大人びた姿を見せていると言ってもいいような姿だ。自分の子供じみた姿を隠すように、そうした格好をしているのだ。
そんな、リーからしてみれば小娘くらいにしか見えないような者が、彼に向かって銃口を向けている。
シャーリは、自分が銃口を向けている男の事については知らなかったが、彼が所属している組織、そしてどこの国からやって来た人物かは知っていた。
この男は、西側諸国の『タレス公国』からやって来た男だ。つまりはこの国の敵であるという男。シャーリ達がいる組織の、そして彼女の父の敵というだけの意味ではない、この国の敵でもある。
敵の敵は決して味方なのではなく、更に敵であるのだ。
「お前は何者よ?」
その場で撃ち殺してやっても良かったが、お父様からは、『タレス公国』側の人間を抹殺しろとの命令は出ていない。不用意に敵を殺傷する事はお父様から戒められている。だから、シャーリはすぐには目の前の男を倒すつもりはなかった。
目の前のスーツ姿の男は何も答える事はしない。逆に自分に反抗するかのような目を見せ、立ち上がろうとしている。
その目も、態度も気に入らない。
「ほら、立ち上がるんじゃないわよ! わたしの部下を殺しやがって! そうそう? もう一人はどこにいるの? もう一人、来ているでしょう? 知ってんのよ、あんた達の事は」
シャーリは自分の使っている『ジュール連邦』の言葉でそう言った。彼女の言った言葉が相手に理解できているかは分からないが、わざわざこの国までやって来ているのだ。理解できるはずだろう。
だが、相手の男は何も言って来ない。言葉が理解できないと言う訳ではなさそうだ。そうだったら、自分の国の言葉を発しながら慌てふためく姿を見せるだろう。
こいつも人質。そう考える事にした。病院の患者や医師、看護師以外の軍事関係者は敵とみなして良いとお父様は言っていた。だからこの男も『ジュール連邦』の軍事関係者や政府の人間と見てやろう。
シャーリはショットガンの引き金に手をかけた。さっきの戦いぶりを見る限り、この男も『能力者』であるようだったが、この至近距離。彼は自分の『能力』を発することなくショットガンの弾を食らうだろう。
しかしシャーリはその時、横からやって来た衝撃に身構えた。防御が遅かったせいで、シャーリの体は病院のホールを何メートルも吹き飛ばされると、壁へと背中から激突した。
顔を上げると、スーツ姿の男のそばに、真っ白なスーツを着た長い金髪の女が立っている。
彼女はシャーリに向かって拳を突き出している。その拳はオレンジ色に光っており、まるで炎を纏っているようだった。
実際、シャーリは自分の服の一部分が焦げている事を知った。どうやら、あの男についてきた女の方も『能力者』らしい。
しかもかなりの攻撃力だ。一撃でシャーリの体を何メートルも吹き飛ばしている。
それだけの『能力者』がお父様に何をしに来たと言うのだろう。答えはただ一つしか無い。彼らはお父様を捕らえに来たに違いない。『タレス公国』の連中は自分たちをテロリストとして捕らえたがっている事くらい、シャーリも良く知っていた。
シャーリはその場から立ち上がる。床に転がったショットガンを手にし、すぐに白いスーツの女の方へと向けた。
シャーリはすかさず容赦する事無くショットガンの弾を発砲した。激しい破裂音が一定間隔で病院のロビーの中に響き渡り、シャーリのショットガンから次々と弾が発射される。
だが、女の方はと言うと、自らの拳で散弾をたたき落としてくる。彼女の体はオレンジ色の炎のようなものに包まれ、ショットガンの弾など、蠅を叩き落とすがごとく、まるで通用していない。
銃弾のスピードについてくる事ができ、しかも拳で銃弾を弾く事ができる。それは相当な『高能力者』であるという事を示していた。こんな『高能力者』がこの地にやって来るとは。
シャーリは銃弾を弾き返しながら、自分にじわじわと近寄ってくる女と視線を合わせていた。
しかも、この女には何かを感じる。ただこの場にやって来た『タレス公国』の人間で『高能力者』であるという以上の、何か強力な存在を感じる。
女が、ある程度まで近づいて来た時、シャーリはとっさにショットガンの銃底を使い、接近戦に転じた。女はまるで火そのものであるかのようなものを纏っている。だが、シャーリは臆することなく、女に対して接近戦を仕掛け、銃底を武器として使い、攻撃を仕掛ける。
女の方はと言うと、何かの格術に長けているらしく、突き出したシャーリのショットガンの銃底を叩き起こし、シャーリに向かって拳を繰り出してきた。その拳からは火が吐き出され、シャーリはその衝撃で、再び吹き飛ばされそうになるが、今度はほんの2メートルほどで済んだ。
着ていた上着の袖の部分が焼け焦げたが、彼女の皮膚の部分は銀色の膜のようなものが覆っており、焦げてさえいない。
(話には聞いていたけれども、あなたがテロリストを率いている女ね。そして、あなたも『能力者』。あなたの体には金属のようなものが覆っている)
女はシャーリと一定距離を保ちながらそう言って来た。シャーリにとって母国語でない『タレス語』は聴きとりづらかったが、そのような事を言っているのだろうと彼女は思った。
相手に言葉が理解できるか分からないが、シャーリは答える。
「私の体に金属が覆っているんじゃあ、ないわ」
するとシャーリはその口元ににやりとさせた。女の足下に転がっているシャーリが放った銃弾は、まるでナメクジが這うかのように、女の足元へと動いていき、彼女の脚を覆っていく。
液体金属のように女の体を這いあがって行く金属は、やがて再び硬い金属となり、ショットガンの銃弾として放った時とは、全く異なる形状となって女の脚をスーツの上から覆った。
シャーリは身動きが取れなくなった女の背後から、その腕をしっかりと拘束した。女の腕は何やら炎のように包まれていたが、シャーリの金属の膜に覆われた手では熱さにも耐えられる。
熱いという感覚はシャーリにもあるのだが、それは大した熱さではない。女の腕は、金属を溶かすほどのものではないようだ。
「わたしの体を金属が覆っているんじゃあなくって、私の中を金属が流れているのよ、そう、血液中をね、私のショットガンの弾の正体を教えてあげる。それは、私の血液から造られた弾なの。私の体を離れても、私は自分の血液の中の鉄を自在に操れるし、それを色々な形に変える事もできる。それが、わたしの『能力』」
シャーリはそのように言いながら、この女をどうしてやろうかと思った。腰ほどにまで伸びている長い金色の髪、真っ白な肌。全てが西側世界の人間を表している。
シャーリは西側世界の人間が、気に入らなくて仕方が無かった。こちらの世界が不幸なのも何もかも全て、西側世界の人間のせいだとシャーリは思っていた。学校で習った歴史、そして、自分が見てきた事、現実のものとして体感してきた事全てで知っている。
「どうして欲しい? おばさん? どうやって痛めつけて欲しい?」
自分の倍くらいの年齢はあろうかという女に対して、シャーリは耳元でささやく。どんな相手であろうと、自分の方が優位に立て、優越感に浸れる。シャーリはその瞬間が大好きだった。
だが、女は言ってくる。
(あなたの言って来た言葉の意味は良く分からないけれども、それが侮辱の言葉だって事だけは分かったわ)
そのように女が言って来たかと思うと、次の瞬間、シャーリは思い切り顎を殴りあげられていた。彼女の体に金属の被膜が覆っていようと、女が突き上げてきた拳は猛烈なものであり、シャーリの体を浮かす事さえできていた。
セリアが殴り上げた少女の体は、そのまま病院のロビーのベンチをひっくり返しながら落ちてきた。
この少女の持つ能力であろう金属の力は、シャーリが高熱を加えることで十分に溶かしてしまう事ができるものだった。この金属はステンレスか、何なのか。非常に頑丈な金属で、引っ張ったりしただけでは壊れないようなものだ。
そんな金属がまるで液体であるかのように動き、自分の体を拘束していた。金属を液体のように動かし、それをショットガンの弾として放ってくる少女。厄介な存在がテロリストの中にいたものだ。
吹き飛ばした少女が、ゆっくりと崩れたベンチから立ち上がろうとしてきている。その顔は恐ろしく、半ば冷静さを失っている事が分かる。何故この少女が顔の片方の部分を髪で隠しているのかが分かった。
この少女は片方の目を失っているようだ。顔にははっきりと分かるほどの傷跡が刻まれていた。
彼女は体を起こしながら、ショットガンを向けてくる。
『高能力者』特有の高い身体能力が、セリアの攻撃にも彼女を耐えさせた。
セリアは目の前で立ち上がろうとしている少女を見つめながら、白い煙が覆っている周囲を見回す。
「リー?」
と、共にやって来た仲間の名を呟く。だが、あのリーはどこにもいる気配が無い。今は2対1。このショットガンを持った片目を隠している少女に対しては、圧倒的に有利なはずだったのだが。
(どこを見ている!)
少女がセリアには分からない言葉を言い放ちながら、彼女に向けてショットガンを突き出してきた。
だがセリアは気に取られてしまう。あのリーは一体どこへと行ったのだ?
セリア達に与えられている群からの任務は、ベロボグ・チェルノを逮捕する事。この場はシャーリに任せて彼はどこかへと行ってしまったのだろうか。
アリエルは前後左右をテロリストの男達に囲まれ、病院の廊下の中を歩いていた。廊下の窓は分厚いシャッターで封鎖されており、まるでこの病院自体が要塞と化しているかのようだった。
母は移動式のベッドの上の寝かされており、そのまま屈強な男達によってそのベッドを移動させられている。
このまま自分達がどこに連れていかれるのか、聞こうにも自分の周りにいる男達は無表情のままマシンガンを構えており、自分にはそれを聞く事もできなかった。
そしてアリエルは、もはやこの場からこのテロリストの男達を倒し、逃げようなどとは考えなかった。
これ以上、母を危険にさらすわけにはいかない。今は母の安全を最優先に考えて、シャーリ達に従うしかないのだ。
アリエル達がある程度まで歩いていった時、別のベッドが合流してきた。それは長身の男が横たわっており、それが自分の前で父と名乗ったあの男だという事を、アリエルはもう一目で理解できた。
更に、自分の妹だというレーシーという少女もそのベッドにくっついて来ている。それどころか、彼女は自分の父親のベッドの上に乗り、まるで無邪気な子供が父にじゃれているかのような姿を見せていた。
「ねえねえ、お父様は、御病気が治ったら、またレーシーと機関車ごっこをしてくれるの?」
と、ベッドの上で父親に跨り、レーシーはそのように言っていた。
「ああ、もちろんだとも、それに私の病気は治っている。この通りだ。またお前と機関車ごっこをしてあげられるよ」
両腕を広げ、父と名乗ったその男は自分の姿をレーシーに見せつけるのだった。するとレーシーは何もかも手放しにして喜ぶ姿を見せた。
「本当? わーい!」
周りにはテロリスト達がマシンガンを構えているというのに、この娘はあまりにも場違い過ぎた。しかもこの娘が自分にとっての妹などとはとても信じられない。
母親が違うとはいえ、その姿や性格は似ていない。アリエルは自分でそう思った。
ベッドの上から、父と名乗ったあの男がアリエルの方へと顔を覗かせて言って来る。
「アリエルよ。今は理解に苦しむだろうが、もうすぐだ。お前ももうすぐに全てが理解できるようになる」
その男の顔は、最後にアリエルが見た時に比べて大分落ち着いていた。それだけ、あの母を使っての脳の手術が功を奏しているという事なのだろうか。
そんな男の元に、医師らしき人物がベッドの上から話しかける。
「院長。手術は成功しました。状態も安定しています。しかしながら、またいつ副作用が現れるか分かりません。1週間、いえ、1カ月は安静にして頂ければと思います」
と、その医師に向かってベッドの上の男は声を出す。
「この世界が今、1週間も待っていられない状況下にある事は、君も知っていると思うが? このまま作戦拠点を移す。あとの処置は自分でできる」
「しかし院長」
そう言って来た医師の言葉を、ベロボグと言う名の男は遮って言った。
「この世界は今、それどころではないのだ。私達が救わなければ、一体、誰が救うと言うのだ? その前では私の命の事など、少しの問題にならん。君は成すべき事をしろ」
その男の声はもはや病気に蝕まれていた頃のように、しわがれた枯れ木のような響きを持っていなかった。そこにあるのは確固たる意志であり、圧倒的なまでの存在感が彼から放たれていた。
「はい、承知しました」
そのように医師は答え、ベロボグと、母を乗せたベッドは病院の更に奥地へと向かって行く。一体、どこへ連れていこうとしているのか、アリエルには全く分からなかった。どうやら北側に向かっているようで、ひっそりと静まり返った病院は不気味な雰囲気を放っていた。
突然、ベロボグのベッドの上にいた、レーシーと言う少女が顔を上げて言った。彼女はまるで何かに打たれたかのように身を起こす。
「お父様! 大変です! この病院に向かって、ミサイルが飛んで来ています!」
その声は、今まで無邪気に喋っていた少女とは全く異なる、まるで機械が発したかのような声だった。彼女の声は異様に大きく響き渡り、皆が彼女に注目する。
「思っていたよりも早いな。今はどの地点にいる? 脱出は間に合いそうか?」
だがベッドの上にいる男は冷静にそう言った。
「《アルタイブルグ》に着弾するのは、おおよそ10分後です。脱出は間に合います。人質を避難させる事もできるでしょう」
とレーシーという少女は言った。
「そうか? ところで、シャーリはどうした? そろそろ戻ってくる所だが?」
そのようにベロボグという男が言った時だった。
突然、白い煙が廊下中に立ちこめた。周りにいた者達はその白い煙が漂ってくるまで気が付かず、無防備なままだった。
直後、何かが破裂するかのような音が廊下中に響き渡り、アリエルの側にいたテロリストの一人が倒された。白い煙はどんどん廊下中に充満していき、次々とテロリスト達はその場に倒れていく。
アリエルは何が起こったのかも分からず、思わずその場に身を伏せた。頭を抱え、体を小さく縮める。白い煙が彼女の顔を覆ってきて、思わず彼女は咳き込んだ。これは毒ガスかもしれない。そう思って口を塞ごうとしたが、すでに彼女は煙を吸い込んでいてたまらない不快感に襲われていた。
テロリスト達のうめき声や、彼らが放ったマシンガンの銃声が響く。だが、白い煙が覆っていて、アリエルには何が起こっているのか分からない。
すると、突然、彼女は何者かに腕を掴まれた。彼女の体は引っ張り上げられ、白い煙の向こうに、男が立っている影だけ見る事ができる。
「アリエル・アルンツェンか? 君がアリエル・アルンツェンなのか?」
と言って来る男の声。全く知らない声だった。しかもその言葉に訛りがある。一体何者なのか、アリエルは分からず、ただ恐怖する事しかできなかった。
「い、嫌。あなたは、一体誰?」
アリエルはそう言った。だが、だんだんと頭がぼうっとしてくる自分に気が付いた。どうやら周りに立ちこめているガスを吸い込んでいるせいで、体中の感覚が麻痺してしまっているようだった。
だから、この男の腕を振り払うために自分の『能力』を使おうとしてもそれが発動しなかったのだ。
アリエルは男に腕を掴まれるがままにされた。振りほどこうにもそれができない。彼女の体は廊下を引きずられ、どこかへと連れ去られてしまおうとしている。
リー・トルーマンは一人の少女の腕を引きずりながら、ある男の寝かされているベッドの前にまでやって来ていた。その男は激しく咳き込んでいる。周りに充満しているガスのせいだ。
リー自身はガスマスクで顔を覆っていたから問題なく呼吸できる。周りのテロリスト達は倒し、ベッドの上に寝かされているこの男はあまりに無防備だった。
「ベロボグ・チェルノか?」
リーはそう言いながら、ベッドの上にいるベロボグに向かって銃の銃口を向けた。
「ああ、そうだ。お前は誰だ?」
咳き込みながらもベロボグはそう言って来た。この男こそ、『タレス公国』に連続テロを仕掛け、挙句の果てには空軍基地に核攻撃をするよう、『キル・ボマー』に命じた張本人と言う訳だった。
『タレス公国』『ジュール連邦』双方での戦争はすでに開戦している。だが、この男を一連のテロ事件の黒幕として突き出せば、戦争が泥沼化する前に食い止める事ができる。それをする事こそ、リーの使命だった。
「私は『タレス公国軍』の者だ。お前を連行する。一連のテロ攻撃を仕掛けた張本人としてな」
リーは片手で少女の腕を掴んだまま手錠を取り出そうとしたが、どうやらその必要もないようだ。このベロボグという男は、何かの病気であるらしく、ひどく体が弱っているように見えた。
こんな病気に侵されている男に、大国同士の戦争の引き金を引く事ができたのか。リーは疑問にさえ思った。
だが、この男をここから連れ出すには、このベッドごと移動させなければならないようだ。今、手中にいる赤毛の少女と共に二人とも連れだせるだろうか。迷っている暇はないようだった。
リーはその時、ベッドの上にベロボグの他に誰かがいる事を知った。
すかさずリーはベロボグの上にいる小柄な人物へと銃を向けた。白いガスが充満していて姿が分かりにくかったが、それはどうやら子供であるらしい。子供が、ベロボグの体の上に乗っていたのだ。
「誰だ? お前は?」
リーはジュール語でそのように言い放った。すると、そこにいた小柄な人物が、突然リーに向かって飛びかかって来た。同時に、何か激しい機械音が聞こえてくる。
「お父様はどこにもいかないわ! お前みたいな奴に手出しはさせない!」
甲高い声が廊下に響き渡った。リーに飛びかかって来たのは本当に子供だった。年端もいかぬような少女で、何かを腕に持っている。
持っているとリーは思ったが、そうではなかった。小柄な少女の体とはあまりに不釣り合いなほど大きなものは、チェーンソーだった。それが激しい機械音を立てている。しかも、チェーンソーは少女の腕と一体化していた。彼女の右手首から先の部分が、そのままチェーンソーとなっていたのだ。
ジュール人形のような容姿をしていながら、その少女はリーに向かって、何ともつかぬような表情を向け、チェーンソーを片手に迫ってくる。
リーは彼女へと銃口を向けた。ベロボグ・チェルノは『キル・ボマー』以外にも多くの『能力者』を配下に置いているようだ。だがこんな子供の『能力者』を身近に置いていたとは。
リーにとって、子供を撃つ事に躊躇いは無かった。何しろ相手は凶器を持っている。子供とてテロリストである事に変わりない。
だが、リーが放った弾を、少女はいとも簡単に避けてしまう。
子供のうちから『高能力者』である存在をリーは、知っていたが、今、それが目の前に迫って来ているのだ。
「お父様を傷つけようとするお前は許さないわ! 切り刻んであげようかしら!」
その少女が発した言葉は、子供のような高い響きを持ちながらも、非常に攻撃的な響きを持っていた。
だがリーは、
「大人しく降伏しろ。病院はすでにこの国の軍に囲まれている。お前達に逃げ場は無いんだぞ」
リーはそのように言ったが、その時、ベッドの上にいるベロボグが彼の方へと顔を覗かせた。
「そのような事は元より承知の上だ。だが、軍ごときに邪魔はさせん。お前に危害を加えるつもりは無い。さっさと国に帰った方が身のためだ」
ベロボグがそう言った時だった。突然、病院の廊下の窓を塞いでいたシャッターが一気に開き始めた。外からの光が急激に差し込んできて、リーは思わずその明るさに怯みそうになる。
(やりましたよ、トルーマンさん。病院の内部に侵入して、封鎖を開かせる事に成功しました! 通信妨害も排除したので通信が可能です)
リーの耳元で、歓喜にも似た叫びが聞こえてくる。それは病院の外で、この病院の封鎖を解こうとしていたフェイリンの声だった。
「よくやった」
とリーはそれだけ言って、残りの言葉はジュール語でベロボグ達へと向けて投げかけた。
「無駄な抵抗はやめろ、ベロボグ・チェルノ。逃げ場は無い。封鎖は解いたし、すぐにでも軍に包囲される」
(ああっと、それと大切な事です。すぐに病院から脱出して下さい!)
リーの言葉を遮るかのように、通信機の向こうのフェイリンが言って来た。
「何故だ?」
リーがそれだけ尋ねると、フェイリンは素早く返答してきた。
(『WNUA』の艦隊が、ミサイルをその病院に向けて発射したんです。もう時間がありません。あと5分もしない内に着弾してしまいます!)
彼女から発せられる焦りの言葉。だが、それはリーにとってもすでに予期していた事だ。
「そうか。こちらもベロボグを発見した。奴を連れてこの場所から脱出する! 脱出ルートを案内しろ」
「分かりました」
リーが危機が迫る中で的確な指示を出し、フェイリンもそれに従った。後5分で脱出できるかどうかという事に関しては、リーも少し自身が無かったのだが。
彼はベロボグが横たわっているベッドのすぐ手前にいる少女に向かって言った。
「この病院に今、我が軍が放ったミサイルが着弾しようとしている。ベロボグ・チェルノ。大人しく我々に捕まれば死にはしない。だが、もし無駄な抵抗を続けるのならば、待ち受けているのは死だけだぞ」
リーは目の前にいる少女に向かってそのように言った。しかし、ベロボグではなくその少女がリーに向かって反論してくる。彼女はチェーンソーの先端をリーの方へと向けて言い放ってきた。
「嫌だ。お父様は誰にも渡さない。それにミサイルの事なんて、とっくに知っている。あと、その子も離してよ。あんた達には、何の関係もないんだから」
ついでにリーの前の少女は、リーが片方の腕で掴んでいるアリエルの方も、チェーンソーと一体化をしていない方の指で指し示して言って来た。
アリエルはというと、リーが放ったガスのせいで意識朦朧としているらしく、今ではぐったりとしている。
リーは迷った。どちらにしろ、ベロボグが乗せられている大型のベッドを5分程度の時間で外に運び出す自信が彼には無い。
(トルーマンさん。表玄関からは、軍の部隊が突入してきています。逃げるならば裏口しかありません)
耳元で再びフェイリンが言って来た。軍の部隊がここまで突入してくれば、恐らくベロボグはそのまま身柄を拘束されるだろう。『ジュール連邦』側にベロボグの身が渡ってしまうと言う事だ。
だが今、リーが片方の腕で捕まえている少女。この少女だけはリーにとっては、『ジュール連邦』側に渡すわけにはいかなかった。
この少女こそが、リー達にとっては必要不可欠な存在なのだから。
そう判断したリーは、ベロボグと白い少女には背を向け、廊下を逆走した。その方向にフェイリンが指示を出した裏口がある。
「フェイリン! セリアにも裏口に来るように言え!」
リーは廊下を、一人の少女の体を抱えながらそのように言った。
(ええ、言いました。セリアもそっちの方向に今逃げようとしています!)
突然開かれた病院の正面玄関。正面玄関を覆っていたシャッターは突然開かれて、そこからは外の眩しい光が入り込んできた。
病院の玄関入口のホールで対峙していた、セリアとショットガンを持った少女は、その眩しい光に一旦、目をくらませられるもすぐに何が起きたかを理解した。セリアは素早く身を伏せる。だが、ショットガンを持った少女は、シャッターが開いた直後に突入してきた、『ジュール連邦軍』の隊員達に向かって、ショットガンの弾を撃ち込んだ。
軍の部隊も負けじとマシンガンを連射してくる。だがこの場には病院内の人質がいた。そんな中で、激しい銃撃戦が展開される。
素早く身を伏せていたセリアの耳元で、フェイリンの声が聞こえてきた。
(セリア? 病院の封鎖を外側から解く事に成功しました。でも急いで! 今、その病院には『WNUA』が放ったミサイルが飛んで来ていて、着弾まであと5分の時間もありませんから!)
激しい銃撃音で分かりづらかったが、フェイリンの言わんとしている事は、セリアには伝わった。
「この様子じゃあ、表玄関からは脱出できそうにないわ! 裏道は?」
(北側の裏口からだったら脱出する事ができそうです!)
フェイリンのその言葉を聞いて、セリアは素早く銃撃戦の間をかいくぐり、行動を開始した。
「裏口に行くわ! 案内して!」
先ほどまで、セリアと対峙していた少女は、突入してきた部隊に向かって、ショットガンの弾を撃ち込み続けている。だが、彼女の仲間のテロリスト達はリーとセリアで全て倒してしまった。
幾ら彼女が『能力者』であったとしても、あれだけの軍の部隊を一人で正面から倒す事ができるだろうか。
そう思いつつも、セリアは裏口の方へと向かった。
ストロフは部隊隊員と共に病院内に突入した。最前線で飛び込んでいったのは突入部隊だったが、ストロフはその背後から援護に回った。完全武装の軍の隊員によって、病院内はあっという間に制圧できるだろう。
しかし謎がある。何故、今になって病院のシャッターが突然開かれたのか。軍の隊員達も、もしかしたら『WNUA』が発射したと言うミサイル着弾まで籠城されるのでは、と思っていた所が突然開いたのだ。
危うく、部隊長も、ミサイルの巻き添えを食わないように撤退命令を出そうとしていた所だった。
突入した隊員は、想定していたほどの抵抗を受けなかった。中には恐らく数十名の武装したテロリスト達がいると思われていたのだが、実際はそんな事は無かった。
だが、何かのガスが充満しており、突入した隊員はそのガスによって怯んだ。その為、唯一人質達の中に残っていた一人のテロリストにより、数名の隊員がやられた。
そのテロリストというのも、ストロフも拘束されたあの女だった。それも、少女とも言えるくらいの年齢の女で、片手にショットガンを持ち、それを突入した隊員に向かって連射してきている。
隊員はすかさずマシンガンを抜き放ったが少女の体は、マシンガンの弾を受けてもびくともしていない。
ストロフは知っている。その少女が『能力者』であり、マシンガンの銃弾など受け付けないのだと言う事を知っている。
『能力者』の事は非能力者であるストロフも知っている。高い『能力』を有する者は、軍の部隊隊員の一個中隊は壊滅させられる力を有している事を知っている。
だからストロフはその少女の姿を確認するなり、部隊長から貰っていたある兵器を使う事にした。
マシンガンの弾は駄目でもこれならばどうだろうか。ストロフは両手でグレネードランチャーを構え、それを少女に向かって発射した。
ショットガンの弾は当てを外れ、少女の体はグレネードランチャーの爆発によって吹き飛ばされて、ホールの向こう側にまで飛んでいってしまった。普通の人間ではただでは済まないどころか、跡形も残らない程になるであろうが、この少女はと言うと、鋼鉄の塊でもぶつけたかのように背後に吹き飛んでいくだけだった。
しかし気を失ったらしい。軍の部隊と共にストロフはゆっくりと少女へと近づいていった。彼女の体は、ホールの壁にめり込んだ後に崩れ落ちるように倒れたらしく、うつ伏せになっていた。
ストロフは少女の体へと近づいて行く。グレネードランチャーは捨て、銃を向けてその少女へと近づいた。
少女は気絶しているようだ。グレネードランチャーの爆発をまともに受けていながら、気絶するだけで済んでいるようだ。怪我もほとんど負っていない。
ストロフは今まで『能力者』を何人も見てきたが、これほどまでの者は初めてだった。もし、この少女が国にとっての戦力となるのならば、それは恐ろしい存在になるだろう。
「ストロフ捜査官!」
部隊の隊長がストロフに呼び掛けてくる。ストロフははっとして彼の方を向いた。
「急いで人質を救出しませんと。病院は制圧しました。ですが、ミサイルが飛んできています。もう数分もありません!」
ストロフが見上げた病院の廊下からは次々と、封鎖された病院のホールから解放されていく人質達の姿があった。軍の隊員達が人質を迅速に解放していっている。
「テロリスト共はどうした? 人質を見張りなしで放りこんでいるとも思えん!」
ストロフは警戒心も露わにそう言うのだが、
「敵の姿は見当たりません。何者かが我々よりも前にここで交戦したようです!それよりも急がないと!」
ストロフは今彼が倒した少女の後ろ手に手錠をかけながら周囲を見回した。すると、辺りにはマシンガンを抱えたまま倒れているテロリストらしき者達の姿があった。
すぐに『タレス公国』からやって来た、向こうの軍の捜査官の姿が浮かんだ。あいつらがここを通っていったのか。目的は恐らくベロボグ・チェルノの存在だろう。だが、彼らがどうなったかを調べている暇もないようだ。
彼らがベロボグを捕らえたならば、間違いなく『タレス公国』側へとベロボグは渡る。『タレス公国』はベロボグの証言をどう扱うのだろうか。
国に頼らず、『タレス公国』に攻撃を仕掛けたと彼が証言し、それをそのまま報じれば、『WNUA』の戦争行為は過ちであったと認めたも同然だ。どこの国もそんな事はしたがらない。
ベロボグは戦犯として裁かれるが、戦争が終わるわけではない。
唯一の頼みの綱はこの少女だろうか。だが、この少女が、どこまでベロボグ・チェルノと繋がっているか、ストロフには自信が持てなかった。
「急いで下さい、ストロフ捜査官!」
隊長にそう言われた時、ストロフは少女の体を抱え、すでに病院から外へと出ていたが、その時、ジェット機でも飛んでくるような音が聞こえていた。
「お父様、ご無事? さっきの男は、とっとと逃げちゃったよ。ただ、アリエルを連れていっちゃった。あたし、どうしよう?」
レーシーはそう言いながら、父親、ベロボグの顔に手を当ててきていた。
ベロボグは、レーシーの手を優しく握ってやった。つい昨日までは上げる事さえもできなかった腕だったが、今は上げる事ができる。そして、レーシーの手を優しく掴んでやった。
レーシーの繊細な少女の手は確かな体温を持っている。彼はその体温を感じながら、思考を巡らせていた。
いかにしてこの状況を切り抜けるか。『WNUA』の艦隊が放ったミサイルは今、この地を目指して飛んできている。だが自分はまだベッドから起き上がる事も出来ない。もはやこの場所からは走って逃れる事さえできないだろう。
ならばする事は一つしか無かった。しばらく使っていなかった行為だが、その『力』をベロボグはまだ有している。その『力』が存在していると言う事は、ベロボグははっきりと理解できる。
何しろ、この『力』のせいで、自分の脳には腫瘍ができたのだから。腫瘍は取り除いたのではなく、その蝕む毒素を中和したといった方が適切であろう。『力』を使う事で起きていた副作用を、ベロボグは消し去ったのだ。
「レーシー、お前の『力』を私にくれるか?」
ベロボグはレーシーの純粋で無垢な瞳を見つめ、そのように尋ねた。
「はい、お父様、喜んで」
レーシーは迷いもせずにそのように答えた。
ミッシェルの時は、わざわざ脳の手術をしてまでしてでしか『力』を手に入れる事が出来ないほど、ベロボグの体は弱っていた。だが、今ならできる。
ベロボグは、レーシーの額の部分にそっと手を触れた。それだけで良い。後は、自分の本能に従うだけで、レーシーの持つ特異的な『能力』は、自分の体の中へと流れ込んでくるのだ。
ベロボグがレーシーの『力』を感じだした時、ジェット機でも飛んでくるかのような音が聞こえた。やがて、破裂するかのように轟音が響き渡り、ベロボグの視界は、白い光に包まれた。
(急いで! 急いで、セリア!)
耳元で響き渡るフェイリンの声。彼女は病院に近づいてくるミサイルの接近を伝えている。どうやらもうミサイルは目前まで近づいてきているようだった。
裏口から病院を飛び出した時、セリアは、ジェット機でも飛んでくるかのような音がした。
「身を伏せろ!」
前の方を走っていたリーがそのように言った。リーとセリアはすでに病院の裏庭まで走って来ていた。
リーと共にセリアがとっさに身を伏せようとした時、轟音が響き渡り、病院の建物はまるで内部から破裂させられたかのように、木っ端みじんに吹き飛んだ。
耳をつんざくような音が響き渡り、炎が吹き荒れた。その轟音は一撃ではなく、続けざまに3回やって来た。
爆風と爆炎が吹き荒れ、病院の建物は、破片となって周囲へと撒き散らされた。衝撃波は付近の建物の窓ガラスを粉々に砕き、道路に止まっていた車さえもなぎ倒した。
その轟音は《アルタイブルグ》のどこにいても聴く事ができるものであったし、爆風は街の郊外まで届いていた。
『WNUA』から『ジュール連邦』に対しての宣戦布告が行われて1日。今までは両者のにらみ合いしか起こっていなかったが、直接的な攻撃は今、ここに初めて行われたのだ。
空爆という形で行われた攻撃の間近に、リーとセリアはいたが、彼らは何とか怪我を軽傷で済ませ、今だ爆発の続いている病院の建物から離れようとした。
病院の裏庭を歩いていると、そこに猛スピードで一台のバンが迫って来てリーとセリアの目の前で停車した。
「セリア!」
車の扉が開かれ、そこには慌てた表情のフェイリンが顔を見せた。彼女も今の空爆の衝撃をバンの中で感じていたのだろう。実際、彼女が乗っていたバンのガラスは割れていた。
「大丈夫!わたし達は大丈夫よ!」
悲鳴や叫び声が聞こえてくる中、リーとセリアは急いでフェイリンの運転してきたバンの中に入り込んだ。しかしバンに乗ったのは2人だけでは無かった。
リーは連れてきた気を失っている少女を、バンの後部座席に横たわらせた。
「ちょっと、あんた、その子を一体、どうしようって言うのよ?」
セリアがリーに尋ねた。リーが連れて来たのは、年の頃は18歳ほどの少女であり、髪を真っ赤に染めている。『ジュール連邦』に住む少女だろうか。
「ああ、今に分かる。とにかくバンを出してくれ。この街を離れる」
リーはそれだけ見ると、割れたバンの窓ガラスから周囲の様子に警戒を払いだした。
「分かりました!」
フェイリンは半ばパニック状態になりながらもバンを出した。
セリアは何故、リーがこの少女を連れてきたのか分からなかったが、彼女の瞼を閉じた顔を見ていると、セリアは奇妙な気分がしてきた。
その気分は、セリアの感覚を超え、本能を刺激してくるかのような何かだったが、今の彼女にはそれが何であるか理解する事は出来なかった。
説明 | ||
西側の『WNUA』側と、東側の『ジュール連邦』との間でついに戦争が勃発。そんな中、リー達へ戦争を引き起こしたと思われる組織、ベロボグ・チェルノの組織に肉薄します | ||
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